はてなキーワード: 同音異義語とは
元増田です 詳しく教えて頂いてありがとうございます
私がテレビで観たその書ける人の方が相当珍しいって感じなんですね
文脈で大抵どのような単語のことを差しているかわかっている、というのは理解しました
防水と放水のミスのような問題はごく稀だからこそニュースになる感じなのでしょうかね
日本人的な発想では同じような状況で使われる同音異義語についてはなかなか読みとることに苦労しそうだと感じます
自分の名前に関しての話はびっくりですね むしろ親は名づけのときどうしてるのだろう…という疑問がわいてくる…
姓名判断の人とかに頼んだりするのだろうか…名前の意味よりむしろ読んだ時の音の響きを最近は重要視する、
という話も聞いたことはあるけれど だから男女で同じ名前の人も珍しくないとも聞いています
私が見ていたテレビ番組でもときおり釜山や他の地方が登場したりその地方出身のタレントが出てきて
訛りの話題になると関西弁の字幕が出ていたのでなんとなく感覚としてはわかりやすい例えでした
一、二、三とか日、月、時、ぐらいならさすがにわかるようで、今の新聞でも時々使われています。
30~40代ならギリギリ小学校で漢字を習ったが、ほぼ覚えていないです。日本人の大学での第二外国語レベル。
20代はまったくできない。授業でやっていません。
私がちょっと驚いたのは、
韓国人の身分証明書には自分の名前がハングルと漢字でも書かれているのですが、
また、文法の順序も同じなので、日本人にとって非常に覚えやすいです。
ちなみに南側のプサンは北側のソウルより日本語がもっと使われています。
記事の論調はともかくとしてへえー!ってなった これだけ同音異義語が多いと大変そう
この美術館に行くにはこのバス路線でいいのかみたいなことを訊かれて
英語も韓国語もうまくできないし説明も面倒だし同じバスだからバス停に着いたら知らせるよ~って言って一緒に乗った
バスは市の一番の最新型で行先や停留所名が車内に設置してある大きな画面にハッキリ表示されるタイプで
○○美術館前って表示されてるからあのバス停だよ、ってその子に教えたんだけど
その子は漢字が全然だめみたいでわからなかったようだった 慌ててその場は英語で言い直して、彼女は無事美術館前で降りた
とりあえず案内できてほっとしたし相手もサンキューってニッコリ笑って降りて行ってそれはまあまあいい思い出だったんだけど
あとからそういえばもう若い世代ではハングルだけで殆ど漢字は常用しないって聞いてたな~って思って
でも名前の表記なんかは今でも漢字なんだろうし、例外的に名前の漢字だけ覚えるものなのだろうか?みたいなこと考え出して
それから何となく興味を持っていくつか韓国KBSの番組を観てみたらやっぱり今でも漢字を読んだり書けたりする人は
ほとんどお年寄り世代かその下の教育を受けた世代だってことがなんとなく察せられた 40代くらいのお笑い芸人が
香港宛に漢字で住所を書いてると周囲では漢字なんかで書いてる!カッコいい!古臭い!という両方のリアクションがあって
何て書いているか読めないと言っている30代のミュージシャンもいて
書くのはもとより読めない事も普通になっているんだなあということも察せられた
ハングルは表音文字なのだろうから英語と同じで一応それだけを覚えておけば日常生活に問題はないのだろうけど、
番組をそれからもいくつか見ていて思ったのは「韓国人は同音異義語で混乱したりしないのだろうか?」ということだった
年配の芸能人はよくダジャレを言っていて同音異義語が韓国語においてもずいぶんあることが察せられたし
発した単語を他の芸能人に別の同音の単語と受け取られてコミュニケーションに齟齬が生じたことを笑いに演出したシーンなども散見されて
このような間違いが結構韓国における日常の中であるのではないかと思った
例えば「感謝」と「監査」は字幕ではともに「カムサ」と表示されてそれをまさに勘違いしたシーンがあったり
京畿道の「京畿」と「競技」はともに「キョンギ」と表示され、やはりダジャレとして発言するシーンがあった
他にも幾つかのこのような単語があり、こちらは字幕で観ているし漢字を日常のものとして使っている文化圏の人間なので
それを区別することができるけれども韓国の人はハングルだけでどのくらいの精度でそれができているんだろうと気になった
韓国語には日本語にはない発音も多いと聞くしそのところの違いや前後の文脈で区別できることも多いだろうけど
ダジャレや笑いの演出に使われるくらいなのだから日常でこういう混乱がまあまああるのではないかと思った
それから、番組を見ていて字幕と韓国語での発音を照らし合せてみてこれはこの単語だろうと察せられるものがいくつもあり
