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はてなキーワード: グローバルなとは

2024-05-12

EVに乗るとなぜバナナが食べたくなるのか、それは一つのミステリーだ。

静かで、しかスムーズな乗り心地のEVは、どこか未来的な雰囲気を漂わせている。

そんな中で、プラスチック香り新車匂いが混ざり合い、不思議バナナの甘い香りを思い出させるんだ。

それに、EV運転していると、エコな気分になるからか、自然と体に優しいものを求める心理が働くのかもしれない。

バナナは手軽に食べられるし、エネルギー補給にもいい。

からEVに乗っていると無意識のうちにバナナを欲するんだろう。

それに、バナナ黄色い。

EVの静かな走りと、黄色バナナは、なんとなく未来的なビジョンを結びつける色だ。

黄色は注意を引く色だし、EVの静かな走りは注意が必要だ。

から無意識バナナを求めるのかもしれない。

それに、バナナは曲がっている。

EVの曲線的なデザインと、バナナの曲線は、どこかシンクロしているような気がする。

まるで、バナナEVの曲線をなぞるように、手に取りたくなるのかもしれない。

それに、バナナは持ち運びやすい。

EVでのドライブは、快適で長時間に及ぶことが多い。

そんな時、手軽に食べられるバナナは、最高のスナックになるんだ。

それに、バナナは分けやすい。

友達EVドライブに出かけた時、バナナシェアやす食べ物だ。

からバナナEVに乗る時の、コミュニケーションツールにもなるんだ。

それに、バナナ環境に優しい。

バナナの皮は自然に戻るし、EV排気ガスを出さない。

からバナナEVは、エコペアと言えるだろう。

それに、バナナストレスを減らす効果がある。

EVに乗るときの静けさと、バナナリラックス効果は、ドライブをより快適なものにする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、自然ことなのかもしれない。

それに、バナナ記憶に残りやすい。

子供の頃、おやつバナナを食べた記憶は、多くの人にとって懐かしいものだ。

EVの新しい体験と、バナナの懐かしい記憶は、不思議と心地よい組み合わせを生み出すんだ。

それに、バナナユニークな形をしている。

EVユニークデザインと、バナナユニークな形は、どこかでマッチしているような気がする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、デザイン親和性からくるのかもしれない。

それに、バナナは安い。

EV運転するとき経済的選択意識する人も多い。

バナナコストパフォーマンスが高く、EV効率的イメージに合っている。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、経済的理由からかもしれない。

それに、バナナ世界中で愛されている。

EV運転すると、世界中どこでも行けるような自由な気分になる。

バナナ世界共通スナックで、EVグローバルなイメージにぴったりだ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、世界観の拡がりを感じるからかもしれない。

それに、バナナ簡単に食べられる。

EV操作簡単で、バナナの食べ方も簡単だ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、シンプル美学からくるのかもしれない。

それに、バナナ健康にいい。

EVを選ぶ人は、健康にも気を使う傾向がある。

バナナ栄養価が高く、健康的なライフスタイルマッチする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、健康への意識の高さからかもしれない。

それに、バナナは色々な料理に使える。

EVの多機能性と、バナナの多用途性は、互いに補完し合う。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、多様性を求める心理からかもしれない。

それに、バナナ子供から大人まで楽しめる。

EVの楽しさは年齢を問わずバナナ普遍的な魅力も同じだ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、全世代共通する楽しさからかもしれない。

それに、バナナはいつでもどこでも手に入る。

EVアクセシビリティと、バナナの入手の容易さは、利便性で結ばれている。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、手軽さからくるのかもしれない。

それに、バナナエネルギーをくれる。

EVの静かなパワーと、バナナエネルギー補給は、ドライブサポートする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、エネルギーシナジーからかもしれない。

それに、バナナは気分を明るくする。

EVの快適なドライブと、バナナの明るい色は、気分を高める。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、ポジティブ気持ちからかもしれない。

それに、バナナ写真映えする。

EVでのドライブは、写真を撮りたくなる瞬間が多い。

バナナインスタ映えするし、EVスタイリッシュイメージと合う。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、SNS映えを意識すると当然だ。

