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言いたいことは分かるよ。でもそれは「信仰」という言葉の定義の問題であって、多くの日本人にとって信仰という言葉の意味はこんな感じなんだよ。
しん‐こう〔‐カウ〕【信仰】[名](スル)《古くは「しんごう」》
1 神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。「信仰が厚い」「守護神として信仰する」
しん-こう《名・ス他》神・仏など、ある神聖なものを(またはあるものを絶対視して)信じたっとぶこと。そのかたく信ずる心。(Oxford Languages)
な?
国語辞典における「意味」というのは、「世間一般でのその語の使われ方」がベースになってる。だから、あんたが個人的に「信仰」という語をライトに使用するのは自由だけど、世間一般的にはそれはあくまで「信仰と呼ぶにはゆるい/ライトなもの」であって、日本人の多くは自分の宗教観、宗教的態度を「信仰」と呼ぶのはちょっと大げさだよねー、という感覚を共有してるってことだよ。まあ、将来あんたのような人間が多数になれば「信仰」って言葉の意味が変わる可能性もあるっちゃある。ただ、それは単に物事の捉え方、表現の仕方の問題であって、「自分を『信仰』的立ち位置に置きたくない」という日本人の宗教トラウマは、まだしばらく続くと思うなー。
同人誌:同人誌(どうじんし)とは、同人(同好の士)が、資金を出し作成する同人雑誌の略語。(ウィキペディアより)
同人雑誌:主義・目的・傾向などを同じくする仲間が集まって編集・発行する雑誌。同人誌。どうにんざっし。(デジタル大辞泉より)
つまり、本来の定義では同行の士が集まって作る事が主体であり、単に個人が自分の想いを綴るぶんにはそれは「SS」や「二次創作作品」に過ぎません
もちろん、「本来の定義に当てはまらない物は同人誌ではない」とは言いません
表現のために本を作る人、仲間のためにイベントに合わせて本を作る事を主にする人のどちらががいても構わないと思います。ただ、二つを比べればむしろ同人誌の活動としては後者の方が本道に近いと言えます
女と子供。とるにたりない意や、足手まといになる意で引き合いに出されることが多い。「女子供にもできることだ」
① 女と子供。しばしばとるにたりない、足手まといになるという意を含めて用いられた。
女ってだけで馬鹿にされる。
耐えられない。
無理、ほんと無理。
なんでこんな言葉が生まれて今まで問題視されずに使われてきたの日本。
ほんとこの国どうかしてる。
キモチワルイ。
そして極めつけはこういう主張をすると大げさだの考えすぎだの極一部の男にとって都合のいい反論持ってきて有耶無耶にされること。
もう死にたい。嫌だよ。
なんで女ってだけで馬鹿にされなきゃいけないの。
こういうのは分かるんだ 確かに性的倒錯があるよ まさしくエッチだ 変態行為の名に恥じぬ
同性愛はもはや普通だけど、とはいえやっぱり性行為の本懐は生殖にある という意味では変態行為と名乗ってもいいだろう
おそらく(少なくとも先進国では)最も広く行われている性行為って意味で変態と呼んでいいのか?という疑問が生じてくる
しかしわざわざそのために作ったゴムの薄膜を性器に付けたり避妊薬を飲んだりしてセックスするのは控えめに言ってキモすぎる 変態行為と言って差し支えないだろう
このへんはいいんだよ
でもな
これはどこをどう頑張っても変態じゃねえだろう
どこに倒錯があるんだよ なにからも逸脱してねえの 動物が交尾してんのと一緒 変態要素はない
ここになんらかの価値判断があるか?
LGBTは「普通じゃない」って言ったら怒られるけど「少数派だ」って言っても別になんもないじゃん
「普通」の概念って多数少数を基に決まると思うんだけど、「普通(=多い属性)じゃない」と「少数派だ」って何が違うんですかね
いくら「同性愛だって普通だ」つったって10人にひとり程度なのは変わんないわけじゃん まあムチャクチャ変で特殊なものだとは言わないけど、人数比で考えてどちらかというと普通じゃない側なのは確かじゃん
事実に対して怒ったり傷付いたりするのってなんなんすかね 数が少ないって言われるのが嫌なのか?
