はてなキーワード: 怠惰とは
まだこの時期になっても作業をしていて論文の根幹となるデータが無い状態だ。
どうしてこんなになるまで放って置いたんだ!というツッコミは甘んじて受ける。正直卒業できなくなるんじゃないかという恐怖もある。だけどその怖さをいまだ現実のものとして十分にとらえていないのではないか。現に起きるのが遅くてラボに行くのが午後になったり、休日も作業すべきなのに何かと理由つけて部屋でゴロゴロしている有様だ。このままでは卒論の要旨提出に間に合わないことも頭の片隅に残したまま。
他の同期や他大学に行った高校の同級生は順調に卒論の執筆に取り掛かっている一方、私はこの体たらくだ。もう卒業できなくてもいいんじゃないかとさえ思いはじめている。研究に対する熱は今のラボに入ってからどんどん冷めている。ラボ配属当時の熱は今はもう無い。ラボに行くのですら億劫と思っているほどだ。私の性格は研究に向いていない。身にしみてわかったことだ。
父が「大学なんて行かなくてもいいじゃないか」と言っていたのがここにきて考えさせられる。自分は何のために大学に入ったのか。学士が欲しいから?モラトリアム続行のため?今まで自分は何も考えてこなかった。ネガティブな考えがぐるぐるしている。
でも、今やっていることがどんなにほかの人と比べて遅くてもやることだけはやらなければこれからの人生はないと思ってやっていこう。自分の怠惰な心を振り払って進めよう。たとえ周りから蔑まされて自分の仕事が評価されなくてもいい。いっぺん精神の地獄を味わうつもりでいこう。卒業できればお慰み。
落ちるところがなくなるまで自分を落としていこう。
もちろんマトモな人もいるんだけど、一般的には、あの辺の人たちって何だか精神的に幼いトコがあるようで会話が成立しない事が多い気がする。(偏見かもしれんけど)
「精神的に幼い」ファンがいることによって、「マトモな」人がいっしょくたにされて偏見を受けがちってことなんですよね。
「高学歴でコミュ力のある新卒が引っ張りだこなのはなぜか?」良質な人材である可能性が統計的に高いから。
「ニート・引きこもり暦の長い人間が企業から避けられるのはなぜか?」問題を起こす"面倒くさい"人材である可能性が統計的に高いから。
"高学歴でコミュ力のある無能な人間"も、"ニート・引きこもり暦が長いが爆発的なイノベーションを起こす才能を持っている有用な人間"も、
中には存在するのだけど、統計データというインパクトのある存在によって無視されてしまう。
「偏見」は、一人ひとりを見ることの面倒さ、要するに怠惰が起こしていることだと思う。
ただ大半の人間は怠惰なので、「偏見」と、良いほうの偏見である「ブランドイメージ」が隆盛を誇ってしまう。
そこで重要なのが「ブランドイメージの良い属性を身に着ける努力」と、「自分の持っている属性のブランドイメージを高める努力」の二つになる。
「女」全体のイメージを損なっている存在として、「痴漢被害をでっちあげて示談金をむしり取る女」が居る。
痴漢をする男性同様に、数は少ないけれど、絶大なインパクトを持って「性全体」への不信感を作り出してしまう。
凄まじいインパクトのある人間の存在は、統計データよりも強い力で偏見を作り出すんだよね…。
ここで示談金詐取を行わない女がするべきことは、偏見をもって接してくる男性への批判じゃなく、示談金詐取を行う女への攻撃だけ。「そこだけに絞って攻撃すること」が必要なのだと思う。
「男」が「示談金詐取を行う女」を攻撃することは「女全体」への攻撃と混同されることがあり、
「女」が「痴漢をする男」を攻撃することは「男全体」への攻撃と混同されることがある。
それって「示談金詐取を行う女」と「痴漢をする男」の思う壷だと思うんだ。
「女」が「示談金詐取を行う女」を攻撃し、「男」が「痴漢をする男」を攻撃すれば、攻撃の純度が高まる。いわゆる"流れ弾"が発生しにくくなる。
「示談金詐取を行う女」「痴漢をする男」への純度の高い攻撃が行われれば、「男」や「女」のブランドイメージは回復すると思う。
結婚後の合計特殊出生率は女性の賃金によらない、というのは分かりますよ。
うん、それは「フィンランド女性に上昇婚志向が見られない」からだと思います。
女性が「自分と同じくらいの給料の男性と結婚する」と考えれば結婚は増え、出生率も増えます。北欧ではそうなのでしょう。
日本では(未婚男女の可処分所得は男女ならんでいるのに)女性は「主たる稼ぎ手は男性であるべき」という意識が変わらないのです。
