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2020-12-07

ぶつかってくる猫

実家帰省すると、猫がウニャナナーンと鳴きながら軽やかなステップ玄関まで走ってきて

脛に頭を擦りつけてくる

踏まないように気をつけながら廊下を歩くとずっと全身をぶつけてくる

リビングについて座ると今度は首をくねくねさせながら手に擦り付ける

頭を撫でてほしいようなので撫でると猫は目を細めてゴロゴロ鳴らす

後は膝にのせてテレビを見る

そんな頃もあった

2020-12-06

排除ベンチ

公園などのベンチで、一人分ずつ仕切るように肘掛けがついているもの排除ベンチというそうだ

ホームレスなどが寝られない(排除する)ようにするのが目的らしい

仕切りがないと真ん中に大股を開いて座って占領するような人がいるから、私は仕切りの肘掛け付きベンチは賛成なんだけどな

「○○駅前排除ベンチがあります」と市長ツイッターに訴えがあり、それにこたえて市役所が仕切りを外した例をツイッターで見たんだけど、わざわざ外さなくてもいいのにと思う

こんなこと言ったら、猛反発されそうだから匿名しか言えないけど

ホームレスが居心地の良いベンチを提供するより、居心地の良い住まい提供するほうが根本解決になるよね

2020-11-03

田舎にいると他人物理的に接触することがない。

都会じゃ袖触れ合うとかくっついて座るとか電車におしこまれるとか日常茶飯事なんだろ?

日常すぎて麻痺してるのかもしれんけど、改めて考えたらヤバいって分かるよね。

おまえら悪いことはいわん、都会を出ろ。

2020-10-19

舞台面白いけど現場が辛い…

声優オタクをずっとやっていて、去年までは主にライブトーク系の声優さんイベントに通いまくっていた。

しかし今年はコロナの影響でこれらのイベントほとんど行けず、その代わりに舞台にたくさん行くこととなった。

きっかけはコロナ直前の1月に観た舞台

当時推していた声優さん目当てに10公演全通し、面白くて、その舞台に出ていて気になった別の子が出る舞台2月も8回通った。

コロナで一旦途絶えたが、9月以降、ライブ系のイベントはまだほとんどがオンラインの中、舞台は実演が再開し、またちょこちょこ舞台を見に行った。

9月には1月に見た舞台の続編があり、今度は流石にコロナが怖いので全通とは行かなかったが、7公演見て世界観にどっぷりとハマった。

10月にも、9月舞台で気になった子を目当てに、2回ほど舞台を見に行った。

 

舞台の良さは、表現は難しいけど、何回も見て世界観にどっぷりとつかることの一体感個人的には感じる。

ライブは、良い音楽や会場と一体となった盛り上がりが楽しいが、どちらかというその場限りで、かつ一回一回でものすごく体力を消費する。

舞台は一回一回で得られる満足感は良いライブほどではないと感じるが、何回も見て、たくさんある登場人物の特徴、世界観等を理解し、ストーリー理解度を高め、謎への疑問や考察等を深める。

こういったじっくりと楽しめる点が面白いと感じる。

どっぷりとつかるので、舞台が終わった後の損失感、舞台ロスが非常に強く、しかしそのロスがなんとも気持ちいい、そういった楽しさだ。

 

長年声優オタクとしてライブ等のイベントに年間5〜60回通っていたけど、少々そういったイベントにも飽きてきていたので、これから声優さんが出る出ないに関わらず舞台を主現場にして行こうかな〜となんとなく確信してきているところだ。

しかし、どうしても現場が辛いなと思う出来事があり、迷っている。

 

今年計27回舞台を見たが、そのうち3回、座席の座り方で文句なり注意を受けた。

 

1回目は1月舞台の開演前。

この会場はパイプ椅子のため、2時間座り続けるのがとても辛く、脱いだ上着をクッションがわりとして敷いて座っていたら、後ろの席の男性に見えなくなるから勘弁してくれと言われた。

