はてなキーワード: 必然とは
若いクリエイターがより他に行ったというのはその通りだと思うが、「世代交代に失敗した」というわけではない。
そもそもにおいてエロゲーがブームになったこと自体が異常であるし時代が産んだ奇跡と言ってもいい。「世代交代」など出来るはずがない。
エロ漫画もエロアニメも、売れた作品はあるし、素晴らしい傑作もあるだろうがブームになってはいないだろう。
ポルノ映画もそう。ポルノ映画から名俳優や名監督が登場したり、ヒットしたポルノ映画はあるだろうがブームにまではなってないだろう(あったしても一過性)
コアなエロゲーユーザーも多くいたが、ブームになったときのユーザーの大半がライトなユーザーだ。エロシーンに絶対的必要性を求めていないユーザーのほうが圧倒的に多い。
だからこそ増田が言うようにクリエイターが発信できる場が増えたことによってブームが終了するのは必然なのである。
平田氏の感覚が世間一般とズレていることと、ネット大衆に演劇界隈への敵対心があることが、炎上の根底にある。
ではなぜ平田氏は「大衆」に向けて「大衆」に支持される言葉を発することができないのだろうか。
映画のような複製芸術においては、作品の評価に関して大衆からの牽制を受ける。
どれだけ批評家が高尚な文章で讃えた作品であっても、大衆からの支持が全く得られない作品は、市場から消える。
市場から消えると、批評家も言及しづらくなる。そして、その作品は忘れられてゆく。
別に大ヒットになる必要はないが、DVDが販売され続ける程度、あるいは配信され続ける程度の大衆からの支持は、作品が残るためには必須なのだ。
これは小説においても同様で、全く売れない作品は市場から消えて忘れられてゆく。
今、名画とされている絵画作品も、多くの人びとを感動させたから名画とされているのではない。
名画とされているから、多くの人びとが感動しているのだ。
何を名画とするか、それを決定しているのは、美術のごく狭いサークルの人たちだ。
そのサークルの実態は時代と共に変わるが、昔は王侯貴族であったり、現在ならコレクターと美術批評家だ。
世界の現代美術でも数百人もいないごく少数のプレイヤー(コレクター)が美術作品の値段を決めている。
小さなサークルのなかで価値を認められたモノが、美術館に飾られ大衆もそれに感動しているわけだ。
大衆からの支持なんて全く必要ないし、大衆からの牽制も受けない。
狭いサークルのなかでさえ認められたなら、それは歴史に名前の残る作家・作品になるのだ。
観客も演劇ムラの人たちがどうしても多くなるし、そういうムラ内での評価が作品の価値を決めていく。
だから、演劇人も大衆に向けて言葉を発する機会よりもムラ内に向けて発言することがメインになる。
またネットユーザーの少なくない数が演劇界隈を敵視しているのも、演劇を見る機会がないからだろう。
(ジャニーズやディズニーの不祥事には擁護厨が湧くが、演劇の場合、それが少ない。演劇を見ている人が少ないからだ)
演劇人はメディアでの発言権だけはあるので、ふだん演劇と関わりのない人たちからは「なぜあいつらだけ特別なのか」という気持ちが出てくる。
特定の市長と懇意で、散々税金で便宜を受けて自分が学長に収まるらしく、それでも批判されないように適当に政府批判、日本批判みたいのを言ってリベラルマスコミから批判を受けにくいようにしながら、「日本は衰退していくのが必然なのですから、せめて迷惑を掛けないように滅びろ!と言っています」みたいな事をほざく旦那芸みたいな人なんだから、間違いなく労働者の敵でしょ。今更劇団員の窮状を訴えても、あんたが上にいるならウンザリだからさっさとどこかへ行ってくれ!としか思えない。内田樹とかもそうなんだけど、この適当に日本を批判すれば、マスコミ批判を受けにくいというのは本当にクソなんだけど、実際に受けにくいんだから、みんなやるよね、そりゃ。
https://snjpn.net/archives/195015
【情報提供求む】『3歳の女の子がひき逃げされました…1m程自転車に引きづられ頭を縫い右半身に打撲と擦り傷』
以前から思っていたがスピードが70km/時以上出るようなロードバイクは規制が必要なんでは?