この点に関して『これは女性が悪いのか?』と考えるのか、
■溺愛:子供が大きくなっても親が無条件に子供を可愛がることで、子供は自分を無条件で愛されるべき存在と思い込む。
だから30過ぎになっても私は年収1000万の男性に愛されるべき存在などと勘違いしてしまうし、平凡な50歳である自分が加藤茶のような結婚ができると勘違いしてしまう。
子供が出来たときに褒め、出来ないときは叱るという適切な教育が必要。「評価されている」という観点を持たせなければならない。
■過保護:全て親任せにして育った子供は、親が居ないと何も出来ない無能になってしまう。
無能が許されるのは若くて美人な処女だけ。とくに高齢の男性は無能が許されない。
■過干渉:親が子供への強い発言力を持ちいうことを聞かせ続けることで、子供は学習性無力感を植えつけられ無気力になっていく。
無気力で怠惰な無能に性的魅力を感じる人や、結婚して共に生きたいと思う者など居ない。過干渉は人間の魅力を根こそぎ奪う育て方だ。
男の場合はチビブサメンに生まれても後天的な努力でいくらでも勝てる仕組みになってるんだよね。
この一文が示すように。逆に、高身長イケメンに生まれたが頭が悪く怠惰だった男は、若いうちのいっときチヤホヤされるものの、
25歳過ぎて派遣やフリーター、肉体労働に明け暮れる貧乏人だと女はどんどん離れていく。
逆に、女の価値は若さと顔が全てなんだよ。努力でどうしようもない生まれつきのことだけが全て。
男は女の顔と年齢しか見ていないし、高学歴で有名企業に勤めている元増田も「そこそこ可愛い顔」の嫁をもらっている。
「頑張っているブス」に一切の価値を見出さないのが全ての男という生き物なんだよね。
気が利かないと責めるけど安心がないと他人に気を遣う余裕が無いので難しい。
自分が相手に対して余計なプレッシャーをかけてないか、安心を保証できてないのではないか、と確認するようにしたい。
というか、ある意味ではとても気を遣っている。
基本的に、過干渉が最初にあって、それに対する過剰防衛という問題であって
「だれそれが気が利くきかない」の問題ではなく、「気を通わすことが難しい関係性である」として問題を捉えるべき。
自分が上の立場だとこのことをすぐに忘れて、目下の者だけを責めるようになってしまうので注意するに越したことはない。
あと相手の志向のようなものが怒ることメイン(減点方式というかなんというか)だと、
喜ばせるための行動も自ずと自重される。
自然と気を遣って貰える人は、その気遣いによく気づき感謝する人だったりするので、見習いたい。
というか、気遣いというのを「こちらの要求が、言わなくても叶えられて然るべし」というような発想は
単なるコミュニケーションの怠惰であり、傲慢である。礼儀知らずであり、相手の意思を無視している。
目上になると、すぐにこうやって目下に対して礼儀知らずになってしまって、相手を不安に陥れ、
本当は気遣いのよく出来る良い人であっても、できなくしてしまうキケンが大きい。気を付けたい。
基本的に、人が人を嫌うのは、相手が自分というものを侵害したり、抑圧したりするからであって、防衛意識によると思う。
生理的に嫌いってのも、相手が自分の許可したラインを越えて侵入してくるということだろう。
嫌悪を乗り越えるために、自分はどれだけ頭を使って工夫できるかが大事。
こういう、完全な他人の間では誰もが理解していることなのに、
「親子」とか「恋人」とか「上司部下」といった関係になるととたんに甘えてしまうことが多い。
私はこういう関係が全く理解出来ない。
私にとってはどれも他人であり、他人である以上一定の線以上はどうしても相手を立ち入らせることが出来なかった。
で、相手はそこのラインを平気で侵害するので、しょっちゅう喧嘩になってうまく行った試しがない。
相手からしたら、私が自分のラインを押し付けたように見えただろうな。私のほうが加害者だったんだろうと思う。
親子関係にも恋人関係にも恵まれなかったと言い訳したいけれど多分、自分がそれらのメリットを全く受け取れないほど、人格的にどこか欠陥があるのかもしれない。
鬼灯さんちのアネキというマンガに出てくるワカメ髪の女の子を読んでそんなことを思った。
私はこの子にやたらと共感してしまう。私の友達はこの子のような人が多い。
お互いが合意のもとで許可したライン以上は絶対に越えないという関係。そういうのがとても落ち着く。
