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2021-08-21

やっぱり俺はアジカンがずっと嫌いだった

俺はずっとアジカンが嫌いだった。

きっかけはリライトがヒットしたあたりからソルファ借りて一通り聞いたけど、「ナンバガイースタン大衆向けに書き換えただけじゃねーか」という感想以上のものを持てなかった。

ヨナヨしたメガネ変人フロントマンやってるのも先人のバンドをなぞっただけのような感じがして嫌いだった。似たようなバンド00年代ごろは鬼のよう流行った気がするんだけども。

というか、アジカン流行り出した頃はキューンレコード自体が丸ごと嫌いだった。キューンのバンドのやつら、どいつもこいつもアニメタイアップばっかりやってヒット目指そうとしてるのが気に食わなかった。もっと曲で勝負しろや!タイアップなんかやるんじゃねえよ!って思ってた。

でも上記感情、全部若気の至りだったよ。学生身分流行り物が全部嫌で、流行っているものに群がっている人間を見るのも嫌で、流行っているものに影響を与えているバンドだったりミュージシャンみたいなものを「今流行っているものはこいつらが先祖なんだぜ」って気持ちを雑にmixiに書き散らかして優越感に浸りたいだけの学生だった。

別に積極的理由流行り物に対して嫌っているわけじゃなかったけど、なんとなく右へならえでみんなが好きなものをみんなと一緒に好きになるのが嫌だっただけなのかもしれない。

でも自分でなんか曲作ろうとかバンド組もうとかなんかしようとかそういう感情も一切なく、ただ流行り物をdisるだけの腐った学生生活を過ごしていた。

その後就職して仕事をしていると大人になったからなのか暇がなくなってしまたからなのか、おおよそロキノン系ロックの細々したヒットチャート一喜一憂することもなくなった。流行り物の曲も「こういうのが売れてる曲なんだ」っていうのを学習する機会として割り切るようになった。キューンが散々アニメタイアップバンドをヒットさせようとしてたのも「生きるためにはまあしょうがないよね」ってなんとなく納得するようになった。後藤原発関係でなんか言ってた時も「政治に口出せるほど偉くなったもんだねえ」「エレキでジャカジャカ電気使って音楽やってんのに脱原発エコロジー標榜してんのか」と内心冷めた目で、でもそういうことをTwitterとかはてブかに書くこともなく淡々と生きていた。

で、東京オリンピックである

https://note.com/gotch_akg/n/n6352512c4041

現場に積み上げられてきた熱意。そして、そこにある人生。一方で、自分がよく知る切実な思いとその活動が乱すかもしれない公共衛生。飛び交ういろいろな言葉を前にして、グワグワになっている。

だが、久しぶりのリハーサルたかだか数時間で、自分が生き返ることも実感した。心の底から、これだ!という実感が溢れ出て、全身をめぐった。エゴイスティック音楽への欲望が俺には少なからずある。

まずミュージシャンmixiアメブロじゃなくnote一言ぶち上げる時代の変化に驚いたけど、「オリンピックdisっておいてこの文章かよ」っていう原発のころとなんら変わらないダブスタ政治信条を見せられて、落胆と安堵が入り混じった感情になった。もうこの文章だけ読んだらオリンピックに出るアスリートが書いてんのかフジロックに出るミュージシャンが書いてるのかわからないもん。

まあ分かるよ。ライブなんてコミケお祭りと一緒で現場臨場感さないと客は財布の紐を緩めない。運営ミュージシャンもそういうのわかってるし生活立ち行かないかライブやるんだって。でもオリンピックdisっといて自分イベントについては日和った感想しか出てこないところが、やっぱり嫌いだなあって思っちゃった。

