はてなキーワード: ストレスチェックとは
と言ってもまだ二度だけど
初回は、よくあるストレスチェックみたいなものとか性格診断テストみたいなものとかを三つくらいやって、面談に来たきっかけとかを聞かれて、テストの結果についてとか無意識で何が起きているのかとかそんな話を聞かされたりした。
常に緊張状態が続いていますねみたいなことを言われて、あまり自覚もなかったけど、常に歯を噛みしめてるとか呼吸が浅いとか、あとストレスチェックの点数が投薬基準の点数超えてるとか聞いて、へぇ〜…そうなんだ〜…と思った。
性格テストは厳格的とか庇護的とか抑圧的とか開放的とかのやつでまぁ自覚もあるからその通りですねという感じだった。
次回から本格的に…と言われて、二週間後に次を予約した。初回の面談した人から、次回以降相性の良さそうなカウンセラーに繋ぎますね〜って話だったからそのつもりだったけど、当日行ったら前回と同じ人だったからなんかがっかりした。人のやり繰りの都合とか、希望する面談日の都合とかもあるんだろうから仕方ないけど。
いまの人、相槌が大袈裟な感じでこの人本当に人の話聞いてんのかな…という感じがして、いまのところあんまり好きじゃ無い。もちろんちゃんと聞いてはいるんだと思うけど周りにいたことのないタイプの人だからなんか慣れないのもある。もしかしたらカウンセラーの話術としてそうしているのかもしれないし、それならどのカウンセラーとも相性合わなそうだし無理かも。
そもそも受けに行く前からもう行かなくて良くない??という気持ちが強くて、初回の面談をしたすぐあとには、次回からなんか訓練とかするみたいだし楽しみだなーとか思ってたのに、当日はもう次回は予約しなくても良いんじゃないのかなとか、行かなくても自分は大丈夫なんじゃないかなとか、思いながら向かった。
カウンセリングの待ち時間で前回から今回にかけてのこととか話したいことを問診票に書かされるのも初耳で、何書いたら良いのかわかりません、って書いて出す羽目になって、ますます帰りたくなった。
面談自体はよくある子供の頃の話とかを聞かれたりしたけど、なんか自分の話す内容から最終的に家族が批判されることになったら嫌だなぁ…という気持ちがずっとあってふわっとした話しかできなかった。あとは腹式呼吸を覚えましょうって言われて、寝る前に練習するように言われたけど、寝る前のルーティーンがほぼ固まっててどこに入れたら良いのか分からなくてあんまりやってない。やれよ、って話なんだけど寝るギリギリまでスマホ見てたい。深呼吸しながら寝落ちとか楽しくなさそう。
カウンセリングでやる行動療法(?)とかを調べてて、手足の力を抜く訓練とかをするんだと思っていたのに、そもそも腹式呼吸すらできない自分にびっくりしたのもある。その分、うつ伏せで寝転がって深呼吸すると腹式呼吸になるから!っていうのはやってみてめっちゃ実感した。
とりあえず次回も流されるまま予約したから、前金制でお金も払ったし、渋々行くことになるんだと思う。
今度何話せばいいんだろうなぁ…
とりあえずコロナウイルスでリモートワークできるようになったから非日常感とか非常事態感とかが強くてわくわくしてる、って話しは出来そうかなー
月一でネイルサロンに行く代わりだと思えばまぁ…って思ってしばらく通ってみるつもりだけど、でもやっぱりふっと行かなくても良くない?と思ってしまう。
利回りの話じゃない。
先日、産業医面談を強制的に受けさせられた。慢性的な残業の多さとストレスチェック結果が
最悪だったこともあり。ちなみにストレス判定はD判定で、傾向としては
・定常的な疲労感
・過負荷な業務量、質
がダントツで足引っ張ってて、結果として呼び出しと相成りました。
確かに組織変更に伴って理不尽な指示や業務を押し付けられてるのは事実だし、
どんな話をするのだろうか、と自らも経験しておこうと思った。
そして面談の日。
メインで会話してくる先生はハリセンボンのはるかにソックリ。死神そのもの。
はじめは雑談から始まり、業務状況を確認しつつ、彼女はこちらの言動や反応、おそらく
私が話をしたのは、
・引き継ぎもできず、その上の上司は「お前がなんとかしろ」しか言わない
・手探りで業務整理してたら実務が滞って、結果として部下からヘイトがくる
・ここ3ヶ月の表面残業時間(勤怠管理システム上)は平均で78.4h、帰宅後の対応や休日の自主労働(実質残業)を138.9h
・つまり230h-300h/月の稼働状況
彼女いわく、「普通に考えれば異常事態といえるが(我社は世間的には超ホワイトで通っている)、あなたの役職を考えると
仕方ない部分もあるかもしれない。現時点であなたのメンタルに不調はみえない、言動や思考も正常としか思えない」
だそうだ。この狂った状況を「仕方ない」と。
そうか。産業医なんてものは、「平社員で明確にメンタルが壊れた人をなんとかする(休ませる)のがミッションであり、
