はてなキーワード: ラブライブとは
同人誌でもプロレスでもいいんだけど、コミュニティが面白くて安定していて(=内部の人間関係がよくて)閉鎖的(=新規参入者が少ない)状況の時、新規参入者を歓迎しないっていう風潮があるよね。
新規参入者が一定の割合(10%とか?)以下ならいいんだけど(うんちく語って先輩風孵化してドヤ顔だよね)、一定の割合を超えて一気に流入すると、自分たちが今まで作ってきた雰囲気や文化が壊れるので、新規参入者に否定的になる。まあ、ただの派閥問題なんだけどさ。
最近だとラブライブで「アニメから入った新参は情弱なので黙ってろ」みたいな言説も見た。
(こういう風潮はコミュニティの存続にマイナスだと思うけど、その話は今回脇道なので横においておく)
思うんだけど、社会において女性差別だとか蔑視って言われている者の幾割かは、この「新規参入者に対する嫌悪」なんじゃないかなあ。
一般社会、特に職業や職場においては、男性構成員がその文化を作ってきたので、そこに「新規参入者(=女性)」が入ってきて軋轢が生まれてることが結構あるんじゃないかと思うんだ。
この場合ポイントは「女性が入ってきたから反発してるわけじゃない」ってこと。
ホモソーシャルかよ死ねって思うかもしれないけれど、旧コミュニティメンバーの根底にあるのは「俺たちのコミュニティの雰囲気を一方的に変えるなよ」とう既得権益意識なんだ。
(弁護してるわけじゃなく、そういう意識のあるコミュニティは少なくないという話ね)
たまたま女性の集団が入ってきたとき問題が顕在化して昨今ではそれが報道されることが多くなった。
けれど、その集団は例えば一回り違う若い社員が20人いっぺんに入ってきた場合であっても、「あいつら酒もたばこもやらないし就業時間以外はこっちの話聞かないし」「おれがパチンコの話振ってるのに生返事だし」「向上心もやる気もないし出ていってほしい」などと、やっぱり反発して軋轢を起こすんじゃないかな。
「女が出しゃばって」っていう言葉は「新参者がでかい顔をして」と同じ意味である場合が少なくないと思う。
もちろん、だから許せとか放置しろとか、そういう話ではないよ。
でも、女性嫌悪と新規参入者嫌悪は(表面上全く同じに見えたとしても)違う問題だから、それぞれに対応した対処を考えないと、問題が複雑化しちゃうよねとは思った。
モバマスやラブライブの話で盛り上がっていた大学の友人に、珠ちゃんや千枝ちゃんの話をするのと同じような調子でとあるRPGの筋肉娘のことを語っていたらいつの間にか距離を置かれていた。頻繁にやりとりしていたLINEも気づけば全くしなくなり、早半年。
「〇〇が好き」と公言することは、実は自分のような人間が構成するにわかオタクコミュニティ内でアイデンティティを獲得する機能を備えている。そのアイデンティティは集団の構成員の評価に依存して作られる。さらに沈黙の時間を作らないためのトピックでもあるため、嗜好の対象(いわゆる嫁)はにわかコミュニティ内部での共通言語、すなわち今観ている深夜アニメや旬ジャンルのキャラクター、もしくは有名作品のキャラクターである必要がある。10代〜20代前半という年齢設定など、一般に受容しやすい要素を持っていることも重要だ。集団内で上手くやっていくにはこういった制約の中で公言する嗜好対象を決めなくてはならない。自分が好きだから好き、何か問題でも?というのは許されないのだ。そういう「空気が読めない」嗜好は仲間内で承認してもらえず、人間関係にも影響を与えかねない。三次元に対抗し二次元を愛好するマイノリティという、歪んだ選民意識を共有することで構成される集団においても、やはり異端者は受容されないのである。よって、雄々しい高齢処女筋肉娘を好きになってしまったことは内心に留めておくか、そういった話ができる別のコミュニティを早急に探してそっちで感情を放出すべきであったのだ。
よく考えたらどこでもそうかもしれない。例えば、毎日あがた森魚の話をしている集団が存在するとして、その中で一人だけ途中から異常にメタルに凝りだしてやたらPANTERAの話ばっかり振ってくる奴が出てきたら、本当にPANTERAが好きだとしてもうざいし引くよな。そういうことを自分はしてしまった。
個人的な考え。
例えば、デレマス同人でアイドルがどこの馬の骨とも知らん男とセックスしてようが「そりゃ年頃の女の子だし、するよね」と素直に受け止めれる。
ラブライブだって、彼女ら女子高生だよ、彼氏くらいできるだろうしセックスくらいするだろう。
ところが、武内Pがアイドルに手を出してるともの凄い違和感を感じてしまうし、他にキャラが居ないからとにこにーの弟を持って来られても「えー」としか思えない。
重要なのはこのキャラクターでこういう話の流れならこういうセックスするだろうなと思わせる説得力があるかどうか。