「短距離」はタンゴリ、「木浦」はモッポ、「競技」は「キョンギ」、「消防車」はソバンチャ、「無理」なんかそのままムリだし
それで日本人の私はヘンな言い方だけど「この人たちもやっぱり漢字を読んだものを喋っている!」と思ってすごく面白いと思った
大陸から半島を通って漢字は日本にやってきたわけだしそれはそうなんだろうけどハングルのイメージが強いだけに新鮮だった
「鞄」はそのままかばんって読むし「約束」もヤクソクってそのまま使われてて
これは統治時代に日本から持ち込まれた単語なのだろうけど、それ以降にも政治用語だとかビジネス用語において
日本や英語圏から持ち込まれる新しい概念なんかはまず漢字表記の単語がそのまま韓国読みになってるものが多いらしくて
それが政治的に気にいらない、みたいな発想の人もいるみたいでなかなか複雑な社会とシステムだと思った
テレビ番組や観光客からこういうものをなんとなく察するにもしかして日本人が韓国語覚えるときって
ハングルだけじゃなくて漢字表記も併用して覚えていく方が簡単なんじゃないかと思ったけど
そうしたらそうしたでネイティブな若い人達とコミュニケーションの齟齬が生まれるみたいな状況も起こりそうだなと思った
韓国での漢字の識字率とか漢字表記に対するそれぞれの世代の認識、同音異義語の問題とか
もし詳しい人いたら聞いてみたいな~と思ったんだけど訊く人いなかったからとりあえず増田に書いてみた
【2/1追記】
たくさん反応があって驚いた!
ブコメやトラバで面白いエピソードや実例等を教えて下さった方々どうもありがとうございます とても興味深く読みました
全く違う文化の国だとぼんやり思っているだけだった国の言葉や他の様々が
自分が住んでいる国と双子のようにとてもとても近いところがあったり小さいきっかけで興味を持って
その国の番組を少し観るだけのことでなんとなくわかる部分が出てきたりするくらいにはお互いが密接な関係であり
地理や歴史の関係で文化の下地に共通したものがあるからそれができるんだ!という事実に
なんというかSFでよくある「元の世界とほんの少しだけ違うパラレルワールド」の発見のような気分でした
日本ととてもよく似ているんだけれど決定的に違う部分もあって、それがすごく面白いと思いました
ブコメに「つーかなんで韓国だけ気になるんだろう?ベトナムも元漢字使用国だけど誰も話題にしないよね。」と書かれていますが
私が何か韓国に対して特別な予断があったり差別心から書いていると思われては心外ですので書きますが
「韓国が気になった」理由は冒頭に書いてあるきっかけの通りです
案内したのが他の国の子だったらなにかしらその国の事が気になったでしょうね
あと私は「ベトナムも元漢字使用国」というのを恥ずかしながら今回のブコメ群で初めて知ったので(すごく興味が出てきた)、
知らないことは話題にできない、ということにすぎません 無知だなと言われればその通りです
ベトナムの方とも今回のような些細な接点があったらきっとベトナムのことが気になってあれこれ調べたでしょうが、
韓国はおそらくはベトナムよりも距離的にも歴史的にも日本と近いところにあって
現在では芸能方面で他国に向けてあれこれ発信していることもあって今回のようにあれこれ面白いことを知ることのできる環境
(日本語の翻訳つきで情報を得られるテレビ番組がケーブルテレビでチャンネルごと無料ですぐ視聴できる)が整っていることが
それに接する人間の興味を加速させた、というだけのことだと思います
それはそれとして同じくブコメの
「ベトナムの人名も漢字に置き換えたら面白い。めっちゃ可愛い今風の女の子でも
「菊」とか「梅」とかだから。日本人の感覚からすればおばあちゃんみたい。」
めちゃくちゃおもしろい!あとからさっそく調べてみようと思いました
最初の段階では書き忘れた面白い例として、韓国のバラエティ番組を見ていると「ツンデレ」という単語がそのまま、
その意味するままでとてもカジュアルに男女問わず使われていてこれは日本よりも広まっているのでは!と興味深く思いました
擬態語、擬音語ではこれはあるコミックミュージシャンの曲で知ったのですが、
食感における「カリカリ」という表現は韓国では「パサパサ」と言うと知ってまるで印象が逆!と思ってすごく笑いました
あと食べるシーンでよく「孤独のグルメ」のBGMがかかるのでごく一部とかではなく本当に流行っているんだなあと実感したりもしました
ものの名称はもちろん概念につけられた名前までがそのまま輸入されたり
逆に向こうの「オルチャンメイク」のような言葉がこちらに入ってきたり
