はてなキーワード: フリーペーパーとは
飲食店や美容室への飛び込み営業をやっている人は歩合制が多い。
一般的に飛び込み営業の成約率は数%と言われてる。100件飛び込んでまぁ5件取れればいいところかな。
なかなか取れないから、歩合制の単価は高めに設定されてるケースが多い。
買ってくれる確率の高い相手に絞り込んで飛び込みすれば、成約率は大幅にアップして、大儲けってことになるわけ。
そんなことはわかってるって、事前にわかれば苦労しないって?
その通り。
でも、分かる方法があるんだ。
明日からは50000円で売るんだけど、今日だけは無料で提供するよ。
それは、「入り口に犬のマークのステッカーが貼ってある店だけ飛び込め」ってこと。
そう、街中に増殖しているあの有名な白い犬のマークのシールだよ。
あのシールを貼ってる店の9割方は、飛び込み営業を受けてシールを貼られている。
しかも、飛び込みしているのもトークスキルほぼ0の未経験者が多い。
だから、百戦錬磨のあなたが、犬のマークのステッカーを目印に飛び込めば、大儲け間違い無しってこと。
俺は、飛び込み・テレアポはしてくる奴は大嫌いだけどな。
ネットでもある程度探したけれど、現地のフリーペーパー(日本語)が確実
現地で日本語だけでもやっていけるらしいし、待遇もしっかりしている
やってられないね
でさ、ふと海外に目を向けたのよ
したらさ、中国はちょっとやだなと思ったんだけど、シンガポールは金持ちだらけなんでしょ
サービス業のアルバイト経験たっぷりあるし、現地に日本食レストランも増えている
人手足りないっていうじゃない
日本でフリーターのようにアルバイトで食いつなぐなら、シンガポールで食いつないでもいいんじゃないかなって
なので、日本よ、さらばなのじゃ
若者が途上国に出稼ぎにいく時代が普通になるんだろうなって思うよ まじで
第一号かな
20代30人、本気で“森林ガール” 岩井有加さん
「衰退が著しい日本の林業を変えるには、今までなかった『女子目線』が必要だと思うんです」
淡々と話す様子からは、“パイオニア”に位置づけられるべき気負いがまったく感じられない。屈強な男性が山で黙々と木を切るという、林業のイメージからは最も縁遠い、都会の女子が集まる「林業女子会@京都」を昨年7月に立ち上げ、代表を務める。
平均年齢20代のメンバーは京都の女子大生を中心に、建築士や会社役員なども含めて約30人。アウトドアを楽しむ「山ガール」や、おしゃれ重視の「森ガール」が人気だが、「大木を切ったり、急斜面を登ったり、現場は体力勝負」と、明らかに一線を画す。
昨年11月に開催した京都府南丹市での「伐採体験会」。メンバーはヘルメットや地下足袋、つなぎ姿で山に入り、のこぎりを使って手入れした。一方で今年2月にはフリーペーパーを発刊し、薪ストーブを置くカフェなどを女性向けに紹介するという。
「家の柱や家具、読んでいる雑誌の紙だって、森からいただいた恵み。都会の女子的生活にも林業はなくてはならない。だから、あえて女子をターゲットにしてみたんです」
大学では森林科学を専攻。京都で活動する男女混成の林業サークルにも所属したことがあるが、女子会結成はツイッターでのつぶやきがきっかけだった。
《農業に興味のある若い女性が「農(ノ)ギャル」と呼ばれて注目されるんだから、林業に若い子がいてもいいんじゃない?》
反響は大きく、賛同した若い女性と意気投合し、つぶやきはわずか2カ月で形になった。
大学近くのカフェを活動拠点とするが、定期的に集まるわけでもなく、思いついたときにブログやメールで呼び掛ける。「『木っておしゃれ!』みたいな、シンプルなところから入ってくれたらいい」という軽いノリも魅力の一つである。
国土の7割を森林面積が占める日本。「里山」の良さは近年見直されてきてはいるが、木材自給率はわずか3割しかなく、林業の衰退が叫ばれて久しい。
「一過性のブームに乗るのではなく、ライフスタイルとして山とつながり、100年先を考えられる余裕のある女子が増えたら、未来はきっと明るくなる」
「草食系男子」とは比べものにならない「女子力」なら、日本の山に活力を与えるかもしれない。(白岩賢太)
=おわり
林業って簡易トイレから離れた所でも作業やるからトイレは……なんだけど、こいつらその覚悟あんのかね。
大学近くのカフェを活動拠点とするが、定期的に集まるわけでもなく、思いついたときにブログやメールで呼び掛ける。「『木っておしゃれ!』みたいな、シンプルなところから入ってくれたらいい」という軽いノリも魅力の一つである。
あ、こりゃ望み薄だ。死傷者出る前に飽きる事を祈るのみ。
