はてなキーワード: ダイヤルアップとは
なんというか、感動してしまった。
22年前、俺は中学生だった。その頃のインターネットはまだ電話回線を経由したダイヤルアップで、ピーガガーという音が世界の向こう側へ行くときの合図だった。
ご多分に漏れず、当時の俺にとってはインターネット=エロサイトだった。深夜、寝静まった親の目を盗んでパソコンを開いてはいそいそと欲望の旅に出た。
毒々しい色をしたテキストリンクばかりの荒海を巡り、表示に時間のかかる画像を別ウィンドウで開く間に、また新たなお宝を探す冒険を繰り返したものだった。
そんな回線速度の遅い世界で流行っていたのはアイドルコラージュ、略してアイコラと呼ばれる加工画像だった。画像編集によってエロ画像の顔をアイドルに差し替えるというシンプルなものだ。
中でも広末涼子はぶっちぎりで人気があり、その名前を見ない日はなかった。ブラウザ画面が真っ白になってから、ジリジリと少しずつ表示されていく広末は愛おしくさえあった。
スクリーン越しに今日も会えると思っていたのが別人だった時には「誰だよオマエ!」と激しく憤った。欲望に突き動かされながらも騙されずに品定めする冷静さがないと渡り歩けない世界だった。
Deep fakeで広末の動画を見たとき、20年の時を経てあの頃の人々の夢が叶ったんだと思った。みんなこれを求めていたんだ。右手に熱い情動を感じながら目の前が真っ白になった。
AI、5G、自動運転。「来るよ来るよ、ものすごい未来が来るよ!」と
これほどまでに事前予告されるイノベーションが今まであっただろうか。
どれも気がついたら広まってた。
それがもたらす未来について、ああだこうだと議論した記憶はない。
そしてもう一つ、今までのイノベーションは「逆戻り」がなかった。
インターネットを使い始めて、やっぱり必要ないやと言ってやめる人はいなかったし、
スマホを買って、やっぱりガラケーがいいと戻る人もいなかった。
ダイヤルアップなどという、発展途上の技術であっても、一旦使えばその上を求めることはあっても
いらないと言って引き返すことはなかった。
でも今、AIで故人の映像にしゃべらせることに、「こんなのいらなくね?」という人がいて、
自動運転の手前の運転支援の技術が、それを搭載した車に一度乗ったら、
搭載してない車に戻れない、というものになっていない。
今イノベーションだと言ってることは、景気を上げるために何とか新しい需要を生み出そうとする、
もう、人々が渇望する、わくわくするような、それをいち早く手にした人が羨ましくてしかたないような、
今どきの若い者は○○を知らないってのは昔から存在している文句である。
言う側は知らない相手にマウントを取れる、それを利用して説教もできる、歳とったなぁという自虐もできる。非常に便利な言葉なんだな。
しかし、言われた側からするとなんとも言えない不快感があるはずだろう。でも人間というのは不思議なもので同じことを繰り返すのである。
戦争を知らない
伝言板を知らない
ダイヤルアップを知らない
カセットデッキを知らない
ブラウン管を知らない
テレカを知らない
ファミコンを知らない
etc……
そりゃあ今どきの若者がすでに終わったこと無くなったものを知らないのは当たり前。知らないなら教えてあげればいい。それだけなのに煽りに利用しているように思えて仕方ない。
結局どの世代もジェネレーションギャップを使ってマウントを取りたいだけなんじゃないの?
老害老害と騒ぐけどもお前だって老害的行為を無意識のうちにやってる可能性もあるんじゃねえの?
無限ループだし一生無くならないよこんなの。
頑張れ次代の若者よ。
あえてマジレス的に考察比較してみる(★印は主観だが、世界的観点のつもり)
世界:帝国主義の絶頂期。飛行機が実用化、ドレッドノート級軍艦が登場。
世界:清・独・露・オーストリア・トルコが革命で帝政やめる。第一次世界大戦で陸海空の技術レベルが激変。男が兵隊に取られた分を埋めるため女性の社会進出が拡大。
世界:基本的に2つの大戦間の平穏な時期。アメリカは大戦後の好景気で急成長。自動車産業が発達。あと各国でラジオと映画が普及して大衆文化が拡大。
日本:大正デモクラシーの時期。藩閥政治家が高齢化して影響力を失う。
世界:第二次世界大戦の勃発と終結と冷戦体制の到来。核兵器とロケット兵器の実用化。戦勝国の多くも植民地を手放す。
日本:敗戦で大日本帝国は一度滅亡。新憲法が制定。社会制度は激変したが、日本人の大部分は引き続き貧乏農民で、生活の風景は昭和初期とそれほど変わってないはず。
世界:冷戦体制から緊張緩和。東南アジアとかアフリカ諸国とか次々と独立。カウンターカルチャーとか出てくる。新左翼運動が激化。汎用コンピュータと月ロケットが登場。
日本:高度経済成長が本格化。農家や個人商店からサラリーマン世帯が激増し、家電製品や自家用車が一気に普及テレビが普及してエンタメも変化
世界:ベトナム戦争は失敗。米中が国交樹立。米ソ両陣営とも停滞。
日本:オイルショックで高度経済成長が終了。新左翼運動が失速。
世界:前半は停滞の冷戦体制。後半急に米ソ冷戦は雪解け、ソ連より中国のほうが危険視されるようになる。イランイラク戦争を契機にイスラム原理主義が台頭。
日本:一億中流とかポストモダンとか言ってたおめでたい時代。後半はバブル突入。
世界:冷戦体制が終結。世界はアメリカ一人勝ち……と思ってたんだよこの頃は。インターネットの普及、といってもまだダイヤルアップ時代。
日本:バブル崩壊。だんだんみんな貧乏になる。ネットはまだどちらかといえばオタクのアイテム。宮崎勤という男のせいでオタは日陰者だった黒歴史時代。
世界:テロ戦争の時代。中国経済が急成長。最後のほうはリーマンショック。ネットの高速・常時接続化とともに電子商取引が普及。後半にスマホが登場。
日本:失われた10年だか20年だか。新自由主義と構造改革で活性化するつもりで失敗。宮崎駿だの押井守だの庵野秀明だのの商業的成功のせいか、いつの間にか「ジャパニメーションは日本が誇る文化」になった。
今どきの若い者は○○を知らないってのは昔から存在している文句である。
言う側は知らない相手にマウントを取れる、それを利用して説教もできる、歳とったなぁという自虐もできる。非常に便利な言葉である。
しかし、言われた側からするとなんとも言えない不快感があるはずだろう。でも人間というのは不思議なもので同じことを繰り返すのである。
戦争を知らない
伝言板を知らない
ダイヤルアップを知らない
カセットデッキを知らない
ブラウン管を知らない
テレカを知らない
ファミコンを知らない
etc……
そりゃあ今どきの若者がすでに終わったこと無くなったものを知らないのは当たり前。知らないなら教えてあげればいい。それだけなのに煽りに利用しているように思えて仕方ない。
結局どの世代もジェネレーションギャップを使ってマウントを取りたいだけなんじゃないの?
