はてなキーワード: 宣教とは
けものフレンズという物語は、キリストの言行録たる福音書である
ジャパリパークに女性のフレンズしかいないのは、キリストの処女懐胎を暗示している
フレンドにとってのヒトとは、人類にとっての神。
サンドスターがなぜかばんと一体なのかというのは、もとのキリスト教の三位一体説もかかえる矛盾
かばんが現れるなりセルリアンに襲われるのは、ヘロデ王が赤子を皆殺しにしようとしたことに相当する
そこでかばんを助けるサーバルは、イエスを救うためにエジプトに逃げた聖母マリア
サーバルは同時に、イエスの最後を見とるもう一人のマリア、すなわちマグダラのマリアでもある
かばんを導くラッキービーストは洗礼者ヨハネ。不幸な最後が予想される
かばんを泥棒扱いするが後に改心するアライグマは、改宗者パウロおよびサウロ
ジャパリパークに広がるサンドスターローとは、サンドスターにより知恵を得たフレンズが同時に得た原罪
サンドスターローにより力を得るセルリアンは、蛇であり、悪魔であり、同時にイエスに害をなすヘロデとその一党
原罪(サンドスターローにより力を得たセルリアン)を背負って倒れたかばんは、神性をあらわしミライとして蘇り、フレンズがいつか神の国(彼の世界の人間の世界)へ召されること、またミライがいつかふたたびジャパリパークに現れることを告げて去っていくだろう
FCバルセロナのネイマールの腕に聖書の一節(章節の数字だけ)のタトゥーが彫られてるらしく、調べてみたらどうも↓らしい。
あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは1人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです(第一コリント9-24~27)
ぴったりすぎて笑った。
増田か2chくらいにしか書けないことなのだが、キリスト教の正教会の信徒の一部が、ネット上でちょっと変。
変というか、痛い。
具体的には、Wikipediaのキリスト教関係の項目で、正教会についての言及が不自然なほど充実しすぎていたりすることなど。
あと、Twitterでの言動にもちょっと見ていて辛いところがある。
大多数の日本人には心底どうでもいい世界だろうが、少しでもキリスト教に興味があって、Twitterで宗教関係のフォローをしていれば違和感を感じたことがある人は多いのでは。
というか、一部の人というより、特定の人物と言ったほうが近い。
正教会というのは日本のキリスト教徒という少数派の中で、更に少数派なので、マイノリティゆえの行動ともいえるのだろう。
ただ、布教とか宣教とかそういう話でさえなく、ただただ痛い言動をしているようにしか見えないのだ。
同じくマイノリティである日本人ムスリムがTwitter上で興味深いツイートばかりで知性を感じるのに比べ、正教会の一部の人は見ていて辛い。
非常に情熱的な文章だと思いました。
ハロウィンはカトリックにある「死者の月(11月に死者のための祈りを捧げるミサが行われる・日本で言えばお盆にあたるだろう)」の習慣に飲み込まれた、
宣教の時に接触した他宗教での「人ならざるオバケ」の解釈です。
アタマの堅くないところではただの教会で集まりを楽しむための「お祭りイベント」として扱われる。
そこではもう宗教的意味合いは無くなっている。しかも、宗教改革記念日であって、そっちの方がメインに予定が組まれている教会もある。
アメリカの保守的なプロテスタントもハロウィンをあまり好んでいない。
アメリカじゃなくてヨーロッパ、アフリカ、インドネシアと書けばよかったのに、とキリスト教徒が突っ込んでみました。
私もプロテスタントのうち古いところのキリスト教徒ながら神社のイベントに参加して文化維持に協力していたけど
結局そこの元締めが「やる気が無くて」「本腰入れてなくて」「協力すると口で言いながら実行しない人が多かったため」消えました。
ひとつ消えたのを見届けて以来、もう私は協力することをやめました。
日本の古くから続いてきた文化を大事にしてくれって言いながら、自分で負担したくない人が多いんじゃないですかねえ。
金銭的負担だけじゃなくて、実際に運営する負担の役は全然やろうとしないじゃないですか。
それが結論だと思いますよ。
http://www.jwstudy.com/docs/study_hours_per_baptism/
誰も興味がないだろうけれども。
エホバの証人がやたら来るのは、一ヶ月にどのくらい伝道活動をしたかを報告するシステムがあるから。
日本人はこの数字上げに関して世界一熱を入れている。他国の信者が驚くくらい。