友達というか、関係のある他人。 必要なときだけ、壁越しにお互いの持ち物を投げ合う関係。
でも、ああいう子がどうやって、どういう時にラインを越えていくのか、そういうのを描いて欲しい。
文学少女シリーズの竹田さんしかりであるが、トラウマとかなんだとかわかりやすい傷を抱えている人よりも、
生まれて最初から、絶対的に変わらないラインがある人って、そもそも他人と深い関係を結ぶべきじゃないと思う。
そういう人が、落ち着いて存在できる。物語にはならないけれど、隅っこでただそこにある。そういう存在として生きたい。
ごちゃごちゃ理屈をこねたけど、結局、自分はこういう人間だから、こうしたいって言ってるだけだな。格好悪いな
他の人は自衛のために仲間づくりとか頑張ってるのに、それをサボってぼおっとしていたいって言ってるようなもんだ。
これだと相手に踏みにじらても文句は言えないと思う。
だから、自分なりに自衛の努力はしつつ、いざ踏まれても文句は言わないようにするしかない。
でもこれって、なんか政治とか軍事面から見た日本って感じだな。
誰かに頼って運良く生きているけど自覚しないで俺は一人でいたいんだーほうっておいてくれー、てな。
格好悪いうえにわがままカー救いようがないなー。
一番問題なのはさ。彼女のような人が働くと、社会のマイナスになるってことなんだよ。
人の管理ににもお金がかかる。生産性の低い彼女を雇い続けるために、彼女の上司のリソースが割かれる。
あなたは彼女を見ていると「働けよ!」と怒るだろうけど、彼女があなたの職場で働き始めたらどう?
正直、勘弁してほしいと思うでしょう。
彼女が部下になるなんて、考えただけで頭が痛くなるでしょう。
無能な人間は何も生まないわけじゃなく、有能な人間の足を引っ張るんだよ。社会に参画することはマイナスなんだよ。
産業革命とIT革命によって、怠惰な人間や無能な人間ができる仕事は「効率化」の名のもとにどんどん消えて行っている。
「とにかく人手が足りない!バカでもクズでもいいから来てくれ!」なんて状況は、もう大昔の物語。
その枠は、優秀で低コストな、機械やシステムにとってかわられたの。
今の世の中では、彼女にできる仕事なんて風俗くらいしか無いの。
風俗でも、勤怠が悪かったり客からの評判が悪かったりしたらクビになるかもしれないし、
格安風俗に金を使う層の男が皆ワープア化したら、風俗産業自体が低迷して消えていくかもしれない。
金持ち向けの高級娼婦や愛人契約っていう方法以外、なくなってしまうかもしれない。
正直、需要がないのよ。どこにも枠がないのよ。ニートもそうだけど。
でもそんな人にも生きていてもらわないと、人口減により市場が縮小し、元気に働いている人の給料まで減って生活が圧迫されてしまう。
本当に、どうしたらいいんだろうね。
客だから無下にはできないし、どれだけかわすのに苦労しているか。
店外デートに付き合わされるというのは私たちにとっては「給料を盗まれる」ということに他ならないのだ。
60分なら60分拘束されると、店に来てくれたら受け取るであろう1万円なら1万円の給料を奪われるということなのだ。
なら個人的にお金を時間分渡す、店の取り分までもらえるからその方がいいだろう、と言う人も多いが、これも浅慮過ぎ。
私たちは本指名を取らなければいけない。
ノルマがあって、到達できないと降格や最悪クビにされる。
店の外で会うということは、時間分の給料を奪われること以上に、「指名を失い店での評価を下げる」ことにつながるから、いけないのだ。
いくら一人の客から店の取り分まで取れたとしても、店での評価を下げたら全体としての自分の収入は減るんだよ。
クビにされたらその客以外からの収入はなくなるんだよ。死活問題だよ。
あんたたちだって、お得意のお客さんにはへこへこ媚を売るでしょう?
でもその人が「商品が欲しい、サービスを受けたい、でも代金は払わない」って言ってきたら、何バカなこと言ってんだ、
金払わないならもう来るな、って思うでしょう?
婚姻届を持って来て、収入証明を見せて「僕にはこれだけの収入があるので、君を一生養っていける。今すぐこの仕事を辞めて僕と結婚してくれ」
とプロポーズしてください。
大体何であんたたち彼女を作らず、あるいはいても、風俗に来てるの?
魅力がなくて彼女を作れない、または責任を取らずセックスだけしたいからでしょ?
言いかえれば男の人の「怠惰さ」「わがまま」を受け入れることが私たちの仕事なのだ。
それを金で補わず無料で受け入れろ、ってどんだけあんた神なの?
