はてなキーワード: ファンタジーとは
ジャンルは三人称視点ファンタジー世界観で、触手・異種姦ものとレズものをミックスしたような感じ。
エロ無し回も含めると、平均4,000文字から5,000文字くらいのエントリを、2週間毎日投下した。
・ノクターンノベルズでエロ小説を読んで、「これ俺の方が上手く書ける気がする」と何回か思った
・けど「上手く書ける気がする」だけだと口だけ妄想野郎だし、何より自分の創作を勇気をもって公開してる人に失礼だよなーと思った
・エロ小説であっても、実際に自分で書いてみることで何か新しい知見が得られるかも知れないと思った
・全体的に、一人称視点のチート・異世界転生ものか、三人称視点だとダークで女の子が可哀そうな感じになる作品が支配的で、俺が読みたかった、三人称視点でかつ女の子が可哀そうじゃない異種姦もの、というのがあまり見つからなかった(観測が足りないだけで、ないわけではないと思う)
・どうせやるならある程度ちゃんと分量揃ったコンテンツにしたいと思った
・ごめんなさい正直よくわかりません
・一応数値で言うと、これを書いている時点でブックマーク数が139、総合評価が429pt、評価してくれた人は16人、(文章評価:ストーリー評価)は5pt満点で平均(4.8pt:4.7pt)で、観測した限り、同じ時期に始まった、かつ他に作品がない新人の作品の中ではそこそこの数値である、ような気がする。日次ランキングは最高で35位くらいになった筈(これ書いてる時点では80位くらい)
・けどあんまり客観的な指標とは言い難いし、当然上には上がいる
・エロって実際自分で書いてみると本当難しいなーと思った。それが分かっただけでも収穫だったと思う
・というか、エロとか関係なく、ゼロからストーリーを構築し続けること自体が凄い。これはラノベ他、創作全般に言えると思う
・ノクターンノベルズでは、ブックマーク外で新しい作品が観測される導線が、基本的には更新時間での「新着順」の検索しかない。キーワードで絞って検索することも出来る
・その為、ゼロの状態からたくさんの人に読んでもらいたいなら、ある程度お話を細かく区切って、何度も投下して新着で表示されるタイミングを多くした方が有利なんだろうなーと思った。
・俺が書いたのはあんまり細かく区切ってていない(ちゃんと話の区切りで区切りたいと思った、あとエロシーンが細切れになるのが嫌)のでその点は不利だったかも知れない
・投下時間を色々工夫してみたが、基本的には22時頃に投下するのが一番読まれる可能性が高いように思った。幾つかアクセスの波があって、それが大体22時~1時、6時~9時、11時~13時で3か所くらいある。恐らく寝る前、通勤・通学中、昼休みなんだろう
・キーワードタグには検索されやすいキーワード、検索されにくいキーワードがあるようで、(俺にとっては)意外なことに「男主人公」「女主人公」「現代」「学園」など、具体的な性癖ワードではなく、作品の舞台立てについてのキーワードの方がよく検索されるようだった。「触手」「異種姦」なんて上位50位にも入っていない。触手ってマイナー趣味だったのか…。古来からの伝統ジャンルなのに…
・キーワード検索での流入はそれなりの数あるようなので、作品をきちんと説明できる範囲で適切なキーワードを設定するのが大事そうだと思った
・エロシーンしか読まれないだろうと思っていたら、案外エロ無し回でも読んでくれる人はたくさんいるようだった。必ずしもエロ目的の人ばかりでもないんだな、というか「エロもあるストーリー」を読みたい人って意外に多いんだなーと思った
・感想はマジで嬉しい。もし好みの作品があったら、一言「面白かった」だけでもいいから感想書いてやってくれ。書いている側からすると暗闇に向かって独り言を言っているようなもので、「あ、誰か人間が読んでるんだ」と分かるだけで本当にモチベになる
ここまで書いたら晒せって言われると思うので一応リンクだけ貼っておく。当たり前だけど18禁だしエロ注意。
https://novel18.syosetu.com/n0408fw/
以上です
学生の頃知り合って、もう6年近い付き合いになる友人のことが好きかもしれない。
そう思うようになるまでは、自分はずっと男性が好きなんだと思っていた。実際好きな男性もいた、ただその人にはふられてしまった。
自分のことを好きといってくれる男性も何人かいたけど、結局その人たちのことは最後まで少しも好きになれなかった。
だから「好き同士」という感覚がわからない。その友人とどうなりたいのかもわからない
もともと「美しいもの」として女性の体が好きだったし、オタの弟の影響か二次元美少女のエッチなやつとか普通に好きだし、百合もの好きでよく読むし、魅力的な女性や、女性同士の関係というものにとてもときめくことがある。だけど自分自身が女性と性的な関係を持ちたいか、ってまだよくわからない。画面や紙の上の女性たちは、私にとってはファンタジー同然だ。