互いに愛し合うことより数字入れることの方がわかりやすいし、記録として張り合いやすいからかな。
組織は誰が何月に何時間伝道していたかという記録を過去何年分も遡って記録している。
伝道時間とは、エホバの証人じゃない人間にエホバの証人の教義を伝えるためにかけた時間を指す。
正規の伝道者になったら最低一ヶ月1時間は伝道活動を報告しないと「不活発」ということで、頭数から除外される。
どんなに熱心に聖書を読んでいようか、仲間の信者を助けるために奔走していようが、伝道してないとダメ。
「奉仕活動」と呼ばれているんだけど、地域ボランティアや被災地支援、介護なんかは含まれない。
そんなわけで現役エホバの証人として神に、そして仲間に受け入れられたかったら伝道は欠かせない。
この伝道時間というのは実質信者の格付けランキングになっていて、時間が多い人ほど重んじられる傾向にある。
伝道時間により伝道者、補助開拓者、開拓者、特別開拓者、宣教者というクラス分けがあるんだけど
海老名市にあるものみの塔聖書冊子教会日本支部、通称海老名ベテルの精鋭に選ばれた場合
何歳から何年間開拓奉仕をして来たかで、休みの日も違えば割り当てられる部屋も違う。
まず家を訪ねる場合、伝道開始した最初の家を訪ねた時間から、最後の家を訪ねた時間までを計算する。
途中道ばたで喋っていたり、移動したりする時間をどの程度記録に入れるかは個人の裁量に任される。
また手紙やメール、電話の場合は手紙を書き始めてから書き終えるまでを数える。
さて、補助開拓者から宣教者までは伝道時間のノルマがあるから1時間でも多く伝道したい。
特に月末・年度末は切羽詰まって、勢い質より量になる。
そのため伝道時間の「経費」とみなされる活動に自ずと力が入る。これを「時間を入れる」という。
遠くの家と遠くの家をピンポイントで訪ねてみたり、同僚に唐突に聖書の話をしてみたり
エホバの証人でない親族や友人知人にご機嫌伺いの手紙を書いて、最後にちょろっと聖書の言葉を書いたり
すごい人になると、一回家に帰って小一時間くつろいで、それも「休憩時間」とみなしてしまう。
そんなわけでエホバの証人は聖書の話を聞いてくれる・断らない相手にしがみつく。
聖書研究を始めた途端にいろんなエホバの証人が何かと話しかけてきたり、手紙を寄越したりするのもそのせい。
同じ相手に話しかけると「再訪問」という別枠のカウントも入り、これも熱心さの目安とされる。
もちろん出版物を提供したり、聖書研究を司会したらそれも件数でカウントされる。
こういう数字がいいメンバーは集会や大会で「模範的な伝道者」として賞賛される。
どれだけ長年熱心に仲間を支援していても、信者でない人を隣人として愛してきても
布教の成果が出て相手がエホバの証人になると、そこから数字はカウントされなくなる。
もちろん「時間が入らなくなる」ので、難癖つけて献身を渋るような本末転倒な事態も起きる。
(そして献身した後は「奉仕が忙しいから」とアフターケアをしなくなる。)
ブルックリン本部の出版部から来た人が「聖書通読をしましょう」という講演で
「日本は数字を出すのが好き。もしも聖書通読の数字を報告することになったら、年間1000時間とかすごい人が出るだろう」
と言っていたが、その通りだと思う。
日本のエホバの証人は他国と比べてとりわけ熱心に伝道活動をしているわけではない。
ただ数字を上げることへの熱中度は群を抜いている。
ちなみにどれだけ寄付したかは発表されないので、寄付への熱意はかなり低い。
施設維持費として最低いくらかかるかは明確にされており、簡単に計算できるけど、しょっちゅう赤字。
■追記■
議論になってないと思うけど
http://anond.hatelabo.jp/20130709094912
漢語訳の祈りもしらねーのかwww
日本語しゃべるな、は言い過ぎだけど、単に昔からある日本の風習があるなかでは辛いんじゃね?ってことじゃん?
知らないままでよくこんなこと書けるな。
イスラム教は批判しいても良い対象だということ?
http://anond.hatelabo.jp/20130709105108
聖書前提で話されてもな。
この日本じゃ逆に
いい家柄のお嬢さんお坊ちゃんにキリスト教の古い方の派が多いのは、
関わりをそうやって「選別」する目的もあるかもな。
というか、まともに宗教やってる人は良い家柄が多いんだと思う。
何にしろお金をかけてこそ"ちゃんとした宗教"って感じがあるからじゃない、日本では?
http://anond.hatelabo.jp/20130709095614
根本的に勘違いしてると思うけど、葬式とかに行って、自分の信念のためにこれが出来ないあれが出来ない、って面倒じゃない?