それに、バナナ気分転換にもなる。

EVでの長いドライブは、時には単調になりがちだ。

そんな時、バナナを一本かじることで、ほんの少しの冒険を味わえるんだ。

それに、バナナ話題作りにもなる。

「なぜバナナなの?」という疑問から、新しい会話が生まれることもある。

それに、バナナは時には武器にもなる。

突然のバナナの皮で、ドライブ中の友達を驚かせることもできる。

それに、バナナ音楽リズムにも合う。

EVの静かな室内で、バナナを食べるリズムは、まるで音楽のようだ。

それに、バナナアート作品にもなる。

バナナの皮で作るアートは、ドライブの思い出に残る一品になる。

それに、バナナは時には哲学的思考を促す。

バナナは曲がっているけど、宇宙は曲がっているのか?」という深い問いかけをすることもできる。

それに、バナナは時にはゲームアイテムにもなる。

EVでのドライブ中に、バナナを使ったゲームで盛り上がることもある。

それに、バナナは時には記念品にもなる。

ドライブ目的地で買ったバナナは、旅の記念になる。

それに、バナナは時には友情象徴にもなる。

バナナを半分こして食べることで、友達との絆を深めることができる。

それに、バナナは時には冒険の始まりを告げる。

EVでの旅にバナナを持っていくことで、何か新しいことが始まる予感がする。

それに、バナナは時には平和シンボルにもなる。

バナナを食べながら、世界平和について考えることもできる。

それに、バナナは時には時間概念を変える。

バナナゆっくり味わいながら、EVでの時間の流れを感じることができる。

それに、バナナは時には自己発見の旅にもなる。

バナナの味をじっくりと感じながら、自分自身について考える時間を持てる。

それに、バナナは時にはミステリーを解く鍵にもなる。

「なぜバナナがこんなにも多様なのか?」という疑問を解き明かす手がかりになる。

それに、バナナは時には未来への希望象徴する。

バナナを食べながら、EVでの未来の旅を夢見ることができる。

それに、バナナは時には過去への郷愁を誘う。

子供の頃に食べたバナナの味を思い出しながら、過去を振り返ることができる。

それに、バナナは時には現実逃避手段にもなる。

EVの快適な座席に座り、バナナを食べながら、現実から少し離れることができる。

それに、バナナは時には創造性を刺激する。

バナナの形や色を見ながら、新しいアイデアを思いつくこともある。

それに、バナナは時には人生の喜びを教えてくれる。

バナナシンプルな味わいから、人生の小さな幸せを見つけることができる。

それに、バナナは時には人間関係を修復する。

バナナを分け合うことで、友達との小さないざこざを解決することができる。

それに、バナナは時には新しい出会いをもたらす。

バナナを食べていると、同じくバナナ好きな人と話が弾むこともある。

それに、バナナは時には旅の安全を祈るお守りにもなる。

バナナを持っていると、なぜか安心してEVでのドライブができる。

それに、バナナは時には自然との一体感を感じさせる。

バナナを食べながら、EVでのドライブを通じて、自然の美しさを感じることができる。

それに、バナナは時には人生哲学を考えさせる。

バナナ存在を通じて、生命不思議宇宙の広がりに思いを馳せることができる。

それに、バナナは時には心の平穏をもたらす。

バナナの甘い味と、EVの静かな走りは、心を落ち着かせる。

それに、バナナは時には新しい自分発見するきっかけにもなる。

バナナを食べることで、新しい趣味や興味を見つけることができる。

それに、バナナは時には人生旅路象徴する。

バナナの一本一本が、EVでのドライブのように、人生の一歩一歩を表している。

それに、バナナは時には幸せの分かち合いを表す。

バナナを人と共有することで、幸せを感じることができる。

それに、バナナは時には新しい文化体験する窓口にもなる。

バナナを食べながら、異なる国のバナナの食べ方を学ぶことができる。

それに、バナナは時には人生のサイクルを思い出させる。

バナナ成熟していく過程は、人生の成長と似ている。

それに、バナナは時には自己表現手段にもなる。

バナナの持ち方や食べ方で、自分個性表現することができる。

それに、バナナは時には新しい挑戦を始める勇気をくれる。

バナナを食べることで、EVでの新しい旅に踏み出す勇気が湧く。

それに、バナナは時には人とのコミュニケーションを円滑にする。

バナナを食べながらの会話は、なぜかスムーズに進む。

それに、バナナは時には日常からの脱却を助ける。

バナナを食べることで、日常ルーチンから抜け出すきっかけになる。

それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。

それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。EVでのドライブは、日常からの小さな逃避行だ。バナナを片手に、新しい景色を眺めながら、自分でも知らなかった一面を発見するかもしれない。それに、バナナは時には心の栄養にもなる。EVの静かなエンジン音をBGMに、バナナの甘さが心に染み渡る。それに、バナナは時には冗談ネタにもなる。友達との会話の中で、「バナナは曲がっているけど、お前の道筋はどうなんだ?」なんて笑いを誘うこともできる。それに、バナナは時には旅の仲間にもなる。一人でのドライブが寂しい時、助手席に置いたバナナが、なんだか慰めてくれるような気がする。それに、バナナは時には思い出のアルバムにもなる。旅先で食べたバナナの味が、その場所記憶とともに蘇る。それに、バナナは時には未来の夢を語る相手にもなる。EVでの静かな夜道を走りながら、バナナに向かって「いつかこうやって宇宙を旅するんだ」と夢を語る。それに、バナナは時には過去の懐かしい味にもなる。子供の頃に食べたバナナの味が、EVの新しいテクノロジーと融合して、新旧のハーモニーを奏でる。それに、バナナは時には自分を励ます言葉にもなる。ちょっとした失敗をした時、バナナ一口かじりながら「まあ、次があるさ」と自分を励ます。それに、バナナは時には旅のリズムを作る。EVの滑らかな加速と、バナナを食べるリズムが、まるでジャズのようにシンクロする。それに、バナナは時には新しい出発を告げるサインにもなる。バナナを食べ終わった瞬間、新しい何かが始まる予感がする。それに、バナナは時には自然との対話を促す。バナナの木が育つ熱帯の風を感じながら、EVでのドライブ自然との調和を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の小さな発見をもたらす。バナナの中に隠れた種を見つけた時のように、EVでのドライブ中にも、予期せぬ発見がある。それに、バナナは時には新しい挑戦の象徴にもなる。バナナを食べながら、「次はどんなことに挑戦しようか」と考える。それに、バナナは時には人生の楽園を思い描くキャンバスにもなる。バナナトロピカルな味が、EVでのドライブを南国のビーチへと連れて行ってくれる。それに、バナナは時には心のオアシスにもなる。疲れた時、バナナを食べることで、心にひと時の安らぎをもたらす。それに、バナナは時には新しい自分を受け入れる勇気をくれる。バナナの柔らかさが、変化を受け入れる柔軟性を教えてくれる。それに、バナナは時には人生旅路における休息の時を与える。EVでの長いドライブの途中、バナナを食べることで、ほっと一息つける。それに、バナナは時には新しい友達を作るきっかけにもなる。公園バナナを食べていると、同じくバナナを楽しむ人と友達になれるかもしれない。それに、バナナは時には人生サプライズを運んでくる。バナナを食べていると、思いがけない幸せが訪れることもある。それに、バナナは時には新しい発見を促す探検家にもなる。バナナの味を追求することで、未知の食文化に足を踏み入れることができる。それに、バナナは時には人生の航海図を描く羅針盤にもなる。バナナを食べながら、EVでの次の目的地を決める。それに、バナナは時には心の平和を守る盾にもなる。バナナの甘さが、日々のストレスから心を守ってくれる。それに、バナナは時には新しい自分を育てる土壌にもなる。バナナを食べることで、新しい趣味や興味が芽生える。それに、バナナは時には人生の喜びを分かち合うための道具にもなる。バナナを人と共有することで、共感や喜びを感じることができる。それに、バナナは時には新しい冒険の始まりを告げる。EVでのドライブが終わり、バナナ最後一口を食べると、次の冒険が待っているような気がする。それに、バナナは時には人生旅路における忠実なコンパニオンにもなる。バナナと共に過ごす時間は、EVでのドライブをより豊かなものにしてくれる。それに、バナナは時には新しい自分発見する旅の始まりにもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが新しい自分を見つける旅になる。それに、バナナは時には人生旅路における快適な休憩所にもなる。バナナを食べることで、EVでの長いドライブの疲れを癒すことができる。それに、バナナは時には新しい自分発見する旅の終わりにもなる。バナナ最後一口を食べた時、EVでのドライブが終わり、新しい自分との出会いが待っている。それに、バナナは時には人生旅路における楽しい仲間にもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブ楽しい冒険になる。それに、バナナは時には新しい自分