過去だけではなく互いに流入のあり続けるこの文化の近接した感じがとてもエキサイティングだと思います
一局だけしか見ていないので偏りはあるでしょうが、私はこの数週間ですっかり韓国の芸能人やトレンドに詳しくなってしまって
また今回のように韓国からの観光客を道案内するような機会があれば案内するそのついでに
出演者たちがAについて議論しているが、そろそろいい頃合いの時間。
たけし「Aもさ、要はBと一緒なんだよね」…①
視聴者(?)
たけし「BはC1がC2でしょ」…②
視聴者(うん、そうだな)
たけし「Aも同じでさ、C1がC2なんだよ」…③
視聴者(ああ、なるほど!)
この中で、事実は②だけでよい。しかも、なるべく簡単で誰でも理解できるものがよい。
視聴者(?)
たけし「納豆は混ぜるとうまくなるでしょ」…②
視聴者(うん、そうだな)
たけし「人間関係も同じでさ、混ぜるとうまくいくんだよ」…③
視聴者(ああ、なるほど!)
という具合に、なんとなく「人間関係も混ぜればうまくいく」ような気になってしまう。
もちろん、常にうまくいくはずがない。
A(題目)からC1・2(結論)を得るための B の選び方は、多くの芸人は経験があるであろう、大喜利の定番ネタ「なぞかけ」と同じ発想方法だ。
記録性の高さはもちろんだが、何より優秀なのはその確実性だ。
文字によるコミュニケーションでは同音異義語を容易に回避できる。
それどころか発声によってコミュニケーションを取った場合は、音そのものが正確に伝わらないリスクがある。
フォネティックコードなどというものがどうしてこの世界に産まれたのか、それは音声というものがあまりにも不確かだからだ。
キーボードを叩いて文字を入力する速さはもはや話す速度と大差がないではないか。
一見すれば口に出したほうが早いような錯覚を起こしうるのも、結局は文字をいちいち変換するのに時間を使っているからだ。
ぎゃくをいえば、おんせいによるこみゅにけーしょんは、もじをいっさいへんかんすることなく、すべてひらがなのままでそうしんしているようなものなのだ。
チーターっていう言葉がある。動物じゃなくて、オンラインゲームなどでツールを使っている人を指す言葉のほう。
最初この言葉を見たとき、動物の音で認識していたような気がする。セーターと同じアクセント。新語だって分からなかったから当然なんだけど。
でも、しばらくしてからチーターって表記が新しい意味を現す言語であることに気が付いた。なるほど、「チート」が擬人化(でいいのかしらん)して「チーター」になってるのねって感じ。
どういうふうかっていうと、「チー」と「ター」双方にアクセントを置いた発音。童貞と似たようなアクセントになると思う。
当時はそれほど意識していなかったのだけれど、つい今しがた、ふと二つの言葉を誤認しないよう無意識のうちに音を変えていたのかもしれないなあって思った。
人間ってすごいな。日本語って面倒くさいもんなって、ちょっとばかり感心していたのだけれど、まてよ、例外もあるじゃないって結構すぐに思い直した。
「きりん」である。アフリカのサバンナに生息している野生動物、十二国記にも登場した想像上の生き物。この二つはどちらも平坦な音を用いて認識していた。車輪みたいなアクセントで。
夜間と薬缶は違う。マウス(動物)とマウス(機械)は同じだった。像と象も同じ。あとはあんまり思い浮かばなかった。疲れちゃった。あとで同音異義語のサイトでも見てみよう。
人は同音異義語を特別音を変えて覚えているようにはなっていないのかもしれない。いや、案外と認識の上では音を変えて覚えているのかもしれない。
日本語の同音異義語は多様な気がするから、ちょっと調べてみると面白いのかもしれない。面倒だから多分しないけど。
チーターという言葉は、どうして認識の中で音を変化させたのか。
動物と人っていう違いがあったせいなのかもしれない。あるいは「ドラマー」っていう音と似ているからなのかもしれない。チーターはチートを擬人化しているからそう認識したのかも。
あとあと根本的な疑問になるけれど、他の人は「チーター」を「チーター」という音で本当に認識しているのかしらん。
チーターもチーターもセーターみたいに発音してもおかしくはないはずだし。
日々新出する言語の音ってどうやって共有されていくんだろう。テキストだけじゃなかなか更新されないのがむつかしいところだと思った。
人と会話しなければだめね。
効率性?確かに変換がなければタイプは速くなるが、アクセント記号書くのが効率的とは思えないな。どうやってタイプしたらいいのかわからんぞ。既存の機器で入力できなくてもいいわけか。もしや手書き入力か?文字コード直打ちか?
