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はてなキーワード: シャーペンとは

2023-09-29

anond:20230929174820

シャーペン禁止みたいなしょうもないことでは学校責任ガーっていうのに

ほんとに責任を負わなきゃいけないいじめ問題とかは責任放棄するのも教師の特徴だよね

小学校シャーペン禁止」が吹き上がるたびに、いっぺん小学校きて先生やってみ?って思っちゃう

少なくとも小学生の子特に活発な男子)がいたら、なんで小学校シャーペン禁止したいのか理解できると思うんだけど。

コンセントに芯を突っ込むとかそういう話「だけ」じゃないのよ。

管理が面倒だしガキが調子づくのはムカつくから全部禁止にしたろ、とか

死ぬ程くだらないルールとか無意味理不尽規範、とか

無意味で不合理なルールに後付けで無理やり理由を考える、とか

なんか小学生を中・高生のイメージで考えてない?

かにうちの小学校も低学年のとき鉛筆キャップ」さえ禁止になったこともあって、なんで?ってなったけど、

実はキャップ持ってくのが流行ってて、でも落ちたやつをうっかり踏み潰したりとかで、トラブル続出になってたってわけよ。

キャップを盗った盗らないのトラブルもあったりで。たか鉛筆キャップされど鉛筆キャップなのよ。

鉛筆キャップでこれだからシャーペンもっとすごいことになりそうよね(まあ高学年になればトラブルも減るだろうから解禁してもいいだろうけど)。

そんなんが毎日、毎時間ちょっとずつ起こること想像してみて?ご存知のように先生暇じゃないのよ。同時に他のトラブルも起こるんだから

禁止にしたくなるわけがわかるよね。

学校事情を知ると、何かの禁止の背景には何かあるんだなって想像するようになる。

一見死ぬ程くだらないとか不合理とかに見えることも、聞いてみればちゃん事情があってしょうがいかなって思えることもあるんだよね。

想像力や好奇心?そう思ってた時期が私にもありましたが、そう思うならそういうのにいちいち付き合ってくれる学校に入れた方がいい。

私立でそういうとこちゃんとあるから公立小は30人からの生徒を安全管理するだけで手一杯だよ。

2023-09-26

anond:20230926095748

書いてあることや言われたことを理解できないし、理解できない部分を不細工妄想想像で補完して、ズレまくった認知相手攻撃的な発信するんじゃ、そら「不誠実なバカ」だからモテないよね。

って書いたんだよ、「攻撃的な発信してるやつはモテない」とは書いてないの。

 

君が言ってることって「シャーペンシャー芯消しゴム、3つまとめて購入で半額」って書いてあるのに、ボールペンサインペンノートレジに持っていって「3つまとめて購入で半額って書いてあるだろ!」って言ってるようなもんだよ、そんな知能じゃそら相手させられる女もしんどいよな。

2023-09-07

anond:20230907013538

なんか二重投稿になったから消したら跡が残ってやがる。めったに書かねえから増田よく分からん

本当にそれが校正者としての正しい姿勢だろうか。校正者は「間違いを正す」存在ではなく、「間違いの可能性がある部分を指摘する」だけの存在じゃなかろうか。

当該部分を直すかどうかは筆者が決める。デスクが決める。編集部が決める。その判断校正者は担わない、自分はそう考えながら校正仕事をしている。

疑問出しへの温度感現場ごとで違うんじゃねえかなあ。

もちろん「俺の赤は絶対正義!」なんて思っちゃいないけどよ。

俺は社員じゃなく孫請けの弱小フリーからさ(ブコメ大手正社員様だと勘違いされてるのは笑った)、そもそも信頼されてねえんだ。「明らかな誤脱以外は極力入れるな」ってな。

決定権を持ってるのは大前提として、著者や編集が言いたいのは「余計な仕事を作るな」って訳だよ。

別にそいつらが傲慢な訳じゃねえ。ちょいと特殊現場で、俺も校正者の指摘を採用するかどうかの判断を任せられたことがあるけど、ありゃあ結構精神的にクるぜ。

決断には脳のリソース必要って話だが、それをずーーっと一日中、どっちでもいい言い回しの変更やクソどうでもいい指摘を見せられては赤字で消してると、イライライライラしてくる。

うそう。「指摘を入れない美学」と「入れる美学」はベテランの間でも結構対立しててよ。酒の席で喧嘩になってんのを見たことがあるぜ。

俺か? 俺は……怒られなきゃどっちでもいいな。ただ、「自分はこんな細かいことに気づけたぜ」ってオナニーにはならないようにはしてえな。

この仕事はいだって、誰のためにやってるのか分かりゃしねえ。著者の側に立つのか、読者の側に立つのか、作品の側に立つのか……人が嫌いでこの仕事を始めたのに、どうしてこんな三つ巴の中間管理職みたいなことしなきゃなんねえんだ。

指摘される=自分自身を否定される、ではないはずなのに、それを担う校正者は何かと悪者にされがちだ。

そうかな。俺はアホだから意見否定人間性否定だと受け取りがちだぜ。

そうでなくたって、魂込めて書かれたものに「こうするともっと良くなりませんか?」って鉛筆入れるのは結構怖いことだし、そこは肝に銘じなきゃいけないと思う。

ただこれは、俺がその昔あるライターに「お前、その指摘本気で書いたのか?」って詰められたのをまだ引きずってるだけかもな。この文章は口が悪いが、よく吠える犬はビビってるだけなんだよ。情けない話だな。

ああそうだ、指摘はバンバンやってくれ、多けりゃ多いほど助かるって現場ももちろんあるけどな。どっちが良いって話じゃねえが、こっちの方が気はラクだ。

校正校閲は、今日知ったこと、ずっと前に少し聞いただけのこと、何の役にも立たないと思っていたこと、それらのすべてが無駄にならない仕事だと思う。

それは本当に俺もそう思う。生涯勉強だよな。テニスプレイヤーの話も良かったぜ、聞かせてくれてありがとな。

俺がこの仕事に就こうとした理由ひとつに、「一生勉強せざるを得ないから」ってのがある。別に勉強が嫌いって訳じゃねえんだが、俺は怠惰人間から、学ばなきゃ飯が食えない状況したかったんだ。