(そういう点で、武内Pはデレマスの全アイドル200人の誰よりもセックスしなさそうというイメージがあるから竿役には違和感がある。)
俺は、最近、他人をステータスで見ている。というと非人間的な感じがするが、そうじゃない。
たとえば、「建築家×得意料理はオムレツ×身長170センチ台×心臓病持ち」こんだけ条件をかけると、多分当てはまる人はいないかもしれない。
こんな感じで、ある程度ステータスで分割すると、その人の『独自性』が見える。
ありきたりな個性をいくつか連続で持ってる人格ってのは、その人だけ。その人と関わってる自分は、その属性を持ってる唯一な人相手に、『実験』できている。って感じる。
もちろん、こんな考え方は、ナチュラルじゃない。面白いと自分で思ってるからやってるだけ。
本当は、分かっている。個性なんか無い。ラブライブとけいおん!のキャラの違いは見分けつかないが、記号の組み合わせで差別化している(もちろんできておらず、全員無個性)だけど、そこで『コンテンツ』として楽しめる要素がある。
こんだけ並べれば、世界で一つのキャラになる。ボツ個性だけどさ。
それでも、作品を作ろうと思えば楽しめると思う。キャラにあわせて話作るから、キャラが勝手に動いて創作の楽しみを与えてくれる。
これと同じように、つまんねー人としか付き合えない俺でも、一応楽しめる。
もちろん、その人ありのままでの付き合いは楽しいけど、いかんせん、そういう付き合いはある程度時間がかかる。
現代はスピードの時代、一期一会。それを楽しむには、どーしても、そうなる。
毎クール変わるアニメのキャラで楽しむように。髪の色しか変わらないような、そういうものを。
俺は、こういう感じの思考や手法が次々でてくるところが、人生面白いなって感じる。
別の例だが、昔から俺は小説を書くとき、まず登場人物をABCDEなど作る、大まかなテーマを決める。で、それぞれキャラを作る。
で、その後は、
場面1:AE
場面2:CE
場面3:ABC
場面4:D
などと、場面数とその場面にトウジョウする登場人物だけまず決める。
その後、「この2人が一緒にいたらどういうこするかな?」と考える。これを場面数だけ繰り返して。
全体として、『群像激』になるようにする。
こんな感じ。
コミケが終わった。エロマンガをいっぱい見た。ラブライブのエロマンガ、どうしようもないことなんだけど、男役がいないのにエロマンガにしようとしてキャラクターをAV女優にするしかなかったんだろう。デレマスなら武内Pが大暴れしてたので、まだなんとなく作品世界との地続きを感じられたし、ちゃんと「やおい」なのだが、ラブライブはもう世界線の違いしか見えなくて、結局のところキャラクターセカイにむりくり妄想をいれこむ「やおい力」を感じられなかった。そういう意味では彼女たちは守られたんだろう。ラブライバーはああいうエロマンガ、読むんかな? とは疑問だけど。
美少女動物園系だと男優がいないし、ゆるゆり、きんモザだともう百合展開しかない。でも男を入れたい。となるともうAV女優化するしかない。それは仕方ないとして、男優をきたないおっさんにするのはなぜなんだろう。だらしない体つきのおっさんが汚い顔で致してるのをみて、なにか納得できるんだろうか。AV女優にするならせめてちゃんときれいな男優と絡ませればいいのに、ほとんどが汚いおっさんなのは、なんとかして女優を汚したいのだろうか。汚れるところをみたいということか。俺はみたくないなぁ。「あー、それそれ、本編じゃぜったい見られないけど、絡んでるよね絶対」ってのがみたいんだけど、AV女優になった穂乃果やらがみたいわけじゃないんだよなー。
〇〇の●●が好きと言っても分かる人はいないし、
テレビ好きな人が深夜ドラマや深夜バラエティーの話題を出しても
それなのにアニメサークルだとラブライブとかアニマスとかのグッズがやたら集まってて
逆の意味で近寄りがたいんだよね。
アニメ好きっていう割に最近のアニメで、古いアニメが通じる人が
殆ど居ないから古参のアニメオタクには中々入れない空間だと思う。
漫画サークルとかゲームサークルも古い作品や少しニッチな作品も分からない人が
中心になってやってたりするから、中々これと言える雰囲気もなくて
リア充がリアル充実してるのを確認するためのサークルと化してて
何となくアニメにしろ何にしろ、サークルで扱えるのはリアル満喫できそうなモノしかないと思えてきた。
私も特典目当てで3回めの視聴をしてきたんだけど、3回目くらいだと普通に映画楽しめる。
でも横に座ったお姉さんは特典の内容みて直ぐに席を立って出て行っちゃった。
逆側に座ってたお兄さんは一日中映画見てたのか、特典でもらった色紙を何枚もアルバムみたいなのに挟んでた。その後映画が始まるとイビキかいて寝始めた。
私も特典が欲しくて行ったというのが半分あるんだけど、これだけ毎週限定特典とか出すことに少し疑問を覚える。