友人の過去の彼氏に嫉妬したり、友人と仲の良い知り合いにも嫉妬したし、友人から連絡がくると何より嬉しいし、街へ出ればあの服彼女に似合うだろうなとかこれ彼女が好きそうだなとかそういうことばかり考える。
男の人と出かけても、ああこの人といるより彼女といるほうがどれだけ…と上の空になってしまう。
彼女にとって私はたぶん数多くいる友人のひとり、私は(彼女限定で)フットワークが軽いため誘いやすいから誘ってるだけのひとり、そう思うと、こんな気持ちを隠している自分がひどく不誠実に思える。彼女を裏切り続けているように思う。
香港のデモが暴動がしている問題で、第三者にしか過ぎない一人の日本人として、地域の住民の意思表明を尊重するという立場である。冷笑系と言われるかもしれないが少し悲観的な意見を伝えたい。
今のデモ隊の中には様々な意見の人たちが含まれている事は理解しており、必ずしも独立を訴えている訳ではない事も理解している。(だからこそ着地点がないよね)
ただここでは仮に中国本土から独立をした場合にどの様な結果が待っているかについて意見を述べたい。
独立国家になった場合の一番の懸念は大国からの干渉だと思われる。一つの小さな国家が対抗できるのか。独立後は香港の経済も悪くなるだろう。
時代はもはや近代ではない。法治国家として政府に不都合な因子を追い出す事はできない。
つまり今の国内の階層構造が維持されるので潜在的スパイを抱えた状態で国を始まる。大国の金によって傀儡政権だって生まれるだろう。
中国にとっては一国二制度の約束が無効化されるので、堂々とスパイ活動で国を混乱させる事が出来るだろう。ソ連と違い中国はこれからも国力を上げてくるのは明らか。10年後には望んだ結果と真逆になるのではないか。
そうなる事も織り込み済みで民主的な手続きによるコンセンサスが大事なのだという意見もあるかと思うが、中台関係をみてると民主的手続きが望めるかも怪しい。ある日突然攻め込まれる可能性もある。
もちろんイギリス領になったり、台湾と共闘するというのもファンタジーだ。
過去にソ連などから独立を果たした地域があるという事実は歴史の授業で学んで方が、綺麗事じゃないのだなと歴史の見る眼差しだ。
https://www.redcrossblood.org/content/dam/redcrossblood/rcb/landing-pages/components/GOT_poster.png
真っ白な背景に、まるで本物の血を使って描いたかのような人物のイラストがどんと載せられている。イラスト中の人物もまた、傷を負っているのか返り血なのか、みな血に塗れている。
そして”Bleed For The Throne”の文字。
これらのインパクト大なポスターは、アメリカ赤十字社が超大ヒットドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」の最終シーズン放送を記念しておこなわれたコラボキャンペーンで制作されたものだ。
「玉座のために血を流せ」とは挑発通り越してもはや強要だが、王の座をめぐって血で血を洗う争いを繰り広げる中世ファンタジー作品のこのドラマにはぴったりだと思う。
さらにすごいのがこれがただの作品イメージに合わせた献血キャッチコピーというだけでなく、献血した人の中から抽選で原寸大の「鉄の玉座(ドラマに出てくる玉座の名称)」が本当にもらえちゃうのだという。(こういうのhttps://www.redcrossblood.org/content/dam/redcrossblood/rcb/landing-pages/components/GOT_Throne_Straight_on.jpg.transform/1288/q70/feature/image.jpeg)
クソ座り心地悪そうだしこんなんもらってもどこに置くねんと思われるかもしれないが、あの七王国を統べる鉄の玉座が貰えるなんてファンからしたら垂涎ものだろう。俺もアメリカに住んでいたら喜んで血を流しに行ってたろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/iidaichishi/20191110-00150292/
学校でやったアンケートだから『先生ウケが良さそうなもの』を書く子が多そう
(漫画よりは図書館にあるような本、単なる娯楽本よりは学習本の類を書く子が多そう、って意味で)って考えても妥当だし、
むしろ「それでも男女とも上位なコナンすげえ」って話なんだがこれ。
あとズッコケはとっくに死んでるよ…今の小学生ほぼ知らんよ…完結して15年経ってるし…
あとゾロリなんかと違ってリアル日本が舞台でファンタジー成分も薄めな分、描写も古いだろうしなあ。
逆にゾロリは30年経った今でも人気あるんだよね。最近の売上は同出版社類似ジャンルのおしりたんていに負けてるけど
