はてなキーワード: 卒業文集とは
ChatGPTが警察の捜査に利用されるようになって3年が過ぎた。
犯罪捜査の様相は一変した。たとえば殺人事件であれば、被害者のプロフィール、小学校の卒業文集、その事件が起きたときの天気や気温・湿度・風向き、株価や直近の内閣支持率などを入力し、さらに被疑者のリストを示せば、AIは犯人はこの中の誰が犯人ですと教えてくれる。待ち構えていた警察官がその人物を逮捕して捜査は終わりである。
事件発生から解決までの時間は圧倒的に短縮され、迷宮入りという言葉はもはや死語になった。人々はこれを支持した。そういえば治安もなんだか良くなったような気がする。街に笑顔が戻ってきたような気がする。四六時中近隣住民に怒鳴り声をあげていた近所のおっさんもいつの間にか姿を消した。聞くところによれば「身に覚えがない、俺は無実だ」と叫びながらパトカーに押し込められて行ったらしい。おっさんの行方は誰も知らない。
もちろんAIは完璧ではない。故人、明らかなアリバイがある人、警察関係者や政治家などを犯人として挙げるといったありえない結果を出すこともある。その場合は質問が間違っていたということになり、プロンプトは正しいと思われる結果を出すまで何度も修正された。警察庁の幹部はこれを「人間とAIの理想的な協調関係」と自画自賛した。OpenAI社は当初抵抗していたが、幹部が数人逮捕された後は完璧な沈黙を守っている。
週刊誌の報道によれば、警察は人員削減の圧力に対抗するため犯罪予測活動に精を出すらしい。これもまたChatGPTの賜物で、犯罪が発生しそうな場所と日時をAIに予測させ、警察官を派遣し、犯罪が発生したところで現行犯逮捕するのである。犯罪が見つからなければ、それは犯人が計画性を持って犯行を隠匿しているということになり、捜査員が増員される。かくして社会はますます安全になり、また警察官はほどよく忙しい状態が保たれるというわけだ。
近頃は裏社会で改名アドバイザーが人気だと聞く。どうやら名前の文字の並びに特定の特徴があるとChatGPTはそれを人名だと認識できなくなるらしく、明らかな犯人であっても――AIにそのような思考があるのかどうかは疑わしいが――ChatGPTは名指しを避ける傾向があるらしい。ニューラルネットワークに祝福された理想の名前を求め、ヤクザや半グレは三顧の礼を尽くしてアドバイザーの事務所に列をなしている。アルゴリズムが変更されたら彼らの顧客は一網打尽にされる可能性が高いし、そうなったら彼らは生きたまま東京湾に沈められることになるだろうが、彼らもそれを知った上でXデーが来るまでは我が世の春を謳歌している。これもまた人生である。
ところで先ほど来客があった。相手は警察官で、私が3日後に起きるコンビニ強盗事件の犯人である可能性が極めて高いため、しばらく私の自宅の周囲を監視するらしい。強盗などする気はまったくないと一笑に付したくなったものの、AIがそう宣託を下すのであればきっとそうなのだろう――否、そうしなくてはならないのだろう。私はたった今フルフェイスヘルメットと包丁をAmazonのお急ぎ便で注文したところだ。
話し相手は地球上でもネトゲのコミュニティのメンバーと親しか居ない。
誰にも自分のことを話せないのがつまらないのでここで自語りしてみる。
=====
小学校高学年の時におそらく自律神経失調症を発症し、そのままうまく学校に行けなくなった。