自分みたいな管理職には業務整理に介入しない、使い捨てても仕方ない」と思ってるな。
わずか30分。この面談にあまり意義を感じられず面談履歴のみ残ってしまったが、よい経験だった。
たしかに時間の多寡で給料は変わらない(年俸だから)が、この環境下では、もうもたない気がしている。
今回の学びは、産業医は所詮私たちと同じ会社員であること、質問や言動の傾向をつぶさに見てくるので
逆手をとれば簡単に休職できること(≒精神科への通院指示を出させる)、部下がメンタルやられた時に
できることは、産業医ではなくまっさきに精神科に行かせること、休ませること、だと思う。
みんな、無理すんなよ。
最近、良く目が合う。
病気なんかではない。至って正常だ。ストレスチェックも問題ない。
本当に見られているのだ。
私の体型が気になるのか、私の前髪が気になるのか、マスクをつけているのが気になるのか
普通の格好をしているのにジッと見てくるのだ。
子どもはこちらを見てこない。目の前のことに夢中だし、目的地に一直線だから。
嫌な気分になるので、自分同様こちらを見ずに目的地だけ見てくれないだろうか。
彼氏と歩いているときも、彼をジーッと見られた。私を交互に見てくることも有る。
どうしてだろう。何故、見てくるんだろう。
チラ見して、即座に前だけ見るなら分かるけど、ジーッと見てくるのに意味はあるんだろうか。
わからない。
嫌な感じ。モヤモヤした感じ。
薄暗い、霧の中をずっと歩いている感じの時。
何をしても全然気分が浮上しない。
そういうことがたまにある。鬱ではない。死にたいとは思わないから。
単に、ナマケモノなんだろう。
自分に無償で尽くしてくれるような奴隷を心の奥底では望んでいるのだろう。
正直に言えば、面倒だと思うことは一切したくないんだろう。
この怠け日は1ヶ月以上続くことがある。
仕事のストレスチェックで引っかかって、「引っかかったので任意ですがお医者さんと面談できます」というメールも来た。
鬱じゃない。ストレスだって特に無いはずだ。だって死にたくないから。
「仕事でストレスないですか?」と聞かれたら、「もちろん無い」と答えるだろう。
だって、仕事とは辛いし面倒だし我慢しないといけないものだから。徹夜仕事したりしている友人や、他人と比べたらずっと楽だと思う。
怠けたいだけなんだ。ぐーたらしていたいだけなんだ。無気力なだけなんだ。だるいんだ。
1、2ヶ月くらい過ぎたあと
映画見て泣き、漫画を読んで泣き、運動をしたところ何故か急にスイッチが入ったように元気になってきた。
お風呂を換気扇なしで締め切ったような息苦しい場所からの脱出みたいな感じだった。
怠けたい気持ちも特に変わっていないけれど、モヤモヤがスッと晴れたんだ。
ネガティブに沈みきることが無くなったというか、考え方が少し明るくなったんだ。
私以外には優しいおばさん社員だったから、誰も助けてくれなかった。
今ではパワハラと呼ぶのかもしれないが、その頃はセクハラくらいしか言葉が無かった気がする。
ずっと派遣社員。
派遣先でも人の悪口を言うのが大好きなおばさんがいて、仕事を休みがちになった。
時給で働いているから、当然仕事を休めばその分の給料は出ない。
給料が出ないから、生活が苦しくなり、どんどん人としての余裕を失って行った。
1日13時間労働は当たり前、お金は出るがやってもやっても終わらない仕事を目の前に
身体がどんどんぼろぼろになっていくのがわかった。
「あ、私はおかしくなってる」と気づいた。
ちょうどそのタイミングで会社初のストレスチェックに見事ひっかかり
その派遣先もやめることになった。
その分の貧困状態が続いている。
きづいたらもうすぐ30さい。
他に書くところがないので、ここに書いてみる。わかりずらい文かもしれない。
私は3年前に転勤したんだが、転勤する前の職場で一緒に働いていた30歳代前半のヤツが亡くなっていた。心を病んで休職し、この春に自殺していたらしい。この夏に他の元同僚に合う機会があり、そこで初めて彼が亡くなっていたことを聞いた。ショックだった。
私が転出した翌年にそいつも転勤したんだが、彼が希望した部署への転出だったので非常に喜んでいたようだ。彼の転勤後、一度だけ会ったことがあるのだが「あれ?こいつこんなに明るいヤツだったかな」と思うくらいはしゃいでいた。その後風の噂に仕事を休み始めたと聞いていはいたが、まさかこの春に亡くなっていたとは。双極性障害で入院していたそうだ。退院直後に自殺したそうだ。
実を言うと今の職場でも休職する若手が出てしまった。今は私のかつての同僚のようなことにならないよう祈るばかりだ(いや、祈っていてはダメか。復帰したら皆でサポートしないと)
それにしても、改正労働衛生安全法によりストレスチェックを毎年しているのに私のかつての同僚が自殺してしまったし、私の身近で心を病む者が出てしまった。
本当にあの、自己回答形式のストレスチェックって意味があるんだろうか?