でも結局、今も休みの日はずっと布団から起き上がれねえ。脳が腐っていく音がする。そのうち飯も食えなくなるんだろうさ。

からないことでも「これって本当に正しいのかな?」と検索するだけでも違ってくる。

公式で「徒歩10分」の表記を見ても、GoogleMapできちんと確認する元増田絶対に良い校正者だ。

自分YouTubeで鳥の鳴き声を調べたり、何十年前のその日が本当に雨だったかどうかを気象庁HPで調べたりしてる。

冥福をお祈りする」との表記があれば、その故人が仏教信仰していたかどうか、できる限り確かめたり……

まあこういうのは、校閲の“楽しい部分”なんだろうけどさ。あとのほとんどは元増田の言うように“シャーペンの先っぽで一字一字ゲラ文字をぷちぷち押さえたりするだけの仕事”だったりするけど。

GoogleMapの件はたまたまだ。近くにある別の店の情報を調べてたら、前の店は調べ済みだけどどうにも食い違ってそうだぞ、って気づけただけだ。いちいち調べるほど、俺は殊勝な人間じゃない。

「こんな単価で真面目に調べしてるんじゃねえ」「時間かけていいなら良い仕事なんて誰でもできるんだ」、よく言われたよ。

増田のとこは、校正に金と人をかけられる、いいとこなんだろうな。

この仕事の質は、自分時間と気力や、会社の金とトレードオフだ。まあ、どんな仕事でもそうなのかもしれんが、あいにく俺は校正しか知らねえ。

雨の話で思い出したが、あったじゃねえか。「小説のウン年前のその日は月が出ていたか」って指摘がネットでバズったこと。

あれは周りでもちょっと話題になってよ。

業界入ったばかりの俺はキャッキャ喜びながら「この指摘すごいっすね!」って先輩に言ったんだよ。そしたら難しい顔されてな。先輩に言わせりゃよ、「こんなの、たまたまOKだったか美談になってるだけだ」ってさ。

もしその日が大雨だったとしたら? 新月だったら? そんな指摘を著者に入れてどうなるんだ。

「俺の世界じゃその日は月が出ているんだ」って突き返されるか、その美しい描写がまるまる消えるか。いったいこの指摘、誰が得するんだ?

増田さんアンタは、ニュースノンフィクション現場なのかい? だったら細かい指摘は大事だ、厳密であれば厳密であるほど良い。

俺は一応どっちもやるけど、文芸は何が地雷になるか分からん分からん程度の腕しかいから、俺にはあんまり依頼が来ねえ。憧れの作家うんぬんは、本当にたまたまだ。

冥福仏教信仰の話はまるで発想になかった。毎回調べることは俺にはできないが、覚えとけばいつか役に立ちそうな視点だ。ありがとう勉強になった。

とにかく、AIに取って代わられるその日が来るまで、このへんてこな仕事を楽しみたいよ。誰にも求められてないと感じる日があっても、意味のない仕事だと嘲笑されることがあっても、校正仕事がこの世界にずっとあるといいな。

そうだな。

別に俺もこの仕事が嫌いじゃねえ、というかこの仕事以外で食える気がしねえ。賎業とは書いたし実際本気でそう思ってるが、校正がなければ俺は野垂れ死んでる。

お互い、何とかやってこうぜ。

anond:20230905212435

「私はあなたあなた作品を信頼しています。だからこの表現には何も指摘を入れません」

そういう仕事をしてえよな。

本当にそれが校正者としての正しい姿勢だろうか。校正者は「間違いを正す」存在ではなく、「間違いの可能性がある部分を指摘する」だけの存在じゃなかろうか。

当該部分を直すかどうかは筆者が決める。デスクが決める。編集部が決める。その判断校正者は担わない、自分はそう考えながら校正仕事をしている。

元増田投稿をうんうんと頷きながら読んだ。でもどうしてもここだけが気になった。

この間『プロフェッショナル 仕事の流儀』の大西寿男さんの回で、「(校正は)報われない仕事だ」と嘆くのを観た。正直、そう思う。

良いフィードバックなんてまずもらえない。間違いがあったときだけ一斉送信での連絡が届く。

指摘される=自分自身を否定される、ではないはずなのに、それを担う校正者は何かと悪者にされがちだ。

筆者や編集者にそう認識されていると感じることは少ないけれど、校正者も「良いものをつくりたい」という同じ目標を心にもっている。

先輩校正者から校正段階の記事で、あるテニスプレイヤー写真が反転していたことがあった、という話を聞いたことがある。

もともとその選手左利きだという知識があって、写真を見て校正時に気がついたそうだ。

今ではスマートフォン写真は左右反転になることも多いし、そんなことどうだっていいじゃないかと感じる人もいると思う。

それでも写真の反転は基本的には禁忌とされることだ。自分はその話を聞いたとき、夢のある仕事だ!と本当に感動した。

校正校閲は、今日知ったこと、ずっと前に少し聞いただけのこと、何の役にも立たないと思っていたこと、それらのすべてが無駄にならない仕事だと思う。

からないことでも「これって本当に正しいのかな?」と検索するだけでも違ってくる。

公式で「徒歩10分」の表記を見ても、GoogleMapできちんと確認する元増田絶対に良い校正者だ。

自分YouTubeで鳥の鳴き声を調べたり、何十年前のその日が本当に雨だったかどうかを気象庁HPで調べたりしてる。

冥福をお祈りする」との表記があれば、その故人が仏教信仰していたかどうか、できる限り確かめたり……

まあこういうのは、校閲の“楽しい部分”なんだろうけどさ。あとのほとんどは元増田の言うように“シャーペンの先っぽで一字一字ゲラ文字をぷちぷち押さえたりするだけの仕事”だったりするけど。

とにかく、AIに取って代わられるその日が来るまで、このへんてこな仕事を楽しみたいよ。誰にも求められてないと感じる日があっても、意味のない仕事だと嘲笑されることがあっても、校正仕事がこの世界にずっとあるといいな。

