はてなキーワード: 少数民族とは
例えば故宮博物館、国民党が国共内戦で敗北が確定したあと、清朝が所有していた文化財を可能な限り貴重な物から持ち出して台湾に持ち込んでいる。
一部といえどもその数は膨大で、季節ごとに展示品を総入れ替えしても、倉庫には未公開品が埋もれているという話。
シナに残った圧倒的多数の文化財は「O革」の熱狂的革命行為()で歴史を抹消しているので、シナの博物館よりも台湾に行く方が文化財を見れるという。
また、日本統治時代に開発された温泉は当時の日本の名湯100選に選ばれるほど温泉の質が良く、現在でも温泉街が大都市近郊に存在している。(清潔さや温泉の運営は日本が最も優れているが)
料理は、台湾で口に合わないなら、他の極東アジアの国は全滅と言っていいほど料理は揃っている、ここで色々食べてみて、合わないならアジアの都市に旅行に行くのは辞めた方がいいレベル。
また東岸一帯は土着の少数民族が代々生活していた土地であり、明らかに中華文明とは異質の生活や文化を見ることが出来る、景勝地なので自然を見るのもいいし、
珍しい昆虫が多く生息するので昆虫博物館も多い。発展は西岸よりかなり遅れており、昭和時代の様なのんびりした質素な街が点在する。
まあ、待ち行く人が簡単な日本語を話せる国なので、外国に来ているという感覚は薄いかもしれない。でも日本と違い確実にアジアの国だよ。
多分そうはならないと思う。
最大の理由として、日本を含むいわゆる「人権派」と呼ばれる勢力に親中国な連中が相当入り込んでる点があげられる。また中国自体、自身に批判的な人間への圧力が半端無い。建国以来数十年にわたって自国内外の少数民族を苛烈に弾圧してきたあの国が、今まで国際世論の批判をまともに浴びたことがない事がそれを証明している。
最近の例では、「HOMEFRONT」というアメリカのFPSゲームがあげられる。
参考:http://www.spike.co.jp/homefront/
公式サイトの動画を見て分かる通り、朝鮮半島を武力で統一した北朝鮮が韓国や日本列島を蹂躙し、太平洋を越えてアメリカへ攻め込むというぶっ飛んだ内容。数分もの内容に「中国」は一言も出てこない。当初は米中戦争が主題だったそうだが、「スタッフが中国に一生入国できなくなるかも」という理由で北朝鮮に変更されたというアメリカ人特有の腰抜けっぷりを発揮する有様。
参考:http://www.kotaku.jp/2011/01/homefront_not_china.html
私たちの中国オフィスのスタッフがこう言いました。「重役スタッフの全員が、一生中国に入国できなくなるかもしれないってこと分かってます?」
過去にも、中国共産党によるチベット弾圧を描いた映画「セブンイヤーズインチベット」の監督と主演のブラッドピットが無期限の入国禁止措置を執られるという事もあった。
要するに、この10年ほどで「中国を批判すると損をする人間」があちこちに増えすぎて、それが当たり前になってしまった。この状況は当分の間続くだろう。ガキの裸なんかでいちいちあの国を批判するような酔狂な人間は、当分現れない。そして中国の「代用品」として日本が叩かれ続ける事になる。
・ヒロインが多数いるなら、一定の割合で黒人や少数民族を含めねばならないという”ポリティカル・コレクトネス”はおかしい。
・というか、ドラマではそういう配慮が求められるのに、リアルでそれをやったタイガー・ウッズがその点で批判されないのはおかしい。
・ウッズが黒人だからか? 白人だったら批判されるのではないか? それは逆差別ではないか?
要約するとそういうことだ。
であると言われない理由は結局、彼が黒人であることによる”政治的配慮”の部分がある。
ウッズの不倫騒動に関して、米メディアが声高に指摘できなかったことがある(小さな声での指摘はあった)。それは、「ウッズの不倫相手は皆、”白人美女”系の相手ばかりで、黒人やヒスパニックなどは含まれていない」ということだ。
少なくとも、もし架空のスーパーゴルファーの物語のドラマを作って、ヒロインを全員白人にしたら各種団体から「差別だ」と訴えられるから、ヒロインがたくさん居る中には必ず黒人その他の少数民族がいなければならない。それがアメリカメディアの現状だ。
ところが、その「白人美女しかヒロインがいない話」を現実にやった人に対して、差別だと言うことはできない。(ただしごく少数、『結局、彼は自分が黒人であることが嫌なんだ』と書いたメディアはある)。
なぜなら、”黒人である”タイガーウッズに対して、”なぜ黒人と付き合わないのか”と主張することは、『黒人女性を白人女性より下に見た上で、”白人の女は白人のもの。黒人は黒人と付き合ってれば良いんだ”ということを主張する人種隔離的言動だから』というのがその理由らしい。
なんかがおかしい気がする。
2chのエロゲ板に『黒人のヒロインがいないのは差別だ』というスレがあり、それがネタとしてしか機能していない日本の方がよほど健全だと思うのは、私が日本人だからか。
以前こんな手計算したことがある。
> 外国人、少数民族、被差別部落、障害者、貧困者(ホームレス・労務者)等
といった比較的狭義の社会的弱者の数を足して平均世帯人員をかけると国民半分超えてくる。
(女性は省いた)
そのときは
これは足してない。
> 日本人男性で、労組もないような中小企業のサラリーマン
の数は調べたことないけど、
いかにもマジョリティーに見えても国民全体から見れば大した数じゃない可能性大。
だから「庶民の」とかで訴えても票は集まりにくい。
外国人、少数民族、女性、被差別部落、障害者、貧困者(ホームレス・労務者)でもなく
創価学会員でもない.
この時点で国民のかなりの割合がふるいにかけられてる.
色々ツッコミどころあるが,
上記の点で普通の人ではないし
普通の人でも普通でない人でもそういう援助を当てにせず立派にやっている人はいる.
結局のところ,
って,言っていると読んだが,それが今の政治の問題と気がついていない人の典型.
こういう人が,
>外国人、少数民族、女性、被差別部落、障害者、貧困者(ホームレス・労務者)等の属性に当てはまったら、
>社民・共産とかリベラル左翼な人たちが立場を代弁してくれたり、生活を支援してくれたりする。
リベラル左翼が支援?そんなに手厚い支援じゃないし、支援を受けて楽な暮らしをしてるわけじゃない。
そもそもNPOみたいに政治的なスタンスとは関係ない支援団体もあるのに、君の頭の中では全部リベラル左翼なの?
