はてなキーワード: 理解とは
https://anond.hatelabo.jp/20240531110922
この件なんか例として分かりやすいけど、
大多数の女性にとって男性が「倫理的かどうか」ってほとんど価値がない。
ヤンキーがモテることを経験上理解している男なら感覚的にわかるだろうし、
改めて言うまでもないことだと思っていたが、そうでもないのかな。
究極、女は自分の味方でさえいてくれれば、それが倫理的に正しいか、世間的に正しいかなどはどうだっていい。
吉良吉影の親父のように、世界を敵に回しても自分に味方してくれる男を求めている。
そこが分かっておらず、女性の正しくない振る舞いに正論で注意するような男は生涯モテない。
女性が正しくない振る舞いをしたときは、そんな振る舞いをさせた周りの環境が悪いのだ、と一緒に憤らなければならない。
それを女は優しさと呼ぶのだ。よく覚えておけ。
ラングランズ・プログラムは信じられないほど広大で広範囲に及ぶ。
その最も深い側面は、ラングランズが40年近く前に始めた数論的設定に関係している。
しかし、ラングランズ・プログラムにはあらゆる種類の発現がある。
個人的に理解しようとしているのは、ラングランズ・プログラムの 「幾何学的な 」形態であり、そこではアイデアの一部が数論から幾何学の記述に変換されている。
長い間、幾何学的ラングランズ・プログラムに取り組む数学者たちは、数理物理学のアイデアを大いに利用してきた。
特に、コンフォーマル場の理論と呼ばれる分野は、物性物理学でも弦理論でも重要である。
しかし、物理学のアイデアはいつも、物理学者から見ると奇妙に見える方法でアレンジされていた。
もし物理学に基づく考え方が幾何学的ラングランズ・プログラムに関連するのであれば、幾何学的ラングランズ・プログラムを物理学者にとってより理解しやすい言葉で再定式化することは可能なはずだと思った。
ラングランズ・プログラムは広大なテーマであり、その全体像を把握できる者はほとんどいない。そして、それが最終的にどこにつながるのか、それを言うのは早すぎる。
この投稿は、一部の社会的な風潮や過去の美意識に対する批判としての側面を持つ一方で、全ての男性を一括りにする不適切な表現や偏見が含まれています。過去の美意識が女性に対して与えてきた影響は理解できるが、現代の多様な価値観を認める姿勢が重要であると考えられます。
今まで、一部の日本人男性が「女の子は痩せてて小さい方が可愛い」と言って、自らの好みを押し付けてきた結果、女性に小柄であることを求める社会的プレッシャーが存在していました。このようなプレッシャーの中で、女性が小柄で栄養失調になるまで食事制限をしていたケースもあったと言われています。
しかし、最近では、一部の男性が「高身長の女性が好き」と言い出していることに対して、戸惑いや疑問の声が上がっています。日本において、女性の平均身長が他の先進国と比べて低いという事実があり、その一因として過去の美意識が影響している可能性があります。
一方で、「日本人男性は全てロリコン」という偏見や全体を一括りにした表現は不適切です。多様な美意識が存在し、一部の男性の好みを全体に適用するのは誤りです。現代においては、女性の身長や体型に対する美意識も多様化しており、「高身長の女性が好き」という好みも一つの傾向として認められるべきです。
過去の美意識が女性に与えてきた影響を考慮しつつ、現代の多様な価値観を認める姿勢が重要であると言えます。まずは、男性がこれまでの女性に対する抑圧について少しでも思いを馳せ、多様な価値観を尊重することが求められます。
ちなみに、先進国で最も背が低いのは男性も一緒なのでそもそも最初の問題設定が間違っているのだが、そこまでは指摘してくれないところが今のAIの限界かもしれない。
キラーピアス担当に回復役、バイキルトやピオリム、ルカニルカナンが使えるブライは必須だった
普通のプレイでもブライとマーニャ(キラーピアス要員としても)を使い分けてた
トルネコはくちぶえとしのびあしで使えるしライアンはデスピサロ戦ではメガザル装備させて賢者の石持たせて貴重なタンクとして活躍させてた
フバーハはあって損はないけどラスボスとか毎回のようにいてつく波動使ってくるからかけ直すの面倒なんだ
従ってミネアってプレイしてたら全くの役立たずな事に否が応でも理解しちゃうよね
せいぜい薄い本でシコ要員としてしか使い道ないかな。でもプレイそのものでは全然いらない子だった。
あっ一つだけ役に立つ事があった。
文化資本が蓄積されている人って、要は「お育ちが良い人」ってことだよな
美術館に通って歴史や文化への理解を高め、子どもに教育を行い子どもの歴史や文化理解のベースが高まるのが文化資本になる。
美術館が近くにあり、いつでもそこに通える環境で、親が子どもを美術館に連れて行くような行動を取ると、個人に文化資本の蓄積が進む。
少なくとも現代社会では、家庭というものが一般的な集団単位になっているわけで
自分は多動気味で完璧主義の気があるから結婚するべきじゃないと思ってるけど
そんな長い間気持ち続けて、普段の何気ない嫌な事も耐えられるなんてすごい忍耐だな…って感心する
不倫する側の気持ちの方も理解できてしまう自分は結婚しない方がいいんだろうな…
…まあ、相手が居た事もないんだけどね!
