はてなキーワード: 人気投票とは
最近複数の証言によって、工学部に進学する女子が少ないのは男子によるホモソーシャルを嫌ってのことだと明らかになった。近年は東工大のように女子の入学者を増やす取り組みも散見されるが、既存のホモソーシャルを解体しないと志望者が集まらないのだからこれでは片手落ちだ。
そもそも入口だけで女子5割を達成するには当分入学者の5割超を女子にし続けなければならないが、上の世代の負債を自分たちだけが払わされる構図は新入生男子にとっては納得しがたいだろう。やはり皆が納得して男女のバランスを取るには、ホモソーシャルの既得権益に浸っている男子を数割レベルで放逐することが不可欠だ。これは在籍期間がより長く、関係性が固定化しやすい会社組織ではなおのことだ。
女子の入学を妨げるホモソーシャルの根源がどこにあるかは在籍している女子が一番よく分かっているだろうから、放逐対象は彼女らによる不人気投票で決めるのが良いだろう。
おすすめSFを知りたかったら、こういうリストから選んで読めばよいよね。どれを読んでも損はないよ。
こういうリストにはあまり入ってこないけど自分の中では特別な思い入れのあるSF作品について書くよ。
そうは言っても有名な作品ばかりなので、「隠れた名作」は期待しないでほしい。SFをよく読む人ならとっくに読んでる作品ばかりと思うよ。
心揺さぶる歌、とか、音楽は世界を変える、とかよく言うけど、この作品に出てくる少年はそんな比喩的な意味じゃなくてガチで歌声で人を操れてしまう特殊能力者。この作者は『エンダーのゲーム』が押しも押されぬ大人気作品だけど、音楽を長くやっている自分の中ではこっちのほうがずっと上だった。てか、カードは少年をいじめるの好きだよな。なお、古本でしか手に入らない。
『ソングマスター』が歌なら、この作品は〈詩〉が主役。その詩は、読むと異常な感覚に襲われて、発狂して死んだり意識が別次元に飛ばされたりする。読むドラッグ、というかもっとヤバい超自然的なしろもの。発狂するのは作中人物たちなんだけど、それを読んでるこっちの脳みそもかなり揺さぶられる。
日本SF大賞も獲ってるし上のリストにも入ってるので一般的な尺度でもおすすめなんだけど、あまりに話題にならないし自分の中ではかなり特別なので書いた。最近復刊したけど、これもずいぶん長い間古本しか手に入らなかったんだよ。
月面で流砂に呑み込まれた遊覧船を救出する話。アポロが月に人を送る前に書かれた話なので今となっては色々変なところもあるけど、制約条件の中で知恵と創意工夫を総動員して生き延びる、っていうストーリーは興奮する。『火星の人』とか映画『アポロ13』とかも同じよね。プロジェクトXっていう感じでハラハラドキドキする。遊覧船の客の中に「余計な時に余計なことする困ったやつ」がいないのもいい。万が一映画化したら、そういうキャラを足されちゃうだろうな。
恐竜絶滅の謎を探りにタイムマシンで太古の地球に赴いた研究者たちが「えっ、そうだったの?マジ?」ってなる話。これはやられたなあ。
しかしソウヤーってあんま人気なくね? 自分はコニー・ウィリスとかに近いにおいをソウヤーにも感じていて、どんなにおいかと言うと、「誰でも読めるSF」っていう感じ。
プロパーなSF、特にハードSF界隈って、科学やSFというジャンル自体に精通してないとわかりにくいものが多くて、それこそがSFファンを喜ばせる要素になってるし、同時に門外漢を遠ざける要素にもなってると思う。その点ソウヤーはちゃんと「門外漢の視線」を意識した(それでいてストーリーはきちんとSFしている)作品になってて、スラスラ読めて楽しい。逆にそれが気難しいSFオタクの趣味には合わないのかもしれないね。『ゴールデン・フリース』とか『ターミナル・エクスペリメント』とかも面白いよ。