私は身長が180cmぐらいあり、座高もそこそこ高い。

しかも会場はフラット。ただでさえ後ろだと見えにくいのにさらにクッションで高くなったら見えにくいだろうなと思い、その場はそれに従った。

お尻が痛すぎて、観劇中は何度も姿勢をずらさざるを得なかったが。

多分私の座高が低かったら同じことをしても何も言われなかっただろう。

現に他の座席でクッションを敷いている女性を見かけた。

 

2回目は9月舞台の上演中。

3階の通路席で見ていたのだが、会場のスタッフ女性に横から、『前のめりでの観劇はやめろ』(正確な文言は当然これではないが、見せられた自分の印象としてはこれ)という旨が書かれたシートを見せられ、そこで集中していた観劇ストップし、以降集中して観劇できなくなってしまった。

自分姿勢は、前のめりかなんなのかは知らないが、確かに背もたれから背が離れて、腕に顎を乗せる形で見てしまっていた。

しかしこれには理由があって、3階席は座席前後の幅がめちゃくちゃ狭く、自分くらいの身長人間が背もたれに背をぴったりつけているとエコノミー症候群になるくらい苦しかたからだ。

普段こんな姿勢で見たことはなく、現に同じ会場の1階席で見たときは、座席幅がゆったりとしていたため、普通に前のめりにはならなかった。

また俺の隣(とは言ってもコロナ禍なので1席は空いていたが)のお兄ちゃんも同じような格好で見ていた(しかし俺と違って通路席ではなかったので、スタッフのお姉さんが見せようとしていたシートに気づかずそのまま観劇を続けていたが)。

前のめりで見るなという注意を聞いたのはその会場が初めてで、前のめりってなんやねん、それが一体どんな迷惑になるんだと思って、『舞台 前のめり』でググって上の方のページをいくつか見てみたら、そこには、この表現は適切ではないかもしれないが、俺には地獄しかと思えない光景が広がっていた。

前のめりは後ろの席の人を見えにくくする行為であり、音を立てたり、前の席を蹴ったり、録音録画したりするのと変わらない、いや、それらと違って実際に行われる頻度という意味ではそれらよりももっと怨嗟対象になりやすい、舞台観劇上の極悪非道マナー違反だったのだ。

前のめりする人に対する怨嗟怨嗟怨嗟の声を見た時は驚きとともに、寒気がした。

舞台界隈、怖え〜。某◯◯マス警察も可愛く見えるぐらいの地獄現場だな。』

前のめりの何が悪いんだなんて軽々しく口にしようものなら、完全に犯罪者糾弾されて、打首獄門晒し首にされかねない勢いだ。

個人的には前のめりだろうがなかろうが、座席の傾斜や前の人との座高差で見えるか見えないか決まるんじゃないかと思ったが、そんな疑問を口にしてスタッフに口答えでもしたら、それだけで迷惑な客、クレーマー客と認定されちゃうんだろうな…

実際今回の席も、後ろに座席は全くなく(客がいないのではなく席がない)、斜め後ろに席はあったが、斜め方向に見ても見える先は会場の壁であり、ステージを見るのを妨げることはあり得ない。

そんな理性的反論でも、「うぜ~。前のめり禁止は会場のルールなんだよ。従えないんだったら出て行け。」って思われるんだろうな…

なんだかな…

 

3回目、そしてこの文章を書くきっかけになった出来事が起こったのは10月の舞台の上演中。

その舞台を見る初めての回だったので、どんな舞台なのかなという気持ち観劇していた。

幸い今回は1階の前の方のゆったりした席だったため、前のめりの心配はない。

背もたれにぴったり背中をつけてじっくりと座って見ていた。

舞台を見始めて序盤、ステージ演者全員で歌うところがあり、この歌が非常に自分にハマり、「おっ、もしかたらこ舞台結構楽しめるかも」、と思った矢先だった。

『変な姿勢で見るのやめてくれません?』

突然暗闇の中、後ろの女性から言われ、一瞬なんのことやら理解できなかったが、自分のせいでステージが見えづらくなっているから頭を下げろと言われたということは理解し、頭を下げた。