ってことだと思うんだけど。
別に拝め、ってわけじゃなくて、自分の信念上あなたがたと同じ事は出来ない、というようなことが
日本の伝統的な儀式の中にたくさんあるとあれじゃないかな?って。お祭りとかもそうでしょう。
逆に信仰心の低い日本人なんかは何も関係ないクリスマスで大盛り上がり出来るわけで。
何より、ここだけでこれだけキリスト教の人が居るということに驚いた。
ま、半分は同一人物だったりするのかもしれないけど。
はてなに貼られたGoogle AdSenseには、いろいろな宣伝が表示されるんだけど、
さっき驚いたのが、その中に宗教法人「摂理」の宣伝が紛れ込んでいたことだ。
そこをクリックしたら、このページに飛んだ。
「生きた聖書の解釈……」などと書かれているこの宗教団体が、どのような問題を抱えたカルトなのか、知っているだろうか?
統一教会を脱会した教祖・鄭明析が始めた韓国系のカルトで、こいつがどんな人間か、ウィキペディアにきちんとまとめられている。
韓国では1999年3月20日、テレビのドキュメンタリー番組により鄭による女性信者への性的暴行が報道されたことを契機に社会問題化。番組の放送直後に鄭は韓国国外へ逃亡(教団側は海外宣教のためと主張。以下同様)するが、脱会者の刑事告訴を受け2001年6月に強姦容疑などで国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際指名手配されて以降、イタリアや中国、台湾などを転々と逃亡していたとされる。
2003年7月9日、鄭は香港において信者と共に蚊帳で休憩していた所を発見され、中国当局に不法滞在容疑で逮捕されたが、保釈金を積んで釈放された後に逃亡。2007年5月1日に北京で中国当局により再逮捕された。
これを読んだだけで、どういう人間が始めたカルトで、その中で何が行われていたのかが、分かろうというものだ。
週刊誌でかなり叩かれて、なりを一時期潜めていたと思っていたが、またぞろ復活を画策しているらしい。
私が驚いたのは、天下のGoogle様が、よくもまあこんなカルトに宣伝の場を提供したということだ。
いくら広告料が入るからと言って、カルトのお先棒を担いで恥じないとしたら、Googleはもう、終わっている。
http://anond.hatelabo.jp/20090612194543
続き
夏野
大変なことが起きているんです。
絶版になってる本をスキャンして公開するサービスは騒がれたね。
なんで?絶版のものだけでしょう。
まあ、分かんないものはやめとこう、っていう。
夏野
私も3冊ぐらい売れてない本出したんですけど、
別にいいじゃん、って思いますねえ。
絶版と言えば、アマゾンで10万で売ってる本があるんですけど、
最近、それを読みました。
元ニンテンドウの人、横井軍平さんが書いたやつなんですけど。
それに、「遊びとかゲームとかはコピーされてなんぼだ」、って書いていて。
(会場爆笑)
夏野
つまり、それは圧力ってこと?
ていうか、10 万もするのに買ったの?それ。
いや、知り合いから借りたんで。
夏野
まさにコピーだね。(笑)
夏野
キー局で、ギリギリ黒字だけど、映画とかノベルティとかの収入で持ってる感じ。
本当にリアルタイムな状況を知りたい人はネットにきちゃってますね。
雑誌とか新聞、テレビがだんだん下がってるのはそれが理由かと。
夏野
テレビはどうなるんでしょうかね?
うーん、それなら生放送だけしてればいいんじゃないですか。
夏野
過去に、TBS が番組改編して、60%を生放送にしたんですね。
そうしたら視聴率が激減。
(会場爆笑)
夏野
生放送は平時に弱いんです。
何かしらイベントを出さなきゃいけなくて、
平時だと、どうしても内容が弱くなってしまう。
まあ、じゃあ、TBSさん頑張ってください。
夏野
テレビのモデルって100万人を面白いって思わせないといけないので、
それは非常に難しいですよね。
それは面白いけど、テレビでわざわざみたいものじゃない。
一番面白いのは、楽屋とか知り合いモノですよね。
・・・っていうのを松本人志さんがいってました。
(会場笑)
夏野
なんなの!?(笑)
夏野
テレビってのが面白いって思ってる理由があって、
あんだけお金かけて、選び選んで編成して出してんだから、
その時間にみれてもうみれないってのはおかしいでしょ。
で、オンデマンドでやりましょう、っていったら、
ある編成の人は
「テレビはその場で見て欲しいんだ!
その場でお茶の間に座って見て欲しいという意気込みでいるんだ!その場で視て欲しい」って言ってたし。
願望はもっててもいいんですけどね。
それを押しつけられても困ります。
なんだろう、服を買うときに、服のサイズを決めつけられちゃうのと似てる。
お客さんにあわせるのは難しい分野です。
夏野
まあ、でも、ダイエット的に言えばいいのかも。(笑)
資料:NHKオンデマンド
夏野
こういうのがやってるんですけど(資料)
全然ダメっぽいですよ。
夏野
声に出して言わないで!(笑)
夏野
そういえば、NHKスペシャルで特集されたんですよ、私。
ミッキー(楽天の三木谷さん)と、あと、今あんまいない人で…。
堀江さん…。
本人聞いてたら怒りますよ?(笑)
夏野
ブログとか…まあいいや。
その特集番組なんですが、権利書を見れないんです。
権利処理が分からない。
そこで権利処理が出来ていないから配信されない。
…でも、あの頃は一緒にミッキーと、テレビに出れるくらいな感じだったのに、
夏野さんいい暮らししてるじゃないですか!