老害老害と騒ぐけどもお前だって老害的行為を無意識のうちにやってる可能性もあるんじゃねえの?
無限ループだし一生無くならないよこんなの。
頑張れ次代の若者よ。
私はパソコン通信生まれ2ちゃんねる育ち、いや正確にはワープロが搭載したパソコン通信モードにドキドキするも繋がらない…とかに始まって、インターネットカフェっていう本当にインターネットするためだけに800円とかのコーヒー頼む所に通ってたり、自習室のPCがネット繋がるからって理由で塾決めたり親がテレホーダイ入ってくれないからH゛(エッヂと読む)でダイヤルアップして時間と戦いながら必死でBBSやらチャットやらに明け暮れたあげく料金請求で大爆死したりしてた世代なんだけど(身バレの危機)
私はもっとカオスで危なくて怪しくて、入るたびに形のかわるダンジョンみたいな、武器のかわりに知識で殴られるあの空間が好きだったんだ
ほんと嫌ってほど釣られたしグロ画像とかも踏んだけど半年ROMれもggrksも今思うと優しさだったよ
今Twitterでバズってても半分以上は本気の警鐘とか社会的にきちんとしたためになる話か、実在の誰かを血祭りにあげようとする私刑執行シーンで、何が面白いか説明しきれなかったあの頃の空気はどこかへ行ってしまった
…いや
本当はちょっと分かってんだ
私がただ歳取って、疲れて、悟って
楽しめなくなっただけなんだって
表札にぬるぽって書いてさ
そのくらいの懐古は許してくれよな
そういう事件を起こした犯人や犯罪者予備軍を収容できる最高の仕事考えた。
その名の通り海底に建設された監視所からケーブルを見張って、テロや災害、不慮の事故によって海底ケーブルが切断されてしまうのを防ぎ、世界に秩序と交流をもたらす大変にやりがいのある仕事。
もちろん一度入ったが最後死ぬまで出れないし、無理に出ようものなら水圧で即死だが、
しかし監視所にはインターネットが繋がっていて、何でも、本当に何でもできる。
公海に位置しているから日本の法律は適用されず、理論上は国際法や条約に抵触しなければ、児童ポルノを見ようがスワッティングだろうが何をしても構わない。
収容人数が増えることが予想されるので、監視所はケーブル1キロにつき1つ設置。
インターネットは空っぽの洞窟が出版されたころ、ダイヤルアップ接続でウェブ空間に来た。
きっと世の中にとってプラスに働くだろうと感じた。
それから早四半世紀。
2ちゃんがリンチ装置になったのは21世紀になって比較的早い時期だったし、
高尚な理想があったはずの日本語版Wikiがインテリ崩れの自己顕示欲発露の為だけの空間になったのも早かった。
どんなサービス、サイトが生まれても数年もしないうちに2ちゃん化し、
かつて隣組や五人組を連想させる息苦しい空間へと変質し日本語ウェブ圏は底質化していった。
スマホが現れ一億総ネット社会になったこの7-8年はもう語るに落ちた感がある。
この間テレビを見ていたら、
その原因の一部を担ったであろう西村博之はとうの昔に仏国暮らしと聞いて呆れると共に、
無責任と匿名の暴力というパンドラの箱を開けた当事者なんだから責任取れよと思う反面、
当事者が逃走するほど制御できない流れになったんだなと感じてる。
どこを見ても暴言、人種差別ワード、消えたはずの差別単語だらけ
国営放送が有象無象のツイカスの戯言を下部に表示するようになったのも何時だったか
真面目に長文を書けば罵られ、おちょくられ、人格を否定される。
炎上は毎日のように起こり、どこかで誰かが人生を破壊されてるこのウェブ空間。
もうたくさんだ。
もううんざりだ。
商売柄ウェブから離れられないが、損害を被ってもいいから日本人相手にネットでビジネスするのはもうやめよう。
そう感じて数年前からウェブは極力英語やドイツ語などに限定して使用するように心掛けた。
ここどこよ?
