はてなキーワード: 現代文明とは
一、まえがき
今年は中国立憲百年、「世界人権宣言」公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。こうした普遍的価値と基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である。21世紀の中国がどこに向かうのか。この種の権威主義的統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である。
19世紀中葉の歴史の激変は、中国の伝統的専制制度の腐敗を暴露し、中華大地の「数千年間なかった大変動」の序幕を開いた。洋務運動(1860年代初頭から約30年続いた)はうつわの表面の改良(中体西用)を追求し、甲午戦争(日清戦争1894年)の敗戦で再び体制の時代遅れを暴露した。戊戌変法(1898年)は制度面での革新に触れたために、守旧派の残酷な鎮圧にあって失敗した。辛亥革命(1911年)は表面的には2000年余り続いた皇帝制度を埋葬し、アジアで最初の共和国を建国した。しかし、当時の内憂外患の歴史的条件に阻害され、共和政体はごく短命に終わり、専制主義が捲土重来した。うつわの模倣と制度更新の失敗は、先人に文化的病根に対する反省を促し、ついに「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動がおこったが、内戦の頻発と外敵の侵入により、中国政治の民主化過程は中断された。抗日戦争勝利後の中国は再び憲政をスタートさせたが、国共内戦の結果は中国を現代版全体主義の深淵に陥れた。1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。
20世紀後期の「改革開放」で、中国は毛沢東時代の普遍的貧困と絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆の生活水準は大幅に向上し、個人の経済的自由と社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間の人権と政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者も市場化と私有化の経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。中国政府は、1997年、1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会は2004年の憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済は奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産・幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れは直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。
二、我々の基本理念
中国の将来の運命を決めるこの歴史の岐路に立って、百年来の近代化の歴史を顧みたとき、下記の基本理念を再び述べる必要がある。
自由:自由は普遍的価値の核心である。言論・出版・信仰・集会・結社・移動・ストライキ・デモ行進などの権利は自由の具体的表現である。自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない。
人権:人権は国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらに有する権利である。人権保障は、政府の主な目標であり、公権力の合法性の基礎であり、また「人をもって本とす」(最近の中共のスローガン「以人為本」)の内在的要求である。中国のこれまでの毎回の政治災害はいずれも統治当局が人権を無視したことと密接に関係する。人は国家の主体であり、国家は人民に奉仕し、政府は人民のために存在するのである。
平等:ひとりひとりの人は、社会的地位・職業・性別・経済状況・人種・肌の色・宗教・政治的信条にかかわらず、その人格・尊厳・自由はみな平等である。法の下でのすべての人の平等の原則は必ず実現されなければならず、国民の社会的・経済的・文化的・政治的権利の平等の原則が実現されなければならない。
共和:共和とはすなわち「皆がともに治め、平和的に共存する」ことである。それは権力分立によるチェック・アンド・バランスと利益均衡であり、多くの利益要素・さまざまな社会集団・多元的な文化と信条を追求する集団が、平等な参加・公平な競争・共同の政治対話の基礎の上に、平和的方法で公共の事務を処理することである。
民主:もっとも基本的な意味は主権在民と民選政府である。民主には以下の基本的特徴がある。(1)政府の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民である。(2)政治的統治は人民の選択を経てなされる。(3)国民は真正の選挙権を享有し、各級政府の主要政務官吏は必ず定期的な選挙によって選ばれなければならない。(4)多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。一言でいえば、民主は政府を「民有、民治、民享」の現代的公器にする。
憲政:憲政は法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民の基本的自由と権利を保障する原則である。それは、政府の権力と行為の限界を線引きし、あわせて対応する制度的措置を提供する。
中国では、帝国皇帝の権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国の根本的な活路である。
三、我々の基本的主張
そのために、我々は責任をもって、また建設的な市民的精神によって国家政治制度と市民的権利および社会発展の諸問題について以下の具体的な主張をする。
1、憲法改正:前述の価値理念に基づいて憲法を改正し、現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を本当に人権の保証書および公権力への許可証にし、いかなる個人・団体・党派も違反してはならない実施可能な最高法規とし、中国の民主化の法的な基礎を固める。
2、権力分立:権力分立の現代的政府を作り、立法・司法・行政三権分立を保証する。法に基づく行政と責任政府の原則を確立し、行政権力の過剰な拡張を防止する。政府は納税者に対して責任を持たなければならない。中央と地方の間に権力分立とチェック・アンド・バランスの制度を確立し、中央権力は必ず憲法で授権の範囲を定められなければならず、地方は充分な自治を実施する。