>農家や経営者だったら自民党が、大企業のサラリーマンや公務員だったら民主党が、
方針に差こそあれ、どちらの政党も特定の支持層を向いてるわけじゃないよ。
ウェブサイトで政策方針でも読めば分かるが、民主党にも農業政策があるし、自民党もサラリーマンの相手をしてる。
下っ端学会員は学会と政党のために動かされてるだけだよ。偉い人が優先なのは、どこの組織でも一緒。
お前は隣の花が青く見えてるだけ。
会社横断の労組もあるし、労組があれば会社に物凄い影響力を与えられるようになるわけでもない。
政治家って、国会議員だけじゃない。市議会や県議会もあって、それぞれに議員がいる。
自分の選挙区の議員や直近の選挙に立候補した人のプロフィール、覚えているか?
政党の名前だけで判断してないか?一度くらい集会に顔を出してみて、どんな人か調べてみた?
政治家だけじゃない。お前の悩みを聞いてくれる人が、お前の近くに沢山いるはずだ。
お前は、味方がいないんじゃなくて味方をちゃんと探していないだけなんだよ。
っていうか、「彼ら」とか「自分たち」とか分けたら、そりゃ利害対立するよ。ただのレトリックだ。
「皆さんの税金をマイノリティに分配するくらいなら、給付を削って財政再建します」って政策のほうが、
「マイノリティを助けるために増税します」よりも受けがいいのは当たり前だ。
「自分たち」が「彼ら」のような境遇になる可能性を考えて、「彼ら」のためにお金を使うのは、
それだけの余裕が「自分たち」にある時でなければ、到底無理な話だ。
最初に、
と、マイノリティに女性を分類しているわけだから、マジョリティの数が多いかのような論の展開はおかしい。
残りの男性から「マイノリティ」や大企業従業員や公務員や創価学会員を取り除いたら、大して数は残らんだろう。(残る最大勢力は、老人か)
だから政治家は代弁しない。(老人の代弁はする)
宗教はいった方が早いよ。
外国人、少数民族、女性、被差別部落、障害者、貧困者(ホームレス・労務者)等の属性に当てはまったら、
社民・共産とかリベラル左翼な人たちが立場を代弁してくれたり、生活を支援してくれたりする。
農家や経営者だったら自民党が、大企業のサラリーマンや公務員だったら民主党が、
その人達の利益に沿うような政策を掲げて、政権を取ったら政策を実現してくれる。
ところが、普通の日本人男性で、労組もないような中小企業のサラリーマンの俺は、
どこに行っても利益を代弁してくれる人がいない。
俺のような日本社会でのマジョリティは、必然的に無党派にならざるを得ない。
「自分で労組作れよ」とか「自分で選挙に立候補しろ」ってのは、全く非現実的だ。
そんなことする労力の余裕なんかあるわけ無いし、労働運動して会社に睨まれたり、
立候補して落選したあとの生活を考えたら、とてもそんなことできない。
今のところ、マジョリティの利益を代弁してるのは、河村たかしみたいなポピュリストか、
「日本民族の利益」を代弁してる在特会あたりのネトウヨくらいしかない。
在特会は、暴力と無根拠な陰謀論があまりにもアレすぎて支持できないけど、
ポピュリストに減税を掲げられると、自分の利益を考えれば支持せざるをえない。
「皆さんの税金をマイノリティに分配するくらいなら、給付を削って財政再建します」って政策のほうが、
「マイノリティを助けるために増税します」よりも受けがいいのは当たり前だ。
「自分たち」が「彼ら」のような境遇になる可能性を考えて、「彼ら」のためにお金を使うのは、
それだけの余裕が「自分たち」にある時でなければ、到底無理な話だ。
今まさに生活水準が下がっているのに、他者を思うような余裕などありはしない。
「彼ら」のためではなく、「自分たち」のために分配してくれ!というのがマジョリティの本音だろう。
その本音を、政治の場で代弁してくれる人はいるのか?
リベラルはマジョリティを救わない、リバタリアニズムもマジョリティを救わない、
じゃあ結局、ナショナリズムしかないんじゃないか?
元増田です。ああ、そういう風に取られるかと思ったので補足。
私が「英語の時代」と言ったのはそういうことではなく、現在先進国の人間が誰でもその国の公用語を「国語」として、日常会話から高度な話題に至るまで読み書きできるようなことが英語において起こりうるということはないということです。中国語圏での北京語、アラブ圏での古典アラビア語、スイスでのフランス語、そういったものの地位に英語が就くことは無理です。その外の世界では英語をしゃべる集団が社会の中に形成されていないし、テレビやラジオで聞きかじっていれば身に付くなんてのはヨーロッパのゲルマン語圏でもなければ無理。
そして、エリートが英語の読み書きを寡占する状態なんてのは続きません。アンデルセンが偉人たる所以の一つは、作品を「デンマーク語で」書いたこととされています。当時デンマークでは、上流階級はフランス語、中流階級はドイツ語を話していてデンマーク語は下層階級の言葉のように扱われていたわけです(現代で敢えて近い例をこじつければ、台湾での北京語、客家語・台湾語、その他少数民族語の状況ぐらいでしょうか)が、こうした努力によってデンマーク語が独仏語にも劣らない機能を獲得することができたわけです。
「英語の支配」とは帝国主義まっさかりの19世紀に世界が逆転することです。そんなことを長く世界が許すはずはないでしょう。そして英語一極支配を肯定している「現地人」はそのうち必ずや顰蹙を買うことにも気づくべきです。
相対的少数派の東アジア、アラブ、東南アジアの大半なんかの人々だけが英語の支配する世界から取り残されていくと考えるべきです。
それだけの人間が世界の人口に占める比率は決して小さくないどころか非常に大きいわけですが。過半数になりこそしないかもしれないが、大雑把に見て3割は堅いでしょう。
となれば、たとえばアラブが(古典)アラビア語、東アジアが漢文、東南アジアがマレー語あたりで固まったとしてもこれは「ガラパゴス」とは言えず、むしろ現在の経済発展の流れが続くならばEUを上回る経済圏が出現することになる。これは「グローバル化」ではなく世界の「ブロック化」であり、つまり「英語」は「国際語」のうちの最大勢力ではあっても支配言語ではなくなってしまうわけです。要するに英語の影響力は弱まる。
ちなみに現在でもヨーロッパ人は「EUの共通語は英語よりもむしろフランス語」と意識している人は少なくないし(建前としては全言語が共通語)、アラブ圏での古典アラビア語は中国での北京語のようなもので、この地域の経済発展に伴ってこれらの言語の力が強まりこそすれ弱まることはないはずです。また、ブラックアフリカでもスワヒリ語やズールー語、東南アジアでもマレー語やインドネシア語の力が同様に強まるはずです。その方が自分たちの固有の文化(多くの場合言語も)に近いわけで、「近代語」をエリートに独占されずに誰でも学べる形になるわけですから(国民国家の出現と教育制度の整備に伴い、読み書き能力をエリートが寡占していた状態の破壊が進んだことを思い出してください)。
日中韓なんかでは確かに「そのような流れは一般化しえない」かもしれないけど、そんな地域は少数派なんだよ。地図帳と統計資料見ようぜ。インドとアフリカの人口なめんなよw
あなたに言われなくてもその程度の数字は知ってますけどね、日中韓の人口もなめんなよということです。こういう物事というのは多数決で決まるものじゃないのでね。
スペイン語、フランス語、ロシア語、ウルドゥー語etc.の「そこそこの努力で英語力を得られるインド・ヨーロッパ語族の言語を(少なくともエリート層は)日常的に使ってる地域」なんだよ。
残念ながら同じインド・ヨーロッパ語族であっても、ヒンドゥー語やウルドゥー語やペルシャ語は英語と文化が違いすぎて、もはや英語は「学びやすい言語」とは言えない。「難しいとは言えない言語」程度だ。トルコ語は日本語と文法が類似しているというが、日本人がトルコ語を理解するためには、イスラム教やオスマン朝のことをかなり体で理解しなければ礼儀作法といった文化コードまで含めたレベルでの習得は極めて困難だろう。それと同じ壁が存在する。
あなたも言ったように、高度な英語力を身につけられるのはエリート層にとどまり、それに対する非エリート層の不満は経済発展につれて急激に高まることは容易に想像できる。
なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?
