はてなキーワード: ヴィジョンとは
そうしないと、流れ流され、自分でも不本意なところへ漂流してしまうかもしれない。
もう、万人に通用する幸せのモノサシが与えられる時代じゃなくなったんだと思う。
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良い高校に入って、良い大学に入って、良い企業に就職して・・・
サークルに入ってる間は、サークルの目指す価値に身を捧げてきた。
でも、これも自分で考えついた目標ではなく、与えられた目標だったように思う。
良い企業に就職して、というのには失敗してしまったかもしれない。
もちろん、このご時勢に仕事にありつけるだけ、ありがたいことだとは思う。
でも、今すごく危機感を持っている。私は、目指すべき指標を失ってしまった。
来春からの仕事は、私の中では「食うための仕事」として納得された。
やってみないと分からないが。でも、今の段階では生きがいとか、幸せ、とは結びつかない。
そもそも、仕事に過剰に「自己実現」だの「自己成長」だの言うのが変なんじゃないか。
多くの人にとって、おまんま食うための手段だろうし、それでもいいと思うんだ。
みんながみんな、ジョブズやら、孫正義のように、リーダーになりうるヴィジョンを持ってるわけじゃない。
「お前が消えて喜ぶ者にお前のオールをまかせるな」
誰かのモノサシによっかかって、『自分は不幸せだ』と嘆くよりも、
個人の時代なんだな。辛いけど、強い個人であらねば。
正直、すまんかった。今は反省している。
話は去年の3月にまでさかのぼる。
意を決して復帰すると言った。でも、言った直後からもう大学に行く気などとうに失せていた。
だがそれを隠してマンションを決め、小遣いをせびり、自由な生活を手に入れた。
それから、地獄と天国が毎日入れ替わるような日々を送ることになった。
躁と欝の波が絶え間なく押し寄せてくる。死にたいと思った次の瞬間には生命の喜び、生きる喜びを感じて笑い出す始末。
何をやってもすぐにやめ、うまくいかないと周りのものに当り散らし、思いつきで高額な商品を買いまくり、ついにはクレジットカードにも手を出す。
理想と現実どころか、何が理想で何が現実なのかも分からなくなり、ついには真剣に死ぬことを想うようになる。
そして10月、電話してきた親に「もう会いたくないから電話しないでくれ」と蚊の鳴くような声で伝える。家族で旅行を計画していた父が電話の向こうで泣き始めた。
いたたまれなくなって帰省を決意、しかし死にたいという想いは日に日に強くなっていく。
親にクレジットのことなどを明かし、自分は病気かもしれないと告げると、精神科をすすめられた。
結局休学の口実になるからと精神病の自分を演じるようになる。のらりくらりと治るんだか治らないんだかよく分からない説明。
薬を出され、これで立派な精神病患者の仲間入りとウキウキするも、考えることはオーバードーズでどうやって死ねるかということだけ。
年末が近づく頃になって、いままで大事にしていたものを処分し始める。ノートパソコン、ゲーム機、段ボール箱4箱分の本、アルバム、写真、日記。
家族に隠れてこっそりシュレッダーにかけ、夜中にゴミを捨てに行く日々。
すっきりした部屋を見た妹が気づく。もしかして何か変なこと考えているのではと。笑ってごまかす。
年が明けるともう毎日が死ぬ方法をネットで検索する日々になる。
1月末には突然猛烈な寒気に襲われ何年もひいたことのない風邪を引く。これで死ねたらと思う。
2月、3月はやけくそな気分を誰かに知ってもらいたくて匿名コミュニティ上でだれかれ構わず意見を垂れ流す。
少しでも叩かれると感情的に反応し、人格否定、殺す死ねの罵倒、一時間に50回以上も投稿し続け、手が動かなくなっても目が真っ赤に充血しても深夜だろうが早朝だろうが構わず相手を否定し続けた。
目が覚めると死にたい、死ぬの投稿。我に返り謝ってみるが、すぐに怒りの感情が溢れてきて人格否定。
そうして、あの日がやってきた。
思えばあの日までい鬱積した自分のネガティブエネルギーは臨界点をとうに越えてしまっていたんだと思う。
死ぬ気はあっても死ぬことが出来ない、家を出てのたれ死ぬという選択肢をとることも出来ない、いつまでも甘えて他人をのろい続けることしか出来ない自分のエネルギーが、地震という形で世界に反映された結果なんだ。
死ぬことが出来なかったのは自分がまだ自分の人生を生き切っていないからだと思う。それなのに死にたいと唱え続けたから、地震が引き起こされたくさんの人々が死ぬというヴィジョンによって死への欲望が満たされた。そう考えるとあの地震がとても理解しやすくなる。
東京マグニチュード8.0というアニメは、主人公の少女が世界の崩壊を望んだことから地震が起きるという描写がある。もちろん本当にそういう設定であったのかは謎だが、このアニメを知っていたことが、今回の地震という表現に繋がっているとは考えられないこともない。ましてやあのアニメも今回の地震も、とてつもない大地震という点で一致している。
地震が起きたとき今まで家族バラバラだったのがきちんと揃っていたのも、偶然とは思えない。あの日を選んで自分が地震を起こし、家族には危害が及ばないよう調整したとしか考えられない。
あれ以来、なぜか死のうという考え方はすっかりなくなってしまった。
死に対して興味を抱かなくなった。そこらじゅうで人は死んでいるし、別に何もなくなって人間はいつか死ぬ。そう思うと、自ら命を絶つことがとても馬鹿らしく思えるようになった。
やはり地震を起こしたのは私なんだろう。
私が作り出した現実にいる私が作り出した人々には申し訳ないことをした。
私にはへんなくせがある。
私は人と話をするとき、特に相手に話すときには、
ノートを書きながらでないと上手くしゃべれない。
正確に言えばノート自体は不要だが、手を動かしてないと頭が回らない。
これは昔からいろんな人にずっと指摘されていて、直そうとずっと努力し続けてきた。
だが、どうしても直らない。直すこと自体は半ば諦めて、上手く付き合っていこうと考えている。
実際、最初こそ変な顔で見られることもあるが、
こちらから事情を説明すればわかってもらえるし、たいていの場合はすぐ慣れてもらえる。
手の動かし方などにも配慮して、目立たない位置で小さく手を動かしたり、
逆に大きくジェスチャーで話すようなイメージを持たせることで
(実際はジェスチャーよりも指先の動きが大事なのだが)
少なくとも「普通の会話」においては殆ど問題ならないレベルになってきたと思っていた。
だから、そんなに目立たないと思っていたし、
面接でそのことを指摘されても、説明すればわかってもらえるものと信じていた。
業務には問題ない、むしろこういうハンデを自覚している分
相手のことをよく意識して会話ができるし、
会話の内容も他の人より向上させる、と伝えるつもりだった。
だが実際には「問答無用」だった。説明などする機会はなかった。
「他の人は行儀よくしているだろ、なんで君にはそんなことも出来ないんだ」といわれたときは頭に血が上った。
たったひとつの癖だけで、説明する機会すらなく私を全否定しやがった。
「この人達は面接でこちらの話を聞こうなどとは思っていないんだ。
自分たちの基準が絶対で、そぐわないものを振り落とすことしか興味ないんだ」と恐怖を感じた。
「こんな企業では絶対ムリだ」と思ったので、面接の途中で席を立った。
私は自分のことをぬきんでて素晴らしい人間だとは思っていないが、
それにしてもこの人は何も自分のことを理解せず、「行儀の悪い奴」と決め付けたのだ。
いろんな採用担当の人間が「すごい奴は30秒でわかる」とか言ってる記事を読んでいて
採用担当は人を見る目がある人なんだなぁ、と漠然と思っていたが、その思いは失望に変わった。
何のことはない、そういう人はただ「そういう思い込み」を
否定したり、批判するような事例に遭遇しなかったために全く根拠のない思い込みを強め、
自分を絶対視していただけだっただ。
実際、名経営者といわれる人の何人かが著書において
「ずっとそばで仕事ぶりを見てない人が正しい評価をできるわけがない」
という発言をされており、そちらが正しいのだと今では確信している。
会社の人を見る方針に明確な基準があれば話は別かもしれないが、
漠然と人を見て「こいつはスゴイ」などという人に出会うことなど早々ないのだ、と。
その後もこういう「オレは人を見る目がある」と思い込んでる勘違い面接官が
話も聞かずにネガティブ評価を下すという目にあわされた。
私はもう「おかしいのは向こう側だ」と思うことにしていたので気にしなかった。
質問タイムまでには相手の態度でわかったので
「御社ではどういう人を良い人材だとお考えですか?
