はてなキーワード: 善良な市民とは
例えば
「黒人の犯罪率が高いのは単なる事実なので、黒人を警戒するのは善良な市民の権利。私はマイケル・ジャクソンやマイケル・ジョーダンのファンなのに、黒人差別者なわけがないだろう」
などだ。
ここではわかりやすく黒人を挙げたので「そうだそうだ」と思う人もおるだろうが、おそらく貴方もまた同じような論法で何かを差別している。
ジャップオスとか、アップデートされてない田舎の高齢者とか、キモオタとか、AV女優とか、日本人とか。
杉田水脈だって「アイヌを自称していつまでも公金チューチューしようとしているコスプレおばさんを批判しただけ。普通のアイヌのことはなんとも思っていないので差別ではない」と本気で思っているだろう。
「誠実な人を搾取する」ことなんだよな。一般的な、もっとも普通の日本人たちが。
日本では「他人に誠実にする」と「そういう人だから、何をしても許される」という認識になる。
他人のために尽くすということが、「それが好きな人だから、甘えて良い」と馬鹿みたいな解釈になる。
結果どうなるかと言うと、世の中のためになる人ほど「すり潰す」。
良い人、有能な人ほどすぐに使いつぶされて居なくなる。
それでいながら、その主体である多くの日本人は、「なんで良い人が世の中を変えてくれないんだろう」と、本気で他力本願で思えるんだよな。
激しく怒りを覚えた。
小学4年生の娘と外出中のこと。眼の前を通り過ぎたタクシーに目を疑った。
見覚えのあるオレンジと白のストライプ。後ろ姿のフォルムはまさにTENGAそのものだった。
子どもも当たり前に歩いている都会のど真ん中、まだ太陽も頭の真上の高さにあるような時間帯にだ。
娘は無邪気に「何あれ。かわいいね」などと指をさして笑っている。
ふざけるな。
日本のタクシー会社はお金さえ貰えれば何にでも魂を売るような守銭奴に成り下がったのか。
善良な市民を騙してお金をむしり取るホストを大音量とともに宣伝するトラックと、そうしてむしり取られたお金を風俗か何かの怪しいバイトに陥れようとする大音量とともに高収入を叫ぶトラックと、TENGAのタクシーとでは何が違うというのか。
恥を知れ。
くやしくて娘の手を握りながら涙が出た。
日本はもう終わりだ。いやとっくに終わっていたに違いない。
やっていいことと悪いことがあることを、身をもって知るが良い。
みたいな誤解が生まれる前に、背面にも広告主の名前を書いたほうがいいと思いました。
後ろ姿がそのものすぎるんよ。
==== 追記 ====
書いた直後に全然反応がなかったのに、今見たら色々コメントがついていて驚きました。
ブコメを読んだら、結構な数の人が怒っていて、私の中の善良な市民感覚が、「悪いことをしてしまった」という後悔の念を自然と抱かせましたが、落ち着いて考え直してみると、別にそう悪いわけでもないなという気もしています。とりあえず、これが率直なところです。
・「不快」で他人の発言を抑圧しようとするのを表現規制って言うんじゃなかったっけ
・自分の意思にそぐわないからと言って他人の言動を制限しようという発想かー。上手くいきそう?
・自分の不快感のために他人の自由を制限できると思ってるんかな
・不快に思うのは勝手だが、人の発話の自由を制限しようとするのは何様のつもりだろうと思うし、方言の利用を咎めることも更に最悪って感じがする(私は方言コスプレをポジティブにとらえている)
これらの意見は大きくは、自分の不快を理由に他人の行動を制限するのは駄目だ・許されていないという意見だと理解しています。この「制限」というのが、肉体的な拘束や洗脳のように、相手の権利を蹂躙するものならば許されないと思いますが、「不快だからやめろ」と言ったり、ネットに書いたりするのは全く正当な権利だと思っています(アホとかいうのは良くないですが)。こういう自由はむしろ私たちに与えられている非常に重要な権利だと思いますし、これを封じる方がよっぽど表現規制でしょう。一応誤解のないよう言っておくと、私は他人の自由を規制できるとは思っていません。ただ「やめろ」と言うのはありということです。
「上手くいきそう?」については、無理そうって感じです。本文に書いたように、たまたま「なんよ」に連続で遭遇した勢いで書いたので、見通しは特にありません。
・たった100文字のブコメでネイティブの「なんよ」と非ネイティブの「なんよ」の見分けがつくんか!すごいのう〜!うち岡山出身じゃけどようわからんわ〜!!日本人口のほぼ半分は西日本に住んどるって知っとる?