もちろんチェックの結果は職場には知らされないらしいのだが、少なくとも今の職場の若手が心の病を抱えていることは職場の誰も把握していなかった。急に仕事を休み始めて初めて気がついたくらい。
身近な範囲で不幸なことがあると、繰り返しになるが、果たしてストレスチェックなんて意味があるのだろうかと思う。自分のストレスを隠そうと思えばいくらでも隠せてしまうのではないか。
どうして血液や唾液の成分の計測等の客観的指標でストレスを計るような制度に設計しなかったのだろう。
またストレスの度合いが高い高ストレス者と検査した医師等が判断すると、医師から本人に面接などを受けるように指導が行き、その本人(労働者)から事業者(雇用側)へ申し出があれば医師からの面接指導等を受けさせる、という流れだと思うが、高ストレスと医師が判定したら、本人からの申し出がなくても医師による面接指導ができるようにしたらどうたったのだろう。制度の悪用を恐れたのかもしれないが、高ストレスと判定された者が正常な判断ができなくなっている可能性(できるだけ知られたくないと隠してしまう可能性)もあるのではないだろうか。
加えて40万円ほどの借金がある。
ドクターストップがかかり、派遣先をやむなく変えることとなったが、
だが、このままでいいはずがない。
お金だ。
お金がいる。
先日、任意整理を依頼した。
面接に行くことにした。
急に悲しくなってきた。
何のために生きてるのか、わからなくなった。
薬は毎日飲んでるのに。
もう死んだ方がいいんじゃないかな。って強く思う。
生きるのが、本当につらい。
※追記
仕事終わってはてブ見たら…たくさんの助言、ありがとうございます。
みんな優しい。
両親の心にも余裕はない。
その中でこれ以上、負担をかけたくないんだ。
せっかく助言くれたのに、ごめんなさい。
また、あるはてブの人が言ってたように、ただの過労だけではなく、
本当にひどい。
失敗すれば全て私のせいとなり
そんな私の唯一の娯楽は買い物。
昔あんなによく行ってた100均に行かなくなった。というか行けなくなった。
終業後にはどこも閉店してる。
仕事中のランチは、汐留だったから1食1000~2000円くらい。
食べることだけは絶対に忘れないで、たくさん食べてた。
画面の外での意欲は食欲以外なかったから
すごく楽で、たくさん買い物をした。
給料日が来たら、返済すれば間に合うし。
今思えば、愚か以外の何者でもないが、当時はそれくらい追い詰められていた。
普通じゃなかった。
そして、会社のストレスチェックに引っ掛かって、医者に呼び出された。
うつ病で死なれでもしたらまたニュースになるということ。(以前、過労自殺した人を出した某企業なのでやばいと思ったんだろう)
仕事は楽しくやるもの。病気になるような仕事なんて存在しないと言われて
一晩中泣いて泣いて考えた。
もう仕事やめようって。
そのほうが、会社のためでもあるなと思った。
お給料は半分以下になったけど
周りもいい人たちだし、時間もきっちりしてるし、
やめたくない。
でも、お買い物の癖が抜けなくて本当に困ってる。
長文読んでくれてありがとうございました。
また追記
今年度の健康診断で、ストレスチェックテストが軒並み悪い値を叩き出してた。
まあ残業とかは無いんだが、正直開発業から離れてディレクター業やらされてる分、結構精神的にクるときはある。
でも代わりになれる奴がいないとの事で、俺がディレクターやってる。
正直ストレスが原因で体調崩して2日くらい休んだこともあるし。
しばらくして「産業医面談やりませんか?」と言われた。まあせっかくの機会だしと受けてみることに。
まあ親身になってくれるし、ホッとした。
大変ですね、と言ってくれるだけ、心が軽くなる。
やりたい仕事は何か?と問われた。俺には仕事の理想があったが、熱く語っても仕方ないから、開発がやりたいとアッサリ伝えた。
そしたら、「ディレクターから開発に移ればストレス無くなるか?」と聞かれた。
正直、精神的配慮で業務変更されたら、周りからの目が気になって、今まで通り働ける自信が無い。
それに開発業はそれはそれで苦労があるから、別のストレスは溜まるだろうし……
そんな事思って返答に困ってたら、「最近の若者はやりたい事が無い癖に、自分の仕事がすこし辛いと、他の仕事の方が楽かな?と考える。貴方もそうだろう」と言われた。
は?と思っていたら「こんな若者いくらでもいる。貴方だけじゃ無い。だから問題なし」と話が進む。
「異常所見なし、再面談なし、連絡事項なし、いいよね?」と更に詰められ、「は、はぁ」と応えたとこで終了。
異動先のおばさんにいじめられた。
・書類を隠す
・申し送りノートを私だけ見せてもらえない、
・あいさつしても無視→のちほどみんなのいる前で「あいさつくらいちゃんとしてよ!」と叱られる
・バレンタインには何も持ってくるなと釘をさしてくる→おばさん一人でみんなに配って「最近の子は気が利かないね」
・ファブリーズをかけてくる
・私の顔をみて「育ちってほんと大切だよね。育ちが悪いのは親が悪いんだよ」(なおおばさん独身で子なし)
そんなこんなで気づいたら半年くらいで死にたくなってた。
そこから逃げるように仕事を辞め、以降ずっと派遣社員で働いてる。
人間不信になって、今でも人が信じられないしフラッシュバックして朝泣きたくなる。
逃げぐせがついたのか派遣先でも怖い人がいるとパニックになって
なかなか続けられない。
コールセンターで、マニュアルもあるし属人化してないので働きやすい。
できることなら一生ここで働きたいけど、正社員への登用制度がない。
そして、お給料が異常に安いのだ。
よくよく考えたら、生活が苦しい。
おばさんのいじめから自分を守るために、すぐ忘れようとする癖がついてしまったのだ。
