はてなキーワード: アイデンティティとは
http://d.hatena.ne.jp/sukebeningen/20120212
も〜読んだけど全然わかんない!ヽ(;▽;)ノ
折角だから、ここに何が書かれているのかということを、
「もしかしてこんなことじゃないのだろうか」という感じで書いてみる。
以前、友人と「ユニクロって結局アリなのかナシなのか」
という話題で盛り上がったことがある。その時は結局は「ま、求めるレベルによるわな」という、
なんとも味気ない結論に至ったわけだが、その会話のなかの友人の言葉で
「ユニクロって、良いとか悪いとかじゃなくて、もう"ユニクロ"としか言えないよね」
というものがある。
ユニクロは大衆服だ。大衆服だからファッション的な価値は要らない。
デザイナーとのコラボやその他「それなりにこだわってますよ」的なやつ(日本製を強調したジーンズなど)は
あくまで大衆に売る為の最低限の質の保証の為の言葉に過ぎず、他の服との差別化なんて全く考えられていない。
マクドナルドのトレイの中に敷かれた紙に書かれた、食材はこれだけこだわってるんです! ってやつと一緒。
大衆服は大衆の服だから無名だ。匿名性の高い、注目のない服だ。それが本質だ。
大衆服だから匿名であるはずなのにユニクロとしてのアイデンティティがそこにある。
一方で、マルジェラはハイブランドだ。ハイブランドだから、独自のデザインや個性など、
そういった価値が求められる。自分はマルジェラって良く知ってるわけじゃない
(ミスチルの桜井さんが好きらしいということをどっかで聞いたことがあるなあ程度)んだけど、
たまに見るネット上の画像とかだと、随分とスッキリしてて、匿名性のようなものを感じる。
ハイブランドだから個性的であるはすなのに、(マルジェラらしさはありつつ)どこか匿名的だ。
つまり、ユニクロって、マルジェラから最も遠いようで、実は構造は同じな逆位相みたいな感じで
ひっくり返して重ねるとピッタリ重なるんじゃないかと思う。
その構造こそが、この中で書かれてる「現代」なのかな、そう理解した。
だから、マルジェラの次の世代を考える時は、ユニクロについて考えるべきなのかもしれない。
ジュンヤワタナベは、なんかコラボが凄いところってのは知ってる。
渋谷のパルコの一階を抜けるときに良く目にするけど、いつもなんかとコラボしてる。
ブランドって、自分の価値や個性を強調したい筈だから、通常はコラボをしても自分の価値がメイン。
あくまでコラボは相手の知名度や特徴を借りて、自分の宣伝をするもの。
でもジュンヤワタナベのコラボは、むしろコラボ相手の服に依って自分のイメージを形作ろうとしているように見える。
つまりコラボ相手の服の価値がジュンヤワタナベの服の本質の重要な一部として、宣伝ではなく取り込まれる。
そしてそうすると、母体であるコムデギャルソンすら、ジュンヤワタナベの利用すべき一ブランドとして、
ジュンヤワタナベの下位に置かれることになる。この貪欲な構造がジュンヤワタナベの「現代」だと、自分は思った。
エイプはもう全然知らない。高校時代に、友人が読んでたファッション誌にエイプの服があって、
「えっこれこんな高いの!? 」と驚いたことがあったけど、それ以来特にまともに見たことはない。
確かどの商品にも大体猿のマークがくっついてる。
うちの実家にあるタオルにもYSLって書いてあるし、デパートに行けば
でも、それは本体の価値がちゃんとあって、それをロゴが借りてる、というものだ。
でもエイプはもはやロゴが本体って感じ。猿の記号が本質。サンリオグッズと一緒。
権威付けしてくれる本体と記号が同一だから、アーノルドパーマーのように
それがすごいところなのかなーって思う。
ここまで思ったことをなんとなく書いてみて、終着点が全然見えないから
ここでやめようと思う。
http://kanisokuhou.doorblog.jp/archives/51174787.html
読む前にちゃんと自分のスタンスを決めろ。スタンスが決まらんうちは一切読むな。
2ちゃんはずっーーーと、たらこの呪い「嘘を嘘と見抜けない奴は・・」の呪縛にかかってきた。
「嘘を嘘と見抜ける俺」をアイデンティティとすることを強いられてきた。
あの言葉があったから、嘘からどうかのグレーゾーンの話が常に盛り上がってきた。
だがもうあの時とは時代が違う。
もう、コストをかけて「嘘を嘘と見抜ける俺」の称号を勝ち取っても、そこに価値はない。
真実かどうかが重要になるのは、真実だったとしたら価値のある情報だけだ。
今の2ちゃんで話題になっているもので、真実だったら価値のあるものなんて、ない。
真実であろうが、嘘であろうが、等しくゴミのような価値しかない話ばかりだ。
そのようなものにたいして、真実かどうかを論じることほど無駄なことはない。
今現在重要なのは、面白いかどうか、自分が楽しめるかどうか、だけだ。
残念なことに2ちゃんまとめサイトがポピュラーになってからは、とっくにそうなっているのだ。
書く側としても、シェアされたもの勝ち、PVを稼いだもの勝ちの時代になっている。
「嘘か本当か」の軸で騒いでる奴は、真実にこそ価値があると思ってる奴は、
その基準でいまだに2ちゃんにむきあってるやつらは、もう古い。
そういうやつらは、新しいルールの中で、ルールを把握しているやつらに踊らされ、搾取されるだけなのだ。
真実かどうかを見極めて勝ったつもりでも、実際はそれより大きな枠で見ると、勝負にすらなってない。
必死に自分の価値をアピールしても周りは認めてくれたりはしない。得られる承認はわずかだ。
そこで頑張れば頑張るほど赤字が出る。こんなに頑張ってるのに誰も自分を認めてくれないと魔女化するのがオチ。
何も戦略を持ってない、他人のことを見ていない、自分のことしか考えてない。
そんなんで満足行く結果が得られると思ってるなら人を舐めすぎだ。
さやかのような頭の悪さが許されるのは中学生までだと心得なければいけない。さやかは可愛いから正義だけどな。
2ちゃんスレの話が嘘か本当かを見抜こうとしている奴は全員阿呆だ。
そんなことしてる暇があったら、どういうところに価値があるのかを見極めたほうがいい。