しかし、例えば僕などは日記をみてもらえれば判るようにキリキリ監督に尋常ではないレベルの妬み・嫉み・恨みを抱いているが、それとこれとは別で、「CASSHERN」という映画じたいは素晴らしく面白い!と手放しで絶賛してるし、一発目でいきなりこんな凄い映画を作れてしまう紀里谷監督はリアルに天才なのでこれからも凄い映画を作り続けてほしいです!と応援してしまうのである。
つまり嫉妬の要素というのは、この際、さほど重要ではない。
CASSHERNは、人間の感情の、何かこうクリティカルな部分を直撃する映画なのだ。それゆえに、そのクリティカル・ヒットを受容できる人はハマるし、受容できない人は切れるのだろう。(受容はできるけど、もうこの手の話は飽きた、という人もいるだろう。しかしそのような人は、呆れ果てることはあっても、切れたりはしない)
CASSHERNのクリティカルさというのは、そう、ブライのセリフに集約されている。
「つまり、憎しみとは、人間也!」
さらに、キャシャーンはキャシャーンで、「人間が生きていることじたいが、人を傷つけることになる」という意味のモノローグを語っている。
・人間は、生きていることそれじたいが罪悪だ(原罪論)
これはキリスト教的な「罪」の論理であり、無神論が主流の日本では受け入れられる余地の少ないテーマといえる。性善説がベースとなっている日本でいきなり「お前の存在じたいが罪だ」といわれれば、切れる人が多いのも当然だろう。しかもこれ、漫画映画である。「敦煌」とか「砂の器」じゃないのである。アニメだよ、キャシャーンだよ。なんで漫画映画で、そんな説教されんといかんねん!という人もたくさんいるはずだ。
しかも、紀里谷は、これらの作品のテーマを、役者にセリフとして語らせてしまうのである。これがまた、この類のテーマを受容したくない人にとっては、許しがたい行為なのである。セリフで語りさえしなければ、スルーできたはずだからだ。人間は、自分の見たいものしか認識しない。従って、通常、映画を観ていても自我を脅かすようなテーマが提出されても、その部分を認識せずにフィルターをかけて消してしまうことができる。しかし、「言葉」で投げつけられてしまうと、そうはいかない。紀里谷は確信犯的にこの映画を観た全ての人間に
「憎しみとは、人間也!」
というテーマを強制的に植えつけることによって、この映画のテーマを曲解される可能性をふさいでいるわけだ。
このテーマを容認できない人にとっては、監督の独善、ということになるのだろう。
伊勢谷友介が演じる東鉄也は、一度死ぬが、LCLのようでもあり命のワインのようでもある赤いプールに肉体を沈められることにより、再び復活する。この赤いプールの中で行われる復活劇は、あたかもパプテスマのヨハネによる洗礼の儀式のようでもある。この復活により、鉄也は自らを救世主キャシャーンと名乗ることになる。もちろん、上月博士や三橋達也演じる老医師、鉄也の母みどりの幻影などが、復活した鉄也に「君の復活には、何か意味があるはずだ」「この街を守れるのか」「人々の争いを止めるのです」と、鉄也を救世主の道へと導こうとアシストするわけである。
しかし、鉄也は救世主キャシャーンとなっても、奇跡を起こすことはできず、人々はみな挫折して死ぬ。そして鉄也自身も傷つき、血まみれとなっていく。鋼鉄の扉の隙間からバラシンに刀で心臓あたりを抉られるシーンは、あたかも十字架にかけられたイエスのごとくだ。
しかもキャシャーンは抽象的に人類の業を贖罪するという存在ではない。鉄也自身が生前、殺人という罪悪を犯しているのだ。「反戦映画」ともうけとられがちなこの映画は、実は、戦争だけに反対している映画ではない。「人間存在そのものが罪だ」というテーマをもっとも端的に表現できる場こそが戦争という極限状態なので、戦場における戦闘の結果としての殺人という光景が何度も繰り返されるのだ。
が、この映画の恐ろしいというか念入りなところは、懺悔したはずの鉄也がさらにダメ押しともいうべき父殺しという罪を背負うことである。母親を寝取り、父を殺すというのは、いうまでもなくエディプス・コンプレックスなのだが、鉄也は最終的に父殺しを達成することによって、人類の原罪をことごとく背負って自殺することになる。
では、鉄也の懺悔は無駄だったのか? そう、無駄だったのだ。この映画のテーマは「憎しみとは、人間也!」なのだから。従って、鉄也は、キリストの如く原罪を背負って血に塗れ、死んでいくしかないのだ。キリストと違う点は、人類の原罪を肩代わりしたのではなく、自ら原罪を犯して死んでいくという点だけだろう。もちろん鉄也は単なる殺人犯というわけではなく、「戦争」や「愛する人を殺した殺人犯への復讐」といったどうしようもない事情がある。決して、悪意で殺人を犯したわけではない。人間存在そのものが悪なのだから、生きる限り、どうにもならない、どうしようもないのだ…したがって、救世主になるべくして復活させられた鉄也の地獄巡りは、ドアーズの「The End」の如く、母を寝取り、父を殺して完結する。「地獄の黙示録」を参照するまでもなく、フロイトの絶対的な影響下にある現代のキリストは、エディプス・コンプレックスの持ち主でなければならない。フロイトによれば、エディプス・コンプレックスこそが、人類の原罪意識の大本にあるのだから。
さらに、鉄也の父親・東博士が下層階級の出身であったことも最後に明らかになる。東博士は下層階級出身でありながら、政府側について少数民族を抑圧する側にまわり、最終的には鉄也の最大の敵となる。このあたりも、なにやらイエス・キリストの物語を髣髴とさせる。
だから、キリスト教圏では、この映画は日本からやってきた現代の救世主譚として評価されるかもしれない。
過去に、日本のアニメ映画では似たようなテーマが何度も描かれている。いうまでもなく「イデオン」と「エヴァ」がそれだが、エヴァでは、主人公のシンジが救世主となるべく人類の原罪を背負う……という流れの物語だったはずが、最後にシンジは人類の原罪を背負わずに話が途切れてしまった。「エヴァ」は、「人間の性は、悪だ」という自らのテーマに向き合うことができなかったのである。キャシャーンは、エヴァと非常に似た構造の映画であるが、主人公の手を父親の血に染めさせることによって、エヴァが途中で放棄したテーマを完結させた作品であるといえる。