2023-09-06

メタルペンシルの話

エンピツは最大50km持つ。シャー芯なら40本入りで8kmなんで、200円で16km持つ。そもそもメタルチップペンは大昔からある。ほぼ全面的存在価値が無い商品https://www.tombow.com/mamechishiki/p25/

https://b.hatena.ne.jp/entry/4741812397342531567/comment/upran]

リンク先は

鉛筆1本(HB)で書くことができる筆記距離は約50㎞です。

他の筆記具と比べて圧倒的な長距離で、また経済的です。ただし、筆記荷重を150gに定め、芯は尖らすことなく、一本(約172㎜)すべて筆記するという条件下での数値ですので、あまり現実的ではありませんが。

ということなので、

  • 芯を一度も折らず
  • また芯先がどれだけ太くなっても削らず
  • そして鉛筆がどんなにチビようと消滅するまで書ききる

という条件ですから、書いてある通り「あまり現実的ではありません」じゃあないかなぁ。

逆説的に言えば、

  • 芯が(鉛筆に比べると圧倒的に)折れる心配がない
  • 削る手間や削りカスの煩わしさがない
  • どれだけ書こうと「ペンとしての長さ」が変わらない

という点がメタルペンシルの利点だと思われるので、「存在価値無し」っていうのはちょっとちょっとねぇ。

どちらかというとこの手の製品が気になる人間は、15kmも書けるなんてコストパフォーマンスが高~い!

という事よりは、上に挙げたようなメリットの方を見ているのでは。

あとは、ファンシー文具としてのポテンシャルと言うか。

鉛筆の単価だと正直塗装の違いくらしか差別化要素ないけど、数百円の価格帯の商品であれば、

クリップつけたり、軸やラバーグリップに拘ったりと、ボールペンシャーペンと同じような付加価値が考えられるので。

いずれにしても、「書いた線が薄い」という点をクリアしない事には実用性に疑問符がついちゃうので、いつかクリアして欲しいなー

(濃く書ける=そのぶん強度が落ちるっていうことだから根本的に難しいんだろうなとは思いつつ)

2023-09-05

校正なんて賎業だろ

追記

「俺は今でも、あの41話をチェックした人のことを思っている」の末尾に句点なし。「一番最後」は口語表現OKなのかな。

ありがとう、助かる。

どっか落としてるだろうとは思ってたが、仕事終わりに自分文章なんかマトモに読めねえんだよな。

句点イレル。そういや同じ現場だった校正者もよくやらかしてたな。元気してるだろうか。

「一番最後」はママで。副詞用法だと「ぶっちぎり」みたいなニュアンスを感じるから、おっしゃる通り強調表現範囲内として個人的には違和感いかな。もちろん要指摘事項だが。

“?”の後ろに文章が続けばスペースあり、後ろが “」”の記号ならスペースなし、“これはいったい何年前の学説なんだ?って” と促音でもスペースなし、が校正ルールってことかなーと思いながら読んだ。

だいたいそう。最後場合はスペース入れる表記ルールも多いけど、俺は一文としてつながりがあるならアキなしの方が好き。

校正って、文章体裁を整えるだけじゃなくて、内容のチェックも求められるじゃん。

科学的に間違ってるとか、事実関係が間違ってないかとか。

そこまで求めるのかって思うわ。

この前もゲーム歴史みたいな本が、事実と違うって炎上して回収騒ぎになって、校正は何をしてるんだって出版社文句言われてたけど、こそまで調べられるなら著者に書かせないで出版社自分で書くだろっていつも思うわ。

文章体裁を整えるのは校正で、事実関係確認や内容に踏み込んだ指摘をするのが校閲であり、それぞれ別の仕事である……ってのは大昔の話。

写植がなくなり、ネットが普及した今じゃどっちもやるのが当たり前になった。

校正しろって言われても最低限の事実確認はするし、校閲しろって言われても行頭二分アキ折り返し天ツキー、だ。

現代じゃ校正校閲業務自体ラクになったんだろうが、そのぶん求められることが増えた。どっちの方がマシなんだろうな。

ゲーム歴史も、あんだけミスがありゃ業界素人校正者でも1個や2個ぐらいは事実との齟齬を見つけてたかもな。でも「校閲は何をしているのか」って増田にも書かれてるように、校閲者のひと声で進行がストップするなんてまずありえない。

「じゃあAIでいいじゃん」ってブコメがあったが、全くその通りだと思うぜ。




(本文)

なんか一瞬だけ校正話題になったらしいがな、あんなんロクな仕事じゃねえ。

俺はこの業界に入った直後の飲み会で「この仕事20年くらいで頭おかしくなって失踪ちゃう人多いから気をつけてね」って笑いながら言われたぞ。

俺はあと何年もつんだろうな。もう壊れてるかもな。

だいたい、どこのどいつがしょーもない誤字脱字を見つけられて感謝するんだ。

自分ミスをほじくり返されてイラつかない奴はいないだろ。

から嫌われるのが仕事なんだよ、校正は。

「いやいや、自分感謝している」ってか? 嘘つけ、とんちんかんな指摘が来たら逆上してSNSにアップするんだろどうせ。指摘がとんちんかんかどうかも出版社や著者によって変わってくるんだからな、まったくやってられねえ。

ある案件鉛筆を入れれば烈火のごとく怒られ、ある案件では鉛筆を入れなかったことにねちねち詰められた。

あの時の判断はどっちも間違ってなかったって、俺は今でも思ってるけどな。

一番クソなのは表記統一だな。あんなの気にする奴なんかいるか?

「つながる」だろーと「繋がる」だろーと、混在してようがどっちでもいいだろ。

一文中の漢字仮名バランスガーとかそんな高尚なもんじゃなく、単純に気にして読んでる奴なんて誰もいねえんだよ。

いるとしたら、そいつ校正者だ。話を聞く価値もねえ。

「繋」は俗字だから直せだと? うるせーな、てめえは校正者か?