「愛とは決して後悔しないこと」。人生の真理だと思う。
基本的に、文章読むときに、読む対象に愛がないやつは絶対に後悔する。
まずは相手が何者であってもそのまんま受け入れることだ。
その覚悟がないなら、最初から疑ったり、貶してやろうと思って読むくらいなら、読まないことだ。
覚悟決めたら、嘘だろうがホントだろうが、とりあえずそっくりそのまま受け取ってしまえ。
その上で、愛し方は人それぞれだ。自由にすればいい。
徹底的に罵倒するのもいい。徹底的に細部まで批判するのも構わない。
愛してるからこそ肯定しなけりゃいけないなんてルールはない。自分が後悔しないなら、好きなようにすればいい。
読む前から、後悔することが約束されているような読み方だけはするな。
世の中には、もっと楽しいこともある。自分が愛せる対象を探したほうがいい。
惰性で辛いことを続ける必要はない。
以上、 ID:VRSQfKye0から。
http://anond.hatelabo.jp/20120201161059
朝4時起き→奉仕と朝5時おき→集会とかいろいろオプションがあるらしいよ。
というか、みんなにあわせて無理にでも参加しようとする。それがまた嫌な所。
早起きがいいにしても無理したら意味ないだろうに、ここの人たちはそういうの考えない。
あ、ちなみになんで詳しいかというと、うちの母親がこれに入って家でだいぶ揉めたから。
これに入会してから母親が早起きは絶対的に良いと根拠もなく信じちゃって、
夜遅くまで働いていることが多い父は体調を崩し、それでも無理強いしそうになったのでだいぶ喧嘩になった。
活動が悪くないにしても、その活動に一度依存し始めると周りの人に迷惑をかけ始める。
そういう問題については「それは家庭の問題ですから」という態度で、ケアがあまい。
もちろん家庭の問題なんだけれど、実際あんたらのところに入って問題起きた結果にその態度かということで、
無理やりやめさせて、それでまた家族の関係が悪くなったりと、色々と関係をズタズタになった。
さびしいとか暇を持て余している主婦が、子供の受験期とか家庭の悩み事を抱えてるとどうやって嗅ぎつけるのか、タイミングよく勧誘が来る。
んで、そういう人は、宗教じゃ救われないというか、救われようとして過剰にのめり込んじゃうだけで悪化する。
私はこれで宗教が嫌いになったね。あまりにも強引すぎるでしょう?
早起きなんか、出来るやつというか、向いてる奴とかやりたいやつがやればいいじゃん。
http://anond.hatelabo.jp/20120130150137
元増田です。友人のAさんにおもしろい指摘を受けました。
元増田 「えっ」
友人A 「えっ」
元増田 「えっ」
友人A 「えっ」
なるほど!!!
それでは、問題の画像はあくまでミッキーの着ぐるみを描いたものであることが文脈上明らかであるとして考えてみます。殺害表現でないとすると、名誉声望保持権を主張するのは無理筋に思えます。すると、同一性保持権侵害の線で押してくるのではないでしょうか。
(同一性保持権)
第20条
著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。
同一性保持権侵害を構成するには、その行為が著作者の『意に反して』いる必要があります。ミッキー(の映画(の原画))の著作者は当然ウォルト・ディズニーだと思いがちですが、実はこの点はずいぶんと争点になっていて、正直なところ「結局誰が著作者なのかよくわからない」んですよね。ウォルト・ディズニーは当然ながら、ウォルトの盟友アブ・アイワークスあるいは二人の共作、はたまた二人の作り上げたディズニー社の団体名義だとする説もあります。
しかし、彼らの意向は明らかです。彼らは口を揃えてこう言ってきました(たぶん)。
『中の人などいない!』
誰が著作者であるにせよ、中の人など決していないんだ、ディズニーランドに行くと笑顔で迎えてくれる彼はあくまでミッキーという生き物であって着ぐるみではないのだ。そういう世界を彼らが作り上げてきたことは明白です。「中の人などいない」ことが、ミッキーマウスという著作物を構成する重要なアイデンティティである。だから絶対に首なんか飛ばない。これが主張として認められれば、ミッキーマウスの着ぐるみの頭を吹っ飛ばすという表現は同一性保持権の侵害となるかもしれません。
でも、どうでしょうね。
まず、視覚的に表される「絵柄」ではない抽象的な要素については著作権が認められないという判例が多くあります。「中の人などいない」はこれに該当する可能性が高そうです。また、着ぐるみを作って売ったならともかく、着ぐるみのイラストを描いてそのイラストの頭を吹っ飛ばしたわけですからね。ミッキーマウスの著作権は既に切れているとすれば無償で着ぐるみを作ったり絵を描いたりすることは問題ないですし、あとぶっちゃけ、彼らが何と言おうと、ディズニーランドにいるミッキーが着ぐるみであることは悲しくも事実なのですから…。
この辺、本職さんの本気の弁論をぜひ聞いてみたいところです。
というわけで、あれは着ぐるみの頭が吹っ飛んだだけだよ!と主張してみるだけで、なんとも馬鹿馬鹿しいメルヘンな問題になることが判明しました。こんなにメルヘンな裁判はそりゃあ是非とも見てみたいわけですが(きっと世界中が大注目するでしょう)、怒りのメールを送ってきたのがディズニー社であるにせよディズニーファンであるにせよ、恐らくはあの画像を「ミッキーの頭を刎ねて殺害している場面」と受け取ってのことだと思います。とりあえず落ち着いていただく&名誉声望保持権侵害の疑いを回避するためには、首が飛ぶ前後の文脈をきちんと公開した上で、「あれは着ぐるみなんだよ」と説明するとおもしろいよいのではないでしょうか。
小さな嘘をついてしまうのはその過去を自分が自分の中で消化しきれてないときだ。
今日もまた小さく嘘をついて、いろいろと話していることに矛盾が出てきて焦った。
嘘がばれるところだった。
要するに俺がどれだけクズかということをありのまま語ればよかったのだが
嘘が出てそして矛盾が出た。
焦った。