もう一つ、近作で似たような映画がある。それは「マトリックス」だ。この作品は3部作だが、それぞれ救世主ネオの誕生・生・そして死を描いている。ネオもまたキリストの如く、一度死んで復活する。だが、最後には人類の原罪を背負って死ぬ道を選ぶのだ。終盤、ネオは目を焼かれて失明し、エディプス王の如く盲目となる。機械の触手に支えられて死んでゆくシーンは、やはり十字架にかけられたイエスを髣髴とさせる。
ただ、マトリックスは「何も語らない」「観客に考えさせる」というスタイルを貫いたのに対して、キャシャーンは「全てをセリフで語りつくす」「観客に議論の余地を与えない」というまったく逆のスタイルで作られている。このスタイルこそが、一種の押し付けがましさ・説教臭さ・青臭さ・傲慢さと受け取られ、反発される一因になっているのだろうと思う。だが、この説教臭さ、愚直なまでの必死さこそが、かつての邦画のひとつの魅力だったのではないだろうか。邦画の黄金時代には、説教映画が多数製作されていた。「新幹線大爆破」の宇津井健のウェットな説教や、「ノストラダムスの大予言」や「人間革命」で丹波哲郎が繰り出す強引極まりないオレ流説教。かつて、日本人はこれらの説教映画で感動して泣いていたはずである。みんな、かつては馬鹿だったのだ。
80年代以後、邦画から泥臭さが消えていくとともに、邦画の魅力は失われていった。特に、角川春樹の逮捕とホイチョイ・プロダクション的なテレビ局誘導の企画映画のブーム化以後は、有能な監督には集客力が無く、大作はどれも質を伴わない、という状況が長らく続いていた。例えば、世界レベルで評価されている黒澤清や三池崇史が、「デビルマン」を監督させてもらえないのである。宇多田ヒカルの夫であるということ以外、ほとんど映画界では実績が無く、世間にもあまり知られていなかったPV監督が従来の邦画のシステムとはまったく無関係なところで突然作り出した「CASSHERN」は、そういう硬直した邦画をとりまく閉塞構造をいきなり破壊した作品といえるのだ。
無論、システムの面だけではなく、愚直なまでに真剣かつ本気というその姿勢もまた、古くて新しいスタイルではないかと思われる。むしろこちら(熱さ)のほうが重要で、80年代から長らく続いていたシラケ世代は2001年あたりを境に終息しつつあり、70年代を最後に滅んでいたはずの愚直な熱さが求められる時代が復活しているのだ。アントニオ猪木が「馬鹿になれ」というフレーズでカリスマ化したのも単にジャイアント馬場がいなくなったからというだけではない(主にプロレスと関係ない人たちに猪木が評価されているのだから。むしろ保守的なプロレスファンは旧来のプロレスのシステムを破壊する存在である猪木を嫌っている。このあたり、CASSHERNの評価とも重なってみえる)。「馬鹿になれ」という熱くて愚かで泥臭い姿勢こそが、閉塞しつつあった日本の気分にマッチしていたのではないか。
従来なら「大人げのない幼稚な愚直さ」と嘲笑のネタにされるような熱いキャラクターがカリスマ化していく作品としては、「最強伝説・黒沢」というコミックもある。この漫画の主人公の黒沢は、中学生と本気で決闘するようなどうしようもない中年なのだが、その必死さ、熱さが、周囲の人間(主に、シラケきった若者世代)の心をわしづかみにしていく、というストーリーのようだ。
すでに我々には、冷笑や嘲笑で生きていけるほどの余裕が無いのだろう。すべてから距離を置き、自我を脅かすものすべてを嘲笑して生きていくライフスタイルは、「勝ち組」「負け組」が明確化されてしまった現代日本ではもう限界なのだ。そうなれば、道は二つ。「感動など、無い」「自分には何の値打ちもない」という悲惨な現状に気づいて、馬鹿になり、泥にまみれて足掻く道。もう一つは、「自分がこうなったのは、すべて、外部に責任がある」と犯人探しの旅に出る道だ。
僕がCASSHERNを支持するのは、紀里谷監督の製作姿勢そのものが、前者の道を示しているからだ。紀里谷の才能を持ってすれば、もっとソツなく、映像美とアクションに徹した娯楽映画を作ることだって可能だったはずだ。だが、あえてこんな熱くて泥臭くて人に嫌がられる映画を作ってしまった。というより、作らざるを得なかったのだろう。その過剰ともいえる熱さが、CASSHERNが賛否両論喧々諤々と騒がれる原動力となっていることは疑いない。こんな熱い邦画は、しばらく見なかった。いったい、いつ以来なのだろうか。
そしてこの映画のテーマもまた、後者の道…「犯人探しの旅に出る道」を遮断するべくして設定されている。そして紀里谷は、それでも「犯人探しの旅に出る道」への抜け道を探そうとする人間に、抜け道すら与えない。テーマをそのままセリフとして喋らせることによって。つまり紀里谷にとっては、作品の映画としての完成度よりも、テーマを訴えることのほうが重要だったわけで、紀里谷はここでも熱い。
このCASSHERNがどうしようもなく発散させている愚直さ、熱さこそが、実は人々に求めらていたのではないか、と思われるのだ。この映画は、冷笑させることを観た人間に許さない出鱈目な熱さを持っている。いやまあ突っ込みどころはあまりにも満載なんですが…あちこち破綻しまくってるし。だが、それだけでは絶対に済まされない映画なのだ。だからこそ、嘲笑で片付けられる人間よりもマジ切れする人間のほうが圧倒的に多いわけなのだ。僕は紀里谷監督に、もっともっと熱い映画を作り倒してもらいたい。僕自身は、熱さは持っていても、作品を作る社会的な能力が皆無なので……。
(04/5/1 本田)
タイ在住者の声「国交断ったほうがよっぽどよいと思うぞ、日本にとっては。」
ttp://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2008/01/post_1d0d.html
タイでは恋愛も売春も、(弱者の)性奴隷、家内性奴隷も、意識のうえであまり境界はないのだということにも注意すべきである。
12歳で、親、タイ人ブローカー、白人の三者の犠牲になって白人男のレンタルワイフとして売られた山岳少数民族の少女は、その翌日から普通に「ファラン(白人)のガールフレンド」と称して堂々と生活していくのである。ひょっとしたらいままでより偉そうに外を歩けるかもしれない。
そういう沙汰を(良くも?悪くも)平然と許容してきたのがタイ社会、タイ国家なのである。
それがタイの「マイペンライ」の現実の意味であり、「マイペンライ」の道義上の性格である。
タイヲタが「マイペンライだマイペンライだ」と喜んでいるのは、このような沙汰を平然と許容する道徳水準を自分は受け入れているんだという告白だと思わなければならない。
