はてなキーワード: 関東平野とは
家康が江戸に移ったのは天正18年(1590年)のことだった。家康はすぐに大きな城を築こうとはせず、まずインフラ整備に着手した。海水が入り込む低湿地帯であった江戸を耕作に適した地に変えていく。なかでも大規模な工事となったのが、文禄3年(1594年)に開始した「利根川東遷」である。当時の利根川は江戸を流れていて、しばしば大洪水を起こしていた。そこで利根川の流れを銚子に注ぐように変える治水工事を行ったのである。工事がすべて完了したのは承応3年(1654年)、四代将軍・家綱の時代だった。60年におよぶ大事業である。この工事のおかげで、新田開発も飛躍的に進み、関東平野は日本最大の穀倉地帯となった。
徳川家康が江戸城の拡張に着手するのは、征夷大将軍となった慶長8年(1603年)である。江戸に本拠を構えてから、すでに10年以上の歳月がたっている。家康はこの時機を待っていたのかもしれない。将軍ともなれば、自分の好きなように城を築けるからである。江戸城は全国の大名に協力を要請する天下普請(てんかぶしん)によって建造された。加藤清正、藤堂高虎といった築城の名手をはじめ、すぐれた築城技術をもった前田、細川、池田、毛利、黒田など名だたる大名たちが参加した。この工事は三代将軍の家光の代まで続くことになる。
天下普請による築城は費用も人材も資材もすべて大名たちの持ち出しであり、経済的に大きな負担となった。徳川に刃向かう可能性のある豊臣恩顧の大名たちの力を削ぐうえでも有効な策であり、この築城の方法はのちの名古屋城にも踏襲されるのである。
弾道ミサイルは確かに都市機能を遠方から破壊するのに適しているだろうけど弾道ミサイルの面制圧能力では北海道で軍事活動する勢力の制圧には使えない
何故ならば北海道が広すぎるから弾道ミサイルが100基200基あっても全く足らないんだよ
弾道ミサイル数発で軍隊が機能不全起こすならばウクライナで使っとるわい
例えば関東平野の広さは16,000 km²だけど北海道の面積は83,450 km²でそのほとんどが山だぞ?
ウクライナのキーウの面積は839 km²で、そのキーウですら使ってないんだ。理由は弾道ミサイルの面制圧能力では全く足りないから
弾道ミサイルは確かに強い。一方的に攻撃できて投石や矢の様に打ち返されない点も素晴らしい
しかし北海道を陥落させるにはあまりにも破壊面積が狭すぎる上に高価だ。アメリカでも無ければ北海道を陥落させるほどの弾道ミサイルを用意できない
コイ本来の分布
もともとはユーラシア大陸が自然分布域だったが、移植によって世界の温帯・亜熱帯域に広く分布している。日本でも全国的に分布。
日本のコイは大昔に中国から移入された(史前帰化動物)と考えられ、縄文時代の貝塚からも化石が発見されている。しかし、関東平野や琵琶湖に野生のコイが分布することや、古い地層から化石も発見されていることから、日本にももともと自然分布していたが中国からの移入がありそれが広まったとされる
つまり、外来種の可能性は高いが、外来種であるという確証もない、というのが現在の通説のようだ
少なくとも縄文時代には日本に入っているので、外来種だとしても2000年以上前に伝わっている
それを外来種だとして日本から排除するのが正解なわけがないし、日本は少なくともこの2000年はコイ込みで生態系を回している
このような生物種を、起源だけでレッテル張りして駆除を主張するのは明確な間違い
コイを駆除しても2000年前の生態系に戻ることはないし、2000年前の生態系が理想的とも言うことはできない
コイによる生態系の破壊問題
コイは都市河川などで川をきれいにする目的で河川の環境保護の一環として放流される種でもある[2]。しかし、コイの本来の生息域は大河川の下流域や大きな湖で、中小河川に放流されると他の魚の卵や稚魚を大量に捕食してしまうことがある。こうした放流について、地元の固有種との交雑が起こって何万年もかけて築かれてきた固有種の絶滅を懸念する(遺伝子汚染)声もあるが、当事者には全く意識されていないのが現状である。
大河川の下流域に放すならば遺伝子汚染やコイヘルペスの防除などのリスクを除けば、生態系としては通常は問題がなく、中流域以上に放流するなら場合によっては問題がある