3、立法民主:各級立法機関は直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。
4、司法の独立:司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の独立を行い、司法の公正を保障する。憲法裁判所を設立し、違憲審査制度をつくり、憲法の権威を守る。可及的速やかに国の法治を深刻に脅かす共産党の各級政法委員会を解散させ、公器の私用を防ぐ。
5、公器公用:軍隊の国家化を実現する。軍人は憲法に忠誠を誓い、国家に忠誠を誓わなければならない。政党組織は軍隊から退出しなければならない。軍隊の職業化レベルを高める。警察を含むすべての公務員は政治的中立を守らなければならない。公務員任用における党派差別を撤廃し、党派にかかわらず平等に任用する。
6、人権保障:人権を確実に保障し、人間の尊厳を守る。最高民意機関(国会に当たる機関)に対し責任を負う人権委員会を設立し、政府が公権力を乱用して人権を侵害することを防ぐ。とりわけ国民の人身の自由は保障されねばならず、何人も不法な逮捕・拘禁・召喚・尋問・処罰を受けない。労働教養制度(行政罰としての懲役)を廃止する。
7、公職選挙:全面的に民主選挙制度を実施し、一人一票の平等選挙を実現する。各級行政首長の直接選挙は制度化され段階的に実施されなければならない。定期的な自由競争選挙と法定の公職への国民の選挙参加は奪うことのできない基本的人権である。
8、都市と農村の平等:現行の都市と農村二元戸籍制度を廃止し、国民一律平等の憲法上の権利を実現し、国民の移動の自由の権利を保障する。
9、結社の自由:国民の結社の自由権を保障し、現行の社団登記許可制を届出制に改める。結党の禁止を撤廃し、憲法と法律により政党の行為を定め、一党独占の統治特権を廃止し、政党活動の自由と公平競争の原則を確立し、政党政治の正常化と法制化を実現する。
10、集会の自由:平和的集会・デモ・示威行動など表現の自由は、憲法の定める国民の基本的自由であり、政権党と政府は不法な干渉や違憲の制限を加えてはならない。
11、言論の自由:言論の自由・出版の自由・学術研究の自由を実現し、国民の知る権利と監督権を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、報道の規制を撤廃し、現行「刑法」中の「国家政権転覆扇動罪」条項を廃止し、言論の処罰を根絶する。
12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離を実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民の宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体〔宗教活動場所を含む〕は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。
13、国民教育:一党統治への奉仕やイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値と市民的権利を基本とする国民教育を推進し、国民意識を確立し、社会に奉仕する国民の美徳を提唱する。
14、財産の保護:私有財産権を確立し保護する。自由で開かれた市場経済制度を行い、創業の自由を保障し、行政による独占を排除する。最高民意機関に対し責任を負う国有資産管理委員会を設立し、合法的に秩序立って財産権改革を進め、財産権の帰属と責任者を明確にする。新土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。
15、財税改革:財政民主主義を確立し納税者の権利を保障する。権限と責任の明確な公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的な財政分権体系を構築する。税制の大改革を行い、税率を低減し、税制を簡素化し、税負担を公平化する。公共選択(住民投票)や民意機関(議会)の決議を経ずに、行政部門は増税・新規課税を行ってはならない。財産権改革を通じて、多元的市場主体と競争メカニズムを導入し、金融参入の敷居を下げ、民間金融の発展に条件を提供し、金融システムの活力を充分に発揮させる。
16、社会保障:全国民をカバーする社会保障制度を構築し、国民の教育・医療・養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。
17、環境保護:生態環境を保護し、持続可能な開発を提唱し、子孫と全人類に責任を果たす。国家と各級官吏は必ずそのために相応の責任を負わなければならないことを明確にする。民間組織の環境保護における参加と監督作用を発揮させる。
18、連邦共和:平等・公正の態度で(中国周辺)地域の平和と発展の維持に参加し、責任ある大国のイメージを作る。香港・マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国を樹立する。
19、正義の転換:これまでの度重なる政治運動で政治的迫害を受けた人々とその家族の名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯と良心の囚人を釈放する。すべての信仰により罪に問われた人々を釈放する。真相調査委員会を設立し歴史的事件の真相を解明し、責任を明らかにし、正義を鼓舞する。それを基礎として社会の和解を追求する。
四、結語
中国は世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、また人権理事会のメンバーとして、人類の平和事業と人権の進歩のために貢献すべきである。しかし遺憾なことに、今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明の進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない! 政治の民主改革はもう後には延ばせない。
そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、「08憲章」を発表する。我々はすべての危機感・責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野の別なく、身分にかかわらず、小異を残して大同につき、積極的に市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する。
(括弧)内は訳注。
原文:
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/8f95023140c18356340ca1d707aa70fe