今度どこかで「マイペンライ」という言葉を見たり聞いたりしたら、それはアパートの隣の部屋に白人男が小学生のアジア人少女と逗留し、淫蕩に耽っているのを見ても何も感じず平然と暮らせる感性のことだと肝に銘じるべきである。
中国住んでるんだけどね。
昨日ニュースでゴミの仕分けについて日本ではこんなに分別してる。
我々の国も環境のために見習うべきだみたいなのやってた。
旗から見てると、経済力付いて偉そうな態度取ってる様に見えるけど、内側から見ると実は結構必死だよ。
大国であることに見合うモラルや行動指針を国民に自覚させようとかなり必死。
あとさー、中国は民主化がどうのこうのとか人権がとか言うけど、字もかけない人や一般常識が通用しない人たちが大勢いる国で民主政治とか無理だからw
この状況で選挙とかありえない、人民のモラルが低い状態で公正な選挙なんかできないよ。ありえない。
いなかの親父とかは一票100円ぐらいで売っちゃうね間違いなく。
それとね。
共産党独裁とか言うけど、トップの任期は厳密に決まっていて、かつ個人による権力の独占に対しては相当用心してるよ。
まあ確かに共産党員じゃなければいけないというのはあるんだけど、共産党ったって8000万弱もいるのよ。
しかもその8000万は中国各地から集まってきて、各地の利害を代表してるし、漢民族っていったって東西南北みればもうタダの名目でしかない、
だって話す言葉違うし(韓国語と日本語ぐらい違う)、顔つきも違うし食習慣も違う。もちろん各地の少数民族とも混血が進んでもう何民族だかわかったもんじゃない。
それに地方意識が強くて「あそこの出身の連中は***だから」なんてのは耳タコ。
そうそう、チベットとかウイグルの問題も結構複雑でね。都市部あたりじゃウイグル人なんかが集団で押し売りとかスリを働くんだけど、警察(まあ公安と呼ばれてる)は政治問題がからむので関わりたがらなかったりするのよ。
あ、あと反日とか?あれほとんど無いよ。
大体街中に日本語があふれてるし、若い世代は日本のドラマやアニメ(まあ地デジ録画の海賊版DVDなわけだけどw)見て育ってるから、日本人が思う以上に日本は身近な存在だよ。
つーか、中国来てから相当立つけどいわゆる反日的な応対をされたことは一度もないなあ。
でもまあいわゆる抗日ドラマこれは普通にガンガン放送されてる。でもこれはしょうがないよね。だってあの国の建国の歴史と切っても切り離せない出来事なんだもの。
そりゃあたまには戦争とかの話に及ぶこともあるよ。
でもそういうときは、欧米人みたいに「我々には不幸な過去があったし、かつて侵略した事実もある。個人的には非常に遺憾だと思う。」って堂々と言えば大概は満足するよ。
最後に技術とかね。
まあ、コピーだのなんだの言いたいことは色々あるだろうけど、少なくともここ数年で中国国内流通品に付いても著しくクオリティが上がってきてる。
当面はまだ日本が優位だろうけど、なにせその日本人を満足させる商品やアップルを満足させる商品を日々作ってるわけで技術が上がらないわけが無い。
昔のメイドインチャイナだと思ってると意外とビックリさせられるよ。
とまあ、グダグダになったんだけど何が言いたいかというと、中国はスケールがでかすぎる(日本10個分だし)うえにアジアの多民族国家なので単純なステレオタイプじゃ判断できないよってことが言いたかった。
ヒステリックになるんじゃなくて、冷静に相手を見極めればまあ、割と付き合える連中だと俺は思う。
-------- 下記はトラックバックから移動してきた使い慣れてなくてごめん。
ああ、いっこ忘れてた。
禁則事項に触れる検索とかするとしばらく検索ページにつながらなかったりする。
どうつながらないかっていうと、禁止されてますとかじゃない。タイムアウトしたりそもそも存在しないことになってる。
Twitter、Toutube、Facebook、Friendfeed、Picasaweb、URL短縮サービス、ポルノ全般なんかはもう常につながらない。
そりゃあGoogleも怒る。アタックされたとかより、Googleのサービスが使えないのが痛い。商売上がったり。
じゃあ中国の人民はどーおもってるのか?っていうとGoogleとかってインテリ層向けでほとんどは百度(baidu)、これで決まり。
みんなGoogleとか使わない。GMailとか使わない。GoogleTalkなんてほぼ皆無。
むしろ日本側から拒否されてるサービスとかあることに驚かされる。(著作権がらみかな?)
在中の外国人とか中国人のホワイトカラーの一部は大体VPNとかで一回外に出てからネットにアクセスしてるからあんまり検閲関係ないね。
中国、チワン族に強制不妊手術 ほかグローバルインテリジェンス
ttp://gaikoanzenhosyo.blog4.fc2.com/blog-entry-500.html
中国・広西チワン族自治区博白県で、”一人っ子政策”の徹底をはかるために当局に雇われた数百人規模の”取り締まりチーム”が、鉄パイプやハンマーで武装して村々をあらしまわり、無理やり女性を連れ去って強制不妊手術を施していた、と香港マスコミが伝えている。
産経の報道では、チワン族自治区博白県の各地で、これに反発したチワン族による数千から一万人規模の暴動が発生、治安部隊との衝突で5人が死亡したという。
これが本当なら驚愕の事実だ。
従来、中国の”一人っ子政策”は少数民族には厳格に適用されず、第二子・第三子を産んでも少数民族だけは特別待遇として許されているはずだった。
そうした少数民族への”特別待遇”こそ、漢族がチベット・ウイグル・モンゴル・チワンなど各少数民族を支配する大義名分ともなってきたのである。
近年、支配民族である漢族は、特に急速な経済発展を続ける沿岸部を中心に非常に裕福となった。そのため、一人っ子政策に違反してもさして痛くも無い罰金を払うだけで、第二子以降を出産してしまうケースが増えていると言われている。
その一方で、鉄パイプやハンマーを振りまわすチンピラを当局が雇い、被支配民族のチワン族の女性を連れ去って強制不妊手術を施していたというのである。
まるでナチスによるユダヤ・ロマ人に対する断種政策の亡霊が現代によみがえったかのようである。
日・米・欧の先進民主国家をはじめとする世界は、こうした事態を「ビジネスが大事」といったような理由で見逃しても良いのだろうか?