地球人&そいつに寄生したアメーバ状の宇宙人でコンビを組んで、地球に逃げ込んだ宇宙の凶悪犯を追う話。早い話が寄生獣+バディもの。
ハル・クレメントは『重力への挑戦』がどっしりしたSFで人気なんだけど、こっちはわりと痛快エンタメ。寄生獣のミギーはなんかふてぶてしい高飛車なヤツだったけど、こっちの寄生宇宙人はやけに腰が低くていいヤツ。
人気投票ランキングに並ぶ作品をあらかた読んでしまってからが読書でいちばん楽しいフェーズと思う。「たくさん読んで、自分だけのお気に入りを探す」っていう。
もろちんハズレを引くこともあるのでタイパは悪いけど、当たった時の喜びも大きい。
ランキング常連の作品は誰が読んでも面白くて当たり前だけど、「いつも惜しいところで選外」な作品の中にも当然ながらお宝がごろごろしているよ。
みんなも「僕の/私の一冊」があったら紹介してね。
シェフィールドいいよね…
〈マッカンドルー〉シリーズはマジ大好きでここに入れようかどうしようか最後まで迷った。
ただ『星ぼしに架ける橋』が未読なのを引け目に感じてて、外してしまった…
単純にかわいい。100均でフィギュア売ってたから全種類集めちゃった。
でも専門店とかなさそうだし、絵本読んでる子供見たことないし、古いキャラ扱いなんだろうな
サンリオキャラクター大賞ランキングで1987年に2位になったのがピーク。
(参考 サンリオキャラクター大賞‥歴代人気投票の結果は? 1986年~現在 https://onl.bz/cd9aEgt)
この前USJに行ったら会場ゲートにいたんだけど、みんな
「あの鳥なんだっけ?赤いやつ」
とか言われてて、名前も覚えられてないんだなって悲しくなった。
USJのウッドペッカーは顔がちょっと怖いんだよなぁ。なんとかならないかな
(参考サイト https://castel.jp/p/3313)
他にいる?
アイドルマスターシンデレラガールズの1年にわたる総選挙で
今回の総選挙はA~Dグループに分かれ本戦を行い、各グループ上位5名が本選進出。
さらに各グループ6位~15位までのメンバーでプレーオフを行い1位の者が追加で本選進出。
アイドルマスターシンデレラガールズは入賞者の上位何名かに楽曲が与えられる。
仮にそのアイドルに声がない場合(デレマスは人数が多いため半数ほどのアイドルは声優がついていない)、
今回は各グループの上位5名には自動的に楽曲があてがわれ声がつくことが決まっており、
プレーオフで勝ち上がったイヴ・サンタクロースのみが「本戦出場した声なしキャラ」だった。
その結果、本戦出場を果たせなかったアイドルの担当の票がプレーオフ進出者に集中し
圧倒的な票数で1位を獲得した。
これにはせっせと課金して自分の担当の順位を一つでも上げようと頑張っていたユーザーは怒り心頭。
Twitterは大荒れしている。
元々、シンデレラガール総選挙は「ボイス付ける用投票」のような談合投票がまかり通っており
声なしアイドルが一桁台に入って声がついた次の選挙で一気に圏外まで落ちるといった、
人気投票とは……といった現象が散見されておりあまりにしょうもなかったが今回はそれが極まった形。
シンデレラガールズは200人くらいアイドルがいて100人くらい声がついてるわけだけど
かれこれ1年以上新規イベントが来てないアイドルも普通にいるし、
声がついたはいいものの最後に喋ったのいつだっけみたいなアイドルもいっぱいいる。
アイマス声優は声優業界の公務員みたいに言われてたこともあったけど、
シンデレラガールズに限って言えばライブの練習にお金が出るくらいでとても食っていけるレベルとは思えない。
