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はてなキーワード: バカチンとは

2020-02-09

曖昧証言で見事に誤認逮捕キメさせた女性は動転パニック仕方ないねお気持ちヨシヨシされてるのに

被害者の男のお怒り表明は矛先がチ・ガーウ!正しき怒りを持たんかこのバカチンがーッ!!って叩かれててワロタ

2019-11-02

anond:20191102140241

正直、ここを当初から問題にしてる人たちはいたんだけど、巨乳論争でかき消されちゃった感があるね。

巨乳論争がなければ、批判側も擁護側も冷静に話できてたと思うよ。

というか最初弁護士先生とか途中のバカチンの正体とか最新の大学教授サマとか、声の大きい論客問題にしてるの軒並み巨乳の方だという。

あの連中が出てこなけりゃ「献血できない人を煽るのよくないですよね」「そうですね」で終わる話だったと思うんだ……

2019-06-02

anond:20190602205801

お前なー、そんな分かりやす煽り方されても笑っちゃうだけなんだけど。

そういうの嫌いじゃないんだけどさ、もう少し大人になれよ、バカチンが。

2019-05-10

anond:20190510234413

で、一人で勝手に憎んで、ここですら誰一人としてまともに説得できてなくて、次は何をするんですか?

さっさと実力行使しろバカチン

2019-02-27

anond:20190227181458

残念だが国体は維持されてるのでwww

しかったらwwww 天皇制廃止にしなかったマッカーサーを恨めwwwwww

つーか憲法変わるたびに歴史リセットされるならまず大日本帝国憲法施行した時点でリセットじゃねえかもうちょっと頭使えこバカチンポが

2019-01-02

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

2018-12-10

anond:20181210161637

そのあれよあれよを説明するのがお前の仕事なんだよ!バカチン

2018-12-02

大学3年師走焦燥感走り書き

自分は何になりたいのか、今の自分には何になれるのかが不透明になってきている

一応卒業後の希望職種はある

けど、これが本当に自分がやりたいことなのかわからなくなってきた

まあそれはいい、仕事なんてそんなもんだと割り切れればいい、割り切れなかった時にまた考えればいい

あと、その仕事に就くための試験勉強等に全く着手していない

今は試験勉強よりも、卒論に向かうにあたり最低限頭に入れておかねばならない統計学論理学勉強したい

並行して行えばいいか

でも結局やってない、バカチン

そして12月帰省するためそのぶんのバイトを詰めた

現状そんなんだからこんな増田をだらだら見ている余裕はない

てかあれだな、勉強しなければならないという意識で向かってるからやる気にならんのだな

焦らず、今まで知らなかった用語意味を噛み砕いて理解していくこの面白さをちゃんと楽しんでやってかないとだめだ

あああ時間がない、でもちょっとはある、ちゃん有効活用しなきゃ

別に他の人より偉くなくていいか自分が良いと思った、自分を養える、自分を楽しませられる道へ行けるようになんとかしないと…

あああまたmust to doに縛られている、しんどい

2018-10-10

anond:20181010090823

それな。

フェミについて何も知らないくせに、フェミを叩く無知バカチンポの多いこと多いこと

2016-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20161227130109

説教できる立場じゃないと苦言を言ってはいけないってことな普段増田がやってることって何なの?

「罪を犯したことが無いものだけ、石を投げなさい」を押し付けてくるなら俺がキリシタンかまず確認してからしろ

お互いがお互いを指摘し合わない限り、そこに神の子でもいない以上改善は無いんだよバカチン

それでマウンティング成功してると思ってんのが頭悪さにじみ出てるわ

普段社内で改善とかどうやってんのか不安すら覚える、お互いが誰かにミスを擦り付けて終わってるんだろうな

2015-04-01

マンハッタン計画はなかった

原爆なんて、原発なんて、最初からなかった—全体主義に怯える西洋の知識世界が総力を挙げて案出した虚妄世界から脱出し、全人類解放せよ!!

2015/4/25追記:ネタですた。詳細はぶくまこめ参照

2015/4/29追記:なんかロスアラモプライマーの邦訳出るんだって

2014-11-18

マジ!?彼女できたの?写真見せて見せて!!

なんなんでしょうこれ。

猫も杓子も写真見たがるけど、そこに何を求めてるんでしょう。

自分の嫁と比べて勝ち誇りたいの?視姦したいの?

写真ないです」でうまく切り抜けられなかった場合は見せることになるわけだが、

見せたら見せたで「おおー…。うん…性格良さそうだね!」じゃねえよ。

文句なし美女が出てくることしか想定してなかったのかバカチンが。

おい携帯返せ。隣に回すんじゃねええ!!

せめてデリケート領域に土足で上がり込んでるという自覚を持って欲しい。

そういった自覚が足りないから想定の甘さに繋がり!見積もりの甘さに繋がるんだ!!

わかったか!!!

2014-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20140903224533

陸上なんだからフライじゃないだろうがこのバカチンが。

さておき元増田の「昨今のエンジニアって、科学は万能だ!っておごり高ぶってから、欠陥あってもゴリ押しで売りに出しそう」とか頭が悪すぎてため息しか出ないよな。欠陥あるのにゴリ押しなんて50年前にリコール制度が導入された頃からある話で、昨今どうこうという問題ではない。こういう感情的科学否定論者が人類の発展を阻害してるんだよな。

もっとも、その構図もたぶんここ50年間変わっていない。もしかすると19世紀ソローの「森の生活」あたりか)から変わっていない。重力に魂を惹かれた人間にはこれが限界なのか。

2014-06-11

xyzzyにはまだまだ俺の知らない要素が詰まっている

grep結果をf10しようとして間違ってf11(next-error)を押していたのだが

複数回押してたら「これ以上エラーはないっつってんだろうがこのバカチンが!」と表示されてびっくりした

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