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/84859dc4e976462d3665d25adcd04987
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d5a614fa9b98138bb73cd49d3e923b40
(転載自由、出典明示)
リアルで聞く機会は生涯ない人が多いと思われるのでまとめました。擁護・肯定の意図はなく敵を正しく知りましょうという啓発です。
そういう人が目立つので一般的なイメージになってますが、最大派閥は11~14歳の第二次性徴期が好きな人たちで、その多くはそれ未満には興味ないです。
たぶん幼児好きは皆さんが思うほど多くなく、普段は普通の人として振る舞っている「実は12歳OK」はヒクほど多いと思われます。
そういう人が目立つので一般的なイメージになってますが、公言できないだけで成人と両方好きな人はたくさんいます。既婚者、同年代と恋愛経験あり、年上・熟女好きを公言、などはあてになりません。
年下の彼女との交際が発覚した熟女好き芸人が言う「よく誤解されますが熟女『だけ』が好きなわけではないですよ」と似てますね。
だから「数は多くないはずだ」「治療・矯正すべきだ」と続くことが多いこの話題。医学・生物学の専門家ではないので分かりませんが、幼児に欲情しても子孫を残せないので幼児好きは多分どこかがズレているのでしょう。
一方、人類も他の動物と同じく、文明のない「自然」状態では二次性徴後速やかに妊娠・出産するのが普通で、今もジャングルの奥地の未開の部族は13歳前後で初産だそうです。
「12歳OK」は肉体的に不自然なことではなく、現代文明社会の要請が人間本来の生理とズレてしまった故の悲劇の一つと言えましょう。
はてブロプロで弱小ブログを運営しているんだが、アドセンスも付けてる
一日のアクセスは200-300程度で大したことはない
これで、1日300-500円ぐらいになる
先月は1万円ぐらい振り込まれた
アカウント停止の気配も全然ない。やりすぎなければ問題ないんだろう
最初振り込まれるまではいきなり停止だとか、難癖つけられて没収されるかとビクビクしてたけど
今となっては定期小遣い1万円ですわ
今でも十分小遣いになってるけど
google様毎月1万円のお小遣いありがとうございます
でもそう思うと、web広告出している人って無駄金部分が結構あるんだろうね
もちろん成約なんてしないから、徐々に単価は下がる
放っておくと元に戻るらしい
そういう感じでボチボチクリックしているだけで
みんなも試してみ
ひっかけとかじゃないから
あんまヒットラー言わんでいいんじゃないでしょうか(犯人本人も含む)
そもそも僕らの国はナチスドイツ並みの全体主義国家でしたし、それへの回帰を図るガチカルトが現政権に強い影響力を及ぼしている段階ですし、いやまあその辺は置いておいたとしてもハンセン氏病患者を隔離し断種したのは未だ過ぎ去ろうとしない過去でありますし、精神病患者の長期入院(社会的入院)も自称先進国の間では突出している座敷牢国家でありますし。
犯人は彼の独自基準において人間未満の輩を間引いていったらしき雰囲気が報道からは伝わってきておりますが、問題は畢竟この社会が我々が障害者をどれくらい人間扱いしてきたかという話になります。「政治的正しさにかまっている場合ではない」の実践の一つの形ですやんアレ。
まあ知的障害者の話を他人の話としてしか考えられないという向きには、彼が障害者福祉施設ではなく介護施設に勤めていたなら全介助必要な痴呆老人をばっさばっさやっていったんじゃなかろうかと申し上げたい。身体が健康であれば誰でも行き着きうる境地ですよ人生七十にして心の欲する所に従いて法を越えずと言っても心がボケちゃあしょうがないという現代文明の勝利というか敗北というか。
まあ思想信条として私は留保の無き生の肯定派ですが、その実装が介護職=ブラック労働やりがい搾取な現状につきましてはもうあちらをたてればこちらがたたないなあとお手上げ状態です。世界が平和にな〜れ。
先日旅行をした時です。
「通話はお控え下さい」の意味はそれ!? 呼び出し音が鳴っても通話はしないで延々と呼び出し音鳴りっぱなしにせよ、という意味!?なのかと思っていたのですが、しばらくして団塊世代の人と思われる男性が自分の懐からスマホをとりだし、人差し指一本で操作し始め通話を座席でし始めました。
おそらく、この人は、電話は家か事務所にあるもので、電車の中にあるわけが無い、と思っていたのだと思います。
そして電車のアナウンス「通話はデッキでお願いします」の文言も「そもそも電車の中で通話なんてあり得ない。それに「デッキ」って横文字は何?」と、現代文明に付いてこられない方だったのかなーと思い、少し哀れんでみました。
「マナーが無い」と切り捨てるのは簡単ですが、可哀想な旧人だと思うと、スマホを使おうと一生懸命現代文明についてこようとしている姿が健気じゃありませんか。思うに、その男性が人生の大半を過ごしてきた中で携帯・スマホの類いが無い時代の方が長いのですから、きっと無くても生活出来ると思うのです。何も無理に使う必要は無いと思うんですけどね。
秋葉原を歩いていた時です。
煙草をふかして、しかも吸い終わった吸い殻をその辺に捨てる男性がいました。
秋葉原近辺が、喫煙禁止区域になったのもかなり前の事ですから、きっとこの人はタイムスリップ状態だったのでしょう。しかもその辺にポイ捨てする所を見ると、昔の宮崎駿のアニメでは煙草のポイ捨てシーンが多かったですから、その影響を受けているのかもしれません。ロリ動画が影響を与えて犯罪に走る、と言われるように、多分この人も名作と言われる「宮崎アニメ」を見て影響を受けたんだと思います。もちろん、その他のアニメかもしれませんし、それは分かりません。
あ、もしかすると、税金を多く払っている特権階級の人かもしれませんね。税金を多く払っているから、喫煙禁止エリアでも免除、ポイ捨ても誰か税金で雇われた方が片付けてくれるという特権階級なんですね! 華族か武士の方なんですかね。やはりタイムスリップしてきたのだと思う方がいいかもしれません。早く江戸時代か明治時代に帰った方がいいと思いますよ。
だそうです http://mechag.asks.jp/545295.html
そしたら1分足らずで消されたよワロータ
内向的で優秀な人物はたくさんいるが、
内向的な人がすべて優秀とは限りませんね。
その文章にも表れてますが
あなたには整然とした思考がないようです。
整然とした理論にまとめることも苦手なようです。
読者になにも伝わっていないからです。
たとえばこの記事の最後のほうを読んでる人は、
こういうふうに思います:
* * *
逆にいうと、すべてを一人の人間で完結させる内向型より
単純な思考をもちながらも、協力・分業(個々の専門化つまり現代文明の基礎)を得意とする外向型人類のほうが文明を発達させたといえましょう。
あれ、え、ほんとうに内向型>外向型なんですか?
