はてなキーワード: 童話とは
「オチが救われない話」というまとめサイトを読んでいたら、こんな救われない話を知った。
『フランダースの犬』は、アニメとして日本人によく知られている。
もとは1872年発表のイギリスの童話だが、原作者の女性がベルギーの風俗をイギリス人の目で偏見的に描いている。
イギリス人の心の奥底には、ヨーロッパに対するかすかな敵意が潜んでいる。
「この地方は荒れ果て、人々は不親切で、しかも愛すべき犬を何代にもわたって、激しい労働に不当にこき使っている」
こんなことをずらずらと書いているのだ。
その上、本家イギリスでは、運命に抗わずに教会で死ぬという内容がアングロ・サクソン的に受け付けられなかったようだ。
結局欧米では、誰も見向きもしなくなったというわけだ。
ところが日本では、1975年に感動的なアニメが作られたために爆発的な人気を獲得する。
80年代からの海外旅行ブームでは、ベルギーのフランドル地方観光が定番コースの一つとなったほど。
もっとも、ルーベンスの絵を観ることはできても、『フランダースの犬』にまつわるものがそこには何一つない。
日本人がガッカリして帰国するのが、当時のツアーのお決まりのパターンだったとか。
ところが、1982年、大きな転機がやってくる。
ベルギー・アントワープの観光局で働いていたヤン・コルテールという男性が、運命を変えた。
日本人観光客から『フランダースの犬』という物語の存在を聞いたことが発端である。
生真面目な性格で、面白みのない変わり者と思われていた彼には浮いた噂もなく、恋人はおらず、友達も少なかった。
そんなオタク青年の彼は、地元に関係する噂話を聞き逃さなかった。
「アニメをやってたんだけど、もしかしたら原作があったのかもなぁ」
というだけで『フランダースの犬』について、はっきりとしたことが分からない。
街の誰に尋ねても、何もわからなかった。
しかし彼はあきらめない。
「この地方を舞台にしているのなら、図書館にヒントがあるかもしれない」
図書館であらゆる資料をあさり、……そしてとうとう、60年の間、二、三度しか借りられていなかった原作を見つけたのだ。
欣喜雀躍たる、彼の喜びが想像できるだろう。
……だが、読み終えた彼はがっかりした。
実は原作には、最後にネロが天使に救われて天国へと召される……というシーンはない。
ただただ暗いだけの作品なのだ。
原作者は夫に捨てられた後、犬の保護に尽力していたが周囲に相手にされなくなり、晩年は30匹の犬に見守られて亡くなっていた。
(この原作と日本人の感動との間の乖離は、いったいなんなのだろう?)
もしかしたら、それがヒントになるのかも?
彼は、日本語を学び、日本人観光客の友だちを作り、帰国した彼らからアニメビデオや童話集を取り寄せてみた。
その結果……感動したのだった。
情熱は、いよいよ膨らむ。
一年半かけて調査を行ない、原作の舞台が近くのホボケン村だと突き止めた。
当時の日本なんて、極東の島国で、ドイツに加担して負けた挙句に少々景気を持ち直しただけの国、というイメージだったから、仕方ないだろう。
だが、彼の熱意は次第に周囲を突き動かしはじめた。
ルーベンス以外にこれといって観光資源のないこの街に、もう一つの観光シンボルが生まれるかも知れない。
そういった周囲の思惑も重なり、ついには1985年、ネロとパトラッシュの小さな像が、ホボケン情報センターの前に立てられた。
除幕式にはアントワープ州知事、市長、在ベルギー日本大使らも参席、盛大なパーティーが開かれたという。
ネロとパトラッシュが共に埋められた(ことになっている)街の教会は、観光コースとなった。
ルーベンスの作品を観るためにアントワープを訪れていた日本人観光客がホボケン村にも立ち寄るようになった。
その地域は観光収入でおおいにうるおい、観光局勤めの彼の名声も次第に上がった。
フランダースの犬はベルギーで放送され、80%近い視聴率をとったという。
ヤン・コルテールは『フランダースの犬』研究家として知られるようになる。
その地域では日本通として知られ、日本との橋渡し役としても活躍するようになった。
研究のために日本へ何十回となく訪れるようになり、大の親日家となった彼は、日本人女性の石井ヨシエと結婚した。
彼は妻と共に、今でも地元でつつましやかに幸せに暮らしている。
……はずだった。
なぜなのか?
