はてなキーワード: 戦隊モノとは
ネトウヨが一番楽しそうにしてるのって安倍さんが外交的に成果を上げた時や、国会で素晴らしい(と彼らが信じる)通信傍受法や安保法制が通った時より、民主党系や共産党の議員がアホをしでかしたり選挙でぼろ負けした時だと思う。
これって多分カタルシスを感じてるんだと思うけど、予定調和的に正義の自民党が悪の民主党をやっつけて嬉しいっていう構図なのかなと。
ネトウヨって結構おじさんが多いことが最近知られてきたけど、氷河期でロクな就職もできず嫁子供もいない理不尽な人生のただ中にいる彼らにとって、安倍さんは、現実世界で正義を成し遂げるヒーローなんだろう。
そう考えると彼らを批判するのは可哀想になってきた。彼らに誇るべき仕事と守るべき家族を与えてこなかった僕らが彼らを生み出したんだろう。
http://arrow1953.hatenablog.com/entry/2018/06/11/070329
プリキュアのセリフがあーだーこーだー、限界だとか、なんだとか言うけど、
売れなかったらなんも意味ないんよね。
戦隊ものが続いているのも、プリキュアが続いているのもある程度売れているからであって、
売れてなきゃ無くなっているのよ?
戦隊モノで女子をレッドにして同じくらい売れるなら最初からやってるんじゃないかな。
というかよ、それと同じでプリキュアの中に男性がいてもいいってことよ。
なんでそこには触れないんだろ。
論点が偏ってるでしょ。
追記してほしいものだなー。
ゲームやアニメの世界では、いまやヒロインが一人だなんてことはありえないくらいにマルチマルチ化している。
たった一人のキャラクターの魅力で、多くのユーザーを惹きつけることがそれだけ難しい世の中になったということだ。
その流れは何も二次元に限った話ではなく、実在する人間によって編成されるアイドルだってグループ化が当然だ。
戦隊モノのヒーローも回を追うごとに人数が増えていく一方だし、ロックシンガーもダンサーも当たり前のようにユニット化していきている。
視聴者には、登場人物一人一人に主役級の憧れをもつ自由が許されているはずだ。
なのに、ドラマの世界だけは一向に主役とヒロインという構図が崩れる様子がない。
サブキャラに魅力ある女優が起用されることはあっても、ヒロインのストーリーのために消化されていく流れに変りはない。
せっかくそうした個性的な登場人物に感情移入できても、ストーリーの最後にはあらすじ程度に紹介されて終わってしまう。
かと言ってスピンオフが見たいわけではない。
サブキャラのためだけにストーリーが作られて、サブキャラが主役の扱いをされたいわけではないのだ。
あくまで個々の登場人物たちがそれぞれに一生懸命に生きる姿を、それぞれに同等に認めてほしいだけなのだ。
学芸会ですら主役が複数人いることが当然になっているのに、どうしてドラマでそれができないのか。
プロダクションの力関係?女優のプライド?だとしたら誰がそんなものを求めているというのか。
日本のドラマがつまらない根本的な理由があるとするならば、そうした視聴者以外に対する忖度にほかならない。
実際の世の中は誰が主役で誰が脇役かなんてものは決められていない。それぞれがそれぞれの人生という舞台の主役だ。
表題の通り、5歳の息子が最近の戦隊モノにすっかり熱を上げております
寝ても覚めてもタマタマキューキュー
買い物に出てもタマタマキューキュー
あのね、お外ではあんまりそのお歌は歌ってほしくないな、と優しく諭しても無駄でした
自分のタマタマと呼称が近いことにも気づいてしまったのでしょう
お風呂の中でもすっぱだかで腰を振りながらキューキュータマタタママキューキュー踊っています
そんな姿を見てか、妹すらもわたしもタマタマが欲しいと言い始める始末です
ほしいのがキュータマなのかそれともタマタマなのか恐ろしくてそれ以上は聞けませんでした
夫は私の気持ちもしらずに子どもたちと一緒にタタママキューキュー踊っています
いつかこいつのタタママキューキューいわしてやるから覚えておけよ
せめて人前でタタママキューキュー歌わせることだけでも止められないものでしょうか
起きている時、現実を目にするだけでも疲れるのに、寝ていても夢で疲れます。今日はこんな夢をみました。
非常にマッチョな男性が非常にマッチョな男性を抱きかかえています。
2人は愛し合っています。
1人がスーパーマン、もう1人も戦隊モノのキャラクターだったような気がします。
しかし2人の皮膚はくっついていてなかなか剥がれません。力ずくで剥がそうとします。
やっとのことで2人は離れ離れになるのですが、抱きかかえていた方は皮膚は剥がれ内臓や筋肉が見えつつ死んでいきました。
側からみている女性のわたしは、死んでいくほうの人間にたいしグロデスクすぎて見てられないと目をそらしてしまいました。
なんでも思った事を見抜ける特殊能力を持った人間から。捕まったら殺されると思っています。
家の中に逃げ込んで追ってをシャットアウトしようとしましたが、ドアの鍵が壊れて閉めきれません。
追ってがドアをこじ開けてくるのを自力で押さえ込みます。わたしは外界に対して誰かこの追ってを追い払ってくれと大声で助けを呼びます。誰もこないので、美輪明宏を大声で呼びつけようとしたらところ目覚めました。
いつになったら、疲れない時間は訪れるんだろうな。
http://anond.hatelabo.jp/20170227094535
歴代の仮面ライダーは男。サブライダーも男。変身するのは男である。
かたや女といえば喫茶店でダラダラしたりただの血縁関係でさえない妹だったりと、あくまで補助する立場に終始している。
この仮面ライダーは男のもの、という構図は男の子向け番組だからと言って許されるものではないだろう。明快な男女格差である。
何?かつてはタックルから、平成はマリカまで、歴代にも女ライダーがいた、男女平等だ、だって?ハハッワロス。そんなもの全体のどれだけだというのだ?
