はてなキーワード: 枕詞とは
ネットで意見を発信するときに怖いのは何だろうか。クソリプ、炎上、個人情報の特定、色々懸念すべき点はあるだろう。
でも一番怖いのは「自分より詳しい奴がいる」ことではないかと思う。
自分より詳しい奴からの反論に、自信を持って自説を貫ける人は少ない。
例えるなら、ゼミの教授がゼミ生の論文・研究発表に立ち会っているようなものだ。自分より知識も経験も上の人間が、「私はこんなこと発見しましたよ!」という青二才のプレゼンに常に目を光らせている。プレゼンが終われば詳しい奴による質疑応答の時間であり、考えもしなかった多角的な視点からロジックの穴を突いてくる。
もちろん、自身の経験談を語る程度であれば何も問題ない。身に起こった出来事を当事者の感性から描いたエッセイは、第三者には得難い貴重なエッセンスが含まれており、自分が世界で一番詳しい情報になるからだ。
しかし、経験談以外の「主張」に対してはそうはいかない。主張には多かれ少なかれ反論が来る。その主張が中道ではなく擁護か批判の側に寄っていればいるほど、反論の数は多くなり論説も激しいものになる。
誰かを批判するときは批判される覚悟を持て」というが、こっちは一人で相手は無限。
どう考えてもフェアな殴り合いではないだろう。
そんなこんなで、自分より詳しい奴は数人から数万人までたくさん存在している。
こんな世界で自分の意見を表明するというのは、実はとても勇気のいる行為ではないだろうか。
常に「自分が言っていることは正しく、反論に耐えうるものなのか?」という疑念に苛まれ、事実関係に間違いはないか、自分の論拠と相対するデータが出てこないか、細心の注意を払って文を書いていくことになる。そうして苦心しながら書き上げた主張を詳しい奴らが一刀両断するのだ。
そしてタチが悪いことに、ネット上では自分の意見が簡単に見られ、識者も気軽に集まれてしまう。
「ゼミ内発表」という閉じた空間での出来事ならまだ優しい。教授はゼミ生の発表にも、「よく調べてあるね」という寛大な言葉を投げかける(もちろん教授によるが)。その言葉の前には「学生にしては」という枕詞が隠れているが、決しておくびに出すことはない。
ところがネットはそうは行かない。発信者が青臭い学生だかいい年したおっさんだかなんて関係なしで、間違えば容赦ないツッコみが来るし、内容次第では炎上する。しかもゼミのような内輪の場ではなく完全なるオープンの場である。
自分の卒論が一億人に見られると言われたらどう感じるだろうか。私は最悪の気分になる。主張は的を得ておらず、構成はちぐはぐで論拠はずさん。内容は知識の薄い素人がデータを継ぎはぎした妄想の延長線上であり、はっきり言って人目に耐えられるものではない。
ネットには語る人間がたくさんいる。twitter、note、増田といった匿名のSNSがある。
匿名者だけではなく、落合陽一、オリラジ中田、会社の看板を背負ってnewspicksにコメントする人間など、専門外が顔出し名出しして、これからの世界」について自信満々に語っている。
基本的に会う約束の取り決めなどのやり取りをするのだが、出勤する電車の中で送ったLINEの返事が夜に返ってきたとき、返信遅くなってごめん、と必ず枕詞がついている。
お互い社会人なのだから朝送ったLINEに夜返事がくるのは当然だと思うし、何度か気にしなくていいとは伝えたのだが、やっぱり遅くなってごめん、と枕詞がついてくる。
私は勤務時間に携帯を見ることができない仕事をしていて、昼休みも皆で食べよう、という雰囲気の会社なので昼返信もできない。なので通勤の電車のなかで返信することが多いのだけれど、いつも返信遅いなぁと思われているのかなと考えてしまう。
個人的には当日中に返したら十分だと思うんだけどなあ……世間の人たちはもっとテンポよくLINEしてるんだろうか 分かんないな………
男オタクは自分たちはキモいものだという視線を内面化してるだけだよ。
「キモい」は「オタク」の枕詞じゃん。令和になっても「キモオタ」みたいに言われること多いじゃん。
男オタクは「キモい」と言われることに慣れているだけ。自分たちが「キモい」と思われていることを知っていて、諦めているだけ。諦めているから向上の努力をしようとしないだけ。
「三次元の女より紙とJPEGの女」ってのも、言ってるやつの8~9割は酸っぱい葡萄だから。どうせこんな容姿だから無理だよ……っていうのが骨の髄まで染み込んでいる。