それでオレは人を見る目があるとかとぼけたことを言ってるのではあるまいね?)」
と逆にその判断能力に疑義を投げつけたりもした。
そこでわかったことは、私の思ったとおり、彼らの判断にたいした基準はなく、
また、彼らは自分が観察される側であるという認識の薄いということだった。
彼らの底が見えてくるにしたがって、なんだか余裕が出てきた。
「業種」やら「会社の規模」なんかで選ぼうとするのをすっぱり諦めて
わたしが気持ちよく働ける職場を期待できる企業で選ぼうというように肝が据わってきた。
どんだけかかっても「くせ」ごときで人を判断できるツモリになってるような
学生ひとりひとりにちゃんと興味を盛ってくれる企業を選ぼうという気になった。
「会社のヴィジョンと対応して求める人材像が明確」「将来このように活躍して欲しいと明言」している企業を探した。
「くせ」みたいな細かいところにケチをつけて仕事をした気になってる面接官はいないだろうと思ったからだ。
「制度」を売りにしてるような企業は避けるか、あまり期待しないようになった。
こちらが探しているのだから、断られても「落とされる」という意識もなくなった。
アレもコレも求めるのをやめて、大事な点を一つに絞って活動すると、
基準がハッキリしていたから業界研究なんかより先輩訪問を重点的に行い、
志望動機を自信を持って答えることが出来た。
結果としては結構いいところに就職できたのではないかと思う。
この会社であれば、自分の為だけでなく、みんなの為にがんばれるのではないかと期待している。
それにしてもあのヘボ面接官の反応は時々思い出してイラッとする。
慶応卒には高校の時から企業で活躍することを視野に入れていた奴が多かった。
東大法学部を目指す受験生がステレオタイプに官僚を目指しているかどうかはさておき
「国家や社会のために大きな仕事をしたい」という程度のヴィジョンは持っているだろう。
京大志望者の学者志向や「自由な学風」志向、反面としてビジネスへの関心の低さも似たようなもの。
質的に正反対であり、理Ⅲは別として難易度面でどちらが上とか下というものではない。
「自由な雰囲気があるから、京大」
まあこれは多い。
形を変えたジモト主義か。実家から通える範囲に一流国立大学があり、
なおかつ東大など東京の大学への思い入れや東京という街に対する憧れがないのであれば
そういう選択肢はありうるだろうな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1430361.html
「ラモスが真の日本人だ」とかいってる人は本当にラモスと同じ意見なんだろうか?
ラモスが移民受け入れ反対なのは、現状では受け入れ態勢が不十分だから。
だからもし受け入れ態勢が整えば賛成になりうるし、或いは受け入れるために体制を整えよう、という主張をする可能性はありうる。
ラモスは真の日本人とか言っている人たちはそういう主張には賛成するのかどうか。
つまり受け入れ体性が整っていようがいまいが、移民を受け入れる事に反対という人は
ラモス賞賛している人は
単に目先の結論が「移民反対!!」で自分と同じだからっていうだけに見えるんだけど。
ちょっと流れとは関係ないけど、ゲーテッドコミュニティと移民の話があったので
(メディア批判が主な内容だけど)
7分以降から
http://www.youtube.com/watch?v=r2DS9t5lzJo&feature=related
後編part10
http://www.youtube.com/watch?v=g1HkKOMhloc&feature=related
ちょっと長いので1分20秒あたりからの気になった内容を文章に起す
宮台
「例えば同じようなメディアでも、まあこれはあのう自転車で行こうっていう、皆さん見ていただきたい、インディーズ系の大阪の生野区ですよね、鶴橋とかがある。
外国人がいっぱい住んでいるところの、その精神障害の人間たちの生き方を、生き様を映している訳だけども。
これは本当に皆さん見るとびっくりするんだけど、まあ生野区ってヘリテージがあるわけですよ。郊外化してなくて凄く地元性が残ってる。
でその地元性の中にコリアンとかチャイニーズ、或いは中南米の人たちと一緒に生きていくっていう事が完全に組み込まれているから、
精神障害の、知的障害の方々がいても、別に女子高生のコギャルも平気で話かけて喋ってるし、街で歩いてりゃたこ焼き屋のおばさんが、たこ焼き奢ってくれるし
その普通なら信じられないようなですね、地元的なコミュニティー的な者と、絶えず出入りする外国人との共生が成り立っている訳ですよ。
で僕はそういうヴィジョンを見ると、メディアはこういう風にも働く事が出来る。
つまり「異質な人間が入ってくると共同体がバラバラになって不安になるんだ」じゃなくて、まったく逆だと。
むしろ共同体が空洞化してバラバラになってるから、異質性に対して脆弱になって神経質になっちゃうんだと。
だからむしろ寛容さっていうのは共同体の強固さの表れなんだ、という様な事をね、ものすごく説得的に、本当だったら描けるわけだメディアでね。
メディアはどっち側にも加担できるわけなんだけど、どうも頭の悪い思考停止野郎が多いせいか知らないけど
ある一方側の、ネオコン的ニヒリズムをブーストするようなタイプの情報ばかりが、メディア空間に溢れるという現状になっている。
これは否めないですよね。」
神保
「一つはそっちの方が取材が楽だから、ともう一つ最近感じるのは、書いてる本人が多分本気でそう思ってるんだろうなっていう感じがして……」
センター受け終わってリサーチも返却されてそこそこ行きたい大学にそこそこ行けそうで、2次に向けて頭切り替えて勉強しなきゃしなきゃしなきゃと思いながら、最近、自分になんにもないことに気づいてもう本当に馬鹿馬鹿しいし情けないしで恥かしくて泣いた。進路のこと話してると無性に泣きたくなるのだけど、その理由を考えたら、なんか私の人生軽くってさぁあぁ、人が好きーとか言ってみるも別に、なんか、逆に人が嫌い、なんてないんじゃないかとか、人に対する好き嫌いを人と比べることなんてできないし、だから比べる必要もないのだけど、人と比べてより大きな愛情を抱いていて貢献したいと思っていて、みたいな、そういうものしか評価されない風潮と、それに流されたり甘えたりで見失っちゃった自分と、本当に馬鹿みたい。人が好きっていうかね、無趣味だから、小学生の時の社会の授業で習った戦争についてが私の人生で最大の刺激だったんだよ。被害も加害も酷いから、なんか、ぐわーんとアタマなったのがそれくらいだから、時々考えて、パソコンあったから調べたり、して、多分、血を見てなにか思うのも感じるのも誰だってそうなのにね。