今どき「繫」を使ってるメディアなんかねえだろ、たぶん。

まったくもって、誰のためにもならない仕事だ。

著者をキレさせて、読者にそっぽを向いて、出版の奴らしか気にしないようなエセルールを厳守して満足してるわけだ。

ダーシや3点リーダがひとつだろうとふたつだろうと、どうでもいいんだよ。

誤脱拾わせるのなんてWordにでも任せとけ。

とっととAIにとって代わればいいんだよ、こんな仕事

「非常に複雑な判断が求められるからAIには無理」とか言う奴も多いから聞かせてもらうけどよ、人間脳みそって本当にAIより出来がいいのか?

俺にはとてもそうとは思えねえ。あと5年か10年もすりゃ余裕で超えるだろ。

だいいち、人間サマの書いてる文章がそこまで上等じゃねえ。

AIのほうがよっぽどマトモな文章を書くぞ。

うさんくせえアフィ記事段落ひとつをまるまるコピペして、ちょろっと表現変えただけでファクトチェックは全部ぶん投げるクソライター

専門分野より先に日本語を学べってレベルで主述関係メチャクチャで、挙げ句の果てに自分とこの専門用語さえ間違えてるクソ学者

そんなものにセコセコ鉛筆入れてるこの仕事も、ロクなもんじゃないに決まってる。

AIファクトチェックができないって? なるほど、どうなんだろうな。

それならもしかしたら人間も、生き残れるかもな。

だが、専門家でもない俺らのファクトチェックなんざ、たかが知れてるだろ。

どうせパソコンたかたやって、ネットのマトモっぽいサイト見つけて「うーん……これはたぶん公式!」って適当認定して、そこから情報がきちんとコピペされてるかチラッと見る……やっぱもう5年か10年もありゃ、普通にAIでもできそうじゃねえか?

そもそも公式サイトだって平気で間違ってるしな。

「××駅から徒歩10分!」とか書いといて、GoogleMap見たら30分はかかりやがる。

俺ら御用達コトバンクだって、これはいったい何年前の学説なんだ?ってのがザラにあるじゃねえか。

ああ? もっと真面目に仕事をやれってか。

だが校正ってのはとにかく時間がねえ。出版ルートにおける一番最後、要するに下水道だ。

著者がなかなか書きやがらねえ。編集がなかなか回してこねえ。そのくせ締め切りは動かねえ。ならどうするか? 校正時間を削るんだよ。

まり一番どうでもいい工程なんだってことは、出版業界共通認識なんだろ?

とにかくこの仕事は、必要のないことをやって金を得ている。

ブルシット・ジョブよりタチが悪い。

役に立たないどころか、人をイラつかせてるんだからな。

若者台詞なのに「これはら抜き! い抜き!」とか鉛筆入れてる初校を見ると「バカかテメェは?」とか言いたくなるんだよ。

そんときばかしは著者に同情するな。「あの校正者をクビにしろ!」とかクレーム電話の1本や2本入れるかもしれねえ。

仕方ねえから初校フィードバックすると、すげえ不満そうな顔されんだよな。

正しい日本語ってなんだ? それは著者の表現したいものより大切なのか?

俺もさ、はじめはさ、希望を持ってこの仕事を選んだんだよ。

著者の頭の中にある世界を、誤字脱字なんか余計なノイズなしに、そのまま100%伝えるんだって

気づけば俺は、「十年と一〇年で表記がユレてます」なんてクソどうでもいいことばかり憧れの作家に抜かしてるわけだ。

でも仕方ねえじゃねえか。

木っ葉校正者地位なんてカスみたいなもんだから、身を守るには野暮な指摘を入れるしかねえんだよ。

「私はちゃんとここに気付いてますけど、あえてママにしているんですよね?」ってアピールをしとくんだ。

だって入れたくねえよ、こんな鉛筆。でもそうしなきゃ、いつ契約を切られるか分かりやしねえ。

正直な話、俺は小説より漫画が好きだからよ、いつもジャンプのことを考えてるんだ。

暗殺教室知ってるか。あれに有名な誤字があるんだ。

「転んだ」が「殺んだ」になってるってやつな。

俺は今でも、あの41話をチェックした人のことを思っている。

主人公の才能がついに開花したっていう超激熱エピソードでよ。

そんなクソ盛り上がるシーンなんだから松井先生もそりゃお得意の言葉遊びをするだろうさ。

俺がもし「(念)この『殺んだ』は『転んだ』の誤表記ではありませんね?」なんてお伺いを立ててる奴を見かけたら、もう絶叫しちまうよ。

当たり前だろ。マジで冷めるから鉛筆だろうと死んでも入れるなよ、そんな指摘。

ところがどうだ、実際はマジの誤植で、編集からお詫びまで出た。

いったいどうするのが正しかったんだろうな。

やっぱり指摘をしとけば、防げるミスだったんだろうよ。

でもな、答えを知っちまった今でも、俺はやっぱり「殺んだ」をスルーするのが一番だと思うんだ。

たとえ校正者として間違った態度だとしても。

「私はあなたあなた作品を信頼しています。だからこの表現には何も指摘を入れません」

そういう仕事をしてえよな。

ただまあ、もう一つだけ欲を言えば、俺が恐縮しながら入れた鉛筆が、作品世界ちょっとだけ広げることにつなげられたなら……。

いいや、それは下心がありすぎだ。何様だよ、お前は。

校正者が前に出ても、いいことなんか何一つねえ。

から俺は明日も結局、ホームページ代わりにインスタを使ってるオシャレ飯屋に悪態をついたり、聞いたこともねえ企業が前株なのか後株なのかを必死こいて調べたり、シャーペンの先っぽで一字一字ゲラ文字をぷちぷち押さえたりするだけなんだ。

誰にも求められてない仕事のためにな。

ああ、クソッタレ

2023-08-07

anond:20230806205420

他人にあげるんが一番。

 

あと社会人で書く機会が減っても、なんやかんやボールペンしかなかったら不便だったりするんだよな。

40前になって、久々にシャーペンを導入したら、消せるってことの便利さに感動しちゃったよ。

フリクション高くつくしな。

anond:20230806205420

大量のシャーペンの芯といえば

ダクトの奥とかのディテール作り用に大量に並べて型取りするパターンしか心当たりないな

anond:20230807123630

シャーペンの芯って黒鉛でしょ?