今日は一時に起きた。最近あまり寝られないし、寝なくてもつらくない。毎日栄養ドリンク飲んでるけど。朝になったので、早朝のうちに出かけないとと思った。家にいてはいけない。外に出ないことはわるいことだ。だらだらしていたら八時近くになってしまっていた。父に頼まれたチョココロネを買いに、パン屋に行った。パン屋のあとはコンビニに行って、それから一度家に戻ってチョココロネを冷蔵庫に入れて(この季節、冷蔵庫に入れないとチョコレートが溶けてどろどろになってしまうのだ)それから少し散歩に行こうと思っていた。そんなだからわたしはとても気の抜けた格好で、鏡を見るとすごく醜かった。パン屋でレジに並んでいるとき、なんとなく嫌な予感がした。そのときは特に気にしなかった。小学校へ向かうこどもたちに「無職! 無職!」と言われているような被害妄想がよぎるが、別に気にはならない。パンを買ってコンビニに行った。食べ物が目に入ると吐き気がする。フリーペーパーが置かれていたのでなんとなく手に取ったら、「汚い手で触るな!」と思われた。たぶん空中が考えたことだ。そこでちょっと、おかしいな、と思った。でもまあ、被害妄想が激しいのはいつものことなのでいちいち気にしてはいけない。と思った。コンビニを出て帰り道、離れたところに男性が立っていた。じっと見てくるわけではないが、どうやら私を監視しているようだ。監視というか、見張り。彼はエージェントだ、直感的に悟った。携帯でだれかに連絡をとっているようだった。その直後、若い女性と小さなこどもの親子連れとすれ違った。彼女たちは私から顔を背けるような、目を伏せるような感じで歩いていたが、それは彼女がスパイであるという何よりの証拠だ。先ほどの男性と同じ組織の仲間なのだろう。こども連れなら私に疑われないと思ったのだろうか、それとも子供がいれば私が彼女に危害を加えないと思ったのかもしれない。とここで、急に何書くか忘れた。一日中もやもやしてぴりぴりする。何だか怖い。ここ最近、自室で人がざわざわする声(音?)が聞こえるような気がするんだけど
気のせい。
頓服の薬は体にきつすぎるし、今日はもう、一回飲んだ。昼間から寝てしまった。
今もう一度飲んだら今夜眠れなくなる。
何かに没頭してないとよからぬことばかり頭に浮かび怖い。
ずっと何かに追い立てられている。没頭していないと何かよくないことが起こってしまう。
部屋に取り込まれる。気が体に入ってくる。
うん、全部気のせい。
そんなものだ。
おなかすいた。なにか食べよう。
そのあとたぶん、コンビニに行こう。
努力が足りない。
1000円で売れないなら、100円に値下げすればいいだけの話。
100円で売れなければ10円で。10円なら途上国でも十分勝負できる。
極端な話、紙代より安ければみんな本・新聞を買う。その最終形態がフリーペーパー。
そこまで努力して初めて不満を言っても許される。
各社の経営者はそれだけの努力をしているの? と私は聞きたい。
お客さんの前に行って堂々と1000円くださいと言えるだけの努力をしているの?
1000円と言うのはそれはもう大変な額。フリーターが一時間かかっても稼げない。
それに見合うだけの価値がないから売れない。簡単な話。つまりは努力不足。
ネットだとか景気だとか若者のせいにするのは甘え。大人に成れていない証拠。
もっと必死で努力するべき。
当時中学生
もっとときめきメモリアルなど
雑誌に載っていたけど、どうしてもいけなくて涙をのんだ・・・・
こなみるくへはいったことがある。
ドラマシリーズ・GB版全部・クイズ・パズルなど全シリーズを買った
ギターフリークスモドキのミニゲーム・筋肉番付まんまのサッカーゲーム
今考えるとどう考えてもおもしろく無いのに何時間もやっていた
したとこもあったけど
To heartが出たときなんか時代の流れというか
ついて行けないものを感じたんだ
PSでときメモ2が出たときもなんだか俺が求めていたものと違った気がした
当時のメモラーの皆さん今何をされていますか??
まだ美少女ゲームが好きですか??
僕らが大好きだったものはいったい何だったんでしょうか??
イヤなら自分たちが、胸に手を当てて考えても、自信と誇りを持てる仕事を、自分達がすればいい。
だいたい、世間のまっとうな会社を何社も倒産に追い込んでおいて、どの口で、
と言うか。視聴者はイヤガラセで倒産・不買(不試聴)運動をしているのではない。
混ぜ物・偽物の入っている品物は買いません、見たくありませんと言ってるだけだ。
世間だってそうさ。
いくらタダといえど、クーポンマガジン(ホットペッパーなど)や求人フリーペーパー(タウンワークなど)が、
ウソ・大げさ・紛らわしい記事に満ちていては、読者も広告主も離れていく。
いくら受け手から直接お金をとっていないといえども、広告収入モデルで商売をしているならば、
僕の親はいわゆる「片付けられない女」というやつだ。実家はよくテレビで見るような「ごみ屋敷」そのもの。
そんな家に帰りたいはずも無いが、諸々の都合上帰ることになった。
帰ってみたら、想像通り…いや、それ以上に酷かった。台所のシンクは食器や生ごみの山で、料理できる状況にない。
部屋の床が見えず、フリーペーパーやらで滑って危ない。飼ってる犬はトイレのしつけが出来ておらず、そこら中フンだらけ。
そのせいで、至るところに虫&異臭。ある部屋は、ゴミ袋が背の高さほど積み上げられている。
物が汚れて使えなくなったら、新しく買う。だから、金も無い。そして買いすぎる癖がある。
ファミリー向けの冷蔵庫が、1人暮らしのはずなのに常に満杯。片付けるよう言っても「忙しい」「体が辛い」などの言い訳。
さすがにこのままではいけないと、昨日・今日と僕が掃除をした。
とにかく捨てまくって1部屋をかなりマシにした。これもすぐに汚されるかと思うと切ないのだが…
手伝って欲しいと言っても、「今気分じゃない」「えへ」で済まされる。強く言うとと逆切れするか泣き出す。
ついには(正月だからだが)昼間から酒を飲んで眠いと言って眠り出す。…僕は一体どうしたらいいんだ?