勉強が半端にできるから、しっかりしてるね頑張り屋さんだねって言われて育ったから、なんか、そうなんだと思ってたんだよ。それなりに考えててヴィジョンを持ってるんだと、本当に、思いこんでたのに、ふと気づいたら勉強に疲れて、大学なんてどこでもいいし学部だってどこでもいいし、入学後の勉強はそれなりに楽しみなんだけども、ひどく無気力になってしまって、私は、なにがしたいのかなにが欲しいのか考えるのだけど、時間がないし、求めたところで手に入らないかもしれないし、明らかに今はそんなことしている場合じゃないの、分かってるんだけど、どこでもいいなら確実な国立を前期で抑えた方が学費的にいいんじゃないかとか、自分で払えるわけじゃないから申し訳なさで思ったり、だけど勉強はそれなりにしたいし就職のことも考えなきゃいけないし、社会、広すぎて、国際関係からでもメディア関係からでも政治・経済・法・心理・言語、どこからのアプローチでもいいと思ってしまうからどの大学でも構わないしどの学部でも構わないし、できたら都会から離れたくないからーとか、就職で有利って言われてるからーとか、そんなことを思ったり、で、申し訳なさを思い出す。泣く。
こんなに短く頻繁に泣いたのは初めてだ。ぐちゃぐちゃと泣くことは稀にあったけども、最近はぱたぱた泣く。ぱたぱた涙流してそれを拭いたら終わりで、また少しして急にぱたぱた涙が出る。昨日か一昨日、ばらばらと泣いたら泣き顔があまりに幼くて笑えなかった。小さな子供みたい。もし私の背が高かったり顔や身体や雰囲気が大人びていたりしたら泣き顔の滑稽さに笑えただろうかと考えて、目と鼻と唇がやけに赤いのを、赤鼻のトナカイの歌を思い出しながら、見て、目と鼻はともかくなんで唇が赤いんだろうなぁなんて、考えて、大学のパンフレットを投げようとしたら手が滑ってポスって可愛い音たててベッドに落ちるから、もうあまりにも、ばかばかしい。
なにがしたいのかなーって考える。熱いお風呂で本が読みたい。高校生にさぁ、さぁ決めろなんて迫らないでほしいよね、自分の将来なんて。もしかしたら皆そんなにしっかり考えてないのかもしれないよな、とも思う。「とりあえず経済学部」という人も多かろう。そうしたらやっぱり私は真面目なのかもしれない。馬鹿馬鹿しく思うだけ冷静なんじゃないかとも思う。思うのも馬鹿馬鹿しい。卒業後になにをすべきかなにができるか今の自分に言えるべくもないので社会を知ろうと思って社会学部です、と、担任との面接では言った。ふぅん、と言われた。嘘じゃないのに全然違う。嫌な面接だった。個人的なことを話すのはあんまり好きじゃない。口に出すのは嫌い。キーボード叩くのは癖。ごめん。
日記を読ませろと強いられてるような感じ。あるいは今すぐここで脱げ、とか。担任相手なら脱ぐ→面接→日記の順にやる。貧乳なのは明らかだけど頭の中まで貧しいことは私の秘密なんだよ。傍目には胸並みに明らかなことかもしれないけども。それでもさぁ、なにもないくせに、プライドはあるじゃん、18年も生きたら。だから恥かしくて情けなくて何も言いたくない。何も言いたくないときに数式解いたり英文読んだりはまだましな行為で、なにか優しく語りかけてもらってるような気になる。そういうわけでまた考えるのを止めて勉強する。多分どこかに受かって張り切って、夏休みくらいまでがっつり勉強して飽きるんだろうな。大学の講義楽しいといいな。
勉強って嫌いじゃない。と、小学生の頃から思ってた。だけど趣味でもない。
受験が終わったら一人旅をしようと思う。青春18切符で。いつか体力つけられたら屋久島に行く。読みたい本がたくさんある。それから、学びをまとめてサイトを作ろうと思う。
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おそろしくなにも考えてない文章だなぁ。
ハイチ地震の被害を伝える写真をネットで見てたらいつの間にか気晴らしになっていて自分にがっかりした。人が号泣しているのを見て痛ましく思うのは気分のいいことかもしれないけど、そうありたくはない。絶対にないし、気分をよくするなら泣く人たちに近づいちゃいけないと思う。だけど一緒になって悲しくなっていたらなにもできないのかもしれない。痛ましいと思うなら、その痛ましさが自分にとって快ベクトルであっても、絶対値の大きさで動けばいいのかな。愛よりお金が、労働力が、とにかく助けが必要なんだったら、同情されたくないんだったら、私でもいいかな。道に死体が転がっていて回収されなくて腐って衛生問題が、なんて、ちょっと信じられない話。ハイチの空気、今、どんな臭いがするんだろう。
36:下平 兵:2009/10/17(土) 12:24:58 ID:l8MnNo1W0
気温が・・・℃の時、フィンランド人はどんなふうにふるまうか、そのとき他国では何が起きているか」
+5℃。イタリアでは車のエンジンがかからなくなる。フィンランド人はオープンカーでドライブする。
0℃。蒸留水が凍る。フィンランドのヴァンターヨキ川の水は、ほんの少し凝固する。
-5℃。カリフォルニアでは住民が凍死寸前。フィンランド人は庭で、夏の最後のソーセージをグリルする。
-10℃。イギリスでは暖房を使い始める。フィンランド人はシャツを長袖にする。
-20℃。オーストラリア人はマヨルカ島から逃げ出す。フィンランド人は夏至祭りをおしまいにする。秋の到来である。
-30℃。ギリシャ人は寒さで死亡。フィンランド人は、洗濯物を屋内に干し始める。
-40℃。パリは凍えてガチガチ音を立てる。フィンランド人は屋台に行列する。
-50℃。シロクマが北極から退避しはじめる。フィンランド軍は、本格的な冬の到来までサバイバル技術の訓練を延期する。
-60℃。コルヴァトゥントゥリが凍結。フィンランド人はビデオを借りて家の中で過ごすことにする。
(コルヴァトゥントゥリはフィンランド北部・ラップランドにある山でサンタクロースが住むとされる)
-70℃。サンタクロースが南方へ引っ越す。フィンランド人は、
コスケンコルヴァを屋外に保管しておけなくなり、いらいらする。フィンランド軍がサバイバルの訓練を開始。
(コスケンコルヴァはフィンランドの蒸留酒でアルコール度数が非常に高い。通常、飲む前にビンごと冷凍庫に入れて冷やす)
。フィンランドの牛は、乳しぼりに来る人間の手が冷たいと文句を言う。
94:名無しさん@十周年:2009/10/17(土) 13:23:55 ID:2OFvHedX0
103:名無しさん@十周年:2009/10