鉛を土に埋めたらヤバい事になりそう

anond:20230806205420

黒鉛の消費にまさにうってつけのアイデアがある。

DAISOで売ってるエポキシ接着剤と混ぜて粘土のようにする。

または瞬間接着剤を染み込ませて穴埋め材にするとかなりの強度が出るらしい。

衝撃の材料!超強力エポキシ接着剤(パテ)の激安自作実験をご紹介します!

(このシリーズコメント黒鉛フィラーとしてかなり強いという情報があった)

俺は、愛用のはさみが壊れてしまって、廃番品だが刃の部分はまだまだ使えるので柄と付け根を補修しようと考えていて、でもシャーペンの芯の在庫が無いし黒鉛をワザワザ買おうかと検討しているんだ。

2023-08-03

anond:20230729183610

まっすぐできれいなシャーペンの芯みたいにすぐぽきんとおれて入れ替わっていくよ

汚いものは少しだけすみっこ長生きしてるけどすぐキレイなやつに入れ替わっちゃう

2023-07-16

anond:20230715234518

弱者男性ワイの場合

小学生

席替えの時に女さんが露骨に嫌がり、俺の席を話すだけでなく机の距離などルールを設けられる

中学生

女さんが俺の教科書死ねなどの落書きをするのを目撃

幸いシャーペンだったので黙って消すことに成功

隣のクラス友達に会いに行く時に道を塞いでいた女にちょっと通るよと言うが、それだけで大声馬鹿にされる

高校生

キチガイゲージが溜まり退学

高認を取り一応高卒

社会人

仕事だけは出来たので順調に昇給や昇進をしていくも大卒の女部下が出来てからメンタル不調で退職

プライベートではジムに通ってるだけで不審者窃盗犯と受付の若い女に思われて警察通報される

2023-07-10

anond:20230710151147

うちの職場シャーペンは0本や。

手で製図引くとかのデザイン系の職場以外で

支給品としてシャーペン使ってる職場のほうが稀やと思うよ。

職場に一本もシャーペンが無かった

ボールペンしかないなーと前々から思っていたが、ちゃんと調べても0本だった。

ボールペン42本

ボールペン24

3色ボールペン13本

シャーペン0本

無くても困らないけど、シャーペン0本の職場って薄っすらとヤバい感じがある。

2023-07-03

巷で見られる、ながーい付け爪してる馬鹿女っているじゃん、何なんあれ?

あんなんが可愛いとでも思ってんのかな。

あれじゃ邪魔くさくてキーボードとか叩けないよね。

ボールペンとかシャーペンだって持てないんじゃない?

仕事全くやる気ありませんって人だよね?

スマホ入力してる時もさ、その付け爪がガラス面に当たってガツガツガツガツうるせーのよ。

隣に来られるとすげー腹立つんだよな、煩くてさ。

○ねば良いのに。

2023-06-13

今思えば母は子供自分を分離して考えられない人間だった

好きなもの買ってあげるよ、と言われたとしても選ぶべきは母の好きなものであって、決して私の好きなものではなかった

母の好みに合うものを選べなければ「好きなもの買ってあげるよ」は終わらない

「それじゃないでしょ」「ほかのにしたら?」「そんなのだめ」

そのうち自分の好きなものがわからなくなった

とりあえず母や友人の好きなものを好きになることにした

そんなある日、母は言った

「それはあんたの好きなものじゃないでしょ」

もうわからなくなった

私の好きだったネコTシャツ

母は男の子みたいだからといって着せてくれなかった

習いたかったピアノ

母は書道教室契約してきた

しかたかわいいシャーペン

母は自分の使い古したシャーペンをくれた

そうしてクリスマスにすら欲しいものがなくなった

母はディズニービデオを枕元に置いてくれた

優しい母

2023-05-28

最悪の糞女

電車乗るとき自分の列の一つ前に並んでた女が異様にゆっくり進むので椅子に座れなかった

女がテキパキ乗ってたら余裕で座れてた

今年見た中で最悪の糞女

まんこが付いてること以外何の使い道もない存在

シャーペン消しゴム

剥がすと跡の残るシール

食べ物じゃないデカお土産

2023-05-05

anond:20230505094958

1,2年くらいの基礎の基礎はまだいいと思うわ

あのやわらかい書き心地はシャーペンじゃ無理

あれで書き方の基礎覚えるのは全然ありだと思う

逆に中学年以降はシャーペンでいいと思う

2023-05-02

フォロワー2桁から始めるド底辺同人活動

当方男性、R18オリジナル活動中。

イラスト垢のTwitter歴はもう10年近くになる。

これで現在が万フォロワーの神絵師だったらアツい少年漫画なのだが、まっっったくそんなことはないことを先に断っておく。

ちなみに現在フォロワー数は500以上1000以下とだけ明記しよう。

これで読む気を失くした人は実に正しい。回れ右してもっと為になる記事を読んだ方がはるかに良い。

それでも読み進める酔狂紳士淑女たちはしばしお付き合いを願いたい。

(なお活動の内容はTwitterに絞り、pixivやskebについて言及しない。)

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これはノートシャーペンで描いた絵を写メでパシャってた頃から今に至るまでの、大して伸びてない俺の、しかし愛と劣等感承認欲求と生きがいにまみれた記録である

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かれこれ×年前、新卒で入った会社での馬車馬労働も落ち着いた頃。

「忙しくて絵描くヒマなんか無くなっちゃったよ〜☆」というまともな人のレールに乗りかけていた自分気づき、ゾッとなって作ったのが現在の主戦場イラストである

絵を描くのは物心いたこから大好きだ。中学ではお絵かき仲間と自作漫画()のノートを見せ合い、高校では漫研に入って己の井の中の蛙感を思い知らされ、美大にこそ進まなかったものの、大学でもなんやかや作ったり描いたりは続けていた。

それがなんだ、社会人になった途端に魔法が解けたようにぱったり辞めてしまうのか?ありえないだろう!気を確かに持て!!