戦隊モノならゴレンジャーから女性がいる。最新作にも女性がいる。男女比の偏りは是正されるべき今後の課題だが、戦隊モノは昭和の古いときからいち早く同じチームという同等の価値に置く。
ジェットマンは女性が指揮官で、タイムレンジャーに至っては女性が実質のリーダーである。
できないのではなく、しないのだ。このような状況を温存してきたのがテレ朝であり、ジュノンボーイであり、バンダイであり、特撮オタクであり、全国の保護者であり、果ては宇宙なのだ。
仮面ライダーという番組は、男ばかりが主役になり、女の変身と言えば怪人ばかりが充てがわれ、男が女を滅ぼす、ついでに悪い男も滅ぼす聳え立つイチモツでヒイヒイ言わせる超弩級父権主義番組なのである。
では、なぜ仮面ライダーがフェミニストに糾弾されずに生き残っているのか?
答えは簡単。
キーワードを挙げると
・意味不明
・支離滅裂
・荒唐無稽
・腑に落ちない。
・雑
・コピペ
・つぎはぎ
・取ってつけた感
・脈絡のなさ
ふつう、物語があって起承転結するわけで、それに沿って必然性のある演出、展開、エピソードがある。だから腑に落ちる。
なんだけど、ラブライブは、経緯、エピソード、演出、情緒、といったものがクソ。
キャラクターと歌自体はまぁまぁだとは思うが、???が多すぎてそれらが全部吹っ飛んでる。自分の中で。
意味不明すぎてうまく言語化できていない。すごくモヤモヤして、腑に落ちなさだけが残る作品だった。
言いたいことや違和感の詳細は、だいたいこの批判記事に書かれていて腑に落ちた
劇場版ラブライブ!批判考察① http://anond.hatelabo.jp/20160221211019
劇場版ラブライブ! 見てきたけどマジでクソ映画だった:オタクマガジン~黒歴史の向こう側へ~ - ブロマガ http://ch.nicovideo.jp/hirasawa_yui/blomaga/ar811153
たとえば、ニチアサ、戦隊モノやプリキュアっていうのはアタマをカラッポにして楽しむことができる。無意味なシーンやエピソードがない。子供と遊ぶような、それはそれでロールプレイして楽しむことができる。ラブライブはそういった類の楽しみ方もできない。
たとえばインドの踊りまくる映画とか、ハリウッドのB級映画とかの「考えるな、感じろ」系の作品は、たしかに同じ馬鹿なら踊らにゃソンソン!的なノリで見れば楽しむことはできるんだが、ラブライブはそういう楽しみ方もできない。一貫したものがないから。
けいおん!もあずにゃんが出てきたあたりで視聴挫折している。甘ったるい間延びした空気感に耐えられなくなって、視聴モチベーションの灯火が消えた感じ。
ラブライブを楽しめている人ってどういうノリなのか?わからん・・。楽しみ方の作法を教えてほしい。というかワイはアイドルアニメ、音楽部活アニメに向いてないのだろうか。ワイも老害になったのだろうか。
このブコメが腑に落ちた:
ラブライブ、基本的には好きだけど、一貫性のある物語や精緻な人物描写の「力」を信じている人には、それがなくてもあんなに売れちゃうんだーみたいな絶望感のある作品だと思う - heavenward のコメント / はてなブックマーク http://b.hatena.ne.jp/entry/257185110/comment/heavenward
ワイは、整合性が取れていないものに対して敏感に嫌悪を催すタイプなのか。脳内でコンパイルエラーを起こすから。整合が取れていないものを発言したり受け入れたりする人が生理的に受け付けられないなぁ・・。
でもアイマスアニメは、まぁまぁ全部みて楽しめたなぁ。あれはちゃんと「完成」されている。王者の安定感がある。単なる「記号」ではなく「人格」としてのキャラ立ち・個性が表現されていて、困難と努力のリアリティがあり、これぞアイドルプロデュースといったところ。ただ重課金ビジネスは嫌い。ラブライブは「人格」が弱い・・。
アイマス信者でもない。アニメやってたから見ただけ。ゲームやったこともない。
艦これのテレビアニメ版も、シリアスにしたいのかギャグにしたいのか支離滅裂で意味不明、最後の作戦も蛇足すぎたし、かなりのクソだったが、ラブライブはそれよりもさらに下を行くクソさ。
※ただ、艦これは映画でシリアス一辺倒路線で吹雪編(?)の締めをしていて、それはそれでまとまった作品になっていたので、評価は上がった。
仮に俺がお金を握っている立場だったら、脚本家や演出家に給料を出したくない。
でも悲しいけどこれってビジネスなのよね。売れればいい。それだけだ。