うつっぽい人のなかには、(極端に言うと、だけど)「世界中の誰より俺が不幸」がエスカレートした結果「周囲は悪人とバカばっかり」みたいなヴィジョンの持ち主がいて閉口する。煮詰まっちゃってる時はしょうがないから肯定も否定もせず、ふんふんと聴くだけにとどめるようにはしているが、肝心の本人が、そこが煮詰まりポイントってことに気付かず、延々愚痴と悪口が続くときがある。自分で吐いた言葉で自分の劣情を更に搔き立てているようでまったく感心しない。かといって直球で指摘すると逆ギレされる。とりあえずバカ話とか旨い食い物とかでなんとか話題を変えようとするんだが今日は功を奏さず。疲弊。実の兄(しかも41歳ヒキニート)なので不安感もあって常の10倍ぐらい疲れた。なにかもっと強力な手を打つべきなんだろうか、と悶々とする。
女性って大変だと思う。
結婚できずに売れ残った時の悲惨さが、たぶん男性のそれより深い。
もちろん、異性に相手にされなくなるのは辛い。
女性は基本が待ち、受け、誘われる側だから、自分から動く側の男性に比べるとオファーが来なくなる深刻さが段違い。
同性の友達がみんな結婚してしまうと、一緒に遊ぶ同性もいなくなるじゃん。
馴れ合うためにサークル活動に参加する層っているよね。
テニスが好きなんじゃなくて、テニスを通じて友達を作りたい、彼氏を作りたい的なやつ。
男性だと、テニスが好きならテニス、将棋が好きなら将棋、筋トレが趣味なら筋トレ、趣味そのものに没頭できる人が多いように思う。
没頭できる場合、馴れ合う相手がいなくなってしまっても、それほど問題はないけど、馴れ合いそのものを目的にしてた人たちって大変だと思う。
そもそも女同士に友情ってあるのかな?
男同士の友情は間違いなくある。
男と女の友情はかなり難しい。
女同士の友情は、どうなんだろうね?
ないことはないだろうけど、男同士のそれとはたぶん違うんだろうね。
男性はモテなくたって、仕事で成功すればそれなりに社会的な評価を得られるじゃん。
女性だと、比較の問題だけど男性よりは社会で成功することが難しいし、たとえ成功したって「それでも女性としては幸せではない」って言われたら言い返せない。
20代以降の未婚女性を黙らせる言葉は「あなたは女性としては幸せじゃない」
社会的に成功しにくいって言ったけど、今派遣とかだと大変だよ。
本人に責任がないとは言い切れないけど、社会構造的な問題もあるし自業自得って言っちゃうのは可哀想だ。
長く勤めたところで昇給もなく、辞めちゃうと昇給どころか求人もなくなるわけで。
極端な話、幸せな結婚生活っていうヴィジョンと、無職っていうヴィジョンの二つしか頭に浮かばないと思うんだな。
未経産だと婦人病のリスクも高まるしね。
肩こりとか腰痛とかは男女ともにあるけどさ、閉経後に骨粗鬆症で骨が脆くなってすぐポッキリとか不安だよ。
派遣だと貯蓄の額も少ないだろうし、年金の積み立ても少ないだろうし。
というか派遣のまま60歳まで働けないし、正社員への道も絶望的。
最初のエントリーのとおりに、半額弁当と第三のビール(あるいは98円の特売の缶カクテル)、あるいは安い安いスーパーの大袋の緑茶、6畳のワンルーム、車も持てず、クレジットカードも作れず、1000円調髪、そんな未来ってけっこう恐怖じゃない?
だから、男性はすこしくらい騙されてやるべきなのだよ。
っていうかネタバレしかありません。
いきなりラストシーンから引用したりするので未読の人は気をつけてください。
※ ※ ※
・今日の虐殺(2) - 伊藤計劃:第弐位相 http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20070710/p1
エピローグで主人公はあることについて大嘘をついているかもしれなくて、事実はどうなのか、は一応それまでに触れられているかもしれない、
わかりました。わかりましたよ。
「大嘘」というのは、
ぼくは罪を背負うことにした。ぼくは自分を罰することにした。世界にとって危険な、アメリカという火種を虐殺の坩堝に放りこむことにした。アメリカ以外のすべての国を救うために、歯を噛んで、同胞国民をホッブス的な混沌に突き落とすことにした。
とても辛い決断だ。だが、ぼくはその決断を背負おうと思う。ジョン・ポールがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。(p.281)
で、「事実」というのは、
「そのジョン、って人は、終末に惹かれているように聞こえるね」
ぼくは言って、ジョン・ポールの好んだ風景を想像しようとする。ひたすら屍体の山を築き上げながら世界を移動するこの男が好んだ、廃墟の物語。
ジョン・ポールが夢見ているのは、そんな廃墟と化した地球の姿なのだろうか。無人の宇宙ステーションとして太陽の周りをぐるぐる回り続ける、宇宙船地球号。異星人が立ち寄って、かつてここに文明があった痕跡を認めるも、その主人はすべて死に絶えて、ただ整然とした建築だけが地上に突き出ている。(p.99)
ジョン・ポールはサラエボのクレーターの縁に立った。そこで妻と子供を失ったこの男がどのような感情に襲われたのかは、当然ながら記録からは想像するしかない。しかし、とぼくは思った。自分が魅かれていた小説の風景が、そこに現前しているのを見たとき、人はなにを思うのだろうか。(p.108)
ぼくは、その光景を想像して、不思議な安らぎに包まれている自分に気がついた。
それは、ぼくが見る死者の国の夢と、そう変わらない風景だったからだ。(p.100)
です。たぶん。
※ ※ ※
281ページでグダグダ語っているのは“プラカード”にすぎません。
・さすらいびととして死ぬこと http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20060124/p1
最後に映し出される在りし日のWTCを以て、ブッシュ批判をすることだろうか。帝国主義を告発することだろうか。
もちろん、そうであってもいい。けれど、そういうことはラストシーンを見ればわかることだ。そういうのは、いわばプラカードみたいなもので、誰にでもわかるように大きな字で書かれているものだ。多くの人は「そうだろうな」とあらかじめ自分の中にあった同じ結論と同じテーマを再確認するだけだろうし、そうでないひとびとは、抑止力としての暴力を信奉し続けるひとびとは、まったく意見を変えることなく反発するだけだろう。
主人公クラヴィス・シェパードは、ただ夢で見た“死者の国”をアメリカに現出させたいだけなのです。