”高度に思考する・内向型”を自負しながら
* * *
せめてそれくらいはなんとかしてみてください。
殺害数トップ50と称する対人戦ランキングが13位までしかない 参加者が13人
http://shaiya.jp/community/ranking1_top50.html
http://megalodon.jp/2011-1206-0908-11/shaiya.jp/community/ranking1_top50.html
http://shaiya.jp/community/ranking1_job.html
http://megalodon.jp/2011-1206-0909-46/shaiya.jp/community/ranking1_job.html
http://shaiya.jp/community/ranking_cr_index.html
http://megalodon.jp/2011-1206-0912-16/shaiya.jp/community/ranking_cr_index.html
2chスレッドはPart18を2年かけて消化した後、次スレは立っていない模様
シャイヤ Shaiya -Light and Darkness- part18
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/mmo/1227265628/
http://logsoku.com/thread/jfk.2ch.net/mmo/1227265628/
http://logsoku.com/thread/game13.2ch.net/mmo/1217456710/
42 :名も無き冒険者[sage]:2008/08/04(月) 18:08:15 ID:NM4j8/dt
今まともにINしてる総人口って200人くらい?
ちょっと顔出すだけとか除いたり、サブとか2PCとか除いたら実質それ以下だよね
タダゲ厨が半分、普通の課金者からプチ廃課金者(課金売りやガチャ等込みで1万円以下)が90人
廃課金するやつが10人いたとしても売り上げ100万から200万位だよね
サーバー維持費(数十万?)、開発費用(月当たりで数十万?)、運営資金(バイト数人社員数人で100万前後?)
それ以外にも雑費かかるだろうし赤字じゃね?これで月額だったら完全にサービス終わってたな
単純計算するだけで今後月額MMOは日本ではやらないんだろうな~って思えてきた
48 :名も無き冒険者[sage]:2008/08/05(火) 19:12:04 ID:j6PYJRiL
あえていいところあげるとしたらグラの割に軽い
でもキャラデータが重過ぎて対人とか人集まるところがすげー重いし
蔵も貧弱だからハイスペックPCでも落ちるしやっぱダメだな・・・
どう見てもMMOツクールで金かけずに作った感強いから元はとれてるだろうね
homageもすげーシャイヤに似た安っぽい作りだけど
技術屋の俺が来ましたよ。ちなみに原子力屋ではありません。当然「原子力村」からの「利権」なんて全くもらえません(というか「原子力村」業界って学歴から考えたら決して給与水準高くないんだけどなあ。旧帝大出て日立や東芝や三菱重工に勤めても東京23区内にマンションはなかなか買えないよ。ちなみにキャリア公務員も同レベルの薄給です。「利権」って何なんだろうね?それおいしいの?)。
むしろ、失敗が許されないからこそ、
正しく科学的手法を用いて、
状況を観察し、
理論を立て、
将来を予測し、
次のステップに進む
ことが求められるのではないか?
あなたの言うとおりで、その「科学史家」(余り本気で探してないけど、どの発言か見つけられなかった)はナイーブに過ぎると思う。
「失敗が許されない」ものについては科学的手法は弱い、というのは確かにその通りなのだけれど、別に「失敗が許されない」のは原発に限らない。むしろ今回の福島の事故なんて人は死んでないわ健康被害もおそらく出ないだろうわで、「失敗」の規模は非常に大きいけど「取り返しのつく」失敗でしかないわけで、なんでみなさんそれほど原発に対してだけあんなに厳しいのかなと正直理解に苦しんでます。
人は死ぬわメキシコ湾全体が汚染されかけるわの、福島第一事故よりもっとひどい大惨事だった原油流出事故なんてみんな存在自体忘れかけてるし、あんなことがあったから「脱石油」なんて誰も言わないよね。本当は温暖化のこととか考えたら「脱火力」の方が「脱原発」よりよっぽど優先されるべきだと思うんだけれど。自然エネルギー開発はいいとして、原子力と火力の二正面作戦するなんてそれどこの旧日本軍?とか思うよね。それとも孫正義信者や原発版「ネットde真実」の人たちは「温暖化CO2原因説は原子力村の捏造」って立場なんだっけ。まあそんな仮説が正しいより核燃料サイクルが数十年内に実用化される方がよっぽど蓋然性高いと思うけどね。
失礼、話がちょっと逸れた。