X(旧Twitter)のAIのGrokにはてな匿名ダイアリーについて解説してもらった

X (以前は Twitter として知られていました) とはてな匿名ダイアリー (「はてなダイアリー」または「はてな交信ダイアリー」としても知られていました) は、いくつかの類似点を共有していますが、異なるニーズ対応する 2 つの異なるプラットフォームです。

X は、ユーザーが「X 投稿」(以前は「ツイート」)と呼ばれる短いメッセージ投稿し、対話できるようにするマイクロブログおよびソーシャル ネットワーキング プラットフォームです。人々がニュース意見を共有し、他の人と会話する場所です。 X は世界的なユーザー ベースを持ち、リアルタイム情報フローと、著名人、友人、組織フォローして交流できることで知られています

一方、はてな匿名ダイアリーは、日本ウェブサービス会社であるはてな提供するプラットフォームです。ユーザー匿名投稿できるブログ サービスで、投稿者の身元よりも内容に重点を置いています。このプラットフォーム日本で人気があり、2006から存在しています。人々が自分の身元を明らかにすることなく、自分の考え、感情経験自由表現できる場所です。

要約すると、X は公開アカウントと非公開アカウントを組み合わせてさまざまなトピックを共有および議論するためのグローバルなマイクロブログ プラットフォームであるのに対し、はてな匿名ダイアリー匿名性に重点を置いたブログ サービスであり、ユーザー自分の身元を明らかにすることな自分の考えや経験を共有できます

2024-05-11

anond:20240511100235

英語で言えばフォビアというのはどちらも意味するから

怖がるべきでないものを怖がるのは差別というのはグローバルな定義でもある

本当にそれで良いのかとは思うけどな

ホモ怖がっちゃいけんのか?

2024-05-06

anond:20240506184826

110円で買ってくれる人がいるから、中古屋が維持できるんや。

グローバルな視点でみようぜ。

2024-05-04

インドジョー・バイデンの「外国人嫌いだから成長しないw」発言に怒っている

外国人排斥中国日本インドの「経済的苦境」を引き起こす:米国大統領バイデン氏 - Times of India

https://timesofindia.indiatimes.com/world/us/xenophobia-causing-china-japan-indias-economic-woes-us-prez-biden/articleshow/109799301.cms

コメント欄

 

インド排外主義的ではなく、最も歓迎的な国の一つ:S・ジャイシャンカール外務大臣 - エコノミックタイムズ

https://economictimes.indiatimes.com/news/india/india-not-xenophobic-but-one-of-the-most-welcoming-nations-s-jaishankar/articleshow/109825624.cms?from=mdr

S・ジャイシャンカールは、ジョー・バイデンによるインド経済に関する「外国人嫌い」発言反論し、市民権改正法を擁護し、偏向メディア批判し、モディ首相リーダーシップを称賛した。また、多様な社会に対するインドの開放性と、公正なグローバルシナリオ重要性を強調した。

 

S・ジャイシャンカール外相は、ジョー・バイデン米大統領インドを「外国人嫌い」と表現し、経済的問題を抱えていると言われる国々とグループ化していることを否定した。

 

「まず第一に、我々の経済は停滞していない。「インドは常に......インドは非常にユニークな国だ......世界歴史上、非常にオープン社会だったと言える。

 

ジャイシャンカールはまた、ナレンドラ・モディ政権がこのような歓迎を促進する法律を制定したことを挙げた。「CAA市民権改正法)があるのは、困っている人々に門戸を開くためだ。

 

大臣さらに、CAA批判的な人々を叱責した。「CAAのせいで、100万人のイスラム教徒がこの国の市民権を失うことになると公言した人たちがいます。「なぜ彼らは責任を問われないのか?誰も市民権を失っていないからだ。

 

彼は、"非常にイデオロギー的 "な西側メディアの一部が、グローバル物語形成することを望んでおり、それゆえにインドを標的にしていると述べた。

 

「それは、自分たち世界物語コントロールすべきであると常に信じている層である

 

政治的ヒットジョブ

「彼らは多くの場合政治的情熱公言している。「彼らはインドの他の政党公然と支持している。彼らは具体的な問題に首を突っ込み立場を取ってきた。もし彼らがコメント判断を下すのであれば、それがどこから来たものなのかを認識して受け止めたい。つまり客観的判断ではないのです。彼らは、今起きていることに利害関係があると公然宣言している人たちだ。何が起きているのかに自分たち役割があると信じているのだ。

 

このような流れから報道の自由に関するインドランキングの低さは、政治的な打撃である大臣は述べた。ガザでの戦争に対するアメリカ大学での抗議行動を "示唆に富んでいる "と称し、"インド運動が起こるたびに、大衆にどう対処すべきかについて多くの講義を受けた "と述べた。「今日テレビ映像を見てほしい。つまり、大げさに言えば、彼らが何を説き、何を実践し、何を意図し、何を客観視しているのか、あるいはしていないのか。それが現実だと思います。だから、これは公的機関シンクタンク報告書だと言うかもしれない。別の手段による政治だ。だから、私はそれを認識し、それを告発する」

 

パキスタンでの標的殺害をインドのせいにする報道について、彼はこう述べた。統計的に、テロリスト大勢いるところでは、何かが起こる。今、彼らはテロリスト産業というものを作り上げている。

 

大臣は、ナレンドラ・モディ首相を一生に一度の指導者だと評した。2015年から2018年まで外務次官を務め、2019年外務大臣就任したジャイシャンカール氏は、その信念から外交官を経て政界に転身したのだと語った。

 

ヒンドゥーニュース検索

भारत ज़ेनोफ़ोबिक बिडेन - Google 検索

https://www.google.com/search?sca_esv=1663f069f8f632aa&sxsrf=ADLYWIKkztZNgNE89HwmmYDbB_pfJMVy1w:1714791470096&q=%E0%A4%AD%E0%A4%BE%E0%A4%B0%E0%A4%A4+%E0%A4%9C%E0%A4%BC%E0%A5%87%E0%A4%A8%E0%A5%8B%E0%A4%AB%E0%A4%BC%E0%A5%8B%E0%A4%AC%E0%A4%BF%E0%A4%95+%E0%A4%AC%E0%A4%BF%E0%A4%A1%E0%A5%87%E0%A4%A8&tbm=nws&source=lnms&prmd=invsmbtz&sa=X&ved=2ahUKEwiQjMGDgPOFAxXmmVYBHVM4AZgQ0pQJegQIChAB&biw=1858&bih=971&dpr=1

