はてなキーワード: 苦痛とは
幼少期から愛情を注がれて、不自由のない生活をさせられて、生まれてきて良かったと思い続けられるような子供はまだいい(それですらたまたま幸せになれたという結果論でしかないが)。
碌に育てる体制もないのに無責任に子供を作り出し、不幸に陥れる親のなんと罪深いことか。
今の日本ではあまりないが、労働力や介護要員として子供を産むなんてもはや論外だ。
ペットを無責任に飼育放棄するななどと話題になるが、犬や猫よりずっと頭が良い人間の場合、それどころではないくらい重大な問題なのではないか?
これは許されないことだ。
欧米なんかでは、
「親のエゴ」
とも言われることがあって、
なんでもかんでも欧米が正しいの?
欧米だって共同親権を変な男親にも認めたり、肉体の苦痛じゃないような病気や障害にまで安楽死をどんどん認めたり、人権面でどうかと思うことが多いよ。
世の中の人って、洗濯物干すのそんなに苦痛じゃなかったりするのかな。
やるタイミングをちゃんと覚えておく要素(洗濯が終わった後時間が経ち過ぎないうちに干す, ベランダ干しなら日が落ちて時間が経ち過ぎないうちに取り込む)とか、あと細かい作業の要素(ハンガーにかけていったり, 小物は洗濯ばさみに吊るしていったり)のどちらも苦手で、洗濯がすごい嫌いだった。
1歳の娘の海外での心臓移植を希望する家族らが、円安の影響で手術費用が過去にないほど高騰し、5億円あまりが必要だとして支援を訴えました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e42674b9969eada121fe41f3d980706c37bf732c
色々な意見が有るのは知ってるんだけどさ、
欧米なんかでは、
「親のエゴ」
とも言われることがあって、
先天性の病気等で新生児の頃から医療機器、器具を必要とする子供に、
俺もそう思う一人で、生まれた時からそのような欠陥が有るのなら諦めるべきだと思う。
「親としてただただこの子を助けたいだけです。」っていうけど、
初めに断っておくと、話題になっている東工大入試の女子枠については手放しに賛成できない部分もあります。
しかしそれは細かい制度設計に関する部分であり、「女子枠というものが存在すること自体男性差別であり、純粋に能力のみで合否を決めるべき」に類する意見には賛同しません。
一般論として言えば、何らかの形で女性枠というものは必要になると私は考えます。
人を説得したいなら自ら身を切ってこそだろうと思うので、私自身に直接関係のある話をしましょうか。
私は現在任期付きのPDという肩書きを頂いております。給料は手取りにすると20万に届きません。そこから奨学金を返済したり、家賃を払ったりしています。
正直キツいです。
それでもPDという枠を勝ち取ることが出来たのは十分に幸運であり、任期付きの限られた期間の中で新たな研究結果を出し、次の受け入れ先を探して走り回る必要があります。
学生の女性枠なんかよりも遥かに前から、そうした採用には女性枠があります。公募情報を見ていると、元々数少ない公募の中に、少なからず「女性限定」というものがあるのです。
正直に言えば、ギリギリの生活に伴う耐え難い苦痛と重圧の中で、「女性枠なんて……」と、羨ましいのか憎いのかわからないドス黒い感情が湧き上がることもあります。大学入試の女性枠に反対する気持ちも分かります。人生がかかった話ですからね。
「男女差は本来ありえないのだから、50:50になるまでアファーマティブ・アクションは続けなければならない」とでも言われれば、それはそれでエビデンスに基づいた科学的な議論がなければ、「男女差は本来ありえない」という主張は冷静に批評されるべきでしょう。
一方で、卵が先か鶏が先か、現実のSTEM教育の世界が実際に男性社会であり、それ故、少なくとも結果的には男性有利となっていることもまた現実ではないでしょうか。
差別のない理想的な状態というのがどういうものであるのか、人類はまだ答えを出せていないようです。しかし、少なくとも現状程度の女性枠であれば、それは理想に近づくための第一歩ではないかと私は考えています。
差別というものは、それが自らの地位を安定させるから、温存されるのです。であれば、差別を解消するためには、自らの地位を揺らがせる覚悟が必要になります。
「痛みを伴えば差別解消になる」とは言いませんが、少なくとも、大学入試を含めた様々な場面で、何らかの形で女性枠を設けるという痛みは、必要な痛みになるだろうというのが私の意見です。
生きているだけで罪を重ねている心地がする
今すぐに死ぬことが何より正しい気がしているのに死ぬのが恐ろしくて、死を遠ざけている間にも支払いきれないほど罪が重くなっていく気がしてならない
最大の苦しみから逃れたくて苦痛を受け続けるなんて愚かで馬鹿馬鹿しいのにこの台から足を踏み出す勇気が出ない
なんて度し難い
誰か助けてくれるならこの臆病者の背中を押してほしい
早く死にたい
モルカー2期観てるけどクソつまんなくてハゲ散らかしてる