袖で言うことじゃないですよ。
夏野
いやいや、オークションだから、入札してたのが落ちちゃったんだもん。
てか、夏野さん、楽天好きですよね。
夏野
…あ、いや、今回は楽天じゃないです。
いい暮らししてるじゃないですか、ともかく。
夏野
最近、奥さんに別荘たてられないって怒られた。
理不尽です。
ほらー。
(話を戻して)
夏野
そこに広告もばっちりつけて。
で、2008年の広告収入が6500万ドル。祖利益が1200万ドル。
これ、向こうではすっごい流行ってるんですよね。
つまり、テレビの「コンテンツが」悪いって訳じゃないんですよね。
お茶の間に来ないと見せない、ってのが悪いんです。
夏野
やっぱ、忙しいんだもんね。
9時にドラマを見るとなると、7時には会社を出ておかないといけない。
今の時代、7時に会社を出る人はあんまり優秀じゃない人じゃないですか。
夏野
それは朝が遅いだけなんじゃないの?
優秀な人がテレビ見ないってことは、
夏野
そこは、プリウスにしとこう、安いから。
まあ、つまり、生の電波じゃなくてもいいんじゃね?っていうことです。
夏野
テレビってなんだろう?
「コンテンツとしてのテレビ」「箱としてのテレビ」っていうのがあって、
なのに、テレビ局は、後者を意識しすぎちゃってるんじゃないかなって。
いいものを作ってたら、いろんな人にみてもらいたいって思うはずですけどね。
夏野
…まあ、いろいろあるんでしょ。
あんま言ったらかわいそうです。
話題をかえましょう。
夏野
世代によってインターネットのとらえ方が違いますね。
ITやインターネットの話をしてても、20代にとって当たり前のことが50代に取って宇宙語になってる。
これはどう?
50台の人って、使ってる人か、使ってない人っていう差が激しいです。
夏野
使わなくても困らないしね。
ウチの父親はまったく使わないっすね。
夏野
ところが、ウチの母親が使うようになったのよ。
親父が定年したことがきっかけでインターネットやりはじめるようになった。
おいくつ?
夏野
70。
親父が家に帰ってきたのがきっかけになってるのが寂しいですよ。
そこでは、サークル的な同世代の人達のネットワークが形成されてる。
余暇を楽しんだり。
で、そういう人たちとは必ずケータイメールとネットやるんですよね。
夏野
すぐにみなさん取り残されますよ。(会場に向かって)
まあ、ここに座ってる人たちは大丈夫でしょう。
実際問題、ウチの父親は生活が確立できているから死ぬまで使わないでしょう。
夏野
息子がしてる事知りたくないんでしょう?
(会場爆笑)
夏野
テレビは年代毎に毎年数字が特にかわらないですね。
でも、パソコンって言っても、Windows は超面倒くさいですから、
もしここに、Microsoft の方いらっしゃったら、ウインドウズ改良しろ、反省しろ、と。
機能が限られててもよければ、ケータイのほうがいいですね。
夏野
…すいません。
今更言われてもw
夏野
ネットだと、ライブなのか、動画区別つかないんじゃないですか。
夏野
(会場少しだけ挙手)
若者が入党者として増えたらしいです。
しかも、ニコ動の C さんって呼ばれて、
ここまでやりはじめると「何かが壊れた」って感じがする。(良い意味合いで)
結構緩いっすよね。
夏野
そういえば、野球中継でソフトバンクvsオリックスをやったんですけど、
カードとしてまったく面白くないんですけど、無茶苦茶面白かった。
まあでも、文字だから見た目は綺麗でした。
会議中に視てましたよね。なにやってんすか、って。
夏野
そのうちコメントに解説するひとが出てきて、
投げた瞬間に「スライダー!」とかって。
おもしろいんだよ…。
資料:
81,600コメント
13,500人の視聴視聴者数
平均放送時間63分
夏野
昔はテレビが生だったが、最近は逆になりつつあるように思えます。
それに、みんなブロードバンドなので流しやすい。
会社でも目の前にずっとあるわけで。
テレビに会うのは家ぐらい。
資料:
放送者:9356人/月
視聴数:722万視聴/月
夏野
さらに新しい潮流があって、ユーザー(素人)が誰でも生放送出来る仕組み。
webカメラを使って簡単にできます。
なんか右翼な人ですよね。
夏野
いつもは優しい普通の人なのに、
おもしろいですよ。
夏野
まあ、とりあえず相手が30人とかなら、
気兼ねなしに簡単に放送できるし、
書かれるコメントにしっかり相対もできる。
100万人が面白い1個を作るより、
1000人が面白いと思うものを1000個作るようにすればいいじゃない、と。
夏野
ユーザーの傾向を見ていると、
通常の動画をみるって人が増えました。
おそらく、これからインターネットは対決的なものではなく、
どんどんインフラになります。
伸びてますね。
どうせ v6 ならないし。
(会場大爆笑、拍手まで)
あと、外でのブロードバンドっていうの?