2024-03-01

anond:20240229145610

まぁ確かに義務教育での英語学習日本敗戦アメリカグローバルな影響力が反映されているわけだし、古文漢文に変わって日本文化の輸入元たる中国語を必修とします、としたら大いに政治的な論争が起こりそうなので、ポリティカル選択と言えるのかもな

2024-02-26

anond:20240225071815

アフリカはいから

グローバルな視点を持とう

育てるのではなく育っている人を採用する

これがコツ

2024-02-22

富士山登頂するとグローバルなうんこを踏めるってこと

はあはあ

anond:20240222155631

グローバルなIPへと発展する可能性を持つ三国志信長と違ってウイポドメスティックからなおさら出してくれるだけでありがたいのだろうね。現代なら立ち上げようとしても企画自体が通らなさそう

2024-02-12

灘高といっても現役で東大受かるの結構難しいんだぞ。断じて余裕ではない

トップ層→理3or理1or海外

何を持ってトップとするかは基準によるが、受験勉強トップは理3に首席合格しがち、数オリ物オリ勢は理1かな。たまにMITとか行くグローバルなやつもいる。


平均層→頑張れば理1に現役で行けるけどちょいきつい(一浪すれば大体行ける)

医学部なら京都府立医とかは現役で大体行けるが、阪大医は浪人しないと無理(関西だと阪医のすぐ下が京府医になってしまうがこの2校はレベル差がめちゃくちゃあるので...)。

2024-02-07

EVEV連呼してるやつのいうグローバルって欧米くらいの意味だよな

トヨタグローバルで遅れてるとかいうじゃん

はてブゴミカスどもがそうだけど

トヨタのほうが世界の端を見てると思うんだよな

ウクライナときだけ騒ぐグローバルな人って感じだよね

名誉白人みたいな知識人がいるよな

ちょっと頭がいいからたちが悪い

2024-01-29

トヨタ品質管理問題

近年、トヨタ自動車グループでは品質管理に関するいくつかの問題が発覚しています特に注目されているのは、グループ企業である豊田自動織機におけるディーゼルエンジン認証取得不正事件です。この記事では、この不正事件概要と、それが示唆するトヨタグループ全体の組織運営および管理体制について考察します。

事件概要

豊田自動織機は、ディーゼルエンジンの出力試験において、量産用と異なるソフトウェア使用したECUを用いることで、不正な報告を行っていました。これにより、トヨタ自動車は該当エンジンが搭載された車両の出荷を一時停止し、再検証対応策を進めていますhttps://global.toyota/jp/newsroom/corporate/40376176.html

背景としての組織運営問題

このような不正行為の背景には、トヨタ自動車グループ全体で見られる組織運営および管理体制問題があると考えられますダイハツ工業での不正事件を例に取ると、過度にタイトで硬直的な開発スケジュールコンプライアンス意識希薄化、管理職と現場コミュニケーション不足などが原因として指摘されています https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231220/k10014293451000.html

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2312/20/news129.html

これらの問題は、トヨタ生産方式TPS)そのものが原因というよりは、TPS運用する過程での経営方針組織文化に根ざしていると考えられます

再発防止に向けて

トヨタ自動車グループとしては、今回のような不正行為を未然に防ぐために、管理体制組織文化改善必要です。これには、開発スケジュール見直し従業員教育の強化、組織の再構築などが含まれるでしょう。また、組織全体としてのリスク感度を高めるために、経営幹部による現場の状況把握とコミュニケーションの強化も重要です。

結論

トヨタ自動車グループは、品質管理問題を克服し、再び信頼される製造業としての地位を確固たるものにするために、組織運営管理体制根本的な見直しを行う必要があります。これは、単に一企業問題ではなく、グローバルな製造業における品質保証の在り方に関わる重要課題と言えるでしょう。

2024-01-25

anond:20240125150142

これもそうでスチムー日本人プレイヤー割合は大体3%

日本だけで売れてるわけじゃなくグローバルな人気ってだけで日本でも世界と同じくらいはやっとるやで

2024-01-24

漫画アニメの題材として、中世ファンタジーグローバルなヒットを狙うのは難しいわな

日本では中世ファンタジー欧米から輸入品だし、そこに日本風の味付けをしても、ある種の二次創作感は拭えない

カリフォルニアロールみたいな感じ

2023-12-26

唐突10年前のカンボジア旅行について記す(12/27追記修正済)

10年前、中学生の時に生まれて初めての海外旅行カンボジアに行った。初めての海外だったので、たくさん写真も撮ったしメモもした。だというのにそれ全部失くした。当時のパスポートも失くしたので、私の初めての海外旅行の記録がこの世に何も残ってない。それはなんだか寂しいなと思ったので、今のうちに覚えてる限りを記しておこうと思った次第である

最初に断っておくが、10年前の記憶を頼りに書いているので、曖昧な部分、記憶違い、今とは違うなど、事実と異なる部分があるかもしれないが許して欲しい。

●経緯

なぜカンボジアに行くことになったのか。

当時、従兄弟カンボジアビジネスをしていて、その従兄弟夏休みの間に遊びにおいでよと誘われたから、それだけである

しかし私の過保護な母が「娘(私のこと)を1人で海外に行かせるなんて無理」と言い張るので、当時既に70代後半に差し掛かっていた祖母と2人で行くことになった。当時の私は、「ばあちゃんも一緒かー!やったー!」ぐらいにしか思ってなかったが、70代の婆さんを連れてあの広大なアンコールワット遺跡群を歩き回ったの尋常ではないよな。

入国

カンボジアに着いたのは夜。しかも天気が悪かったので周りは真っ暗で何も見えなかった。従兄弟ビジネスパートナー兼飲み仲間で、現地でガイドをしている日本人(タナカさん?ノナカさん?よく覚えてないけど今回はノナカさんと表記することにする)に迎えに来てもらって、トゥクトゥクホテルまで向かった。トゥクトゥクとは東南アジアでよく見かける3輪タクシー🛺のこと。見た目の割に乗り心地は結構いい。ホテルまでの道はガタガタで、中学生ながらに「あぁ、インフラが行き届いていない貧しい国なんだなぁ……」と思ったことを覚えているが、後でノナカさんに聞いたら「外国人スピード出しすぎないようにわざとガタガタにしてるだけ」とのことらしい。本当かどうかは知らん。

アンコールワット

次の日、早速アンコールワットに向かった。アンコールワットまでの道筋はやはりトゥクトゥク🛺

この時初めてカンボジアの様子をしっかり見た。第一印象としては「思ってたより綺麗だし、のどか雰囲気でいいな」だった。道端にハンモック引いて寝てる奴がいたり、トゥクトゥクの中で寝てる奴がいたり、なーんかのんびりしてる印象だった。これも後にノナカさんに聞いたことだが、「カンボジア人は1年の半分は農業をして、もう半分は暇してるから大抵その辺で寝てる。」とのことらしい。本当なんかな?