Mac nara eigo Kiibóodo de boínnji wo nagaoshi surú daké desu. iOS demo onaji desu. Windows nara, Alt Kíi ka nánika to no kumiawasé de dékita to omoimásu.
同音異義語ってそんなに嫌うような代物なのか?全ての単語に固有の文字をあてれば解決だな。もっともチャイナは簡体を進めたために衝突が増えたはずだが。ハングルの導入も然り。
Douonn igigo no kotó wo shinnpai shinái no de áreba, tánn ni kunnrei shiki de wakachigaki wo suréba íi daké na no desu ga, sou surú to, "douonn igigo ga..." to kanarazu iwaremásu.
Watashi ha douonn igigo ha sukoshi kúrai nara shikata ga nái to omoimásu ga, mattakú kúbetsu ga tsukánai no ha yóku nái to omoimásu.
学習コストって何のことかわからんが、日本人で日本語書けないやつには会ったことがない。外国人が苦労するとは想像するが、それなら発音と表記を揃えるべきだ。歴史的仮名遣いを取り込むとか、そうか、つまり趣味以上のものではないわけか。
Nihonnjinn ha nihonngo no kakikáta wo gakkou de nagái jikann wo kákete naraimásu. Sore ga Kósuto desu.
Gakushuu Kósuto wo sakugenn shité, onaji jikann de gakkou de hoka no kotó wo oshierarerú yóu ni náreba íi to omoimásu.
ローマ字書きのメリットとして機械に理解させたり、検索性の向上、合成音声への応用などあるわけだが、さういふ文脈は無視して趣味性の追求のために時代に逆行する信念には敬服しますた。これからもかんはつてくたさい!
Soréra ni tsúite taisetsu na no ha, hyóuki wo míte dóno tanngo ka ga wakáru kotó desu.
効率性?確かに変換がなければタイプは速くなるが、アクセント記号書くのが効率的とは思えないな。どうやってタイプしたらいいのかわからんぞ。既存の機器で入力できなくてもいいわけか。もしや手書き入力か?文字コード直打ちか?
同音異義語ってそんなに嫌うような代物なのか?全ての単語に固有の文字をあてれば解決だな。もっともチャイナは簡体を進めたために衝突が増えたはずだが。ハングルの導入も然り。
学習コストって何のことかわからんが、日本人で日本語書けないやつには会ったことがない。外国人が苦労するとは想像するが、それなら発音と表記を揃えるべきだ。歴史的仮名遣いを取り込むとか、そうか、つまり趣味以上のものではないわけか。
ローマ字書きのメリットとして機械に理解させたり、検索性の向上、合成音声への応用などあるわけだが、さういふ文脈は無視して趣味性の追求のために時代に逆行する信念には敬服しますた。これからもかんはつてくたさい!