何も言わず、ただひたすら自分の魅力を磨いて、その女の子に通って下さい。
その女の子があなたに恋をしたら、自分から「付き合いましょう。お店を通じないで会いましょう」って言います。
そういわれない限りは、人間ではないただの金ヅルと思われている、自分の待遇のために仕方なく会っているだけとみなして間違いはありません。
http://anond.hatelabo.jp/20111124032014
こりゃ参った。
躊躇する理由は
どの女性にも一瞬でも愛されたことがない
努力したとしても叶えられなかったのだとすれば、遺伝子を継承するという生物として最も基本的な権利を創造主から剥奪され自然界から見放された「非生物」であることの証
この4点と見受けられる。
一瞬でも愛されたことがないというのは、該当しないだろう。両親を抜きにしてもこれはないと自負している。
次に努力の怠慢
こちらは、該当する。
言い訳にしか聞こえないかもしれないが、彼女がいなくて生活に困ったことなんてないっていうのが理由なのかな。
いわゆる思春期の時は、抑えられない性欲なんてものが私にもあったが、今はもうそんなことなく落ち着いて。
私と同じ世代の人の中には気軽にセックスする人なんかいるらしいし、エロサイトの管理人のおっさんが出会い系サイトでのハメ撮り報告なんかしているのも楽しく見させてもらってる。
傍観者としてはとっても面白いけど、自分が当事者になろうなんて考えたこともないし。
セックス以外の面でも欲するものは特にないかな。映画とかドラマとか漫画とかで胸キュンできればそれでいいし。
努力して叶えられなかったっていうのを自然界から見放されたと解釈するのは該当してないが、反発を覚える。
女性より力の強い男性はいくらでもいるし、女性より強くなる為に鍛えることも容易。これは、強姦すればだれでもセックスできるということ。
ということは、社会規範に縛られなければ決して童貞ではないかと思う。それでも童貞であるということは、むしろ良識を持った男性であるんじゃないかなと思う。
商業的~っていうのは該当するが、まあその為のお金を稼ぐ怠慢というより、選択の中で選択されなかっただけかと思う。
私もそんなところにお金をかけるぐらいだったら、趣味にお金をかけたいし。
まあ、彼女ができてから彼女にいい時を提供するために行くなんてこともありだと思うけど、それを彼女がいない状態でやるのはいささか馬鹿らしいし。
ここまで、躊躇理由について反論なんかしてみたけど
その男は婚活に来たんだからそれなりの気持ちの変化があったんじゃないかなと思う。
「恋したい」
「結婚したい」
今なお「女性がいなくても困らない、だけど子どもは欲しいよね、代理出産とかしてくれる人いないかな、精子バングっていくらぐらい掛かるんだろう」とかホザいてる私なんかよりずっといいと思います(笑)
なにごとも、経験がないことは経験のあることに比べてなにかと面倒だったりするけど、過去より将来を見据えることが重要なんじゃないかな。
以上
私のような頭が悪い人間がくよくよ悩んだり難しいこと考えてもろくなことになりません。だけど毎晩考えずにはいられません。
大して親しくもないクラスの女の子にごく自然に貶されたら腹が立ちます。思わず手に持っていた携帯をへし折ってしまいました。
勿論皆がいなくなったあとで。
最近はもう他人からも自分自身からも馬鹿にされるために生きているようなものです。
早く抜け出したい。
でも馬鹿だクズだと言われるのに耐えて一人で頑張ることに、何度挫けたことでしょう。
私はどうやったら楽になれるのでしょう。
馬鹿にされることに慣れれば楽になるのでしょうか。
それから、「男ができたらすぐに立ち直るんだろバカ」とか言わないで下さい。
>努力したとしても叶えられなかったのだとすれば、
>遺伝子を継承するという生物として最も基本的な権利を創造主から剥奪され自然界から見放された「非生物」であることの証左、
>実力に不相応なプライドを口実として商業的に体験するための金を稼ぐ努力すらも惜しむ怠惰さ、
そんなに大問題ですかね?この人が風俗へ一回行っていれば良かったわけ?