中国で、平和の祭典であるはずのオリンピックが開催されるのは、とても適当とは言えないし、もし北京オリンピックがこのまま開かれれば、中国にオリンピックやスポーツの政治利用を許してしまう結果となってしまう。
チャートで考えてみよう。
3.物質・物体語ならばそれは個数を数えられるモノか
うなぎは、可算名詞である。それは固形であり、概念ではない。うなぎは一匹二匹と数えられる。
I like eel.
と言った時、eel は不定の概念である。注意しなければならないのは、こうした個数を数えられる固形物において不定の概念とは、その性質そのものの概念ではないということだ。
eel と冠詞抜きの単数形で言った時、それは「ウナギ」という概念を意味するのではなく、「ウナギの肉」という数えられない具象物を意味する。一個二個と数えられる固形物には「抽象概念」は無いからだ。
I like eels.
と複数形を用いなければならない。
I like the eel.
とも言うじゃないかとの意見もあろう。もちろん、そういう言い方もする。
the にはふたつの意味合いがある。この「ふたつの意味合いがある」ということがこの定冠詞を日本人が理解する上で話をややこしくしている。
第一に意味を限定すること。
第二に全体を提示すること。
The mother loves her children. 母親というものは子供を愛するものだ。
ここで示されているのは、「母親」という性格への確信である。特定の母親ではない。母親ならば必ずそうだという全体に対する確信である。
There is a mother who loves her children. 子供たちを愛している母親がいます。
不定冠詞で示される「母親」はたまたまそういう母親がいるということだ。
I know a mother. The mother(She) loves her children. 私はある母親を知っている。その母親は子供たちを愛している。
この場合の mother につく the は全体ではなく特定の母親を指している。
「母親と言うもの」と「その母親」という意味が異なる単語が、同じ the mother という形をとる。日本人が定冠詞につまずく最大の理由が多分これだ。
Mothers love their children. 母親ってのは子供を愛するもんだよ。
全体を示す the mother を複数形にすることで、口語っぽい表現になると同時に猶予が生じる。まあなかには例外はあるかもしれんけどね、という猶予である。
これに対して、抽象語や不可算名詞、一個二個と数えられない具象物の場合は、もっと話が簡単になる(一般的な意識とは逆ですね)。
不定の場合は原形、特定したい場合は定冠詞をつければいいだけだからだ。
これで構わない。ラーメンは一個二個と数えられるものではないので、原形で抽象概念性をあらかじめ帯びている。
I like the ramen. だと味噌ラーメンなのか、来々軒のラーメンなのか、何か特定したラーメンだということになる。
これはどちらも成立する文で、しかも意味は同じながらニュアンスが違う。最初の文は、マイノリティという性質を示している。後ろの文はマイノリティという集合の中に一人だと言っている。
They are minority.
They are minorities.
複数形になると意味の違いははっきりとする。前の文は彼らはマイノリティであると言っている。後ろの文では、それらは(性質の異なった)複数のマイノリティ集団であると言っている。
262 コピペ隊(コピー&林家ペー) sage 2005/09/01(木) 09:59:08 ID:7YLjKm6z0
中国の歴史は繋がっていない
中国は漢民族と文化や言語の違う55もの少数民族からなる多民族国家
中国・韓国・北朝鮮による虐殺の多さ(虐殺は日本人の国民性に合わない)
中国はブラックホール → 世界中の経済、労働、資源、技術を飲み込む
代わりに世界に撒き散らすもの → 不況、原油価格の高騰、環境破壊、平和への脅威
北と統一して困るのは韓国
事大主義の問題
朝鮮民族の民族性は変わらない。日本が36年も統治しても変わらなかった
例え反日が無くなったとしても、小中華思想が無くならない限り日本人を差別するので友好関係は築けない
被害者を装う
263 コピペ隊(コピー&林家ペー) sage 2005/09/01(木) 10:01:49 ID:7YLjKm6z0
・現在の在日韓国・朝鮮人は密航してきたり、出稼ぎに来た人達である。
・朝鮮の人達に望まれて日韓併合条約を結び、国際法上なんの問題も無く合法的に朝鮮と合併した。
・日本の敗戦時に韓国・朝鮮人が日本人に対して集団強盗、略奪、殴打暴行、レイプ、殺人、破壊、占拠監禁、人民裁判などあらゆる犯罪を犯した。
・日本は韓国と日韓基本条約を結び無償で3億ドル(約1080億円)、有償で2億ドル(720億円)、民間借款で3億ドル、韓国内の日本の財産の全てという当時としても莫大な額の賠償をしている。
・日清戦争で日本は清と命をかけて戦い、清(中国)の属国であった朝鮮の独立を認めさせた。
・我々日本人には関係無い破綻した朝鮮銀行・韓国系銀行に3兆円もの日本の税金が使われている。
・2002年日韓ワールドカップでスタジアムを作る資金が無い韓国のために7000億円もの日本の資金が使われた。
・韓国の経済危機の時にIMF経由で日本が多額の資金を出し韓国を救った。
・日本海の漁場が韓国の漁船に荒らされまくり、水産資源が激減している。
・韓国の武装スリ団、犯罪集団によって日本人が多くの被害を受けている。
・日本での韓国人による犯罪は国籍別検挙人員第2位、不法残留第2位である(平.15年上半期)。
・韓国人は海外で悪い事をして捕まった時などにすぐ日本人のフリをする。
・韓国人はベトナム戦争に参戦した時に、ベトナム人に対して虐殺やレイプをしまくった。
・韓国は、日本や世界の文化やモノ(剣道、サムライ、生け花、サッカー、キティーちゃん等、数え挙げたらキリがない)を自分たちが最初につくったと捏造している。
鳥山明の人気少年漫画「ドラゴンボール」に登場する悪役、宇宙の帝王とすら呼ばれているフリーザを頂点とする一派。
彼らの普段の活動について、主人公である孫悟空の兄ラディッツは単行本15巻71ページで以下のように述べる。
われわれ サイヤ人は
戦闘民族だ
環境のよい星を探し
そこに住む者を
絶滅させてから
適当な星を求めている
異星人たちに
高く売るのが仕事だ
当初はサイヤ人という種族そのものがそういう「星間貿易」みたいなやり方で外貨を獲得しているのかと思いきや、74~75ページですぐに否定されてしまう。
サイヤ人は もともと
少数民族だったうえに
巨大隕石の衝突で
爆発してしまったのだ
………
のこったサイヤ人は
おまえを含めても
たったの4人しかいないのだ!