英単語のカタカナ化の仕方に文句を言う増田がたまに見られる。ついこの間も、「imageは『イミジ』が正しい」みたいなことを書いている人がいた。
しかしカタカナ化というのは、音が近ければ良いというものではないんだよ。
言語には意味のある音の区別と、意味のない音の区別がある。例えば日本語なら、「難波」の「ん」と「あんな」の「ん」は違う音だけど、日本人にとってはどちらも同じ「ん」だ。音声学上は区別されるが、音韻論上は区別されないともいう。
タイトルの「ワラ」に関しても、確かにwaterは「ワラ」のように聞こえる。単純に「一番それっぽく聞こえるカタカナ表記」ということなら「ワラ」が正解かもしれない。でも英語では、このラ行のように聞こえる、waterのtの音と、普通にタ行に聞こえるt、例えばtalkなどのtは、同じ音なんだ。それなりに乖離があるので、英語ネイティブの人でも聞き較べてもらえば違いはわかるだろうけど、普段話しているときは意識しないし、同じ音だとして扱っている。日本人にとっては全然違う音でも、ネイティブにとっては同じ音だということ。
そしてもっと重要なことは、waterのtをtalkのtで発音しても問題ないけど、talkのtをwaterのtで発音することは許されないということ。どちらもtの音と言っても、片方が本来であり、もう片方は一応同じと扱われている、変化した音ということになる。そして「本来の」tは、間違いなくラ行よりはタ行に近いのだ。
次に、外国語をカタカナで表現する際は、まず問題になるのが、カタカナの表現力が限られているということ。
英語では途方も無い数の音が表現されるが、カタカナは所詮50音である。文字通り数える程しかない。
とはいえ、この数える程の文字数で、工夫して、できるだけ本来の言語の表現力が失われないようにしなければならない。そうでないと、その言語から大量のカタカナ語が入った際に、だんだん同音異義語が増えて区別がつかなくなってきてしまう。だから、英語で区別がない音は、カタカナで表現する際も、できるだけ区別しないようにする必要がある。本当に必要な区別をしたいときに被ってしまうと困るからだ。
したがって、waterのtもtalkのtも区別せず、両方タ行で表すべき、ということになる。
あとはだいたい同じような話なんだけど、ついでなので、waterの他の音についても。
現在概ね採用されてるカタカナ化には、だいたい共通した法則があって、例えば、長母音は長音記号を使って表すこと、がある。このようにすることで、短母音と長母音でカタカナでも10種類の母音を表現できることになり、かぶりが少なくなる。「ワラ」と短く聴こえても、water /wɔ́ːtər/ の最初の母音は長母音だから、長音記号を使う。また、この母音は、ア段ではなくオ段として表現することも習慣で決まっている。wall も「ウォール」とオ段で書かれるが、これも同じ母音である。
ちなみに、この /ɔ/ の音がオではなくむしろアに聴こえるという人も多い。「ワラ」に近いというのはそのためだろうと思う。しかし、これがア段ではなくオ段に当てられているのは妥当なんだ。なぜかというと、英語には他にもアのように聴こえる母音がたくさんあって、cat /kæt/ の /æ/ もそうだし、car /kɑːr/ の /ɑ/ も間違いなくアに聴こえるし、あと曖昧母音 /ə/ の直後に/r/ が続いた場合も間違いなくアに聴こえる。これらは実際カタカナではア段が割り当てられていて、これにさらに /ɔ/ まで加えるとなるとア段で表す音が多すぎてちょっと被りが心配ですねという話になる。一方、オ段で表す母音は /ɔ/ の他には cold /koʊld/ とかの /o/ くらいである。
このように、現在のカタカナ表記にはそれなりの合理性がある。こっちの方が聞こえ方が近いから、とか安易な理由で覆すべきではない。
〜 追記 〜
ブコメ数にビビっております。こんなにもらったことなかったので。
いろんなカタカナ語の指摘とかがあるのですが、はっきり言ってカタカナ語のルールは一貫してないと私も思います。その中には、比較的合理的なものもあれば、ブコメで上がっている「ディティール」のようにわけわかんないのもあります。「ウォーター」はかなり合理的だと思ったので、ウォーターで書きました。あと、「イミッジ」も合理的だと思います。「イミッジ」を批判してるみたいに読めるなあと思ったので一応書いておきます。
あと、せっかくなので宣伝させてください。日本語文法を英語で解説するサイトをやっています。最近更新が滞っておりますが・・・。↓