コルテールが日本人の妻をもらい、日本とベルギーの架け橋として活躍していることまでは、いろいろなサイトで詳しく取り上げられていた。
ところが、彼が犯した殺人についての続報をいくら調べても、日本語のサイトでは何一つその理由が分からないのだ。
英語のサイトで調べても、アメリカ人などが『フランダースの犬』に関心がないためか、まったくヒットしない。
仕方ないのでグーグル先生の力を借りて、オランダ語のサイトを日本語に訳したり英語に訳したりしながら調べた。
その結果、驚くべきことがわかった。
コルテールとヨシエが結婚して数年は、大変幸せそうだったそうだ。
だが、次第にヨシエは旦那の拘束がうとましくなってきたらしい。
もっと自由にさせて欲しい、自由にいろいろな場所に行きたい、というのがヨシエの欲求だったそうだが、コルテールはそれを許さない。
異国の地にやってきて、海外でしか味わえない自由を満喫したい日本人女性。
彼女を大切にするあまりに、彼女の全てを管理したいと願うベルギー人男性。
だんだんと、二人の間には溝が生まれるようになった。
二人の間はギクシャクし始める。
その時に彼女の前に現れたのが、口が堅いという噂のピエールだった。
「夫とは長いこと話してないの。夫は頑固でさ」
秘密を守れるピエールへの心安さからか、ヨシエは彼へ愚痴をこぼすようになった。
「彼は変わり者だからね。我慢さ」
愚痴を聞いてもらううちに、ヨシエがピエールに親しみを感じ、やがて二人が愛しあうようになるまでに時間はかからなかった。
ピエールの口は固かったが、ヨシエの下の口はゆるかった。
二人がバスルームで愛し合っているところを、コルテールが発見してしまったのだ。
口がゆるい上に、脇も甘かったというわけだ。
だが、そのときヨシエは豹変した。
日本女性のおしとやかさはどこへやら、情事を発見したコルテールを怒鳴りつけたという。
「あんたさぁ、男としての魅力がないんだよ!!」
彼女の口は、悪かった。
その時に、コルテールは、彼女のことを深く深く愛していたことに改めて気づく。
何があろうと、彼女の気持ちが戻ってくればそれでいい、というのがコルテールの偽らざる気持ちだった。
彼は、離婚を迫るヨシエに対して、仲を修復したいと取りすがった。
しかし、彼と別れてピエールと一緒になりたい、というヨシエの気持ちは変わらない。
それは、最後のお願いとして、彼女と日本を一緒に旅行することだった。
二人が出会った日本で過ごせば、彼女の気持ちも戻ると思ったからだ。
……これ、男にありがち。
男の浮気は「名前をつけて保存」だが、女の浮気は「上書きして保存」
他の男に気持ちが移った以上、振り向くわけなんてないのだ。
日本でヨシエは、両親にコルテールを引きあわせたという(この辺りは女性特有の図太さといえよう)。
それでいながら、彼女の気持ちが変わることはついぞなかった。
それを拒むコルテールを、ヨシエは罵った。
そして、決して犯してはならないラインを越えてしまった。
彼女は、職場のベルギー人の同僚達と彼とを一人ひとり比較して、いかにコルテールが劣ったオタク野郎なのか、痛罵したのだ。
……こと、ここにいたっては、どうしようもない。
その時の衝撃は、彼の行動が示している。
コルテールは逆上し、ヨシエをナイフで22ヶ所切りつけて、殺害したのだ。
リアルは、『フランダースの犬』以上に救いようのない話だった。
障害認定されるほど空気読めないわけじゃないけど、明らかに人より空気が読めないアスペルガー障害もどき
私です。
動物たちが宴をすることになった。
動物たちがグループごとに宴の準備をしている中、準備が面倒くさいと思ったコウモリは宴だけを楽しもうと策を考えた。
コウモリは獣グループに対しては、「自分は翼があるから鳥グループだ」といい、
鳥グループに対しては「自分は牙があるから獣グループだ」といった。
準備が終わって宴が始まろうとした頃、コウモリは獣グループに入れてもらおうとした「自分は牙を持っているから獣グループに入れてくれよ」
獣たちは「君は翼を持っているから鳥グループだろう?」と言ってコウモリを追い返した。
次にコウモリは鳥たちに「自分は翼を持っているから鳥グループに入れてくれよ」
ただ、童話のコウモリと違うのは、私は両方のいいとこどりをしようとなんて全く思っていなかったにもかかわらず、各コミュニティから私の性質が判断され、排除されてしまっているところだ。
障害者コミュニティ「あなたが気にしていることは障害ではない。(普通に暮らしなさい)」
一般人コミュニティ「こんなの常識でしょ?これくらい空気読んでよ。(もしくは私たちに近寄らないでよ)」
私はどうすればいい?
そういうものを手に入れるにはどうしたらいいのでしょう…?
今のまま一人で考えても碌な事は考えられないでしょう。
別にこれは元増田を馬鹿にしている訳ではなく、人間とはそういうものなのです。
人間は考える葦だと言ったパスカルも、考える事こそが大事だけれど、
試行錯誤するのも良いのではないでしょうか。
しかし、それ以上に根本的な事は、元増田はやる事が無くて暇なのでしょう。
例え何かしらの仕事や学業を持っていても、根本的に精神がニート状態なのでしょう。
寝食を忘れて没頭できるくらいに夢中になってやる事はありますか?
これと決めたら、全力で全リソースをつぎ込める事が今ありますか?
私は文章を書くことができない。
文章だけではない,大抵のことも満足にすることができない。
オズの魔法使いは何回も見たし,台風の日黒い犬のぬいぐるみ(但し冷たい)を抱いてベランダに出てみました。勿論そんなことはしません。
オズの魔法使いはL.Frank.Baumが遺したもので童話ではない。だから何も教訓等がなくてもいいのだけれども余りにも魔女が理不尽ではありませんか。
西脇順三郎を知らないと言ったら父から嘲笑と哀れみの視線を戴いた。
もし生物がより優れた子,より強い子を後世に遺そうと生殖/繁殖を続けるのであれば私が生まれた意味は ないので は。
私は以上の通り脳が足りないのでいくら莫迦にされても構わないけれども「厨二病」という言葉はやめた方がいいと思う。
「マジキチ」「厨二病」「パネェ」と安易に利用され過ぎるせいで本当にマジでリアルに気違って半端なく思い込みの激しい人の希少性とその素晴らしさが薄れてしまうから。 ね。
そういえば家に帰ったドロシーは幸せだったのか。
>意図的に偏った言い方をしてるので
はぁ。偏った言い方っていうのは「文章では「殴りたい」とか厳しいことを言ったけど」とかいうことですか。
言い方っていうか内容も大概偏ってるっていう話なんスけど。
>論語感ってなに?