仰る通りで、つきませんね。ただ私の観測してきた「なんよ」使用者数からいって、ノンネイティブが使っているのは間違いないと思ったので、それらの人に届けばいいと思いました。誤算としては、私が思っていたより「なんよ」圏が大きかったことです。でも一定数のノンネイティブには届いたと思います。
他のブコメも含め、関西全域で使われているみたいな主張もありましたが、流石にそれはないんじゃないのとは思います。私は十年ほど関西に住んでいましたが、ほとんど出会ったことがありません。とはいえ私は交友関係が狭いのであれですが。局在しているってのが一番ありそうな気がします。
・「他人の言動に無思慮に追従してしまう主体性のなさへの嫌悪」「「なんよ うざい」、「なんよ 気持ち悪い」が上位に上がるので、軽蔑的な印象を持つ人はそれなりにいるようだ」露骨なブーメランだし釣りなんよな?
これはつまらない意見ですが、トラバにも同様の内容があったので返答しておきます。読めば明らかなように私は不快に思う理由をメインで書いています。そして、他人の意見を参照しているのは論理の補強のためです。つまり、他の人たちも嫌悪しているようだから、その嫌悪は必ずしも独りよがりではないはずだという論理です。これは普通に読めばわかることだと思いますし、こんなのは本筋からずれた瑣末な部分です。もうちょっと文章を大局的に捉える訓練をしては?
・他者への解像度を想像だけで上げようとするとそれは自分の投影になると思う。そういう人なのであろうという想像は自身の内面を紹介するような感じがするので私はしたいとは思わないかな。
==== 以上追記 ====
前から気になっているんだけど、ここ数年「じゃないんよ」とか「違うんよ」とか「必然なんよ」みたいに「〜んよ」と言う語尾(?)を使う人をよく見る。元々は九州とか中国地方あたりの方言なんだろうけど、そうじゃない人も多く使っていると思う。私はこの語尾が嫌いで、見聞きするたびに少しイラっとくるんだけども、今日はてブを見ていたら短時間に三度ほど見てしまって、これは警鐘を鳴らすべきだと思った。
この語尾を使っている人たちが、なんの影響で使い始めたかは知らないけれど(千鳥の影響だと推測しているが)、これは元々方言であって、ノンネイティブの人が使うのは問題ではないが、エセ関西弁と同じで薄ら寒い。ネイティブの人が使うのは別にいい。これは偏見という自覚はあるけども、私はこの言葉遣いをした時点でメタ認知能力に欠けたアホではないかと懸念を抱く。
「なんよ」を使っている人は以下の点について自問してほしい:
2. どのような人の前でそのような言葉遣いができるか?
1で無意識に流行り(?)の口調を真似て使ってしまっていたという人は、この機にやめてはどうか?小中学生の頃に、無意識に他人の口調や言葉遣いを真似したり、お笑い芸人のギャグを真似したりする人がいただろう。子供なら無邪気で済むかもしれないが、大人がしていたら見苦しい。あなたがしているのはそういう無分別な子供じみた振る舞いだ。
2については、そもそもカジュアルな言葉遣いだから目上の人には使わないだろうが、ただ、例えば立場としては対等でも、適切に自分を評価して欲しいと思う相手に、そのような言葉遣いをするだろうか?ちょっとアホっぽいからやめようと思わないだろうか?もしそうならば、あなたは一定の状況下ではアホっぽい振る舞いをしていたことになる。自分の言葉遣いがどういう印象を相手に与えるかにもう少し意識的になってはどうだろうか?