家に帰ったあともなんかモヤモヤが晴れない。
要するに俺はそのゴミクズとやらを自分の中で消化しきれてない。
そのことは今も何も考えたくない。
ただ今日があるのはあのときがあると言えるにはまだまだ時間と結果が足りない。
俺は今単なるサラリーマンだが
俺はあんなゴミクズの死にかけの過去から奇跡的にサラリーマンになった。
でもまだまだ結果が足りない。
おれはもっともっと上に上ったとき、初めてそのゴミクズと対峙できて
おれは正直におもしろおかしくネタ調に自分の過去が語れるだろう。
おれはまだまだ結果が足りない。
おれはまだまだ勉強が足りない。
子育てもしながらおれはもっともっと上にのぼらなくてはいけない。
ニート、ひきこもり、ヒモ、穀潰し、高校中退、Fラン大学中退、友達0、親戚付き合い0、
親への不義理、実の弟と15年しゃべってない、じいちゃん死んでも葬式出なかった、
奨学金で大学入り直したと言ったが本当は親の金、行った旧帝大学院は実はロンダ、大学はマーチ、
バイトをバッくれたこと2回、フリーターだったけど週3くらいであとは親の仕送りと彼女の財布。
だから俺は上に上に上りたい。
上に上って高見からゴミクズたちを見下ろせばネタにできると思っている。
そして帰り道に高層マンションを見上げてはいつかここに住みたいと思っている。
おれは30になったがまだまだあきらめていない。
これは語るべきものではなく
だからおれは今がんばれるわけで
これは人に見せて聞かせるものではなくて
このことはまだ話したくなくて
ここが原点となって死ぬほどがんばって
どうしても結果がほしい。
おれはどうしても上りたい。
そこから自分ので中で咀嚼して消化して最後はネタに昇華して自叙伝でも出すか。
最後ふざけてごめん、でもそんなところ。
もともとフェミは『家族』とか『家庭』という構造自体に反対している人間が多いってのもあるが。
WAN:Women's Action Network「労働」概念は変化したのか? 伊田久美子
私は70年代以降のフェミニズムは、以下の2点を明らかにしたと思っていた。
ひとつは、稼ぎのない妻の利害は「稼ぎ手」である夫と一致しているように思い込まされてきたが、
それは必ずしも一致しないこと、もうひとつは、「主婦」と「働く女」の利害は対立していると思い込まされてきたが、
実はけっこう一致している、ということである。
ミクロな権力関係を含んだ「家父長制」と、一心同体とみなされてきた家族の中の仕事を労働であると主張した「家事労働」という二大キー概念は、
ここまでは解る。個人的にも、ある時点まではフェミニズムは社会に有益な働きをしてきた、とも思ってる。
しかしこの日のシンポジウムを聞いていると、どうやら二つとも私の勘違いだったかのようである。
むしろ女の多様化とか女女格差という議論の展開によって、上記の課題の重要性は希薄になっているのだろうか。
たしかに70年代の「女」というアイデンティティは今の時代には既に齟齬があるだろうし、
この変化は機会を改めて考察したいテーマである。しかしあのとき開けた構造の認識は、
運動にとって貴重な相互理解を可能にしたであろう。
なぜなら女たちが手探りで模索したフェミニズム理論とは、異なる立場の者、知り合うこともない者との連帯を可能にするためのツールだからである。
http://wan.or.jp/reading/?p=5396
運動が拡大する前は、どうしても頭数がいる、そういう利害もあって
活動に参加する時間がある専業主婦層を大量に取り込んだって感じなんだろうか。
そして今は女性側の権利もほぼ満たされ、より雇用の拡大をポジティブアクションで実現しようとしている、
問題をややこしくしているのは、現地朝鮮人の女衒やら人身売買業者が暗躍して、本来彼女らに支払われるはずだった給金をピンハネ・ネコババしていたケースが少なからずあって、彼女らがそれを知らなかったり、知ってるけど言わなかったり、また暗躍していた奴らの中にはそうやって儲けた金を元手に一旗あげて今ではそれなりの社会的地位に上り詰めていたりする点。
もちろん旧日本軍は当時それらに注意を呼びかけたり関係者を処罰していたりはしていたけれども、それでも完全にゼロには出来ていなかったわけで。
そういった諸々の事情込みでこの件はあの国の「歴史の暗部」という事で闇に葬り去られていたんだけどね。だからこの問題を根っこから解決するためには、彼らが自らのアイデンティティを一度完全に否定する覚悟が要る。
朝の連ドラ見てたら戦争中に猛威を振るったとされる「欲しがりません勝つまでは」おばちゃんが出てた。
主人公は有能な商売人で、当時にしては珍しく女性でも活躍していたのだけれど、
「お国のため」とスローガンを唱えることと、群れることしか能がなさそうなおばちゃんに囲まれて涙目になっていた。
イメージとしてはこんな感じ http://dic.pixiv.net/a/%E8%88%B9%E5%A0%80%E3%83%91%E3%83%AD
褒め殺しじゃなく、ガチのいじめなのでこっちのほうが近いかも http://dic.pixiv.net/a/%E5%A7%89DVD
この手のおばちゃんは、基本的に何も考えてない。
今まで交渉とか根回しとかして何か物事を動かしてきた経験もないので、猪突猛進しかできない。
今までは能力がなく、努力もしなかったから、発言権も何もなかった。
そもそも、問題意識も大して持ってないから、別に我慢してるというわけでもなかっただろう。分相応の生活を送っていた。
ところが、こういう人達が、お国の方から自分に不相応な地位と役割を与えられた。
国からしたら阿呆ほど使いやすいから、手足としておばちゃんたちを選ぶのは理にかなっている。
そうすると、自分たちの意見や要求が受け入れられるようになった。みんなのバックにいる憲兵さんは怖いからな。
水戸黄門の印籠を与えられた。悪魔のパスポートを与えられた。自分が権力者であり正義だと勘違いするようになってもおかしくない。
自分にそんな力があるわけがない、おかしいなどと疑う知性を持つだけの教育を受けていなかったからだ。
おばちゃんたちは自分たちが手に入れた(つもりの)力に舞い上がった。