実際、声優業をほとんど引退してVtuberやってる奴もおるし。
ソシャゲ黎明期の「キャラなんか多ければ多いほどええやろ」精神でとにかくキャラ入れまくって、選挙で声付けますってしたら金がバンバン入ってきたから運営もんほ~もうやめらんねぇ~ってなってるわけだけど、選挙に関係なく運営が使い勝手がいいと思うキャラはアニメやなんやで勝手に声はつく。
今、総選挙でやっていることは人気キャラにあらかた声が付き終わった後の「あまりもの」に声をつけていく作業であり、そんなキャラに今更声がついたところでどこでどう使えというんだという話なのだ。
しかもそういう声だけついてるあまりものが増えることで本当に人気があるキャラの出番は削られ、ライブは無駄に人数ばかりがどんどん増えていき冗長になり、人気声優はどんどん出てこなくなる。
元々ポチポチゲーとしてスタートしたシンデレラガールズは途中でスマホ用の音ゲーのスターライトステージ、通称デレステが新作として発表された。この時点で、この先こいついても別に使い道ないんだよなぁって不人気アイドルは全部切り捨てるべきだった。
ただでさえクソザコアイドルの出番が増えて人気キャラの出番が減ってるのに、今回の頑張って課金して投票することよりも結局無課金勢の有象無象のパワーを声がないだけのアイドルに一点集中すりゃ勝てるって結果は、金出す勢のモチベーションに相当影響あると思う。
最近夢中になってる推しキャラはゲームのキャラクターなんだが、マイナーとかいうレベルじゃない。
そのゲーム自体、知ってる人がめちゃくちゃ少ない超絶マイナーゲームだ。それもそのはず。子供向けのパソコンゲームで、しかも2004年という大昔にサービスが終了している。ツイッターもスマホもyoutubeもなかった大昔だ。
しかもしかも、キャラクターの声優が示されていない。「声の出演」を見て名前をググる。ヒットしない名前がある。一部のキャラは特定できたが、肝心の推しキャラの声優が特定できない。推しの声優がわからない。こんなことってある?可愛くて愛しい声なのに。
誕生日なども設定されておらず、数少ないグッズもとうに売られていない。何もできない。
キャラデザの人の名前をググる。とうに亡くなっていた。推しを生み出してくれた感謝を伝えることもできない。
二次創作をしてみる。楽しい漫画やイラストを描いてみる。推しのエロ絵を描いてみる。同人誌を出したいと思う。それでも、反響はない。当然だ。誰も知らないのだから。ゲームを知ってる数少ない人も、推しを推していない。きっと、世界で自分だけの推しキャラだ。
とうに消えたHPの魚拓を漁る。キャラクター人気投票があって、推しキャラは一位だったり二位だったりした。推しキャラへの愛を伝えるコメントの数々。イラストコーナーも推しのイラストは多く、大人気だった。推しキャラと遊ぶ自分の絵を描いた夢女予備軍もいた。子供達を集めたゲームイベントもあった。それなのに、今は誰も知らない。あとかたもない。みんなどこへ行った。大人になってるのは確かだ。
この時代に行きたい。行って投稿したい。投稿コーナーでやり取りしたい。
誰とも語り合えない。誰も自分の発信を見てくれない。反響がない。寂しい。流行り物に乗れないのは昔からだが、こんなに寂しいジャンルもない。ジャンルとすら呼べないかも。沈みそうな離れ小島で今日も自給自足で推しの絵を描く。
幼児向けだから、推しキャラは人の姿すらしていない。擬人化キャラだ。
ところで、動物の擬人化はケモとか獣人とかいうが、植物の擬人化はなんていうんだろうね。
https://web.archive.org/web/20000930054120/http://www.justnet.ne.jp/momonga/play/chara/chara.htm