確かにトロールと呼ばれるキチガイや粘着はいるが、同時にそれを許さないという人達もいる。
「長文はバカ」と言い放つ底辺ツイカスもいない、自己顕示欲丸出しの勘違い顔本バカもいない。
「日本人の倫理意識は他人に見られることを前提に成立しているからじゃないかな」
神と自分の関係で倫理が成立する欧米と集団の中での位置関係で倫理が成立する日本人とでは
一人ぼっちで誰も見てないウェブでのモラルには根底から違いがあるじゃないかと話していた。
実際彼の親世代(日本語がわかる日系二世)の顔本は、三世の息子が見たら軽蔑するたぐいの内容らしい。
日本人が、日本文化が悪い・劣っているとは言わない、言いたくない。
ウェブと私達はあまりにも相性が悪かった・馴染まない文化を持っていた。
俺達は欧米人のような民主主義国も、言論の自由も望んではないなかった。
圧倒的大多数の人は、ウェブに憂さ晴らしと快楽、暇つぶし相手程度のものしか求めていなかった
マスゴミと罵るネットクズは顔出し名前出しのテレビ関係者よりも一億倍もゴミだと言うことに気づかないレベルの馬鹿だった。
日本語のウェブ空間は終わった。国が中国みたいに規制をかけたほうがいい。
匿名リンチの文化を止めないと、早晩悲劇が続発して社会不安に一役買うのは間違いないだろうなと思う。
でも俺はもう知らん。日本人同士で憎み合って殺し合って社会不安を煽り続けなさい。参加することをえらんだのは貴方だし
俺は反対した、拒否した、抵抗はした。
そう遠くない将来、ウェブは悲劇を生み出す装置となって多くの人に襲いかかるだろう。
結局21世紀の共産主義だったんだろうな。
この間ウェブアーカイブやグーグルも含めて。日本語圏での自分に関係する情報は全部消し終えた。
さよなら日本のインターネット。二十年近くの間夢を見せてくれてありがとう。
俺の日記に反論を書き込むヤツ、お前は精神病だ。狂う前に病院へ行け。
賛成して書き込まないヤツ、英語を勉強しろ、英語が使えればまだウェブへの希望を捨てるのは早い。
結婚して子供は二人。妻は専業主婦。都内の持ち家に住んでます。
よほどの物好きでなければ読みもしないでしょうが、よほどの物好きのために書き起こします。
少し年の離れた兄が2人。
父親は高度経済成長期に鉄くずで一山あてて、わたしが物心ついた頃には外車を乗り回して手広く商売を始めていたいわゆる実業家だった。
兄たちは私立高校に通うも大学には行かずに親が与えた飲食店のそれぞれのオーナーになった。
学校が終わると遊びに出かける友人たちを尻目に店を手伝わされる毎日。
日付が変わる頃家に帰ることもあって遅刻の常習犯。授業中も居眠りが基本。
ところが与えられた商売がうまくいくはずもなく、飲食店はいつも閑古鳥。
それをいいことに給料はろくにもらえず、そのくせ毎晩の様に遊び歩く兄を見てフラストレーションを貯める毎日だった。
エスカレーター式で高校に行くも、そんな生活サイクルでは勉強がうまく行くわけもなく高2で単位をとれず留年せずに中退。
ところが世はまさにバブル崩壊直後。
手堅い商売だけを続けていればいいものを、株式投資に手を出した父親は持ち家から事業の全てを一瞬にして失う。
兄たちの飲食店も当然のように廃業。兄弟それぞれがそれぞれに肉体労働を始める。兄弟とはこの頃に絶縁状態になった。
修行期間という理由でボロアパートの一室を与えられた以外に、給料は3万円のみ。
免許を持っていなかったので現場までの移動はかろうじて眠ることが許された。
ところがこの仕事も、1年後に職人がこぞって夜逃げしてしまったために職人部隊のみ解散。
退職金(とはいっても今まで手渡されてなかった自分の給料だが)を80万受け取って、補償もなしに家を追い出される。
財産を失ってから口を利かなくなった両親が住む葬儀場のようなアパートに身を寄せるも、口を開けば喧嘩が始まる両親に挟まれることが限界になり自室に引きこもる。
ダイヤルアップとテレホーダイでインターネットを始めて昼夜の生活が逆転する。
引きこもりを始めて1年。夜間の日雇いで食いつないぎつつも20歳になったときに貯金が底をついてしまったために日中の就職を考える。
まだ個人でパソコンを持っているのが珍しい時代だったために、ハッタリだけでソフトウェア系の会社に入社。
プログラマーではなく営業職だったために、そこでタイピングから文書作成などの基礎をみっちり教わる。
しかし務めていくうちに社長がキャッチセールス(ソフトウェア抱合せ販売系就職斡旋詐欺)方向に傾倒しはじめ、会員からの指摘で警察が介入する事態になりあえなく倒産。
22歳にて再び露頭に迷う。
その後再び1年間引きこもり。フレッツISDNが始まった頃で、起きたいときに起き、寝たいときに眠る生活をするうちに日にちの感覚を失う。
その後、パソコンを使えるという話を聞きつけた親戚(工務店とは別の親戚)からぱちんこの事務を頼まれる。
急遽事務員が長期間の入院をすることになり替わりの人間を探しているとのこと。
当時、ぱちんこそのものを見下してはいたが、寮を与えられ正社員として採用してくれるという言葉に心が動いた。
一日でも早く家を出たかったし、高校中退引きこもりの自分が正社員として働ける日がくるとは思ってもいなかったからだ。
入社して早々にわかったことは、会社全体としてかなり管理が杜撰ということ。
オーナーはものすごく人がよいのだが、その人の良さにつけ込んで働いている人間かかなり好き勝手やっている状態だった。
一応引き取ってもらった恩があるのでできることから少しずつ改善を始めるも、当たり前のように古参と衝突した。
