はてなキーワード: 浴衣とは
19歳、浪人中の夏だった。
僕は幼い頃から空気が読めず、からかわれてばかりいた。今なら発達障害と診断がおりるかもしれない。
ヤンキーだらけの中学校で、教室の隅に転がるゴミみたいな扱いを受けながらも、成績だけは良かったことが僕の唯一の拠り所だった。だが、進学校に入学して地頭がいい連中の中に入れば、真面目さだけが取り柄の僕では敵わない。
早々と童貞を捨てたようなコミュ強や、高3の夏まで部活に打ち込んでいたクラスメイトが現役でMARCH以上に合格する中、僕の浪人が決まった。プライドばかり高い僕は、当時の2ちゃんの学歴板に毒されていたこともあって、人生に負けたと思い込んだ。
ショックを引きずったまま入った予備校では、声の大きい派手なグループが幅をきかせ、友達はできなかった。
春が過ぎ夏になっても、模試の判定は良くならない。家と予備校を往復するだけの毎日だが、世間の楽しそうな人たちが目に入らずにすむからその方が気楽だった。
通っていた予備校は駅と花火大会の会場の真ん中にあった。予備校の建物から出ると、狭い歩道は浴衣姿のカップルだらけ。露店も出ていて呼び込みの声も騒がしい。押し分けても押し分けてもはしゃいだ様子のカップルが押し寄せてきて、まったく駅に近づかない。肩がぶつかった強面の男に舌打ちされた。
惨めだった。毎日楽しいこともなく、女の裸なんてディスプレイ越しにしか見たことのない僕が、なぜこいつらに遠慮しなければならないんだ。刃物だと一人か二人しか殺せないから、マシンガンがいい。高いところから会場を埋め尽くしたカップルを打ちまくり血の海にできたらどれだけ爽快だろう。自分より幸せそうな人を殺す想像に、罪悪感はなかった。
今思えばまだ19歳。未来に絶望する歳じゃないし、花火大会なんてたった1日のことだ。でもそう思う余裕がなかった。
想像だけで済んだのは、ただただ親に恵まれていたからだと思う。浪人を快く認めてくれ、予備校から帰る時刻になると母は夕食のメニューをメールで教えてくれた。雑談をしながら家族で囲む食事が、心の支えだった。
その後、第一志望には落ち、格下だと思っていた大学に入学した。そこで気の合う友達に出会えた。卒業後、合った仕事に就くこともできた。だから当時の鬱屈はすっかり記憶の隅に追いやっていたが、川崎の事件でふと思い出した。
もしも親ガチャで爆死していたら、大学でも孤立していたら、仕事が見つからなかったら、犯人は僕だったかもしれない。そして、この先も人生に絶望するようなことがあれば、また僕はマシンガンを求めてしまうかもしれない。
多分この手の話をしだすと、行きつく先はすべての伝統的儀式ムダじゃんという展開になるんだが
古代に遡ると日本に限らず王侯貴族は宗教的儀式ばっかりやってて、教会だのモスクだのに寄付するのが立派な王様や貴族みたいに思われてた
で、日本という国は、他国がもうやめた古い伝統(元号と改元も)を残していることを自慢している国で
それを言い出すと近代以前の大部分の伝統に合理性などなく、合理性などない物をあえてありがたがるのが伝統を大事にするという行為
皇室が昔ながらの儀式を全部やめるべきというなら、同じように、五月に鯉のぼりを飾るのも合理性ゼロで馬鹿馬鹿しいし
1990年年代に入ってから関西のローカル風習をわざわざ全国区にした恵方巻きなんてもっと馬鹿馬鹿しい、ハロウィンもクリスマスも、夏に浴衣を着るのもみんな然り
となってしまう
(これらに宮内庁は関わってないけど、自治体で税金つっこんでそういうのを盛り上げてる地方もあるし)
が、そーいう合理性ゼロの伝統風習が現代でも残ってる理由のひとつは、それで商売してる人がいて、経済効果とやらがあるからなんだろう
皇室の儀式に使われるお金も、使ったら消えて無くなるわけでなく
十二単をつくる業者だの、儀式の道具を作る業者だのの懐に入って、その業者がまた飲食したりして日本経済の一部になるのだろう