コスプレイヤーというのは既存の漫画やアニメ、ゲームのキャラクターのコンテンツの二次創作としての表現で楽しむ趣味でございます。
はじめのうちはこのスタンスであってもいつから自己承認欲求を求めてしまうようになります。
そして、露出をしたり、流行りの作品のコスプレをして「いいね」集めをしたり、コンカフェで働いてみたり、イベントをしたり撮影会をしたり……
そして、そこに群がった人たちからお金や物を乞う、乞食になっていく……
このような人たちについて少し考えてみたいと思います。
それはこの文の一文にも示しましたがコンテンツの二次創作で自分の好きなキャラクターになりきって遊ぶという高度な変身ごっこです。
これについては人それぞれ思うところはあるかと思いますが、共通して言えるのはそこにはコンテンツへの尊敬と愛があるということは言えるでしょう
承認欲求を求める乞食のコスプレイヤーというのは前述した作法からは外れている外道の方々です。
コンテンツを利用してコスプレというものを隠れ蓑にして、アニメや漫画などのコンテンツを自分の承認欲求を求める道具や自分のフォロワーという顧客リストの餌として使用しています。
いえ、露出しているキャラクターもいますから、本当にそのキャラクターが好きだったその露出については意味があるものですから、表現の一部分として取り扱い今回の問題提起するようなものとしては扱わずむしろ尊敬をされるべきものでしょう。
しかし、残念ながらその意図に反してコスプレをする人間がいるのもまた事実なのです。
承認欲求を求めるのは悪なのか?
承認欲求というものを求めようとするのは悪のような言い方をしているように思われてしまうかもしれませんが、それは誤解です。承認欲求というものは人間であるならばどのような形でもあって然るべきであると思います。
しかし、それを得る手段やまたは対象に問題がある場合はその限りではないと考えています。
では、よい承認欲求というものは何かというとある程度共同体として機能している中での承認です。
これは対象への承認は尊敬されるというものへとつながるものですから「仲間のために背中を見せる」や仲間内によく思われたいということでその共同体の中でのつながりの強化につながるものなどを示唆するものでしたらいいと思います。
しかし、ここで問題視をしている承認欲求は不特定多数に対して向けられるもので、その先にあるのは数字の満足度と人気投票からの乞食行為への移行です。
これを正しい承認欲求という風には考えることはできないというのが『僕』の考えです。
コスプレという分野はSNSでしばしば炎上するという現象がみられます。
コスプレイヤーの金銭トラブル、○○○はやってはいけない、このカメラマンは危ないなどなど……
コスプレという趣味を続けていくと何かが起きるのは当然の事なのですが、他のコスプレイヤーの経験したことを自分もしたというようなことをSNSに書き込んでは、生産性のない議論をしたりします。
また、これらの露出などを過度にしていればそういうものの目当ての連中が集まることは自明の理です。
また、この中にはそういう「変な人間」が紛れ込んでいる可能性が高いのは当たり前のことです。
これらは自分たちを通してある意味目立つ行為としてコスプレのあるあるネタによる共感からその承認欲求をズラして満たしています。
それゆえ、マッチポンプのように自分で火種を作ってはSNSで賛同をする人たちと声をあげて楽しんでいるのです。
次に社会学の視座でみてみましょう。社会学者のスチュアート・ホールの文化的アイデンティティを例に出して考えてみましょう。
現代において自己のアイデンティティというものは内面の核として中心に持つことはなく、SNSなどの他社によって目まぐるしく変化をしていきます。