というか、結婚相手をそういう視点で判断していることに驚き。性格とか見た目、収入の方が余程大事だと思うんだが。
相手を見る目がここまで無いケースも珍しいし、逆にそういう人を紹介されてしまった彼の方が可哀想。
本人がそう言った。
ああやっぱりそうかという気持ちもあり同時に反射的に「きもい」と拒否感を覚えてしまった私は最低だろうか。
形式とか属性とかで他人を評価することは私が最も嫌うところであるが、
35年間どの女性にも一瞬でも愛されたことがない、
恐らく嫌悪されていたのであろう彼のこれまでの人生がとどめる術もなく想起されると、
同情と軽侮を禁じ得なかった。
努力したとしても叶えられなかったのだとすれば、
遺伝子を継承するという生物として最も基本的な権利を創造主から剥奪され自然界から見放された「非生物」であることの証左、
実力に不相応なプライドを口実として商業的に体験するための金を稼ぐ努力すらも惜しむ怠惰さ、
そしてその怠慢さ或いは非生物性を帳消しにするためのお見合い市場という在庫一掃処分セールへの参入、
そして誰からも見初められずに売れ残った質の悪い商品を購入する貧乏人の自分、
そして購入する自分もそれ相応の価値しかないことが直ちに脳裡に浮かび上がり、
この結婚は互いにとって不幸への第一歩なのではないかという疑念に駆られた。
本人の本質的な内面を知らずに皮相的な条件から判断しようとしている自分に自己嫌悪の念を覚えている。
そしてこのような唾棄すべき感情を抱えながら彼と対峙すること自体が、
彼との円滑な交際を阻害する要因となるような予感もしている。
ゲームの紹介!
エルスの天秤 Free
攻略を短く書いてあるページ
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補足事項
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緑の扉 と 古代ノ至宝
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増田の親はおそらく「こんな奴」なんだろうが
なぜならモトマスダの子供は普通程度には幸せな可能性があるからだ
モトマスダは怠惰な責任転嫁厨だが子供の教育には少なくとも興味があるらしい
「こんな奴の子供として生れる子の身にもなれと言いたい」?
増田はこんな奴の子供として生まれた自分に同情してほしいのか?
それともこんな奴の子供に同情している自分を否定されたくないのか?
非常に残念だが同情だけでは世界は変わらないよ
愛が世界を救わないのとは同程度に
まったく関係のない蛇足だが、
どんなに親が幸せを注いでも、残念ながら、満たされない子供というものはいる
育てかたの違いではおそらく、ない
奴らは声高に自分の親を責め、
自分の理想からちょっとでも外れると「おまえは毒親だ!」と罵ってくる
そういう自分が毒を振りまいていることには目を閉じてな
毒になる親という本は確かにセンセーショナルだった
この本で救われた人間も数多くいるだろう
だが、一部の「毒になる子供」はこの本を利用して
ただでさえずるがしこい性悪に余計な知恵をつけさせた、という点では罪深い本だ
確かに「親がこうだと、こうなりやすい」という傾向というものはある
ただし、それは絶対ではない
増田はおそらく同情心に富んだ優しい人間なんだろうと想像するが、
あまり周りを見過ぎないほうがいい
深い面識もないのに「親が」と言ってくる奴がいたらスルーしたほうがいい
利用されるだけ利用されて吸い取られるぞ
私は怠けたい。
なまけてなまけてなまけ倒したい。
必要のない物を作るために働きたくはないし、他人の財布のために働きたくもない。
人類が中世を抜けだして以来、技術は進歩し生産性は向上し続けてきた。過去に比べて「生きるために必要な労働」は減っているはずだ。なのに労働が一向に減る気配がないのは何故か。
それは世の中に蔓延する無駄な労働が、われわれの足を引っ張っているからだ。それら無駄労働の蔓延を招いたのは、「経済成長」を至上のものとする価値観と、それを信奉する人々である。
彼らは「労働は増え続けなければならない」という謎の理屈を振りかざし、我々怠け者たちを虐げ続けてきた。
タイダニアとは、怠け者の、怠け者による、怠け者のための国家であり、怠惰な社会についての提言である。
「全ての国民は、ただ何もせずにだらだらとしていても良い」というのがタイダニアの崇高な理想であり、最終目的である。あらゆる社会制度は、その目的を果たすために設計される。
怠惰な社会を実現し、それを持続可能なものにするためには、いかに労働を最小限に抑えるかが鍵になる。「最小労働社会」を目指す、と言い換えても良い。
そのために必要なのは、経済をサイズダウンさせ、効率的な社会を作ることだ。