・「ゾディアック」 http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20070702/p1
ある物事を主人公たちに見せつけることそのものを目的とし、その見せ付ける過程が映画になってゆく、そんな悪役を「世界精神型」と呼ぶ。
そのわかりやすい例はというと、やはり「パトレイバー」シリーズの帆場と柘植だろう。帆場は或る「風景」を見せつけ、しかる後に別の風景を現出させる「東京に対する悪意そのもの」だ。帆場は映画における憎悪として純化された階梯へステップアップすべく、映画冒頭で自殺し、キャラクターであることすらやめてしまう。
「2」の柘植もまた、世界精神型の敵役だ。よく柘植の目的を「平和ボケした日本に『普通の国になれ』と目を覚まさせるために」なんておポンチな勘違いをしている人がいるけれども、それはぜんぜん違う(まあ、普通に映画見てればわかるようなもんだけどね)。柘植の目的は、劇中でも語られている。東京という空間に戦争という時間を現出させること。都市を舞台に戦争を演出することだ。人々の前に、日常とは異なる時間を描き出すこと。それこそが目的なのだ。それをすることで政治的にどうこう、とか国民意識を変えよう、とかヘボいレベルに柘植はコミットしない。それは演出家では無いからだ。
世界に認識の変革を迫るヴィジョンを演出することで、ある事物の本質を抉り出すことそのものを目的とし、どんな現世利益的な欲も動機や目的にはしない、そんな悪役。世界を支配するのでもなく、政治的な目標を達成するのでもなく、金をもうけるのでもなく、ただある世界観を「われわれ」の世界観に暴力的に上書きする時間を演出する、それだけを目的とした悪役たち。それが「世界精神(ヴェルト・ガイスト)型」の悪役(というか、敵役、と言ったほうがいいのかもね)だ。
・ダークナイトの奇跡 http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20080723
この映画のジョーカーは悪意そのもの、人間の心理のどぶ底を浚ってくるクズ拾いのような世界精神(ヴェルト・ガイスト)型ヴィラン、金や権力など目もくれず、ある世界に人々を誘うことそれ自体を目的とするタイプの観念型悪役、すなわち、
の系譜に連なり、その中でもジョーカーは、上記の存在がどちらかといえば「社会」そのものをターゲットにしているのに比べ、心理の集合体、個の集合体としての世界を抉り、新たな世界観を観客に見せつけるどぶ底の狂言回しとして描かれている。
シェパードの感じた安らぎは終末の安らぎです。
・宇宙戦争 http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20050701/p1
「A.I」で人類滅亡の唄を描いたスピルバーグは、この映画で再び終末を描く。通信が途絶し、軍隊は通り過ぎてゆく。外界と遮断され、地下室に閉じこもったまま、外の世界を知る術はない。見事なまでに終末SFの王道っぷりだ。世界が「寂しく」なってゆくこと。世界からさまざまな要素が抜き取られ、閑散とし、やがて風の音のみが唄う風景がやってくるだろう。そんな終末への憧れを、スピルバーグは怪獣映画として描く。
人がゴミのように死んでいくなか、世界は寂しくなっていく。怪獣が世界を蹂躙し、我々は反撃の機会すらロクに与えられず、ただただ暴力の羅列を観ているしかない。そして、世界が終わる。
終末は、個人の視線から世界の断絶として描かれる時にのみ、それ独特の感動を生み出すのだ ──「ターミネーター」で、嵐が来るというガソリンスタンドの主人の言葉に答えを返すサラ・コナーの表情を観ていてなお、反撃する人類や大統領や活躍する軍隊を、カタルシスを描け、と阿呆のように要求する者は、終末の喜びを理解せぬ者たちだ。個人の視線から世界の終りが描かれることの喜びを、冷戦が終わってから久しく忘れていたこの感動を、「宇宙戦争」はひさびさに味わわせてくれる。世界が終わることの安らぎを。
※ ※ ※
『虐殺器官』は、主人公が自分の夢を実現させる手段を手に入れて家に引き篭もるというお話なのでした。
こう書くと“ボンクラ”っぽいですが、まあ事実ボンクラですよね。作中で男友達とジャンクフード食いながら「プライベート・ライアン」をリピートして見てたりして。
あと、帆場/柘植/ジョーカーが自分のヴィジョンを実現させる手段を自力で調達していたのに対し、シェパードは他人からタナボタ式に譲り受けただけ、というのもヘタレっぽいというか。
ボンクラ少年がボーイ・ミーツ・ガールして世界に直結するセカイ系と似たようなもんで、ボンクラ特殊部隊員がボーイ・ミーツ・デウスエクスマキナで世界に直結ですよ。
※ ※ ※
ところで、ジョン・ポールを巡るドラマはいかにも“弱い”ものです。
彼の理屈は、第一部に登場した“標的A”の理屈とほとんど同じです。
「虐殺だと。われわれの平和への願いをそのような言葉で冒涜するのか。これは、われわれ政府と国民に対する卑劣なテロリズムとの戦いなのだ。」(p.43)
ようするに、“彼ら”がいると“われわれ”に危害を加えてくるかもしれないから根絶やしにしましょう、平和のために、と。テンプレート通りの虐殺指導者ということです。
補足ですが、「決断を背負おう」だの「アメリカ以外の命を背負おう」だのも含めてテンプレです。
・http://d.hatena.ne.jp/flurry/18000920
「イェルサレムのアイヒマン」においてハンナ・アーレントは、ナチスの処刑者たちが自らの恐るべき行為に耐えた方法を正確に説明した。彼らのほとんどは全然邪悪ではなかった。彼らは自らの行動が犠牲者に屈辱や苦しみや死をもたらすことを知っていた。この苦境に対する彼らの逃げ道はこうであった。
「『私は人々になんと恐ろしいことを行ったのだろう!』と言う代わりに、殺人者たちはこのように言うことが出来た。『職務を果たすときに、なんという恐るべきものを私は目撃しなければならないのだろう! 私の肩に背負われた務めの、なんと重大なことよ!』」
このようにして彼らは、誘惑に抵抗するためのロジックを反転することができた。彼らの「倫理的」な努力は「殺さず、拷問せず、恥をかかせないという誘惑」への抵抗に向けられたのだ。こうして、哀れみや同情という自然な倫理的衝動に背くという、まさしくその行為こそが、倫理的に崇高であることを証明するものとなってしまった。職務を果たすことは、誰かに危害を加えるという重荷を引き受けることを意味したのだ。
こういうテンプレ発言に対しては作中でシェパードやウィリアムズがツッコミをいれていたのですが、ジョン・ポールに対してはなんのツッコミも入りませんでした。いわばボケっぱなしの状態なわけでして、ここは読者が「おなじかよ!」と突っ込むところです。