いずれにしても、現代文明ってのは結構その辺はあまり綺麗事言ってられないレベルに来てると思うのよね。何せ人口が多すぎる。これだけの人間を食わせるためにはどうしたってエネルギーは必要だし多少危険なことにも手を染めなければいけない、結局そういうことなんですよ。こういうと「数十年前はもっと低い消費エネルギーで生きてきた」と言われるだろうけれど、数十年前は平均寿命も現代より短ければ公害でバタバタ人が死んでた、そういう時代だったりするわけですよ。エネルギーが足りなくなれば、確実に伝染病やら熱中症やらで弱い人からやられていく。そこはもう不可避な問題で、だったらたとえば「弱者にリスクを集中させるよりは交通事故というかたちで社会全体に分散させた上で全体としてのリスクを下げた方がマシ」という判断で車を使おう、ということになったりする。交通事故で人が死んだり傷ついたりすれば既に「取り返しのつかない」失敗を犯していることになるわけだけれど。
まあ、要は世の中って残酷だねってこと。危険な技術に手を出さなければもっと危険な目に遭うかも知れない。そのリスク自体を度外視して綺麗事なんて言ってられないよなって思うんだけどね。
現代社会で商品を売ろうと思ったら、広告宣伝は欠かせない。商品がどれだけ売れるか、どれだけ利益をあげられるかは、広告にかかっている。それゆえに、どの会社も大量の費用を広告宣伝に使っている。その結果として、雑誌や新聞が(比較的)安く読めるし、民放地上波テレビは無料で見られる。現代文明を代表する生活スタイルであるテレビ視聴を成り立たせているのは広告宣伝なのである。
商品がとても酷い場合ですら、テレビコマーシャルと営業マンの売り込みで、売り上げナンバーワンということもある。製品の品質が重要なはずのセキュリティソフトでもそういうことがあるのだ。
消費者は商品の質ではなく、テレビコマーシャルで示される商品イメージによってどの商品を買うかを決めているのである。それは結構高い買い物である車であっても、また、その後の人生にとって重要な家やマンションであっても、商品イメージが購入の強い動機になっている。商品のイメージと実質の差から、広告宣伝費が支払われているとも考えられる。そして広告宣伝費によってテレビ局や雑誌社は成立しているのだ。
農畜産物も同様に、テレビコマーシャルとブランドイメージで購入されている。むしろ日本の高い農畜産物を消費者が購入しているのは、ブランドイメージがあればこそだと言えよう。
消費者は広告宣伝によって作られた商品イメージによって商品を買っているのだから、何らかの別の原因によって商品イメージが低下すれば、商品を買わなくなるのは当然である。
また、広告宣伝関連業界にとってみれば、せっかく作り上げた商品イメージが、別の理由によって低下するのは実に嫌なことであろう。それゆえ、広告宣伝関連業界は声を大にして叫ぶのである。
「風評に惑わされないで!」と
多かったのは、恒星を覆う技術があったとして、全天に信号を送る動機がない、侵略されるかもしれないじゃないか、という話。これは、タイトルのつけ方が悪かった。「恒星を覆う程度の技術があって、他の知的生命体と積極的に交信する意図を持つ文明は地球の近くにいなさそう」という意味だった。例えば侵略を恐れるなどして、交信の意図を持たない知的生命体がいて、逆に他の知的生命体に見つからないように技術を発展させる可能性も、当然あると思う。が、そういう、自分達を秘匿する技術を発展させた文明は、もとから地球の技術じゃ探知しようがないと思う。仮に、彼らの存在を示唆する現象を地球が探査したとしても、交信意図のない知的生命体とは交信できないので、探知した現象が自然現象なのか人工的な現象なのかなのか確認しようががない。だから、最初から交信の意図がない知的生命体は、いるかもしれないが、探すだけ無駄だと思って議論から除外してる。
変光星と誤認されて終わりだという意見があるが、誤認されないように点滅する方法はいくらでもある。例えば、映画コンタクトみたいに、素数パターンで点滅してみるとか。
自分の母星でやる気にはならない、という意見があるが、自分もそう思う。ダイソン球作れるぐらいの文明なら、隣接する恒星系に到達する技術ぐらいは当然持ってるだろうから、やるんだったら、攻撃されても大丈夫なように、自分から離れた恒星でやるんじゃ。別に、母星でやるかどうかは、議論の本質じゃないんで、どうでも良い。
高度な文明を持った宇宙人がいる・いないの話になると、いつも、「調べてみなきゃわかんないよね」っていう話になってつまらん。「恒星を覆える程度の宇宙人は銀河系内の近くにはいなさそう」は言えるんじゃないか、と思ってちょっと考えてみた。
文明が高度になれば、恒星を構築物で覆ってエネルギーを取り出すだろう、と言われていて、このような構築物のことをダイソン球という。ダイソン球というのは、要は宇宙規模のダムで、水源に対してダムを作って水の流れをせき止めて水力発電などに利用するのと同じように、恒星という熱源を覆って放射線や粒子線の流れをせき止めてエネルギーを取り出す、という方法だ。ダイソン球を使うのと同じ規模のエネルギーが欲しいとなると、ダイソン球以外の方法でダイソン球より低コストにエネルギーを取り出す方法はちょっと思いつかないから、たぶん、そのレベルのエネルギーが必要な文明はダイソン球を使うだろう、という予想は成り立つ。