さっき安堵って書いたのはそういうことだと思う。自分がずっと嫌いだったものを改めて引き続き嫌いでいさせてくれる。

でもこの文章ソルファ聴きながら書いたし、意外といい曲多いのでYouTube Musicアジカン、気が向いたら聴くよ。だから頑張ってください。

商業フェス

ミュージシャン主催者は「出るか辞退か決断を迫られるのは補償をしない政府のせい」みたいなこと言うけど

どうせ補償あったとして「文化を潰す気か〜!」とか言って開催するんでしょ?知ってる。

anond:20210821134529

仕事できなくなるのはミュージシャンだけじゃなくて関係スタッフもですけど、そういう人たちの前でもぜひ同じことを仰ってみてくださいね

フェス中止になったらミュージシャン仕事なくなって生活できなくなる!とかいうけど

フェスがあろうがなかろうが、なんなら電車運行数が減ろうが減るまいが

コロナで失職なんてミュージシャンに限った話じゃなくその辺にごろごろ転がってんだよな

所詮音楽生命活動の為に必須仕事じゃないって気付けてよかったじゃん

大人しくロック()なお前らの嫌いな有象無象のうちのひとりになってハロワに通え

anond:20210821125630

ロック(笑)ミュージシャンのくせに五輪反対したからだよ

自由標榜するなら五輪OK飲み会OKライブOKで開き直るべきだったのに

中途半端保守的大衆迎合して「感染予防のために自由制限も已む無し」ってスタンスとっちゃったか現在醜態がある

フジロック出るミュージシャンもっと堂々としろよつまんねえ

なんかみんなして、モゴモゴ言い訳しながら肩身狭そうにして、

フジにきてるお客さんは音楽フェス理解のある身内だからと、

身内同士の馴れ合いで煮え切らない態度でしれっとフェスやってるのが腹立つわ

どうせならもっと堂々としろ

世間自粛ムードに思いっき中指を立てろ

小池小百合批判政治批判の曲のひとつでも発表しろ

あのー、僕らも生活かかってますんで、すいませんけど、フェスやらせてもらいます

えぇえぇ、対策はもうバッチリやっときますんで。密にならないように客席も空けときます

じゃねーんだよ!

お前らは河原乞食末裔なんだから、末路哀れは覚悟の前じゃ!(by米團治)

もっと全力で歌舞いて世間挑発しろ

anond:20210821102701

夢も希望も与えられないただの自己満足アスリートミュージシャンならどう考えてもミュージシャンの辞退の方が重いわな。

オリンピックフジロックの辞退の重さは流石に違うだろ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/madon36/status/1428643020807630853

ミュージシャンアスリートは現役で活動できる期間の長さが違う

オリンピックは4年に一度しか開催されない

競技によってはオリンピックで良い成績を残すことが最大の目標である

フジロック辞退とオリンピック辞退は重さとデメリット全然違うでしょ。

折坂さんの発言を利用し、しかオリンピック選手が誰も辞退していないという嘘までついて、参加選手中傷している奴らは本当に醜いね

揚げ足取られる前に言っとくけど、フジロックは辞退して当然だと言いたいわけではない。

オリパラには反対するのに、甲子園フジロックには反対しない。

意識高い系の人はそういう人が多いと思う。

どうしても開催するなら、スタッフミュージシャン選手はフルワクチンで、無観客が前提だと思う。

それなのに、国内団体主催するずさんな感染対策に対しては何も言わない。

オリパラは国が音頭を取っているのもあるけど、なんで外国人参加のイベントを開催するんだ、金を使うんだっていう無意識外国人差別が見えてしまって、えぐいと思った。

2021-08-20

フジロック不参加を表明した、折坂悠太というミュージシャンは、ガチでマジのすげー才能持っていると思うので聞いておいて損はない。

ミュージシャン政府やばい五輪絶対反対。」

「でもフェスはさせてください。やっぱ政府が悪い。」

ださすぎだろ

2021-08-19

フジロック辞退するのもおるやんや。まぁどっちでもいいけど。

 