そのようなスピードが出る物体が歩行者のすぐ横を通るような日本の道路事情がよくないというのはあるけど
ロードバイク利用者がいくら優秀だったとしても事故が起こるだろうというのは必然だろう。
そもそもせいぜい15km/時ぐらいしかでないママチャリとロードバイクを同じ「自転車」というカテゴリで扱うのが無理な気が。
対等な立場の女性とコミュニケーションをとる機会がなかったタイプの男かもね。
そういうやつらは、意外と交際経験はあったりするんだよ。ただ、その交際経験ってのは後輩とか新入社員とか目下の人間ばっかり。
良分析。
風俗嬢、刺身 ともに理詰めで考えると、<サービスを生み出す主体>が不幸になる ということであるという指摘に同意したとする。
勉強不足、考え足らずのダブルスタンダードと非難するのは仕方がない、といえる。
一方、そもそも 社会の全構成員が全ての情報を知っているうえで判断する、という視点に立脚するのではなく、
限定的な知識で行動することがある、という視点に立ったとすると、
その場合、刺身のようにポジティブな評価になるか、風俗嬢のようにネガティブな評価になるのか、それは
カツオの刺身と風俗嬢の間には、行動経済学のバイアスに相当するものがある、ということか。
心理学の立場から(カーネマンは経済学者ではない、認知心理学者である)個人の心理まで分析して経済を分析する手法が現れたのは必然である。このような個人の経済人を「ヒューマン」と呼んでいる。「ヒューマン」は、合理的経済行動をとる「エコン」に比べて、不合理ともとれる行動をしばしばとる。それはバイアス(認知的錯覚)からくるものである。
いや、女に、つまり人類の半分に参政権を与えないのはもう無理だと思うんだよな。だって銃に筋力関係ない。工場労働にもパソコン仕事にも関係ない。家電と巨大物流があるから家事に専念させる意義も薄い。そういう意味で民主主義と男女同権ってのは、情報化と同じように、技術発展がもたらした必然だと思うわけ。
生ませた社会が勝つっていうのは、当面その通りだと思う。でもそれをひっくり返すのがA Iなので、そこまで凌ごうって話。
ていうかこれは今思いついたけど、無理やり生ませるような社会を継続させていく、っていう非西欧的な作戦を採用するのも、移民と同様に、一時凌ぎの一種なんだろう。その点で、移民を入れることと女に無理やり生ませることは等価だ。
https://www.buzzfeed.com/jp/yutochiba/covid-19-symposium
https://note.com/nihon_koutei/n/nd30f145c841e の内閣官房の作っている医療提供キャパシティに比べて圧倒的に赤線が低い。
内閣官房の縦軸が「等」とついており混乱を防ぐために、医療強化すればピークは落とせるのだというメッセージになっているわけだが、
これが今の外出する楽観的な雰囲気を作ってしまっているのではないだろうか。
第二次世界大戦時でも数理モデルや統計などオペレーションリサーチが酷かったわけだが、そろそろ見直しが入ってもいいのではないだろうか。
豊島区3月議会に立憲・共産・生活ネット・あた党・その他無所属議員によって提出され、自民・公明・都ファと私の反対で否決された「あらゆる性暴力の根絶を目指す決議」ですが、よく読むと田嶋陽子やその他フェミ活動家への批判を今後は封じるような内容になってます。
全国の地方議員さんはご注意を。 pic.twitter.com/KSLQ3Bgipt— くつざわ亮治テレビ改革党豊島区議会議員 (@mk00350) 2020年4月13日
そりゃフェミナチって呼ばれるのも当然だよね。
これに関しては否決されてよかったとしか言えない。
左翼は左翼でリベラルはリベラルでこの様な空気を読まない行動ばかりしているからこそ、一般国民所か元々の支持層からも見放されて、支持率が低下し続け、議席を更に減らすと言う悪循環に陥っている訳だけど。
国政で無理なら地方から規制や思想の押し付けをやるのはこの手の人達のいつもの手口だけど、この緊急時ですらこれをするのだから呆れ果てるよね。
3月と言えばそろそろ日本でも世間が中だるみして油断しているから逆にコロナ禍が悪化するとか言われ出していた時期だし。
それと先日にもこのコロナ禍において、それぞれの国の置かれた事情を考慮せずに男性指導者よりも女性指導者の方が優れていると言う様な典型的な女性優位論を書いた記事を出していたりしたし、この手のフェミニストと呼ばれる思想家は空気を全く読めない人が多いのだろうなと思う。
こんな事ばかりしているから嫌われるのにね。