人は人、自分は自分の精神で、自分の受け持った仕事だけはきっちりと無駄なく効率化した。
当然働いているふりをしていた人間はそれが明るみになり、オーナーも少しずつおかしいことに気づき始める。
入社して1年で事務周りの全てを見直して最低限度の効率化を達成。
それと同時に働いているふりをしていただけの人間は勝手に居場所を失いいなくなった。
その頃には自分がいなくても事務が回るようになっていたので、その実績を買われてか今度は店舗に異動。
20店舗近くのチェーン店を持つグループ企業の、旗艦店のリニューアルがあるということだった。
いざ入ってみるとここも上から下まで相当腐敗していることがわかる。
ぱちんこ業界としては最も隆盛の頃で黙っていてもお金がどんどん入ってくるような時代だった。
とはいっても競争が激化してきていることもあり、そのままでは当然おいていかれてしまう状況だった。
リニューアルを目前にして、やらなければならないことは山積みのまま。
オープン直前の2週間は職場で数時間の仮眠を取るだけの生活が続いた。
リニューアルはなんとかうまく行ったもの、オープン後も課題は山積みのままで誰よりも早く出社して誰よりも遅く帰る日々が続く。
当時はなんて無責任な!と憤ったものだが、今思えば働いているフリをしていれば守られていた地位が突如脅かされたのだから当然のことなのかもしれない。
ここだけの話だが、教えられる相手もいないまま手探りでぱちんこの釘を担当することになったことで、この旗艦店ではしばらくの間、全くの素人が釘を担当していた期間が存在する。
当然毎月の利益は破茶滅茶で、リニューアルの人気だけで売上が保たれていたような状況だった。
ただ、そのせいで、今度はとうとう休みすらまともに取れなくなってしまった。
毎日出社して数百台の釘の打ち替え、勤務日はホールのシフトに組み込まれてしまうため、事務作業は公休日に行った。
(一応断っておくが、釘の打ち替えは直ちに違法ではない。無承認変更にならないために適正を維持することもホールの義務といえるからだ。)
広告の手配から店舗の販促、部備品の発注からセキュリティまで事務作業のほぼ全てを一人で行っていた。
休み無し、一日の労働が17時間を超える日が3年ほど続いた頃、とうとう身体を壊した。
その頃には店舗のナンバー2まで歴代最速で上り詰めていたが、逆を返せばまったく後戻りができない状況に追い込まれていた。
その後は一ヶ月間自宅療養になった。
絶対に休めないと追い込んでいたのは自分だけで、休みから明けてみると(満足できるか出来ないかは別として)業務のほとんどは滞りなく行われていた。
それをきっかけに、部下を信じて、6割の完成度でも容認できるようになったことで、やっと休みを取ることができるようになった。
そのさらに1年後、28歳のときに新店舗立ち上げのリーダーに選ばれた。
準備期間を経て新店オープン直前の1ヶ月から1年間、再びまともに休めない生活が始まったが、以前のように一人で背負い込むのはなく、部下たちにうまく割り振ることで精神的な負担はうまく分散することができた。
営業も安定したオープン2年目、十分に下が育ったと実感できた31歳のときに本部に異動になり店舗業務から外れ、グループ全体のマネジメントを担当することになった。
家族手当や住宅手当などを含めて初めて年収が一千万円を越えた。
ただ、結婚するまで貯金はなかった。ほとんどが部下たちとの交際費で消えてなくなっていた。
自分が上り詰めると同時に居場所をなくした上司達が次々に辞めていったために、今では親族役員を除けば実質社内で1番の地位、本部長を務めている。
ただ、ぱちんこ業界の先行きは暗く、今のままではこの収入を維持することは難しいだろう。
ここまで目を通してくれた物好きな方はお分かりの通り、わたしの人生から学べることなんてものはない。
学歴なんてものは持ち合わせていなかったし、かと言って中退後に真面目に働いたわけではなく、むしろ社会と断絶した生活を送っていた。
成人した後、必要に迫られてがむしゃらに働いた時期はあった。しかし、今思えばそれは行き過ぎていたし、実際に身体を壊す直前には死ぬことばかりを考える毎日だった。
あの時、ぱちんこを見下したまま誘いを断っていれば、今の自分は絶対に存在していないだろう。
ただ、自分の後にも先にも、この会社でこんな働き方をした人間は一人としていなかった。
それが自分の生き方が他人の模範にはならなかったことを端的に表していると言えるのではないだろうか。
言いたいことは一つ。
どんなに成功していようとも年寄りの話なんて良くも悪くも半分も聞いていれば十分だということだ。
なぜなら、彼らは努力の結果生き残ったのではなく、生き残った結果、自らを肯定しているだけだからだ。
どんな道を進もうとも、そこには必ず運がいたずらをする瞬間が存在する。
そのちょっとしたいたずら次第で、人の人生なんてものは簡単に変わってしまうものなのだ。
努力が無駄とは言わないが、努力に見返りの約束を求めることだけは無駄だと断言できる。
ただ、もし付け加えるなら、何かの選択を迫られた瞬間、それが自分にとって燃え上がることのできる選択かどうかを考えて欲しい。
その覚悟がなければ、運によってもたらされた結果に後悔を繰り返す人生になってしまうからだ。
自分にしてみれば、今の生活がどうであれ、青春時代を親兄弟に台無しにされたことが今でもくやしくてならない。
あの時あの瞬間しか味わえないものはいくらお金を積み上げようとも買い戻すことはできないからだ。