ということでTwitterイラスト専用垢を作り、ノートに描いたオリジナル絵(この頃は全年齢)を写メで撮って画質調整すらせず手元の影が映り込んだような状態でアップする日々が始まった。

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なんか最初気合入れて初任給で買ったコピックを使ってカラー絵なんかも上げてたが、「1日1枚更新、かつツイート数=アップした絵の枚数だったらカッコよくね?」という中学生の妄想じみたイキリで運用していたため数日で挫折上記の通り「とりまなんか描いて上げる」感じになった。

当時は「ハッシュタグ馴れ合い」というクソダサ固定観念があったため、ただひたすら黙々と上げていればそのうち報われる的なシンデレラストーリーを思い描いていた。

そして絵を数十枚上げた頃、ようやく気付く。

「このままじゃTwitter孤独死する」

当然である。当時はフォロワー数2桁、20くらい…?(お絵描き垢ということだけでフォロバしてくれた心優しい人々)だったうえ、絵もヘタクソでアナログであるイイネRTもある訳がなく、ただ孤独感ばかりが募っていった。

そこでいくつかハッシュタグを使うようになる。ワンドロ(1 drawing=特定のお題に沿って1時間で絵を仕上げてUPする企画)という存在を知ったので、好きな作品のワンドロを見つけてはこれまたドヘタクソな版権絵で参加しだす。ワンドロ公式から必ず1つはイイネRTを貰えるので、それを心の糧にしていた。

というかこの時期、アナログ民でも参加できる懐の深いワンドロに出会えていたことがマジで幸運だった。

フォロー祭り的な拡散系のタグは使わなかった。何も起きなくて落ち込むのは俺なのでね!

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ともかくモチベーションが出来たことでまた同人誌作ろうかなーと思い始め、学生の頃2〜3回参加したことのあるコミティアに出ることに。この頃はまだストーリーもの4コマ?みたいなやつとか描いてた。

いっっっっや社畜やりながら本出すの無理ゲーじゃね?????

衣食住ぜんぶ自分で面倒見ながら可処分時間睡眠時間全ツッパして命からがら仕上げる、宝物のような24ページの本…!!!

そういう本が、1冊も売れないのがコミティアだよねー。

うーわしんどいな、これキッツイな……と痛感しながら座る長机(半分)で、それでも撤収する頃には「またここ座ろ☆」と思いなおす狂った思考回路と仲良ししながら活動を続けた。

社畜との両輪で参加したコミティアは2〜3回、頒布数は平均3冊くらいだったろうか。

一度だけドハマりした作品版権モノのオンリーイベントに参加したが、ここでの頒布数は1だった。

というかその直前のコミティア頒布数0をやらかしていたので、心機一転での二次創作だった。なのに開場から3時間経ってもガチマジで0冊。泣かないように奥歯を噛み締めながら、列のできる両隣のサークルの合間でモーゼ状態を耐え抜いた時のことは昨日のことのように思い出せるし、こん時に比べれば大抵のことは頑張れる俺である

でもね、閉会間際で1冊だけ売れたんだよ。

無配ペーパーを持ってってくれてたらしき人がたまたま再度通りかかり、「あ ここだ」と呟いて立ち読みし、悩んだ末に買ってくれた。

小さいオンリーイベントだったから起きた奇跡だ。

この1冊がなければ完全に心が折れて描くのを辞めてたかもしんない。

あのとき買って行ってくれた人、心より御礼申し上げますあなたがいなければド底辺絵師が一人消えてました。(キモい)

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こうして3年ほど経った頃……

「伸びねーーーー増えねーーー」

と思っていた。

当然である

絵の読み込みにスキャナーを使うようになった程度で、別に大して上手くならない画力(描けてれば幸せ♡だったのであん練習とかしない民)に流行りでもなんでもない変な絵である特定性癖があるわけでもなく、今をときめく版権絵でもない。

伸びるワケがない。

「描けてれば幸せ♡なら伸びなくてもいいのでは…」と思われる諸氏。

無理やぞ???

ここTwitterやぞ?????

たまーにいるけどね、そういう良い意味無敵の人。ああなれたらマジで強いしカッコいいと思う。

けどな、俺ザコキャラから!!!絵上手くないくせに承認欲求人一倍から!!!豆腐メンタル麻婆豆腐から!!!

とはいえなんか絵の練習はせねば、まずは気軽にできるやつ…と超絶便利サイトポーズマニアックスを選び、1日8ポーズ10分足らずの練習を2ヶ月ほど続けてみた(結果的にこれはやってよかった)。

けっこう思い通りの線引けてるんだけどな、やっぱ根本的にド下手なんだよな……というモヤモヤした感覚を抱きつつ活動を続ける日々を送っていた。

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そんな中、「これフルアナログなのが原因では……??」と思い始める(気づくのが遅すぎるネ☆)。

俺は「誰か父さんのメールアドレス知らない?」と聞いてくる父と「ケータイインターネットに繋いだら絶対

高額請求が来る」と信じて疑わない母からまれ生粋デジタル音痴であるアナログ民を脱することなど夢のまた夢だと思っていた。

ヨドバシカメラペンタブレットを触ってみても、「手元のペンと目の前の画面」の違和感がハンパなくて踏み切れなかった。

かといって液タブとかいう神のツール10フォロワー越えの神々が使うものだと考えていたので、実力的にも金銭的にも雲の上の存在だった。

かつて「描線デジタル化するボールペン」とかいう謎な商品に目が眩み、コツコツ溜めた3万(くらい…?)で買ったことがある。

もともと速記用のペンイラスト向けに改良したとかなんとかで「俺の求めていたものはコレだ!」と息巻いたが、レビュー全然見当たらん。なんか変だな…?と思いつつも意気揚々と購入したが、案の定まともに使えるようなものではなかった。当時の俺のPCは聞いたことねえメーカーのノパソだったため、なんかもうあらゆる意味ダメだったんだと思う。このへんの身の振り方がデジタル音痴たるゆえんである