既に結婚して家を出ている兄と、病院に相談に行くか?という話をしている。(ゴミ屋敷の住人は、精神障害を伴っていることが多いらしい)
こんな状況はもう10年は続いているが、そろそろ親は年齢も金銭も厳しい。孤独死でもされて恥をかくのは僕らだ。
金があればハウスクリーニングという手もあるが、そんな金は無い。
1回だけなら払っても良いが、1度やったら甘えて掃除しなくなるに決まってる。
片付けられない女本というのもあるらしいが、それも読まずにゴミになると予想できる。
僕がたまに実家に顔を出して監視したいところだが、家が少し離れているのでそう頻繁には来れない。
おそらく本人だって掃除しなければならないことはわかっている。それにも関わらず掃除できない自分を嫌いになってもいることだろう。
だからといって、する訳ではない。体が追いつかないとか、やろうと思ったら追い込まれて鬱になってしまうとか。
本人だって辛いだろうが、僕らだって辛いんだ。
もういっそ金をこちらが握って、綺麗でない限り渡さないという強行手段に出るべきだろうか。
何とか動物を手放せないだろうか。(ただ、生きがいだから奪うなと言ってくる。僕らも可愛がっているのでなるべくしたくない。だが2人ともペット不可のマンションで引き取れない。動物がいなくても生ゴミ等でどうせ汚れるし)
親戚に相談して解決の糸口は見つからないだろうか。
何を考えてもうまくいく気がしない。もう逃げ出したい。
だがこのまま逃げ出したら、この2日間必死に掃除したのが無駄になる…!
こんなこと、他の誰にも相談できない。だから抱え込んでしまって、余計に辛い。
だから増田で書いてみた。汚い話で悪かった。
仕事やめてー就職失敗したーと言うかスタート時点での人間関係がなー
あー、やりなおしてー
とかウダウダ考えてたらやめるにやめられなくなった不況氷河期の今日この頃
一番の敗因はですね、自己アピールのしすぎだな
面接とかエントリーシートって自分が学生の頃してた特異な事や特技とか特殊な経験とかで埋めるワケじゃん
そういうのに自信あったし大学時代にやった活動に事欠かなかったから、内定決まった後も同期の人達とフランクにつきあってたつもりなんだ
彼らに、面接の時どんな事話したか、大学の頃何やってたかとか特技は何なのかを最初の話題に選んじゃったりしてさ
もしかしたら彼らのうち誰かが自分好みの特技持ってたら、プライベートで一緒に色んな活動ができるかもしれない、せっかくだから仲間探しだと
そんな事してたらよくない噂たてられちゃってハブられたハブられた
大学の頃はみんなヤりたい盛りと言うか、自分の周囲に集まる人みんなイベント好き好きバカやるの大好き!!!って人ばっかだったから
いつの間にか高校の頃みたいな謙虚さと言うか中庸をもってよしとするみたいなの忘れてたんだよな
大学時代の仲間からはいまだに「クラブイベントやるんだ!お前も手伝わないか!?」「今度絵画展やるんだけど、ポスターのデザイン受けてくれない?」「Webラジオのゲストに来てよ!」「自作Tシャツ作ってるんだけど、お前もデザインしてみろよ」「今度舞台やるからチケット送るわ」「小学生向けのサマーキャンプあるんだけど、引率のお兄さんやらねぇ?」とか誘いを受けて、その時はノリノリで引き受けて人に囲まれて楽しんじゃうんだけど
俺にはイベントを起こさない人の気持ちがわからないけど、考えてみたら、みんなそれなりに浮いてて
浮いてる人同士で固まりたいだけなのかもしれない
少数派だから、少数派だけで少数派が多数派の空間を作りたいだけなのだろう
【追記】
そういう事よく言われるけど、自分含めて理屈っぽい人が多いから、リスクとか過剰に考えちゃうのな
貯金もそこまでないし、自分でさえ恵まれてるってぐらいに、みんな給料安いし
フリーターの方が多いぐらい
それにイベント起こすだけで儲けられるってどんだけ少数よとも
イベントに客として参加する人も少ない昨今
で、どんな噂だったの?
俺が悪いよ
例えばお酒の話とかするじゃん?そしたら、自分の知人にウィスキーを家で作ってる人がいるよとかそういう話題切り出しちゃうんだ俺。で、自家製酒の作り方とかベラベラ喋っちゃう
同調圧力スルーしちゃうというか、「だよねー、そうだよねー」的な発展性も新たな知識の習得もない会話をしなかった
それぞれが持ってる知識を総動員して、あっちゃこっちゃ話題が飛ぶ話が好きだったからなぁ
中には気の合う人もいたけど、鬱とか見切りをつけたとか言って同期の内仲がいいのからどんどん辞めていったよ
それと「すごーい」って単語にまんまと騙されて中々疎まれてた事に気付けなかったってのもあるな
議論がしたいんじゃなくて同意が欲しくて、知らない話題はしたくないってのに気付けなかった
はいる会社をまちがえたのでは?