せっかく力を手に入れても、お国の人の言うとおりにロボットのように動く以外は、
せいぜい嫉妬に駆られて気に入らないやつを叩きのめすくらいしかできることがない。
だから、おばちゃんたちは、まっさきに「恵まれている女性」のところに嫌がらせをしにいった。
で、「お国のため」「お国のため」と言いながら、日頃の鬱憤を主人公にぶつけてストレス解消するのでした。
自分に能力があるわけでもなんでもないのに、何か大きな事件が起きた時などに、扇動者の尻馬に乗って、何も考えずにスローガンを振りまくバカ。
お前らがやってるのはただの「報われない自分の復讐」とか「自分より偉い人への嫉妬」とか「ストレス解消」に過ぎないのに、
原発って言葉があるだけで、偉くなったと勘違いして、自分の醜い内面をだだ漏れにしちゃう人。
あれ見てるこっちが恥ずかしいんですけど、自分を客観視する知性があるわけないので、何言っても無駄なんだろうな。
こういう人間が、社会の底辺をさまよっているのはある種必然であって、それを崩すと悲劇しか起きないと思う。
幸い、反原発に関しては、国が煽ったわけじゃないので、そこまでひどい事にならなかったけれど、
国がその気になって煽りを入れたら、バカな主婦とかが簡単に引っかかって、みんなめちゃくちゃにするんだろうなぁ。
で、いざ事が終わったあとで、自分の頭では何一つ考えていなかったおばちゃんたちは被害者ヅラを始めるわけだ。
「尻馬に乗る」のは立派な選択であり、そこには責任があるわけだけれど、責任なんて概念を理解できるほど知性ないだろ。
生まれてから妊娠→出産以外で責任を一度もとらないで生きてる主婦とかいっぱいいるしな。
いじめると周りから承認を得られる。そのことで頭がいっぱいになって、いじめが自分のアイデンティティになっちゃったんだろう。
自制も他人への想像を働かす知性も無ければ、あとはエスカレートするだけだわなぁ。
事が終わったあとで「なんでこんなことしたんだ」って聞かれても「自分でもよくわからない」とか言いそうだ。
空気が読めすぎて、周りからの悪意やら要望を敏感に察して、そのまま実行しただけなんだろうし。
善悪を判断できるほど頭がよい人間だったとはとても思えないし。
学校で何を教えてもいいけれど、最低限責任の概念くらいは理解させたほうがいいと思う。それが最低限の鎖になる。
善悪はその後、美醜なんてのは最後でいい。段階踏まないと美しくなるなんて無理ですわ。
頭空っぽのおばちゃんが、アラフォービューティーとか言ってるのをテレビで見るとお茶吹きそうになる。
いまから考えてもD/V/Dが流行ったってのがすごい興味深いな。
意味のないスローガンでも、バカが力強く連呼し続けると、まれにその場の空気がなんとなく個人を屈服させて、思い通りにしてしまう。
でも、はがないのほうがウマい。明らかにこっちのほうが技術がないと書けない。
はがないのメンバーは、「濃い」故に集団からはじき出されてる側の存在で、
自分を規定してくれる「外側」を必要としない。だから好きなだけ閉じこもれる。
マクロって言うほどのもんでもないけれど、スクールカーストを無視しても存在できる。
人付き合いは煩わしい、でも何者にも成れない、一人では生存できない、だから学校の柵にとらわれている、そんな中高生の憧れる身近な理想像だ。彼らは生存戦略が不要な強者なのだ。(友達いないと「いろいろと鬱陶しい」あたりの言及が、必死度の違いを露骨にしめしている)
友達を欲すること「さえ」ろくにできない。抑圧強すぎ。でもすげーよくわかるぞその気持ち。
なんでこれ夜空が主人公じゃないんだろうと思うくらいにぼっちものの主人公に最適だ。
この作品で本質的にぼっちなのも、部活を作ったのも、最も切実なのも夜空だけであって、
私は夜空にすごく共感するんだけれどぼっちの奴らがこれ読んで、夜空に嫌悪感を感じてるって構図がすごい皮肉になってる。
お前ら他人に対しては常人と同じ程度の想像力しかないんだなー、と苦笑したくなる。
いや、そこが売れてる理由なんだと思う。ホント。
むしろ、他人からみたら自分は嫌悪するべき存在だという自覚はあるだろう。
というか、自分自身、自分のことをこれでいいとは思ってないだろう。
本当の自分はこんなんじゃないんだ-という思いがまぁ小鷹やら星奈への擬似的な共感に繋がる。
星奈は特にアイドル要素を多く兼ね備えており、自分をごまかすには最適な感情移入対象だろう。
最終的には、夜空の嫌な部分を受け入れられない限り、読者はこの作品から卒業できないんだけどな。
ちなみに一番好きなキャラは理科さんです。というか理科と小鳩以外好きじゃない。
俺ガイルは直球だ。
ぼっちってのは基本的に「濃い」のではなく「薄い」。
故にキモい。何考えてんのか分からない。これが基本。こっちが多数派。
その本来のぼっちと、はがない型の「個性強すぎるゆえに集団から排除される」型のぼっちを並立させ、
間に普通の人間を挟むことで、ぼっちが「全体の中でどこにいるのか」が分かるようになっている。
マクロというほどもないが、学校という小さな社会を描くことさえ拒否するはがないとは違う。
というか、はがないは「特殊なぼっち」のなかに「普通のぼっち」を混ぜるという構図が不自然というかもう悪趣味すぎて、「君に届け」と同じくらい気持ち悪い。
俺ガイルが自然というわけではないけれど、まぁ共感できるのはこっちだ。どうしても。
俺ガイルの面白さだが、メインの主人公については「あるある大百科」でしかない。少なくとも私にとっては。作家ならではの端的な表現で自分が感じてたもやもやが言語化されてすっきりするってのはあるけれど、新鮮味は少ない。どっちかというと、「ぼっち」から、一般人を観察して、どう感じるかって描写部分が面白い。いや、それよりも「片方からのぼっち」が「もう片方のぼっち」に感じる感情の描写が興味深い。
無職の人間が、ノマドバンザイ、フリーランス最高っていってるやつに投げかける視線。共感と嫉妬、諦めと憧れが混じったような複雑な感情、これは経験がない部分なので素直に楽しい。
http://jkondo.hatenablog.com/entry/2011/11/19/114109