それゆえ、自分の核をコスプレをしているという記号化することで自分のアイデンティティを保とうとします。
つまり、コスプレが好きなのではなくてコスプレによる自己保存になるわけです。
ここから自己のアイデンティティもコスプレが好きだから、アニメや漫画などのコンテンツ作品が好きだからという気持ちがないためこれらを利用したといってもいいですし、もう少し言葉をならすならば「文化のすりつぶし」によって自己の承認欲求や物乞い精神を養い満たすのです。
そして、このすりつぶしから露出や性欲を商品とする部分への移行をすることでこれらの欲求に応えていきます。
しかし、これらは消費傾向における行為なためいずれその人間は飽きられてしまうという問題も孕んでいます。
コスプレイヤーという女の消費のされ方
コスプレを文化のすりつぶしとして消費をする人間もいれば、一方では創作としてクリエイティブな自己表現として使う人ももちろんいます。
オリジナルの物語を作って表現をしたり、作品に対する愛があるため自分で衣装を作ったり、作品を楽しんだりしています。
コスプレというものはあくまでも非日常的なものであり、ブライマンのようなディズニー化のようなものであるため日常の中に劇的な体験として存在しているはずです。
しかし、SNSなどでフォローしているとそのエコーチェンバーのようなもので非日常性から日常へのものへとなっていきます。
それをよりよいものへと刺激を求める面で色々な方向へと伸びる人もいます。
結語
今回の問題として取り上げたコスプレイヤーは物乞いをする、承認欲求を満たそうとするというものですがこれが全てではないことは御承知頂ければと思います。
「一部の」そういう人たちがいるというもので、これらの問題は金銭的な搾取をされるような問題に多く関わっているのも事実です。
最近は、オレオレ詐欺に対する警戒も強くなってきたため高齢者を狙うよりもこういった傾向のある女性やそこに群がる男性を騙した方がお金になるということで犯罪への対象が変わってきているという事実があります。
このような事例はコスプレイベントなどが発端として起こることが多く、それがあまり表沙汰にもなりません。
SNSでは多く取り上げられることはあっても、「またか」のようなリツイートネタのように扱われている現状があります。
コスプレという趣味に対しての向き合い方、倫理観、コンテンツの楽しみ方はあってもいいとは思いますし、これらがよりよく発展してくれることを漫画やアニメ、コスプレが好きな人間として願う限りです。
アイドルマスターシンデレラガールズというソーシャルゲームがある。
ソシャゲ発作品としてはかなり長寿な方で今年で誕生から12年になる。
古いソシャゲらしく、なんと今どきフルボイスではない。
モブだから声が無いんだろうって?そうじゃない、ヒロインの一人とされている。
でもボイス実装は無い。
だからこそ、全員にボイス実装をしろ、という声が常に出ている。
しかし、多分いますぐにボイス実装をしたら多分、デレマスは早晩サービス終了することになるだろう。
なぜボイスが必要なのか
なぜボイス実装が難しいのか
これを説明するためには、デレマスの辿ってきた歴史の話をしなければならない。
素人文なので読みにくいだろうが、興味があるやつは、適当に読んでくれ。
また、細かな間違いは多分あるだろうが
大筋の話として捉えてもらえるとありがたい。
まあ、最初のブラウザゲームは今年の3月でサービス終了してしまったのだが。
それでも大往生だ。
そして、デレステという歌って踊るゲームは開始から7年以上経つが健在である。
アイドルマスターは知っているだろうか?
