はてなキーワード: 先生とは
実はここらへんのトピックまともに教わった記憶がない。アメリゴ・ヴェスプッチのことは話題に出たから確かに触れてはいたのだろう。近い時代だと、ルネッサンス時代の絵画の感想として生徒に「ムラムラする」という感想を言うように誘導していたのは覚えている。そもそも、その先生の授業が面白くなかった。
生活習慣病検診で「要精密検査」の判定が出てしまい、「どこかで検査を受けてこい」と検診センターに言われる。
検診センターから近所で内視鏡検査を受けられる病院のリストを貰っていたので、
当日行ってすぐ帰れる検査だと思っていたが、まずは採血検査して、検査日を予約して・・・・という流れが必要らしい。
最短で検査日の予約をお願いしたが、それでも3か月後だった。マジかよ。大盛況か。
検査前日・当日の食事の制限とか費用など、説明を聞いてその日はおしまい。
3か月後の検査当日が来る頃には絶対に忘れている自信があったので、紙のカレンダーと、スマホのスケジュールと、職場のグループウェアに予定を入れて置き、
さらに、「検査前日に飲むように」と渡された下剤を自宅の目に付くところに置いておいた。ここまでやっておけば流石に忘れまい。
朝から消化の良いモノしか食ってはいけない。バナナと豆腐しか食わなかった。
「検査食」なる専用の食事を病院で売ってくれるらしいが、俺は買わなかった。
なんとなく、高価なものを押し付けられている気がしたからだ。バナナでいいならそれでよい。
夜21:00以降は絶食。普段は普通に夕食を摂っている時間なので辛い。
空腹だ。量については何も言われてなかった気がするから、もっとたくさん食って置けば良かったと若干後悔する。
明日の持ち物を確認し、検査についての同意書やらにサインをしておく。
下剤を飲んで早めに寝る。
「検査終わったら何喰おうかな」と思いながら起床。
水以外は口にできない。病院に向かうため、身支度を整える。
当日の持ち物として「水1リットル」とあるので、コンビニに寄ってペットボトルの水を買う。
病院で受付を済ませ、用意された個室に通される。
リクライニングシート、テレビ、テーブル、あと引き戸の先にトイレがある4畳あるかどうかくらいの部屋。
テーブルにはデカいビニールのパックに液体が詰まったものとコップが置いてある。下剤らしい。
「検査に適した状態の便」はわかりやすい写真が個室内に貼ってある。
テレビをつけて、下剤を飲み始める。
下剤の最初の一口目の感想は「意外と飲みやすい。スポーツドリンクみたい」だったが、飲み進めるうちに辛くなってくる。
腹いっぱいな感じが気分がよろしくない。吐きたい。
引き続き、下剤を飲む。3回目くらいから、ほぼ液体になる。
以降、繰り返し。
リクライニングシートと便座を頻繁に往復することになる。テレビを観てのんびりする暇はない。
10回目超えたくらいでそろそろ検査できるのでは?と思われたので看護師を呼ぶ。
出したものを見られるのはかなり恥ずかしい。
「まだカスがあるんで次くらいでもう一回呼んでください」この恥ずかしいやり取り、またやるのか・・・・
その次の次くらいで「いけそうですね」とのこと。下剤が回収される。検査を待つことにする。
結構待ったのでリクライニングシートで寝そうになる。というかちょっと寝た。
検査の順番が近づいてきたのか、看護師さんから検査用のズボンへの履き替えと貴重品のロッカーへの保管を指示される。
恥ずかしさがこみ上げるが仕方がないので無心で着替え、財布をロッカーに保管し、引き続き待機する
他の患者?の個室の前を通るので、このタイミングでもし他の個室の患者が廊下の様子を伺おうとしたら、
検査ズボン姿の俺を見ることになる。これ、後ろからみたらどう見えるんだ?とどうでもいいことを気にしつつ看護師についていく。
数人の看護師に囲まれ、ベッドに寝かされ、口にのど用の麻酔を吹き込まれる。飲み込む。苦い。
口になにやら筒状の物を咥える。腕に点滴を差される。
先生は「じゃぁ眠くなるんで」みたいなことを言っていた気がする。
気が付くと検査は終わっていて、個室のリクライニングシートで休んでいた。