どんな戦場でも、どんな悲惨でも、同じような人間が同じようなことを言う。コメディ番組みたいだ、とウィリアムズはぞっとするほど朗らかな声で笑った。繰り返しはギャグの基本だからな、とつけ加える。(p.209)
・ぼくとあなたはちがうということ http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20060211
要するに、人が一人一人ちがうものだということをすかっと忘れて「アメリカ人」とか「朝鮮人」とか「アラブ人」とか「中国人」という民族と国家の(が大体の場合雑にいっしょくたになった)ラベルでしか人間を観ていないからです。
小説のラストで主人公までもが繰り返しギャグに参加しやがった……と思いきやそれは“大嘘”だったというのはすごくいいですね。
作中で虐殺されていった人たちのドラマには触れず、アメリカ人の死だけに寄り添う。「被害者のなかに日本人はいませんでした」と添えるニュースのような居心地の悪さ。人は見たいものしか見ない。
そしてこのことは織り込み済みだったと思われます。
・http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20050130#c1107181793
それは私が安手のスパイ小説やアメリカ製の戦争アクション映画で思春期を過ごしたからです。私は歴史そのもの、政治そのものを扱いたいというよりは、関心のあるフィクション群を相互にリンクさせその関係性を説明するツール、としての世界や歴史に関心があるんだと思います
・プライベート・ライアン http://web.archive.org/web/20070307060600/www33.ocn.ne.jp/~projectitoh/cinematrix/roadshow_12.html
この映画の、センチメンタルな物語的部分を「この映画の弱点」だとする人がいる。
ニューズウィークや文春などの映画評をみても、この「物語的」部分には納得しかねる人は多いようだ。確かに、そのような場面で泣いている観客もいたし、そうしたセンチメンタリズムを、これまでのスピルバーグ作品の文脈で解釈しているような貧弱な感性では、確かにそうした拒否反応がでるのも当然だ。
だが、いやしくも映画を評論するものなら、その「物語」の弱さをここぞとばかりに非難するのではなく、逆に怪しむべきだ。
この映画の物語は、きちんと体裁の整った、泣こうと思えば泣けるセンチメンタリズムを内包したものだ。
しかし、あの戦闘シーンの、凄絶という言葉ではとても語り尽くせない臨場感の前には、あまりに弱い。
だが、私はふと思った……スピルバーグは、物語を「弱い」ものとしてあえて導入しなければならなかったのではないか、と。
物語がいかに「容赦のない映像」の前に無力であり、白々しいものであるか。それを指し示す為に、あえて無力な物語を導入したのではないか。スピルバーグ自身がそう考えているかどうかは知らないが、少なくとも、この映画の「物語」は、私の中で「映像」の鮮烈さを、暴力性を、補強する対比の機能を果たした。
それは私の中で「弱点」ではなかった。
オマハ・ビーチの映像を前に、物語の無力さを徹底して暴き出す、演出装置のように見えた。
あの映像の前に物語はいかにも無力だ・・・物語はなにも「語れ」はしない。ただ、見えるものの凄絶さ、映像的な描写のみが、観客に何かを「語り得る」、その事を伝える為の「無力な物語」なのではないか。
あなたはこの結末に耐えられるか?
と書いたようですが、私としてはまったく逆で、あの結末でなかったら耐えられなかったと思います。冒頭のオマハ・ビーチのない「プライベート・ライアン」みたいなものですからね(それと最後のアレがない「未来世紀ブラジル」)。
※ ※ ※
『虐殺器官』は、世界(スターバックスとドミノピザの世界)が塗り替えられはじめるところで終わります。世界が変わってしまう予感に満ちたシーン。
これに対応するのは、劇パト1の自衛隊レイバー暴走/劇パト2のベイブリッジ爆破/ダークナイトのマフィア会合にあらわれたジョーカー、といったところでしょうか。
いわば『虐殺器官』とは、帆場が飛び降りる場面/柘植が東南アジアで闘う場面/ジョーカーが銀行強盗をする場面、を延々と描写した小説なのです(編集の都合上、帆場の来歴をたどるシーンもあったりしますが)。
直情的に動くなら、余計な小細工はしないで感情の全てをぶつけろ。
理論に徹するなら、底を深くして冷徹に揺さぶれ。
確固たる攻守のスタンスを貫き通せ。
どんな状況も、なんてことない顔してスタイリッシュに楽しみ続けろ。
手を休めるな。少しでも相手の優位に立て。
どんな甘美な好機も、己に酔った間に意味は立ち消える。
攻撃の優越感を機動力にしろ。スキを与えるな。
"過程のヴィジョン"を描き続けろ。
弱みや傷を見せるな。動揺や痛みは隠し通せ。
防御を選ばざるを得ない状況であったとしても、
"攻め倦ねている"のではなく、"誘っている"状況を作るように律せよ。
しかし。
いくら理論武装をしたところで、
自らを言い繕った"フリ"をし、己を奮い立たせたように"思い込むの"は、
最終的には無意味だ。
それが建前であれ本音であれ、所詮自分の1ピースをいたずらに相手に提示するだけ。
何もかもが相手に見透かされていたとしたら?
その時点で敗北は決まっている。
闇雲に野心や信条を露見する行為は、結果、
手痛い形で代償を被るものであることを自覚し、自制しなければならない。
肝心なのは自分がどう在りたいか、そのためにどう動いたか、であって、
戦いにおいて、"言葉"は最終的な鎧にはならない。
身を挺して自身を庇ってくれるものにはならない。
確固たる「意思」を「覚悟」できれば。
無意識で自ずと自分の行動に現れる。むやみに曝け出す必要はない。
それでも声を張り上げるのは、
結果の先に何かを狙っているからだ、と、
相手の思考を喰う為だ、と、思わせたいからだ。
そう、切り札は最後まで見せるな。
そして、それを切り札だと悟らせるな。
相手の真意を暴け。
結局のところ、最後に笑っていられる奴がいちばんかっこいいんだ。
夜の仕事で十分な銭を稼いでいても、昼の仕事も成長への努力ということも含めプロとしての意識をもって取り組み、それぞれの職場で心構えをスイッチできる。
がむしゃらに働くだけじゃなくて、それぞれの仕事を客観的にみることができる。(これって兼業しているせいで相対的な視点でみれるという強みか?)