悪いことだけならよいのだが、良いこと、大切なことも忘れがちになってしまった。
こんなんじゃ、ほんとに働けない。
一生派遣なんて、無理。生きていけない。
死にたさがなくなってきたのに、生きていけないのつらい。
anond:20170413064206 を4月に書いた。匿名ダイアリーで書いた日記としては、反響をいっぱい頂いた。耳に痛い意見もあったし、励ましや慰め、感謝の言葉も頂いた。
今年の仕事も終わったので、あの記事が結局どうなったのかはまとめておこうと思う。
1. SIerへの思い
元の日記へのコメントでは発注者側の無知が二次、三次請を地獄に落とすことについて指摘があったので、それも併せて。
・人月など意味がないことについて自分の中で割り切ったので、社内への説明では適当な人月をでっちあげることにした
社内で通りそうな人月単価はもうわかった。だから、うちの希望納期が通るかどうかだけ聞いておいて、通りそうな単価で割り算するだけにした。
そんなに人数必要か? と突っ込まれた時には「必要でしょうね。だって、あなただったらプログラムからテストまで、一人でできますか?」と言い返すことにした。
これを続けた結果、人月について突っ込まれることはなくなった。
・納期についてはメーカの意見を最大限採用している(これは前からだが)
納期遅れだけはまずいな、と思っていたから可能な納期については昔からメーカからの提示を採用してきた。最近は3か月くらいはプラスしておくことにしている。
「短くならないの?」という問いについては「無理ですね。そもそもこの機能が必要なら、もっと早く相談するべきだったでしょう?」と返している。
これを続けた結果、逆にこっちでスケジュールを作れるようになった。
また、納期をプラス3か月することで人月計算に余裕があるから、通りそうな単価に近づけられるようにもなった。もっと早くにやっておけばよかった。
交渉するけど、基本的には保守費を下げてもらえる条件などほとんどない。さてどうするかはこれから考えようと思う。実の支払金額を下げろと言われたけど、下がらなかったら仕方ないよね、と割り切っている。そもそも保守費をけずるのは私の本意ではない。
2. 偉い人への思い
・どうでもええわ、の精神
4月13日のあの日記の後、上期・下期の人事評価がなされた。評価は大してあがりもしなかった。どちらも6段階評価の3。
昇格の条件で考えれば、2年間・4回の人事評価でコンスタントに4を取り続け、上期評価後に部門長に審査されなければならない。
つまり、この先2年は昇格しないことがわかっている。この4年ずっとそうだったから、もう昇進・昇格は期待していない。
どれだけ頑張っても評価など上りもしないのだから、社内の意向を気にすることもやめた。
何もかもどうでもええわ、それよりは自分のやりやすい方法をとろう、と決めた。
・システム開発における工数単価の比較はバカへの説明に楽なので、使い続けている。
上でも書いたけど、工数単価をコントロールしているから理解のできない上司や偉い人への説明に苦労することは少なくなった。機能面を理解させるのも一苦労だが、バカにもわかるように擬人化させて説明することが増えた。
例:このデータをなげないと、システム側は「データが来ていなくて処理できませーん」って言うんですよー。
・システムの機能追加や保守ができるのは、そのメーカだけだよ→でも、似たような機能は自分らで作るよ。
システムについて理解できない偉い人らに連れられて、メーカの人を何度も呼んで打合せするかわりに、こっちが作った仕様の説明と実装するのにいくらかかるのか? を問うだけの打合せを一度だけすることにした。あとは全部私とやりとりしてもらっている。
また、金額に折り合いがつかないから、別のメーカに代替機能をつくってもらうことにしたものもある。
ソースコートは開示できない。だから、代わりに私が必要となる機能の仕様を実装手前まで作って、コーディングをお願いする手口をとることにした。
上でも書いたが、どうでもええわと割り切っているので、多少問題があってもいい。実装手前までの仕様策定を私がやったのだから、それに従ったメーカは私が守るだけのこと。
場合によっては自分でも作ることにした。その代わり残業時間が増えたけど(後述)。
・「実際そういうやり口で、うちの仕事を受けてくれなくなった業者があったと聞くぞ。又それを繰り返すのか?」
繰り返している。前はそうならないように配慮していた。しかし、下っ端の私らが配慮しても、開発・工事の現場を担当したことがない者(大概は課長以上)の行動で業者を困らせつづけた。
もうリカバリーできない。業者からは不平不満がでており、この案件が終ったら、二度とうちの案件はうけないと言う会社もあるようだ。
バカに役職を与えたのは会社なのだから、そのツケは会社が払うしかない。
金銭面というよりも、ある種の機材を技術面/運用面/コスト面から否定した結果、その機材を使うことで微々たるイメージアップができると思っていた偉い人にとって不満だったようだ。2ヶ月遅れたが、引き戻しをさせられた稟議案件は完工した。
その機材は別の工事担当者の案件で導入することになった。すでに私が指摘していた問題点が露呈している。
偉い人にとっては何のダメージもないだろうけど、導入させられた部署の不満は高まっている。バカの下で働くのは大変だな、と思っている。
3.個人的な話。
・評価もされない
上でも書いたとおり、評価されないのはもう諦めたのでいい。理解できないものを評価できるわけもないし、そもそも理解しようという気もないのだろう。
・ユーザからは「使いにくい」と文句を言われて、上からは「よく考えたのか」と怒られる。誰がそんな仕事に喜びを感じる?