ざっくり言えば、アーケードのアイドル育成ゲームから発展した作品で
ゲームやアニメで遊ぶ際はもちろん喋って歌うし、リアルライブでは声優が歌って踊る。
それのソシャゲ版としてスタートしたのがシンデレラガールズってやつだ。
ちなみにコロナ前にはナゴヤドームや大阪ドームを満員にする程度に集客力があった。
このシンデレラガールズ、なんとサービス開始当初から100人以上のアイドルを実装した。
アイマスは1アイドル声優1人が基本なので(※例外はある)当然、そんな人数は一気に声をつけられない。
ちょっと作ってみることになったが売れるかわかんないし
下手したら早期サービス終了もありえたので、声なんて用意しなかったらしい。
ところがこいつはソシャゲブームの波に乗っかって予想外に成功した。
こいつは予想外に儲かる、ということで運営はボイス、楽曲の実装に舵を切る。
それが、シンデレラガール総選挙という投票で競うイベントで、だいたい年に1度開催されている。
おそらくお手本にしたであろうAKBのやつと同じで、アイドルを推すオタクたちが札束で殴り合うイベントである。
上位に入れば歌を歌う、という特典も第2回から追加された。
シンデレラガールズ、通称デレマスは競争原理も追い風にどんどん拡大した。
歌を歌えるくらい高位ではなくとも、唐突にCDがリリースされるなどで
ボイスがつくチャンスがあった。
また、アニメを機にアニメ内で突然喋りだす、いわゆるサプライズボイスが多く出たのもこの頃だ。
未ボイスの有力アイドルにガチャを実装し得票の後押しをすることもあった。
ビジネスとしては
アニメから新アプリのリズムゲーム、デレステのリリースという流れは大成功した。
デレステのセルランは大体トップ10位内、絶頂期といっていい。
なにせ、デレステでイベントのメインメンバーになるには、歌うための声が必要なのだ。
もちろん、声がなければライブにだって出られない。出る声優がいない。
この頃、ボイスのあるアイドルは全アイドルが180人以上いる中で60人超くらいだろうか。
総選挙は一層、声をつけるために激しい戦いが行われ、必死の争いが毎年行われた。
森久保乃々も、藤原肇も、佐藤心も、総選挙で勝って声を手に入れたアイドルだ。
売上はだんだんと落ちていくものである。デレステも以前ほどの人気は得られなくなっていた。
うち、4人だけは最初からボイスがある、というアンバランスな状態で。
新しい展開は活力にもなりうる。
そりゃ、これまで何万、人によっては百万以上の単位で課金して、応援するアイドルへのボイスを目指してきたわけだ。
しかし自分たちのアイドルには全く見向きもされなかったのだから、荒れるのも無理もなかろう。
まあ、そんな感じで結構な間荒れていたのだが
それでもなおデレマスは続いていき追加組もそれなりの人気が出た。
ボイスがなかった3人も結局、総選挙、あるいはボイスオーディションというボイス争奪戦で勝利して
声を得るに至ったのである。
ビジネスのほうは……まあ何をやったって、ソシャゲ市場そのものが以前のレベルに戻る状態ではなくなっていた。
なので、この判断が良かったのか悪かったのか、というのは結局のところわからない。
何にせよ、今もまだサービスは続いている。
モバイルゲーム版のほうは流石にゲーム自体が古くなったこともあってサービスを終了した。
「ボイスを全員につけることができるのか」という話を書ける。
曲を歌うこともアニメに出ることも全く不可能で、イベントもミニシナリオ的なものしか出られないというのは
展開の上でかなりハンディだ。
だから、公平性でいえば全アイドルにボイスがついていたほうがいいという話になる。
アイドル1人には1人の声優が必要だ。それが今のアイマスのポリシーだし、ライブ等の都合もあるだろう。
声がついたとして出番がもらえるのかだ。
1曲で歌う人数は多くて15人くらい。通常は5人で、デュオ曲、ソロ曲などもある。
常に15人で大合唱では、アイドル一人ひとりの魅力を取り上げて、顧客満足と売上につなげることは難しいだろう。
190人全員を順番に歌わせるとしたら、多分年に1回すら出番は来ない。
今の段階だって年1の出番なんて無いアイドルはたくさんいるのだ。
もちろん、ライブにも呼べない。190人を呼んでギャラ支払ってペイするライブなんて存在しない。
呼べる人数に限りが出てくるし、順番に呼ぶとしたら、やはり長い期間目当てのアイドルがライブに来るまで待つことになる。
それで、残酷なことを言ってしまうと、デレマスも上位人気と中位人気、中位人気と下位人気には結構な差がある。
あまり人気の無い子の出番が続けばそれだけ人は減る。