「孔子に論語」(上から目線で)感。カッコのつけどころ間違ったなw
坂口安吾のエゴイズム小論でも引いとこうか。青空文庫だし多分大丈夫だろう…と思いたい。
人は道義頽廃といふ。だが、彼等の良しとする秩序とはいつたい何物であるのか。行きくれた旅人を泊めてもてなしてやつたから美談だといふ。この旅人が小平のやうな男で、親切に泊めたばかりに締め殺されたらどうするつもりなのだ。フランスの童話にあるではないか。赤頭巾といふ可愛いゝ親切な少女は森のお婆さんを見舞ひに行つて、お婆さんに化けてゐた狼に食べられてしまふ話が。だから親切にするなといふのではなく、親切にするなら小平や狼に殺される覚悟でやれ、といふことだ。親切にしてやつたのに裏切られたからもう親切はやらぬといふ。そんな親切は始めからやらぬことだ。親切には裏切りも報酬もない。小平や狼の存在が予定せられ、親切のおかげで殺されても仕方がないといふ自覚の上に成立つてゐる絶対の世界なのである。
基本的には、人を助けるというのはこの「親切」に準ずる行為なのではないですかね。というスタンス。
自分の身に傷が及んでも(たとえ助けた相手その人に傷つけられても)そのことで相手を恨まない。助けて「あげる」とか極力思わない。まあむずいけどね。
だから「上(優位)に立ってモノ言うのを助けと称するって実際どうなの」と思っちゃう。
縋られたという立場につけこんどるだけやん。身内でやられたら余計かなわんわww
「ありがたいアドバイス」にはケチつけづらいしwww「その話三回目ですよ」とか絶対云えねえwww
あ、「別にありがたがれとか言うつもりはない」とかはやめてね。上からモノ言う限りそこんとこは全然説得力ない。
>感覚的に具体例側に近い人が反論したくてたまらんみたいだけど。
玄関の例でいこうか。
ブログ記事では宅急便が来たときに、「玄関で靴をきちっとしとく」という具体的行動を取らされたって例をあげているけど、筆者自身としては靴が多少散らばっててもいいから早く対応したい派。その方が宅急便の人にとってもありがたいんではなかろうか、と。
でも「自分ならその具体例の行動の方がいい、靴はつねにきちんとが正しい」派が、「靴きちっとしとくの悪くない!言い過ぎ!宅配便に対してみっともない!だらしない!」と反論したくてたまらないみたいだけど。という話。
だらしないとか云うなら自分で出なさい。子に任せたからには子のやり方を許容・尊重すべき。とか思わんのかしら。思わんのだろうな。
子は道具で私有物ならば、自分の思い通りに子が動かないのは誤作動なわけだから、しつけと称した修理を要するって思考に転がる。尊重って発想が「大げさ」になる。
宅急便にはよ出ようというのはそれ自体間違ってるわけじゃないのにね。
特に婉曲的にモノ言ってるつもりはないです。というか文章くりぬいて引用していちいちあれこれ言ってみてるのに、どこか婉曲的でしたかね。
しゃべり方がバカっぽいのは私がバカだからだよ。
言わせんな恥ずかしいwwworz
大原則
大人の世界では魔法のきびだんごは売っていないし、ウサギは途中で寝てくれない。
そもそもイソップ童話は奴隷向けの教訓であって、アレを教訓にしてなす成功は奴隷としての成功だけ。
それよりはリアルタイムで実況していって実際に成果が出た人の話を読んだほうがいい。
そういう意味でナンパ本はかなり自己啓発書として効果高い。おすすめ。
中原則
たとえばイソップは非モテの奴隷頭であり、奴隷自慢が生きがいの社畜である、当然語る内容ははてなっぽい皮肉とか批判ばかりになる。
たとえば就活コンサルタントが書いた就活本には、現状認識やサンプルに強烈なバイアスがかかっている
たとえば最近話題になったジェームス・スキナーだが、彼がやってるビジネスを知ればあの本に書いてることはキレイゴトだとわかる。
・具体的でないご利益は信用しない
実際にその人が成果を出した、あるいは成果を出した人を知っている場合はともかく
「成功」などの曖昧なものに自分の願望を当てはめても、書いた人は自分の願望の叶え方なぞさっぱり知らない。
成功に全く共通性がないとはいは言わないが、保健の営業マンで成功したからと言ってアスリートの成功について語れるわけがない。
実践した人のうち何割が成功するかは信頼度。読んだ人のうち何割が成功するかは経済性。
信頼度重視でいくべきだが、言い訳のごとく30も40もやること詰め込んで経済性無視してる人の本は二度と読むべきではない。
バサーニオーとか、借金があるのに金持ちの美人女に惚れて、んでこの女をゲットするためにさらにカネを欲しがって、
んでリア充友だちのアントーニオーにカネ貸してと無心する。
アントーニオーは、それこそ歯の浮く様なセリフで俺とお前の仲じゃないかいくらでも貸すぜとか言う。
(アントーニオー「きみはぼくという男をよく知っているはずだ。それなら、ぼくの友情を遠巻きに攻めたてるような暇つぶしはやめにしてくれ。
言語道断だよ、きみにたいするぼくの好意を秤にかけるなどとは」)
⇒何だよ借金こさえときながら、女を落とすためにさらにカネを欲しがって、しかもそれを友だちにたかるとかって。
しかもキモいんだよ友情のこれみよがしな語りとか。J-popかよ。
んでアントーニオーは船に投資して手持ちの現金がないから、信用貸しをアテにしてユダヤ人のシャイロックに融通を申し出る。
⇒なんだよ、心の友の言うことなら全財産だって貸してやるさ!とか威勢のいいこと言って、やることは結局別口のカネの無心じゃないか。