そして、うまく咀嚼して文章の形で他人に説明できる。
文章を通して惚れた。
さすがに風俗嬢ってのはすこし引くポイントではあるけれど、それをもって余りある。
自分の職場の女子社員は、なにを求められていて、なにで評価されていて、なにをすべきなのか、そんなことを考える人はいない。
漠然とした「自分磨き」に憧れはするだけで、「結婚したい」以外のヴィジョンはなく、文句垂れるか愛だ恋だ言ってばかり。
自分で考えて動くという発想すらない俺の職場の女子社員たちこそ、風俗嬢向いてるように思う。
思うんだけど、「商品価値」これを意識するかしないかで人生変ってくるように思う。
見つめなきゃいけない現実だけど、生きていく限り、商品価値は日々下がってる。
脳も体も成長するのは10代まで、20代からは衰える一方、のびしろがあるのは小手先の技術くらい。
「収入」も人間を測る指標だとすれば、男性の場合は価値が20代30代でも上がり続けるといっていいかもしれないけれども、女性の場合はそれ以上に「老い」による減価償却分がでかい。
だからこそ、今日という日を大切に生きよう。
という気持ちになる。
ところで、いやほんとに増田好きだよ。
追記:先ほどから何回も投稿してスイマセン。匿名のは使い慣れないので
確かに勉強が一番だったらいじめるのに労力は使いたくないですよね。
通りすがりに「きもっ」とか「くさっ」とか言ったり、シカトしたりするなんてほんのちょっとのエネルギーでできます。
ですが、そのようなこともどうやら高偏差値の学校ではあまりないようです。
http://d.hatena.ne.jp/REV/20080919/p1
外部性というか、将来ビジョンの共有が生徒の中でできているか、ってことでしょうね。それは逆に風通しは悪いのですが。
http://d.hatena.ne.jp/kazukan/20080919/1221796855
公立高校なら「あそこはねぇ。すこしだらしないよね」とか言われるレベルだと思います。
もちろん共学です。確か全校生徒は千何百人いたと思います。いわゆる「高偏差値の男子校・女子校」ではありませんでした。
生徒は勉強より部活という感じの雰囲気で、実際一部の生徒は推薦等で入学したため偏差値30くらいでした。
けど、大したいじめはなかったように思えます。(気付かなかっただけかもしれませんが)
もちろん「いじられキャラ」はいましたが、いじめはなかったと思います。
それが当時から私は不思議だったのを思い出しました。
先ほど引用したように「勉強中心で将来のヴィジョンが共有できてる」とは思えません。
大学進学先も一番多い層が日東駒専、大東亜帝国と呼ばれる中堅??中堅下位の大学でしたし、普通の中堅高校でしたから。
今思い出して「いじめが少ないのか(無いのか)」理由を考えると
1、生徒指導の教師が毎日服装髪型をチェック&あいさつ
2、部活は強かったのでそっちに忙しい
この3つがあげられると思います。
1、に関してですが、これは全国のあまり偏差値の高くない私立高校で日常的に行われてると思います。
たいして効果はないように思ってます。
しかし私の高校の生徒は一見チャラ男でも注意されると従っていました。
(まもらないと出席停止になるため←こんなことなのにこれをチャラ男が守るのが凄い)
2、これが最有力だと考えてます。インターハイレベルの部活になると毎日練習は当たり前の世界でしたから
もちろんそれが楽しければストレス発散にもなりますし、「全国出場!」という共通のヴィジョンも見出せます。
(そのレベルに私は付いていけず途中でやめましたがw)
3、そのようにして部活をやめた私のような芯の弱い人間もいじめられる、いじめることがなかったのは
「学校がつまらなかった」もしくは「実は進学の維持が強く早く帰って勉強したかった」からだと思います。
というのも、不思議なのは授業が終わると部活に行かない生徒はそそくさと帰宅していました。
これは学校がつまらなかったからだと考えてました。しかしよく考えると卒業時に皆勤した生徒は1学年のうち4割を超えてました。
正勤も含めると7割の生徒が真面目に登校していたのです。
※正勤とは3年間で5日以内の欠席
そうするとつまらなかったのか学校が好き過ぎるのかよく分かりません。
チャラ男の話もそうですが、普通であれば『髪の毛は黒で女子はパーマもダメ』とかだったらやめますよね。
(実際、年に3人ほど学校をやめる生徒もいましたが。)
「実は進学の意思が強かった」というのは、中堅の私立高校というのはどうしても公立上位の抑えとして選択されます。
ですから『もともとは能力の高いお坊ちゃま、お嬢様がしょうがなく通っていた』とも考えられると思います。
実際大手企業の社長の息子がいたり、全体的にお金持ちの家が多いような印象はありました。
だから帰ったら予備校や塾に通っている人も少なからずいたようです。
よって私が考えるに
『部活が大好きで学校生活が楽しい生徒・そそくさと帰宅する生徒・いじめっ子はいじめる相手がいないのでやめるor帰る
・先生もちょっと厳しい・もともと育ちのいい生徒』
この好循環が上手く作動していたからだと考えています。
つまりは『高偏差値の学校=大学合格、うちの学校=スポーツマン;全国大会出場、その他;大学合格』
どちらもヴィジョンがあったからなんだと思いますがね。
難しいのはスポーツが全国大会レベルでも荒れている学校はかなりあるということです。
そういう高校はスポーツをやっていない生徒に対してのケアーがないことがほとんどです。
茨城県のある高校は、昔甲子園にも出場した高校ですが今では東大や医学部に合格者を出している高偏差値の学校です。
(いじめがあるかないかは分かりませんが)
この学校の育て方は凄いと思います。まずは名前を売って有名になって、とりあえず人をあつめて、出来る生徒を伸ばして難関大学に合格させる。
私の通った高校はそこまでは考えてないようです…ケアーというケアーもないようですしw
チャンスだと思うのですが…
「うちの子はあまり賢くはないけれど、いじめに合わせたくない」というお父さんお母さん。
彼女、、、いや、彼は魔法のステッキを取り出すと呪文を唱えた。
「パスカル エイダ アセンブリン!」
魔法術式論理の再構築が始まる。地獄の底からいにしえの怪物たちの叫び声が聞こえる。いよいよだ。彼らが長い年月をかけて組み上げた疑似魔法システムは決してハッタリではなかった。今だからこそ、それを実感できる。彼女、、、いや、彼はコマンド入力を終えたのか、満足気にこちらをみる。俺は今、こぶしに力を込めるくらいしかできなかった。怪物たちの叫び声は段々と大きくなる。コンクリートでできたゲートが開き始めた。
「ここまでか、、、。」
俺の手から力が抜けたとき、ふっと頭の中にヴィジョンが流れ込んでくる。彼、、、いや、今度は彼女だ。悲しそうな顔をしている。俺がどうにもできなかった事を嘆いているのか。ごめん。俺は所詮ここまでの男だったんだ。、、、そんな顔で泣くなよ。
再び意識が現実に引き戻された。俺は上着のポケットの中に重みを感じた。普段、何も入れていないはずのポケット。何かが入っている。俺はそっとポケットに手を差し入れる。せまいポケットの中にたしかにそれはあった。今まで世界中を探し続けたのに全然見つけられなかった。でも、今、俺のポケットの中に入っている。彼女との別れのとき、こっそり入れたのだろうか。今の今まで気がつかなかったなんて、、、俺はなんて馬鹿だ!