(まあゾロリはほぼ男児向けだけどおしりたんていは女児人気も高い、って違いはあるんだけど。
ゾロリとよく一緒くたにされるが、実はあんま下品じゃないんだよなおしりたんてい)
https://wezz-y.com/archives/70347
これを肴にちょっと思ったことをまとめようとしてぐだぐだになった。
基本的に、レズビアンに限らず、何らかのマイノリティはおおまかに以下のような流れで変遷していくと理解している。
この段階は、視聴者として言えばそもそもそのそのマイノリティの存在をそもそも知らない段階で、制作する側も(マイノリティを狙っているコンテンツならまだしも)マジョリティを狙う以上、同様に無視している状態。
例えば「オタク」を例にすれば昔の日本のドラマには全然登場しなかったし、「女性の社会進出」を例にしてもそういうネタは全然登場しない。
マジョリティ向けのコンテンツはマジョリティが理解できる範囲の世界しか描かないからこそマジョリティ向けなのである。
もちろんマジョリティに存在を無視され続けていたら流石に声を上げるようになるわけで、少しずつマジョリティの目には「新しい存在」が出てくる。
そうすると、今度はそういう「新しい存在」をバラエティ的に、面白おかしく消費する段階に突入する。
例えば「オタク」で言えば暗い部屋でニヤニヤしながらピザ食ってるようなのばっかり出てくるし、働く女性だって眼鏡かけてキツいだけの「テンプレートとしてのマイノリティ」がエンターテイメントに登場してくるようになる。
この段階では、視聴者はそのマイノリティを一つの(自分とは違う)属性として消費しているだけであって、別に理解を示したいわけでも何でもない。
ここで「オタクってのは本当はもっと多様だ」とか「働く女性の形はそんなんばっかりじゃない」とか騒いでも「いや別にドラマ見るときくらいそういう面倒くさいこと考えたくないしそもそも本筋じゃないよね?」というのが視聴者の感想だろう。
こうしてステレオタイプとして消費していくうちに、「これまで脇役としてテンプレートの形でしか登場してこなかったマイノリティの人たちを主役にした(ちょっと社会派ぶった、だけど受け入れやすい)コンテンツ」が登場してくるようになる。
オタクであれば「電車男」であったり、女性の社会進出であれば「働きマン」であったりと、スタート地点は上述のステレオタイプでありながら、そこに至った経緯やその人の半生にフォーカスをあることで、「マイノリティの人たちも頑張ってるんだね!」とマジョリティの人たちが暖かく見守ることができるコンテンツが登場するのである。
ここでようやく、視聴者は「記号化されていないマイノリティの人たち」を発見し、彼らについて一定の理解を示すようになっていく。
ただし、この段階はになっても「マジョリティがマイノリティの世界を覗く」という意味では観光やサーカスに近く、一種のファンタジーとして消費しているとも言える。
当たり前だが、マイノリティを主役にしたコンテンツはそれが希少だから面白いのであって、例えば「オタクを主人公にしたドラマが受けたから次から毎年一本はオタクを主人公にしよう」とはならない。
(なったとしても本当に一過性で終わっていく)
結果的に、視聴者の認識はファンタジーとして消費された時代からアップデートされないので、その頃のイメージのままで留まっている。
例えば、「電車男」以後しばらくの間はオタクの内面はウブでコミュ障のままだったし、「働きマン」以後長い間自らの身を粉にして働く女性が多数登場した。
かつてのように「偏見に満ちたまま適当にイロモノとして扱う」ことからは脱却したものの、描写の仕方がアップデートされないままなので、結局張られたレッテルが変わっただけに過ぎない。
そのうち、そういう「ちょっと特殊な扱い」で描写するのもだんだん飽きてきて、最終的に「普通にその辺にいる」扱いになる。
今のドラマに出てくるオタクは「何かに詳しいキャラ」をオタクと呼ぶだけに過ぎなくなり、内面の屈折したオタクだって多数登場するようになった。
ともすれば前時代のステレオタイプに戻ったように見えて、その実、かなり複雑化していると言える。
簡単に言うと、この雑に扱われる段階になってようやく「市民権を得た」状態となる。
ということで、上記の流れを踏まえて眺めてみると、レズビアンはまだまだ後進的に思える。
世界的にはアナと雪の女王に代表されるような、わかりにくい描写も増えてきて、少しずつ、多様性を獲得しているようには見えるのだが、日本に目を向けると、未だにレズビアンが主役のドラマは少ないように感じる。
(あったとしてもポルノ的な消費をされていて少し本流と違うというか)
それに対して日本ではゲイは「主役を張れる」レベルにまで一般化されつつあるのを感じる。
少し前までゲイは主人公(イケメン)のケツを狙うか、ナヨナヨしてるオカマかの二択だったのが、ようやく主役として一人の人間として描かれるようになったのだろう。