⇒しかもなんだよ、無心のアテってのが、昔っから蛇蝎の如く嫌っていたユダヤ人相手とかって。他にいねえのかよ。
(シャイロック「アントーニオーさん、今日までいったい何度になりますかな、あんたは取引所でこのシャイロックの顔さえ見ると、
きっと毒づいてきなさった、…おれのことを、やれ邪教徒の、やれ人噛み犬のと。そしてこのユダヤ人の着物に唾を吐きかけなさった…」)
で、この金持ちの美人のポーシャが、これまたリア充にお似合いの手合いときてる。
リア充同士で惹かれ合うってのはまあ分かるわ。
だけど、バサーニオー以外の求婚者に対して言う、こき下ろしの文句のまあ極悪なことときたら。
(ポーシャ「そう、あの方は文字どおりの頓馬…」
「ああいう人たちと結婚するくらいなら、口に骨をくわえた死人の首と暮すほうが、まだまし。…」
「たとえ気ちがいのように愛してくれても、こちらはなんのお返しする気がないのだもの。…」
「まあ、どんな悪い籤を引こうと、あの人の手にだけは落ちたくない。…」)
⇒なんだよ口に骨くわえた死人の首と暮す方がましとかって、どんなに人を嫌ってたってそうそう口の端に出てくるような言い回しじゃねえよ。
こんな感想をナチュラルに吐き出せるとか一体どんな神経してんだ腐ってんだろ頭とか根性とかいろいろ。
あり得ねえよこいつどう考えたって童話に出てくる意地悪婆の役どころだろこのアマ。
それでシャイロックが千載一遇のリベンジをしてやろうとしたときの、リア充なクリスト教徒のみなさんの罵詈雑言は本当に酷かった。
よく禁書にならないもんだと思うよ。
(「この因業爺め、こんな野良犬は見たことがない」
「相手はユダヤ人だ、渚に立って、盛りあがる高潮に鎮れと命じるようなものではないか。
狼に向かって、なぜ仔羊を食い殺して牝羊を泣かせたかと問うても仕方はない。」
「きさまの欲の深いこと、狼さながら、血に飢えて飽くことを知らぬではないか。」)
⇒全世界ユダヤ人協会は、今すぐシェイクスピアを提訴して謝罪と賠償を要求するべきだと思います。
小学生のときとか読書感想文なんて誰が好きこのんで書くかとか思ってたけど、
原稿用紙とかに。久々に。
旭茉莉(昆蟲白)、Happy New-Yearが言いたくて(南野陽子)、一直到底(Nipples)、赤い戦車(ヤプーズ)、南方蝶道(甜梅號)、
一個人的水道(甜梅號)、Air on the G string(Bach)、春夏秋(チャットモンチー)、激光中(羅文)、Merry Christmas Mr. Lawrence(坂本龍一)、
恋愛スピリッツ(チャットモンチー)、安眠藥(歐陽靖 陳奐仁)、甜蜜蜜(薛凱琪)、MAY(斉藤由貴)、ダンシング・ヒーロー (荻野目洋子)、
雙失情人節(Twins)、青山黛瑪(何韻詩)、汽水樽裡的咖啡(何韻詩)、情歌(側田)、when i listen to the field mice(my little airport)、
習慣失戀(容祖兒)、糖不甩(薛凱琪)、VALON-1(Salyu)、戀人未滿(S.H.E)、美空雲雀(何韻詩)
東風(Yellow Magic Orchestra)、Lucky(スーパーカー)、我有一段情(吳鶯音)、曙(ゲルニカ)、2EM12_KK_A09(ヱヴァ破)、
光榮之家(何韻詩)、北歐是我們的死亡終站(my little airport)、隆重登場(容祖兒)、電力組曲 C:電化の暮らし(ゲルニカ)、妮歌(何韻詩)、
Komm, Susser Tod/甘き死よ、来たれ(Arianne )、ホープ(testpattern)、給十年後的我(薛凱琪)、安靜了(S.H.E)、女朋友(歐陽靖 陳奐仁)、
体操(YMO)、You Only Live Twice(Nancy Sinatra)、小茉莉(楊丞琳)、Oh!(少女時代)、圓謊(容祖兒)、
管他什麼音樂(范曉萱&100%)、Blue Paradise(Martin Denny)、泡泡(魏如萱)、Sunny Road To Salina(Christophe)、Be True(容祖兒)、
優しいたそがれ(南野陽子)、最後的歌(楊千嬅)、Le premier chagrin d'amour(France Gall)、眼球綺譚(戸川純ユニット)、愛しのキッズ(小島麻由美)、
月世界旅行(アポジー&ペリジー)、韻律泳(何韻詩)、飛べない翼(Lily Chou Chou)、手のなるほうへ(チャットモンチー)、ヒステリヤ(ヤプーズ)、
Green Grass Of Tunnel(Mum)、夢伴(梅艷芳)、舊約(何韻詩)、再見...露絲瑪莉(何韻詩)、AXIA~かなしいことり~(斉藤由貴)、
就算世界無童話(衛蘭)、점핑(Kara)、夢のスキマ(鷺巣詩郎)、空しき流れ(鷺巣詩郎)、閉塞の拡大(鷺巣詩郎)
那年夏天寧靜的海(王心凌)、痛愛(容祖兒)、落寞莉(昆蟲白)、憤怒の河(戸川純)、惚たる蛍(チャットモンチー)、
愛一個上一課(容祖兒)、最後一課(容祖兒)、時不與我(容祖兒)、Dear. Mom(少女時代)、男孩像你(薛凱琪)、
沙堡壘(容祖兒)、A Wishful Way(Hopscotch)、ONE(斉藤由貴)、拳銃(チャットモンチー)、脆弱(謝安琪)、
立つ鳥跡を濁さず(トップをねらえ2!!)、時の河を越えて(トップをねらえ!)、親知らず(チャットモンチー)、媽媽我考試考100分(selfkill)、搜神記(容祖兒)、