ここまで書いて思ったけれども、私が「なんよ」を不快に思う理由の根っこは、他人の言動に無思慮に追従してしまう主体性のなさへの嫌悪感にあるのではないかと思った。同じ特徴的な言葉遣いでも、例えば一人称に「おいら」を使ったり、語尾が「〜なのさ」の人にこれまで出会ったことがあるが、全く不快には思わず、単にそういう人なのだと感じた(多少面食らったが)。しかし、「なんよ」は私には同じような特徴としてではなく、自分が他人からどう見えるかを認識する能力(メタ認知能力)の欠如、他人と自分を簡単に同一視してしまう自他の境界の曖昧さとして映る。これが一面的な見方であることは重々承知しているけれども、限られた情報から他人を判断する必要上、一定程度は合理的だとも思う。私のような考えを持つ人がどれだけいるかは分からないけれども、google で「なんよ」と打つと「なんよ うざい」、「なんよ 気持ち悪い」が上位に上がるので、軽蔑的な印象を持つ人はそれなりにいるようだ。なんらかの強い理由がなければ今後は使わないで欲しい。
「税金払うとしんどいくらいびんぼうである」ことを証明するのがけっこう手間なので、時給とかコスパとか考慮して判断してください。
「金があるならいくらでも税金は払う気があるが金がない」人を見捨てるようなことはありません。
ただし、「金はあるが税金は払う気がない」人は悪人とみなしてどこまでも追い詰めます。
"善良な市民"とみなされたい場合は、税金を払うお金がないと必ず前もって(督促とか来る前に)申告申請してください。
役所税務署的には「金がないので税金を払わない」と「金はあるが税金を払わない」を事前に区別する方法がありません。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/1c3af1b769be2877e63b96860c681b5a5cc763a4
インボイス制度廃止を求める署名の受け取りについてX(旧Twitter)で議論になっているが、受け取らなかった事実を批判している人と、ネットで集めた署名を直接受け取ってもらおうとしていたことを批判している人とで、考えの根底が違うんだろうなと見ていて思う。
ネット署名を直接受け取ってもらおうとしたことを批判している人は、法律で書かれているというルールと、テロ対策という観点から、郵送するなり、法的効力のある方法を取るなりといったことをするべきだと言っている。私もこちら側の意見だ。過去何度も受け取り拒否され、その度に先方が求めるものを用意したのに拒否されたと言っているが、だからと言って向こうが「郵送しろ」といったものを無視して直接手渡しでの受け取りを強要していいことにはならない。受け取ってもらおうと持っていくことは別に良いとは思うが、ルールに則ってない以上、その結果が自分の思い通りにいかなかったことを批判するべきではないと私は思う。だって直接受け取ることは、義務ではないのだから。
けれど受け取らなかった事実を批判している人は、義務ではなくても受け取るべきだったと言う。たとえルールに則ってなくても、総理が「聞く力」を大事にしているというのなら受け取るべきだと。受け取らないなんていうことがありえない、と。「聞く力」なんて都合の良いことだけで、自分のことや自分が進めた施策を否定する人間の意見を聞く気なんて最初からないのだと。
その気持ちは理解はできる。本当に市民の声を聞く気があるのなら、どんな意見でも聞いて、知って、それに応えていくべきだとは思う。
でも、署名にしろ、嘆願書にしろ、意見書にしろ、直接受け取るべきかという点で考えると、本当にそうするべき?と疑問に思ってしまうのだ。
だって、たとえ一通でも直接受け取ってしまえば、じゃあ俺も、私も、と次々と手渡しをしてくる人間が増えるかもしれない。というか、絶対増える。受け取りたいという気持ちがあったとしても、それ全部を受け取るなんてことは、総理じゃない一国会議員でもスケジュール的に難しい時もあると思う。そうしたら、自分のは受け取ってもらえなかったと、また批判する人が絶対現れるのだ。
先に書いたように、テロへの脅威もあるはずだ。渡す紙に毒が塗られているとか、近づいた時に刃物、銃、何なら爆発物で、何かしらの攻撃を受ける可能性を考えたら、直接の受け渡しは拒否されてもおかしくない。絶対ないなんて確証はないのだから。たとえ、ただ自分達の想いを伝えたくて、多くの人の署名を集めて持ってきた善良な市民だとしても、そんなことは他人からすれば分からない。ならば、最初から手渡しは拒否するのが最も適した選択だと思う。
と、色々書いてきたけれど、インボイス制度については私も反対の立場だ。知識が疎くて、インボイスの詳細について知った(といってもしっかり理解できているのかは分からないが)のは、ネット署名を50万を目標に集めているという段階だったけれど、その署名にも参加した。
結果今は52万筆、更に増えたのならもっと、それだけの数が集まっているらしい。だが、それだけの数の市民の意見を無視した!と受け渡し拒否を批判した人の意見を見たが、申し訳ないけれど、正直、全然数少ないのではないか、と私は思っている…