おしゃべりする相手はともだちだけじゃありません。それだけではあまりに退屈です。
ともだちだけが社会ではありません。人は、自分の興味があること、自分が専門としていることを通じて、もっと社会とつながりたいと思っています。ともだち以外の人とつながりの生まれる場所に行きたいと感じています。
個人的には全くもって同意。
で、これ、80年代は、これを全くひっくり返したことが言われてた。「もっとともだちを大事にしたり、友達を作らないとダメよ」「友達がすべてだよ」みたいなね。
生まれてこの方、この「ともだち第一」メッセージには心底うんざりさせられ続けてきたので、こういうメッセージはとても嬉しい。
「ともだち幻想=友達がいないやつは人間として問題がある」や「ともだちについての強迫観念」が生まれてきたのは70年代の末ころだったらしいです。
なんでもそうだけれど、誕生した当初はそれなりに合理的な理由があるもんです。 だいたいそれをおかしな方向にねじ曲げちゃうのがコマースメッセージなわけですが。
最初はあまりにもこの時代の日本社会が仕事一辺倒で、仕事以外で人間の価値をみとめられないこと、男社会への傾倒が急激すぎて、それへの反発が強くなったという話からスタートしてます。
(日本の男優位社会は伝統でも何でもなく、敗戦後に作られたものであるって話も大事ね)
人間関係も全部仕事がらみ、家族ぐるみの付き合いといっても結局仕事に縛られる。女の人や子供はさぞストレスだったろうと思う。
この当時は、必要があったとはいえ、仕事頑張りすぎて脳がおかしくなった男性が調子乗りすぎて、ソレ以外の人間を犠牲にしてヒャッハーしてた時代だったということやね。
(団塊世代の人とかが、「俺たちは毎晩徹夜する勢いでがんばってたのにいまどきの若いものは」とか言ってるのを聞くと、
ああ、日本人ははやく複式簿記を必修科目にスべきだ、と思う。こういうバランス無視の考えだからバブルが起きたんだよ、責任取れとはいわんがちょっとは反省しろボケが。
ああ、彼ら的には悪いのは全部日銀で政府でアメリカの陰謀なんですよね。 本当に信じられないくらいにナイーブな方々だと思う。反省したくてもできない脳のつくりなのね)
そんで、仕事における負け組や、仕事オンリーの人間関係に虚しさを感じる人達が、仕事以外のものをもとめたときにそれがともだちの存在だった、という流れ。
そういえば、この年代も、若者の連続殺人犯とかが立て続けに発生して問題になってたな。
当時から、社会的な問題があると、若者がカナリアよろしくまず発狂し、ソレを見て年寄りは「最近の若者は」って言うのは変わらんかった、と。
で、そこはなんでも極端な日本人、なんでも二元論で考える日本人。
日本人は、なにか新しいことを始めるときに、前のものを否定しなければ気が済まない上書き志向の持ち主です。
「仕事だいいち」に見切りをつけると、どっと「ともだち至上主義」に流れ出した。女の子は「恋愛なんちゃら」かな。
で、こんどは「仕事がデキない奴はクズ」「学歴低い奴は賢い奴の奴隷」みたいなカーストに復讐するかのように
「友達がいない奴は人間のクズ」「いくら偉くなってもあいつ友達いないんだろうな」って言えばなんとなくスカッとする傾向が生まれましたとさ。
とはいっても、おじさんたちは頭が硬いからそう簡単に変わったりはしません。つまり「勉強や仕事第一」主義も残ります。
夫に全面的に依存して思考停止している母親も基本的には夫の方針に従って子供を調教します。なので、勉強第一主義は根強く残ります。
「勉強・仕事だいいち派」と「ともだち100にんできるかな」が勢力闘いをするようになります。
まぁホント日本人くらいですよ、仕事とプライベートを対立関係に置いて、どっちか片方しか取っちゃいけないと考えてるのは。
仕事と私とどっちが大事なの?って慣用句自体、日本人の性格をこの上なく正確に表現してるよね。
不完全なものでも絶対の軸において、ソレにすがってないとアイデンティティを確立できないのは、やっぱり無神教国家だからなのかねぇ。とか知ったかぶってみる。
そうやって、自分だけが幸福になりたいばっかりに、それに適応しない人たちを踏みにじることを何とも思わないことがとっても生き物っぽくていいですよね。
こうやって仕事vsプライベートで対立しあって、お互いがお互いの素晴らしさを主張しようとハードルを上げ続けた結果、
もはや両立不能なレベルまでどちらも要求レベルが高くなって、両立できないからどっちか選ぶ羽目になってまたケンカする。アホかと。
両立するためには、超人的な体力を持つか、仕事時間を自分でコントロールすることが許されるくらい偉くなるか、
あるいはちきりん女史のように、全力で仕事頑張ったあと、途中で退職する以外に方法はないんだろうなぁ。いずれにしろ無理ゲー。
自分で無理ゲー作って、クリアできないとか言って文句言うのって楽しいのかなぁ。
ここで終わればまだ笑い話で済むんだけれど、さらに続き。
当然として「勉強・仕事が出来ない」「友達もいない」人はベン図の外側に追いやられて、「かのものは人にあらず」と迫害の対称になります。
まぁ簡単に言うといじめですね。いじめって人間を測る評価基準があれば必ず発生しますが、まぁ日本のいじめは馬鹿馬鹿しいのが多いですね、クソッタレです。
でまぁ、いじめられたやつがどうなるかについて全く考えてない、フォローしないのも問題ですね。で、そのつけは当然数倍になって返ってくるんですけどね。
社会から切り離されたまま長時間放置されて、社会性を失った人が大勢います。
人間以下の扱いを受け続けると、本当に人間であることを辞める人がたくさんいます。
匿名で振る舞い続けていると、人間であることの節度を失う私のような人間もたくさんいます。
で、そういう奴らはどうするでしょう。
隣人部作ってはぐれ者どうしで連帯する?そんなのフィクションです。サバイブSNSってのがありましたけど多分うまく言ってないんじゃないかと思います。
(はがないはアニメしか見てないけど、あれはともだち教へのアンチテーゼだよね。「きみらがいってるともだちとかはどうでもいいし少ないですがそれが何か?」ってことやろ?)