1期は3分が一瞬に思えるくらい面白かったし何度も繰り返し観てたのに
2期は観るのが苦痛って感じるレベルまで面白くないと思うことも多い
監督が変わったのも大きいかもしれないけど、それだけで済ませたらなんか情報を食ってる気がして悔しいので
なんでここまでつまらなくなったか?についてちょっと踏み込んで考えてみたので書いてみるよ
(2期6話までのネタバレ全開なので注意)
2期はドライビングスクールの中で完結しているスケールの小ささが微妙だと思うのよね(1話を除く)
2期1話はよかったのよ、ビルを将棋倒しして免許剥奪なんて常人の感性じゃ思いつかないよ
ああ、1話がこれなら2期も期待できるなって1話を観たときは思ってたよ
ただそれ以降の話が「教官の飯がまずい」「ラブレターを渡す」みたいな、ケツの穴くらいスケールの小さい話しかやってないのよ
「銀行強盗に加担してしまった」「ゾンビが襲ってきた」みたいな、あらすじを見ただけで気になる、発想が読めなくて展開がどうなる?みたいな話が全然ないわけ
1期ではできていた奇抜な発想と展開で興味を惹かせるってのが2期ではダメダメになってる気がしている
そういう意味で言うと、個人的に2期4話のシュミレーター教習の話は割と評価できるのよね
道徳っぽさを感じちゃったからそこまで面白かったかというと微妙だけど、発想にモルカーらしさはあったと思うよ
1期はキャラが何らかの行動することで話を進める話がほとんどだったと思うのよね
「モルカー救出作戦」や「ゴミ食べ食べ委員会」など、話の概要がわかっていればあとは行動を観れば内容が理解できる話が多かった
2期はスケールを小さいという話にもつながってくると思うんだけど、出来事を起こすだけじゃ話が回らないから、
「教官が怒る」や「ドライバーの人間が焦る」みたいな感情にスポットを当てて話を回していると感じる
感情の機微を描くことが全部が全部悪いとは思わないんだけど、サイレントアニメでやるなら相当うまくやらなきゃわかりにくくなると思うのよね
現に2期はわかりやすさの点では1期に劣っていると思っていて、1回の視聴で話を理解するのが難しくなっていると感じるし、
頭空っぽにして観ることができなくなっていると感じている
今作って教官が話の中心に立つことが多くなっているんだけど、その教官が「魅力的ではない」「行動がわかりにくい」「面白くない」の三重苦でダメダメだと思っている
破天荒なモルカーの世界に常識的な人間が入り込むことで、冷めるみたいな要因もあると思ってる
1期ですでにやってるのに2期3話、2期6話でも擦るのはさすがにやりすぎ
以上です、1期が大好きだっただけに失望に感情を委ねて書き散らしてしまった
個人的には2期を急いでやるよりも、時間がかかってもいいので1期のモルカーらしさとわかりやすさをもっと突き詰めて製作してほしかったな、というのが正直な思いです
おわり
人は見た目が十割、という言葉があれば、人は見た目よりも中身が大事という言葉もある。結論から言うと、長く付き合うことが前提なら中身を重要視すべきだが、付き合いの長さ短さに関わらず優先すべきは容姿だと思う。「容姿が好みでなければ中身なんてみない」という某アイドルの言葉が全てだ。
これって、創作の場に置いても同じことが言えると思うのだ。
まず、個人の好みはさておき、絵と小説なら確実に絵の方が目を引く。人間に置き換えると、美人だからだ。
それでは次に、全く同じ内容の漫画と小説があったとしたら?これも漫画の方が好まれる。人間に置き換えた時に、性格がいい美人と性格がいいブスなら、当然前者を選ぶだろう。
絵や容姿は一目で美醜がわかる。もっと言うと「この人は目元はパッチリしていて綺麗だけど鼻は低いね」「この人は顔を書くのは上手いけど体はイマイチだね」といった個人の好みまで言語化出来る形で伝わってくる。
対して、小説は内容が面白いかそうでないか、文体が好みかそうでないかが時間をかけてじっくり読まないとなかなかわからない。
読書家でお気に入りの作家や本がある人なら、その判断が早いが、普段は書店で本を買わず、ピクシブでssを読むだけ──という人も多い。そういう人にとって、読書とはある意味苦痛な行為なのだろう。彼らにとって、読書そのものは目が痛くて時間のかかる苦痛な行為であり、結末がわかった時に初めてその本が好きか嫌いかを判断するのだ。
近年、音楽業界で長いイントロや間奏、ギターソロのある曲は好まれないという風潮からもわかるように、現代ではとにかくコスパや結果が重視される。tiktokはその最たる例だろう。
つまり、何が言いたいかというと、世の中の人は本なんて読まないのだ。面白いかそうでないか、最後まで読まないと判断がつかず、絵柄と違って文体の好みもすぐにはわからず、逆にどこが良くてどこが駄目だったか言語化しにくい。そういうジャンルなのだ。