いくらネット署名に数の規定はないとはいえ、有権者は1億人いる。その中の50万筆。法的効力のある署名でなくて、メールアドレスが複数あればその分だけ署名を送れるネット署名だ。
そんな人ばかりではないはずだが、極端な話、一人2回以上署名したとすれば、多くて26万人。先方が要求した30万よりも少なくなってしまう。52万、違う人が一人一人署名したと証明できない以上、そういう面でも嘆願は通らない可能性がある。
だからもっと数を集めて、メディアを利用して呼びかけるとか、力になってくれそうな議員を通すとか、その他有識者にアドバイスを求めるとか、そういう活動は今後も続けてほしいと思う。
団体の責任者の人には、私を含めインボイス制度反対の市民の意見を、責任を持って、国会に、そして総理にしっかり届けてもらいたい。
手下の人間を安く使いたがる文化はアイツが生まれるよりもずっとずっと以前、それこそ文明が誕生する前から野生の世界に存在していただろ。
自分が利益を得るために他人が勝手に苦労してくれることを望んでいるのは今の俺達も同じだ。
フェアトレードをやってないから安い服は買いませんと言ってる金持ちたちは、そもそも自分の給料を得る段階で立場の弱い人間の財布から金を抜き取って自分たちの財布に入れる作業を終えているわけで。
そこに手段を提供した武器商人みたいなのが竹中であって、実際に引き金を引き続けたのはほぼ全ての日本国民だろ。
椅子取りゲームに血眼になって参加し、「こんなのもう辞めましょう!学生時代がもっだいだい!!!」と止めもせずに未来を殺し合ってきたのは自分たちだろ。
その時に「こんなことをして若者をボコってたら年代に空白が出てあとあと出世させるための駒がなくなって組織が崩壊しますぜ」と口にしなかった当時の中高年、今の高齢者共も同じだ。
ガキ共もガキ共で「ま、アイツらの世代が完全に死ねば俺たちの頃にはちょっとは暖かくなってるだろうぜ。暖は人間の死体で取るに限るねえ」という余所余所しい態度だった。
誰もがクズだったよ。
竹中だけがクズだったなんて叫ぶには俺たちの手だって汚れきってるだろ。
「妄想の中で勝手に諸悪の根源たる絶対の黒幕が存在する設定を煮詰めて、その挙げ句に殺意を抱くなんて許されないことだ」だって?
は?
じゃあなんで皆竹中がなにか言うたびに死ねを大合唱するんだい???
滅茶苦茶なんだよ。
その場その場のその場しのぎで怒ったり諌めたり正論打ったり暴論に酔いしれたり結局はお前のお気持ち優先のポジショントーク。
もううんざりなんだよ。
「心のなかで育ったコントロール不能な憎しみが、わずかな関係性を手がかりに明確な殺意に燃え広がるという経験は俺にもある。俺にとって竹中がそれだった。でもアイツは反省のない悪党だから、善良な市民に殺意を向けるお前と違って、綺麗な殺意なんだ」ぐらい言ってみせろや!
単なる暴論にしたって、せめて自分の中で理屈の辻褄を合わせろよ!
逃げるな!
店側が客に文句つけると今度は店を叩き始めるの、ダブスタ通り越して二重人格だろ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/maidonanews.jp/article/14984918
その最たるコメントがこれ
これに限らず、客への不満をSNSにぶちまけるサービス業ってどういうつもりでやってるんだろ。こういう微妙なのはもちろん明らかに客が悪い場合でも見させられる側はただただ不快になるだけで宣伝効果マイナスとしか思
(オズワルド伊藤の声で)サービス業は不満を言っちゃダメなんだってサーーーーーーーーーーー!!!!!!
「このような行為はご遠慮ください」ってSNSで拡散してる企業アカウントなんてごまんとあるが、マイナスの宣伝効果を差し引いても経済合理性が勝つからやってるに決まってんだろ。経営してんだから。経営者を馬鹿だと思ってんのか?
あと今時点でトップコメントになってるこれもひどい。目を覆う。
まず、店主はどんな薬効の薬が入ってたかわからんゴミを置いてくのはやめろと言っている。マナーやエチケットの問題じゃなく、飲食店としての衛生管理上のリスクの問題だ。
劇薬云々という言葉に噛み付いてる人もいるが、どんな薬だろうが自分に処方されてない薬は全部毒だと考えておくのが常識。そういうもんだろ? それが入ってた容器が皿の油に浸ってるんだぞ? あなたは、よくわからない、おくすりの、ようきが、さっきまで、ひたってた、おさらで、ごはんを、たべたいですか?
それだけじゃない。
「マナーの悪さ度合いでいくと客より店主の方が上」
は? だから? これ何を言いたいの? この比較に何の意味があるの? 比較すると店主のほうが悪い、したがって、薬品ゴミを散らかして帰った客は善良な市民。まさか、そう言いたいの? そもそもマナーの問題ではない上、おれは写真を晒した店主に落ち度があったとはこれっぽっちも思っていないのだが、百万歩譲って店主に行き過ぎがあったとしても、「両方悪い」という結論にしかならん気がするんだが。
この「どっちのマナーが悪いでしょう視点」って、一体全体、どんな主張を導くための前振りなの??? コメントのご当人と星つけてる人全員に聞きたいわ。
どう反応するのが正解なの?