元々特典って映画を見てくれる人に『おまけ』で、『好意』で出してくれているものだと思うんだけど、今は明らかに少しでもお金を出させるためにやってるよね…
よく、(私を含めた)アニオタがAKB商法を馬鹿にする(※)けど、全く同じことだなぁとね。
あれは握手券とか投票券?を求めて同じCDをたくさん買うけど、ラブライブも特典を求めて同じ映画の券をたくさん買うっていう。
メインは映画の券なんだけど、でもそれにお金を払っているというよりは特典にお金を払ってるっていうね。
それなら普通に特典を商品として売ってくれたほうが良くない?ってすごく思うんですけど、わざわざ映画のチケットを買ってもらわないといけない何かがあるんだろうか。
特典を商品として売ってしまうと単価が下がるとかなんだろうか。
特典にして数を限定するから転売もアホみたいなことになるし、これってすごい不健全だしお客さんからするとすごく不幸な状況だと思う。
売る側も普通に商品として売ればちゃんと売上が立つと思うんだけどどうなんだろう。
なんかこういう商売の方法がこれ以上はやらないでほしいなぁッって思ったんだけどみんなどう考えてんのかな。
※これについては私見かも知れません。
いや最近中高生くらいの子供が深夜アニメを見るために夜更かししてるって話題になったのね。
そういえば中高生を中心にラブライブなどのアイドルアニメが隆盛してるじゃない。
そこで思ったのだけど、深夜アニメは本来大きなお友達向けに放送時間を遅くしてるものだと定義されてた気がする。
つまり元々深夜アニメは大友向けだったのだけど、それが今では中高生も小さなお友達として視聴している事になる。
現にラブライバーは中高生中心だ。
深夜アニメは大友の為にあるというのをそろそろ見直すべき時でないかと思う。
要は深夜の3時4時にアニメを放送する局なんかもあるけど、その時間まで中高生が起きなきゃいけなくなるでしょ。
彼らは寝る間も惜しんで深夜アニメを視聴する。
だけどそのせいで国民の三大義務である教育の義務が疎かになってしまう。
そこで深夜アニメは3時以降放送しないようにするべきだと思う。
そろそろ大人向けという認識を改めなければいけない時じゃないのか、と思う。
単に絵を動かせばアニメーション、アニメ化だと思ってんじゃねえよ製作者さんよお!!
GATEはそもそも原作から政治的内容がアレすぎて星新一的アイデア一発勝負みたいな小説をそのまま漫画にした。
その漫画の絵、そのまま絵を動かしてるからつまらないものが動いてもつまらない。
それが声優は4コマ漫画だと面白いんでしょう。アニメ版は野沢雅子や田村ゆかりも出てきてアニメファンは楽しめる。
ただこれは、職業紹介ビデオや声優養成所説明会で流すVTRなら満点だ。声優の仕事がよく分かる。
だがそれゆえアニメとして見ているぶんには致命的に、物語がない。先に声優あるあるネタ先行でそのためにストーリーを作りキャラを動かしてるから
キャラはただ声優業界の説明のためにいるのだ。途中にやたら頻繁に用語など紹介するキャラが出てきてテンポが悪い。説明はこいつに任せて、
声優キャラはひたすら物語を追うべきじゃないの??オーディションを受けることすら困難な新人声優たちが出てくるが、それに比べて最初から恵まれてるメインキャラの3人たち。もうとんとん拍子にwebラジオだがなぜプロデューサーがこいつらに目をつけたか分からない。それくらいキャラに物語も魅力も伝わらない。
さらにズルいのは本当の業界の暗部なんて描こうともしない姿勢だ。SHIROBAKOですら政治的キャスティングが行われる会議がある。花澤香菜や雨宮天のようにゴリ推しされてる状況はみんな知ってても、知らないふりを強要するかのように「全てオーディションです」と繰り返される。
gleeをパクらなきゃラブライブの絵を作れない京極尚彦は、漫画をそのまま動かせばいいとしか思ってないから細かな設定を説得力をあるものに変えられないし、浅野真澄も4コマを動かせばアニメ化だと思ってるから、小ネタばかりに走ってだらだらした紹介VTRになってる事に気づかない。
予想以上にしっかりした内容だった。
少なくとも「周囲の要望と利益のために続けるか、きっぱり辞めるか」という話を他の萌えアニメで見た記憶はない。
少年ジャンプ読者としては終わり時を逃したアレやアレを思い出して感慨深い。
事前に「ラブライブは可愛いだけで内容はない」的な批評を見かけたが、さすがにその人は何を見てたんだろう…?と思わざるを得ない。
ただ(尺に収めるため色々カットした結果とは思うが)場面がポンポン飛んだり、現実かイメージか分かりにくくて戸惑うところはいくつかあった。
ムビマスが非常に丁寧で段階を踏んだ描写を行っていた一方で、話自体は「才能がなくて夢を諦めかけていたけど説得されてまた頑張ることにした」というありきたり極まりないものだったのとは好対照である。