自分はその時、前のめりにはなっていなかったが、席にかなり深く座っていたので、見ているときは気づかなかったが、頭がちょっと出ている状態だったと思う。

ただ、別に座席から腰を浮かせていたわけでも、背伸びをしていたわけでもない。

その劇場規定されている規則を一切破っていなくても、後ろの人が背が低くて、その人が見えづらくなったら、それだけで迷惑行為なのだ

そして迷惑行為をする奴ならば、被害者立場で、相手が同じ立場舞台を楽しもうとしているという事情など一切汲む必要なく、”正義の鉄槌”を振りかざして悪を退治できるのだ。

その舞台は、もうそれ以降まともに集中して見ることが出来なかった。

なんか俺悪いことしたのか?くそー、ふざけやがって、折角楽しく見ていたのに、今度なんか言われたら反論してやる、とか舞台の内容とは一切関係ない思いが頭の中を駆けずり回り続け、舞台の内容に集中するどころではなかった。

舞台が終わった今になっても、言われた言葉トラウマになって、思い出しただけでもイライライライラしてしまう(その気持ちちょっとは落ち着くかなと思ってこの文章を書いてはいるのだが)。

 

この3回の経験で、なんとなく悟ってしまった。

舞台現場では、背が高いこと、座高が高いことはそれだけで迷惑行為である。」

ということに。

背が低ければ座席間隔が狭くても前のめりになることはない。

背が低い、または後ろの人の背が高ければ、全く同じ姿勢で見ていても、変な姿勢で見ないでくれと後ろから正義”の鉄槌を振り下ろされることはない。

背が高くて、後ろの人を見えづらくしてしまえば、劇場規則に何ら違反はしていなくても、それは舞台現場では迷惑行為なのだ

これは長く声優現場に通っていた自分にはかなりショックだった。

声優さんライブトーク等のイベントでも、当然座席構造や前の人の身長によって、ステージが全く見えないまたは見えづらくなることはある。

私は身長は高い方ではあるが、それでも突出して高いわけではないので、前に背が同じくらいの人がいてステージが見えづらくなったなんてことはしょっちゅうある。

それでも前の人にしゃがめと言ったことなんてないし、私に限らず、背が高くて見えないからと言って前の人をどかそうとした人なんて声優現場では見たことがない。

当たり前であり、前の人は自分と同じ立場で、抽選の結果その席を獲得しており、その人の身長には何の罪もなく、そのようなことをする資格は誰にもないからだ。

しかし、舞台現場では、見えづらくしさえすればそれは迷惑行為として排除することが出来てしまうのだ。

ただ単にゆったりと座ってじっくりと見ているだけでも。

声優さんライブ現場でも迷惑行為と呼ばれるものはある。

輝度ペンライトを使ったり、曲の良い所でイエッタイガーと叫んだり、曲と関係なく声を出したり、周りにぶつかるのを気にせずに手足を動かしたり、オルスタで前の人間を無理やりはがして前に行ったり、ステージペンライトを投げたり、等々。

これらのどれが真に迷惑行為であるかどうかとかはどうでもいい。

言いたいことは、これらの行為は、それを行っているものが自らの意思に従って行っていることであり、それがゆえにその人自身意思でやめることが出来るということだ。

でも、背が高いことをやめるなんてのは不可能だ。

背が高いから、後ろの人に邪魔にならないように沈んで見ろというのも、2時間という観劇の間続けるのは困難であり、そもそも同じお金を払っている同じ立場の客として、背が高いということだけでそのような不利を強いられる謂れはない。

ただ、べき論とか筋論してはそうであると思うが、実際の舞台現場では、背が高いことを迷惑行為としてぶったたいても問題ないという状況になっているのだろう。

3回目のようなことを言われたのはその1回だけであるが、前のめりに関する怨嗟の声を見るにつけ、それを行った女性が少数派とはとても思えない。

少なくとも舞台現場では一定数いる可能性が高いと認識しておく必要があるんだと思う。

 