なぜあの時にもっと親兄弟と戦わなかったのか。その結果が例え無駄だったとしても、戦うという選択をしなかったことだけが今でも一番の後悔として自分を苦しめ続けている。
他人は関係ない。自分がより輝ける選択を続けられることが、辛くても苦しくても、例え早々に死を迎えることになったとしても、幸せと言えることかもしれない。
大好きな作家がいた 私はその人を傷つけた気がする その人はコミケにはしばらく来ていない プロとしての仕事が忙しいだけかもしれない 確かにアレやコレで時々名前は見る しかし自分の存在があるからこそコミケに来ないのかもしれない このアカウントでツイートされないのかもしれない 全て自分のせいではないか、そんなことをここしばらく考えていた 今考えるとその人に対してずいぶん気持ち悪い行動をしたと思う その人がかつて運営していたサイトでイラストをかき集めた それから数年後にコミケまでその人に会いに行った その人のイラストを使って作ったものをプレゼントした 失礼なこともしたと思う メールでその人に対する熱い思いを語ったつもりだった DMで感想を伝えたつもりだった 返信がない以上その人は自分のことをうっとおしく思っていたのではないか 私は明るく振る舞うその人のツイートが眩しかったのだろう、だんだん敬愛すべき作家なのか昔の思い出にすがってるだけなのかわからなくなってきた 気がついたらミュートしていた もっと交流すればよかったのに、出来なかった ただその人の絵は美しい 漫画だってとても上手く、面白い それだけは私の心に確かに焼き付いている もう15年ほど前のことになるだろうか パソコンを買ってもらって1、2年ほど経過した頃、私は例によってオタクだったのでアレやらナニやらいろんな作品の同人サイトを巡っていた 当時は年齢が年齢なので18歳以上は云々のサイトに入れないはずだが、ギンギラギンの性欲を持つ厨房がそんな文言にたじろぐはずはない まぁどうせ作者も厨房工房である 悪影響といえばファックしたりされたりしているキャラクターが原作漫画やアニメで見るのが恥ずかしくなった程度である まぁとにかくいろんなサイトを巡った 掲示板やメールでの交流はしなかった 長ったらしい文章を書くのがクソ面倒だったしネットに疎い親がメールを教えるなだのなんのかんのうるさかったためである まぁ私自信もメールアドレスで住所割られたらどうしようとか考える程度にネットに疎かった イラストサイトの閲覧はダイヤルアップというのだろうか、パソコンの横にぶっ刺すカードのおかげでクソ遅かったのもあるし恥ずかしいのもあってあまりしなかった 代わりに様々なテキストサイトを巡っていた 私が当時手にとっていた紙の本とは違い、拙いながらも熱を感じるめくるめく官能の世界が繰り広げられていた それはそれはすごかった 今読むと素人もええところだなオイと思うだろうが当時はそれで興奮していた 正直今も興奮する そんな中、当時あるゲームに夢中になっていた私はいわゆるリンクだかリングだか同盟だかでとあるサイトに出会った イラスト・漫画サイトだった そのサイトでは少しマイナーなキャラを中心に取り扱っていた 見る 絵がめっちゃきれい 線、構図、色使い、その他諸々、私は絵に詳しくないが非常に美しいと思えた 漫画もこれまた面白い ギャグからシリアスまでなんでもありのストーリーセンス! 遅い回線の中、イラストのダウンロードさえ待つのが楽しみだった 後でわかったことだが当時そのサイトの作者は高校生だったようである 私はあっという間にそのキャラが大好きになった そして当時はそういうのが流行りだったため、裏ページなんてのもあった 見た 更にすごかった SMから四肢切断に女体化まであらゆる責め苦がそのキャラクターを襲っていた しかしそれでも崩れることなくその人の筆使いや話の運び方には熱が入っていることがありありとわかった 掲示板には感想などは書かなかった 今考えると一言二言書いといたほうが良かったと思う その人は同人活動もしていた 本の中ではWeb上を超えた更なる甘美で耽美な世界が繰り広げられていることは間違いないだろう しかしその人は主に東京国際展示場辺りで開かれるイベントに参加しているようだった 当時の私はどうにか親をごまかしまくって年に1回か2回、御茶ノ水あたりの損保会館とかいうところまで行くのがギリギリだったので会うことは叶わない それ以前に厨房の肉体でエロ本下さい☆なんて言えるほど豪気ではない なら通販はどうだろうか 親に何を買ったかの説明責任が存在する 住所を知らん人に教えてこれまたあーだこーだ言われるのも嫌だ 仕方ないから諦めた 少し後に秋葉原のどっかの同人誌取り扱い書店で年齢を聞かれずにエロ同人誌を買えたことをここに告白する 店員が悪い そのうちサイトは更新されなくなった 日記を読む限り専門でいろいろやったとかどっかの会社に就職したとかそんな感じだったと思う 後にインターネットアーカイブで読んでみたところとあるゲーム会社に就職したようである もう潰れたけど そして私は堪え性がないのでまた別のゲームや漫画に飛んだりしていった たまにその人のことは思い出していたがその後の動向がわからないのでどうしようもない でもある日サイトを見に行ったらエンターページは残っていたもののトップページは消え去りブログになっていた 記事はあまりなかった 例のゲームの同人誌出すとか書いてあった気もするけどもうよく覚えていない 気づいたときにはかなり前の日付で、もはやその作家の本を買う方法は存在しなかった 