彼女、、、いや、彼は眉をしかめる。だがすぐに驚きと、慌てて中止コマンドの詠唱を始める。だが既にゲートは解放され、怪物たちが俺を取り囲んでいる。
だが怪物たちは叫ぶことをやめ、静かに俺を見つめる。いや、俺の手に握られた一本のバナナを見つめている。
http://anond.hatelabo.jp/20070718180344
ジュセリーノの話は知ってたし、個人的には肯定も否定もしない(あらゆる未来予言者に対する俺の基本姿勢・知識を集めて検証したりはする)んだが、トラックバック先のリンクから、YouTUBEの隕石衝突の動画を見て、ある男性が死の間際に見たヴィジョンの記録を読んで…ってしていったら、いつの間にか、「現実が恣意的に操作されたもので超越者(神ではなく操作している者)がいる」とか「SARSや鳥Fluは当然生物兵器だよな(SARSに関しては医学界でもそういう下馬評は多い)」とか考えてる自分がいた。ちなみに俺は精神科医。「ある男性が死の間際に見たヴィジョン」ほど規模の大きなものではないが、妄想に支配された言動は幾らでも毎日のように聴かされてる。
洗脳って、アルゴリズムに基づいてきちんと行えば幾らでも出来る??知識としては知っていたけど、自分が懸かりかけたのは初めてだ。危ない危ない。
Q1. 暇そうだけど、あなたはいくつなの?二十代?三十代?
A1. 30代ですが、なにか?
Q2. いくら稼いでいるの?500万も稼いでいないの?ふーん。
Q3. 不労所得って知っている?
Q4. 家をいくつ持っているの?
A4. 実家が一つ。
Q5. 世界を相手に努力したことあるの?
A5. 努力はしてないけど、世界を相手に仕事してますが何か?
A6. 自分のお金じゃなければ普通に。金型発注でそれぐらいは動くよ。
Q7. 子供はいるの?いないの?
A7. いませんがなにか?
Q8. こんなことしていて将来に不安はないの?
A8. 全然不安はありませんよ。不安を感じたら安定剤を飲めばいいんです。
Q9. 中高年期になって貧乏でいいの?
A9. 貧乏でもいいのでは?
Q10. ブログの文章を読みながら、自分の将来のヴィジョンを描けるの?
A10. 描けませんが、なにか?将来なんて風まかせです。
Q11. はっきりきっちり、ディティールを詳細に描くくらいに思い続けるつもりなら、はてなでくだらないブクマコメントなんて残しているようじゃダメだってことをわかってるの?
A11. おっしゃっている意味が分かりません。
Q12. いつまでもうだつが上がらなくていいの?
A12. うだつはあがらない方が幸せなときもあります。というか、地味でいいんじゃね?
A13. 3つぐらいありますが、サラリー以外は雀の涙です。
Q14. インカムソースはふたつより、みっつくらいあったほうがいいんじゃない?
A14. どーかなー。二つで十分ですよ。「ノー!フォー!」あ、怒られた。
Q16. まだ成功していないのね?
A16. なにをもって成功かが問題ですね。私の物差しでは私は成功者です。
Q17. ああ、小さな成功はしているわけね?
A17. なにをもって成功の大小を決めるか問題ですが、いろいろな成功はしていますね。小さな所では半年で10kgの減量。大きな所では去年出した特許で5万円の報奨金Get!
Q18. で、お風呂は家にふたつある?あら、お風呂のない家なのね?
A18. お風呂のない家にあこがれます。銭湯が近くにあるって事ですよね。銭湯いいなぁ。
Q19. キッチンはふたつある?
A19. ひとつです。ベッドから歩いて三歩の所に。
A20. いいえ?そもそもあまり他人としゃべらないもので…。雑談したいんだけど、みんな真面目に働いていてね…。
Q21. 普段100円ショップの食器で食事してジャージをはいている生活水準だけど、豊かな人生なのね?
A21. 鍋から直接食べるから、食器は茶碗ぐらいかなー。これも実家から持ってきたから100円ショップじゃないし。コップはビールの景品。ジャージはあまり好きじゃないから来てないよ。家では下着派。でも、豊かな人生だよ。光回線だし。
Q22. 現状維持で別に望むものもないわけね?
A22. いいえ。やっぱり僕にも望むモノはあります。穏やかな死が欲しいです。
Q1. 暇そうだけど、あなたはいくつなの?二十代?三十代?
Q2. いくら稼いでいるの?500万も稼いでいないの?ふーん。
Q3. 不労所得って知っている?
Q4. 家をいくつ持っているの?
Q5. 世界を相手に努力したことあるの?
Q7. 子供はいるの?いないの?
Q8. こんなことしていて将来に不安はないの?
Q9. 中高年期になって貧乏でいいの?
Q10. ブログの文章を読みながら、自分の将来のヴィジョンを描けるの?
Q11. はっきりきっちり、ディティールを詳細に描くくらいに思い続けるつもりなら、はてなでくだらないブクマコメントなんて残しているようじゃダメだってことをわかってるの?
Q12. いつまでもうだつが上がらなくていいの?
Q14. インカムソースはふたつより、みっつくらいあったほうがいいんじゃない?
Q16. まだ成功していないのね?
Q17. ああ、小さな成功はしているわけね?
Q18. で、お風呂は家にふたつある?あら、お風呂のない家なのね?
Q19. キッチンはふたつある?
Q21. 普段100円ショップの食器で食事してジャージをはいている生活水準だけど、豊かな人生なのね?
Q22. 現状維持で別に望むものもないわけね?
なるほどね??。
ジャイアンこと剛田武が歌う事を強く愛している事は疑問の余地がない。また彼が独自のセンスと才能をもって楽曲をつくり出していることも数々のエピソードから伺える。オリジナリティ、ヴィジョン、パッション、どれをとっても剛田武は本物のアーティストの資質を持っている。
しかし剛田少年は音痴だと言われる。彼の歌は、ひょっとするとノイズやアウトサイダー・ミュージックの愛好者には受容される余地があるかもしれない。しかしそれは彼の望むところではなかろう。彼は自分の名前を正統なポップミュージック史に書き入れたいと望んでいるのだ。だが歴史は彼のつくり出す音響を受け入れない。
剛田少年は自分の歌声を録音して聴く事もあるはずである。彼はそこで、自分の歌声の"異質さ"に気付かなかったのだろうか。気付かなかったのだとすればそれは認知の歪みによるものだろうか。そうかもしれない。だがもう一つの可能性が考えられる。剛田少年の音楽観は世間一般のそれより広いのだ。通常の限界を超えた領域にも、彼の耳は音楽の歓びを聴き取ってしまう。その震えるような歓びを分け与える為に彼は歌うが、聴いた者は耳を塞いで逃げ出してしまう。