わいがパヨクなら、アスリートとは違う。ミュージシャン見直したというとこだが・・・

anond:20210819092844

うちの親は単純に音楽に触れさせたかったらしい

別にミュージシャンになれとかではなく、音が出せるね!すごいね!たのしいね!みたいな感覚

ギターバイオリンはむずいけどピアノなら押せば一応音は鳴るから子供にいいんじゃね

俺は楽しかった 何かに役に立ったわけじゃないけど

2021-08-18

なぜみんな死にたいと思っていないかからない

このところ常に死にたいとうっすら考えているような感覚で生きている

楽しいことがあってもふと「そういや死にてえな」と思い返して楽しさが冷めていく感覚

そしてそれは大体みんな同じような感覚を抱いているんだろう、死にたいと思っていない奴はむしろ相当の楽天家馬鹿の少数だけと思っていたが、どうやらむしろ死にたいと思っている人の方が少数派らしい。

別にいじめられているとかブラック労働がとかじゃない。それなら別にそうじゃない人は死にたいと思わないだろう。理由SNSを始めとする社会蔓延する憎悪があまりに重苦しく苦痛からだ。

最初憎悪の集合を感じたのは例の池袋ひき逃げの件だった。

最初に断っておくとこれから出てくる加害者たちを擁護する気は無い。

もちろん悪い事をした人が悪いのだが、ことある事に槍玉にあげてその都度完膚なきまでに叩く多数をみて「ああ嫌だな」と何となく感じた。

スキャンダルに対してその当事者ネット槍玉に上がったことはそれまでにもいくらでもあった。

思い返せば小保方氏や野々村議員もその例だろう。ただ彼らは音MADにされたりクソコラを作られたりと、もちろん本人してはたまったもんじゃないだろうが、スキャンダルコメディとして消化しようとするものだった。

もちろん、ひき逃げ加害者音MADしろという訳では無い。こちらは明確に被害者がいる以上そんなことが許されるわけが無い。

それでも、一人の人間憎悪対象として消費されるのを見て擁護はなくても同情はしてしまう。

あまつさえ上級国民かいうこれまでなかった言葉まで使って高齢者富裕層まで主語を広げて叩く日には、「フランス革命ラボアジェ処刑した国民はこういう人達だったのかな」と思った。

それからコロナが来てその流れは爆発的に加速したと思う。

オリンピックの諸問題の方々、金メダルを噛んだ市長それがし、不倫した芸人なにがしや声優なにがし等々。取っかえ引っかえの回転寿司状態だ。そしてその度に地獄のようなコメントが溢れる。これを書いてる途中に声優それがしが死にかけているらしい。書いている途中に知ってめちゃくちゃ偶然だが、遅かれ早かれそういうことが起きるのは明白だっただろう。

なぜそんなことになったかといえば、これらの人達は「わかりやす自分関係ない悪」だからだ。

家族上司などといといった簡単には解決できない問題、更にはウイルスなどといった実体のない敵によるストレス人類全体に重くのしかかってくる。「正義をもって悪を誅す」というのはそのはけ口としてとてもよく働く。自分ストレス不安から目をそらすことに精一杯な人達ますます想像力が欠如して盲目になり、ましてや、加害者の心情なんて想像しない。

要はストレス解消のために叩いてもいい大義名分を持った人が求められているのだ。

こういう人達活動自粛したり降板したり表舞台から退いたり、ましてや自殺したら「責任を果たせ」だとか「逃げるな」だとか言われる。

そして決まって「被害者を思うと…裏切られたファンを思うと…」とかがくっついている。その綺麗事大義名分になんの意味があるのか。

「次の悪者が現れるまで後腐れなく叩かせ続けろ」って言え

おもちゃ勝手に逃げるな壊れるな」って言え

大体そういう人たちは何を以て責任を果たしたと認めるのだろうか。謝罪しても当事者でもないのに「誠意が足りない」だの「被害者には許さな権利もある」とかいうくせに。じゃあ目に見えればいいかといえば「金で解決しようとしてる」とか「上級国民が」とか言い出すくせに。