社会性の訓練とか人間扱いとか、匿名から引き剥がして一個の人格として扱うとか、
そういうレベルから世話焼いてくれるとこがない限り、いちど脱落したものはよっぽどのことがない限り復帰できません。
結局人はひとりひとり自分でなんとかして助かるしかないでしょうね。
ほとんどの人間は、それぞれが「人間以下のなにか」として、ずっと劣等感抱えながら生きていくだけです。
あるいは「人間以下の何科ですがなにか?」と開き直って、twitterやら増田なんかで有名人にからんだりなんなりと社会に迷惑をかけながら生きていくしかない。
人間であるための条件として「友だちがいること」「勉強ができること」ってのがかっちりと決まっているかぎりはもう人間に戻ることはない。
というような感じなんですが、そういうともだち地獄に対して、
「ともだちともだちともだちってそればっかかかお前らは、そんな人生つまんねーだろ」ってのが当たり前に言われだすとまた話が変わってくる。
「ともだち地獄」のいく末は「22世紀少年」であり「原理主義者たちの祭典」ってのがようやくわかってきたみたいで、さすがにみんなうんざりしてきてるみたいです。
勉強もともだちも大事ですが、それを必要条件のように考えると、ほんとにしんどいだけなので、そろそろやめようぜ、って話になってくると嬉しいです。
生きるのは、ただでさえしんどいことだと思うので、そこにわざわざ重荷を載せないでもいいやんか。
別に俺はドMだからハードモードでやりたいんだって人はそうしたらいいけれど、ちょっと荷物下ろして道端で休んでる人を鞭打つ必要もないでしょう。
「死のロングウォーク」(スティーブン・キングの超絶傑作)はフィクションとしては死ぬほど面白いけど、現実では一番やっちゃだめなフィクションだってのに、なんで好んであのゲームをやりたがるのか、私にはよくわからんです。
阿呆な頭で平等主義を誤解したままお題目みたいに唱えるから、能力ある人に引っ張られて自分たちもがんばらなきゃいけないハメになるんですよ。
阿呆なら阿呆でいいやん。 南無阿弥陀仏言ってたら幸せになれる頭の持ち主が、TPPのこととか考えなくていいよ。
あんまり他人のことを気にし過ぎないで、ともだちがどうとか言わないで、自分が好きな事やってりゃいいと思います。
生きるほうを、選ぼう。
476 :爆音で名前が聞こえません:2011/11/07(月) 11:06:52.32 ID:5mHYl3pZ0
こいつ本当に知らないなら黙ってればいいのにな
滋賀の渋滞のニュースとかさぁ
161号線はマジ地獄
477 :爆音で名前が聞こえません:2011/11/07(月) 14:54:27.82 ID:Lsoqb3qI0
今日のニュース記事で【「めざましテレビ」の大塚キャスター 急性リンパ性白血病で休養】
ってのにコメントで「事故当時、福島入りしてなかったっけ、この人…。」
とか書いてるんだけど、他県民からしてみれば何てことないコメントかも知れんが、俺含む福島県民にとってはすごい嫌なコメントなのね
これって明らかに原発のおかげで白血病になったんじゃねって言いたいワケでしょ?
何これ。しょうがなくいまだに県に残ってる人が沢山いるのに寧ろ避難してる人の方が断然少ないのに、福島に行ったからこうなったみたいな事書きやがって
そりゃ、危険度で言えば未知数だしこれからどうなるかわからんけど、まったくコメント配慮してないよね
まぁ今までも原発や放射能関連の記事に対して何回もイラッってくるコメントしてるけど福島はもう危ない近寄れないって言いたいんだろ? 全国的に見ればそう思ってる人も沢山いるだろうが個人サイト、仮にもそこそこアクセスされてるサイトの管理人がそういうニュアンス丸出しで言うことじゃないだろ
このコメントに対して「だから何?」って掲示板に書いてたら信者に「典型的ゆとりコメントwwww」とか書かれるし
こいつ隣県人だけどだったらもう福島に一生入ってくんなくそが
478 :爆音で名前が聞こえません:2011/11/07(月) 14:58:20.11 ID:yD72ObMs0
彼の住まいなんてほぼ福島に隣接してるような場所なのにな
479 :爆音で名前が聞こえません:2011/11/07(月) 15:51:03.72 ID:HRcywiIX0
今福島に安易に近づこうとするやつとか危機感も何もないバカだよ。
しかもメールすりゃ無駄に煽られなかった上に、
こんな所に「自分は被害者なんです!><」とかいちいち行間開けてバカさ加減を披露する。
そんなお前こそ邪魔だから福島県民を名乗るべきじゃないんだよ。消えろ
480 :爆音で名前が聞こえません:2011/11/07(月) 16:03:23.59 ID:vcaVe8ic0
被害者とか邪魔だとか一言も言ってないけどなwwww
481 :爆音で名前が聞こえません:2011/11/07(月) 16:20:22.67 ID:hVBEA49J0
放射能と大塚さんの白血病に因果関係があるとかないとかの問題でなく、
公に口にしちゃいけない事を言っちまったね信者も含めて、人の心の痛みがわからないんだな
Ta2はもう人間やめたほうがいい、日本の恥
482 :爆音で名前が聞こえません:2011/11/07(月) 16:29:55.39 ID:yD72ObMs0
人間は別にどーでもいいけど、自身のキャパに対してサイトが大きくなりすぎたね
いい加減潮時だとは思うけど、今のように「管理人が痛くて有名w」ってのをウリにでもしたいのかね
483 :爆音で名前が聞こえません:2011/11/07(月) 17:02:39.68 ID:9NIdyEW40
公の場で「白血病になったのって福島行ったせいじゃね?www」みたいなこと言ったのが問題って話でしょ?