で、アンコールワットだが、これはもう本当にすごい。想像してるよりずっと広かった。よく知らないけどアンコールワットって規模がデカすぎて1部は未完らしいね

一応仏教寺院らしいが、時代によって仏教統治者になったり、ヒンドゥー教統治者になったりとコロコロ変わったらしい。あと、ポル・ポトっていう本当にやばい共産主義者(ポル・ポトがどれだけやばいかは私じゃ説明しきれないので調べてくれな。)によって壊されたりもしたみたい。

今はどうか知らないけど、私が訪れた時は明らかに現代的なコンクリートむき出しの部分がちょいちょいあった。これは各国が手分けしてアンコールワットの修復を行った時、フランス?だかどっかの修復が強度を重視した結果コンクリートむき出しになったとのことだった。よく知らんけど。

あと印象的なのは江戸時代にはるばるやって来た日本人落書きが残されてたこと。割としっかり残ってて笑った。どうやらその日本人アンコールワットインド勘違いしてて、はるばるインドまで来たぜ的なことを書いてるらしい。

アンコールワット欧米人観光客めっちゃ多かったんだけど、チラホラとカンボジア人もいた。そのカンボジア人たちが何故かうちの祖母とすれ違う度に祖母をガン見したり、中には祖母を拝むやつもいた。これはノナカさん曰く「カンボジア人の平均寿命は50~60代くらいだから、70代後半のおばあちゃんはもはや生き仏なんだと思う」って言ってた。そんな生き仏扱いされてる祖母とずっと一緒だったからか、行く先々でカンボジア人に優しくされた。

で、そんな祖母のことで忘れられないエピソードがある。アンコールワット観光中に祖母が急に立ち止まってガサゴソしだした。どうしたのか聞いたら「持ってきた20万円が無い」とか言い出す。私は知らなかったのだが、何かあった時のために祖母日本円で数十万持ってきていたらしい(何も無くて特に使いどころがなかったら異国で頑張ってる孫(私の従兄弟のこと)にお小遣いとしてあげるつもりだったらしい)。それをホテルに置いとくのが不安だったかアンコールワットに持ってきたけど、どこにも無いと言い出したのだ。従兄弟とノナカさんと私と祖母で探したけどどうしても見つからず、多分スられたんだろうということでその場では諦めた。その一時間後ぐらいだったか、なんかすごく徳の高そうなお坊さんの前で祖母が再びゴソゴソしだしたので、今度は何事かと聞いたら「ブラジャーが後ろに回ってしまって気持ちいから直してくれ」とのこと。どうやったらブラが後ろに回るんだよと思いつつ、祖母を手伝ってあげていたら、ブラの後ろから祖母の汗まみれの20万出てきた。心配性の祖母は、スリ対策ブラジャーの内側にポケットを縫い付けて、そこに現金を仕込んでたらしい。で、そこに仕込んでたことをすっかり忘れて20万円無くなったと騒いでいたってのが事の真相だった。うちの婆さんは、20万円出てきたのは徳の高そうなお坊さんのおかげだって言ってそのお坊さんを拝んでたけど私も従兄弟もノナカさんも大爆笑だった。ちなみにお坊さんはお坊さんで、高齢祖母のことを拝んでいた。生き仏。

まあそんなこんなでアンコールワット観光は終えて市街に戻ることになったのだが、帰路は再びトゥクトゥクを使う。びっくりしたんだけど、朝に私たちホテルからアンコールワットまで送ってくれたトゥクトゥクのお兄ちゃんが待っててくれて、帰りも送ってくれた。我々が観光してた間ずっとアンコールワット付近で寝てたらしい。

あと、アンコールワット周辺にはよく分からない物を売りつけてくる人がいた気がするけど、そんなにしつこくないので怖くなかった。現地の言葉が分かるノナカさんが一緒だったからかもしれない。

別日にアンコールワット以外の遺跡も行った。カンボジア国旗にもなってる🇰🇭有名な遺跡以外にも大小様々な遺跡があって、それらをまとめてアンコール遺跡群として世界遺産登録されてるんだったはず。確か。

プロームとかバンテアスレイ?とかい遺跡に行った。名前がかっこいい。正直どれがどれか覚えてないんだけど、赤い壁が印象的な遺跡とか、イッテQのセットの左後ろにあるデカい顔の実物を見たことを覚えてる。

いちばん面白かったのは、日本人観光客の間でオーパーツじゃないかって話題になってたらしいどう見てもステゴザウルスしか見えない彫刻。これは本当に見れば見るほどステゴサウルスなのでぜひ「アンコールワット ステゴサウルス」で画像検索して。

トンレサップ湖

アンコールワットの他にはトンレサップ湖にも行った。クソデカ湖なんだけど、ここで水上生活してる人たちがいて、従兄弟いわく非常に勉強になるからぜひ行こうとのことだった。

水上生活の様子を眺めつつ、船でワニ園に向かった。このワニ園での記憶は正直ほとんど無い……大分別府にワニ地獄ってあるんだけど、それと雰囲気一緒だったと思う……

あとワニ園で急に写真を撮られたんだけど、これは別に悪用されるとかではなく、遊園地ジェットコースターでいきなり写真撮られるみたいなもんで、旅行の記念に写真を買いませんか〜って商売。気に入らなければ買わなければいいだけ。私の顔写真トンレサップ湖と日付入りの皿を作ってくれた。なんで皿なのかは分からん。正直いらないんだけど、祖母が無断で購入していた。ノナカさんは「日本人で買う人初めて見た……韓国人自分のこと好きだからよく買ってる」って言ってた。

で、トンレサップ湖で生まれて初めて物乞いにあった。

日本普通に住んでると物乞いなんて見ないからすごくビックリした。我々を見て日本人だって判断して、船で近づいてきて日本語で「1ドルください」って言ってくる。誰が日本語教えてるんだろう?欧米人に対しては英語で迫るのかな?