ダイソン球が作れる程度の技術を持ち、自分たちの存在を知らせる意思のある文明が存在するならば、ダイソン球で恒星を覆う量を調節する方法で信号を送ってくるはずだと思う。ダムはずっとせき止めっぱなしだと崩壊してしまうので、どのダムもせき止める量を調節出来るようになっている。ダイソン球も同じで、恒星を覆いっぱなしだと熱を発散する方法がなく、そのうち崩壊してしまうはずなので、ダイソン球を作る程度の文明があれば、必ず、「覆う量」を調節出来る仕組みにするはずだ。覆う量を調節するということは、人工的に、恒星を点滅させることが出来るということだ。恒星を点滅させることが出来れば、他の文明に自分の文明の存在を知らせる最も有効な方法になるはずだ。どの文明でも、望遠鏡さえ作って星を観測することが出来れば、よいのだから。少なくとも、他の文明に自分の文明の存在を知らしめるためにだけに、強力な電波源を作る方法よりは、有効な方法になる。そもそも、強力な電波源を作るには強力なエネルギー源が必要になり、恒星以上に強力なエネルギー源というのはなかなかない。さらに、恒星は全方向に輝いているので全方向に信号を送ることも出来る。
要するに、ダイソン球が作れれば恒星から膨大なエネルギーも取れるし、自分たちの存在を他の文明に知らせることもできて一石二鳥なので、もしダイソン球が作れるレベルの宇宙人が近くにいたなら、やってるはずだが、そのような人工的に点滅している恒星が今まで観測されていないということは、少なくとも銀河系の我々の太陽の近くには、ダイソン球が作れるレベルの高度な技術を持ち通信の意思がある文明は存在しないってことは言えるんじゃないの?ということが言いたい。
だいたい、高度な文明を持つ宇宙人がいたとして、自分の存在を他の文明に知らせるためのプロジェクトに、どれぐらいの労力を賭けると思う?どの方向のどの星にいるかも分からないのだから、自分たちの文明を発展させる「ついで」じゃないと、そういうプロジェクトに労力が回らないのではないかと思う。つまり、宇宙人がいたとしても、何かの「ついで」じゃないと、そこまで頑張って信号を送ってこないと思うのよね。パイオニア探査の金属板みたいにさ。だから、電波を送ってきてくれる、と考えるよりも、ダイソン球を作る「ついで」にそういうことをしてくれると考えたほうが合理的だと思う。地球の技術でも、後、数千年ぐらい経てば、ダイソン球を作れるぐらいのレベルに文明が達するんじゃないか、と思う。タイムマシンとかワープとかは、基本的には物理法則に反している方法だから、後、数千年経っても、物理法則に反さずに実現する方法が見つかるかどうかは分からない。物理学上のブレイクスルーが必要になる。でも、ダイソン球は別に物理法則に反したことをやろうとしているわけではないので、技術的なブレイクスルーの積み重ねで作れるはず。
追記:
補足。言いたかったことは、むしろ、「地球より優れた文明を持つ地球外知的生命体がいたら、ダイソン球ぐらい作っているだろう」なんだよね。
…というロジック。むしろ、「わざわざそのためだけの専用の機器を作る必要がある」、「パワーの問題から全方向に信号を送るのは無理」といった問題点があるのに、地球外知的生命体が送ってきてくれる「はず」の電波を調べる方が、地球の現代文明の考え方に縛られていると思うんだけど。
考えることが、そもそも否定や失敗といった-から始まる。
要は、新しいことや何か違うことをするさいには、今が駄目だからこう新しくやってみた。っていうのが普通で当たり前かと。
現代文明の否定とは、自殺者数や離職者数やストレスなど現代文明の社会で生きづらい・辛いと感じることだろう。なぜ辛さがあるかといえば、それは文明の発展により様々な恩恵を受けたが、同時に面倒くささや辛さやいろいろなものも引き込んでしまったからそういう風になったのではなかろうか。
文明社会:+100の便利さ 一方でその便利を誰かに供給する側にたったりするので、-80の苦労。合計20。
未文明社会:或る程度文明らしさをすてると、+35の便利さ -10の苦労 合計25。
単純に、自然に還る生き方をすることを妄信するひともいるだろうけど、
自分はロハスというものを、自らの欲を調整して、するとされるのバランスを丁度よいところでとめようとする生活様式だとおもってる。生産と消費のバランスと言い換えても良い。
数年前に、大学の関係でロハスな生活をしている人たちのところへ行った
愛とか平和とか本気で言っちゃう人たちが集まって農業をして暮らしている…らしい
それ自体は好きに生きればいいと思うから否定しない
ただ、不思議なのはどうしてこの人たちは現代文明を否定するのか、と…
文明って、農業こそが始まりじゃないの?ってすっごく疑問だった
現代の人たちは病んでいるとか、農業こそが自然だとか、現代文明が人をダメにしたとか、
そうかなあ…
生きることとまったく関係の無い職業や文字や道具が生まれたりして、
人は文明を築いていけたんでしょ?って私は単純に思ったんだけど…
最近のホメオパシーの現状を見て、前にロハスな人たちのとこで感じたこと、思い出した
詳しくないからよく知らないんだけど、ホメオパシーって否定の上に成り立ってるのかな。多分そうなんだろうなあ
「インターネットエクスプローラー」の「ブックマーク」という機能で気に入らない人のサイトをブックマークから外すとできるらしいですよ。
ダンコーガイは経済的な問題でアメリカの名門大を中退したというのは有名なはず。
だとすれば、ダンコーガイは書類上はともかく、実質的にはよくある高学歴人間だ。
大検とか中退なんてのは別に珍しいことでもない。それこそ京大にでも多くいるよ。
実際のところ、ダンコーガイが知識を披露している文章の多くは「その道の人にはイロハのイ」程度のことをわかりやすく書き直したものであることが多い。彼が「頭がいい」と尊敬されている部分のかなり多くは、「高学歴者」特有のスキルと共通する部分なのだ。