どうやってここまで移動したのか全く覚えてない。麻酔スゲェ
元の私服に着替えて、個室を退去し、待合室で先生に呼ばれるのを待つ。
呼ばれる。
とのこと。
後の説明の時、先生から「覚えてる?」という問いかけがあったが、あの様子だと麻酔の効いた俺との間で何らかのやり取りがあったようだ。
遠隔でサーバー監視やな。大当たり案件なら小説書いててもマンガ書いてても短時間のお散歩行ってもいいぞ
『ただ長く続けられる』ってところに問題点がある
これ、えらい人が、『リモートハンズサービスとかやるわけじゃなきゃ、別に有人じゃなくてもいい』ことに気づいてないか、
『誰かの職を奪って恨まれたくない。別に自分の給与から費用から出してるわけじゃないし、誰かに指摘されるまでほっとこ』って
やってるだけだからな
大当たりのサーバー監視ほど楽ではないが、パソコン先生(情シス・社内SE)がだいたいの職業に比べたら楽だし、長く続けられそうよ
文章が下手なのにはご容赦ください。
簡単な自己紹介を。私はASDとADHDを併発してるタイプの発達障害者です。
色々な紆余曲折を経て、現在は特例子会社の障害者枠で働いています。
私が今回お話したいことは「誰かに自分の気持ちや意図をしっかりと伝えることが可能である」ということ自体に、高校生になるまで気づけなかったことです。
色々自分の障害や特性について考えていて、「ああ~、そうだったんだ!」とさっき気付きました。
私は昔から「マイペース、のんびりしてる」と認識されてました。小学校では徐々にハブられて、小学校高学年頃から中学生頃にはいじめられました。幸いにもちょっかい程度のいじめであって、私自身でやり返したり、言い返したりして不登校には至りませんでした。むしろいじめっ子くらいしか関わってくれなかったので、つまらない学校の良い刺激として捉えていたかもしれません。
内向的で吃音の癖もある変わり者のまま中学校を卒業し、知り合いが1人もいないのんびりとした高校に入学しました。高校でも1人も友人は出来ず、しかしスマホを与えられて急速にネットにのめりこみました。そこで私は初めて、自分がずっと続けてきた創作活動をネットに放流することを経験しました。
私はその頃にはすっかりぼっちに慣れており、好きな作品の二次創作を漁って、ちまちまと創作して誰も見ないフォロワー0のアカウントに投稿していました。そこで幸運にも見てくれる人に出会い、動画をアップしたりする中で交流も始まり、その縁でゲームを遊ぶネット上の知人が出来ました。それまではネットでも現実でも話す相手がいない私にとっては革命的な出来事でした。そこから私は人狼ゲームにどっぷりとハマることになりました。
私はテストの点はあまり良くなく、興味がないことは全然ダメで、人狼ゲームなんて議論ゲームは全く出来ないと考えていました。しかし後に受けたIQテストでは言語系がやたらめったらに高く、私はASD傾向が強かったのです。つまり本来は言語表現が得意で理論的な思考をする人間だったのです。私は1日に5回連続で村を楽しむほどにハマってしまいました。
自分の考察を熟練者の方に自ら欠点の指摘を懇願し、何度も何度も自分の文章を見返して添削を繰り返しました。
その中で私の世界は明確に変化しました。今まで私は生きていたのだろうか?と不思議に思うほど、自分の思考がしっかりと認知できるようになったのです。自分が何を見て何を感じ、何を想像して何を求めているのかを始めて自覚できるようになりました。そしてそれらを生きている人に伝え、議論を重ねることが出来るようになりました。
ただのゲームだったはずの人狼ゲームが私の自我を芽生え、と言いますか覚醒を促してくれたのです。
文章が長くなってしまってすみません。私は文章を書くことがその時からとても好きになりました。口に出して話すよりも迅速なので、すごく気持ちがいいんです。
今は生きるのが以前よりも明確に楽しく感じていると思います。前よりも精力的でイキイキしています。
何がきっかけで人生が変わるのかわからないなぁ、と日々実感しています。
自分語りで申し訳ありません、でもこのわくわく感が少しでも伝わったら嬉しいです。