そうでもない
小学校の頃からの親友が高専卒でバリバリ働いてて、同じ業種選んでみたって感じの不純な動機ではあるけど
この業界に足を踏み入れて、大学の頃接点持たなかった人達と接して得るものはとても大きかった
もし、また同じような普通である事を確かめ合う人達の輪に放り込まれても溶け込める演技と言うか、みんながしてる個性を出さないように生きるっていう生き方が身に付いた
きっと自宅ではそれぞれ色々趣味があったり、会話してる最中にも色々考えがあったりしてるんだけど我慢してるんだなって思うよ
我慢する事を覚えられて、バカ正直でいていい場所とそうでない場所があるって知る事ができて本当によかった
あと、同じような事を仲間に言ったら「それは会社がおかしいわ」「お前は俺か・・・」の二極だな
ただ単に人見知りとか一切しない人だったからかな
フリーペーパーとかラジオ番組なんかの手伝いしてて、取材をメインにやってたんだ
だから、記事にしたいからとかインタビューしたいからって色んなサークルに顔出したり
地域のお祭りや伝統工芸とかの主催者にマイク向けにいったりしてた
人見知りを一切せず、フランクに、まるで十年来の友人見たく接するってのを好む層と好まない層がいて
スキルがあるかどうかは今は自信あんま無いや・・・なんか自信を会社で砕かれた感じ
数日前増田であった
http://anond.hatelabo.jp/20081202215824
読んでうんうん頷いたなぁ
話すっとぶけど、色んな特技を持つ人と出会うってサイコーよ
鬱になった時、心理学の大学院に進んだ女友達に色々と話聞いてもらって、鬱ってなんだとか、積極奇異型アスペルガーってなんだとか
自分1人じゃ到達できなかった知識を得て立ち直れたんだ
自分が発達障害かどうかは置いといて、色んな考えの人と魔球のキャッチボールをして得たモノが山ほどある
魔球のキャッチボールに慣れすぎてチェンジアップが取れなくなってた俺が悪いってのは重々承知してる
あとは会社全土で大ブームの、その場にいない人の悪口って流行に参加しなかったりとかだな
失敗した人を笑ってる人に一生懸命やってる人を笑うって失礼じゃね?とか言ったりしたのも我ながらおかしな人だった
変人である事に喜びすら感じてた
今朝読んだフリーペーパーより抜粋
鏡に映るわが姿、俺れが笑えば彼奴(あいつ)も笑う、俺れが怒ればアイツも怒る、ホンにこの世は乙なもの、泣くも笑ふも我れ次第
昨日の呑みネタ。
人はそれぞれ良い所と悪い所が必ず共存しているもので、悪いことがおきる時というのは、自分の中の悪い部分が過剰に反応するからこそ良い部分が引っ込んでしまい、坂を転がるように落ちていってしまうものだ。
自分の悪い部分を十分に認識している大人だからこそ、自分以外の誰かが良い部分をクローズアップするべきであり、それは至って普通の事であり特別な事ではない。
子供は躾けないといけないけど、躾の終わっている(はずの)大人ならば特に有効なメソッドではないだろうか。
躾されていない大人は問題外。
日雇い派遣は、どう変わっても救われない。まずハッピーケースを提示しよう。次に、バッドケースを想定しよう。最後に、あり得そうな未来と救いの道を模索しよう。しかし、いずれにしても救いはない。(なお、日雇い派遣が禁止されない未来は現状維持のため考慮していない。現状に救いがあると考えるのであれば幸いであろう)
ハッピーケースでは、日銭を稼ぐことが出来る。直接日雇いが禁止されずにいることが福音となる。労働者のデータベースが作られる。データベースを管理する会社が、データを有料で提供する。有料でデータの提供を受ける労働力を必要とする会社が、労働者へと連絡する。直接日雇いが完成することで、給金への対応は各会社の良識に任される。
個人情報そのものであるデータベースの構築維持は、慣れた業界が参入するのが通例だろう。書類を揃えてお上から異議が出ず報道少なく気がつくとそこにいる会社が設立されるのが日本の社会における力学である。つまりカードが労働者の手に行き渡る。クレジットやキャッシングの。
喜ぶべきは、日雇い派遣の柔軟な再定義である。支払日は、雇用企業の支払日でありかつクレジットの支払日であると良い。彼らは日銭を稼ぐのではなく借り、月締めの給金をもらうのではなく返すのである。企業への労働は緩衝地帯を置くことによって柔軟な対価を得ることが可能となる。しかしながら傾向から対策を練るのが常識であるならば、新たな限度額が生まれることは想像に難くなく、そして彼らは使い続ける。救いはない。