そして死んだら「責任から逃げるな」とかいう。むしろ自分が死の遠因になったという責任から逃げているのはそっちだろう。

開会式いじめがどうとかいミュージシャンそれがしを集団で叩くといういじめの構図をもって成敗した気になっているのは、悪趣味すぎるコメディかと思った。

もちろん自分が知らないずっと前からこういうことはネットリアルわずあっただろう。でもそれはメインストリームではない。

しかし、一億総発信社会/コロナ禍となってユーザーが生成するメインコンテンツ憎悪になってしまった。

そこに需要存在すれば当然供給も発生する。メディア問題があった人たちが如何に極悪人であったかを強調するために過去を漁って露悪的な記事を量産する。

もう現代においてピカソワーグナーのような人はもう出てこないんだろうな。そして悪事はバレたら社会的に抹殺されるのだからますます陰湿になるか一撃必殺になるかのどちらかだろう。

膨れ上がった憎悪関係ない人をも蝕むようになる。こんな社会に耐えるくらいなら消えた方がいい。いわんや当事者にしては想像を絶するものだろう。

から死にたい

こういうことを言うと起こりそうな意見に先に返しておく

・「悪いことをしたのは向こうなのだから当然だろう」「報いは受けるべき」

別に自分は「誹謗中傷はやめよう」とか「加害者にも人権はある」とか道徳先生みたいなことを言うつもりは無い。これは絶望言語化であって啓蒙ではない。

そもそもそんなことずっと言われ続けているのに悪くなる一方なのだから無理なのだろう

個人的にその原因は、歴史的人類は「罰する」と「赦す」を神に丸投げしてきたからじゃないかと思う。

シャリーアを引き合いに出すまでもなく、法とは神が定めた道徳人間にわかやすくしたものだ。神の代弁者執行者として悪人は裁かれ断罪された。逆に言えば、刑期を終えるとは「神が赦したのだから私達も赦そう」という理屈だろう。私刑が許されないのは、同じ理性の範疇内の人間人間を捌くこと自体傲慢で歯止めが聞かないからだろう。

それが現代になって神が死に、ネットによって「罰する」と「赦す」が急に個人個人人間の与えられたら上手く使いこなせるはずがない。何を以て許せば良いのかも分からない。だからこそ憎悪はどこまでも増幅し、終わりがないのだろう。

・「確かにクソなことはあるがネットにもリアルにも善意楽しいことだってあるだろう」

それは確かにそう。実際自分もある程度いわゆるオタクなので「次のイベントが生きる糧」だの「2期を見るまで死ねない」だの思っていた。

でも最近ふと、なぜそれらが好きか理由を考えたら、自分死にたいという感情麻痺させる麻薬に過ぎないと思っていたことを悟った。一回そう思ってしまったらもうそ麻薬は直ぐに効き目が切れるようになった。

・「今のネットに向いてないからやめた方がいいよ」

これも確かにそう。ジャコモ・レオパルディという人も「世間とは立派な人間たちに対抗する悪人もの同盟、あるいは寛容な人たちに対立する卑怯者どものまりだということである。」とか言っている。その通りだと思う。でもネットをやめたとてこの社会に逃げ場なんてあるのか。分断と対立不寛容が加速するこの世界ネットのような憎悪現実にも染み出していることはキャンセルカルチャーなんかを見るまでもなく明らかだろう。情報自体から隔絶された世界仙人のように生きればいいのか。そうしたら確かに死ななくても良いかもしれないが、憎悪を撒き散らす人達が野放図に暮らして、そうでない人が隠れていきなければいけない世界ならますますこの社会はクソだろう。

・「この恨みにまみれた投稿だって憎悪を増やしているだろうブーメランじゃないのか」

その通り。だけど今更ネットデブリひとつ増えたとて誤差だろう。

繰り返すがこれは現実への諦念であって啓蒙ではない。だからこそ聞きたいのは、どうやってこの憎悪の中死にたいとも思わずに生きていられるのだろう?