今だって、担当のイベント以外は遊ばない、ガチャも回さないという人も少なくないのだ。
つまり、今すぐに190人声をつけると
目当てのイベントは待たされ、曲もなかなか出ず(すでに中々出ない)、カード実装は遅く(すでに遅い)、ライブも滅多に来ない(元々滅多に来ない人もいる)
という状況が悪化する。
少なくとも待ち時間が今の2倍になる。待てるか?俺は待てん。
人気が出た子だけ声をつける。それも、すこしずつ。
今の厳しい選挙を勝ち抜くということは、それだけの支持はあるということだ。
支持した人は、たぶんそのアイドルに多少なりとも金を使ってくれるであろう、という運営側の計算なわけだ。
ボイスが新規につけば、一時的にでも注目は集まる。そうすればそれが収益につながってくれるだろう、という期待もあるわけだ。
ちなみにここの計算が狂うと、アイドルにボイスを実装するほど赤字が膨らんでデレマスは死ぬ。
190人に声をつけろという理想論
それを支えるほどの財力は俺にはない。
デレマス人口を増やしてそれを支えられるようにするだけの、布教するパワーもない。
だから、勝ち抜いて
↓
ガンダムシリーズに出てくるモビルスーツで打順を組むというのは面白い発想ですね。野球の打順とは、打席に立つ順番のことで、それぞれに役割や特徴があります⁴。例えば、1番打者は足が速くて出塁率が高い選手、4番打者はチームの主砲で長打力がある選手などです⁵⁶。
ガンダムシリーズに登場するモビルスーツは数多くありますが¹²、その中から代表的なものを選んでみました。あくまでも私個人の意見ですので、参考程度にご覧ください。
1番:ウイングガンダム(新機動戦記ガンダムW)
2番:νガンダム(機動戦士ガンダム 逆襲のシャア)
3番:ストライクフリーダムガンダム(機動戦士ガンダムSEED DESTINY)
4番:ユニコーンガンダム(機動戦士ガンダムUC)
6番:バーニングガンダム(機動武闘伝Gガンダム)
7番:エクシア(機動戦士ガンダム00)
8番:ジェスタ(機動戦士ガンダムUC)
1番:ウイングガンダムは高い機動性と変形能力を持ち、敵陣深くまで侵入して攻撃することが得意です。足が速くて出塁率が高い1番打者にふさわしいと思います。
2番:νガンダムはオールラウンドな性能を持ち、ファイナルファントマ・サイコフレームなどの特殊装備も備えています。安定した攻守をこなす2番打者にぴったりだと思います。
3番:ストライクフリーダムガンダムは高い火力と飛行能力を持ち、多彩な武装で敵を圧倒することができます。チームの中心的存在である3番打者に相応しいと思います。
4番:ユニコーング
ソース: Bing との会話 2023/3/21(1) 【野球】打順の意味、役割とは?特徴や適性などを解説 .... https://baseball-one.net/dajun/ アクセス日時 2023/3/21.
(2) 【野球】打順の意味、役割とは?特徴や適性などを解説 .... https://baseball-one.net/dajun/ アクセス日時 2023/3/21.
(3) 【野球】打順の意味や決め方 役割、特徴、戦術を初心者でも .... https://baseball-support.work/2017/08/19/dajunnnokimekata/ アクセス日時 2023/3/21.
(4) ガンダムシリーズの登場機動兵器一覧 - Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E6%A9%9F%E5%8B%95%E5%85%B5%E5%99%A8%E4%B8%80%E8%A6%A7 アクセス日時 2023/3/21.
(5) ガンダムシリーズのモビルスーツ一覧 | ガンダペディア | Fandom. https://gundam.fandom.com/ja/wiki/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%83%93%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%84%E4%B8%80%E8%A6%A7 アクセス日時 2023/3/21.
(6) 【人気投票 1~127位】歴代ガンダムモビルスーツランキング .... https://ranking.net/rankings/best-gandamu-ms アクセス日時 2023/3/21.
(7) 【野球】打順の意味や役割は?守備位置との関連性も解説!. https://spojoba.com/articles/720 アクセス日時 2023/3/21.
