はてなキーワード: 儒教とは
「維新後、江戸の山の手の言葉が標準語のベースになったけど……山の手に住んでたんは旗本。以前、人工日本語である標準語は『戦犯ポエム弁』『ジークジオン弁』て言いましたが、同時に『腰抜け弁』やないのかと」
「藤原正彦先生の言われる『武士道精神』は、キリスト教まで混じったフィクションとしての武士道やないのか、ていう話やけど……」
「空想的な歴史想定して、それ裏付けに論じるんやから手法的には『江戸しぐさ』に近い? 『たとえ史実に反しても、ええもんはええんやからええねん』ていう」
「武士道」は鎌倉時代以降、特に江戸時代に多くの日本人の行動基準・道徳規準として機能してきました(日本と韓国「国家の品格」文藝春秋2019年10月号)
「鎌倉時代……正しくは『後期平安時代』やろけど、それ以前の日本人のこと藤原先生はどう捉えてはるんやろか? 平安、平城、難波……これらの時代をどう思てはるんやろ?」
「さかのぼっても千年に足りない鎌倉止まり……歴史を深掘りできんせいで、あちらは老いる一方なんやないか……?」
「ドラマの史劇フィクションと言えば鎖国時代の一つ覚え……。味のせんガムを噛み続けてる」
「室町、平安、平城、飛鳥、難波、国生み神話……振り返るたびに精神がリフレッシュされますわ」
「鎌倉自体、推したいのか推したないんか中途半端やわ。推しすぎると江戸が相対沈下する……。話を戻すと、武士道には大別して二つの潮流があります。一つは兵学者・山鹿素行が説いた道徳律としての武士道。もう一つは鍋島藩士・山本常朝の談話を記した『葉隠』にあるような強烈な行動原理」
育った後の遊郭に売られたのは常じゃなくて、飢饉などが起きた状態での話。日本でも世界恐慌のさなかに東北地方で飢饉が発生したがゆえに身売りが多発して、226事件みたいなクーデターに発展した。
まあ恐慌に対しての経済措置というのを人類は持ち合わせてなかったということもあろうが。
漁師や奉公はこれはただの労働者だからな。そして人権意識の代わりに、儒教精神があった。儒教は本来は上が下に目配りして、下が上に従えば理想社会になるという形であるので、上が下への気配りはしていたよ。
昔の労働は暗黒時代だったというのはそれはそれで変な観点に侵されすぎてる。
それでも性病への対処法がなかったのと、どうしても若い時期を過ぎたら捨てられる存在だから性風俗が多くの女性にとって苦界だったのは違いはない。一部身請けとしての開放があったけどな。
「朱子学を批判しつつ、徳川の武士が朱子学を学んだことは無視する。キリスト教精神の混じった新渡戸稲造の武士道を『取り戻せ』と言う。藤原正彦先生が、そうまでして武士道言いたい理由と言えば……」
「鎌倉、江戸……関東を『国家の品格』に一口乗せたいからやろなあ」
「先生のおっしゃる『品格』の柱は『情緒』と『形』。情緒は『もののあわれ』やから、畿内のもの。ここで『形』に儒教を割り当ててしまうと、関東に出る幕がなくなる。儒教や仏教で十分説明できる慈愛その他の倫理に、わざわざ武士道の看板を掛けようとするんは、そのせい」
「大体、騎士道を現代に当てはめること自体、喜劇的な扱い受けてるのに、何で武士道だけ免れられると思えるんやろ……?」
「『国家の品格』に必要なんは『情緒』だけで十分。真っ当な情緒があるなら、そこに慈愛も育たんとおかしい」
「文藝春秋に載った論説やと、先生は『武士道精神』と『ユーモア』を柱にしてはるけど?」
そこで今改めて見直したいのが「武士道精神」です。〔……〕もう一つ、大切なのは「ユーモア」です。(日本と韓国「国家の品格」・文藝春秋2019年10月号)
「ユーモアも大切やわ! 品格に必要なんは『情緒』と『ユーモア』。武士道は必要ない」
「理由はともかく、ユーモアに注目してくれはったんは喜ばしい。ほんでも、藤原先生の実演するユーモアは失礼ながら……」