で、全体的にファッションセンスが壊滅的なので、っていうか女よりファッションに興味がない男の中でも特にファッションセンスがない連中を選りすぐったのが男オタクなので、オタク同士で外見で貶し合いっていうのは基本的に発生しない。
(っていうか、そもそも論として、よほどのことがない限り男同士で外見や服装を品評することはないよな……これはオタクに限らずそうでしょ。そもそも服装に対するジェンダーの差があると思うなぁ。男は服装について色々考えることが嫌いなのです。もちろん先天的というよりは後天的な文化的刷り込みだと思うけどね)
それでもって複雑なのは、単に見た目を整える能力が欠如しているから見た目がキモいんじゃなくて、あまりにキモいキモいと言われ続けたせいで「見た目がキモい」ことがなんというか男オタクの自画像になっちゃってる感があるということだ。
昔、よく戯画化されたオタクで、チェックシャツにバンダナ、みたいなのがあったよね。今から思えば差別的な目線だけど、でも、あれが「オタク」であり、俺たちはああいう存在なんだ、っていうアイデンティティはあるよね。
ニコニコ動画でアニメとか見てるとさ、そういうテンプレ的なオタクの服装したやつがモブで出てくると、「俺らじゃん」「お前らwww」みたいなコメントが飛び交うし、自分がオタクを自称して「俺らオタクはさ~」っていうときに、そこで思い描いてる「俺ら」ってのはパリッとしたスーツを着こなしたイケメンじゃなくてチェックシャツのバンダナ眼鏡だと思うのよ。
イギリス人にとってのブリタニアとかフランス人にとってのマリアンヌが、俺らにとっての「デュフフwww」とか言っちゃうチェックシャツのキモオタなんだよな(実際にはもう秋葉原でもチェックシャツとか着てないやつの方が多数派だけど、まあ多くの日本人も日常生活で着物着てるわけじゃないし……)
なので、多くの男オタクは、外見がキモいと思われることに(他の趣味を持っている男たちと比べると)頓着しない傾向がある。でもそれは容姿の品評から解放されているからじゃない。まったく逆だ。容姿の品評会で敗者であることを自覚し、それに甘んじているからだ。容姿の品評会で敗者であることが自己認識の一部になっているからだ。
男オタクにとっては、オタク趣味全体が他の男たちや女たちから「あのジャンルってキモい男が推しがちだよねw」って言われる対象だったわけで。
逆にその「キモいジャンル」の内部、つまりオタク趣味の内部ではそんなに服装の縛りはきつくないんだけど、賤民のあいだでは平等な関係であることを身分差別から解放されてるって言われても困る。
余談。俺のこれまでの経験からすると、オタク趣味に走る男の外見、他の趣味に比べて明らかに一歩劣るよね。原因なのか結果なのか偶然なのか観測範囲の偏りなのか俺の思い込みに過ぎないのかは知らんけど。
原因っていうのは、つまりオタク趣味というのはスポーツや吹奏楽とかとは違う周縁的な趣味であって、いじめられっ子の駆け込み寺のような役割を果たしている場合もあったからだ。「外見がキモい」がいじめのトリガーの1つになることは多いので、駆け込み寺に駆け込んでくるやつらの外見が駆け込む必要のなかったやつらより平均的に劣ってるのは十分ありえる。
結果っていうのは、オタク趣味って運動不足で不健康になりやすいのと、他の趣味と違ってファッションに対する意識があまりにも低いので、結果としてそういう界隈にいるやつらの外見はフットサルやってますとかそういう連中に比べて劣るものになりがちだろう。
でも実際、オタクと非オタクのあいだでの容姿の差ってどのくらい統計的に立証できるんだろうね。倫理的にアレだから真面目に研究することは難しそうだけど……
子供が小学一年生の男児なんだが、どうやらサンタの真相に感づき始めてる。
一応、話は合わせてくれているが、見ず知らずの老人が無償で玩具をくれるという謎の行動に対して疑いを持ち始めてるのが伝わってくる。
だいたい、サンタからのプレゼントとか言って、社会全体で子供たちを欺(あざむ)くのはいいけど、それだったらバラすときの最適解も用意しとけよ。
各家庭に丸投げしやがって、現場研修とかOJTとか都合のいいことを言って、新入社員の教育を現場に丸投げするタイプの人事部か。
よく『戦争は、始めるよりも終わらせる方が難しい』なんて言うけど、サンタも全く一緒だわ。日本人は先の大戦から何も学んでない。
サンタクロースの設定は「満5歳までの子に〜」みたいな枕詞をつけて時限立法的な制度にしておくべきだったと思うんだよな。そもそものシステム設計に不備があるだろ、これ。
俺はこのあと子供になんて言えばいいの?
