Twitter でほのめかして周囲に止められた人もいれば、同じようにTwitter でほのめかしDMで連絡を取り合って完遂した人もいる。前者は適切な介入があって阻止?予防?対処?できた事例で、後者は「社会的なフォローがもっとあるべきだった」と総括されていたように思う。
希死念慮と言ってしまうと(精神的な病的状態に伴う)という枕詞が付く印象があるので使いにくい。病的状態に伴わない、いわゆる死の願望・渇望というものは治療や対処するべきものなのだろうか。以前にNHKでやっていた海外で安楽死をうけた女性は精神科を受診し、その「希死念慮」を治療すべきだったのだろうか。
仮に「正常な判断能力を保ちながら熟慮した結果で死を望む」場合も、それを阻止する方向で介入しないといけないのか。
同調圧力が強いから適切な自己決定ができないとか言い出したらあらゆる法律を国民総白痴の前提で作らないといけないと思うんだが