字書きが授業中に教科書の付録や資料集に齧り付いていた時に、絵描きはプリントの裏紙に絵を描いていたのだろう。極論、文章は誰にでも書けるが、絵は自転車と同じでただ思うように描くだけでも、ある程度の練習や勉強が必要になる。絵描きはそれをわかっているから、無意識に字書きを相手にしないのだ。絵描きは絵を見れば、そのクオリティから描き手の力量やセンス、もっというと影響を受けている作者なんかもわかる。
だが、小説ではそうもいかない。書き手がこれまでにどんな本を読んで、それらにどのような影響を受けて、どんな作品を書いたのか、それがわかるまでに時間がかかる。よく知りもしない人の作品にそこまでの労力を割こうなどと、絵描きは思っちゃくれない。読書を苦痛と思う人にとって、小説の結末はいわばサビで、そこに至るまでの起承転はイントロなのだろう。とにかく小説なら何でも読む、活字中毒という人が現代では杞憂なのだ。必ずしも、読書家=字書き、読書が苦痛=絵描きというわけではないが、字書きで漫画を読むという人は多いが絵描きで小説を読むという人はなかなか聞かない。要するに、絵描きにとって読書は面倒くさい"作業"なのだ。
私には表現したいことがある。でも、それらは見向きもされない。中身が面白いかそうでないか以前に、小説だからだ。要は、ブスだからだ。美人と違って、ブスには興味も持たれない。
こんなことなら、学生時代に資料集や小説を読んでいる暇があったら絵を描いておけばよかった。小説が書ける、といっても何の価値もないが、絵が描ければ社会においてスキルになる。話題になる上に、仕事にも生かせる。もし、これを読んでいる方が創作に興味を持たれている学生さんなら、今すぐに絵の練習をした方がいい。何か表現したいとか、アンソロとかに参加してみたいとか、創作仲間とワイワイしたいとかそういう願望があるなら、特に。仮に、通話で知り合ったとかそういう何かの気まぐれで絵描きや字書きと繋がれても、彼らはあなたの作品なんて絶対に読まない。感想なんて気もしない。絵描きにとって字書きは「ダラダラと長ったらしいだけのコスパ悪いことやってる頭の悪い人」なのだ。そこに悪意はない。美人が生まれつき美人と自覚していてブスを見下したり哀れみの目で見つめてきたりするの同じだ。そういう風に世の中は出来ている。
ついさっきも、毎日のようにTwitterで交流をしている絵描きのフォロワーにスペースで無視されたばかりだ。一体一でリプライを送り合うくらいならいいが、他の絵描きもいる前で字書きなんかと付き合っていると思われたくはなかったのだろう。社会で生きていれば、嫌というほどルッキズムに苦しめられるのに、創作の世界でも擬似ルッキズムに苦しめられるなんて思っていなかった。なんで字書きになんてなってしまったんだ。
実際に異動してやってみたら、アイディアを出すのは得意なのだが、いろんな人から意見を聞くために時間を割いてもらったり、人に説明して理解を得て一緒に動いてもらったり、イベントに社員を駆り出すために依頼したり、そういった周りの人を巻き込むための段取りがとても苦痛であることに気づいた。
陰キャだねぇ
ずっと営業だったのだが、異動して企画職になるのに憧れていて、念願かなって企画部の配属となった。
自分は営業職時代にもお客さんに響くちょっとしたサービス(営業所内の予算でできる程度のもの)のアイディアを出して自分で試してみたり、資料を作ったり広告を打ってみたりと、新しいことを思いつくのが得意で、会社全体を対象としてそのような仕事をやりたいと考えていた。
実際に異動してやってみたら、アイディアを出すのは得意なのだが、いろんな人から意見を聞くために時間を割いてもらったり、人に説明して理解を得て一緒に動いてもらったり、イベントに社員を駆り出すために依頼したり、そういった周りの人を巻き込むための段取りがとても苦痛であることに気づいた。
元増田です。
あったけぇ。。
自分の作業レベルまで分解したときに組織の目標にどう関係してるんだこれ?って感じで手が止まっちゃう。
そもそも調整ってなんでしたっけぇ?みたいな。
その上とにかく金が無く一日に一食刑務所よりもしょうもない食事しか取れないので体調は常に悪く
友達だの彼女だのは夢のまた夢の話、そんな事よりも明日生きてるか死んでるかみたいな生活
29歳の時にバイト先で出来た知り合いが神みたいに良い人で
世間的には安月給だが三食食えて土日は休めて遊ぼうと思えば遊びに行ける
今は自殺したいとも思わないし、20代の頃と比べたら考えられないくらい幸せな生活を送っている
だけど人間って贅沢なもんだな
余裕が出来ると、まともな人生に戻れた喜びよりも
なんであんな理不尽な10年間を送らされたんだという怒りの方が強く感じる
なんかほんと悩みのレベルが自分でもびっくりするくらいしょうもないんだけどさ
「大切な10年間を無駄にさせて責任取れ」みたいなブコメ付いてるの見て
オッサンが若い女に色目使うなキモイ弁えろみたいな書き込み見るたびに
20代にそんな余裕が無く、まともな人生になれたのが30過ぎてからのオッサンはどうしようもなく悲しくなる
まあ、あの時の苦痛を考えたら
こんなしょうもない事以外に悩みが無いという時点で