まあ顔が事実ブサイクな人にブサイク!つったら罵倒になるからなあ…事実も攻撃性を持ちうるってことか
しかしそれにしては「セクマイ」が許されてるのが謎だ 異性愛者の方が多いって事実が嫌なんじゃないのかな
わはは、かかったな!
(編集後記)論を補強するために反論を出すやつやろうと思ったけどその反論にことごとく論破されちゃうから何も書けんかった 倒しがいのない文章で申し訳ないっす
1 人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。「倫理にもとる行為」「倫理観」「政治倫理」
2 「倫理学」の略。
私は全人類が共通して守るべき倫理があると信じる者だが、それがどのような内容なのかは分からない。
キリスト教徒にはキリスト教の倫理があるだろうし、イスラム教徒にはイスラム教の倫理があるだろう。
同様に日本人には日本人の倫理があり、アメリカ人にはアメリカ人の倫理があるはずだ。
「倫理観のアップデートを」と書いてあるが、それはどの倫理規範を指すのだろうか?
それぞれがそれぞれの倫理を尊重する表現をするならば、それは現状と何ら変わりがないだろう。
内閣の行政権が国民に向けられている!けしからん!というツイート。
いや、行政権が内閣に属するのは憲法にも書いてある当たり前の事だろう。官邸の図は何も間違っていない。
第六十五条に「行政権は、内閣に属する。」って書いてあるだろう。
行政権が内閣以外に属していて、しかも国民以外に向けられているという理解なのだろうか?
さらにツイート主は国民から内閣への世論の矢印が無いと批判している。
内閣は世論を尊重するにはするが国会で成立した法律を執行するのが三権分立の根本的な意義だ。
三権分立の説明図でこれを省略するのは何もおかしくないし「概要」図でそこを難詰するのは難癖でしかない。
そもそも高校の教科書やデジタル大辞泉といった学術書とは言えない書籍を引き合いに出すのは、どうなんだ。
これに続くリプライも頭を抱える。
じゃあ行政権はどこに属するんだよ。日々の行政はどこの誰が誰に向けてやってるんだよ。
憲法読んでないのはどっちだよ。
最高裁判所が終局判断するんだから最高裁の方がより正確。これも憲法に書いてあるじゃないか。
第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
体液、特に血清と浸透性を等しく作った食塩水。輸血・補液や注射用薬剤の溶媒として用いるほか、摘出した器官や組織を生きたまま保存するときに使用。人間などの定温動物では0.85~0.9パーセントのものを用いる。生理食塩液。
出典:デジタル大辞泉
生理食塩水=塩0.9g/(塩0.9g+水99.1g)*100%
つまり生理食塩水を作るには99.1gの水に0.9gの塩を混ぜれば良い。これを熱中症になったときなどに補給すると回復が早まるらしい。
疑問なのは3%の食塩水だ。熱中症が話題になった時、97gの水に3gの塩を混ぜて飲めと言われていた気がするがあれはデマなのか。それとも自分が何か勘違いをしていたのだろうか。今となってはわらない。
相対音感 ある音の高さを他の音との関係において識別する能力。
ヒトには音の高さを感じる能力があります。内耳の蝸牛に聴覚細胞が並んでいて、周波数によって興奮して信号を発する部位が違っています。これが脳の聴覚野で処理されて音の高さとして認識される。
長さに例えると長短は比較できますが「ものさし」がありません。何㎝と分かるには、単位を決めて物差しを作らないといけません。作成したものさしを基準点に合わせて長さを測ります。
音の高さはラ=440Hzの基準を決めます。周波数が2倍の880Hzの音を人間は「同じ音」に感じます。この音程・音の高さの間隔を1オクターブといいます。合成された波形の周期が元の周期と一致します。音の高さには「トーンハイト」と「トーンクロマ」という2つの考え方があり、トーンハイトがオクターブ単位で違う音はトーンクロマが同じと感じられます。
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周波数が2:3の音程は美しく響き合うと感じられます。合成された波形が単純な繰り返しになります。音楽ではこの音程を完全五度と名付けています。