FOMAとかイーモバイルとかで、ユーザーが外にいって、1000人に伝えるってのが出来る。
夏野
いやいや、草薙くんでしょう。
そこからユーザーが放送して実況したりしている。
夏野
それは興味深いし面白いよね。
メディアの役割がいらなくなってきたってのが。
それを4時間か5時間くらい生放送してる人がいてそれが面白かった。
あまりみんなちゃんと並んでないとか。
で、それを時系列にするとちゃんとしていなかったり。
本当のリアリズムは生放送じゃないと伝わらない部分があるのかも。
夏野
どうですか?それ。
夏野
うーん
それは気まずいですよ、元カノとかに会っちゃった時のリアクションとか。
誰にも見せたくない。
夏野
日本ダメだろう、というのをすごい嬉しそうに言う日本人がいっぱい居ますね。
日本人って、そう言うの自体が好きですよね。
夏野
ゆったりと海外を楽しむんだけど、
例えば、ブロードバンド。
あと、ケータイも。
正直、Google フォンは何が新しいのかわからないですよね。
夏野
夏野
フタバのパクリですよね。
かなり管理人が有名になってて、Wall Street Journal とか、Times とかでも取り上げられて。
匿名が面白いよね、ってとこをもっていった形。
日本で作られたものを海外にもっていっても競争力があるということ。
夏野
内容も、日本のユーザーのほうが、よりしっかりとした主張をしてたり。
夏野
・・・。
前もって質問があって、それに答えてそれを公開するんです。
若い子って語るべきことをあまり持ってないので、
もともと何にもない人がどうしたら情報を出せるか、それを考えて出している。
他にはそこまで考えているものがないし、海外にもない。
夏野
なんとなく、インターネット系でいうと、アメリカって感じがしますが。
でも日本はかなり強いのに。みんな自信をもってほしい。
でも、海外からもたくさん偵察にくる、みたいな。
まあ、ツールじゃないですか。インターネットって。
誰でも思いつくものを資本の規模でやるのはインフラとしてはありだと思うけど、
多少、ネットでも出せてはいるが、世界にもっていくのをやらないので、
どんどんガラパゴスになっていくんでしょう。
夏野
まあ、よくわかんない、ってのもあるんでは。
夏野
それ、キミが好きなんでしょ。(笑)
まあ…。
もう、日本人だけを相手したたら食えなくなるでしょう。
夏野
だから、ITについても、海外に出て行くべき。
まあ、こんな講演きいても、なんにもならないですよ。(笑)
本当ですよね、こんなアホ2人。
あと、文化圏の問題もあるかな、と。
夏野
あの、シメに入ってるので…。
ああ、時間ヤバいんすか。ですね。
日本の本屋でも流通していないようなものを、英語に翻訳して海外の本屋で売ってる。
それはメインカルチャーではないし、
マスメディアでも評価されないので、裏にいっちゃった形。
で、たまに取り上げられると、陵辱レイプモノだったりになっちゃう。
表の人たちがあんまりすごいって言わなくても、
裏で細々とやってる人たちがいます。それが底上げになっています。
夏野
シリコンバレーとか、夜は何にもないところだから、
あんなところのコンテンツには負けたくないですね。
負けたくないでしょう?頑張りましょう!以上。
二人
ありがとうございました。
12:40 終了
見にくくてゴメン。
「帰って家族を大切にしてあげて下さい」(ノーベル平和賞受賞の際、インタビューで「世界平和のために私達はどんな事をしたらいいですか」と問われて)
「やっぱり修行で得た力というのは他人のために使うものだと私は思います」
「・・・傷つき迷える者たちへ・・・敗北とは傷つき倒れることではありません。そうした時に自分を見失ったときのことを言うのです。強く心を持ちなさい。あせらずもう一度じっくりと自分の使命と力量を考えなおしてみなさい。自分にできることはいくつもない。一人一人がもてる最善の力を尽くす時、たとえ状況が絶望の淵でも必ずや勝利への光明が見えるでしょう・・・!」
「何もしなければまさに何もはじまらないでしょう?・・・ジタバタしかできないなら方法はひとつ・・・!!みなさん!ジタバタしましょう!!」
アバン=デ=ジニュアール3世(三条陸(原作)と稲田浩司(作画)による漫画及びそれを原作とするアニメ『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』に登場する架空の人物)
「少年をよく眺めてください。裁判所に悩む人が居なくなれば裁判所は冷たい箱になってしまいます。」