そう考えれば無駄な儀式も日本経済の何かになってるのかも知れん
まあ、俺も心情的には同じ税金なら震災復興や困窮児童に回せよ、とは思うけど
逆に言うと、普段その手の福祉目的みたいな税金の使用を渋る経済国益第一優先の新自由主義連中が、宮内庁の内廷費にけちを付けないのは不思議でならない
長女の生産地は7月下旬のビジネスホテルの一室。その日の夜に行われる花火大会を見るために1泊するのが便利だったのと,彼女の浴衣姿が見たかったから予約した。
それまではちゃんと避妊していたんだけど,その日の彼女は激しくて,近藤さんを着けていなかった僕はあえなく果てた。
それから3か月後,体育の日を挟んだ3連休初日,彼女と付き合って1年5カ月,いままで会ったこともなかった彼女の親父さんお袋さんに紹介されて初めてあいさつした。和やかな雰囲気だったな。
その翌日,デート帰りの車,もうすぐ彼女の家,運転する僕に彼女が「〇〇公園に寄って」と。そして,車内で見せられたエコー写真。キューピーさんというかクリオネさんというか,そんな白い影が写っていた。「4カ月目だって・・・」という彼女は涙ぐんでた。「ごめん,もっと前から分かっていたけど言い出せなかった」だって。
俺は思わず「ヤッター!!」って叫んで彼女を抱きしめた。そして「結婚しよう」と言った。キョトンとする彼女の表情は忘れられない。
それから一昨日初めて会ったの彼女の両親の元にスーツを着て舞い戻り,ぶん殴られるのを覚悟で謝罪と結婚の挨拶に行ったんだけど,親父さんもお袋さんもこっちが拍子抜けするくらい喜んでくれた。
それから1週間後,役所に婚姻届けを提出しに行き,2週間後には親せきを交えた食事会,それまで,妊娠していることを妻とともに隠れて縮こまっていた長女は,ようやく解放されたらしく妻の中でグングン成長し,あっという間に妻はどこからみても立派な妊婦さんになった。
海辺の温暖な町から,山間部の極寒の僕の町にお嫁にきて,「寒い,寒い,この寒さは妊婦に悪いから実家に帰りたい」という妻を必死になだめた冬。
やがて春がやってきてめでたく長女が誕生。
うれしくてうれしくて,立ち会った分娩室で僕はまた「ヤッター!」って叫んだ。「涙を流すお父さんはいますけど,ヤッター!って叫ぶお父さんは初めてです」と産婦人科の看護婦さんにたしなめられて,妻はちょっとふくれていた。でも妻曰く「意外と痛くない。まだいける」だって。
1歳で卒乳し,2歳ころには,自分でフォークとスプーンを持って一切こぼさず食事をしていた長女。3歳になる前にはおむつも取れて,それから今までおねしょをしたことがない。
幼稚園では4月生まれのアドバンテージで早生まれの子たちを引き連れてお姉さんの立場。マーチングで一番難しいティンプトンドラムも,お遊戯会でのあいさつも,いつも長女だった。
やがて,妹ができ,弟も2人でき,4人兄弟のお姉ちゃんになった。
長女を育ててみて,「なーんだ,子育てってめっちゃ楽やん。こんなの何人でもいけるやん。」と思った夫婦は,立て続けに4人の子どもを授かったが,楽なのは長女だけでした。あとの3人が未だに大変なことと言ったら・・・。
いつまでお父さんといっしょにお風呂に入ってくれるかな?
いつまでお父さんと一緒に寝てくれるかな?
いつまで「おとうさんと結婚する」って言ってくれるかな?
もうすぐ10歳。あと8年もすれば成人か。もう折り返してしまったんだね。
嬉しいけれど,なんだかさみしいなあ。
このまま健康で明るく元気に育ってね。
家には小学校低学年になる娘がいる。
ある日「もうそろそろお風呂入りー」と娘に入浴を促し、そこで「あ、やべ洗濯機回してねーわ」と気付き(我が家は風呂場に洗濯機がある)ちょっくら失礼する形で風呂場の戸を開けた。
すると娘はスマホを床に置き脇を締めた状態で胴に縄跳びをぐるぐる巻いてそれを左右にぐーっと引っ張って悶えていた。身も蓋も無い言い方をすればSMプレイだ。セルフSMとでも言うべきか?