自分もアッ、はい。って感じの状態になると思うけど、実際こういう行動とる人ってどんな反応を期待してるんだろうか。
わからん。
こう、突然今期アニメの一推しを熱く語り始めるオタクだってさ、あ、ひょっとして今語って良い時なのかも!?って暴走列車の発車サインを読み違えて相手から何らか好意的な反応があると勘違いしてしまうからこその行動をとるのに、
学校で個人の性癖を突然語り出されても、すみません、あなたの性癖には興味がないんです・・・っでもここまで主張すると言うことは何らかの抑圧を感じているのだろうなぁ。でもどんなに頑張っても他人の性癖という究極に自分と無関係な事に対して取れる対応って無風以外になんかあるだろうか。
目の前の人間が同性が好きだと知っても、自分に取ってはパンより米派ですとかストッキングに興奮する足の臭い愛好家ですとかと同じ事なんだけど。究極どうでもいい。
アメリカだとすれ違った同性愛者に宗教的信条により突然危害を加える人間がいるらしいから、社会に対して自分達は無害で善良な市民ですよーっていう主張が死活問題なのはわかるけど、性的嗜好がなんらか善良な市民の条件を毀損するなんて考える日本人っているのか?(宗教的タブーがないという意味で)
いるとしたら、
LGBTQをカミングアウトされるより驚きだわ。
あの事件のやばいところって、日本人の若者による繁華街での白昼堂々の強盗事件っていうところだけじゃなくて、第三者の撮影によって犯罪を防ごうとする善良な市民が危険にさらされてしまうことが周知されてしまったことだと思う。
もし自分があの状況にいたとして、撮影者と通報している女性とどちらになりたいって言われたらどちらを選ぶ?
どちらでもなくて何もしないでもいいよ。
でも、少なくとも通報している側にはなりたくないって思わなかった?
何が言いたいのかというと、犯人をどうにか閉じ込めようとしてドアを締めたり、撮影者に促されて110番通報して状況を説明しているであろう女性にしてみれば、逆恨みの危険性はあっても何のメリットもないということが皆に伝わってしまったということ。
犯人がどんな行動を取るかわからない中で、あの至近距離で色々と何とかしようとしていることは本当に勇気があるし素晴らしいことだと思う。
でも、だから何?という感じ。
警察から報奨金もらえるならまだしも、表彰されたって何の得にもならんでしょ。
それどころか、映像がセンセーショナル過ぎて何度も何度も繰り返し流されることで、無意味にひと目に晒し続けられることになってしまっている。
テレビでは今でこそモザイクがかかってるけど、SNSにアップでもされてたらそれを消す手段なんてないに等しい。
撮影しているから当然ではあるけど自らの姿は一切見せず、酷いのは撮影している途中で女性から「110通報しましたか?」みたいなやり取りがあって、「まだです。お願いできますか?」って答えてるところだ。
この人にしてみれば犯罪がどうこうよりも、この動画が金になるか、少なくともバズることがわかってて110番のために撮影を止めたくなかったわけだ。
まんまとあの中では一番安全な位置から動画撮影をつづけてそれが使われまくって、お金やら承認欲求やらを満たしましたとさ。めでたしめでたし。
とはならんでしょ。
この動画のせいでこの女性がどれだけ危険に晒される結果になってしまっているのか。
結局何が言いたいのかというと、こんな動画を見させられ続けたら、自分は通報する側になんてなろうと思わないだろってこと。
いつどこで自分を含んだ動画が撮影されていて、撮影者の承認欲求欲しさに無断で使われたって文句の言いようがない。
それがどういう未来になるかというと、目の前で犯罪が起こっていても、カメラが気になって自分ではアクションを起こせなくなる=犯罪の発覚や発見が遅れる=犯罪の成功率が高まる=犯罪が増えるってことだよ。
「撮影されることに躊躇して行動を起こせなくなる」っていう状況は今までだっていくらでもあっただろうけど、これをきっかけにどんどん増えることになるだろうね。
目の前で犯罪が行なわれていても、何もせず素通りする人ばっかりになるってことだよ。
その一瞬の躊躇でどれだけ生死の分かれ目になるか計り知れないけど、それで自分が死んでも助けようともせずにレンズを向けてる人間に「仕方がないね」って言えるならいいよ。
あれほどすぐ目の前で犯罪が起きてたなら、助けるか逃げるかのどちらかであって、撮影に徹する行為は大いに批判されるべきだ。
少なくとも、自分は撮影者のことをとてつもないクソ野郎だと思っている。