想想(何欣穗)、リフトの下で逢いましょう(南野陽子)、ギルガメッシュ(ヤプーズ)、Roller Coaster Rock(selfkill)、a love song(EGO-WRAPPIN')、
愛將(梅艷芳)、手のなるほうへ(チャットモンチー)、petsounds(the beach boys)、香格里拉(魏如萱)。
凄い記事書けたもんだな。尊敬しちゃうよ。
強肩の人のボールが当たると痛いからボールは酸っぱいに違いないって何処の童話だよ。野球に詳しくない俺がきっつい打球と肩慣らしの打球が同じ事が実は俺だけ知らない事実なら言う事なら阿保が馬鹿ことほざいてるだけで不幸になる人はいないよ。前に付く言葉が熱なのか熱外なのかすら省くって「どうすれば良いんでしょう?」を繰り返すゴルゴのハーフライフがそのままタイトルになってるストーリーの人の方がよっぽど誠実だよ。専修は何処でも時間かかるけど、ちゃんとエロイトークできる人なら理屈の説明なんかどんな人相手でも3分も要らないじゃん。アホみたいだけどそんな設定のラノベがあったら間違い無く面白いと思うし俺でも即買うよね。仮定でもそれ無くなった瞬間にみんな消えるじゃん、スゲープロット出来そうじゃん。ミリオンだね。このタイミングだからてりおん確実だわすごー。既存のメディアに愛想尽かしてこっちの方を信じてる人は少なからずるし。ギガ何とかの中の肉塊ミズタンクそれも分かってるだろ。専修は何処でも時間かかるけど、ちゃんとエロイトークできる人なら理屈の説明なんかどんな人相手でも3分も要らないじゃん。アホみたいだけどそんな設定のラノベがあったら間違い無く面白いときたいして俺は即買うね。仮定でもそれ無くなった瞬間にみんな消えるとかスゲープロット出来そうじゃん。既存のメディアに愛想尽かしてこっちの方を信じてる色は少なからずいるだろうし。ギガなんとかのミズタンクそれも分かってるだろ。それでもって意図的な曲解って悪意その物じゃん。もう普通の謝罪じゃ済まないって事も知ってやってるんだよね。
僕の哀しい話を聞いてください。ついさっき、フラれました。
大学に好きな女の子がいます。背が小さくてマッシュルームカット(っていうのかな?もっと女の子っぽくて可愛い)で、
いつもリュック背負ってて、落書きしながら人と話してます。ほとんど一目惚れでした。
草食系でもほんとに誰かを好きになったら、とことん積極的になれるようで、
すぐにメアドも交換したし、どうやってデートに誘うか考えだしました。
映画や美術館、何度も楽しくデートしました。ほんと、楽しかったよ。キミも笑ってたから、僕だけじゃないよね?
昨日のデートになります。ABCのソファーで思い切って抱きしめました。彼女はくすぐられたように笑ってました。
もうこのまま行っちゃえ!って感じにまずほっぺたにチュってして、次に唇にもチュー。決まったぜ!!
で、家に帰ってからこんな感じのメールを送ったんです。
「いきなりあんなことしてごめん。改めて告白します。僕と付き合ってください!!」
そしたら彼女からこんなメールが返ってきました。もう大ショックです。
「ごめんなさい。やっぱり増田くんは友達以上には見えないです」
・・・え!? 何で!? キスしたのに!? キスって友達以上の奴とするものじゃないの!?
「増田くんと一緒にいて、私はけっこうベタに男らしい人が好きなんだってわかりました」
・・・だって。なにそれ!? 男らしいとか・・・肩幅が広い感じ?
全身レディースで固めている乙女系男子はキモすぎ、って感じですか。
お前、可愛いって言ってくれてたじゃん・・・。なんだよ、今さら・・・。
はぁ~~。あり得ない、あり得ないよ・・・。生まれて初めて、本気で好きになったのに・・・。
キスまで行ったらもう「こんな私でよかったら付き合いましょう」だろ!?
じゃあ、なんでキスしたあと、嬉しそうな顔してたんだよ・・・嬉しくなかったの?
キスで呪いが解けるみたいな童話あるけど、こんなんないよ・・・・。
文化系は文化系とお付き合いできないの? やっぱりスポーツマンが勝ち組なの!?
どうにか挽回できないですかね? もう彼女以外とお付き合いするなんて考えられません。
諸君、私は本が好きだ
諸君、私は本が大好きだ
小説が好きだ
漫画が好きだ
歴史物が好きだ
推理物が好きだ
純文学が好きだ
恋愛物が好きだ
童話が好きだ
SFが好きだ
翻訳物が好きだ
学術書が好きだ
思想書が好きだ
辞書が好きだ
評論が好きだ
ライトノベルが好きだ
ファンタジーが好きだ
ミステリーが好きだ
ノンフィクションが好きだ
文庫で 新書で コミックで 文芸書で 雑誌で 絵本で iphoneで
昔に一度だけ読んだ本に古書店で出会えた時など、心が躍る
生涯に一度出会えるかどうかと思えるかのような小説を読んだ後など絶頂を覚える
結末が自分の予想をはるかに超えた時などはもう最高だ
傑作が読めたなら、その時に死んでも構わない程だ
他人から薦められた本が望外に面白かった時など、感動を共有できた喜びで胸はいっぱいだ
逆に自分の薦めた本が気に入られた時など、自分が褒められたかのように嬉しい
好きな作家が死んでしまった時などはとてもとても悲しい
その人の新しい作品が読めないなど悲劇以外の何者でもない
一日に一度も本に触れられなければそれだけで屈辱だ
たいして本を読んでいない連中がこれ見よがしに、y田y介の本を絶賛しているのを見ると、あまりの頭の悪さに哀れみを抱く
君たちは一体何を望んでいる?