未だに喜びは感じていない。しかし、辛いと思わなくてもいいように働く方法がわかってきた。
使いにくい、と文句をいわれても「どうせシステムなど、お金を生まないと思われていて、予算がでないからしかたないよね」と答えている。
その上で改善の検討はするが、お金がでないのだからできることには限りがある。
自作のソフトでなんとかできそうなところはそれでカバーすることにした。
・内作を許容することにした。
ここまでで、予算が通らない分で小規模なものは自作することにした、と書いてきた。
以前ならば、自分が退職するまえに死んだりしたら内作したソフトのメンテができるひとが居なくなるので、極力メーカに作ってもらおうとしてきた。
そもそも、内作のメンテが大変なこと、開発者が死んだり会社に来られなくなったときの対応を考えておかないとならないことはずっと説明してきたし、退職者が好き勝手につくったソフトのメンテで苦しんでいる部署が社内にある。だからメーカに任せましょうという説明をしてきた。
内作を提案したとき、メンテ担当者をふやすことも依頼したが特に増やされる様子もない。
それは会社の考えかたなので、どうでもいいと割り切った。私が死んだ後のことなど知ったことではない。
一番大きく変ったのはここだと思う。残念ながらかかわっている案件全体が炎上しつつあり、残業時間がそのまま勉強時間にはなっていないが、内作をしつつ興味のある言語の勉強をすることにした。
それについて「家で勉強するべきではないか?」などとのツッコミはない。どうせ理解できていないのだろう。
もし文句をつけられたとしても、こっちには「内作で数百~数千万を浮かすんだから、内作に必要な学習時間は業務として認めろ」といいきる度胸がついた。
それで上司の評価が厳しくなっても「どうでもええわ」、もとより評価されていなかったのだから。
ちなみに残業時間がどんどこ増えた。体はだるいし、ストレスチェックの結果2年連続で産業医やカウンセラーとの面談を推奨する手紙をもらった。36協定上の制限時間などもブッチすることがあるが、それについて文句をいわれても「どうせ人がいないのだから仕方ないだろう? 文句あるなら仕様の策定もできるような人材を確保するか、メーカに頼んで数千万はらえ」と言い切った。
開き直ると楽だとわかった。
・今の部署を離れるか、システム以外の仕事をするために勉強することにした。
実は法律に興味がでてきた。そこで行政書士の試験をうけた。新しい分野を勉強するのはたのしい、合格していればうれしい。
また、本社のシステム担当者に「本社でシステムをやらせてほしい」とお願いした。今の部署から離れられるなら嬉しい。バカな上司の下はもううんざりである。
一杯ブコメをいただいた。皆様ありがとう。特に気になったコメントは次のとおり。
「id:luccafort これに少しだけ似た経験を若い頃にさせてもらった。その時言われたことが「なんでそんなに彼らの肩を持つの?」だったので根本の考え方や感じ方に断絶を感じて絶望した。増田はすごいよ。」
→私も言われました。「なんで業者の味方するんだよ」と。あー、そういう風におもってるんだ、と理解した瞬間にもうええわ、と切り変わりました。そこから上記のとおりです。
「id:celaeno_w インフラのありがたさは、一回サーバー落ちて、保守費用なんかと桁が違う損害出すと分かるんだけれどな。こういうのは、「格安バスツアー」とか、「格安海外旅行」と一緒よ。後悔した時には遅い。 」
→そうですね。ですから、保守稟議にはそういう話を書いてきました。停止からの復旧時間、その間に指図できなかったロットの機会損失などなど。1日とまれば保守費など比較にならん損失がでるよ、と。
でもそれでもけちりたいようなので、もういいのです。一回地獄をみればいいんですよ。
「id:otihateten3510 “評価もされない、新しい技術も身につかない。ユーザからは「使いにくい」と文句を言われて、上からは「よく考えたのか」と怒られる。誰がそんな仕事に喜びを感じる?” 至言。問題はなぜ全員辞めないのかという点 」
「id:su_zu_ki_1010 転職おすすめされても、その方の年齢とかスキル(新しい技術も身につかないとぼやいておられる)もあるので難しい場合もありそう。部署異動で無縁のところに行くのを希望するという手もあるのではないか。 」
→無職が怖い、この一言です。部署移動はこの6年間、評価毎に話ししていますが希望は通りませんでした。今は他部署から是非貰いしてもらえるようにアピールしています。
今は自宅ににいる。
でも、朝からずっと「帰りたい」と思ってる。
帰る場所は、今いる自宅にほかならない。
なんで、帰りたいと思うか?