原因は多分パソコンゲームのやりすぎと重度の鼻炎。
最初は親も自分もただの風邪だと思い込んで近所の小児科に掛かった。必死に「ずっと気持ち悪い、ずっと吐きそう」と言う私に医者は胃薬を処方した。
最初の症状から1~2週間経った後は少しずつ学校に行き始めて、元の生活に戻れるまでは行かなかったけど体育の授業以外は何とかなった。
息が苦しくて無理だったので、水泳は全部休んだ。
中学に入ってからも学校を休み休み行ってたんだけど、その頃ネトゲで知り合った20歳年上のろくでもない男と人には言えない関係になり、
その男からモラハラを受け続けてうつ状態になって学校を「なんとなく」で休むようになった。
訳のわからないキレ方をするろくでもない大人だったけど、当時はなぜか親よりもそいつに本音を話せるくらい気を許していた。
さすがに両親も理由のない休みなんか許可するわけもなく、なんとかして私を外に出そうと頑張ってみたり精神科に掛からせようとしたりしていたが、
不況から度重なる転職で行き着いたブラック企業で疲れ果て、普段から弟の知的障害に振り回されていた両親はついに私を諦めた。
当の私はと言えば本当になんとなくで学校を休んでいていつでも復帰できるつもりで居たが、
いざ行こうとすると小学生の時よりもひどい吐き気や眩暈が出るようになっていて学校どころかコンビニにウェブマネーを買いに行くことすらできないことに気づいた。
そのまま引きこもるようになった。
同級生が高校に進学して高校の話をするようになり、一人取り残された事に今更気づいて劣等感に耐え切れなくなり友達の連絡先をすべて消去して今に至る。
マジでこの10年間くらい、引きこもってゲームをする以外のことをしたことがないので、社会で生きるために必要なことを何も知らない。
全部自業自得だということは分かるんだけど、過去を振り返るより未来に向けて1歩でも動くべきだと理解はしているんだけど
あの時の自分程度の頭で、みんなと足並み揃えて生きるルートがどうやったら存在したんだろう。とそればかり考えている。
生徒が作る卒業文集の「この人になりたいランキング」で、「学校をサボってもいいなんて羨ましい」とランクインさせられたことを今でも恨んでいる。
でもまぁ流石にネトゲも飽きてきたし、劣等感がこれ以上募ったら犯罪者になりかねないし、変わりたいとは思っている。まだ思ってるだけ。
20代後半の方のコメントが読み込めなかったけど消したのかな。
ご無沙汰しています。お元気ですか?
小学校を卒業して、もう10年以上経ちました。私ももう立派(かどうかは分からないけど)な大人です。社会に出て毎日なんとか頑張っています。
小学校6年生の頃、担任だった先生には、たくさんいろんなことを教えていただきました。
勉強も、それ以外のことも。
放課後一人だけ呼び出されて、私が陰で友達の悪口を言っていたのを怒られたことも、よく覚えています。
人の悪口を言っちゃいけない、聞かされた人が嫌な気持ちになる、当たり前なのにそんな馬鹿なことをしていた私をちゃんと叱ってくれましたね。
私の間違った行動に気がついてくれて、正してくれて、本当にありがとうございます。
でも、あの時私もいじめられていたこと、陰で悪口を言われていたこと、先生は気づいていましたか?
あの頃あのクラスでは、人を攻撃することが自分の身を守ることだったということ、気づいていましたか?
卒業文集、私が友達に向けたメッセージがどこにもないこと、知っていましたか?