例えば清の時代の記録によると、李氏朝鮮は毎年、金を百両、銀を千両、それから美女・馬・豚・牛などをそれぞれ三千ずつ貢がなければなりませんでした。美女を差し出せなどと言う中国は本当にひどい国です。羨まし過ぎて絶対に許せません。
「藤原先生は、『鎌倉時代以降、特に江戸時代に機能してきた』武士道を『今こそ復興させるべき』と言わはります」
「これ、ほんまやろか?」
「事実かはともかく、冗談やありません。そんなんは、大本営発祥の地、真珠湾攻撃を立案実行し戦陣訓を生み出した関東地方だけでやってください」
司馬遼太郎 このあいだ、カセットで東条英機の演説をきいて、あらためて驚きましたね。〔……〕あの人は学習院初等科の出身だそうですから、きちんとした標準語生活者でしょう。戦争中、あの人の大演説をきいて、そらぞらしくなって、感想はといえば「アホかいな」で終いですね(笑)。ああいう東条語で議論をしてゆけば、現実の軍事情勢がどうなっていても、インパールへ大軍を送るべきだというような結果になるような感じがします。ともかくあの調子の演説、いまでもありますけど、蔭でひとが「アホかいな」と……。
「いわゆる標準語て、作られた経緯からして『ジークジオン弁』やんな」
「他にも、藤原先生は『武士道には禅や儒教の精神が流れ込んでいる』て言いながら、『禅や儒教は舶来のものじゃないか』という意見には……」
「て答えるだけで、儒教の方は全スルー。いくら講演を元にした本でも、論説として荒っぽすぎる。藤原先生が武士道の中で最も重視するんは、その儒教が言う『惻隠』、弱者への愛情やのに」
1 『北京大学版 中国の文明』掲載の「大事年表」をベースに、wikipedia「中国の歴史年表」「夏商周年表」その他の記事で補った。
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前1600頃 殷(商)の創建(殷(商)・太乙(成湯)) <殷(商)>
前453 三晋(趙、魏、韓)成立(諸侯に列されたのは前403) <戦国(時代)>
前350 秦が咸陽に遷都する。秦において商鞅の第二次変法が実施される
前256 秦が東周を滅ぼす
前221 秦が燕・斉を滅ぼし、秦による中国統一が成る。秦が貨幣・度量衡・文字を統一する <秦>
前206 秦滅亡。鴻門の会。漢の高祖元年
前154 呉楚七国の乱
前136 儒教官学化 ※異説多し
前115 均輸法(漢・武帝、桑弘羊)
前110 平準法
18 赤眉の乱
25 劉秀が皇帝を称する(後漢・世祖、光武帝)。後漢が洛陽に遷都する <漢(後漢・東漢)>
200 官渡の戦い
208 赤壁の戦い
220 後漢・献帝が曹丕(魏・文帝)に禅譲(後漢滅亡、魏成立)。九品官人法制定 <魏>
263 蜀漢滅亡
265 魏・元帝が司馬炎(晋・世祖、武帝)に禅譲(魏滅亡、晋(西晋)成立) <晋(西晋)>
291 八王の乱
304 劉淵が大単于・漢王を称する(前趙成立) <五胡十六国(時代)>
316 西晋滅亡
485 均田法発布
613 楊玄感による反乱、隋の統治が崩れる
619 租庸調制の実施
668 唐が高句麗を滅ぼす
845 唐・武宗による宗教弾圧(仏教、景教、祆教、マニ教)、会昌の廃仏(~846)
875 黄巣の乱(~884)
904 朱全忠、唐の実権を握る
907 朱全忠への禅譲(梁・太祖)。唐滅亡。梁の建国 <梁・五代十国>
1004 澶淵の盟
1069 宋において王安石の新法が行われる
1125 金が遼を滅ぼす
1126 靖康の変、金が北宋を滅ぼす
1206 モンゴル部のテムジン(ボルジギン氏)、ハンを称する(チンギス・ハン、元の太祖) <モンゴル帝国>
1229 オゴデイがモンゴルの大汗として即位する(オゴデイ・カアン)
1234 モンゴルが金を滅ぼす
1236 モンゴルのバトゥ(チンギス・カンの孫)らによる西征
