はてなキーワード: 中庸とは
死刑制度に賛成or反対っていう問って、言い方を変えれば殺人の分野でたぐいまれな業績を上げた人を罰するか罰しないかってことよね。
これはより一般に「人並み外れた業績を上げた人を排除する社会か、排除しない社会か」という選択の一側面だと思うのよね。
最近自分の能力が大したことないなって思いが強まるほどに、人並み外れた人は排除して、みんな中庸な社会の方が能力が低い自分みたいな人にとっては幸せな社会なんじゃないかと思うようになった。
自由主義社会では能力が高い人がどこまでも幅を利かせて格差が広がる一方で、能力が低い人は何も得られず搾取される。自由主義社会におおて能力が低いことは、死ぬまで罰を受けるに値する罪なんだろう。
ー 政治、経済、日常まで、非常に広い話題に対応している点で高い評価を受けられています。どのようにしてトピックの幅を広げられているんでしょうか。
増田: あー…そうだね、広い話題を書くことは大前提なんだ。できるだけ色んな層にリーチする文を心がけてる。話題自体は、自分の体験から拾っていることが多いかな。実体験だけじゃなくて、外を歩いたり、買い物をしたりしていると、自然と周りの声が聞こえてくるだろう?そういう声を聞き流さずに、自分の中に落とし込んでいくんだ。なんて言うのかな、憑依させる…が一番近いかもしれない。その人の声や体験を、自分の体験として刷り込んでいく感覚。
ー 最近特に気になるトピックはありますか?キャリアを通してIT関連、特にエンジニア・プログラミング周りは得意とされている印象がありますが、時流を掴んだ話題はヒットに繋がりやすいという分析もあります。
増田: 当然そうだね。みんなが関心を持っていることを、表現に落とし込みたいと常に思っている。最近だとそうだな、今年に入ってからは弱者男性、オリンピック…あとは差別関連のトピック。批判を受けることもあるけど、刺激的な要素はいつだって自分の表現の中心にあるものなんだ。2ちゃんねる(現5ちゃんねんる)から強い影響を受けているからね。同じ話をしていても、内容の振れ幅、視点の違いは大切にしている。最も重要視していると言ってもいいかもしれない。多くの人の声を表現するためには、中庸であることよりも極端であることが大事なんだ。左右両極端の意見を書いていくなかで、自然と中庸、場合によっては正論に近いものにたどり着くことができると思ってる。
ー トピックの話に戻ると、時に周りが驚くようなカミングアウトもされています。特に下ネタ、厠周りなど。
増田: それは…そうだね(笑)自己開示なのかな。どうしても政治的、刺激的な議論ばかりだと受け入れられないっていうか、自分で書いていて飽きてしまうような時期があるんだ。毎日同じようなことばかり書いているなって。そういう「ダメになっている」時期に、息抜きとして下ネタや脱糞なんかについて書くことがある。肩の力を抜いてね。でも意外とそれが好評だったりして、なんかな、てね。(おどけた表情で周りを見回す)
ー はてなブックマーク以外のSNSでも注目を集めることがあります。好意的な意見も多いですが、中には否定的なユーザーもいて、トラブルに発展するケースもありました。
増田: SNSについては…(落ち着きなく体を動かす)ちょっとセンシティブな問題なんだ。できれば話したくないようなことで。自分自身は外部のSNSに向けて情報を発信しているつもりはないんだ。そういうシーンがあることは知っているけどね。あくまではてブを地元だと思っているし、はてブユーザーの顔を想像しながら書いてる。いや、どうだろうな…もっとパーソナルな表現と言えるかもしれない。それが結果的に、はてブを超えて届くことがあれば、決して悪いことではないかな。
最近しばらく考えていた事を話すきっかけになる増田ありがとう。
俺が考えていたのは、しいて名前をつけるとしたらニューバランス教。
靴のメーカーですでにあるが、それしか言いようがないから仕方ない。
物事はどこかに振れると必ず触れ戻しが生じます。バランスを取ろうとします。
例えば人口が増え過ぎた場合、パンデミックや大規模な戦争が起きて人口が減る方へ触れ戻しが発生します。
二酸化炭素が増えて地球の温度が上がれば植物が増えて二酸化炭素が減るフェーズに戻ります。
ニューバランス教としては、それらマクロなバランスを受け入れ、自分の中のミクロなバランス感覚を養う事がその中心教義となります。
人と人とのコミュニケーションに落とし込めば、それは中庸の追求となります。中庸は人ひとりで完結せず、止揚の中にしか存在せぬものとして、互いを尊重する、という教徒の生活指針が、現代社会にも十分受け入れられる余地があるものと思ってます。
最近しばらく考えていた事を話すきっかけになる増田ありがとう。
俺が考えていたのは、しいて名前をつけるとしたらニューバランス教。
靴のメーカーですでにあるが、それしか言いようがないから仕方ない。
物事はどこかに振れると必ず触れ戻しが生じます。バランスを取ろうとします。
例えば人口が増え過ぎた場合、パンデミックや大規模な戦争が起きて人口が減る方へ触れ戻しが発生します。
二酸化炭素が増えて地球の温度が上がれば植物が増えて二酸化炭素が減るフェーズに戻ります。
ニューバランス教としては、それらマクロなバランスを受け入れ、自分の中のミクロなバランス感覚を養う事がその中心教義となります。
人と人とのコミュニケーションに落とし込めば、それは中庸の追求となります。中庸は人ひとりで完結せず、止揚の中にしか存在せぬものとして、互いを尊重する、という教徒の生活指針が、現代社会にも十分受け入れられる余地があるものと思ってます。
バイデン勝利で民主主義の勝利って言ってるアホに、「トランプ支持は民主主義じゃないのか?どんだけ選民主義だよ」と煽ると陰謀論者ってことになって
しつこく付きまとってきて
「お前の言ってることは正しいが、お前が言うな」とか言い出すからな
いい加減、リベ連中は「自分たちが正しいんだ」みたいな態度でモノ言うのやめろや
トランプ支持すら許せない肝の小ささでよ
何が分断だよ
当り前だろ
てめぇらが、ウエメセで「導いてやろう」なんて態度でいる限り
溝は埋まんねぇんだよ
自分が一切変わろうとせず、他人が変わらないのが「悪」と断罪する連中に誰がついていくんだよ
体感一割だ?
一割もいるのかよ?