平日はほとんど9~11時間労働で、毎日毎日否定され続ける毎日。
残業なしと聞かされ、業務のアシスタントだと聞かされ派遣された先は
やっぱり提案したことをやろうと言われる(私が提案したのに先輩の思い付きのように言われる)
それに長時間労働がくっつけばもうね。
私は派遣先の人のように優秀ではない。
助ける、助けると言いながらいざ助けてもらおうという場面ですごく面倒くさそうにされる。
ストレスがとにかくすごい。
30分だけ話聞いてくれるらしい。
30分で何がわかるの?とは思うが、一応話してみようと思う。
とにかく帰りたい。
帰りたい。
こんな糞な職場にもいなくて済んだ。
社内恋愛をする前の頃に帰りたい。
上場しており、勤続年数も長く、
綺麗な財務表を持つ
関わらず
長くなるが、どのようにブラックだったのかを書いていく。
・研修
某●〇〇新薬さんにあったような
洗脳系研修があった。(HPや口コミサイトにはそのような記述はなかった。)
・仕事内容
説明会で聞いた仕事内容と実際の仕事内容が全体的にかなり異なる。(ただし、嘘を言っているというよりうまく肝心な仕事の肝になる部分を説明していないだけ。最終面接では、少し仕事内容が明かされた。)また、私の配属となった部署では新人を入れる前にコストダウンという名目でシステムをかなり難易度の高いものしており、新人をいれたのはベテランがシステム操作についていけなくなったという理由もあった。つまり簡単にいうと、面接では幹部候補だ、なんだとあおりつうめんどくさい複雑なことをやってもらう係として呼ばれたわけだ。
・配属部署
入ってから知ったが、
部署ごとに利益をでているでていないにかなり差があり、配属されたのは利益が全くでていない部署だった。(社外秘の情報だった)そのため、自分や同期たちが部署に配属されたのは、約10年ぶりだった。
・離職率
勤続年数〇〇年以上という言葉にいつわりはなかったようだが、私が配属になった部署では
本部長が配属されてから2年で若い人が3人3年以内で退職していた。人がばんばん辞めると社内でも評判の部署だったのだ。勿論、会社HPにはそのような記述はなかった。
・同じ課の上司たち
直属の課長が株主会社からの異業種出向組であり、時々全く見当はずれの指示を新人である自分にとばしてきた。また異業種出身でプライドが高く、会社のカラーにあっていないこともあわさって社内からかなり評判が悪かった。普通指導員や間の管理職が間に入りフォローしないといけないところなのだが、指導員はアスペ気味で、「上司の命令は絶対だけど、異業種出向組課長の言うことをきいてミスしたのはあなたが何も考えないで仕事をしていたからでしょ?」のような言葉がけしかできないタイプの人だった。同じ課の営業事務さんは50過ぎ独身の超ベテランであり、仕事を教えているようにみせてたまにわざと間違ったことを教えたり、教えてくれなかったりすることがあった。例えば、ある業務でイレギュラーなことがおこり、それについて質問し指示されたように仕事をするとなぜか多部署に回ってから修正がくる。その一連の流れをたまたま近くで聞いてきた本部長がフォローしてくれたのだが、それは基本中の基本であり、どう考えても意図的に嘘を教えわざとミスをさせたとしか思えない指示だった。ちなみに、教えてもらってないことが、なぜか教えてもらったことがあることになっていて怒られたり(一度は指導員が指摘し庇ってくれた)、彼女の隠していたミスで私がミスしたこともあった。
記述の通りかなり離職率の高い部署であり、その主な原因を作っている名物部長のことを私は心の中でパワハラ部長と呼んでいた。はたまた名前から想像いただけると思うが、終始パワハラをしている昭和の歩く化石のような人だ。配属して2週間も経たないうちに、私もその洗礼をくらった。上記で説明した営業事務さんに仕事を教えてもらい、初めてこなした受注処理で2,3点ミスをしたのだ。
ここで突然パワハラ部長が先にふんぞりかえったまま叫び始めた。「なんでそんなに簡単なこともできないんだ、頭がおかしいのか、代わりはいくらでもいるからさっさと辞めろ、この役ただずが、ブスのくせに仕事もできないのか」
驚くべきことに彼は一度スイッチが入るとまることをしらず、小一時間ほどずっと叫び続けていた。彼の中でターゲットになっている人間が2,3人おり、運の悪いことに標的となってしまった。波はあったが、結局私が退社するまで続いた。
・同じ課の先輩たち
先輩たちといっても、時代遅れの遺物たちがうごめく若手が少ない部署であったため、30代の先輩が6人しかいなかったが、様々な人がいた。(そのうち1人は私が在職中に退職し、3人は私と同時期に中途で入社された方だった。)仕事が抜群にできるかっこいい人もいれば、ミスが多くても愛嬌でカバーする人もいた。共通していたのはみんながみんなほとんどストレスチェックでひっかかり、6人中2人が精神科に通っていた。そして、業務中死んだ目で上司や会社の不満を述べ、新人をいびりながら仕事をしていた。正直、いくら仕事ができる人でもこんな風になりたいと思えるような人は一人もいなかった。
・同期たち