「あなたには少年事件はつまらなく見えるのかも知れない。確かに声の届かない子供達は多い。何も身につけていない絶望的な子供達も多い。しかし長く少年達を眺めていると判ってくることもあります。」
「多かれ少なかれ、みんな虐められた過去を持っている。小さな子は大きな子に。力のある子は頭のいい子に、女は普通の男に、普通の男は強い男に、強い男は組織に、組織はより強い組織に・・原因を辿っていくと尽きない。」
「私は普通の人間です。でも少年法を使えばその連環を断ち切れるかも知れない。貴方は知らないだけですよ。その恐ろしい輪の中から抜け出せた時に、人がどんな顔で笑うかを・・。」
「世界中のことテレビでざっと見てわかった気になったって、そんなのウソだぜ!世界は目で見える姿の何十倍、何百倍も広いんだ!それに比べりゃ怖い夢も、ハデな超能力も、小せえよ!ごくごく一部だよ!」
「ファシストになるより豚のほうがまだマシさ」
「ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。「人を批判したいような気持ちが起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなお前と同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」」
ジェイ・ギャツビー(アメリカの作家F・スコット・フィッツジェラルドが執筆し1925年に出版された小説「グレート・ギャッツビー」に登場する架空の人物)
「だが、世界の死の乱舞のなかからも、まわりの雨まじりの夕空を焦がしている陰惨なヒステリックな焔のなかからも、いつか愛が誕生するだろうか?」
作成日は一昨年のクリスマス。
ファイル名は「doutei」
どうやら童貞についてまとめたものらしい。
以下
童貞の語源
「童貞」 の本来の意味ですが、「童貞」の「童」は子供のこと、「貞」は、貞節、貞操などというように、
つまり子供の頃の状態を守る、性的に清潔で「生まれたままである」「清らかな体である」 というような意味になります。
日本語の「童貞」という言葉が成立したのが正確にいつなのかは不明なようですが、「野球」「資本主義」などと同様、
外来語由来の新しく作られた日本語であるのははっきりしていて、「Virgin」の日本語化だったようです。
日本での初出としては、1678年、捨て子などを保護し教育に勤めたニコラ・バレ神父による、
パリのサン・モール街の修道女の養成所を出発点とした「幼きイエス会」が源流となるフランスのカトリック教サン・モール修道会が、
外国人の子女のために1874年、日本の横浜に設置したフランス語の学校の名称が「ダーム・ド・サン・モール」 であり、
それの日本語表記が 「仏語童貞学校」 であることから、これを起源とするのが定説となっているようです。
この 「仏語童貞学校」、前身は 1872年 (明治5年) に来日したフランス人宣教修道女メール・セント・マチルダほか4名の修道女(シスター) により設立された、子女の教育と貧困にあえぐ子供たちの救済を行う施設 (孤児院、施療院/ 仁慈堂)が基になっていて、
しかし当初は男性の性行為未経験者を指す言葉ではなく、性別を問わず生まれたままの者、
この場合は清らかな乙女、「主のために操を守り続けるカトリック教の尼僧」のことを指していたようです。
男も女もみんな童貞だった訳ですね。
セカンド童貞について
童貞を捨ててしまった後になることがあるもの
セカンド童貞の影響
今後の展開
「童貞は一度捨ててしまうと再び持つことは出来ない。」との主張や
これまで自らをセカンド童貞だと公言する者も、積極的に研究しようとする者もほとんどいなかった。
しかし21世紀に入り、価値観の多様化が進展したことで童貞であることの利点(というより、童貞非童貞の差異の無さ)が再認識され、
なんかセカンドインパクトみたい
童貞質量保存の法則
読んで字のごとく。「童貞」の「質量」が「保存される」という法則。
近年その存在が証明された。
実例1
B君は童貞を捨てました。でもまだB君は童貞を1つもっています。
実例2
B君は童貞を2つ持っています。
ある所でC君が生まれました。
B君の童貞は1つになりました。
影響
これによって童貞は「童貞である」「童貞でない」という0か1かのデジタルなものではなく、
また、童貞は持てば持つほど捨てにくくなる性質を持っているため、
近年の理論的発展
日本では少子化の進行により新規童貞受け入れ枠が減少し、童貞の一極集中化現象が起きていると言われている。
しかし地球規模で見るとむしろ人口爆発が起こっているため、現実の現象に対して研究者によって考え方が異なる。