書店委託もしてないし通販を頼む方法だってあったはずだが親が親なのでやめた 結局その作家への愛なんてその程度なんだと思ったよ その辺りだろうか、せめてその人のサイトのイラストを出来る限りアーカイブしようと決めたのは 今考えると気持ち悪いことをしたもんである こんなもん作家に見せたら卒倒するわ サイトアドレスを残してたりイラストを上げっぱなしにしてた作家もインターネットアーカイブも悪い 改めて見てみるとこれが本当に美しい HTMLとか文章とかはもうめんどくさかったのでひたすらイラストのみを保存していった そしてCD-Rに焼いた 今はHDDにはなぜか残っておらずロムもどっか行った それでいいんだろう そして2011年である 私には地獄のような苦しみが絶えず襲ってきた 正直思い出したくもない 書くけど まぁなんやかんやあって熱は冷めてきたものの例のゲームのオンリーイベントがあったので行ってみた 秋頃だっただろうか 会場内でうろうろしていたところ、上記の作家が入れ込んでいたであろうキャラクターのアンソロジーが発行されていた こいつも大きく取り上げられるようになったなぁ、なんてすこしほっこりした ふとその作家を思い出し、主催者っぽい人に冗談半分でその作家のことを聞いてみた 「この本に描いてますよ」 「そちらの方のスペースに合同誌がありますよ」 耳を疑った すぐさま私はそのアンソロジーを買った そしてすぐ横のスペースでテーブルに並べてある本をすべて購入した 読む 見つけた! この人だ! 絵柄は多少変わってはいたがキレッキレのギャグセンスは間違いなくその人のものだった 合同誌も同様だ えらいものを手にしてしまった もはやあの日々から長い年月が経ったというのに この辺からおかしくなってきた アンソロジーにサイトURLや現在のペンネームが載っていた 早速アクセスする 極彩色のイラストが私の眼前に広がった 相変わらずその人の絵はすごかった 仕事内容を見て更にびっくり、詳細は省くがとにかく驚いた あんたこんなデカい仕事してたのか、と 冬の祭典コミックマーケットの季節が近づいてきた頃、その人のサイトが更新された コミケには当然サークル参加するという 絶対行こう、あわよくば色紙も描いてもらおう、差し入れも持ってこう、いろいろ考えながら当日を楽しみにしていた とはいえいろいろ回るところはあったのでその人のサークルに着いたのは昼も大きく回った辺りだった スペースに人がいる あの人だろうか、ドキドキする、本を買う、〇〇さんはいらっしゃいますか? 「あぁ、今買い物に出てます」 まぁそんなもんである 他のところをうろついて数十分後、再びサークル前に戻る 別の人が座っている 先程買った本を見せ、〇〇さんですか? ビンゴだった 差し入れを渡す そして、 「先日☓☓のアンソロを買ったんですけど、数年前に☓☓のサイトを運営されてた〇〇さんですか?」 その人はひどく驚いた顔をしていた ビンゴだったのだ 本人に会うことは予定事項だった しかし私は固まった 敬愛するその作家が目の前に現れたのだ 正直何を話したかもはや思い出せない ただガチガチに緊張し、どうにか色紙を頼み、受け取ったときそこには美しい筆致で例のキャラクターが存在しており、最後に握手をした それだけだった そのコミケでは他に、自分を勇気づけてくれた漫画を描いたある作家に会いに行ってサインもらったり握手したり、また別のある作家に大好きなキャラの色紙を頼んだところ、ものの2、3分で色紙を仕上げるというような曲芸じみたことをやってもらえたりもした 地獄のような2011年は奇跡のような思い出で締めくくられた 当然のように次の夏コミに行った 思い切ってその人に当時発行していた本の在庫があったら売ってくれないか聞いてみた 了承してくれた 震える字でメモに自分の住所と名前を書いた もはや親はいないので通販など自由だ ひと月くらい経ち、郵便物が届いた 可愛らしいテープで封がされており、漫画で使われているものと変わらない字がそこにあった 数冊の同人誌が入っていた メッセージも添えられていた 何が書いてあったか忘れたが、嬉しさで床をのたうち回ったことを覚えている その日のうちにメールを送った その人に出会ったきっかけや応援メッセージを書いた 今見たらゲロみてぇなこと書いてあんだろうなと思ったが思ったほどではなく安心している とはいえヘッタクソな文であることは間違いない 返信は来なかったからだ しかしどうやって料金を支払えばいいのか? 郵便小為替とかそういったものが頭から抜け落ちていた自分は次の冬に会った時に支払いをしよう、ついでに冬で悪くなりにくいだろうしちょっといい菓子でも持っていこうか、なんて思っていた 念のため言っておくが封筒にはその作家の当時のものであろう住所と本名が書かれていたものの、突撃するとか年賀状を送るとか、そんな恐れ多いことはとてもじゃないが出来なかった 以前ワンフェスでガレキ買ったとき部品が一個足りなくてディーラーにメールを送ったが、送られてきた封筒には一つのパーツとディーラー名以外何も書かれてなかった 私ごときに自分の名前も住所も書く必要ないんだよ、今になって思う 次の冬コミ、例によってその作家のサークルへ向かう もはや優先順位はトップクラスになっていた 差し入れの菓子を渡し、その人に同人誌送付のお礼と感想を述べ、料金について尋ねた 昔のものだし別にいい、そんなことを言われた なんだかものすごく申し訳ない気持ちになった 絵も漫画も良ければ人間性もいいのか まさに「神」だった この辺から記憶が曖昧になっている 毎度のようにコミケではその人のサークルに行き、本を買う それだけである その程度の距離感のほうが良かったのではないか、今になって思う その人は別名義でこれまた別のジャンルでも活動していた 当人のPixivかなんかに書いてあった 本のほかにグッズかなんかも頒布するらしい 初めてその人に出会った冬コミの一ヶ月後くらいのオンリーに参加するとのことだった コミケでは「必ず行きます!」