バッドケースでは、二極化する。マクロ経済学者が労働者を流動的に扱うモデルが現出する。ある作業に特化した歩合制の組織が設立される。組織は、仕事を請け負う。労働力を必要とする会社が、組織へと連絡を取る。会社間取引によって、労働力は適応する。所謂モデル事務所の業態を真似ることになろう。月額の支払いの運用は、取り締まりと良識と労働者の忍耐との間で綱引きが行われる事が予想できる。
組織の乱立と保護は両立しないことが過去多くあった。未来がそうでないとは楽観が過ぎる。そしてよりはっきりと、日雇い派遣と過去呼ばれた労働者の遠心分離が行われる。階層はまるで義務かのようにその差を開く。救いはない。
あり得そうな未来では、それほど変わらない。明示的か否かを問わず広場に労働者は集まる。集合する労働者を企業がピックアップする。どこに募集があるかの情報を提供する会社が企業から金を取る。労働者は無料の情報を基に赴く。あるものは所属し、又あるものは所属しない。携帯電話がフリーペーパーよりも早く伝達する。情報は価値を持つが労働者の挙手は信用されない。あぶれる予約者にお帰りいただけるよう直接雇用の形態が進化するだろう。救いはない。
救いの道は、救いを期待しないことである。玩具を前にした子供に待てと言うのは躾である。事故にあった後のリハビリは気力が物を言う。しかし不幸は道を閉ざし、Vana'dielは未帰還者を生み出し続ける。あと5分早く家を出れば良いと言うのは持てる者の理屈であり、出来ないから彼らは日雇い派遣なのだ。本質的に彼らを想定顧客とし囲み続ける産業が無くならない限り、彼らは使うことを止めない。テレビのコンセントを抜かなければ、見ないことは意思の力である。意思の力が彼らを窮状から回復する。漠然とした現状認識は人間の美徳であるが、強烈なモチベーションが無いからこその状態であるのならば、卵と鶏の循環を終わらせるには至らない。環境が変わらず主体が変わらなければ、得られる結論もまた変わらない。環境は変容し続けるがその根本は彼らの稼ぐ日銭であり、また彼らは実にしなやかに己をフィッティングさせる。救いはない。
日雇い派遣はどう変わろうが救いはなく、よって彼らに救いはない。
…しかし「彼ら」が「日雇い派遣の彼ら」とのイコールを解消するのであれば、検証は無意味でありそこに新たな地平が開ける。
***
蛇足である。頭の中までの検閲が許可されていないのは夢想家には幸いである。
使い暇が無いか使う場所が無ければ彼らは使えない。まずこれで貯まらないことが足かせである「彼ら」が離脱する。そうでない「彼ら」も労働力の需要と供給を満たすことで社会への貢献と自らの居場所を確保する。何もない場所への貢献と、使う暇のない労働とは、いずれも国際社会からの要請によって旗を掲げることが求められる場合に有効な手だてに近似するだろう。絶対的な境遇が変わらずとも、世のものさしは常に相対的である。観測者は光景を解釈することで理解する。解決策は問題が霧散することで理由を失う。緩やかな淘汰圧による必然よりもガイドレールによる先導は、目に付くだけに自由の強制と捉えられるだろう。
同権は平等を意味せず、均一な社会への夢は遠く、しかして我々はここに居てどこにも行けない。ならば実質的な勝利を目指そうと思うが、水は低きに流れる。
貧困が肥満を助長する滑稽さは、精神への脂肪で精算される。豊かさを定義できないことで自壊する幸福ならば、甘んじようではないか。
はてなってリベラルっぽいのがある程度の勢力あるのかと思っていたけど、
これとか、そのブックマーク見て、やっぱり2chと大差ないと思う。
1冊買ったり、ほんの少し調べるだけで、いくつか違う視点をもてるはずなのに。
なぜ、買いもせず、webで調べもせず、憶測だけで文章を書けるんだろう。
例えば、一番ひどいと思ったのは、ホームレスにリスクを背負わせていると言う部分。
最初の10冊は無料で渡している。
売れれば3000円だ。
それを元に、次のための仕入れをすればビジネスは回るが、かなりの人が最初で挫折するだろう。
印刷している分だけ損。
その時点でリスクを背負っているのは出版側だ。
最低賃金云々いうが、それなら、それ以前に彼らは生活保護を受けれるだろう。
この人は、生活保護認定に関しても戦うのだろうか?