【おまけ】
人狼ゲームでやっと私は自分の考えを認識出来るようになりましたが、感情に認識についてはまだまだなのです。人狼ゲームは明確に何かしらの事実や確率を元に構成していくものですが、感情というのはそう単純なものではありません。
例えば楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか、怒ってるとか。そういったことを「何を根拠に認識するべきか」と私は考えてしまうんです。
楽しい!と伝える少し前に「おそらく楽しいと感じている!この感覚は経験則からすると気分の高揚である!」と一瞬考えて判断を行っている、と思います。なんというか、不安定さや微妙なラグを感じているんです。
私は昔からストレス耐性が高いと感じていたのですが、限界を迎える瞬間までストレスを感じていない可能性が高くなってきました。
かかりつけの先生に相談したところ、「内受容感覚」が鈍い可能性を指摘していただきました。空腹感や動悸などの体内からくる感覚を指す言葉であり、感情の感じ方にも大きく影響があるそうです。確かに私は昔から高熱に気付かなかったり、テストのストレスで気絶したりもあったので、かなりの説得力がありました。
発達障害を持っていて、私みたいな「感じ方」をしている方がいたら、「内受容感覚」について調べてみるといいと思います。
私はストレスをどういう時に感じるのか、怒りや悲しみをスルーしてないかをちょっとずつ勉強していこうとしています。
ここまで読んでくださった方がいたら本当にありがとうございました!
なのでアーカイブをまとめてみた
北村紗衣先生(武蔵大学准教授)は草津町の件で一体何に謝罪したのか
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221117054344
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221118212515
それにしても情けない話だ。
本当になんでハーフタイムの間にちゃんと質せばよかったのにと思うのだが、結局負けたことのいい訳だから今になっていってるのだろう。
原泰というFCディレクターも大分県の学校の先生上がりで、なんだか先生上がりが監督や責任ある立場になるとこういうことになるということか。
プロ意識が大学生にも負けてるので負けたんだろうなあ、、、情けないなあ、、、
まじでレフリーも公認でそれなりのレベルなんだからさ。レフリーへの経緯や試合の運営者に対しての敬意がかけらもない人たち。
本当にそう思ったら、本当に試合中に選手を守るために主催者にいうべきだったんじゃないのか?逆にそれはチームを率いる監督やディレクターの責任じゃないのかな?
自分は東大法学部卒で団藤重光先生の弟子だった、あなたと5歳しか違わないのにまーなんでそんなこというんでしょうなどという具体的な会話が平成30年、31年頃に携帯電話を
介して存在したがここ2年ほどは着信後に電話が切れるという感じ、最後に残した言葉は、「有名なやつ・・・」というだけ。爾来、法律の内容、技術を教えたことは1回もなく、極めて醜悪な
性格から、大体、簡潔な事項と過激な事項の合体した定理やなんかだと完全と言われていてそれでほとんどうまく行くということは知られるのがまずいので決して教えない。
メゾンときわ台に引っ越した2年前は左程と言うこともなく、新居、新居住権が与えられたという感じで意気揚々だったが、新しい住まいができるという期待権は、11月頃に、3階のままや
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すなわち、精神錯乱による保護、措置入院、 飯沼病院とも何の音信もなくなったことからその辺の話が消えた代わりに、寝ている間の催眠や放火の量が甚大である他、警察の保護が次第に
薄らいでいることから、最近は、警察以外の者による攻撃が増加しており、R5.8月頃は、本官の自転車を蹴り倒し、本官が、本官の自転車を蹴った、などといって怒り狂っていたが、最近は警察官