はてなキーワード: カリカリとは
30目前、女、3歳児を育児中無職(一般的には主婦と呼ぶんかな)です。ああ、私も結果的に「でき婚」になった人間です。
親子関係は1親等と言いますよね。法律の中には0親等という言葉はないけれど、でも、夫婦を「0親等」と呼ぶ暗喩があります。
離婚したい云々の前に、なぜ奥さんがあなたのご家族と距離を置こうとしているのかよく考えて「自分を」学んでください。たぶん、「いい人」をまた見つけて再婚してもあなたがそのようにご両親や妹さんを優先なさるのでは将来の夫婦仲もよい結果が現れることはないでしょうから。
私も主人の実家から10kmどころか歩いて2分のところに住んでますが(全員を収容できる賃貸物件がないから)、義両親の体を心配こそすれど「嫌う」なんてことはありません。
「僕は孫の顔を親に見せるのが数少ない孝行だと思っているので」
それは正しいことだと思うけれど、あなたの一番すぐそばにいる人を先に気遣っては?ご家族が余命宣告受けているなら別(実両親で経験済み)ですが、奥さんはもう疲れたのではないかと思うのです。おそらく、奥さんを理解したいんだと真摯に話し合おうとしなければ関係の回復は難しいかと…。どちらかを選ばなければならない時っていうのはあるもんですよ。
追記: お、ご指摘ありがとうございます。修正しときますねー。でもねえ、何でそんなに腹を立ててるのかわからないんだけども。そんなにカリカリしてると体に悪いですよ。
参考
http://omoixtukiritekitou.blog79.fc2.com/blog-entry-1214.html
中野さんが言ってた事を見て思った事。
TPPは反対。
そして何よりも有名なコピペ「エンジンがかからないの」を思い浮かべた。
中野准教授がキレた理由ってこの男の気持ちといっしょなのかなーと思った。
このコピペの女も生放送に出たとすると、笠井、小倉と同じように黙って下向くんじゃないのかなーと。
【参考】
女『昨日まではちゃんと動いてたのに。なんでいきなり動かなくなっちゃうんだろう。』
男『トラブルって怖いよね。で、バッテリーかどうか知りたいんだけどライトは点く?』
女『今日は○○まで行かなきゃならないから車使えないと困るのに』
男『それは困ったね。どう?ライトは点く?』
女『前に乗ってた車はこんな事無かったのに。こんなのに買い替えなきゃよかった。』
男『…ライトは点く?点かない?』
男『そうだね。で、ライトはどうかな?点くかな?』
女『え?ごめんよく聞こえなかった』
男『あ、えーと、、ライトは点くかな?』
女『何で?』
男『あ、えーと、エンジン掛からないんだよね?バッテリーがあがってるかも知れないから』
女『何の?』
男『え?』
女『ん?』
男『車のバッテリーがあがってるかどうか知りたいから、ライト点けてみてくれないかな?』
女『別にいいけど。でもバッテリーあがってたらライト点かないよね?』
男『いや、だから。それを知りたいからライト点けてみて欲しいんだけど。』
女『もしかしてちょっと怒ってる?』
男『いや別に怒ってはないけど?』
女『怒ってるじゃん。何で怒ってるの?』
女『何か悪いこと言いました?言ってくれれば謝りますけど?』
女『何が大丈夫なの?』
男『バッテリーの話だったよね?』
女『車でしょ?』
男『ああそう車の話だった』
女『もう、男って人の話聞かないんだから』
男『ごめん、ごめん。で、ライト点く?』
女『やっぱ怒ってんじゃん』
男『怒ってないってば』
女『絶対怒ってる。何カリカリしてるの? 人が大変な時に!』
男『いや、俺はただライトが付くかどうかを…』
東電がー政府の対応がーとか怒ってる人はカリカリしないでこの歌でも聞いて落ち着こうぜ。
「じこはおこるさ」
http://www.youtube.com/watch?v=8HV23ThBo04
スリルなんてちょっとなら楽しみさ
へっちゃらさ なんて知らん顔して
走っているとそんな時
事故がほら起きるよ いきなり来る
調子乗ってやってるとバチがあたる
事故がほら 起きるよ
いい気になってると
そうさ、よそ見してるその時に
事故は 起きるものさ
思いつきでやると きっと 失敗するよ
幸運の女神は気まぐれだから
ウキウキしてるとまっさかさま
忘れないで気をつけてね いつだって
事故がほら起きるよ 突然さ
運が無い時はしょうがない
なんとかしよう
事故がもし起きたら
落ち込まないで
うまくやれるようにがんばろうよ
事故は起きるものさ
大事なモノばかり見落とすね”
そんな時必ずやってくる
二度とやらなければいいけど
事故がほら起きるよ いきなり来る
調子乗ってやってると
バチがあたる
事故がほら起きるよ
いい気になってると
そうさ、よそ見してるその時に
事故は起きるものさ
事故がほら起きるよ突然さ
運が無い時はしょうがない
なんとかしよう
事故がもし起きたら
落ち込まないで
忘れてると事故は起こるさ
ほーら
いい歌だと思う。
こんにちは、法曹養成を専攻していた司法試験法第1嬢です。私は無駄な学歴と知識があるだけのただの法務博士ですが、恋愛に関してはプロフェッショナル。今回は、合格(モテ)る女子力を磨くための4つの心得を皆さんにお教えしたいと思います。
1. あえて2~3年前の法科大学院試験六法を教室に持っていく
あえて2~3年前の法科大学院試験六法を使うようにしましょう。そして教室で好みの男がいたら話しかけ、わざとらしく六法を出してめくってみましょう。そして「あ~ん! この六法本当にマジでチョームカつくんですけどぉぉお~!」と言って、男に「どうしたの?」と言わせましょう。言わせたらもう大成功。「ホーリツとか詳しくなくてぇ~! ずっとコレ使ってるんですけどぉ~! 警察官職務執行法も載ってなくて使いにくいんですぅ~! ぷんぷくり~ん(怒)」と言いましょう。だいたいの男は新しい六法を持ちたがる習性があるので、古かったとしても平成22年度版のポケット六法くらいは使っているはずです。
そこで男が「新しい六法にしないの?」と言ってくるはず(言ってこない空気が読めない男はその時点でガン無視OK)。そう言われたらあなたは「なんかなんかぁ~! 最近有斐閣判例六法が人気なんでしょー!? あれってどうなんですかぁ? 新しいの欲しいんですけどわかんなぁぁああい!! 私かわいそーなコ★」と返します。すると男は「有斐閣判例六法平成23年度版でしょ? 平成24年度版はまだ出てないよ。本当に良くわからないみたいだね。どんなのが欲しいの?」という話になって、次の休みの日にふたりで六法選びのデートに行けるというわけです。あなたの女子力が高ければ、男が判例六法professional買ってくれるかも!?