ちなみに話題のニュース、三重県伊勢市の馬瀬川は海もほど近い下流域
https://hicbc.com/news/article/?id=2022031302
日本の個体群に関しては化石の発見例がない、最も古い文献でも200年前に登場し江戸時代中期以前には本種に関する確実な記録がない、江戸時代や明治時代では希少で西日本や南日本にのみ分布するという記録があることなどから、朝鮮半島から人為的に移入されたと推定されている。台湾の個体群も中華人民共和国の個体群と遺伝的差異がないため、人為的に移入されたと考えられている。
200年前、江戸時代末期には日本にいたと思われるが、それ以前に全く痕跡がないことから外来種である可能性が濃厚
しかし、江戸時代末期以降は西日本、南日本の一部では定着していた
これはもう、コイのように有史以前から、というわけではないが、それなりの歴史がある外来生物である
ではこれを本当に外来種と呼ぶべきかどうか?に関する見解のひとつはこれ
https://kobe-sumasui.jp/wp-content/uploads/2020/10/H24.12.Kiraku04_01.pdf
この法律では,海外から入ってきた生物に焦点を絞り,人間䛾移動や物流が盛んになり始めた明治時代以降に導入された生物を中心に対応する,とあります.
時々,この外来生物法における対象生物の侵入時期の指定が「明治時代以降」と記されていることから,クサガメ日本列島集団は外来起源ではあるが江戸時代には日本に生息していたため外来種とは呼ぶべきではない,と言われる方がおられます.
しかし,そのような解釈は間違っており,現行の外来生物法では明治時代より前に定着した生物を対象とすることが困難であるかもしれないが,「外来種」という言葉の意味や定義を変えることはありません.
クサガメはここ100年ほどで分布を広げ、ここ数十年ではイシガメの減少の原因としても理由があがるなど、日本の生態系がまだ固定化されていない遷移状態と言える
そこに1950年代後半以降はミシシッピアカミミガメなども遅れて移入され、逆にクサガメは減少に転じるなど、さらに生態系が変動している
このような状況の生物は、まだ在来種として保護する段階にはない、と言ってもいいかもしれない
少なくとも「日本ではクサガメ込みで生態系を回してきたんだ!」という段階に至るほど歴史は古くはない
が、差し当って外来種駆除の優先度が高い生物種は特定外来生物に指定されている
そのリストがこれ
https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/list.html
ここには当然、コイもクサガメも記載されていない(ミシシッピアカミミガメやアメリカザリガニは本来指定すべきだが、一般化しすぎて影響が大きすぎるため保留になっているのは例外的)
特定外来に指定されていない外来種は野放しでいいのか?というとそう簡単ではないが、特定外来種とクサガメを同列の優先度で語るのも、それはそれでおかしい
池の水全部抜く、では、いかに生態系が壊れているか、汚染されているかが伝わるほうがセンセーショナルなので、少しでも外来種の可能性があるものは全て外来種として放送している
NYに実際行くと分かるけど、マンハッタン周辺の一部(NYC)を離れると一瞬で何もなくなるんだよね。NYに行くにはニューアークのEWRかブルックリン側のJFKを使うと思うけど、マンハッタンからEWR行きの電車に乗って15分もするとクソ田舎の景色になってマジかってなるよ。東京で言うと成田空港周辺みたいな景色になる(千葉だけど)。
東京の特殊性はどこまで行ってもひたすら街が続いていること、それぞれの街が異なる文化を持っていること(新宿とか渋谷とか池袋とか秋葉原とか)というのはよく言われる。要は関東平野が異常に広かったということなんだけど、そういう街って世界でもそう無いんだよね。だからって東京スゲーってわけじゃ必ずしも無いけど、特殊なのは間違いない。その特殊性を持って「都会」と言うのであれば東京より都会な街はそう無いということになる。