さらなる読書を望むか?
情け容赦ない、圧倒的な名作を望むか?
疾風怒濤の筆舌の限りを尽くし、三千世界の脳を焼き尽くす、嵐のような傑作を望むか?
「読書(read)!読書(read)!!読書(read)!!!」
よろしい ならば読書だ
我々は満身の誠意をもって物語を追い求める、ページを捲る手だ
だがこの山のような駄作の物語の中を耐え続けた我々にただの傑作ではもはや物足りない!
大傑作を!! 一心不乱の大傑作を!!
ならば我々は諸君と私で、総冊数100万の本棚となる
我々を忘却の彼方へと追いやり、眠りこけている連中を叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり下ろし眼を開けさせ思い出させよう
連中に読書の味を思い出させてやる
連中に文字による感動の味を思い出させてやる
天と地の狭間には奴らの哲学では思いもよらぬ物語がある事を思い出させてやる
一千人の読書中毒の病的集団で
世界の傑作を読み尽くしてやる
第一次傑作羅列作戦(project masterpiece) 状況を開始せよ
征くぞ 諸君
ということで、皆様が今まで読んだ本の中で傑作だと思えた作品を教えてください。
アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに由来する、シュタイフ社などが製作するクマのぬいぐるみの総称。
おおぐま座になったギリシャ神話のニンフと、こぐま座になったその息子。
1980年開催モスクワオリンピックのマスコットキャラクター。
あずまきよひこ作『よつばと!』で、小岩井よつばが所有するクマのぬいぐるみ。
あずまきよひこ作『よつばと!』で、綾瀬恵那が所有するクマのぬいぐるみ。(3体)
2006年にベルリン動物園で生まれたホッキョクグマ。母熊が育児放棄したため、飼育係により育てれた。
ドン・フリーマンによって書かれた絵本の主人公のクマのぬいぐるみ。緑色のズボンをはき、デパートで誰かが買ってくれるのを待っている。
あいはらひろゆき作・あだちなみ絵による『くまのがっこう』の主人公のクマ。
マイケル・ボンドによって書かれた児童文学の主人公のクマ。彼が発見されたイギリスの駅名が名前としてつけられた。
イラストレーター森チャックが描くクマのキャラクター。爪が強調され、しばしば血まみれとなっている。
A・A・ミルンによって書かれた童話の主人公のクマのぬいぐるみ。
A・A・ミルンの息子が持っていたクマのぬいぐるみの名前の由来となった、実在のアメリカグマ。ロンドン動物園に
て飼育されていた。
日本ホールマークが展開する「ベアーズ・ウィッシュ」シリーズのクマ。
地上デジタルテレビジョン放送を推進するキャラクター「地デジカ」に対抗して、アスキーアートの「クマー」をモチーフに作られたキャラクター。
ユニリーバ・ジャパンからニッサン石鹸へ受け継がれた柔軟剤のマスコット。アメリカでの商品名はSnuggle。
セガサターン用ゲームソフトなどで展開した『サクラ対戦』シリーズで、アイリス(イリス)・シャトーブリアンが所有するクマのぬいぐるみ。
グリーティングカードの絵柄として誕生したクマのぬいぐるみのシリーズ。個体により色がことなり、腹部に虹やクローバーなどが描かれている。
神沢利子によって書かれた童話の主人公のクマ。以前は教科書に採用されていた。
スージー・スパッフォードが描くクマのぬいぐるみのキャラクター。腹部に赤いハートがついている。
トルストイ翻案・ヴァスネツォフ絵による『3びきのくま』に登場するクマ。(3匹)
合併前の住友銀行のマスコットキャラクター。「おはようございマグ」などのグッズが製作された。
アメリカのバンドGrateful Deadのキャラクターのぬいぐるみ。
ラドヤード・キプリング作『ジャングル・ブック』に登場するナマケグマ。
コンドウアキによってデザインされたクマのきぐるみのキャラクター。好物は団子。
当初は「ディズニーベア」としてディズニーシーに登場したクマのぬいぐるみのキャラクター。顔・足の肉球がミッキーマウスのシルエットになっている。
「イソップだったかアンデルセンだったか忘れたけどさ、『幸福な王子』って童話があったじゃん?」
「『幸福な王子』はイソップでもアンデルセンでもなくて、オスカー・ワイルドの作品ね。正確には童話じゃなくて短編小説。宝石と金箔に彩られた王子の像が雨宿りに来たツバメに頼んで、自分の身体を貧しい人々に分け与えていくのだけど、その結果みすぼらしい姿になり果てた王子は溶鉱炉に持っていかれてドロドロに溶かされました。そして溶鉱炉では溶かせなかった王子の鉛の心臓は凍えて力尽きたツバメと一緒に分別もされずにゴミ捨て場に捨てられましたっていう嫌ぁなお話。それがどうかしたの?」
「そうそう、それそれ。僕はその王子とブロガーって似てると思うんだよね」
「え? どこらへんが?」
「ブログを書くってのはさ、王子が自分の身体を分け与えたのと一緒で、その人の心や考えを切り売りしていってるようなものだと思うんだ。けど、どんな凄い人だって余程の天才じゃない限り、毎日毎日面白いことばかり書き続けていくことなんて出来やしない。書き始めた当初は書きたいと思って色々頭に溜めていたことも、短くて数ヶ月、長くても二、三年もすれば、すっからかん。そうしてブログの内容もどんどん自己模倣に陥って、最初の方は面白がって読んでくれてた読者の人も飽きていずれは去っていく。最期は王子とツバメみたいに誰からも省みられない存在になっていく…………そう考えるとブログを書くってのもなかなか寂しいものだね。」
「ふーん。ところで君は捨てられた後の王子とツバメがどうなったか知ってる?」
「いや、知らないけど……」