基本的に当たり障りのない気の良い奴ばかりだったのだが、一人どうしても相容れない存在の同性の同期がいた。簡潔に言うと、その同期は私と全く同じポジションを配属希望としていたのだが運悪く別部署に配属になった。女性の皆さんにはとてもなじみのあることだと思うが、女性同士は男性よりも分かりにくく出る杭を許さないことが多い。彼女は配属発表をさかいに少しずつ豹変して言った。彼女は浪人しており、私より一つ年上だったのだが、二人きりの時だけマウンティングをしかけ、年上先輩ヅラするようになっていった。彼女が理性をたもてていた営業研修までは陰湿な嫌がらせのみだったが、(基本私はスルーするか、彼女と距離をおくかだった)彼女の営業成績がおもわしくなく、私にぼろ負けした後は周りの目を気にせずわたしをメスゴリラのように鼻息荒く私を威嚇するようになっていった。そして営業研修後の本社研修で、同期や上司がいる前で「誰と寝たねん、それか誰の娘やねん」という暴言をはき、その横暴さと私たちの関係性が会社で広く知られることとなった。これは書くか書かないか迷ったが、ここまできたら勇気をだして書いてみようと思う。研修中、彼女の部屋に呼ばれ、言われるがままにコテで髪を巻いてもらった。すると、突然、髪を引っ張る時にデコにゴン、と熱いままのコテでデコをなぐられた。あ、ごめん大丈夫?と軽く謝られたのでながしたがデコには2週間ほど火傷の跡が残ってしまい、2日ほどヒリヒリした痛みが消えなかった。コテで殴られた次の日が彼女の誕生日だったため、私は同期に声をかけドッキリサプライズパーティーを企画していた。私は色々と彼女に言いたいことはあるが、せっかくの誕生日だし、同期なのだから長い付き合いになるかもしれないし、謝ってくれたのだから昨日のことは水にながそうと思い何事もなかったかのように彼女に接していた。そんな彼女が私の顔を見ていった一言は、「〇〇ちゃん、デコどうしたの?大丈夫??」だった。
いや~忘れるわけないよね。びっくりするよねほんとにもう。おそらく、コテでデコを殴ったのはわざとで、で自分がコテで殴ってできたキズだってわかってて、でも自分の誕生日パーティーかつ他同期の前では何も言えないということをわかって、いったのだろう。
・社内いじめについて
空気が読めず嫌われているおじさんが、ある朝会社に来ると新しく採用された人のためのスペースを作るどさくさにまぎれて、机と椅子と荷物が隠されていたという事件があった。
そのような環境の中で大学出たてのぺーぺーが働くとどうなるかというと、もうひたすらにやんだ。周りの大学の先輩や友達に相談にのってもらい、「この会社ちょっとやばい、3年我慢して逃げよう」と考えてはいたものの、まともな指示をしない教えてくれない上司たち、呪詛のような言葉をひとり叫び続けているパワハラ部長、足を引っ張る同期に、必死で仕事に食らいついたもののしだいにこわれていき、ミスを連発するようになった。(パワハラ部長には、ひどい時には通りすがりに「早く死ね」と言われることも何度かあった。)
そんな中、同場所別課の課長さんが私の様子を見かねて、別の部署に異動を働きかけてくれた。小さなオフィスだったため、良くも悪くもお互いが話していることは筒抜けでありそのため私も状況を把握できた。正直かなりホッとした。ある時、たまたま偶然飲み会で私の異動先の課長ら(A)と一緒になり、少し話す機会があった。その際に話題になったのが、私の異業種からの出向組上長だった。
「おれ、あなたの上司嫌いなんだけど。挨拶されたことないからさあ。失礼だよね。」
ここで私が悩んだのは、上司の悪口を一緒になって言うか、現上司を自分の身ができるだけ危うくならないよう、かばうかだった。正直、現上司は仕事ができる様子はないし、変な指示をとばしてくるし嫌われてるし非常に上司として迷惑だ。でも50を過ぎて違う業界で急に管理職なんて苦労するのは当たり前だし、パワハラ上司を筆頭にまともな上司が少ない中、まだ私にニコニコとまともなフォローをしてくれるほぼ唯一の味方だった。そして私は考えた。もしかして、Aは私を試しているのではないのか?だって、現上司のことあからさまに悪口いうようなやつ、欲しいか?自分も悪口言われると思うんじゃないの?この会社の暗黙の了解で競合の悪口は他者に言っちゃいけないってあるし、きっとそうだ。
思考を巡らしたあげく、私は
「挨拶をしていないというのは知らなかった、私や部署の人には挨拶してくれる。でも挨拶を本当にしていないならそれはショックだ。たまにこういうことを他の人からも言われるが、どうしていいかわからない。」
となんとも容量の得ない
返答をした。
頭の巡りがわるい私が考えた当たり障りのない、返答であったが、翌日わたしが耳にしたのはAが私を気に入らない、いらないと言っているという話だった。
私は知らなかったのだが、異業種出向組課長を受け入れるに当たって業務良好だったのにも関わらず異動させられたのがAだったらしいのだ。つまり、異業種出向組課長のことは、私は何が何でも悪く言わなければならなかったのだ。
私はついに思った。
「ダメだ、頑張ったけど
そして私は決意した。
「1年きっかりで次決めて辞めよう」
決めてからは行動が早かった。
逆求人サイト(学歴、資格、在籍企業の情報を登録すると企業がスカウトしてくれるサイト。つまりこちらから応募するのではなく、向こうからオファーがくる)に登録し、面接し、内定がでた。正直多少条件は前よりも落ちる。でも、やった!!逃げられる!!とは
思ったのだがその際かなり精神的にまいっており威勢良く「次決まったから辞めます、さよなら」と会社に自分の決断に自信を持って宣言する度胸はなく、実際は
プルプルと生まれたての子羊のようにふるえながら「向いてないと思うのでもう辞めたいです、
無理です」と消え入りそうな声で訴えるだけで精一杯だった。
当時は自分では冷静に正常に思考できていたつもりだったが、かなりガタがきていたのだろうと思う。まともな自分であれば突っぱねられたはずが、