「キャー!」とか「悲しい!」などを表現する「><」を、答案用紙の最後に「以上」の代わりに入れると、添削を担当する男性司法試験考査委員は「なんかこの子カワイイなぁ」や「合格させてあげたいかも」と思ってくれます。文字のみの答案用紙上では、現実世界よりもイメージが増幅されて相手に伝わるので 「><」 を多用することによって、男性はあなたを可憐で女の子らしいと勘違いしてくれるのです。そういうキャラクターにすると、ほぼ絶対に同性の考査委員に嫌われますし、特定人の答案であると判断される記載があるとして無効答案になる可能性もありますが、気にしないようにしましょう。
3. とりあえず男には「えー! なにそれ!? 知りたい知りたーい♪」と言っておく
自主ゼミ後の飲み会などで男が女性に話すことといえば判例や過去問の話ばかり。デキる既修女性にとってどうでもいい話ばかりです。でもそこで適当に「へぇ~その事案が平成7年判例の射程距離内だと思ってるんですか~」とか「違憲審査基準論か三段階審査論か以前の問題なんですけどねぇ」と返してしまうと、さすがの男も「この女、俺より出来る?」と気がついてしまいます。新司法試験1000番以内の合格が確実と思われたら終わりです。そこは無意味にテンションをあげて、「えー! なにそれ!? 知りたい知りたーい♪」と言っておくのが正解。たとえ興味がない判例や過去問の話題でも、テンションと積極性でその場を乗り切りましょう。積極的に話を聞いてくれる女性に男は弱いのです。
いろいろと話を聞いたあと、「弁論主義は裁判の基礎となる訴訟資料の収集と提出を当事者の権能および責任とすることで、自由心証主義が事実認定・証拠評価について裁判官の自由な判断に委ねることなんですね! 覚えたぞぉ! メモメモ!」とコメントすればパーフェクト。続けて頭に指をさしてくるくる回しつつ「カリカリカリッ!カリカリカリッ!」と言って、「どうしたの?」と男に言わせるのもアリ。そこで「私の基本書(シケタイ)に書き込みしているのでありますっ☆」と言えば女子力アップ! そこでまた男は「この子おもしろくてカワイイかも!?」と思ってくれます。私は無駄に学歴と知識があるだけのただの法務博士ですが、こういうテクニックを使えば私のような頭の良い女でもモテたりするのです。男は優越感に浸りたいですからね。
男と試験場に入ったら、最終日の短答式試験に思いを巡らしていふりをして「あーん! 私、短答式試験が嫌いなんですよねぇ~(悲)」と言いましょう。するとほぼ100パーセント「どうして? 択一が苦手なの?」と聞かれるので、「苦手じゃないし模試では合推(合格推定点)とったけど、受験したくないんですっ><」と返答しましょう。ここでまた100パーセント「合推とってるに、どうして受験したくないの?」と聞かれるので、うつむいて3~5秒ほど間をおいてからボソッとこう言います。「……だって、……だって、私が短答式試験に合格したら、他の誰かが不合格になっちゃうじゃないですかぁっ! 特に未修かわいそうですぅ! せっかく借金背負って3年かけて修了できたのにぃぃ~(悲)。論文の採点すらされないんですよ……」と身を震わせて言うのです。
その瞬間、あなたの女子力がアップします。きっと男は「なんて優しい天使のようなコなんだろう! 絶対にゲットしてやるぞ! コイツは俺の女だ!」と心のなかで誓い、あなたに惚れ込むはずです。意中の男と付き合うことになったら、そんなことは忘れて短答式試験で7割(245点)以上とって大丈夫です。「受験したくないんじゃなかったっけ?」と言われたら「大丈夫になった」とか「慣れた」、「こちとら5年で3回の制約の中、生きるか死ぬかの戦争やってんだよ、ヌルいこと言ってんじゃねぇよタコ助が」と言っておけばOKです。
http://anond.hatelabo.jp/20110506180049
http://anond.hatelabo.jp/20110507110042
モテる機械系女子力を磨くための4つの心得: ΤΟU ΦΙΛΟΤΙΜΟ〜彼方にこそ栄え在り〜
http://baboon.way-nifty.com/tou_filotimo/2011/05/4-142f.html
http://anond.hatelabo.jp/20110508205059
モテる女子力を磨くための4つの心得「オムライスを食べられない女をアピールせよ」等 – Be Wise Be Happy Pouch[ポーチ]
http://youpouch.com/2011/04/26/162331/
理系憧れるわぁ。
業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。
人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。
地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。
一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。
生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。
本を買うより、身の安全の確保が第一だ。
店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。
激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。
だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。
目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。
あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。
まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店の入り口近くにある金属の柱にしがみつく。
建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。
何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。
一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。
もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。
視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。
地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。
銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。
勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。
その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。
私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。
長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、
だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。
そうだ、職場に行かなければならない。
揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場のビルへと向かった。
エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。
階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。
それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。
ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。
「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。
オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した。
自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。
それから、階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難した。しかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。
その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板が地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話で写真を撮っていた。
本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。
地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。
携帯電話を操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。
それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。
車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。
仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから、渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。
正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。
そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から、仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。
最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。
移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。
同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。
私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。
被災直後であるから、携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから、機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。
車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式の最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパーのビニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。
1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。
これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。
しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。
3時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。
外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。
この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。
さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。
我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。
何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜のスープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから。
4時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。
最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。
家族は全員、茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。
意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。
家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震で家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。
自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。
そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかに、ゲームセンターのUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球ではなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。
本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした。
また、その時の私は、黒いタイツにストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した。
茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事の可能性が低くなったのでひとまず安心した。
余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度も何度も地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。
母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしい。テレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。
兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。
父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。
ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した、津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。
私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。
この時、電話はまともに使えなかったが、メールやインターネットならば使用可能な状態にあった。
機械音痴らしい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい。
娘さんの勤め先は、長町にある。我が家は仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。
午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。
先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから。停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点で水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。
しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。
とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。
夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。
形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールやネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画やユーストリームでNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。
日の出まであと6時間。ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。
3時か4時になった頃、NHKのラジオが音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。
長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。
被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。
携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。
これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災の体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。
また、普段は趣味で小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。
私が住んでいる仙台市泉区のとあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した。
いやー・・・。結構な比率で焼いたんだぞ。
しかも、四人組辺りが超元気な頃とか学者弁護士医者などなどぶっ殺し放題で、そりゃもうインテリが死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ・・・ってザマで。眼鏡かけてるからあいつはインテリだ家ごと焼き払えーみたいなものを経てきてるからそりゃもうガチで資料が無い。その上若者を片っ端から徴農して荒地に放り出したもんだから、餓死するわ疫病で死ぬわ反乱を戦車でキュラキュラするわ大学に向かって迫撃砲ぶっぱなすわもうそりゃもうスサまじい状態で。当時、大学組織にあった文物の8割くらいは焼かれたと一般的に言われてるよ。死者も数百万から3億と言われている。多分、人類史上最大の文化大破壊だったと思うよ。
というかだね。日本と中国の関係みたいに「別の国が文化を保存してた」ってのは珍しいことじゃなくて、例えばアリストテレスやタレスと言ったギリシャの諸学問についてもイスラム学者が保存していたものが再輸入される形で戻ってきてるって事実があるんだよ。文革に代表される政変でやらかしてた中国にとって日本が文化のバックアップフォルダになってた事実は間違いなくあると思うよ。