これに懲りて俺は素直にデッサン教室に通いだした。

絵が上手くならない理由は「物を見る目があまりに歪んでいる」といまさら気づいた俺は、社畜の合間を縫ってデッサン教室の夜間クラスを探した。

死んだように寝て過ごす休日のうち気力で3時間を振り絞り、電車に乗って教室に通う。

ここで想定していたのは美大受験みたいな切磋琢磨の場だったのだが、俺が受講したのは社会人向けである

初心者の俺が「お上手ですね〜〜」と言われるぬる〜い空間だった。

当然である

周りは良き趣味のおばさまがた、ここは「継続的に金を落としてくださる生徒さん」の集まる場所だったのである

もどかしさを抱えつつ、それでも評価の中に混じる「ここはもうすこーしこうした方が…」という言葉金言のごとく握りしめ、反芻しながら目の前のモチーフを描いた。

が、爆睡家事で精一杯だった休日のうち、この習い事というミッションはかなりハードルが高かった。

そして疲弊の色が濃くなり、仕事の繁忙期と重なって半月ほど足が遠のいていたタイミングコロナ禍が始まった。

実は数年前にも断続的にクロッキー会に通っていた時期はあるんだが(この時は教室の遠さと値段の高さで数ヶ月で断念した)、コロナで「ぬる〜い場所」にすら集まれなくなったのは痛手だった。

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一方Twitterでの活動は、そんな七転八倒をしながらもワンドロだけはコツコツ参加し続け(版権のワンドロはどれも垢が消えたのでオリジナルだけになっていた)、「いつもなんかいる人」という枠でフォローしてくれる人たちに支えられていた。

ワンドロ以外での反応は閑古鳥だが、もはやそれが普通であると納得してすっかり馴染んでいた。

UPした絵が100枚を越えたのを機に、アナログ絵をまとめた本を作った。

そしてイベントで売るついでにおっかなびっくり書店委託申請をしてみたことがある。

規定通りに虎の子の1冊を現本として送ったが、お祈りどころか受け取りの連絡すら来なかった。

問い合わせる勇気もなく、実力の無さと壁の高さを改めて感じた。

5年以上の活動期間でフォロワー数もやっとこさ100に到達したものの、しかし現状はさほど変わらず。

がむしゃらにやってきていた俺は次第に病んでいった。

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少し距離をおこうと思って活動停止。

……が、余計に病んだ。

しかも「何も描かない人生なんて……俺……生きてて意味あんのか……?」と真剣に悩むレベルで、「別にTwitterに入り浸らなくても平気なんだな」と分かった一方で、「絵を描かない自分」にだけは耐えられなかった。かといって何か描いてしまえばまたムクムクと承認欲求が湧いてくるので、「俺から絵を取ったら何が残るのか」というif論の世界線にいるつもりで意識的に描くのをやめていた。

自分の手で何かを生み出さなくなった時間がヒマでヒマで仕方なく、かといって本を読むとか建設的な情報摂取もできなくて、大好きな漫画への興味もそれなりになっちゃって、虚な瞳で哲学ニュースとカラパイアを行き来する地獄の様な日々を送っていた。

(ちなみにこの期間、無意識に熱意を注ぐようになっていた料理スキルのおかげで自炊がだいぶラクになった)

ストレスが極まって真夜中にひたすら川沿いを歩き続けたりもした。

なんとなくチャリで長旅行きてえな(学生の頃はちょいちょいやってた)などと考えていたが、やはりその場合でも気づけば「旅先で撮った写真をいい感じに分類してアップするサイト作ってみたい」とかい思考がスッと出てきたのでもうダメだと思った。

なんか作ってないと死ぬヤツって天才とかだけだと思ってたんだけど、大して努力もできないような凡人の中にもいるんだな、そしてそれはなんだか残酷だなあと身をもって知った。

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進むも地獄、戻るも地獄精神状態半年近く続き、同じ地獄 -hell- なら踊らにゃソンソン…?と思い始めたある日、ネットで調べ物をしている最中とあるバズツイを目にする。

お絵描き民にとってiPadはマジ神」みたいなやつである

さいわい俺はオタ活もソシャゲもしないぼっち根暗オタク社畜なので、好きにできる貯金くらいはある。

知り合いも「液タブに手が出ないならあいぱっよ」的なこと言ってたなーと思い出し、思い切って導入することに。

お絵描きソフトはいくつか試した末にProcreateを選んだ。クリスタの多機能さ()についていけなかった俺は、UI直感的でツールアイコンを極限まで絞ったプロクリがスッと手に馴染んだ。

ペーパーライクフィルムなるものを貼り、紙のザラザラ感を脳内で補完しながらApple Pencilで線を引く日々が始まった。

フルアナログ底辺野郎が、板切れ一枚でフルデジタル貴族に転生したのである

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それが×年前のこと。

ここからオリジナル絵はもともと伸びにくいけど、ちょっとエッチだと訴求力が上がる」という観測結果をもとにR18に手を出す。

といっても乳首解禁程度で可愛いもんだが、方向性が定まったことで不安が少し減った。

フルデジタルで久しぶりにいつものワンドロに参加すると、反応が違う。イイネRTが3割増しといったところだろうか。(※ここでの3割増しとは3RT→4RTのような血で血を洗う話である)

デジタルバケツ塗りになったことで、アナログだった頃の癖の強さが軽減されたのかもしれない。

やっっっっっっと俎上に登れた、と思った。

いつでもどこででも描けるiPad社畜の俺にはピッタリで、しんどくて布団から出られない時でも通勤電車の中でも四六時中描けるようになった。

デジタル作画ワンタッチ消しゴムが使えるので描くこと自体ハードルが下がり(筆圧鬼強野郎なので消しゴムけが大変だった)、本を買って絵の勉強を始めた。まずは骨格と筋肉から!と、教本の図解をじっくり模写する方法自分なりに学ぼうとした。

だがデジタル音痴な上に加減も融通も効かない俺である。両手両足をやり切ったところで一度息切れしてしまった(でもこれはやってよかったと今でも思う)。

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数ヶ月後、それらの勢いでオリジナル同人誌を1冊出す。そしてサイコパスな神絵師の友人の甘言に乗って再び「書店委託」なるものに挑戦(ふつーフォロワー100人前後人間にそういう話するか?)。