自由経済は本来、その経済規模を縮小して労働を削減する仕組みを備えている。
過去に起きてきた様々な”経済不況”がその証拠である。自由競争によって需要の無い事業は潰れ、労働の効率化は進み、経済は縮小してゆく。この働きがなければ、我々は文字通り寝る間もない労働を強いられることになるだろう。
だが、政治家や経済学者たちは、その働きを阻害する政策を次から次へと考え出し、実行し続けてきた。経済の縮小を否定して成長と言う名の肥大化を続けた結果、今や経済は巨大な雪だるまと化し、その自重で潰れる日を待つばかりになっている。
彼らを狂っているのだと断ずるのはたやすい。実際、「持続可能な成長を目指す」(実現不可能なことは明白だ)だの、「雇用の創出のために財政出動をするべき」(金を出してまで労働を増やす???)という彼らの意味不明な言動の数々を見れば、狂っていると考えるしかないように思える。しかし、彼らがなぜ狂ってしまったのか、彼らを狂わせたものは何なのかという事も考えなければならない。
経済成長論者たちがのさばり、経済の縮小が許されないものとされてきたのは、それが失業を発生させるからだ。
失業者の増加は不満の増大を生み、社会の不安定化をもたらす。様々な革命や動乱の背景に失業問題があったことは良く指摘されている。
失業はタイダニアにおいても深刻な問題だ。善良なタイダニア国民にとって失業者とは羨望と嫉妬の対象であり、理由もなくそれを手に入れる人間が増えることは、社会に著しい不公平感を蔓延させることになりかねない。
ではどうすれば良いか。
失業問題を解決させるために消費を増やすなどという狂った解決策は、タイダニアではもちろん採用しない。
結論を言うと、失業問題は一人あたりの労働時間を減らすことによって解決されるべきだ。これによって労働者の余暇は増え、労働力を失った企業は新たな求人を行うことになるだろう。
労働時間をどれだけ減らすべきかについては、その分野の失業率や有効求人倍率によって決定すれば良い。労働時間を減らす方策については、単純に長時間労働を禁止するのも悪くないが、ペナルティとして税金を課すなどした方が、弾力性のある運用が可能になる。
また、労働時間を減らせば当然収入は低下する。それによって生活が不可能になる人たちが出ないように、経済弱者を保護するための施策も同時に行なってゆくべきだ。
タイダニアにおいては、貧富の差はできるだけ抑えられるべきである。過大な富の行使は無駄な労働を生んでしまうからだ。
富を持つということは、労働を強いる権利を持っているということだ。
貧富の差について、「3割の人間が7割の富を持ち、7割の人間が残り3割の富を分け合っている」という言葉がある。
貧富の差が縮小し、3割の金持ちが残りの大多数と同じ水準の生活を送るようになったと仮定する。大雑把に計算すると『0.7−0.3×(0.3/0.7)≒0.57』となり、5割以上の労働が削減できることになる。あなたが今、週5日にも及ぶ長時間労働を強いられているとすれば、それは週2日半の労働で済むようになるということだ。
もちろん、これは乱暴すぎる計算だ。経済格差をそこまで縮小させることも容易ではない。ただ、貧富の差を縮小することが怠惰な社会にとって非常に重要だということは理解してもらえるだろう。
行政に付きものだったムダな公共事業と非効率な役所仕事、これらを削減できる事はタイダニアの大きなメリットの一つだ。
まず、タイダニアでは経済の拡大を目指さないのだから、景気浮揚のために行われていた公共事業は全て削減できる。国の大型事業はもちろん、「地域の活性化を目指し」だの「経済効果を期待して」などの理由で行われていた自治体の事業も同様だ。
その他の公共事業や行政サービスについては、「余暇を増やすこと」という基準を設ける。つまり、「その事業を行うことで削減できる労働時間」と「その事業にかかる労働時間」を比較して、削減できる時間の方が長い事業だけを存続させる。
この基準の導入によって削減できる事業と、経済の活性化のために行われてきた事業。これらを廃止することで、相当な規模の行政コストを削減できるはずだ。税金は減り、我々はその分労働を行わなくても良いようになる。
また、成長論者たちが言っている「乗数効果」が本当に正しいのであれば、削減したコストの何倍もの労働を社会から追放できるはずだ。
成長を前提とした社会は、決して人を幸福にはしない。持続可能なものでさえ無い。
すべての資源を取り尽くし、消費し尽くした後で、自分たちの築いてきたものがガラクタの山に過ぎなかったことに気づくのでは遅すぎる。
消費は適正な程度に抑えられなければならない。過剰な消費と労働を礼賛し、怠惰の価値を認めない社会は、早晩行き詰まる事になるだろう。今すぐに完全なタイダニアを作るとまで言わずとも、その一部を取り入れることはできるはずだ。