そんな人間が、どうしてことあるごとに学歴を目の敵にして、中卒を自称(これはある種の学歴詐称だと思う)するんだろうか。なんか意図があるのか。
自分もいい大学で勉強したのなら、学校で学べることの凄さも限界もある程度は自分でわかってるはずだろう。
学校で学べることというのは確かに限られた知識だ。だが、それが何の役にも立たないだとか社会での優秀さと何の関係もないと言ってしまうのは言い過ぎだ。
単なる知識の積み重ねは百科事典やGoogleが代替できるとうそぶく奴らは、知識の恐ろしさを知らない。現代文明はまさに、古代からの知識の集積の上に成り立っているのだ。これが「つまらないこと」であると言ってしまうのであれば、世の中に面白いことなどなにもないのではないか。
また、学校の勉強が人格形成と無関係というのも大嘘だ。何かを一生懸命努力した人間は、怠惰に過ごした人間よりは確実に何かを得ている。スポーツ選手や芸術家にたとえてみるとわかりやすい。彼らの中には社会性が欠ける人間も多くいるかもしれないが、人間性が薄っぺらい奴は少ないだろう。程度の差こそあれ、高学歴者にも似たようなことが言える。
そして、ダンコーガイを崇拝している自己啓発大好きな人たち(マッチョワナビー)の特質を見ていると大笑いだ。彼らは学歴が大嫌いだが、彼らの思考回路は受験勉強のパロディそのものなのだ。
よく考えてみるといい。就活オタクは、受験オタクと何が違う?セミナーで「コミュニケーション能力」や「人間力」を鍛え、ギョーカイ人とのコネを自慢する彼らは、模試や夏期講習などで予備校に足繁く通い、カリスマ講師を崇拝する受験生と何が違う?
ITのなんちゃってエンジニアたちも同様だ。「ITは学歴無用の実力の世界」というが、従来型の技術の世界なんて昔からそうだ。「大学は不要、Webで学べる」と言ってる人間も多いが、単にIT(というか一部のコーディング技術だね)が学問として未成熟で断片的な知識の集積だから、キーワード検索した結果を画面上で閲覧するだけで事が足りてしまっているだけの話なのだが。アカデミックの発祥期の真似事をしているとてもほほえましい世界としか俺には思えない。
もういい加減、学歴は役に立つか立たないかなんてつまらない二分法はやめたらいいのに。学歴もビジネスも所詮手段だろうが。勉強ができる人間と金を儲けられる人間はどっちが偉いかなんて、本当にくだらんよ。
本idの方、プライベートモードで使用中なんだが、私信出さないといけなくなったんで、ちょいと借りますよっと。
関係ない人読んでもつまらんよw
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080330/p1
>「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミットを批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」
なんというわら人形。一番本質的な所が全く述べられてないんだが。その記述に倣うならこう。
「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミット『をチベットに関連付けする事で、本来チベットへ向かうべきであった問題の焦点をずらし、エネルギーを分散させてしまう事』を批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」
ブコメだから適当読解で、言ってもいないことを勝手に読み取るマンはカンベンな。
要するに、自分の信奉する政治的ポジションの囚人になった馬鹿どものウチゲバで、チベットを仮想敵イデオロギー陣営の攻撃の道具として使うせいで、普通にチベットに懸念を持つだけの人の気持ちの発露を邪魔すんなよということ。まぁ普通ならそれで分かるんだが、一貫性を具体的に示せといってるんで、もうちょい詳しく説明しておくかね。
世界各国の民主化されたメディアに接する事の出来る所に住む普通の民衆が、パレスチナや昨年のミャンマーや今回のチベットといった場所で人民が生命の危機に晒されている不正義に反応して緊急的な対応を求める意思をネットを通じて表明したりデモを行ったりする訳だ。
そのような注視の蓄積は、国際的な圧力として該当国・関係国に自制を、対応の緩慢な自国の政府に対応を促す事に繋がると信じる。市井の人の感覚とはそういうものだ。
ところが、そういった時にどうもいろんなイデオロギー的な主張の臭いを放たずにはいられない連中が、その表明行動に関与する事を目論む訳だ。
例えば、サヨ系平和団体が憎くて仕方ない連中がいるようで、こぴぺ発祥と思われるものからチベット事件のまとめガイドラインのようなヘイトサイトまで立ち上げて、ここぞとばかりにサヨ系平和団体と呼ばれる団体の欺瞞を喧伝する事に血道をあげている訳だ。または、チベット虐殺抗議デモin大阪(撮影日08/03/23)このようにデモにかこつけて竹島のためにチベットをダシに使う屑とか、他にも色々ウンザリさせられるものがあるだろう。
その逆に、「チベット問題との温度差をすげえ感じた」このエントリはどうだ。