彼らはたった3人で星を売買してるのか?というとそうでもない。
単行本29巻153ページでフリーザ直属のエリート戦士集団「ギニュー特戦隊」が、登場直前まで別の星「ヤードラット」を攻略中だったと明かされている事からも、フリーザ一派とはフリーザを頂点とする様々な星の種族の戦士達の寄り合い所帯のようなものだと推測される。言うなればフリーザは派遣企業の社長で、サイヤ人を初めとする配下の戦士達は派遣社員みたいなものか。まとめると「フリーザ一派」はおおよそ以下のような存在と推測できる。
スカウターという機械の存在もこの説を補強してくれる。スカウターとは主に任意の相手の強さを数値化し表示する装置である(他にも遠方の相手との通信機能などもあるようだ)。フリーザ一派の殆どがこれを装備しているあたり、携帯電話並みにありふれた存在と言える。
星を売る商売をしているとなれば、効率的に対象となる星の原住民を排除する必要がある。そのためには、投入する戦力は常に適性に配分されなければならないのは明白だ。地球のような脆弱な民族しかいない星に、ギニュー特戦隊のようなエリート戦士を大量に投入したり、もしくはエリート戦士でなければ対応出来ない屈強な原住民がいる星に下級戦士を逐次投入して人的損害をいたずらに増やすというのは無駄以外の何物でも無い。よって排除対象の戦力を正確に把握するデバイスがラディッツのような下級戦士にまで広く普及しているのは必然と言えるだろう。
さて、ここで気になる点が出てくる。
一つは、会話の中で触れられながらも「ドラゴンボール」作品中に最後まで登場しなかった存在。前述のラディッツが語った「適当な星を求めている異星人達」である。彼らの存在は非常に厄介である。なぜなら、具体的な姿が想像しにくいからだ。
考えてみると良い。フリーザ一派のトップであるフリーザおよび彼の一族は宇宙一強いと広く認知されている(原作では父親、劇場版アニメでは兄の存在も明らかになっている)。その配下の戦士達も、質、量ともに大軍団と言うべき規模を誇っているはずだ。はっきり言って彼らを止められる存在など宇宙には存在すまい。
であるならば、相手とまともなビジネスを展開する必要があるだろうか。
何せ星を丸ごと滅ぼして商品にしてしまうような戦力・組織力をもった一派である。顧客の星も有無も言わさず収奪してしまえば良いではないか。
二つ目の気になる点は「高く売る」という表現である。「売る」という行為は基本的に、手元の商品や権利などを相手に差し出し、それと同時に相手から対価をもらい受ける事である。では、惑星丸ごと一つと同等な対価というのは存在しうるのだろうか。
仮に「売る」が物々交換を意味しているのならば、対価は少なくとも以下の条件を満たすものである必要がある。
貨幣で売買しているシチュエーションはさらに難しい。フリーザ一派以外の誰がその貨幣の価値を担保しているのか、という問題からして解決不可能。
仕事中の眠気覚まし程度にはなったが、結局結論は出ずじまいだった。誰かスパーンとこの辺を解決出来る説を頼む。
単行本21巻の扉絵特集でフリーザについて「星を集めて支配するのが趣味」と解説が。利益とか度外視の道楽でやってんのか?
もしかしたら、星の売買は副業程度の位置づけなのか?
近頃、日本のイルカ狩りに対する批判の記事、また批判の批判に関する記事ををよく目にする。
いつも決まって出てくる意見は二つあって、一つは「他国の食文化に非寛容なのはアホウ」というもので、もう一つは「だったらお前らブタもウシも食うな」というものだ。
一つ目の「他国の食文化に非寛容なのはアホウ」という意見に関してだが、これは日本人がダブルスタンダードを嫌うというか、しっかりしているというか、韓国国内でも批判の多い「イヌ食い」に対して日本人はとても寛容だ。普段、「韓国人よ、地球上からいなくなれ」とか言ってる人たちも、イヌ食いに関しては、「まあ文化だから俺たちがとやかくいうことではない」という意見がほとんどで、いろんな意味でびっくりしてしまう。
でも個人的には、「文化」という概念に疑問を感じる。例えば少し前も、割礼に関する議論が沸き起こったが、女性の陰核だの小陰唇だのを切除するというと、いくら文化だといっても問題を感じる人も多いし、もっと言えば、人柱だとか、人身御供だとか、人間の命にかかわることだって、「文化」であったわけで、仮にどこかの少数民族が文化として人柱の風習を残していたとして、それでも寛容に振舞うべきなのだろうか。
結局文化といっても、近代的な目で見たときに、近代の法に触れているわけではないし、という理由で「文化」として認められるだけで、文化か蛮行かという区別なんて、判断する時期によって異なっていくものだと思える。
もう一つの「じゃあブタもウシも食うな」とか「お前はベジタリアンなのか」とか、切り札のように言う人に聞きたいのだが、自分の友人がブタを家族のように可愛がっていて、その友人の前で、「ブタって食うと美味い」と言ってしまうのだろうか。ブタが美味いと考えていても、ブタを生き物として愛している人の前でブタを食料として扱うことを躊躇うだけの配慮は持っていないのだろうか。たしかに豚肉は美味いけど、ブタを肉として考えていない人の前では、それを認めるのが友人だし、人間の優しさなのではないだろうか。
ネットの議論を見ていると、「論理的な意見」というのが「感情的な主張」より正しく尊いものとされているようだが、そもそも論理の元となる法だの規則だのは、人の感情の最大公約数をとって作られたもののはずだし、感情は論理に先立ってあるものなのではないだろうか。だって、「人殺しは禁止」という法律があるから、「人殺しが罪」になるのではなく、「自分や大事な人がむやみに殺されちゃたまんない」という気持ちが先にあって、「じゃ、人殺しは禁止にしましょう」となったわけでしょう?