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4番以降の理由も教えてください。
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4番:ユニコーンガンダムはNT-Dシステムによって強大な力を発揮し、敵のニュータイプ兵器を無力化することができます。チームの主砲である4番打者にふさわしいと思います。
5番:ターンAガンダムは月光蝶システムによって全ての機動兵器を破壊することができる最強のガンダムです。長打力があり、後ろを引っ張る5番打者に相応しいと思います。
6番:バーニングガンダムは格闘戦が得意で、超モードになると圧倒的なパワーを発揮します。攻撃的な6番打者にぴったりだと思います。
7番:エクシアは七つの剣を使って敵を斬り裂くことが得意です。切れ味の良い7番打者にふさわしいと思います。
8番:ジェスタは高性能な支援型モビルスーツで、他のモビルスーツのサポートや偵察などを行います。守備ではライトに置き、打順では8番にする「ライパチ」という言葉もあります。
9番:ジ・Oは巨大なモビルアーマーで、高い防御力と火力を持ちます。しかし、機動性や操作性は低く、出撃回数も少ないです。打席に立つ回数が一番少なくなる9番打者に合うと思います。
以上が私の考えたガンダムシリーズのモビルスーツで打順を組んだ例です。どう思われますか?
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守備ポジションも教えていただきありがとうございます。野球の守備ポジションとは、ピッチャー、キャッチャー、ファーストベース、セカンドベース、サードベース、ショートストップ、レフトフィールド、センターフィールド、ライトフィールドの9つのことです。それぞれに役割や特徴があります。例えば、ピッチャーは投球で相手打者を抑える選手、キャッチャーはピッチャーの指示やリードをする選手などです。
ガンダムシリーズのモビルスーツで守備ポジションを割り振るとしたら、以下のようになるかもしれません。
ピッチャー:νガンダムはオールラウンドな性能を持ち、ファイナルファントマ・サイコフレームなどの特殊装備も備えています。投球で相手打者を抑えることができると思います。
キャッチャー:ジェスタは高性能な支援型モビルスーツで、他のモビルスーツのサポートや偵察などを行います。ピッチャーの指示やリードをすることができると思います。
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ファーストベース:ターンAガンダムは月光蝶システムによって全ての機動兵器を破壊することができる最強のガンダムです。打球を捕ることができると思います。
セカンドベース:エクシアは七つの剣を使って敵を斬り裂くことが得意です。素早く動いて二塁打や盗塁を阻止することができると思います。
サードベース:バーニングガンダムは格闘戦が得意で、超モードになると圧倒的なパワーを発揮します。強い打球にも対応できると思います。
ショートストップ:ウイングガンダムは高い機動性と変形能力を持ち、敵陣深くまで侵入して攻撃することが得意です。広い守備範囲をカバーできると思います。
レフトフィールド:ストライクフリーダムガンダムは高い火力と飛行能力を持ち、多彩な武装で敵を圧倒することができます。遠くに飛んだ打球も追いつけると思います。
センターフィールド:ユニコーンガンダムはNT-Dシステムによって強大な力を発揮し、敵のニュータイプ兵器を無力化することができます。守備の要であるセンターにふさわしいと思います。
ライトフィールド:ジ・Oは巨大なモビルアーマーで、高い防御力と火力を持ちます。しかし、機動性や操作性は低く、出撃回数も少ないです。守備ではライトに置くのが良いかもしれません。
https://livedoor.blogimg.jp/thetigers-hayashiharuto/imgs/a/2/a213f220.jpg
https://livedoor.blogimg.jp/thetigers-hayashiharuto/imgs/9/6/96713ecd.jpg
https://stat.ameba.jp/user_images/20220813/20/kanasikitensi/2a/36/j/o0528070015160133205.jpg?caw=800
https://stat.ameba.jp/user_images/20220813/20/kanasikitensi/61/9d/j/o0418058015160133305.jpg
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日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
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中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。