たぶん、関係ないと言って関わらないんだろうけど。
その最低のインフラが機能しないから、こういうビジネスが出てくるのに。
因果関係が逆だ。
それに。
だから、それを、下にも背負わせるのは仕方ない。
それが市場という物だろう。
そうでないなら、ボランティアだ。
そうでなく、ビジネスで人を救おうという、その志を・・・彼らはわからんだろうなぁ。
しっかし。
先にも書いたが、買ってもいないのに批判するのは良い根性だ。
性根が腐っているとしか思えん。
買ってから、内容に300円の価値がないと批判するのは、正当だと思う。
もっと販売者の利益率を上げるべしというのも正しい。
フリーペーパーと差がないという批判をするのも正しい。
けど、買いもせず、調べもせず、匿名の端っこで批判だけする。
とてもすてきな人々である。
最後に。
タイトルには同意。
救われた人はいるだろうし、これからも出てくるだろうが、こういう文章が
はびこる世の中で成功するのはとても難しいと思う。
あと、ほんとに最後にだが。
俺の立ち位置。俺は、最新刊売っている人を見かけたら買う人間だ。
2冊以上買う気はない。あくまで雑誌として考えるから。
300円は割高だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20080219121753 0
http://anond.hatelabo.jp/20080219133702 1
http://anond.hatelabo.jp/20080219150703 2
http://anond.hatelabo.jp/20080219164145 3
http://anond.hatelabo.jp/20080219182449 4
http://anond.hatelabo.jp/20080220103805 5
http://anond.hatelabo.jp/20080225181422 6
http://anond.hatelabo.jp/20080226204431 7 の続きです。
きっかけは「ホットペッパー」でした。しかし、今までの対抗媒体とは比較にならないスピードで広告クライアントを奪われ、慌てて『聖域』を放棄し、広告収益から屋台骨を立て直そうとしたのは、タウン誌自身に他なりません。「ホットペッパー」や「フリーペーパー」と差別化が可能だった唯一の武器を捨て、同じ土俵に立ってしまった。それが現在、地方の雑誌メディア「タウン誌」が置かれている現状です。「なかなか記事で扱ってもらえない雑誌」から「お金さえ出せば記事が載る雑誌」に。街のタウン誌に対する印象は、以前とは180度変わってしまいました。
ホットペッパーショックで、『プライドか、金か』の選択を迫られ、『金』を選択したタウン誌の多くが、苦境に立たされました。一方、『プライド』を堅持したタウン誌も決して順調と言える状況ではありません。
この先、タウン誌がどうなっていくのか。それは誰にも分かりません。全国のタウン誌は、自分たちでは無理な突破口を、誰かが開いてくれることを待ち続けていました。敗色濃厚な戦場で、来るあてのない援軍を待ち続ける孤立した部隊のように。しかし、疲弊しきった兵士達の瞳は、まだ力を失ってはいませんでした。混乱する司令官が発する無茶な攻撃命令を受け流し、現場レベルで「どこで戦略を間違ったのか」「どうすれば生き残っていけるのか」を、努めて冷静に振り返りはじめたのです。タウン誌が読者の"信頼"を取り戻すのは、並大抵のことではありません。しかし、『金』を選んだタウン誌も、『プライド』を守ったタウン誌も、それぞれがそれぞれの方法で"信頼"回復を模索しまじめました。
その過程で、現場スタッフ同士でのネットワークが構築され、情報交換を始めたタウン誌もあると聞きます。編集長が交代し、部数減をくい止めながら若年層の取り込みに成功したタウン誌も出てきています。また、記事広告のあり方を見直すことによって、従来のように広告と記事の区別をつけながら、どう"広告"を魅力的に見せるかということに取り組みはじめたタウン誌もあります。積極的に県庁や役場などに働きかけ、それまで印刷会社や広告代理店が牛耳っていた観光や行政などの自治体広報に、雑誌媒体で培ったノウハウと人脈を生かして取り組む会社も増えてきています。ウェブ制作、イベント運営、小売りFC加盟、テナント経営、不動産賃貸。地方でタウン誌を発行している各社は、積極的に多角化の道を探っています。
取り巻く環境は変わっても、地方のエンドユーザーに一番近い媒体だからこそ、「読者から信頼される確かな情報」を疎かにしてはならない。"信頼されるメディアであること"を、もう一度柱に据え、タウン誌は再生の道を探っています。
しかし、ここまでに挙げた外的要因だけでなく、タウン誌を発行する出版社そのものにも問題点は多々あります。
つづく
http://anond.hatelabo.jp/20080219121753 0
http://anond.hatelabo.jp/20080219133702 1
http://anond.hatelabo.jp/20080219150703 2
http://anond.hatelabo.jp/20080219164145 3
http://anond.hatelabo.jp/20080219182449 4
http://anond.hatelabo.jp/20080220103805 5
http://anond.hatelabo.jp/20080225181422 6 の続きです。
『広告と記事。読者にとっては、どちらもタウン誌から得られる情報です。でも、広告と記事は、「区別すべきもの」でした』。第1回目の記事で書いたこの大原則を支えていたのは、かつて『聖域』であった編集方針、編集権です。編集がイニシアチブを握り、クライアントににおもねることのない特集や記事を作成していたからこそ、地方のタウン誌は「あの本に載っている店なら(まぁ)間違いない」という信頼感をもって読者たちに受け入れられていたのです。その頃の広告は、あたかも人気番組の幕間に入るCMのように、「お店からのお得なお知らせ」として誌面を彩っていました。ただ、このような広告モデルは、もう時代遅れなのかも知れません。最近、はっきりCMと分かるCMは少なくなってきましたよね。テレビ番組なんかだと、情報番組の内容に巧妙にスポンサーの商品やサービスを取り上げたりだとか。スポンサーを持ち上げた番組作りが、今やほぼ公然と行われています。ニュースでさえも、スポンサーの手前、本当に伝えるべきことについてまで、口をつぐむことが多いように思えます。
