俺は、最近、他人をステータスで見ている。というと非人間的な感じがするが、そうじゃない。
たとえば、「建築家×得意料理はオムレツ×身長170センチ台×心臓病持ち」こんだけ条件をかけると、多分当てはまる人はいないかもしれない。
こんな感じで、ある程度ステータスで分割すると、その人の『独自性』が見える。
ありきたりな個性をいくつか連続で持ってる人格ってのは、その人だけ。その人と関わってる自分は、その属性を持ってる唯一な人相手に、『実験』できている。って感じる。
もちろん、こんな考え方は、ナチュラルじゃない。面白いと自分で思ってるからやってるだけ。
本当は、分かっている。個性なんか無い。ラブライブとけいおん!のキャラの違いは見分けつかないが、記号の組み合わせで差別化している(もちろんできておらず、全員無個性)だけど、そこで『コンテンツ』として楽しめる要素がある。
こんだけ並べれば、世界で一つのキャラになる。ボツ個性だけどさ。
それでも、作品を作ろうと思えば楽しめると思う。キャラにあわせて話作るから、キャラが勝手に動いて創作の楽しみを与えてくれる。
これと同じように、つまんねー人としか付き合えない俺でも、一応楽しめる。
もちろん、その人ありのままでの付き合いは楽しいけど、いかんせん、そういう付き合いはある程度時間がかかる。
現代はスピードの時代、一期一会。それを楽しむには、どーしても、そうなる。
毎クール変わるアニメのキャラで楽しむように。髪の色しか変わらないような、そういうものを。
俺は、こういう感じの思考や手法が次々でてくるところが、人生面白いなって感じる。
別の例だが、昔から俺は小説を書くとき、まず登場人物をABCDEなど作る、大まかなテーマを決める。で、それぞれキャラを作る。
で、その後は、
場面1:AE
場面2:CE
場面3:ABC
場面4:D
などと、場面数とその場面にトウジョウする登場人物だけまず決める。
その後、「この2人が一緒にいたらどういうこするかな?」と考える。これを場面数だけ繰り返して。
全体として、『群像激』になるようにする。
こんな感じ。