「1年で辞めたら、この先ずっとなんで1年で辞めたの?って言われるよ」
「君はすごく必要な人間だよ。これからもこの部署でこの課で頑張ってもらいたい。」
「同い年の息子がいる、娘のように思っている」
異業種出向組の課長の歯の浮くようなあることないこと綺麗事な言葉にだまされ、私はきまった内定を蹴り、慰留してしまった。
続く
あれにバカ正直に回答して左遷させられそうになったお医者さん知ってる
「ストレスで一時的に頭がおかしくなっていて、敢えてストレスチェックを酷めにチェックしてみたら肩叩かれた」らしいから自業自得な気もするが
ストレスチェックをご存じですか。
2015年末から50人以上の事業所では実施を義務づけられている制度です。
「ストレスチェック」とは、ストレスに関する質問票(選択回答)に労働者が記入し、それを集計・分析することで、自分のストレスがどのような状態にあるのかを調べる簡単な検査です。
「労働安全衛生法」という法律が改正されて、労働者が 50 人以上いる事業所では、2015 年 12 月から、毎年1回、この検査を全ての労働者※に対して実施することが義務付けられました。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/anzeneisei12/pdf/150709-1.pdf
このチェックのシステムは様々な業者が提供していますが、回答を入力するとそれに応じて一定のアドバイスが表示される仕組みが多いようです。
あなたは今の仕事に「働きがい」を感じることができていないようです。
仕事に興味や関心を持つことができず、仕事の意味や意義もわからないのかもしれません。
今の仕事を前向きに捉えることが難しい状態なのだと思われます。
しかし、あなたの仕事は職場、ひいては会社にとって必要なものであり、その必要性をあなたが理解することが大事だと考えられます。
今の仕事について、あなたがどう貢献でき、それが職場や会社にとってどのような意義があるのかを整理してみることからはじめてみてはいかがでしょうか。
ドン引きです。
要約すれば「お前の仕事はお前は興味がないかもしれないが、そんなことはどうでもよく会社には必要な内容だ。認識を改めて出直せ。」というアドバイスでしょうか。
営業部門で採用されたはずが、経理部門に配属された。請求書の処理や物品の購入など購買に近い業務が主でそんなにスキルが必要ということではなかったけれども、計算が苦手で大雑把な自分には地獄の新卒からの4年間でした。
理由は主に業務内容のやりがいのなさと、計算を好む同僚たちと馬が合わなかったことです。
毎日数字ばかり打ち込む同じ作業にやりがいを感じることができませんでした。基本的にミスなく作業することが前提の経理の業務。100%正しくやりきっても、感謝されることも評価されることもない。
しかしミスが一つ起こるとかなりの大事になる。他人のミスに気づかないこと自体、自分のミスになる。
褒められることはなく、謝り続ける、自分が悪いのか分からないまま怒られ続ける毎日。
この環境でどうやってモチベーションを保つのか、真剣に悩んで先輩に相談した。
「数字が合った瞬間って気持ち良くない?」と言われた。ごめんなさい、全く理解できなかった。数字はもう見たくないと日々落ち込むだけでした。
ここから下は弊社の先輩が変わっている、という話で全ての経理や購買の人がそうではないと分かっている。
自分のミスはしっかりピックアップされるが、ミスが起きないように新たな施策を実行するのは許されなかった。
当時その部署では複雑な計算も電卓と手書きで行っていた。大雑把な自分は、計算の途中どこかで数字が合わなくなる。エクセルに計算式打ち込んで、数字を入れれば最終金額が出るような簡単なシートを作った。
先輩に「ズルしないでください」と言われ、目が回った。
何かを変える、ということに部署の人たちは猛烈な拒否反応を示すことが多々あった。それゆえ、書類のフォーマットも何年も変わらず、他部署や取引先に対して異常に面倒な手続きを頼まなければいけないことが多かった。その度に嫌みを言われたり、逆上されたりということが何度もあった。自分だって変えたいわ…と思いながらひたすら頭を下げるしかなかった。
残業は30時間程度だったので、身体は問題なかったけれどこのままファーストキャリアを摩り下ろすのってどうなんだろうと悩みに悩み、胃に穴が空いたところで、異動希望が通らなければ退職しようと考えていると上司に打ち明けた。
救いだったのは上司が積極的に人生に介入こそしないけれど、訴えをきちんと汲んでくれる人だったこと。
ちょうどストレスチェックに引っかかり、産業医が後押ししてくださったこともあり、紆余曲折ありましたが今は営業職です。
自分の工夫によって結果が変わり、評価につながるのが本当に楽しい。
経理の仕事を通じて分かったのは、当たり前だけれど人には向き不向きがあるということです。
不向きな面でしか勝負できなければ、達成感がある仕事をするのは難しいし、周りからの評価も低くなる。
羽生結弦はフィギュアで勝負すべきだし、五郎丸はラグビーで勝負するべきです。
自分の得意分野で戦えないとき、努力で苦手分野を乗り越えるのももちろん素晴らしいけれど、土俵を変えた方がいい結果が出ることもあると思いました。
経理の仕事が好きな人には毎回否定されるけれど、不向きな人には特に難しい業務だと思う。
仕事が難しいのではなくて、モチベーションを保って取り組むのが致命的に難しくて辛かった。