実力的には最低レベルにも達していない自覚があったので、何度もお断りされるなかでいつかOKもらえたらなーという気持ち申請

が、思ったよりあっさり通った。

同じような画力の低さでも、版権作品ではなく「オリジナルエロ」という切り口だけで「まぁ…いっすよ」と言ってもらえたのかもしれない。

やるなら徹底的に!と思い、紙の本を3社に委託そもそも30部とかしか刷ってない本を5部とか10部でも受け付けてくれるプロ仕事ぶりに、尊敬畏敬の念しかない。

ついでに大手電子書籍にも登録

みんながわいわいしている端っこに自分の席を置いてもらえたことで、ずっと憧れていた「輪の中に入る」ことがちょびっとだけできた気がしてめちゃめちゃ嬉しかった。

そもそも底辺自分がなぜ身分不相応にも書店委託電子販売なんぞを活発にやりはじめたのかといえば、

「そこでの売上が決して0冊ではない」

という確固たる事実である

作品作家も、露出しなければこの世に存在しえない。フォロワー数2桁でのたうち回っていた俺のつらさは「この世に認知されない」ことだった。

コミュ力さえあれば自力で輪を広げることも可能だが、そんな能力あったら初めからこんな苦労してねーよという話である

ならば厚顔無恥だろうとおこがましかろうと、一方的に「俺ココにいるよ!こんな本描いたんだよ!」と嬉しそうに手を振る方が100倍マシじゃねーか。

そんで委託した本を買ってくれた誰かが、「このページのこのコマのこの乳だけはイイな」とさえ思ってくれれば俺は大往生である

しかも誰かがその本のために払ってくれた数百円は、汗水垂らして働いたお金だったり数少ないお小遣いだったりするわけだ。

それと俺のエロ本を交換してくれるってコトである

そんな嬉しいことある

紆余曲折を経て、そういう肝の座り方と考え方を得られたのは一番の収穫だった。

とはいえピコ手ピコ手なので、委託先の売上振込最低金額に達するまでに長ーい年月を要するRTAに強制参加となる。そりゃ売上¥300だろうと申請すれば振り込んでもらえるんだが、それじゃロマンねーじゃん?

とあるサイトの最低金額¥5000に届くまでにマジで2年半かかったし、達成した時は三ツ矢サイダーで祝杯あげたよ(下戸)。

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フルデジタルに移行したことで、イベントでの頒布数もギリギリ10冊を越えるようになる。

頒布数1も0も経験した身からすると、もはや恐いモノなんてないのだ。

1冊でも売れれば、それはすべて神の起こしてくれた奇跡なのである

普段活動ではオリジナルでとにかく節操なくいろいろなものを描き、月に1人とか2人とかじわじわフォロワーを増やしていった。

ごくまれに描いた絵がなんらかの界隈のハブになっているアカウントの目に留まりRTしてもらえることも出てきた。

その時のフォロワーの伸び率はびっくりするほどだったので、そのたびに「存在を知ってもらう」ことの生命線っぷりを痛感した。

まあとはいえタグなしの絵にはやっぱり無反応だけど、それが俺の平常運転である

「こいつ今日も描いてんなー」と読み流してくれる誰かがそこにいるってだけで嬉しかった。

UPした絵は、300枚を越えたあたりから数えるのをやめた。

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そして20××年末コミケである

コミティアしか知らない門外漢の俺はドキドキだったが、入場者数の制限もあって全体的にまったりムードだった。

開場して1020分、宝の地図を手に通路を行き交っていたうちの一人が立ち止まり、俺のスペースに近付いて

新刊1冊ください」

と言い放った。

新刊1冊ください…

しんかんいっさつください…?

シンカンイッサツクダサイ…!?

げんしけんで見たアレだ!!!(うろ覚え)

それって、なんらかのルートで俺のこと知って、新刊あるっぽいって分かって、サークル配置を事前にチェックして、宝の地図に印つけて、「あっココだ」って気付いて来てくれたってこと?!?!?

マ?!!?!?!???!!?!?

つーか開場20分とかそこらだよ??あなた一般参加じゃなくてサークル参加なんじゃねーの??

シャッターサークルとか企業ブースの先頭にだって並べるはずなんじゃねーの???

それを俺のところに???こんな弱小サークルが出したエロ本買いに来てくれたの?????

マ?!!?!?!???!!?!??(2回目)

文字数制限引っかかったぽいから続く

anond:20230502230901

2023-04-30

祖父が死んだ日

私は大学宗教学の授業を受けていた。

ある地方では魂は2つあったり7つあったりすると考えられているという先生にある種懐疑的な思いを抱きながら

日本人は、墓と仏壇両方用意するが魂の所在はどちらと言えるのか?と尋ねられて言葉に窮した。

考えている内に三日間意識不明入院していた祖父が亡くなった。

ゴールデンウィーク中に会いたいと電車の予約を済ませ荷物を纏めたままで彼は逝ってしまった。

かに涙を零しながら、課題を提出し、教室を抜け出した。

午後の授業の事は一切考えられなくなり、駅へ予約した電車切符二枚を払戻しに行った。

その内一枚を払い戻し終わると、不意に午後の授業に間に合う気がして来た。

手ぶらのままでシャーペンだけ購入して、授業に出席した。

私の大好きな内容の講義、忌引届の裏に必死メモを取ると全て忘れられる気がした。

講義が終わった後も家に帰りたくなくてそのまま居続けた。家族の顔を見て何を話せば良いのか分からなかった。

ここに居させて下さい、と願いながらノート消しゴムを買い足して、授業に集中しようとした。

真っ直ぐ教師を見つめると、度々目が合う。皆講義に飽き、俯いていたので目立ったのかも知れない。

何も口にしていないのに、鎮痛な面持ちの講師が言う。

「どんなに辛いことがあったとしても、振り返って見ると案外支えられていた事があったのだと感じる事が出来る筈だ」

と。授業の内容よりその一言が沁みた。

今は祖父のいた頃に帰れるものなら帰りたいと、ジブリの「あの夏へ」を弾けるよう力を入れている

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