話をすりかえようと必死ですね
484 :爆音で名前が聞こえません:2011/11/07(月) 17:39:34.04 ID:5l8SFnBqO
地震の時に他府県に逃げてたよな?
その後の被災者アピールが酷かった
485 :爆音で名前が聞こえません:2011/11/07(月) 17:53:10.20 ID:9g/6d+n80
Ta2は肉親の自殺をネタにするような下衆だからなー
486 :爆音で名前が聞こえません:2011/11/07(月) 18:05:35.29 ID:jELwrG8jO
所謂、不謹慎発言ってのがよくでるな
ちゃんと考えた上、一呼吸おいて書けばいいのに
まぁ気付いてすぐ消せるけどちゃんと魚拓なり取っとけば
後の為になるかもね
http://anond.hatelabo.jp/20111027120538
元増田に対しての『自分自身が美人だというアイデンティティに縛られてる・自分自身がそれを一番大事にしてる』という意見が散見されるけど、そういう風になっちゃうのも仕方ないと思う。
私も一応、ミス青年誌のスカウトを受けたり某巨大事務所に所属してたりしたことがある容姿だからわかるんだけど。
『美人だから勉強なんか適当にして女子大でも入学して金持ちと結婚すれば』
就職すれば、
仕事で成果出しても、
ってずっと言われ続ける人生なわけで。
独身だったら、
元増田と同じで無愛想にすれば、
ブスな人やデブな人に面と向かって『あんたはデブスだから』とは言わないけど、
それが金や優れた容姿や出自だと皆軽々と言ってのける。
『あんたは美人なんだから悩むことなんかない。女子大行って医者と結婚すれば一件落着じゃん』ってさ。
そりゃあ誰かが書いていたとおり、
http://anond.hatelabo.jp/20111017024535
はて、どう応えたらいいものやら、と一晩考えておりました。
現実にある問題に直面しており、その根本となっている「自己肯定感」の乏しさについて書きました。
具体的な問題について語るつもりはありません。特定されたくないですしww
ここ数ヶ月、ほぼ初対面の方に「自信なさそうだね」と言われることが数回あったので、
頭の片隅にずっと、考えるべき命題としてありました。私が感じる「生きづらさ」の原因でもあります。
私は、自分のことをメンヘラだとか、境界例だとかの、診断基準にちっとも満たないと思います。
ただ、現在凹んでいる自分を支えてくれている大きな柱が、恋人であることに気付き、
依存してしまったら彼に申し訳ないし、不健全な関係になってしまうなあ、と気をつけようとしています。
「冴えない」と書いたのは、「うちの愚妻が…」といった風な謙遜の意味です。今の恋人は、私にとって大切な尊敬できる人です。
ただ、今までの恋愛遍歴は、人に自慢できるようなものではありませんでした。依存、共依存はろくなもんじゃないです。
恋人がいる、友人がいる、という状況を以って、はてな民の皆様からは反感を買っているようです。
予想はしていましたが、嘘を書くつもりもないので、正直に書きました。
でも、程度問題に還元されたくはありません。最も苦しみ、弱い立場に置かれた人にしか、発言権はないのでしょうか。
私には私の感じる、固有の困難さがあります。分かち合える人、そうでない人、様々にいて当然だと思います。
恋人、友人、家族、趣味の世界…様々な他者からOKをもらえたとしても、
自分で自分にOKを出してあげる、その穴だけは埋めがたい人もいるのです。
「リア充」というのは、世間で認められたある種の「望ましさ」です。価値観のひとつです。
そういう価値観に染まらないぞ、と断言できる自分のことは好きです。
誰かのご指摘の通り、そういう自分に恍惚とすることもあります。
ただし、対人関係構築の不器用さから、すべてのコミュニティでうまくやっていけてるわけではありません。
自分への理想も要求水準も、すごく高いです。世間の価値や、自分への要求をすべて満たせない自分にも苛立ちます。自信が持てません。
これらは、「表面」⇔「深層」といった関係ではありません。それこそ分裂しちゃうよ。
私からすると、すべて私を構成する面です。私は、アイデンティティを多面体として捉えています。
好きな面も、嫌いな面もあります。もっと、好きな面を増やしていけたらいいのにな、というくらいの話です。
SNSで臆面もなく、恋人とのイチャイチャ写真をうpできるくらい、自信の皮が厚ければ
さぞかし生きやすいだろうな、と思います。そうなりたい、というわけではありません。そんなん恥ずかしいしww
秋の夜長に、ちょっとキャッチーに書きすぎたことを反省しつつ、
現実に起こっている問題に対処することでしか、自己肯定感は復活しないぞ!と、自分を戒めたいと思います。
「持つ者と、持たざる者」なんてキャッチーに書いたけど、ホントは多かれ少なかれ、みんな持ってるんだと思います。
自己肯定感ゼロの人は、それこそ死に至る病なので、死んでしまうか、その寸前かと思います。
私にも、自己肯定感が高い時期もあれば、低い時期もあります。今はどん底ですが。
「きっと何者にもなれない」私の人生で、自己のプライドと、どう折り合いをつけていくか、正念場です。
それと、皆さんが私について書いてくださったことは、あくまで「仮説」です。
エビデンスもなしに、私という人間を100%理解したつもりになってる方、断定的な口調で物を言う方、
自分の理解できる範疇・型に当てはめてくる方・・・には苦言をいいたい気分にもなりました。