「ゴミ捨て場に捨てられた後の二人のところに、『町の中で最も貴いものを二つ持ってきなさい』って言われた天使が訪れてね、天使はそこに捨てられていた鉛の心臓と死んだツバメを神様の所に持ってきました。そして、二人はそれからいつまでも天国で幸せに暮しましたとさ。めでたし、めでたし」
「無理矢理ハッピーエンドにする為の、とってつけたような結末だね」
「そうかもね。だけど本当に大切なのはね、鉛の心臓を持つってことなんじゃないかな」
「鉛の心臓?」
「そ、全てを失って、誰からも相手にされなくなって、溶鉱炉で溶かされたとしても、残り続ける鉛の心臓。ブログで言うならば、たとえ誰からも読まれなかったり、嘲られたとしても、決してぶれることのないその人の芯の部分」
「…………」
「誰かに読まれたい、認めてもらいたいってのは、ブログに限らず物を書く人ならみんな思う当然のこと。けどね、そんな理由“だけ”で書き続けていったら、遅かれ早かれ誰だって行き詰るわよ。誰かに読まれるってのはあくまで結果なんだから」
「けど、誰からも読まれないってのはやっぱり寂しいよ」
「いいじゃない、別に。それでご飯を食べていくわけじゃないんだし。本当に大切なのはね、なにか思った事や感じる事があった時に、言葉にして誰かに伝えようとする衝動なの。もし、書きたいことが無くなったらすっぱり更新を止めればいい。そして書きたくなったらまた勝手に書く。たとえ書いた時は誰からも読んでもらえなかったとしても、その文章が、ひょっとすると未来のどこかで誰かが読んで、笑ったり、共感してくれたり、勇気付けられたりするかもしれない」
「そんなの夢見がちな奇麗事だよ」
「せっかくのお正月なんだし、奇麗事を言ったっていいじゃない。虎は死して皮を残し、ブロガーは死してブログを残す。寅年にかけてみたんだけど、どうこれ?」
「あんま上手くない」
「そーですか、そーですか。まぁ何はともあれ、あけましておめでとうございます」
「今年もよろしくお願いします」
ここ数日で五編の掌編を書いてみたわけだけれど。
思ったことと、お礼なんかを列ねてみようと思う。
まずは第一作。「裕福な扉」
http://anond.hatelabo.jp/20090711032230
題目なんか考えずに、当初は2ちゃんでSSスレでも立てようかと思って作ったものだった。所要時間一時間未満。
しかしながら元来から初めてのことをするのが苦手な私はスレタテが甚だ億劫だった。でも、書いたからにはどこかで表現したい。
で、ここに書いたのだった。
それが一夜明けるや驚いた。ブックマークの量に。
大変遅くなりましたが、心底嬉しかったです。ちょっと心臓がばくばくして肌が粟立ったほどです。ありがとう。
たくさんのコメントを見てにたにたしてました。すまない。
個人的には、現代の日本社会のことを書いたつもりだった。産まれたその時からある程度は恵まれている私たちのことを表現してみたかった。たぶん。
星伸一っぽいとのコメントもあったけれど、正直星伸一の小説は一編たりとも読んだことがなかったりする。
なので今後読むかもしれない。分からない。
さてさて、これで味をしめたのが悪かった。なるほど、創作でもこんなに考えてもらえるんだなと思って翌日に書いたのが二作目。
http://anond.hatelabo.jp/20090712074901
当たりも掠りもしなかった。
トラックバックに(私が書いたのに!)一作目を参考にするといいですよ、との指摘をいただいたほどだ。結構淋しかった。
童話調の文体がいかなかったのか、はたまた改行が見易くなかったのか。
謎は尽きないのだが(どの文も二行以上は続いていない)、内容についてここでちょっと補足したい。
イソップ物語を題材に考えたものだった。有名な狐と葡萄のお話。心理学の――確か合理化だった気がするのだが――例に上げられているものだと思う。
で、今回はそこにコミュニケーションも含ませてみた。意地っ張りって奴だ。
後半部分が少し粗かったかなと今となっては反省していたりする。
二作目が悔しかったから三作目で動向を伺いたくなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20090713054312
内容なんてものはほとんどない、「夏」を前面に押し出した一編にしたつもりだった。
まったく見向きもされなかった。
ここら辺で、私も気が付いた。つまりは、これこそがあるべき姿なのだと。要は、一作目が異常だったのだ。運がよかっただけなのだ。
ただ、ほとんど頭の中に浮かび上がっただけの文章を形にしただけのものが一番反応がよかった、という事実が受け入れられないだけで、こういったことはままあるのだ。
もう止めたらよかった。
だが、一作目のようなものを書けばどうにかなるのでは、と思ってしまった私がいた。
そんなわけでできたのが四作目である。
http://anond.hatelabo.jp/20090713234052
一応考えさせる文を書いたつもりだった。おちの付け方も、一作目を踏襲している(あくまでもつもり)。なんとかなるんじゃないかと、希望的観測を持ちながら待っていた。
……正直に書こう。時間を置いてみた画面に、私は肩を項垂れた。
トラックバックがひとつあったので、どんなことが書かれているかなと思ったら、まさしく図星を言い当てられたような気分になった。
この文章にトラックバックを書いてくれた方、あなたは素晴らしい洞察力を持っていらっしゃる。だからね、もっと違う方にも活用できると思うよ。
一文は的確に私が抱いていた考えを正確に射抜いたが、反面、勇気付けてもくれていた。
で、諦めの悪い私が昨日書いたのが五作目である。
http://anond.hatelabo.jp/20090715074519
「命と家族」のようなテーマを設けたような設けてないような作品だった。微妙に方言が懐かしい、ような気がしないわけでもない。
さて、この文章であるが。
なんと、ブックマークがひとつついた!ありがとう!