自分が怒られたことは当然だと思っているし、あの時怒ってもらえたことは感謝しています。
気づいて貰えなかったことを恨んでいるわけでもありません。
運良く小学校を卒業してからは周りに恵まれ、この歳まで楽しい人生を過ごしています。友達もそれなりにたくさんできました。
私みたいな子どもに気づいてあげてほしいです。
助けて、って言えない、言う選択肢が頭の中からすっぽり抜けてしまった子どもに、どうか気づいてあげてください。
あなたの教え子より
受験、超進学校、医学部ナンバーワン…こうしたキーワードから条件反射的に、親や学校の圧力があったなどと思われがちだが、おそらくそうではない。「自由な校風」であることはマスコミからも言及されているし(地元紙・地元局ぐらいならまず一定数出身者はいる)、ゲンダイ曰く父は私大職員だという。これでは親からの圧力があったとは考えにくい。東大東大言えば親として自分の仕事先をどう思ってんだ?という話になる。昔、愛知県知事が高校入試の仕組みを決めたにもかかわらず自らの子息を私立にやって批判されたこともあり知られている。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/300082
偏差値・学校名を叫ぶ、卒業文集にも勉強について書くといった話からの推測ではあるが、結局これは、彼が自らのアイデンティティを勉強以外に見いだせなかった結果ではないか。多くの中学入学組は、上には上がいる、理Ⅲに行くような人はタマが違うことを、入学前の模試の順位・点数や学生生活を通じて理解していき、アイデンティティのより所を乗り換えていく。部活、文化祭、外部から講師を招いた講演会の企画・運営、趣味やゲームを通じたゆるい繋がり、クラスでの奇行や変人アピール。自由さの下に豊富な乗り換え先を持ち、アイデンティティや友人を得ていく。一方高校から入学した彼は、カリキュラムの都合上高1は別クラス。コロナもあって授業外での繋がりを得る機会は難しかったのかもしれない。そして高2になると、そろそろ勉強に本腰を入れようと「乗り換え先」から戻ってくる、潮が引いていく流れが徐々に強まっていく。新年度から…、夏休み明けから…、文化祭が終わってから…、大会が終わってから…と。特に中学から勉強をそれなりにやってきた人たちほど早いだろう。そうした中で結局彼は勉強以外のアイデンティティの乗り換え先を見つけずじまいだったのかもしれない。
あくまで推測でしかない。高校入学であってもなじめている人はいる。友人と中学時代の思い出の話になってそうと気づかれるような人もいる。被害にあわれた方々が心身ともに快復されるのを祈ります。
つい最近のタコス屋の一件以来、鉄オタが気軽に「死ね」「どけ」「なにやってんだ」と言われる機会が増えた気がする。
祭りみたいになったので皆知っているあの件だ。
あれだ確かにあのとき無数のクズ鉄達が無実の一般通過外国人に対してそのような罵倒を浴びせたのは事実だ。
だがしかしそれを理由に鉄道オタクを罵倒していいと考えるのはおかしくはないか?
テレビやラジオが語る「部屋からゲームが見つかったのでゲームを1秒でもやった事があるやつは犯罪者予備軍です。人を殺す前に死んで下さい」と何が違うのだろうか?
もし偶然あなたがあの撮り鉄達に街で遭遇し、もしも貴方達が「死ね」と言われたのなら「テメーが死ねよ」と口にしてもいいだろう。
だが待ってくれ。
きっと多くの鉄オタが先に自分たちが口にした「死ね」の部分を切り取って「死ねと言われました~~~僕たちはただ電車を撮っていただけなのに~~~」と貴方を袋叩きにしてくるだろう。
だが、「死ね」と誰かに言い返すのは本来それぐらいの覚悟が必要なことだ。
今、空前の鉄道バッシングブームによりこちらが言い返せない量の「死ね」が飛び込んできているため、こちらは防戦一方だがよく考えて欲しい。
貴方に近所に住む100人の鉄道オタクに粘着されて自宅と職業と氏名と人生と学生時代の卒業文集を晒される覚悟があってその「死ね」を書いているのだろうか?
もし、今回叩かれているのが貴方の好きな文化だったらどうだろうか?
貴方の好きな文化のオタクが、偶然通りすがりの無理解な外国人の手により空前絶後のチャンスを失ったとしよう。
その時に口にした「死ね」がもしも貴方の文化を滅ぼしたとして貴方は納得できるだろうか?
そもそも貴方達が何を勘違いしているかと言うと、あの「死ね」は一般通過外国人の人権を軽視していたから出てきた言葉ではないのだ。
そこを勘違いしないで欲しい。
そもそもなぜ鉄道オタクは彼らを「アイツらが特別おかしい。同じ鉄道オタクとして恥ずかしい」と切り捨てないのだろうか?
そんな疑問を持つ人達もいるだろう。
何故か。
確かに現代では家族を毒親だなんだと切り捨てるのがある種のブームとなっている。
だがそれをやってしまった人にとってもはやこの世界に永遠の絆と呼べるものなんて一つもないだろう。
だが鉄道オタクの世界には確かで絶対的な「鉄道」という繋がりがあるのだ。
遠い国で遠い国の鉄道の写真を取る時、同じく別の国からその鉄道を取りに来た鉄道オタクに出会う。
そのとき感じるのだ。