2:3の関係で音の高さを決め、1オクターブの範囲を超えたら周波数を半分にして折り返します。こうしてできる12音の音列を半音階といいます。この方法をピタゴラス音律と呼びます。ピタゴラス音律では13音目が最初のラと「ほぼ同じ」なのですが、このために和音の響きが濁ります。不快な「うなり」が発生します。この音程の誤差をピタゴラスコンマと呼びます。
これを補正するために、様々な音律・半音階の周波数比が考案されてきました。ピタゴラスコンマを分散させています。
ピタゴラスコンマを均等に割り振ったのが平均律。きんとうに和声が濁ります。
ラ=440Hz と 平均律の音程 を 覚えて、半音階上の位置を判定します。これが相対音感。ラの周波数は可変です。半音階の音高に「音名」をつけます。が、ドレミファソラシは7音・全音階に命名されていて、半音階は♯♭をつけて表されます。
絶対音感は訓練によって、半音階の音の高さを記憶して、絶対的なものさしとして使います。記憶には短期間で忘却する短期記憶と長期間保持し続けることのできる長期記憶があります。短期記憶を繰り返すことで、長期記憶として定着すると考えられています。絶対音感・音の高さの長期記憶は、幼児期でないとできないとされています。脳の発達により能力が失われる。相対的な音の高さを思考できるようになると、単純な記憶をする訓練が妨げられる。諸説あります。
色覚はたくさんの色を認識することができます。これは光の周波数・波長を感じています。日本の文化では、赤橙黄緑青藍紫が波長の順に命名されています。
絶対色覚……という用語はありません。緑と青の間にも無数の色があり、これを明確に区別することができないから。
絶対音感は、ドレミファソラシの周波数を固定的に記憶しています。
ドとド♯の間の音は「わからない」 精度が低ければ近い方に誤認します。ドに近い・ド♯に近いと分かるために、相対音感で補間をします。
赤~紫の光は、赤・緑・青の3つの合成で作ることができます。0~256の強さで表すと256*256*256の色を表現できます。
音には1秒間の振動数で表すHzという単位の他に、音楽では1オクターブを1200分割して1セントとする単位があります。
可視光を7分割するのは、日本の文化。文化によって色名の数は異なります。
絶対音感があると、音がすべて「ドレミに聞こえる」という誤解があります。音感があると音の高さが「ドレミで分かる」だけです。もし「ドレミファソラシ~♪」という音声が聞こえていたら、それは脳が作り出したもの。生活に支障があるならばそれは「幻聴」という病気。
絶対音感で記憶している半音階に拘りがありすぎると、強迫性障害を発症します。長さが1cm刻みぴったりでないと許せないと言い出したら病気ですね。
人には聴覚から入ってくる情報を取捨選択して無視できる能力が備わっています。これを「カクテルパーティー効果」といいます。言語の音声を多数同時に処理できるほうが稀な能力ですし。雑踏の話し声がすべて頭に流れ込んでくるとか、どこからか話し声が聞こえてくるとか言い出したら病院へ
音感があっても複数のパートを同時に処理し記憶することは容易ではありません。そのような優れた音感・記憶力は「絶対音感」と誤解されていますが、音感の種類である絶対・相対とは関係ありません。
デジタル大辞泉だと
望みがなくなったり、当てが外れたりして、気力をなくすさま。「遠足が中止になってがっかりする」
だってよ。
単純な落胆じゃないっポイね。いつからそうなったのは知らんけど、他者に対する楽観が外れて勝手に失望してるのを「ガッカリ」っていうニュアンスはある気がする。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/4890/meaning/m0u/
[形動]他より非常に勝っているさま。「圧倒的に強い」「圧倒的な支持を得る」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/122264/meaning/m0u/%E6%88%90%E9%95%B7/
[名](スル)
圧倒的だというのと、成長という言葉が結びついてきにくいです。
例えば、圧倒的な成長の速さというのであれば良いと思うのですが。