これらは本来、企業PRである広告によって、良い商品やサービスを選択し、享受すべき消費者サイドを、全く省みることなく行われています。かの2ちゃんねるの管理人、ひろゆき氏の言葉を借りるなら「嘘を嘘と見抜けなければ(メディアを利用するのは)難しい」。そんな状況が作られているのです。そして問題なのは、それが中央のメディアだけの傾向ではなく、一地方で出版される末端のメディア、一番エンドユーザーに近い存在でなければならない「タウン誌でさえそうなってしまっている」ということなんです。
読者の「あの本に載っている店なら間違いない」という信頼感。タウン誌は広告効果を高め、より多くのクライアントを呼び込むために、読者の信頼感を利用して、意図的に「編集記事に見える広告」を掲載しました。あたかもそれが「編集部の切り口で取り上げた」かのような誌面作りを行ったのです。その結果、『独自の切り口』が広告記事に埋没してしまった誌面は、フリーペーパーとなんら変わらないものになりました。
タウン誌は、読者の信頼を"裏切った"。そしてそれが、結果的に発行部数の加速度的な減少を招いた原因だったのです。
つづく
http://anond.hatelabo.jp/20080219121753 0
http://anond.hatelabo.jp/20080219133702 1
http://anond.hatelabo.jp/20080219150703 2
http://anond.hatelabo.jp/20080219164145 3
http://anond.hatelabo.jp/20080219182449 4
http://anond.hatelabo.jp/20080220103805 5 の続きです。
そもそもタウン誌が発行を続けていくために、なぜ広告が必要なのか。その理由は単純明快、「雑誌の印刷・流通にコストがかかるから」です。多くのタウン誌が300円程度で販売を行っていますが、書店・コンビニへの販売手数料、制作原価を換算すると1冊販売しての粗利益は微々たるものになってしまいます。例えば、1冊売って50円の粗利だとすると、1万冊売っても粗利は50万円。地方の小さなマーケットで販売する商品ですから、100万部!などという大部数は望むべくもありません。多くの地方タウン誌の発行部数は3万部以下で、10万部以上実売しているタウン誌はごく僅かです(そういうのはほとんどが、一地方のタウン誌というより、ある程度広いエリアをカバーする情報誌ですね)。つまり、構造的に販売収益に限界がある地方「タウン誌」というビジネスモデルは、「広告収益ありき」で成立しているのです。
ここで、発行部数のお話をしましょう。ひとくちに3万部といっても、地方都市ではバカに出来る数字ではありません。「愛され○○」など独特なキャッチでおなじみの人気ファッション誌などは、人口100万人から150万人規模の自治体レベルで見ると1万部売れればいい方で、全国で販売しているからこそ、何十万部という数字が達成できているのです。つまり、多くのタウン誌は販売数を落としたとはいえ、今でもまだ書店・コンビニでの販売される雑誌では、上位クラスの売れ行きと知名度を持っているのです。
では、ホットペッパーをはじめとするフリーペーパーはどうでしょうか。多くの人に読ませることが広告効果に結び付き、さらなる広告出広の呼び水になるフリーペーパーは、採算が許す限りエリアを広げ、配布数を増やす傾向にあります(能力の高い営業部隊を抱えるホットペッパーはエリア集中型ですが、それは地方のフリーペーパーからみるとむしろ例外です)。そのため、地方でも10万部は当たり前、それ以上発行しているものもザラにあります。
3万部の有料誌と、10万部の無料誌。あなたがクライアントなら、どちらに広告を出しますか?
「タウン誌にはタウン誌の良さがあるから、一概に部数の比較だけでは判断できない!」
確かに。では、単純に部数を比較すれば3分の1以下の影響力しかないタウン誌が、フリーペーパーに対抗し得る"良さ"って何でしょう?
「フリーペーパーには記事広告しか載っていない!タウン誌は編集部が『独自の切り口』で、毎月地元に密着した特集を組んでいる!」
そうです、そうなんですよ。そのはずだったんです。でも、最近のタウン誌って、『どれが編集記事で、どれが記事広告なんだか見分けがつきませんよね?』。
タウン誌の生命線である広告収入、それは対峙する姿勢によっては、タウン誌のアイデンティティを奪ってしまう危険なものであったのです。
つづく
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多くのタウン誌が決断した選択は『金』でした。それは、折からの出版不況により、部数を右肩下がりに落としていたタウン誌の編集方針に固執するよりも、まだタウン誌のブランド力があるうちに記事広告を実施することによって読者を動かし、よりクライアントに「反響」を感じてもらいたいという苦渋の選択でした。一方、今までの編集方針という『聖域』を守る選択をしたタウン誌は、第2誌として収益が上がっている雑誌やフリーペーパーを発行している、もくは他にも収益事業を展開する、数少ない出版社だけだったのです。
タウン誌に『聖域』は、なくなりました。各誌は手っ取り早く広告収入に結びつく、記事広告による飲食店特集や美容室特集を連発し始めます。記事広告による特集は、クーポンの値引き競争に疲れ、タウン誌に戻ってきたクライアントを取りこみながら、毎月ページを増やしていきました。各誌の広告収入は底が見え、回復基調に向かい始めました。これを見て、『聖域』を守ってきた数社も、リニューアル名目で、記事広告主体の体制にシフトしました。かくして、『聖域』を守り続ける地方出版社は、絶滅寸前なほどの少数派になってしまったのです。