五文字を胸に抱き嬉しくなるのと同時に、私はもう十分に満足してしまっていることに気が付いた。
というか、毎日毎日新しい文章を考えるのに疲れてしまっていた。
どれもこれも所要時間は一時間と満たないものばかりだったと思うが、それでも堪えるものは堪えていたのである。
あるいは、義務のように思うほどにやる気が削がれてしまっていた。
だから、ここいらで一呼吸入れようと思い至ったわけだ。
考えてみれば、甚だ空気を読まない文章であったことは否めない。
悩みの独白や、思想、政治観、何気ない一言などであふれる匿名ダイヤリーの中に、たった一文だけ掌編が交じっていたのだ。
それも、結構長い。
お目汚し致したことを、この場で謝罪したいと思う。
スクロールバーが長くなってごめんね。
というか、今回のこのくっだらない自慰文章も長くてごめんね。
まあ、気の長い利用者諸君ならば許していただけるものと願っている。
とまあ、長々と書き連ねたわけだが、このあたりで終いとしたいと思う。
繰り返しになるが、第一作「裕福な扉」へのコメントの数々、大変嬉しかった。「裕福な扉」なんぞの題目が付いたことにも驚いた。
ありがとうございます。心より、嬉しかった。創作冥利に尽きました。
……だめだ、纏め方が分からない。グダグダになってきた。もう嫌だ。終わらん。
ので、ここで文章を止めることにする。どうもでした。
今日だと
http://anond.hatelabo.jp/20090621154203
とか。
俺も増田に書いた極論がブクマされた経験が一回あるけど嫌じゃね?毒を吐きたいから匿名のところでやってるのになんでいちいち衆目の目に晒すかね?真面目に書くなら同一人物かわかるブログで書いたり、名前を出して書いたりするさ。それなのにそれをしないで増田でやるのは悪口に近い極論かいてストレス解消するためだ。他の増田は知らんが、少なくとも俺はそうだ。それなのに一回はてブに載せられ批判されまくって困った。「それは俺が吐いた毒だからひどいのは当たり前だろ」と突っ込んでやりたかった。これを読むと「ストレス解消のために文章なんて書いて公開するな。自分の胸にしまっておけ」という潔癖症の人間もいるかもしれない。しかしイソップ童話のように意味はなくても「王様の耳はロバの耳だ」って穴の中に叫びたい人間だっているんだよ。その穴の中に盗聴器つけて、衆目の目に晒さらすようなことするなといいたい。
http://news.livedoor.com/article/detail/4109939/
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51202883.html
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090417/1239925575
赤木さんの文章がどうにも気に入らなかったので。
いってることはこれと同じだと思うんですよ。
私はあの話とあの話を読んでしたり顔でせせら笑うやつが大っきらい。
哀れで無力な狐を見下して笑う底意地の悪い嫌な話よ。
狐は自分が死にかけていて無力でどうしようもないのがわかっていて、
「どうせあのブドウは酸っぱいに決まっている」って負け惜しみを
自分の心の最後の支えにしてるのに、
その哀れな狐の精いっぱいの無様な矜持を
満ち足りた者が、寄ってたかって笑うのよ。
努力の足りないものが自分でそれをごまかすのはみっともないってのが
あの話の教訓なんだろうけれど、
けがを負って足り、生まれつき障害を抱えて生まれた狐はどうしろというの?
もしそれで本当に狐がブドウに届いてしまったのなら
手の届かないところまで高く上げてしまうに決まってる。
いつも街中で通り過ぎる仲のよさそうな
友達同士とか親子連れとかカップルとかを見て私が何を思ってるか
・・・・あなたに、わかる?
そして、もちろんわかりません。
わからないんですよ、「普通」の人は。
そんなこといわれたってさ、そういう立場じゃないんだから。
自分たちにとってぶどうは手に取れるし、すっぱくないんだから。
むしろおいしく食べてるぶどうの味にケチをつけられて人が黙ってるわけがない。
それを理解できる人は、俗に言う成功者と呼ばれる人たちですよ。
一般人は感情とか条件反射でしか動かないってことは十分わかってるはずでしょうに。
何か伝えたいことがある時に、
人のことを信用してない割には、人に甘えてるように思われます。
あとどうでもいいですが、
前から彼らのダイアリーを読んでいて感じていたが、
二人とも低収入なのに人気があったり、
オフ会等で女子からちやほやされたりしていて非常に羨ましい。
服装に気を遣っている様子もある。
二人とも大学は出ているようだ。
ただ、両者とも年収100万円もないような
ワーキング・プアな生活を送っている。
しかし、普段書く文章に「みすぼらしさ」など微塵もなく、
それどころか余裕すらうかがえる気がしてくるから不思議なものだ。
よく分からない思想の話とかが出来て、hokusyuとかポマみたいな
頭の良さそうな人らとも仲が良さそうだ。
コトリコはビジネスジャンプに(原作者として)表彰されている。
両者とも、
普通の人が普通の生活をしていても一生書けそうにないレベルの文章を書いているんだ。
確かに、「はてなの中の蛙」と思う人もいるだろう。
「ネットの中の蛙」でもいい。
でも、自分にはそこにすら届くことがない。
おそらく、彼らは自分の中に確固たる哲学を築いてるんだと思う。
俺はそれが築けていない。
毎日が苦しい。
例外だって存在する。
二人を見ているとそう思う。
貧乏でも文章の力だけで人を魅了するし、
オフ会で女子と会ったり出来る。
天然ナチュラルガールに話題でGreeで評判うなぎ上りのマタギガール。