最後に、極端な人のみが、悩みを持っているわけではありません。
なんつーか信者の方の発言までいちいち預言者チックになってて笑う。
日常会話で「時は来たレリ」とか「尊い~」とかホントに使ってるんじゃないだろうか。
それだけならまだしも「現在起きている地震は○○○のせい」みたいな言説はちょっと危険に感じる。
それはともかく、本を読み始めた経緯などを聞かれてもないのに語ってくれる人がいるせいで、
こういう人達がどういう経緯で宗教に入り込んでいったのかも垣間見えるような気がする。
以下はホントに少ないサンプルを下に勝手に推測した話で本とかどうかは知らない。責任が取れないので増田に書き捨て。
やっぱり自分のアイデンティティや自分が正しい人間であると確信したい人がいて、
そういう人達は共同体とか世間とか日本そのものに立脚してたんだと思う。
ところが、そういうものへの信頼というか盲信が崩れちゃってるんだろうな。
要するに、もともと別のものを漠然と信仰してたけど、それが壊れてしまった、と。
そういう何かにすがらざるをえない人たちのニーズってのがあるんだな、ト。
特に教育ママのように、過剰に何かにすがりついているような人は、
自分のあるべき像がギチギチに固まっていて、柔軟性がないようでちょっとした挫折や回り道にも耐えられず、
今回の自然災害の連続で、物事に対処する困難に挑むのではなく信仰に逃げる人間は更に増えるだろう。
老害っぽい物言いになるけれど、なんでこんなへっぴり腰な日本人が増えたのだろう。
あるいは昔の日本人は、今よりもっと困難というか理不尽な物事から逃げなかったのだろう、逃げられなかったのだろう。
そう考えると、本当に昔は「日本教」みたいな縛りが強く存在してたんだろうな、トか思った。
両極端な話だけど、みんなでまとまって戦えるのはいいけど逃げられず玉砕しちゃうようなのと、
みんなが戦う前に逃げちゃってそもそも戦うことすらできない現状と、どっちがいいのかわからん。
とりあえず、新興宗教の人間に言いたいのは、現実から逃げるのは構わんから、
逃げた場所から偉そうに現実批判をするのはやめろってことかな。逃げずに現実と戦ってる人間に対して失礼。
教育産業に従事していると「本当の~力」という言葉を使いたがる人を多く見かける。
なんでもかんでも「~力」という言葉を使い出した元祖は、日本では齋藤孝だと思う。
ただ漠然とした人徳やらコミュニケーションという概念にたいして、ひとつの切り口を紹介しよう、という試みだったように思う。
彼の「教育力」などの本は今読んでも名著だと思うのでぜひ読んでみて欲しい。
ところが、この「軸」「評価基準」を自分で設定して持論を展開するというのは実にお手軽かつ効果が大きかったのだろう。
その後の自己啓発本や教育産業における大きなブームになった。今でも続いている。
「本当の・・・力」を身につければ幸せになれる。成功できる。成功できないのは「・・・力」が足りないからである。
そうやってシステムの問題を個人の能力の問題に還元し、社会の責任を個人の責任に置き換えてみせることで世界を単純化するという手法は、
不安から何らかの指針を求める人間に対して絶大な「力」を発揮した。
自分の手の届く範囲に単純なカタチで問題や責任が降りてきたほうが、遠くで複雑な問題について考えるよりも楽だからだ。
それ以上に、アイデンティティの問題がある。
人間は基本的に自分と他人を差別化することで自分というものを確かめずにはいられない。
そういう時この「・・・力」というのはとても優秀な差別のための道具になる。
自分にその能力があればベストだし、その能力がないやつに負のレッテルを貼るのでもいい。
とにかく何とかして、自分というものを確立したい。しかもできれば正しい存在として。
こういう言葉を使いたがる人間は、もちろんビジネスとしてやってる面もあるのだろうけれど、
本当に社会の中で鬱屈を抱えていて、自分を正当化する必要性が強い人なのかも知れない。
4 ・・・力の功罪
もちろん個人的に「・・・力」を設定してそれを向上させようとすること自体は悪いことではない。
しかし「個人利用は自由だが、商業利用には制限」と言いたくなるような現象がよく起きる。
なぜか「・・・力」という言葉を設定してそれを使う人は、かならずビジネスか宗教チックになる。
1つか2つの「・・・力」によって人間を測り、問題を定義しようとするのでたいていおかしなことになる。
もちろんアメリカでもこういうのは在るのだけれど、向こうの人は合理的だ。
たいてい6~12、多い時には30くらいの指標を持つのだがなぁ
あれは「魔女を否定」したんじゃない。
「魔女を発生させる要因を否定」したんだ。
こう考えればいい。
「大津波が町を襲った」
結果、多くの人が苦しんでいる。
「大津波を無かったことにする」
結果、本来津波で苦しんだ人が救済された。
この時、津波で苦しんだ人を否定などしてない。
津波で儲かった人や、津波によって救われた人も居たかもしれないが、それらの人の存在も否定してはいない。
行った行為は「津波の消去」であって、「結果の規定」ではないんだよ。
だから、「魔獣」が生まれちゃう。
今を生きる人に、過去を代えることはできないけれど、あなたにも魔女になった原因があるのでしょう?
それによって自分がどう変わるかは、すでに自分の問題であり「まどかの願い」は関係ない。
にも拘らず、「まどかの願い」によって自身が否定された、と感じてしまう人は、やっぱり魔女的なナニカになってしまうんでないかな。