舞台にはまるきっかけとなった1月舞台の続編が、恐らく来年あり、それは絶対に見に行きたい。

その他にも、コロナのせいで今年できなかった舞台来年いくつか予定されており、それらも見に行きたいなと考えている。

でも、正直上に書いた経験により、私の心の中には舞台現場は怖いという認識が出来てしまっている。

私の身長来年縮むことはないので、私が舞台を見に行けば、それだけでステージペンライトを投げたり、周りの人を押しのけたりという迷惑行為をしているということにされてしまう。

今まで2~300回は行った声優現場で、迷惑行為いやだな~と思うことはあっても、自分自身迷惑行為当事者となることは全くなかったのに、舞台現場では、見に行っただけで、迷惑行為野郎とされてしまう。

本当それを考えるだけでも憂鬱だし、今度後ろからなんか言われたら言い返してやろうか?、とか舞台の内容とは全く関係ないことを頭の中で考えてしまっていること自体が嫌だ。

一応来年も前向きに舞台を見に行きたいなとは思っているが、少しでも嫌な経験をしたらぽっきりと折れてしまうかも...

折角舞台という楽しい現場を新たに見つけたと思っていたのに、本当に残念だ。

2020-10-18

おっちゃんがあまりにもデーンと足開いて座ってるので

無意識股間凝視してたら

気まずそうに足を閉じられてしまった

セクハラじゃないよ

2020-10-12

玄関マックを食べる家族

分譲の狭小住宅に住んでいるのだけど、向かい家族おかしい。

買い物帰りに通ったら、玄関の前にレジャーシートを敷いて座っている。

何をしているのかと思ったら、玄関マックを食べている。

しか家族全員で。。

ピクニックのつもりなのだろうか。

食べるところはたくさんあるのに。マックの中でも、公園でも。なんなら家の中でも。

なぜそこで。

不審者しか見えなかった。。

2020-09-28

anond:20200928231009

以前、女性作家(?)のインタビューを読んだら、自宅では全裸で過ごしてるとか。

インタヴュアーが家具とか汚れませんか?って質問したら、タオルを持ち歩いて座ときは敷いてるって答えていてなるほどって思ったわ。

2020-09-26

anond:20200926011818

昔、薬局入ったら床に新聞紙いて座ってメモ取ってるオッサンがいて、

薬局オッサンが凄い面倒くさそうに対応してたんだけど、後で聞いたら

刑事だったそうで、ブロン液大量に売っちゃって嫌がらで事情聴取目的

居座られたって言ってた。

まじで警察来るよ。

2020-09-06

巨女好きのためのアニメモンスター娘のお医者さん」入門

タイトルが言ってみたかっただけなのだ

モンスター娘のお医者さん」第8話で人を踏みつぶせそうなサイズ巨女が登場していたので、詳しく見て考えてみよう。

身体の大きさはどれくらい?

 具体的にサイズ比較できるシーンが少ないけれど頑張って探してみよう。櫓の上から巨女の喉を先生が診察する12分ごろのシーンでは人間先生巨女の顔が対比できる。おおよそ先生身長の3倍が巨女の顔といったところだろうか。この数字根拠にして身体の大きさを推定してみよう。日本人女性の平均身長159cmを平均的な顔の長さ21.8cmで割ると7.27等身になる。顔のサイズ推定値は先生3つ分、つまり青年男子の平均身長170cmの3倍で510cmだから巨女身長は510cm × 7.27でなんと37.0mということがわかった。

 巨女身長37.0mの実感を掴むために、いろいろなもの比較してみよう。まず奈良の大仏は座っていて座高で15.0m、立った場合推定身長は27.8mと巨女(身長37.0m)の圧勝であるお台場ユニコーンガンダム(20m)と比較しても大きさが際立つ。流石に牛久大仏身長100mとのことなので、牛久大仏の横では巨女子供のように小さく見えるはず。