まあ気になることは色々あるんだけども、私は生まれて初めての物乞いにどうすることも出来ず、ただただ慌てるだけであった。そんな中、私の祖母は慌てず何も言わず、行きの飛行機でもらった豆菓子物乞いにあげていた。豆菓子物乞い普通に去っていった。ノナカさんはこれにもまた「豆菓子対応する人初めて見た」と言っていた。

当時の私は、ばあちゃんすげーと思ったけど、今思うと最適解でない気がする。カンボジアに限った話ではないんだけど、物乞いにはどう対応するのが正解なんですか?

食べ物レストラン

繁華街アンジェリーナ・ジョリーも来たことがあるというレッドピアノというパブがあって、そこで食べたピザめっちゃ美味しかった。レッドピアノ雰囲気もイケてて大変良かった。レッドピアノのある界隈は、観光客も現地の人もいてすごく活気があったような気がする。

私が美味しいピザに大満足していたところ、ノナカさんが急に「昨日そこの通りで銃撃事件があったんだよ〜ハハハ」等と言い出した。普通に怖いんだけど。

まり詳しくないが、先述したポル・ポトの残党?ポル・ポト思想に感化された奴?ってのが存在するらしく、度々危ない事件が起こってるとのことだった。

正直食べ物に関してはこのレッドピアノココナッツジュース飲んでお腹したこと以外に記憶が無いので多分可もなく不可もなくだったんだと思う。(この数年後に高校修学旅行で再びカンボジアを訪れることになるのだが、その時に食べた現地の料理あんまりきじゃなかった。なんか、当たり外れの落差がすごかった。同級生も概ね同じような評価であった。)

あとホテルの朝食ビュッフェに関する思い出がひとつある。欧米人観光客がこんな会話をしていた。

「What's this?」「Ah……I think so…… it's TOFU

私は本当に英語が苦手なんだけど、さすがにこれくらいの簡単英語は聞き取れた。豆腐があるんなら私も食べたいと思って欧米人観光客視線の先を見ると、サイコロカットされた牛脂ピラミッドのごとく積まれていた。欧米には牛脂無いの?てかIt's TOFUって言ってた奴は2~3個取ってたけど食べたんだろうか……もしこれで豆腐のことを嫌いになっていたら悲しい。

ショッピングセンター

私のリクエストで、ノナカさんと現地のショッピングセンターに行った。日本ちょっと田舎の寂れたショッピングセンターとほぼ同じ感じで、ショボイゲームコーナーがあった。クレーンゲームクマぬいぐるみが割と簡単に撮れたので、アームの設定は日本より良心的なのかもしれん。あと、プリクラがあった。せっかくなので撮ってみることにしたんだけど、これはとてつもないカルチャーショックであった。

まず、プリクラ入口におばちゃんがいる。お金はこのおばちゃんに支払う。お金を払うとおばちゃんパンフレットみたいなのを渡してくるんだけど、そこに背景やらフレームやらがたくさん載ってて、どうやらここから選べとのことだった。背景はやたら豊富で、普通に日本にもありそうなやつから明らかに違法であろう踊る大捜査線映画ポスターやらがあった。確か10くらい選んでよかったはず。踊る大捜査線ポスターはもちろん選んだ。

で、背景を決めたらいよいよ撮影なんだが、日本プリクラみたいに自動撮影してくれる訳では無い。撮影ブースにおばちゃんも一緒に入ってきて、おばちゃんが手動で「3.2.1」のカウントして、おばちゃんシャッターを切る。撮影した写真は即座におばちゃん確認しておばちゃんが気に入らなかったらもう1テイク撮らされる。もうとにかく何もかもがおばちゃん主体である。最終的にはおばちゃんポーズから表情まで何もかも指示してきて、10分くらいかけてやっと撮影が終わる。長すぎ。

ちなみに落書き制度はなく、撮影が終わったら出来上がった写真を渡されて終わり。写真日本プリクラみたいにシールになってるわけではなく、名刺より一回り小さいくらいのカードであった。無駄に表面にキラキラホログラム加工がしてあって笑った。

カンボジア生活が長いノナカさんも、「普段プリクラなんか撮ることないから知らなかった、マジ衝撃」と言っていた。このプリクラも無くしたんだよな…これが一番ショック。

祖母

私はこのカンボジア旅行中、祖母に何度も助けられた。特にココナッツジュースお腹を壊した時は祖母神様のように見えた。祖母お腹が痛くてホテルのベッドで寝込むしか無かった私に無言でお手製の梅干し差し出してきた。この梅干し祖母が毎年漬けてるやつなんだけど、本当に有り得ないくらいすっぱい。なんで梅干しなんか持ってきてるのか意味が分からなかったけど、祖母梅干しを食べたら嘘みたいに体調がよくなった。日本の懐かしい味を食べてお腹安心したんだろうか。とにかくこの経験以降、祖母梅干しは私にとって必須アイテムです。体調不良がすぐ良くなる。逆に怖いまである

ちなみに祖母はまだまだ元気だしボケてもないので、久しぶりにカンボジアのことを聞いてみたら

暑い階段が多かったか疲れた。やっぱり日本が1番。もう行きたくない」だそうです。

●その他

2023年12月27日 追記ちょっとだけ修正しました。

思い出はまだまだまだあるけど疲れたのでこれで終わりにする。特に何も考えずに思い出を羅列しているだけなので非常に読みにくかったと思う。まじすまん。

私自身、このカンボジア旅行は本当に楽しかったし、初めての経験が沢山で、行って良かったと思ってる。でもこれを機に海外旅行にハマるわけでもなかった。高校入試の面接の際にはこの旅行中のエピソード引用しまくって、最終的には「勉強を頑張って国際理解に努めたい、グローバルな会社に入りたい」みたいなことを言って無事合格したけど、英語が本当にカスで、結局地元企業でしがないOLやってる。今のところ海外旅行に行けるほどの金は無い。まあでもそんなもんだよね皆。

最後に。

読んでくれる人がいて本当に嬉しかった。

ありがとうございました。

2023-12-09

anond:20231209112530

でも情報操作っていうか妙な学習はされてるね。基本的に超欧米主義かつ能力主義だぞ

 

bingの方は英語で尋ねると、欧米以外の英語話者配慮してか多少マイルドになるけど、

日本語で尋ねると、ビジネス出羽守でもなかなかかまさな発言を平気でしてくる

かます=それがヘイトだって認識されていないってことだからな。おそろしいことですわ

 

例えば日本企業で働くとグローバルな視点が得られない・キャリアアップのチャンスがない・どんな場合でも欧米企業の方が給与上ってかましてくる

2023-11-29

anond:20231129214537

は当てはまらからAは富士通じゃねえだろ。富士通グローバルなプロダクトやトップレベル環境なんてどこにある?