日本人は元々中国大好きだし、非常に敬意を持っていたからね。超必死で文化を学ばせていただいてた。だから、非常に古い時代の資料を超大事に保存している。国宝なんて大半が日本にとっても中国にとっても国宝になり得るものでしょ。ある意味で、中国文化が日本に保存されているのはいかに日本人が中国って国に対して敬意を抱いていたかってことの現われでもある。
実際、近代に入る以前の中国はギリシャ、ローマと伍して全く劣らない世界最強クラスの先進国だった。それ以降、2000年代になるまで「んで、いつ目を覚ますのこの獅子?阿片効き過ぎたんじゃね?」状態だったのは、真に哀れというか悲惨というかアレだけれども。
というわけで、日本に残っている中国の資料を参照する中国人学者は非常に多いよ。
それは、日本が中国に対して飽くなき興味と敬意を持ち続けた国家だという事実に根ざすよ。近代になって中国が歴史に残る大バカな所業をやったため、それは非常に明確な形で現れてるよ。ところで君は、何をそんなにカリカリしてるんだ?俺が言ってることは結構な事実で、自分の大事な大事な文化をモリモリ焼いたのは、そりゃ間違いなく中国人ですよ。
まああんなとこかなって感じだったけど
チーズフォンデュは後でアンコール200円のときに食ったけどまあまあうまかった
あれなら肉もしっとりじゃないとねえ
酢キャベツとソーセージは、それだけならよかったんだろうけどぱさぱさカリカリの胸肉フライとじゃ何したいのかわかんなかった
中途半端にすっぱかったので何を狙ってるのかわかんなかった
誰か感想教えて
シャカシャカチキンが余っててそれを流用したのかどうかわからんけど、どうも「手抜き」の文字が浮かんで返って逆効果
これは肉もきちんとしっとりもも肉でうまかったしたまねぎとの相性もよかった
バンズも餅餅しててうまかったな
あれならまた食ってもいい
通して食ってみて
ソース凝ってるのに肉がしっとりもも肉じゃなかったのが一番の敗因だけど
生たまねぎがスパイスの役目を果たしていて最後まで肉のうまみを引き出していた
こういう安い素材をうまく使えばそれだけでリピーター増えるのに
あっさり鶏肉に慣れた体にはこってり牛肉はそれだけで重いな
冬に入るのだけが救い
おれ自身、独身で生きていきそうな気配が濃厚なので
それでも実体験として言いたい。
社会に出るまでは「結婚に憧れる女」みたいなのは古いバカな女だと思ってた。
子供の価値観なんてつまり接する教育やメディアがそうだったってだけだが。
「独身で生きてる女」みたいなのはちょっとかっこいい。主婦なんかより深みがある。そう思ってた。
でも学生時代のバイトを始め、社会人になって仕事をするに従って、
俺が好きなタイプのおばちゃん、仲良くなるおばちゃん、素敵なおばちゃん、挨拶するのが嬉しいおばちゃん、
全部既婚者だってことに気が付いた。
逆にあからさまにやばい、職場の爆弾岩みたいになってる女性は独身。必ずそうだった。
滅茶苦茶カリカリして、すぐ攻撃的な笑顔でキレ出す、みんなに怖がられてる女性。同じタイプはすぐわかる。
なんでそうなるのかは俺は女じゃないし、まだそういう年齢にもなってないから推測も差し挟まない。
だけどとにかく実体験としてそういうサンプルが多すぎた。
突っ込まれ易くなるとしても敢えて、ほとんど100パーセントだと言いたい。
好きなタイプの人を敢えておばちゃんといったけど
別にダサいとか老け込んでるって意味じゃない。おしゃれで素敵なおばちゃんも一杯居た。
でもつまり、彼女達は結婚して子供産んだりして一旦おばちゃんを受け入れている。
「そういう性格だから結婚できなかっただけ」みたいな説もあるしそれは独身者の俺にも刺さるけど
なーんか見た感じ、ある年齢以上の独身生活が人格を蝕んでる気がするんだよね。逆ではなく。
明確な根拠ないけどさ。
ある程度以上の年齢で独身でも心の平穏を失ってない女性は居たんだけど、
そういう人の共通点はスピリチュアル。
これはもうみんなそう。
だから俺はスピリチュアルを馬鹿にしないし世の中に大事な物だと思ってる。
実際に人を救ってんだから。
酷い搾取しない限りスピリチュアルの商売してる人達っていいことしてるよ。
おじに2人・おばに1人独身が居て、みんな結構かっこいい人生やってると思ってるけど、おばはかなりスピリチュアル。
つまり何言いたいかっていうと
俺の独身人生にも不幸や寂しさやヒネクレ中年の未来が待ってる可能性はかなり高いけど
女性の場合はそれ以上にほぼ100パーセントで爆弾岩みたいな人間になるみたいだから
今んとこ女性はなるべく結婚したほうがいいんじゃね?っていうこと。
姉がこのあいだ結婚して本当にホッとした。
余計なお世話だけどさー。
そんな金がある人がどの程度居るのか。
そもそも自営業者である荒川弘(自分の裁量で仕事量も補助人員の人数もその報酬も自由に決められる)と、そんな権限無いその辺の会社員を一緒にすんな。
対処のひとつだ、といってる。それに「業務的な謝礼」がなんで金オンリーなのか。業務分担を相手有利にする、とかなんでもあるだろう。ある程度権限のある職種を選んだっていい。
育児にしたって負担の分散なり在宅勤務での効率化なりしようはある。
出産なり育児なりで労働力が減る、そここそが問題で、会社もそう思うし社員もそう思う、正直(将来)産む側もそう思う、というなら対処はその文脈で考えるべきだ、でないとほぼ永久に解決はない、とそれだけの話。
職場の女性と会話してたら「○○君は色恋沙汰に向いてないね(その他云々…)」ってストレートに言われた。
それですっぱりと諦めた。
悟りが開けた感じだった。
そう、難しく考えることなんて何もなかった。
向いてない。
それだけ。
そしてそれがすべて。
世界の見え方が変わった。
男と女の区別がなくなった。
さすがに女性がある周期でカリカリしてたらアレなのかねぇってくらいは思うけどさ。
元々友達も多くなく積極的に自分を出すタイプじゃなかったけど、より対人関係を機械的に処理するようになった。
なったってよりはそう心がけた。
人生が信じられないくらい快適になった。
俺は手の届かないものを得ようとして苦しんでたんだな。
1か月前にその女性と同じプロジェクトになって、一緒に残業してたらあっちから話しかけてきた。
「最近の○○君に人間っぽさを感じれないんだけどさ、どうしたの?」
「どうもしてないよ」
「えー、でも。うーん、あ! 前に言ったこと… 気にしてる?」
「ううん」
「本当に?」
「うん」
「ううん」
「ねえ、本当はどうなの!?」
とっととパソコンの画面に向かいたかったから手短に、でも自分が作れる満面の笑みでこう答えた。
「君のおかげでこうなれた。感謝してる」
「何さそれ!?」
どうも皮肉にしか聞こえなかったらしい。
ちゃんと鏡の前で当たり障りのない笑顔の作り方を練習したのに。
うんざりした。
まだ俺に求め続けろって言うのかよ。
ちょっと毒が出そうになっちゃったよ。
どうしたらいいのだろうか?