それでも、タウン誌というビジネスモデルを支える広告収入の減少は、「上質な写真と記事、デザインによる記事広告でホットペッパーと差別化を図り、割引率に左右されない優良顧客をクライアントに送り込むことで反響を実感させる」…ことによって、なんとか当面の危機を脱した、ように見えました。
しかし、水面下で事態はより深刻な方向に推移していたのです。
つづく
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リクルートはホットペッパー進出にあたって、各都市に支社を置き、現地採用した契約社員(上限3年)を、営業部隊として市場に投入しました。彼ら営業部員は、リクルートが首都圏で培ったノウハウにより、驚くほど短期間で「広告が売れる営業マン」への教育を施され、営業活動を開始します。インセンティブ契約による彼らの営業活動は、月給制で働く多くのタウン誌の営業部員よりも熱心で、さらにリクルートお得意のマーケティング理論と、実際の数値を例示しながらの「成果までの道筋を明確に描く」分かりやすい営業スタイルもあり、ホットペッパーは地方都市でも急速にクライアントに受け入れられていったのです。
リクルートの侵攻に対して、地方のタウン誌は一枚岩にはなれませんでした。そもそも、各タウン誌は別々の企業体ですから、情報をオープンにして対策を検討するという自体が不可能だったのです。他県で創刊されたホットペッパーの情報は、伝聞でしか入りませんでした。「○○がかなりやられているらしい」「△△が対抗してフリーペーパーに参入するらしい」。『らしい』という接尾語で知らされるホットペッパーの情報は、どこか現実味のないものでした。
様々なメディアに露出している話題沸騰中のクーポンマガジン「ホットペッパー」が、自分たちの作る雑誌のライバルになるなんて、現実味を持って受け入れることができなかったのです。
程なくして、本格的なホットペッパーの地方侵攻が始まりました。地方に住む人たちというのは、東京発の「メジャー」なものに対し、ものすごく好意的に受け入れます(語弊があればすみません)。もちろん、一部には例外もあったりするのですが、ホットペッパーも各地で多くのクライアントと、それを上回る読者の支持を持って受け入れられました。タウン誌をはじめとする地方の雑誌メディアに、にわかに逆風が吹き始めたのです。お試しで…とホットペッパーに出広し、その効果を目の当たりにしてタウン誌から離れていく広告クライアントが相次ぎました。しかし、それより各タウン誌が衝撃を覚えたのが、リサーチにより、多くの読者が「クーポン雑誌に載っているお店の記事と、タウン誌に載っているお店の記事を同列に捉えている」という事実でした。読者にとっては、タウン誌もクーポン雑誌もそう大差ないものだと。そういうことです。
編集方針、編集権という、決して犯してはならないはずだった『聖域』がぐらつきはじめました。
敵の波状攻撃を受け、ずるずると後退する前線守備隊と同様、各タウン誌の現場では内輪もめが起こっていました。守り通してきた編集方針を堅持し、今まで通りの雑誌づくりを主張する「編集部(制作部)」、これまで手控えていた記事広告を大胆に取り入れ、広告収入の上積みを目指すべきと主張する「営業部」。どちらも自分たちが大切に育ててきたタウン誌を立て直すために、一歩も譲りません。
『プライドか、金か』。各タウン誌は大きな選択を迫られることになります。
つづく
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タウン誌の広告が「成功した」という定義、それはものすごく曖昧なものでした。ざっくり言えば、クライアントの多くが「反響があれば、まぁOK」という認識のもと、安くはないお金を広告料として支払っていたのです。では、広告の成果を左右する「反響」とは何か? 雑誌を見たお客さんが増えることによる収益アップは当然として、周りの人に「○○に出してたね」「○○見たよ」そんなふうに言われることによって、オーナーさんの自己顕示欲?のようなもの満たされることも、広告料という対価を払うにふさわしい「反響」として認識されていたのです。
もっと簡単に言えば、広告に対して「シビアじゃなかった」んです。タウン誌サイドも、クライアントも(今と比較してのお話ですが)。
しかし、ご存じの通り景気後退の波はひたひたと押し寄せてきます。クライアントは、成果がハッキリしない出費を渋り始めます。その間隙を突いたのが、ご存じリクルートのホットペッパーです。
お金をもらって記事を書く「記事広告」に、広告掲載物件の割引券「クーポン」を組み合わせた、画期的なフリーペーパー「ホットペッパー」。クライアントからすれば、クーポンという形で今までぼかされていた「成果」がハッキリ見えますし、制作サイドからすれば「メディア初登場の隠れ家的イタリアン」だとか「食通もうなるあの店の裏メニュー」なんて物件を手探りで探さなくても、「確実に得をする」という読者にとって最強に引きのあるコンテンツ「クーポン」を、クライアントの負担で手に入れることができてしまうのです。
リクルートは、従来の割引券をクーポンと置き換え、使用者サイドから「気恥ずかしさ」「貧乏くささ」を取り去り、クーポンマガジンと「ホットペッパー」いう新形態をメディアに露出することによって、あっという間に市場を席巻します。首都圏を飲み込む課程で試行錯誤を繰り返し、より完全体に近づいた化物「ホットペッパー」が目指したのは、当然のように地方都市でした。
しかし、そんな状況になってもタウン誌を発行する地方の出版社は、なんの根拠もなく「クーポン雑誌とタウン誌は違う」「地方ではクーポンマガジンという形態は読者、クライアントに売れ入れられない」「地元密着をより強化すれば、安易なクーポン誌を撃退できる」そんな風に考えていたのです。「リクルートが進出して来るからって、バタバタと迎撃準備するのはみっともない」という現場の進言により、全くの無策で迎え撃ったタウン誌もあったといいます。
つづく