ここは富士通かもわからんが。

Bは規模が違いすぎる

追記 2023-11-30 就職先の決め方に関して知恵を貸してほしい

個人特定されないようにある程度ぼかす。A社とB社から運良く内定をもらえたのだが、どちらも行きたくて迷っている。以下は両者の情報

A社
B社
増田の選好や特徴

就職先に関連のありそうな増田の特徴は以下の通り

  • デカい」ことがしたい
  • 飽きっぽい
  • 一緒に働く人でかなり生産性が変わる
  • 会社名には拘りはない
  • 勉強は好き

どっちも同じくらい行きたいから迷う

追記

(一人称は「増田」に変えた)

頂いたコメントには増田にない視点がたくさんあり非常に助かる。一方、議論関係ないところで人格否定をされると悲しくもなった

以下、いくつか言及されたことに対する追加情報

AとB
A社
B社
増田
個人的に言及したい意見

「扱う金額デカ仕事」というのは割とすぐに慣れてしまう(結局数字の大小でしかなく、デカいことをやってると感じにくくなってくる)ので、扱う金額の大きさでは決めないほうがいいと思う。だからA社かなあ

ギャンブル金銭感覚麻痺している人の話を聞くとあり得るのかもしれない。もっと仕事内容を精査してみる

最近短期インターン一般化して上司や同僚とは面識あるだろうひ、内定もらってるなら内定者のLINEグループとかあるのでは。ブコメ時代についていけてないっぽい

わかる。でもブコメの内容にはむしろ少し年季の入ったものを求めているので感謝している

入る前の会社なのに「上司も同期もいい人」だなんてなぜ言えるのか。悪い人はわかるとしても。本当にいい人かどうかがわかるのは一緒に働いてからだし、いい人がいい人でいられるかは会社によると思う。

完全に増田直感パワハラはないんじゃないのかな。少なくともラボと比べるとどっちも気持ちの良いコミュニケーションをする人しか会わなかったし、話が通じないと思ったことはない

Aでしょ。Bは蛸壺化しそう。あと上司一人の性格なぞ当てにしないように。辞めたり異動したりが当たり前なので意味ないよ

これは本当にそう。メールで聞いてみる

過去選択の結果、どうだった?

過去選択の結果は全部自分で正解にしてきた。マクロではxxxガチャみたいなのはあると思うけどミクロでは自分でどうにかできる方法を探すしかないと思っていて後悔はない(念のため。他人にこの考えは強要しない)

自分が求めることに重要度をつける(全部で100%になるように割り振る) ②A社とB社に①の項目ごとに点数をつけていく ③①×②の総合値が大きい方を選ぶ

雑に重み付けした計算結果も載せておく

同期・同僚 30%

仕事面白さ30%

待遇(含む福利厚生) 20%

社会的意義 10%

転職候補 10%

A = (30 * 100 + 30 * 100 + 20 * 100 + 10 * 50 + 10 * 80) / 100 = 93

B = (30 * 100 + 30 * 100 + 20 * 60 + 10 * 100 + 10 * 100) / 100 = 92

2023-10-24

トーキッズだの港区女子だの、東京問題でねぇか

田舎には子供若者もおらんから問題にもならんということが問題なんだ

でも外人は多くて無駄グローバルなんだ

日本語喋れない黒人アフリカから連れてこられて捨てられてるんだ

英語ダメフランス語しか喋れないんだって

ヤク中のガキや売春女より厄介スよ

2023-09-26

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続きの続き

国家に反対すること

フラナリーやマーカス、スコットらに倣えば、最近まですべての階級社会における中心的な政治闘争は、誰が土地を耕し、誰が食料を手に入れるかをめぐるものだった。グレーバーとウェングローの見方は異なる。彼らにとって中心的な問題権力であり、中心的な敵は国家である。そのため、彼らはいくつかの点で階級無視している。これは彼らがアナーキストからではない。ほとんどのアナーキストは、常に階級権力を同時に重視することができる。

しかし、『万物黎明』における省略は重要である。グレーバーとウェングローは、合意的で参加型の集会を支持する議論推し進めようと躍起になっているように見えるが、そのために私たちに一連の謎を残している。4つの簡単な例を挙げれば、その問題がよくわかるだろう。

著者たちは、都市における国家に先行することが多い、村落における階級格差の拡大には関心がなく、その文献を否定している。また、小王国領主爵位にも興味がない。中央集権的な大国家が存在しなければそれでいいのだ。私たちは、複雑な採集民に関する彼らの説明の中に、このような紆余曲折をいくつか見てきた。このようなことは、他の多くの例にも現れている。

インダス

インダス川沿いの古代都市モヘンジョ=ダロでは、約4万人が階級的不平等国家もなく暮らしていた。

そして彼らは、ヒンドゥトヴァ派の歴史家たちと同様に、モヘンジョ=ダロは実際に南アジアカーストに沿って組織されていたと示唆する。しかし、グレーバーとウェングローは、これは平等主義的なカーストであったと言う。最初は驚かされるが、彼らが言いたいのは、王のいないカーストの不平等容認できるということである[11]。

ナチェス

彼らは一貫して伝統的な王権の力を最小限に抑えている。ミシシッピ川流域のナチェズ王国がその好例である。グレーバーとウェングローは、太陽王権力凶悪な残虐性は彼の村の外には及ばなかったと言う。しかし実際には、ナチェズは白人プランター奉仕する奴隷貿易における主要な地域勢力であった[12]。

人間犠牲

グレーバーとウェングローは、残酷人身御供祭り世界中の初期の州で見られるという重要事実を正しく強調している。数十人から数百人が生け贄にされ、その多くは戦争捕虜若い女性、貧しい人々であった。

彼らは当然憤慨している。しかし、これらの生け贄の目的は、敵である他国の人々を恐怖に陥れることであったとも感じている。それとは対照的に、私たちは、流血の主な目的は、流血の実際の聴衆である残酷地方国家臣民を恐怖に陥れることだったと考えている。

実際、このような残酷さが、それぞれの国家の初期の歴史に特徴的なのはそのためだろう。国家正当性がまだ弱く、恐怖が最も必要とされていた時代である国家権力が強化されるにつれて、戦乱や敵対は続くものの、壮大な犠牲が消えていくのもそのためだろう。