2021-08-12

anond:20210812214446

豚るさんもそう言ってたんだ❓案外よく使われる言葉なのかな。

私が初めてきいたのは、たぶんめっちゃ人気ある大御所女性ミュージシャン……。

深夜のラジオだったような。

2021-08-07

音楽不要不急」 音楽家の僕はその言葉でホッとした

「『音楽不要不急』。そんな言葉が出てきたとき、僕はほっとしたんです」。ドレスコーズ志磨遼平はそう語る。「不要不急」という言説に、怒りを表明するミュージシャンファンが多い中、「不要不急」という言葉に志磨はなぜ安心感を抱いたのだろうか。

「衣食住に関わるようなことを、自分仕事として選択しなかったんですよ。結構自分は、みんなに必要のないものをわざわざ仕事に選んだんだって思うと、『それでいいんだ』と肩の荷が下りた。『皆が必要としていますよ』ってお墨付きをもらうようなことを自分はやってないから。『音楽って勝手に遊ぶ不要不急のもの』っていうスタンスが僕には合っている」

だが、音楽ライブ不要不急ではないという意見が、ミュージシャン音楽ファンから次々と発せられた。「聴く側も届ける側も、みんなが『ライブがない生活なんて耐えられないよ』って言ってた。それを聞いて、僕はどうも違うところを走っているなっていうことがよく分かった」と語る。

ライブフェスで、パーティーのようにみんなで音楽を共有して、スポーツみたいに汗まみれになって盛り上がる。そういう楽しみ方はもちろん良いけど、そんなスポーツドリンクのCMのような爽やかさに、僕は乗り切れないんだと気づいた。僕にとって音楽は、もっと暗いもの

音楽不要不急」 音楽家の僕はその言葉でホッとした [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

https://digital.asahi.com/articles/ASP856DFRP82UCVL014.html

ちゃんウィズコロナできている方ですね。

anond:20210807150249

ミュージシャンのくせに信念すら突き通せないのヤバいよな

突き通せてたらファンになってた

anond:20210807092419

ナントカガースという、日本で例えるとサザンオールスターズみたいに国内でのみ圧倒的な人気を誇るミュージシャンがいる。

名前が思い出せない。

ナントカガース

ねばねばリズム

ゴダイゴモンキーマジック、いいよね。

何がいいかって言うと、歌唱も含めてファンク的なリズムを感じられるところ。後ノリって言葉もある、あの姿勢を後ろ側に引っ張るような、首をうねらせてリズムをとりたくなる感覚

この辺り、売れている日本のポップミュージックだとあまり感じられない要素な気がする。外でかかっている音楽聴くと、声質がR&Bなのに妙に直線的なリズムトラックで歌っていたりする。もったいないミスマッチじゃないか

ファンク的な粘りのあるリズムだと売れないのだろうか。それとも単にミュージシャン側であんまり好まないんだろうか。

2021-08-05

けいおんという作品が苦手だった

毎日お茶シバいてるだけなのに平沢唯という天才ミュージシャンやって軽音最高っていうアニメ

日常系アニメはもともと大好きだったのだが、あれだけ、けいおんだけは今でも苦手意識がある。

苦手だったので原作は読んでいない、ので原作版の事は言及しない。

あの作品だけはなぜか心の奥底の黒い部分がわきでてくる。だって練習してないのに、バンドで出てくる曲がめちゃくちゃいい曲なんだ。

いったいいつ作った?どこで練習した?わからない。やっぱり天才から

自分彼女たちの才能の差をまざまざと見せつけられるようで、見ていてとても辛かった。

あれから何年たったのだろう。

私は今でも何の才能もないただの凡人で、彼女たちのような天才にはなれなくて。

家と会社の往復で、たまにお酒を飲んで気晴らしをするだけ。

このままひとり死んでいくのだろう。私が私なりに「頑張った」と思ったものも、彼女たちのあのキラキラした音楽全然かなわない。

それがとてもつらい。

2021-08-03

anond:20210803183702

ブームになる前からダラダラと10年くらいクライミングやってる陰キャだけど、スポーツ観戦は興味ない。

アスリートバックボーンに興味ないのも元増田と同じ。ていうかそもそも競技者クリエイターバックボーンに興味がない。

サブスク時代になる前はCDを300枚くらいは持ってた程度には音楽好きだけど、20年近くファンミュージシャンですらバックボーンはほぼ知らず、バンドメンバー名前すら覚えてないくらい。

それでも作品には興味があるから熱心に聴くのだけど、競技については観戦に興味が無いので興味を持つフックが全く無いという感じ。

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