過労死や自殺、平均寿命の低下、精神疾患、家庭崩壊。過剰な労働は我々の人生を奪い続けている。それらを取り戻すために、そして何よりも子供たちの生きる未来が喰らい尽くされないために、我々は勇気を持って主張するべきなのだ。
「怠けたい」と。
・お前が見てないとこで食ってるだけの姑息な豚だよ
・太るだけの量を食わずに一ヶ月7キロ太れるんなら、地球の食糧問題は解決するよ
太ってる人が好きじゃないんだ。友達としては見られるけど、恋愛対象にはできないんだ。
彼は元々太ってた。だからずっと仲のいい友達の一人でしかなくて、全く恋愛対象にしてこなかった。
なんとなく好かれてるのを感じたから、大人数で話しているときに
「スタイルいい人が好き」「顔よりスタイル重視」「細マッチョの芸能人マジでかっこいい」と
露骨なくらいに言うようにした。遠ざけるつもりだった。
そしたら彼が7キロ減量した。見違えた。7キロ減ると人相まで変わるんだね。
その後告白され、元々仲は良くて居心地のいい関係だったから、付き合うことにした。
でもそれから一か月、もう!?ってくらい早く彼の体重が戻っていっている。
暴飲暴食もしないし怠惰でもないから、太りやすい体質なんだと思う。
ものすごく頑張らないと普通の体型が維持できない体質なんだと思う。
理解しようと思っても、心が冷めていく。
付き合ったのが間違いだったのかな。太っていること以外に、彼氏には何の不満もないのだけど。
http://hamusoku.com/archives/6186250.html
こーゆーニュースが出ると決まって「こんなダメなやつを助ける必要ない」という人が出てきて(2chでの多数派)、それに対して「そんなにダメな人ばかりじゃない」「叩きやすい例を引っ張ってきて叩いてるだけ」「頑張ってる人もいる」みたいな反論が出てくるんだけども。いずれにしても前提として「助けられる資格のある人/ない人」という分断があるわけだ。頑張ってるなら助けてあげるけど、怠け者を助ける必要はない、みたいな。
僕(さよく)は、そもそも、その前提が間違っておると思っていて。僕らが福祉だとか貧者を助けるだとかいう時に考えているのは、とにかく全員を助ける、ということだ。そもそも、倫理が僕らに命じているのは、全員助けろ、ということである。「ほら、こんないい加減な怠惰なくだらない人間ばかりなんだから、助けてやる必要なんてないんだ」? いやいや、そんなこと気にしてない。助けるんだよ全員。「こんなに努力しても貧困から抜け出せないんです」アピールなどしない、僕は。
なにも、どんどんパチンコやりなさい、と言っているのではなくて。貧困に陥る、というのは、そういうことなのだ、と言いたい。カネがなければ、カネをパチンコのような無駄なことに費やさずに、社会復帰する努力をする「合理的」「自律的」な「人間」であることが当然だとでも? 人間はなぜか追い詰められると酒飲んだりタバコすったり、実に無駄なことをする。しちゃうんだよ。で、じゃあ、不合理なものを除去したほうがいい? そんなんいうたら人間消えたほうがいいって話で。
この種の貧困、というか、うん、堕落、といってしまおう。堕落から人を救う、ということには特殊な社会的な力がいる。堕落は好ましくない状態だが、病気じゃない。それは直せばいいという類のものではなくて、包摂するというか対話するというか、折り合いを付けたい。そういう力は、ナショナリズムから来るのか、宗教から来るのか、どこから供給すればいいんだろうか、と悩んでいる。(さよくなのでどっちもNGです)
最近自分がネットで言われる「真面目系クズ」であることを段々と実感してきて正直辛い。
真面目に授業受けてノート取ってるけど、
帰宅すると予習や復習なんて忘れてひたすらPCPCPC.......みたいな感じでいつも成績悪い。
何事においても中途半端。
なのに人一倍プライドが強い。
中学では上位のほうだった。まあ少し勉強すれば上の順位に入るし楽だった。
高校に進学して、今まで中学の時にやってた色々な活動にもなんかだんだんダルくなって参加しなくなっていった。
高校入学当初は張り切って勉強していたのに全く勉強しなくなり、学校から帰宅したらまずパソコンを開いてインターネッツ。
どんどん成績は落ちていった。
心配した教師が話しかけてきた。しかし「あ、はい。いや、別に大丈夫です....」の一点張りで返す。
たぶん呆れているだろう。
どんどん成績が落ちているにも関わらず、「自分は大丈夫だろう....」と思いながらインターネッツを楽しむ毎日。
「俺はまだ本気を出していないだけで全然大丈夫だ」とそんな考えが頭をよぎる。
「あー、自分クズすぎる。どうしようかなー」と軽い自己嫌悪になる時もよくある。
でも思ってるだけで一向に改善しようとしない。学校で改善しようとする気が起こっても帰宅したらすぐに忘れてインターネッツに没頭する。