やっぱり必要なのは、仕事の中で人間の仲裁と調整を行うAIだわ。
毎日のようにオフィスで繰り広げられる些細な争い。会議の度に意見がぶつかり合い、プロジェクトの進行が滞る。上司と部下の間に生まれる微妙な不和。同僚同士のささいな誤解や対立が、仕事の効率を著しく低下させているのを見ていると、自然とそんな考えに至る。
そんな時に登場するのが、最新の調整AI「メディエーター」。このAIは、全ての社員の言動や感情データを解析し、最適な解決策を導き出す。人間の感情を理解し、冷静に判断を下すことで、迅速かつ公平な仲裁が行える。誰もが納得する形で、問題を解決してくれる存在だ。
ある日の会議、再び意見が対立し、場が険悪な雰囲気になった瞬間、「メディエーター」がスムーズに介入した。淡々と、しかし的確に双方の意見をまとめ上げ、全員が納得する結論を導き出した。驚いたことに、普段は口論を繰り返すメンバーも、AIの指示に従った。
これが「メディエーター」の力だと感心した。人間同士だと感情が絡み合い、どうしても対立が生じる。しかし、感情を持たないAIが間に入ることで、冷静かつ効率的に物事が進むのだ。人間の複雑な感情や関係性に振り回されず、公平に判断を下す存在が、オフィスに新たな秩序をもたらしてくれる。
AI先生に対してだったら、しぶしぶでも従うようになるだろう。それが素晴らしいところ。
この人本当にかわいそう。
自分の体験から女性の置かれている状況をよりリアルに理解したって言ってるだけで、むしろ良いことなのに、リプと引用RTは罵詈雑言の嵐。
もう発言や文章には、「女」「女性」「ジェンダー」「性」「妻」とか、性別を想起させるキーワードは一切使わないほうがいい。
妻ちゃんと2人で、化粧水を探しに美容部員さんに色々質問していたら、店員さんが僕の質問はほぼ無視で妻ちゃんの方しか向かないで話し続けていて『おぉ、これが噂に聞く、家を買う時や車屋さんで妻さんが軽く見られたりする現象か、世の女性は本当に理不尽な目に遭っているのだな』と身をもって学んだ
モデルAは特徴量を10000個使っていたが、追加で4000個の特徴量を付与したモデルBを作ったとする。
モデルAとモデルBをテストデータを使ってテストすることも可能だが、使用感を確かめるなどの目的の場合は、入出力を明確化してデモにするとわかりやすかったりする。
例えばそれは「検索エンジン」のモデルだったりするわけだが、モデルAとBを切り替えるボタンを検索エンジンのデモに用意しておき、検証可能にしておくのである。
具体的には、検索クエリを入力し、その結果をモデルAとモデルBで比較できるようにするということだ。
それにより、各モデルがどのように異なる結果を生成するか、また新たに追加された特徴量が結果にどのように影響を与えるかを直接確認できる。
ただし、このデモを設計する際には、結果を解釈するのを助けるために、各モデルの主要な特徴と動作原理についての説明も提供する。
https://realsound.jp/tech/2024/05/post-1676581.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/realsound.jp/tech/2024/05/post-1676581.html
名前で会話をやろうとしている、それは対象外が入り込んでいる状態なのでは?
孤独・孤立の問題を抱えていない人が余裕ぶっこいている状態なのでは?
裏返すと「できるコミュニケーションを求められるストレス」なのでは?