あまりにも驚いた娘は悲鳴をあげ、私も慌てて風呂場を飛び出した。
確かにブラも去年から付け始めたし性的な事に興味を抱く年頃だろうけどいきなり何故上級者向けコースへ進むのか?いやでも多分漫画かアニメにそう言う描写があったのだろうと。私が子供の頃にだってそーゆーのはあったし(むしろ今より緩かった)考えてみりゃそんなに変な事じゃない、とはいえ流石にこのままだとバツが悪いし後日娘とお好み焼き焼きながら話し合う事にした。
私は当初「まあそーゆー事もあるから」で済まそうとしていた。しかし娘は意外な事を話した。
娘には柔道を習わせているのだがある日年上の男子が帯で娘の体をぎゅーと縛ったそうな。娘も初めのうちは痛くて苦しいからやめてと抵抗したが縛られてる内に段々ドキドキしてきて、その後自分で縄跳びを使い体を縛ったら気持ちよくなってしまい段々男の人に縛られる妄想をするようになったらしい。
私は「別に変な事じゃないし、やめる必要も無いから」と慰めるのが精一杯で、気がつけば一本の筈のチューハイを三本開けてた。
甘かった。いずれ娘も性的な悩みを抱えるだろうからこれこれこうすれば良いよと模範解答を用意していた筈だったのにあまりにもイレギュラー過ぎた。
本当に可愛い女の子なんだよ娘は。良い子で言う事聞くしお手伝いもするし怒鳴った事なんて一度もない。スウェーデン人の義母にそっくりな色白のべっぴんさんで、ちょっぴり滑舌悪くて髪の毛のボリュームが多いから毎朝必ずマリモになるし、大食いな私と違って少食で、それでいてあの小さな体のどこからと言うくらい柔道の試合では大声を出して、豚玉が好きでお風呂上がりに豆乳と野菜ジュースを混ぜた謎ドリンクを飲むのが日課で、幼稚園の頃はたまに私がバイクで送っていった。
正義感が強くて、友達の女の子がクラスの男子に虐められた時にその男子に大外刈りを喰らわせて私が学校に呼び出された事もあった。ミニストップのイートインで二人でハロハロ食べるのが楽しかった。私が足つって悶絶した時に本気で心配してくれた。毎週金曜日、旦那は呑んで帰って来ないから食卓で「帰ってこねーなあの野郎」と言いあった。
夏祭り、娘の浴衣が何かに引っ掛かって脱げかけて慌てた。茨城の露天風呂が絶景だった。大好きなYouTuberのワタナベマホトのイベントに連れていった時には生のマホトに感激して泣いていた。一家で巨人ファンだから甲子園の阪神巨人戦を見に行って回りの阪神ファンに怯えてた。そう言えば大阪新世界のゲーセンにも行った。もう本当に色んな思い出があって、こんな夫婦からよくこんな良い娘が生まれたと自慢の娘に何て事してくれたんだ。年頃の、多感な娘に。
どうすれば良いんだ私は。
どうすれば良かったんだ私は。
ポリコレ大国アメリカやイギリスですら無能には優しくないんだよな、むしろクビ切りやすい分日本よりある意味厳しい世界。
どーせポリコレなんて政治的な正しさでしかなくて、俺らみたいな救う価値も救って気持ちよくなれるだけの大義名分のもないキモくて醜くて無能で金もない男は政治的な正しさのもと殺される。
俺らみたいな性愛からも労働からも排除されている人間が生きるか死ぬかをさまよってる中で、
ポリコレの人たちは俺らを排除するメリットを最大限享受しながら白人が浴衣着るのは人種差別だの公衆便所のピクトグラムは性差別だのクッソどうでもいい議論を交わしていく。
沼津出身のアラフォー、20年ほど他の地方にいたが、Uターン。
多分この先は永住。
どうやらここ数年、ラブライブ!サンシャインの聖地となったため、県外から人が来ているらしい。
確かに、仲見世商店街にはグッズをもった人がいるし、コインパーキングには痛車がとまっている。
沼津駅まで写真を撮っているひとがいる。正月の西浦の浜は夏よりも人がいるような気がした。
夏の市の広報はラブライブ!サンシャインの彼女たちの浴衣の絵だった。
人口減少が進み、寂れていく一方の沼津には天恵ともいえる事態だが、このアニメがどれくらいすごい物なのかがわからない。
何かに例えて教えて欲しい。ラブライブ!サンシャインのすごさを。