以下にその例をいくつか挙げる。
まだあったけど今日はこの辺で勘弁。
一昨年のクリスマスなにやってんだよ、俺。
日曜の朝っぱらからなにやってんだよ、俺。
ちょいとwikipediaで調べ物してたら、どんどん深みにはまってしまい、どういう訳だかここに辿り着きました。
自分もこれを書いた彼と同じ、エホバの証人の二世です。
ただ彼とちょっとだけ違うのは、自分はスパッと排斥されちゃった(=絶交または追い出された)身だって事。今29だからもう10年前の事になるけどさ。
色々とあの頃の事を思い出してたから、ついでにどんな感じでエホバの証人の世界から出てきたのか、書いてみようと思う。
まず排斥の直接の原因は、年頃の男の排斥原因No.1であろう、おにゃのことのエッチ。汝姦淫を犯すなかれに背きますた。
ただその「罪」を犯したのは17の時で、排斥になったのは19の時。2年間は「罪」を隠し続けてエホバの証人としての生活を送ってた。
その間に高校を卒業して、小さい頃から良くしてくれたお兄さん的エホバの証人がやってる会社で働きながらも、普通にエホバの証人としての活動。でも乗り物好きが講じて、いつの間にかバイクで峠の走り屋さんなんて事もしちゃってた。
あの頃はつらかった。
結婚前にエッチしちゃったっていう罪悪感、警察から逃げ回りながら反社会的な走り屋やってる事への罪悪感、もっと女の子と遊びたいっていう欲求、もっと堂々と(は社会的に無理だけど)バイクで遊びたいっていう欲求、そしてそして、子供の頃から「全能の神」として教えられてきたエホバは、色んな罪を犯してるのに気づいてないじゃん!っていう失望感。
そんなドロドロした感情を「抑圧」するのに限界が来て、19の時に母親に告白→長老による尋問で悔い改める意思が無い事を伝え→排斥になった。
それを告白した時の母親は、激怒するでも無く、「告白してくれてありがとう」って。
その何とも言えない悲しそうな顔を見た時は、少し自分のした事を後悔して、悔い改めてエホバの証人としてやり直そうかとも思ったけど、このままじゃ自分がダメになると思い、そのまま排斥になった。
で排斥されてからもう10年。
今は、あの時エホバの証人としてやり直さないで、本当に良かったなって思ってる。
エホバの証人としての立場を失うと同時に、当然職も失って色々と大変だったけど、やりたい事を自由に「選択」できる生活は悪くない。
女の子ともたくさん遊んで痛い目も見た。バイクでレースやったりして身体的にも経済的にも痛い目を見た。外国に住んでみたりもした。今は自分の会社を作ろうかどうしようか悩んでる。ここでも痛い目に会うかもしれないけど、自分で「選択」して好きな事をやっていける。これはとても素晴らしい事だと思う。
ただ、こうやってやりたい事を貪欲に「選択」してるのは、むしろエホバの証人として生きてきた、約20年の「抑圧」からの解放感がそうさせてるのかもしれない・・・とも思う。
そうだとすると、今の自分は本当の自分ではないのかもしれないけど、そう感じたら止めるっていう「選択」も自由にできる。やっぱりそれは素晴らしい事だ。
だからと言って、エホバの証人の人達が間違っているとは言わない。
今考えればだけど、あの教えはとても理にかなってると思うし、その教えを守ってる兄弟姉妹はイイ人達がほとんどだった。外からは得体の知れない不気味な新興宗教に見えるかもしれないけど、中にいる人達は優しく温和な普通の人達ばかりだった。俺の知る限りでは、莫大な寄付を要求される事も無ければ、生理的に不快・不可解な儀式がある訳でもない。
ただ、それを、エホバの証人として神に仕えて生きて行くことを、本当にその人が「選択」したんであれば・・・。
そう考えると、それを「選択」する事ができなかった二世は、可哀想な存在なんだと思う。
つらつらと書いてみたけど、今の自分の立場は、エホバの証人を否定もしないけど肯定もしない。
母親と妹はまだエホバの証人だから、これから訪れるであろう葬儀やら結婚やらで出てくる宗教問題は頭が痛い。同じエホバの証人と結婚した妹の式は、兄としてとても往生した。
小中学生の頃から集会で100人を越える人を前にして話をする事に慣れたり、奉仕活動(よく家に来る宣教のあれね)で初めての人と話しをする事に慣れたりした事なんかは、今の自分に確実にプラスになってるとは思うし、今の自分の性格の土台を形作ったのも、確実にエホバの証人の環境だと思う。
けど何かしらの日常会話でエホバの証人のことが話題にのぼると、思わず避けたくなるのも事実。はてな村民のクセして増田でこんな事書いてるところなんて・・・まだ心の中にわだかまりがあるんだよ(ノд・。)