「サンタとは、世界の親たちが子供を想う気持ちの概念の象徴であり、概念ゆえに実態があるわけではないんだよ」
とでも言って煙に巻くか?
だいたい、どんな説明をしたとしても、息子から「だからと言って僕を欺いていい理由にはなりませんよね?」って言われたら完全に論破されるわ。
もう俺の能力では対応しきれないから、文科省あたりで事後処理の方針を打ち立ててくれよ。
もしくは、フィンランドとかサンタビジネスでガッポリ儲けてるんだろうから、責任とって後始末にあたれよ。
もうさ、この際、日本はサンタを廃止して天皇からのプレゼントってことにすればいいじゃん。
クリスマスプレゼントって言うのも止めて恩賜(おんし)って呼べばいいって。
辻褄を合わせるために、大日本帝国憲法の4条を復活させて「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬(そうらん)シ……」の「統治権」を、国民の財産までをも掌握する権利と拡大解釈すればいい。
これだったら親から子供に直接プレゼントを渡しても嘘にはならない。これぞ現代版の国体明徴運動や。
なんか最後は、サンタという赤の思想に対する極右思想家の妄言みたいになってしまったが、とにかく俺は子供を騙してきた落とし前のつけ方について真剣に悩んでいるわけよ。
ネットニュースでそれを知った
それからずっと「竹内結子」「首」「クローゼット」という単語が頭の中を踊ってる
第一子はまだまだ2歳だけど
ああ私も首を吊るだろうなって思った
ふとした瞬間に家の中を見渡している
家族で日曜を過ごして少し落ち着いた
すぐおかあさんといっしょにかえた
こどもが泣く
授乳する
ごはんを食べさせる
ベビーカーに乗りたくないと言う
ブロックと積み木の海
下の子が食べないように片付ける
いっしょに絵本を読む
おかずを食べたくないと言う
水の入ったコップをふきとばす
その途中途中に「竹内結子でさえ死んだ」が枕詞になって言葉が浮かんでは消えてく
竹内結子でさえ死んだ世の中なんだ、うまくいかないことだってあるさ
竹内結子でさえ死んだのになんで私はまだここにいるんだろう
竹内結子でさえ死んだんだから私がうまく生きれなくても仕方ない
竹内結子でさえ死んだけどとりあえずいきよう
Twitter でほのめかして周囲に止められた人もいれば、同じようにTwitter でほのめかしDMで連絡を取り合って完遂した人もいる。前者は適切な介入があって阻止?予防?対処?できた事例で、後者は「社会的なフォローがもっとあるべきだった」と総括されていたように思う。
希死念慮と言ってしまうと(精神的な病的状態に伴う)という枕詞が付く印象があるので使いにくい。病的状態に伴わない、いわゆる死の願望・渇望というものは治療や対処するべきものなのだろうか。以前にNHKでやっていた海外で安楽死をうけた女性は精神科を受診し、その「希死念慮」を治療すべきだったのだろうか。
仮に「正常な判断能力を保ちながら熟慮した結果で死を望む」場合も、それを阻止する方向で介入しないといけないのか。