みたいなことを言っていた しかし後から見直すとこのグッズ類が結構いい値段している まぁどうせ相手も自分の顔なんか覚えてないだろう、そもそも自分はこのジャンルに触れたての人間なんだからそこまで深いところに行く必要はなかろうよ、なんて思っていた クズである 正直今は後悔している 実際にオンリーに行ったところ、確かにその人は来ていた こっちからその人を伺う形になってなんか申し訳ない気がした 結局その人のところには行かなかった とはいえ向こうだって約束した人が病気かなんかで来られなくなることがあることだってわかるだろう その人が私の姿を見ていない限りは 心にそんなしこりを残したまま、その後のオンリーに赴き、その人の新刊を買う日々が続いた まぁこれがエグい 当時サイトで見た性癖と変わらないものがそこにあって感動した それでも美しいんだこれが スペース前で軽くおしゃべりする程度で茶を飲みに行ったりだとかそんなことはない 自分自身コミュ障を患ってるのでそんなことはしないほうが正解だとは思っていた しかしその沈黙は破られた あるオンリーの日、例によって新刊を買った私は何を思ったのか 「ツイッターのアカウントフォローしていいですか?」 なんて抜かしていた 「いいですよー」 当然ながらフォローするもしないも当人の自由ではあるがなんかその人に対しては遠慮していた 鍵垢だからどんなことが書かれているかわからない、いつも来やがるあの野郎また来やがった畜生め、みたいなこと書かれていたらどうしよう、などと考えていたが、了承するということは相手にすべてのツイートを見せるというわけで、そんなこと書いてたらそもそも「え…ちょっと…」という話になるじゃないですか だから問題はない 帰ってその人に申請する 許可が来た アカウントの中には太陽のように眩しい世界が広がっていた ネガティブなものなど一つもない、生きとし生けるものに愛を注ぐようなツイートが溢れていた なんかもう自分がみじめになってきた この文を書いている今も まぁでもさ、人間、現実世界では悲しくとも、せめて電子の世界では気を確かに持って元気よく行こうよ、なんてことをする人もいるじゃないですか だから気に病む必要なんてなかったんだよ 話を戻すが、さっそく交流を図った ポップでキュートで元気なリプライな送られてきた 自分はなんと返信したらいいのかわからず、当たり障りのないことしか書けなかった なんて自分は愚かしいのだろう、不器用なのだろう、申し訳なくなった 漫画と同じくらいその人のツイートは面白かった 追随して自分もなんかリプライ送ってみようってなった しかし恥ずかしくなってすぐに消すこともあった 別の人へのリプライはさっさと返してるのに自分だけ遅いこともあった この辺は相手が交流が深い人だから距離感もわかってるのだろうが、自分なんて最近話し始めた人間だからどんな感じで返したらいいのかわからないんだろう、少し考えればわかることである だいたい親しき仲にも礼儀ありとはいえ、ツイッターなんてある程度適当な交流でも許されると、今になって私は理解している 当時の自分はそれが出来なかった 相手が相手だからというのもあるだろうが だからサークルにいつも行くだけの人、という立場になっておけば良かったのだ その翌年辺り、あることを思いついた その人が描いた好きだというキャラのイラストを使って何か作って、それをプレゼントしてみよう、と 詳細は伏せるがまぁいい感じに出来たんじゃないかと当時は思った 本人の誕生日から数ヶ月過ぎていたが、オンリーが少なかったり仕事が忙しいのか本人に会う機会がなかなかなかった そしてオンリー当日、その人にプレゼントを渡した ついでにそのうちお茶しましょうとか調子乗ったこと言った 夜、リプライが届いた 来客用に使うと喜んでいたようで嬉しかった また、ツイート上ではその日にもらったプレゼントなんかも紹介していた 私のものはなかったがまぁ私以外と繋がっている人などその人のフォロワーの中にはいないだろうし仕方ないだろう 正直この辺りから不安になってきた この人私のこと嫌ってんじゃないだろうかと 私自身も現実世界でいろいろあり頭がおかしくなってたので余計に不安感が増して妄想が激しくなっていったのかもしれない お茶しようと数カ月かけてようやく決めた日の少し前、その人に会うのが急に怖くなり、私は腰をやったと嘘をついて約束をフイにした 今考えてもまともじゃないよ、こんなこと 気がつけばその人は別ジャンルに移行し、新しくアカウントを作ってそっちでわいわいやっているようだった ファンとして私はその人のアカウントを追いかけるべきだったのかもしれない しかし自分では触れようとも思わないジャンルだし、もしその人が本当に私のことを鬱陶しく思って私が今もフォローし続けているジャンルのアカウントから姿を消したのだとすれば、その人の健康上に良くない 私はそれ以上追いかけることをやめた とはいえPixivは定期的に見て本は買いに行っていた キャラのこととかよくわからないがその人の絵が見られるだけで満足だった しかし本を買いに行ったときのその人の反応はどうもよそよそしく思えた これやっぱ来ないほうが良かったんじゃないか、そう思わざるを得なかった オンリーではなくコミケの、その作家にとっての表ジャンルとでもいうんだろうか、そちらでも引き続き新刊は出し続けていたが、私は遠くからその人の存在を確認し、買い物に行っているときなど、その人がスペースにいないときに本を買うようになっていった とはいえいつも来ているし、売り子と作家が「あの人また来てたよ」「マジかよ…」なんて会話を繰り広げている可能性だってある それでも私はそんな妄想上の反応を振り切って、その人に会いに行くことはあった 本を買って「いつも応援してます! じゃあまた!」