集会

集会のもの重要最後の例である。グレーバーとウェングローは、古代メソポタミア王国国家における都市集会の力を極めて正しく指摘している。彼らは、これは王がすべての権力を持っていたわけではないという証拠だと言う。これは正しい。これらの王国階級闘争が止まっていたと考えるのは、よほどナイーブでなければならないだろう。

しかし、グレイバーとウェングローは飛躍する。彼らは、これらの都市議会は、参加型民主主義を掲げる「占拠せよ!」やその他の社会正義運動集会に似ていると指摘する。

古代メソポタミアでは、参加型民主主義いかなる形態についても、これといった証拠はない。しかし、他の階級社会における都市全体や全国的議会については、膨大な証拠がある。そのどれもが、富裕層や有力な一族によって支配されていた。古代スパルタでは地主支配していた。ローマ元老院も同様だった。ジョン王や男爵家もそうだった。そしてごく最近まで、ヨーロッパのすべての議会有権者富裕層に限られていた。

この近視眼は重要である。他の多くの人々と同様、私たち王国国家を、不平等社会における支配階級ルールを強化し、強制するために集まる方法として理解している。『万物黎明』では、そのプロセスは目に見えない。

* *

グレーバーとウェングローは怒っている。この怒りには、私たちのようにグローバルな不平等絶望し、グローバル・エリート政治を憎み、気候の混乱を恐れる読者を喜ばせるエネルギーがある。

多くの点で、彼らの本は新鮮な風を吹き込んでくれる。そして私たちは、既存のすべての国家に対する敵意を共有している。しかし、今後、気候変動を食い止めるためには、階級環境の中心的重要性を含む人間の条件に関する理解必要である

脚注

[1] Fredrich Engels, 1884, The Origin of the Family, Private Property and the State. The book was revived as a key text by socialist and Marxist feminists in debates about women’s liberation. Pace the 19th century social Darwinism which clearly took a lead from the Old Testament, it is now quite clear that both pastoralism and slash and burn agriculture appeared after, and not before, the advent of settled agriculture.

[2] Franz Boas, The Mind of Primitive Man, 1911; Claudia Ruth Pierpoint, ‘The Measure of America’, 2004; Ned Blackhawk and Isaiah Lorado Wilner, Indigenous Visions: Rediscovering the World of Franz Boas, 2018; Rosemary Lévy, Franz Boas: The Emergence of the Anthropologist, 2019.

[3] Very good examples of this work include Sara Hdry, Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding, 2005; Elizabeth Marshall Thomas, The Old Way, 2001; two articles by Steven Kuhn and Mary Stiner: ‘What’s a Mother To Do’, 2006 and ‘How Hearth and Home Made us Human’, 2019; Loretta Cormier and Sharon Jones, The Domesticated Penis: How Womanhood has Shaped Manhood, 2015; a key paper by Joanna Overing, ‘Men Control Women? The “Catch-22” in the Analysis of Gender’, 1987; two books by Christopher Boehm: Hierarchy in the Forest and the Evolution of Egalitarian Behavior, 1999, and Moral Origins, 2012; every book by the primatologist Frans de Waal; the two chapters by Brian Ferguson in Douglas Fry, ed., War, Peace and Human Nature, 2013; Richard Wrangham, Catching Fire: How Cooking Made Us Human, 2010; and two books by the trans biologist Joan Roughgarden: Evolution’s Rainbow: Diversity, Gender and Sexuality in Nature and People, 2004, and The Genial Gene: Deconstructing Darwinian Selfishness, 2009.

[4] Our favourites among the ethnographies of our near contemporary hunter-gatherers are Marjorie Shostack, Nisa: The Life and Words of a !Kung Woman, 1981; Jean Briggs, Inuit Morality Play: The Emotional Education of a Three-Year-Old, 1998; Phyllis Kaberry, Aboriginal Women: Sacred and Profane, 1938, Karen Endicott and Kirk Endicott: The Headman was a Woman: The Gender Egalitarian Batek of Malaysia, 2008; Richard Lee, The !Kung San: Men, Women and Work in a Foraging Society, 1978; and Colin Turnbull, Wayward Servants: The Two Worlds of the African Pygmies, 1978.

[5] Kent Flannery and Joyce Marcus, The Creation of Inequality: How Our Prehistorical Ancestors Set the Stage for Monarchy, Slavery and Empire, 2012; and James C. Scott, The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland South-East Asia, 2009; Scott, Against the Grain: A Deep History of the Earliest States, 2017. Martin Jones, Feast: Why Humans Share Food, 2007, is also very useful.

[6] Edmund Leach had made a similar argument in 1954 in Political Systems of Highland Burma, and radically changed anthropology. For a brilliant ethnography of one group of anti-class hill rebels at the end of the twentieth century, see Shanshan Du, Chopsticks Only Work in Pairs: Gender Unity and Gender Equality Among the Lahu of Southeastern China, 2003. For Scott’s recent extension of his argument to ancient Mesopotamia, see Against the Grain.

[7] This is all succinctly described in Brian Hayden, ‘Transegalitarian Societies on the American Northwest Plateau: Social Dynamics and Cultural/Technological Changes,’ in Orlando Cerasuolo, ed., The Archaeology of Inequality, 2021.

[8] Start with Philip Drucker and Robert Heizer, 1967, To Make My Name Good: A Reexamination of the Southern Kwakiutl Potlatch; and Eric Wolf, Envisioning Power: Ideologies of Dominance and Crisis, 1999, 69-132.

[9] Jeanne Arnold, ‘Credit where Credit is Due: The History of the Chumash Oceangoing Plank Canoe’, 2007; and Lynn Gamble, The Chumash World at European Contact: Power, Trade and Fighting among Complex Hunter-Gatherers, 2011.

[10] On the Calusa, see The Dawn, 150-2; Fernando Santos-Cranero, 2010, Vital Enemies: Slavery, Predation and the Amerindian Political Economy of Life, 2010; and John Hann, Missions to the Calusa, 1991.

[11] Rita Wright, The Ancient Indus: Urbanism, Economy and Society, 2010; and Andrew Robinson, The Indus: Lost Civilizations, 2015.

[12] Robbie Ethridge and Sheri M. Shuck-Hall, Mapping the Mississippian Shatter Zone, 2009; and George Edward Milne, Natchez Country: Indians, Colonists and the Landscape of Race in French Louisiana, 2015.

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