チベットを枕にしたことで、生命に関わる緊急性も自由度も違う、直接関連する属性といえば少数民族に対する弾圧という話を「もしチベットについて語るのであればアイヌについても同じレベルで語れ!」とばかりに賭け金を引き上げ、市井の人のチベットへの素朴な感情の表明に対して冷水を浴びせているのに他ならない。
そんな事は無いって?いや、そうなんだよ。善良な市民と自分で名乗るほど恥知らずではない善良な市民はだれもチベットに声を上げる時にイデオロギー問題まで関わりあいたくないんだ。君が、『なぜなら、最初から「チベット「も」」問題であることを認めているからだ。』と主張し、『主観的には、一貫したものを作ろうと考えている、行動しているつもりではある』のであれば尚更、チベットにコミットする際には、今は緊急性と結束したシンプルなメッセージが要求されている事だと判断をして、アイヌに関する問題については、絡めない細心の努力をしなければならないんだよ。
わしがチベットについてはてぶで一貫していっているのはそれだけの事だよ。だから、わしの中でとりたてて「中国が嫌い」なんていう要素を見出す事ができないんだ、期待に添えなくてすまんね。
まぁそうは言っても、アイヌについて言及すべきではないという主張については不満は残るだろうし、そういえば
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080326%23p2
この辺でカリカリきてる人も居るようだし、「抑圧者側」とか選べない属人論法という煽りもあるので、件のアイヌデモについて思うところも語っておくか。
まずは件のデモの、配布されたパンフレットにあったという主張をみてみる。
> 差別は貧困を拡大し、貧困はさらにいっそうの差別を生み、生活環境、子弟の進学状況などでも格差をひろげているのが現状です。
この主張は要するに、現代文明の日本人として普通の水準の生活を送らせろという主張なのだから、アイヌである事を主張するのは矛盾してるんじゃね?
このグループの主張を見るに、アイヌゆえにというのがあるが、それこそアファーマティブアクションの負の側面がここまで明らかになっている今なお、部落差別の利権構造と同じ泥沼へ、自ら色をつけて堕ちていくようにしか思えない訳で。痛いニュースに取り上げられた反応は、チベットとは関係なくて、そういう手口をやる人間特有のあさましい部分を見透かしての反応なのではないかな。童話の青い鳥の食事に飛びついてしまった事を認められない自分の内面までは、社会には救えないんだよ。
それに対して、わしの言ってるのは、イオル(狩場)ごと返還して生活が成り立つように、アイヌのアイデンティティに対して本当に誇りを持っている者こそ望む物を渡すべきだと主張してるのだが。
そもそも、大部分のアイヌは二風谷ダムの立ち退きには生活向上を引き換えに同意した訳で、その中で強制収用と戦い抜いたのは、二軒だけだったというのは前提でよいよね?そうやって誇りを守った萱野茂も亡くなった状況で、本当に返還して、覚悟なしに単なる山地でどう過ごすのかと。本物のアイヌの生活はサスティナブルな生活様態の先達として敬意を払うべき対象であるが、その厳しさも想像できるからこそ、実践する覚悟は問われても仕方ないんでは?覚悟が無いなら、文化は博物館の中に入れて、日本人の人権の範囲で生活向上を求めるしかないじゃない。
地図を見てたら、この地域なんか典型的な間延びした生活前線であるな。持続可能な生活様態への変革が至上命題だと常々主張しているわし的にも、是非ともこの近辺の非アイヌ住民には、平取ダム作れとかゴネる下流住民ごとまとめて、集約されたコンパクトシティへと移住して頂いて、北海道経済を疲弊させているインフラコストの無駄を省ければ効率もよくて一石二鳥でもあり、実現していただきたいな。
この記事の追記的な話なんだけど、もしヒトの繁殖スタイルがそうしたものだったら、果たして文明って今みたいに発達したのだろうか。
オスはメスにアピールして繁殖の権利を得るために、食料確保や生活環境の整備・安全保障などのサービスをやっきになって提供し、そのことが経済や文化の発展につながったというようにも考えられる。
「文明は男が作ったもの」って言うと反発されるかもしれないが、それはある程度は事実としか言いようがない。で、現代文明において支配的な価値観はやっぱり男系社会のものだし。
もしのうのうと過ごして適当にセックスできるって環境なら、男は多分そんなにはがんばらないんじゃないかな。
で、その場合は例えば国家とかの巨大な共同体が発生したかどうかもわからんし、個体のオス同士の小競り合いは発生するとしても、集団と集団が戦闘行為を行う「戦争」なんてものもそもそも発想すらしないかもしれん。「戦争」なんて完全に男の仕事だし。おお、元増田にやっとつながったぜ。
まあ、女性主導でも経済なり文化なりの文明は発展したかもしれないけど(確かめる方法はないが)、それは現代文明とはかなり違った形のものになるのではないかと思う。
だから、「浮気がダメなのはなぜか」みたいなちょっとした倫理観でも、実は社会のあり方に相当広範囲な関連性を持っていると考えられる。
だとすると、
というのも、あながち間違いではないかもしれん。
ただし、そうした倫理観は「メディアの悪影響」といったレベルで決定されたものではないだろうし、その変更は社会や個々人のあり方を根底から変えることに等しいのでおそらく不可能だと思うが。