それだけである 気がつけばその人がコミケに出る機会は少なくなっていった やはり私が来るからだろうか? でも、表でのツイッターアカウントを覗いてみると、ちょこちょこと様々な仕事をしているようだった 就職したという会社は潰れる前に抜けてフリーになっていたようだった つまるところ仕事が忙しいのか、あるいは病気でもしたのか、ならばコミケに来るのは難しくなる 私はそうやって自分を納得させ続けていた もうリプライでもDMでも「お誕生日おめでとうございます!」というメッセージは送っていない 私のアカウントを目にすることがなくたっていい だがそれでも私はその人の活躍を祈り続けている 表に名前が出ない仕事をしている可能性だってあるし、病気などをしているのかもしれない しかしその人は素晴らしい作家であることは間違いない 15年に渡って自分の心にその人の存在が刻まれ続けているのだ 絵で食べていくという選択をしたのだから、苦労だってあるのだろう ツイッター上で明るく振る舞うのはいわゆる空元気なのかもしれない だが、せめて、祈らせてくれ あなたに幸あらんことを、と
インターネットは空っぽの洞窟が出版されたころ、ダイヤルアップ接続でウェブ空間に来た。
きっと世の中にとってプラスに働くだろうと感じた。
それから早四半世紀。
2ちゃんがリンチ装置になったのは21世紀になって比較的早い時期だったし、
高尚な理想があったはずの日本語版Wikiがインテリ崩れの自己顕示欲発露の為だけの空間になったのも早かった。
どんなサービス、サイトが生まれても数年もしないうちに2ちゃん化し、
かつて隣組や五人組を連想させる息苦しい空間へと変質し日本語ウェブ圏は底質化していった。
スマホが現れ一億総ネット社会になったこの7-8年はもう語るに落ちた感がある。
この間テレビを見ていたら、
その原因の一部を担ったであろう西村博之はとうの昔に仏国暮らしと聞いて呆れると共に、
無責任と匿名の暴力というパンドラの箱を開けた当事者なんだから責任取れよと思う反面、
当事者が逃走するほど制御できない流れになったんだなと感じてる。
どこを見ても暴言、人種差別ワード、消えたはずの差別単語だらけ
国営放送が有象無象のツイカスの戯言を下部に表示するようになったのも何時だったか
真面目に長文を書けば罵られ、おちょくられ、人格を否定される。
炎上は毎日のように起こり、どこかで誰かが人生を破壊されてるこのウェブ空間。
もうたくさんだ。
もううんざりだ。
商売柄ウェブから離れられないが、損害を被ってもいいから日本人相手にネットでビジネスするのはもうやめよう。
そう感じて数年前からウェブは極力英語やドイツ語などに限定して使用するように心掛けた。
ここどこよ?
確かにトロールと呼ばれるキチガイや粘着はいるが、同時にそれを許さないという人達もいる。
「長文はバカ」と言い放つ底辺ツイカスもいない、自己顕示欲丸出しの勘違い顔本バカもいない。
「日本人の倫理意識は他人に見られることを前提に成立しているからじゃないかな」
神と自分の関係で倫理が成立する欧米と集団の中での位置関係で倫理が成立する日本人とでは
一人ぼっちで誰も見てないウェブでのモラルには根底から違いがあるじゃないかと話していた。
実際彼の親世代(日本語がわかる日系二世)の顔本は、三世の息子が見たら軽蔑するたぐいの内容らしい。
日本人が、日本文化が悪い・劣っているとは言わない、言いたくない。
ウェブと私達はあまりにも相性が悪かった・馴染まない文化を持っていた。
俺達は欧米人のような民主主義国も、言論の自由も望んではないなかった。
圧倒的大多数の人は、ウェブに憂さ晴らしと快楽、暇つぶし相手程度のものしか求めていなかった
マスゴミと罵るネットクズは顔出し名前出しのテレビ関係者よりも一億倍もゴミだと言うことに気づかない
日本語のウェブ空間は終わった。国が中国みたいに規制をかけたほうがいい。
匿名リンチの文化を止めないと、早晩悲劇が続発して社会不安に一役買うのは間違いないだろうなと思う。
でも俺はもう知らん。日本人同士で憎み合って殺し合って社会不安を煽り続けなさい。参加することをえらんだのは貴方だし
俺は反対した、拒否した抵抗はした。だからその時貴様らに死ねと言おう。
そう遠くない将来、ウェブは悲劇を生み出す装置となって多くの人に襲いかかるだろう。
結局21世紀の共産主義だったんだろうな。
この間ウェブアーカイブやグーグルも含めて。日本語圏での自分に関係する情報は全部消し終えた。
さよなら日本のインターネット。二十年近くの間夢を見せてくれてありがとう。
俺の日記に反論を書き込むヤツ、お前は精神病だ。狂う前に病院へ行け。
賛成して書き込まないヤツ、英語を勉強しろ、英語が使えればまだウェブへの希望を捨てるのは早い。