だから豪州を中心に、西洋人が「イルカが可愛そう、クジラが可愛そう」と感情的に言っているとしても、クールに「でもあんたらウシ食うよね」と言ってもそれは通じないと思う。また友人が大切にしているものを貶めないという、人間の高度な感情をどんどん拡大していくと、「俺、豚肉好きだけど、お前のことはもっと大事だから、ブタ食うのやめるよ」とならないだろうか。
僕は韓国でイヌが肉として売られているのを見たことがある。そこにはペットとして飼われていたイヌが病気になったとか、不要になったとか、そういう理由で売られていたし、また食用として最初から飼われていたイヌは、病気にならないように薬漬けにされていて、苦痛を与えないように殺すとかそういう配慮は全くなく、痛みも感情もない物として扱われていた。こういうのを見ると僕は、感情的に「これは間違っている」と感じるし、文化だとはとても思えない。
「ブタ、ウシはよくて、イヌ、イルカはだめ」という意見を感情的な意見と切り捨てるのは簡単だけど、日の丸を燃やされてむかつく人がいるように、イヌ、イルカが食料にされてむかつく人が確かにいるわけで、それについて何らかの配慮をしていく、もしくは配慮することができるのが、高度な感情をもった人間の姿なのではないか、と思う。
もちろん、「だが、食う」という選択をしてもいいと思う。しかし「文化だから」「人は動物の命を奪って生きていくものだ」で思考を止めないで、「人の嫌がることはなるべくしないほうがいい」という視点にもう一度立ち返って欲しいとおもう。
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アフガニスタンの大統領選挙、投票率38%(前回は70%)、開票がおくれ、投票から一ヶ月以上が経過したのに、まだ当選が決まらない。
おそらくカルザイ大統領の再任となるだろうが、評判が凄まじいほどに悪いのは何故か。言うまでもなく汚職、諸外国からの援助の私物化。一族だけを要職に就け、利権を独占していることへの国民多数派からの怨嗟である。そのうえ部族対立というアフガニスタンの社会構造の揺るがぬ基層がある。
英米は反ソ戦争で80年代に「北部同盟」を支援した。この縁が重なって北部同盟の本質であるタジク人優先構造が尾を引く結果となった。タジク優先に反対するタリバンの多くはパシュトンと見られるからだ。アフガニスタンはパシュトンが半数近く、タジクは二割いるか、いないか。残りはウズベク、ハザラ人ほか多数の少数民族からなる。
たとえばアフガニスタン軍の構成である。副大統領候補のファヒム将軍はもっとも評判が悪いが、マスード司令官の後継と目されたこともあるタジク人だ。彼が退いてもタジク人の部下らが国防省を牛耳ることにかわりがない。軍幹部の殆どはタジク人(北部同盟)が掌握し、軍人の70%がタジク人で成立している。
「もしカルザイが再選されたら、躊躇なくタリバンに走る」と選挙中、南部を取材した欧米ジャーナリストやNGO関係者が証言している。カルザイはパシュトンだが、タジクの軍事力を計測し、かれらと妥協して政権の綱渡りをしているに過ぎない、と。
そればかりではない。『アフガニスタンの闇』を書いたセリグ・ハリソンに依れば、「軍のみならす警察、検察、司法もタジクが牛耳る。だからタリバンというのは反米の神学生と定義するのは危険である。そうではない。パシュトンで反カルザイ、基本に流れるのは“反「北部同盟」感情”だ」。
現場から帰ったアメリカ人の証言も出そろった。「失業が最大のポイントでタリバンやアルカィーダは失業の若者に一日八ドルで即席兵士を雇用している。つまり”フリーターのタリバン!”(ラルフ・フォペズ「NGOアフガンに職を!」の創設者)。目前の小銭で俄兵士が調達できる。そんなのを相手に米国は年間500億ドルを費消している。
▲行政が機能していないのに「機能している振り」を演じているカルザイ大統領
アフガニスタンの大統領選挙はむろん不正が横行し、十八歳以下でも年齢をいつわって投票した。南部ではタリバンは投票をボイコットしたが、「カルザイ一族が任命した教師は、生徒全員にカルザイと書かせ、十八歳以下を大量に動員した。もっとも戸籍がない国だから投票なんてどうにでも操作できる。五年前にはイランとパキスタンに逃れた難民にも投票権があった。今度は投票できなかった」(ハジナ・シージャン、NGO「アフガンに学校を」の代表、在米)
ましてカブールのインテリは殆どが棄権した。インテリ層と学校卒の若者はパキスタンやイランへ就労の機会をもとめ、アフガニスタンを去った。
「選挙は舞台裏で『ボス交』があり、はじめからカルザイにきまってら。選挙は茶番さ」(ミルワザ・アーマドザイ、「人権監視団体」幹事)。
アフガニスタン政府というが「政府」は名前ばかり、やっていることは汚職、利権あさりと権力の乱用。西側の援助はどぶに捨てるのと同じであると現場をみてきたアメリカ人は言う。「カルザイ政権と連立する政党、団体をのぞけば、残りはタリバンだ」(ジョセフ・キーンズ・グッドウィン前NATO特別補佐官、ヘラルドトリビューン、9月17日)。
政府なるものは行政的にまったく機能しておらず、「学校も道路も病院も、そのための援助が来ているのに巨額は闇に消えていつまで待っても学校も道路も出来ないのさ」と農民も失業者も口を揃えてアフガニスタン政府を批判している。それを支えてきた英米を暗に非難している。
▲泥沼から米国は這い上がれるのか?
アフガニスタンは人口3300万人、このうち300万前後がイランとパキスタンに難民として住み着いている。アフガニスタンは34県、398郡、34000の村々から成立する部族国家。それこそ村が違えば、おなじ言語体系でも方言が違い、行政単位の郡が違えば民族が混在し、県が違えば民族が違うから言語が根本的に違うモザイク状態。識字率は世界最低レベル。
それでも大部隊増派を謳うオバマ米国大統領は日本の鳩山某と同じで国際情勢に殆ど無知のようである。なぜか。戦略的にみれば、米国は01年911のテロ事件いらい、イラクを含めての『反テロ』戦争に年間7000億ドルを国防費に回してきた。従来の平均が年間4000億ドルだから、過去八年で余計な金を年平均3000億ドルとおおざっぱに捉えても、合計2兆4000億ドル使った計算になる。
つまりそれだけ赤字国債が増え、それを中国と日本とサウジが購入してきた。そして米国は経済のみかわ軍事力を弱体化させ、精神を萎縮させた。
これで米軍が世界の警察官として、アジアに自由に展開する軍事的余裕がなくなれば、アジアで確実にヘゲモニーを掌握するであろう中国は、タリバン様々というパラドックスになる。
中国はタリバンにミサイルを売り、98年と01年の米艦からアルカィーダ軍事基地へのトマホーク攻撃の時は不発弾のトマホークをタリバンから買い、タリバン統治下では軍の光ファイバー通信網の工事を請け負い、そして現在の戦争事態もなんのその、アフガニスタン最大の銅鉱山開発に乗り出した。
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通巻第2717号
これは別に「服を見るのが嫌い」問題じゃなくて、単に趣味の合わない同士でグループ観光旅行をすることになった場合によくあるありふれた問題じゃないのかな。もし増田の趣味に合わせてお台場ガンダム見に行ってたとしたら、他の女性達は確実に今回の増田と同じことを心で叫ぶ羽目になったはずだし、お台場じゃなくて浅草であろうが二重橋であろうが東京タワーであろうが、おそらくは同じこと。解決のしかたとしては、小選挙区制的に多数派総取り主義でいくのか、比例代表制的に少数派の意向もちょっとだけ取り入れたスケジュールにするか、少数民族に一定の自治権を認めることとして数時間の自由時間を設定するか、くらいしか思いつかないけど。いずれも受け入れがたい解決法だと言うなら、分離独立しかないでしょう。
ところで、私は男であり、また洋服を見るのはそんなに好きじゃないですが、彼女の服選びには割と喜んで付き合ってて、特に苦痛は感じません。服選びが楽しいんじゃなくて、楽しそうな彼女と一緒にいるのが楽しいからなんで、そんなに尊敬していただく謂われはないと思います。