1260 クビライがモンゴルの大汗として即位する(クビライ・カアン。セチェン・カアン。元・世祖)
1264 アリクブケ、クビライに降伏する
1271 クビライ・カアン、モンゴルの国号を元に改める <元>
1279 元が南宋を滅ぼす
1281 弘安の役
1351 紅巾の乱
1371 明で海禁令が出される
1388 北元の滅亡
1399 靖難の変
1435 この頃より宦官の専政がひどくなる
1449 土木の変
1616 女真族のヌルハチ、満州(中国東北部)に後金を建国する <後金(清)>
1638 ホンタイジが後金のハーンとして即位し、国号を清に改める。
1644 清が明を滅ぼす(北京陥落)
1673 三藩の乱
1689 ネルチンスク条約
1696 ジュンガル部討伐
1716 地丁銀制
1728 キャフタ条約
1798 白蓮教徒の乱
1850 太平天国の乱(~1864)
1861 西太后の垂簾聴政(~1908)
1884 清仏戦争
1899 義和団の乱
1904 日露戦争(~1905)
1911 辛亥革命
1931 満州事変
1934 中国共産党による長征
1936 西安事件
1939 第二次世界大戦(~1945)
1946 国共内戦(~1949)
1951 三反五反運動
1957 反右派闘争
1958 大躍進政策の開始(~1958)
1978 鄧小平が中国の最高指導者になる。改革開放政策の開始
「易経」をご存知だろうか。
当たるも八卦当たらぬも八卦でおなじみの易占のテキストであり、儒教の四書五経の一つである。
周の時代に成立した書であるゆえ、これを出典とする言葉や名前も多い。
有名どころでいえば「観光」、「啓蒙」、「維新」、「資生堂」などである。
易経には、「陰」と「陽」の組み合わせで全部で64の「卦」が書かれている。
「卦」はそれぞれ漢字一字または二字の題がついている。
そして、それぞれの「卦」は、六つの「爻」と呼ばれる節から構成されている。
詳しいことは各自ググるなり本を読むなりしていただきたい。
さて、この易経の第三十五卦は、「晋」である。
人名にもよく使われる字である。
そして、皆様ご存知の日本のとある政治家の名前にも使われている文字である。
「晋」の「三爻」には、「衆允。悔亡。」とだけ書かれている。
三浦國雄による読み下しと訳文は以下の通りである。
読み下し:衆允とす。悔亡ぶ。(しゅうまこととす。かいほろぶ。)
日本語訳:みんなから信用され、難儀が消える。
「晋」と「三」から成るあの政治家の名前は、もしかしたら易経に由来しているのかもしれない。
由来は関係ないとしても、占いに頼っていると週刊誌に報じられたこともある彼のことだから、「易経」のこの文言のことは知っている可能性が高い。
そして彼は、自身の名前と関連のある「衆允とす。悔亡ぶ。」を自らのモットーにしているのではないだろうか。
周りの友人たちから信用され、難儀は消さないといけないと考えて、これまでに数々の大混乱を引き起こしているのではないだろうか。
あるいは、居直っていれば、一般大衆からも信用されて、悪い局面は無かったことになるとでも思っているのだろうか。
彼は、「易経」の教えに従っていれば何とかなると思っているのかもしれない。
でも、彼のやっていることは、悔を允にしようとして、衆が亡びる道を作っている。
「上」にいる奴まで勉強もしない。俺様つえーをやりたい。というのを野放ししたのが腐った儒教。
儒教、論語でなくてもいいけど、それならマネジメント論を勉強しろと言いたい。だが、それもやらない。
そして上に行くにあたってマネジメント論も、上が下を思いやるという仁も考えていない。
上が自分をおだててくれたり、下を統率する能力関係なしに成果を上げたやつを引き上げた結果。成果主義論の悪弊でもあるかもね。
功には禄を、徳には地位をという西郷隆盛の言葉もあるが、下を労い適切にマネジメントする能力がないやつも引き上げた結果でもあろう。