壊れている人間がいる。最近故障具合がましてきて、横からみていて難儀なことこのうえない。
精神を病んでるっぽくて薬をもらったり、施設に通ったりしている。
1年ぐらいまえからバイトと称してお小遣いをあげているのだが最近なんか症状が悪化してきた。
本人は何かをやっているつもりなのだろうけど、パソコンで言えば考慮中の砂時計がリアルにみえるんじゃないかというぐらい。
何もしてないのにHDDはカリカリいっている。いったいなんの処理をしているのだろうか?そんな感じ。
単純な作業、ほんとうに軽作業。
以前は1~2分で終わるような作業に5分ぐらいかかっていたのだけど、これが15分ぐらいかかるようになってしまっている。
言葉が伝わらない。ミスが増えている。ちょっと信じられないようなことをやらかすので余計仕事が増えてしまっている。俺まで辛い。
熱でもあるんじゃないかという朦朧とした状態で素人目にみえてよくない。
自傷もひどい。
見える腕だけで筋状のまだ赤い傷跡がびっしりだ。タバコの根性焼きみたいなものがハスの実状態。ちょっとしたグロ画像。
血の匂いがする。自傷のことはあまり言わないようにしているけど勘弁してほしい。
ハードが壊れているわけではないので、パソコンだったらOSを再インストすれば治るんじゃないかとおもうんだけど人間はどうしていいかわからない。
社会更生まで面倒みてやろうとおもってたんだけど、一進一退しながら悪化していってるように感じる。きついな。
視界にはいらないものには気がまわらない。
気づかないから気が利かない。
何より元気がない。
何をいっても、「あ、はぁ」と気のない返事。
気分もすぐれない。
気のもちようはいつも暗い。
気の毒でならない、どうしたもんだろうか。
治療は専門の連中にまかせてたんだけど、こんなレベルの判断能力で自分が適切な治療を受けられているかどうかを判断できないもんな。
そこまで介入せんとだめかな…。
http://anond.hatelabo.jp/20100719214425
全く理解していないようなんで、おせっかい。
元々の元増田とも、横元増とも、相手をしていた人とも、まったく違う、ただの増田。
末期癌の夫に4カ月付き添った。小説を書いてる。
夫を亡くして初めて「命の重さ」を実感した。だから、どれほどむかつこうとも「死ね」とか「殺すぞ」とか、匿名の相手には言わない。なぜなら、その人は言葉を紡ぐことで、ようやく命をつないでいる人かも知れないから。
軽々しく「命」をネタにされたことに憤るのなら、軽々しく「死ね」「殺すぞ」と書くのは、自分に刃を向けたも同然のことになると気づいてほしい。そういった言葉自体が「命を軽々しく扱っていること」になるからだ。
>>愛されて愛されて、抱きしめられて、見舞いも何人もくる患者さんの横で
このくだりでは(見舞い客の来ない患者さんに遠慮せいってこと? 私、責められてんの?)と思ったので、元増田の投稿文を快くも思ってはいないのだけれど。
私自身、ものを書いて、誰かにメッセージを届けたいと思っている身なので、元増田の「ただ、そこにある命を慈しみたい」というメッセージは素直に受け止めた。
フィクションか、ノンフィクションかで、かなり評価の分かれる話だろうから、はっきりさせてもらいたい気持ちはあるけど、しょせん、増田だしねえ。