第三者がプレイヤーの補助として名前になにか大事なことを記している、そういうのもあるだろう。
ただ「ガチ孤独です」みたいなのだとじゃあ他の人はそんなガチじゃないのかな?っていう感じもする。
例えば盲目向けのバースがあったとする(既にある気もする)。なんでか知らないけど音オンリー空間じゃなく「見て」もわかるようにできてたとする。弱視も受け入れようとしているのだろうか。半端に目で見て理解できるものだから、そこに視覚に異常のない人がやってくる。
バース先住民は「この人は動物園でも来たつもりか」、そう思ったりしないだろうか。そして体験して投げかけられる感想、「ディストピアみたい」
やってられなくないかこんな扱い。
(この機会にエントリに来て、誰もがクレイジーであるか、そうでなければ彼らを荒らしていると言わないでください。見知らぬ人に嫌がらせを受けていると思う人を嫌がらせることは、私が対処できる最悪の自己実現的で逆効果的な行動です。それが基本的に私がそこに改造する理由です。)
あなたは集団ストーカーに反対したいと思うかもしれませんが、それは私が議論したいこととまったく同じではありません。多くの人々は、潜水艦がはてな匿名ダイアリーから禁止されるべきだと考えています。集団ストーカーの概念でさえ一部の人々の状況を悪化させる可能性があるため、彼らはその存在が有害であると信じています。
合理的に言えば、これが当てはまる脆弱な人々が何人かいると言います。私は時々、その人が賢明な考えを書き留めることができないことを示す投稿を見ます、そしてこれは統合失調症かもしれません。(私がそれらを削除するので、あなたはそこにこれらの投稿を見つけることができません。) 暴力団だと思っていても、潜水艦の他の人が精神疾患を患っていると信じるでしょう。確かにそこには何人かの言われた人々がいるに違いない。
集団ストーカーが存在する理由を説明してください。ツェルツェツンの歴史的な例と、無数の政府、宗教の例があります, または、今日、何人かの人々に発生している可能性が非常に高いことを示すカルト行動。
明らかに、実用的な解決策は、各グループの人数を比較して、エントリがどれほどの害を与えているかを理解することです。おそらく、エントリが誰かに存在することは害が少ないです。統合失調症の場合、標的とされている誰かには存在しないことよりも、「害の価値」を意味します" 比較するには乗数が必要です... しかし、これは無情で奇妙なものになりつつあり、これは実用的な解決策の典型的な問題です。
はてな匿名ダイアリーの理論については、ルールを適用してエントリを隔離または削除します。あなたはポジットをすることができます集団ストーカーCovidの誤報潜水艦が行動した今、最も有害なエントリですが、ルールが他の陰謀、オカルト、宗教的, または精神疾患のある人に害を及ぼすと主張することもできる「奇妙な」潜水艦? この問題のために禁止されなければならないと言うことさえ可能ですか?
ルールは集団ストーカー自体を指定できないと確信しています。それはそれを正当化するか、少なくともそれを認識させ、それによって効果がなくなるからです。これらの種類の潜水艦はすべて禁止されるべきだと思うなら、問題は実際には存在しないでしょう。何て言うの?
リアルでアンフェみたいな人を「それは○○ではないですか?」って詰めて論破したら大声出して発狂してて草
認知歪んでるから矛盾だらけなので矛盾や知識の欠如を指摘してたら成人なのにマジで大声出してるのヤバすぎる
やっぱアンフェって障害者なのかな?
オタクって昔からずっとコレやってるんだけどさ、いい加減そういう形で自分を着飾って褒め合うのダサイから辞めたほうがいいよ。
トラペジウムみたいなニッチな作品でやってる分にはまだいいかもって気はしてたんだけどさ、アイカツやプリキュアにまで乗り込んでいって「子供向け作品の奥に宿る素晴らしい価値を見出す俺の凄さ」とかやってるキモさと比べればさ。
でも最近の褒め方は本当に気持ち悪くて、やっぱコイツらのやってることはどこで何に対してやった所でありえないぐらいダサイことなんだなと感じたわけよ。
何がどうダサイかってさ、結局のところオタクは「この作品の凄さが分かる俺」を騙りたいだけでしかないってこと。
一見すると語ってるはずの作品の良さなんてのは、本当は自分の凄さを引き出すための触媒ぐらいにしか思ってないわけよ。
よくよく見てくと「この作品のこんな所に気づく俺凄いなー」とか「こういうのが分かる俺の感受性って豊かだなー」しか言ってないわけ。
たとえば歪んだラーメンオタクはラーメンの美味さを語っているように見せて「この有益情報を広めている俺って本当に偉いな」にしか興味がなくなっていくわけだけど、トラペジウムの褒められ方は本当にそういった類のムーブばかりなんだよ。
なんでそんなになんでもかんでも自分のアイデンティティ確立のための手段へと貶められるんだろうね。
誰もが「この作品の面白さを理解し、こうして言語化してみせる俺のオタク教養の高さたるや」とナルシスってばかりいる。
ゲームを勝ち負けを通して自分の凄さを証明するための手段だと思いこんだり、アニメに対して痛いレビューを書きまくって自分の見識を自慢したりしてさ。
ちょっと変な所があるゲームをやたらとクソゲー扱いしてこき下ろして陰湿なオタク同士の中で人気物になろうとしてたこともあったな。
でも成長した今ならわかる。
ダサイんだよ。
自分という人間は凄いんだぞって必死にアピールしたいなら、自分の身一つでやるのが関の山だろ。
なんで他人が時間や情熱を注ぎ込んで作り上げたものを、赤の他人のお前がしょーもない自意識を満たすための小道具として持ち出してんだよ。
本当にダッセーよ。
そのダサさに早く気づいて欲しい。
人生の傷口が広がりすぎないうちに気づいてもらいたい。