ただでさえ難しい宗教問題。自分や家族にも関係してくると、さらにややこしくなるね
まっ。根底にある宗教問題から勃発する戦争なんかに比べると、俺のこんなわだかまりなんて、ささやかで他愛ない問題だけどさぁ・・・。
お世辞にも敬虔な信者とは言えないけど、籍は置いてるからそう名乗っても間違いじゃないだろう。
協会(エホバの証人の法人組織、「ものみの塔聖書冊子協会」のこと。日本支部は神奈川県海老名市にある。)は繰り返しインターネットの利用に慎重にあるようにとの指示を出してるので、こんな所に書き込みしてる時点で不良信者であることが自明ですね。
で、そんな指示を与えられてるわけなので、この広大なネットには現役証人の割合ってのが低すぎるわけです。オレはこのブロゴスフィアってのが大好きで、色んな境遇にある人の色んな文章を読める状態ってのが素晴らしいと思うんだけど、だからこそネット上の現役人口が低いのがどうにも面白くない。本当はエホバの証人の日常を書いたブログが、たまーにはてブの注目エントリにでも入って、色んなコメントが付くのが健全だと思うのだけど。
といっても、匿名ダイアリーに書いてることからも分かるとおり、普段書いてるダイアリーとかでは自分がエホバの証人であることは明かしてない。自分のIDにエホバの証人という属性を付与するのが、まあ、怖いというか。数年はてなやっててそれなりに気に入ってるもんでね、今のIDのキャラ。もしもまかり間違って匿名ダイアリーの書き込みIDが見える事故なんかが起きたら、それはそれで受け入れるしかないか、ぐらいの覚悟はしていますけど。
で、なんでこんなことをつらつら書く気になったかというと、まあきっかけははてブの注目のニュースに入ってたこれ。
あとこのニュースのブックマークコメントで紹介されてた幾つかの記事も。
まああくまできっかけであるので、それらについて具体的に語ることはしませんが。(聞かれたら応えられる範囲で応えます。即レスは無理かもしれないですが)
さて、今現在オレはエホバの証人であることをどう感じているか。実はあまり深い感情はない。週3回の集会や、月に数回の野外奉仕(つまりは宣教活動のことです)は、母親が聖書研究し始めた小学校の頃からの習慣なので、あまり大変とも感じない。仕事で残業が必要になった時とかは躊躇なく休むし、なかなかあえない友達に会うとかのときは遊びでも、そっちを優先する。この通りネット大好きなので、エホバの証人の信条を否定する情報にも触れてるし、もちろんその中には的外れだなあと思う批判ももちろんある。こんな風にやってると、エホバの証人の信条は絶対的なものではなくなる。じゃあなんでエホ証続けてんの? ってことになると思う。
じつはそれは、オレにとってエホバの証人の信条が「絶対的なものではない」からだ。
うちの家族は両親ともにエホ証で、妹もエホ証。ちなみに母と妹は正規開拓者(野外奉仕に月70時間費やすと宣言してる人のこと)。いわゆる神権家族ってやつだ。父が証人になったのは、先に学んでいた母の証言によるのだが、実はその前、父は消費者金融から借金をしていた。詳しい金額は知らないのだが数百万は間違いなくてもしかしたら一千万越えてたのかもしれない。それが元で夫婦仲は良くなく、母はオレや妹に離婚をほのめかすこともあった。まあそれから色々あって家を手放したりしつつも借金はなくなり今は親もオレもアパート暮らしだが、家族仲は良好だ(母親の一番の悩みはオレが信仰に熱心じゃないことなんだろうけどね)。今の状況は、決して裕福ではないにしろ、昔と比べたら間違いなくいいものだと思うし、それをもたらしたのは間違いなくエホバの証人とその教えなんだ。それだけではないけど、影響は大きかった。
つまり、オレにとってエホバの証人という存在は、けして悪いものじゃない。けれどネットの情報に触れて、それは絶対的なものじゃなくなった。ならば、オレはエホバの証人を捨てるべきなのか。エホバの証人はカルトだ、だから抜けろ。そう短絡的に言われても、エホバの証人の信条が完璧だなんてオレだって思ってないよ、でもオレにとって、間違いなくいい影響をもたらしてくれたんだ。だったら、それは他の道を選ぶのと何が違うんだ? 仕事に生きても、恋愛に生きてもオタク趣味に生きても、楽しいこともあれば虚しいこともあるなんてのは当たり前じゃないか。だったらそのどれを選ぶのも同じじゃないのか?
取り留めなくなってしまったけど。投稿。読んでくれた方はありがとう。
追伸。こないだ映画『300』見てきました。腕チョンパ、首チョンパ盛りだくさんだったけどすげえ面白かったです。かっこよかったです。あとオナニーも好きです、気持ちいいです。