結局は自分に言い訳ばかりついて中途半端な行動しかしないこと、詰めが甘いこと
全部理解している。
でも、結局は何もしないまま怠惰な生活を送ってそうして毎日が過ぎて行く。
そして今日も明日提出の課題をやろうと思って早めに帰宅したはいいが、こうして夜遅くまでインターネッツをやって増田に投稿している。
はぁなんかまとめてみたけどやっぱクズだ
通り魔にでも会って殺されたい
私は所謂嫌煙家である。タバコの煙、あまり好きではない。そして、出来れば煙から遠くに居たいと思う。
と書くと、愛煙家の方あるいはヒステリックに禁煙を求めるような人の姿を思い浮かべてしまった方は、ありがちな自分の意見発表だろうと思ってしまったかもしれない。だが、ここでの主題はタバコそのものにあるわけではなく、その背景だということを付言しておきたい。私はタバコを吸う事自体は、個人によりけりだと思っており、殊更に禁煙を求めるようなことを言いたいのではない。
むしろこの場で少し言いたいのは、人間の奥底に抑圧されているようなトラウマチックなものが見せる反応のことである。トラウマというとセンセーショナルなことを思い浮かべる諸氏もいらっしゃることと思うが、そんなものでもない。私の奥底にある、そして最近その存在にはっきりと気づき始めたトラウマというのは、あくまで大事件というものでもなく、日常の中ですこしずつ蓄積されていったものだ。人には、どうしても譲れなかったり、頭ではわかっていてもどうしても受け入れられないようなことがあるという経験を身をもってしたということをを理解していただきたい。
そのルーツは、やはり親なのだろう。上手くいかなかった時、親の仕事がはかどらない時、そこには、いつもタバコの煙があった。ただし、昔から普通の時も吸っていたので、特に悪い状況=タバコという思考回路が形成される積極的な理由には成り得ない。ただ、健康のためと禁煙しながらやっぱり吸ってしまい、そして家でぐうたらしながらタバコをくゆらせる姿が、この人生の中で記憶として残ってしまっている。そんな経験もあったので、私にとっては、タバコ=堕落、怠慢の象徴に映るのである。かくして、私にタバコの臭いはそんな苦い思い出と共にこの頭にインプットされた。これが、私のトラウマの元ではある。
同じ体をこわすと言うか、体を削って快楽を求める依存性のある物質として、酒とタバコに本質的な違いは感じない。依存性の大きさとか、副煙流とかは私にとってはどうでもいい。だから、私は自他ともに認めるくらい酒を飲むときは飲むが、その原因はやっぱり普段のストレスだと思うし、普通に考えれば、意志の弱い私はこんな経験があれば結果としてタバコにも手を出しかねなかったのである。
だが、現に私は人生これまで副煙流にあずかることも多く明らかに1本でも吸えばニコチン中毒になるであろう体を持ちながら、未だにタバコを吸ったことがない。むしろ、タバコを吸う姿を一瞥するだけで、こう体に虫酸が走るような感覚と言いようのない嫌悪感が込み上げてくるのである。これはもはや理屈ではない。
私にとって、これまでの人生での最大の敵は思春期以来怠惰であり、堕落である。現在進行形で、自堕落さを戒め、低い位置に甘んずることはせず、茨の道ながら自分で自分の道は開拓しなければと思いこれまでやってきた。だから怠惰ほど憎むこともない。私は、ほとんどのことに対して、許せるとは思うが、これだけは許すことはできない。理性からこう言うのではない。理性が働いていたら、これほどまでに激しい感情を持つこともあるまい。そう言えるくらいには、普段の自分はいたって感情を顕にすることもないし、それほどの激しい感情を持つこともない。
こうして、私の深層心理の奥に刻み込まれた、怠惰の象徴としてのタバコというのは、私にとって抑えがたきまでの嫌悪を呼び起こすのである。もはや、生理的なものであり、本能的なものであり、私の理性で抑えることもできない。これは、しょうがない。勘違いして欲しくないのは、繰り返しになるが個人の喫煙に関してあれやこれや言うつもりはないということであり、私が勝手にそう思ってしまうだけだという話がしたいのである。(もちろん自分に近い人々なら話は別である)
要するに、このように人によっては、私のようなものよりはるかに激烈な記憶としてトラウマが蓄積されている場合もあるのである。この記憶が呼び起こされる感覚は、その人にしかわからないものだし、ひどい例の場合はパニックという形としてフラッシュバックされるのだろう。とにかく、こうして人には触れてはいけないポイントというのがある人もいる。それは他人にはもちろんわからないから、間違ってその人のトラウマに触れても極端な例でなければちょっと嫌な顔をされるものの許してはくれるだろう。しかし、「〇〇は絶対にいやだ」と言われたら、それは本当にダメなものなのかもしれないということは配慮して欲しいと思うのである。