 体重推定してみよう。青年女性の平均体重49.5kgと巨女身長が平均女性23.3倍というデータを使うと、なんと624tにもなる。25メートルプールに入る水が約500tほどなので、さながら歩くプールといったマッシブである。もし巨女が1mジャンプした場合、地面に与えるエネルギーは6.12MJになり、TNT換算で1.46kgだそうだ。地震マグニチュードで1.32に相当し、ペルー隕石落下時の地震に相当するので、巨女が歩くと地震が起きるのも納得である。ちなみに造船所には600tの重量に対応したクレーンがあるらしいので、現代技術をもってすれば巨女も怖くないはず。

時間の流れは違うのか?

 アニメの中で巨女風邪気味のまま10年を過ごしたという、それほどまでに時の流れは我々と違うのだろうか、検証してみよう。有名な「ゾウの時間 ネズミの時間サイズ生物学」によると、動物寿命体重の1/4乗に比例しているとされている。この原理適用巨女体重を使って計算すると、巨女寿命人間10.6倍ということになる。日本平均寿命84歳を踏まえると、巨女800年以上生きることになる。単純に考えて人間換算で1年風邪気味というのは、危険な感じがするので何か考慮できていないポイントがあるのかもしれない。巨女は奥が深い。

で、巨女はやらかいのかそうでないのか、それが問題

 劇中でのクライマックスは間違いなく先生巨女胸の谷間に落ちていくシーンだと思うのだけれど、果たして巨女の胸はやわらかいのかどうか、それが視聴者最大の関心事ではないだろうか。ある測定によると人間の胸の柔らかさは2-5kPaとの結果があるそうだ。身体が大きくなった場合、当然支えるべき胸の重さも増える。したがって、それを支える胸も硬くなければならないはず。例えば、バケツで作った巨大プリンはかなり硬く作らないと自壊してしまうが、硬く作れば形を保つことができる。このように考えると、巨女の胸はかなり硬いはずだ。だが、不幸にして私には計算方法がわからない。巨女胸の硬さ推定問題賢明な読者諸兄の手にゆだねられている。

2020-09-02

瀬田文学

 二十三時過ぎ、ホテルを出て近所にある和食さとへ向かった。道中、大通りをまたぐ信号を待つ間に何となく周りに目を向けると左方のフェンスに簡易な近隣の地図が括られている。近くに池がいくつもあるようだ。興味を惹かれたので食後に出向くことにした。地図を眺めつつ待つも一向に信号が変わらない。押しボタン式だった。ボタンを押ししばらく待つがやはり青にならない。車の通りが収まっていたので無視して渡った。

 和食さとでは刺身天ぷらいくらかの小鉢のついたようなセットを食ったが大して美味くもなく、胸焼けに似たような妙な不快感が残った。

 店を出て先の地図記憶を頼りに池を目指す。時折地図アプリを参照しつつ最寄りの池を目指すとすぐに着いた。四方を柵で囲まれセメントで岸を固められた、実用を旨とした何の風情もない水たまりだった。過度な期待をしていたわけでもないので、特段失望もなくしばらく柵に肘をついて暗いばかりの水面を眺めた。

 次の池を探して再び地図アプリを開く。目についたのは一つの長方形区画で、短辺に平行に三等分すると、端の三分の一が池で、残りは陸になっており、碁盤の目に道が走っている。また道の周囲が緑色で表されていることから樹木が茂っていることが窺われる。最も目を惹くのは池の中央に浮かぶ円形の陸で、そこへは陸から小路が一本延びている。いかなる場所だろうかと地図をよく見れば霊園だという。深夜に何の縁もない自分が訪ねるのも罰当たりな気がしたけれども、近隣の住民迷惑のないよう静かに立ち入る分には問題ないだろうと自分を納得させ墓地へと向かう。

 その区画境界まで着いたが周囲にはフェンスが張り巡らされており入れない。どこかに切れ目はないかと沿って歩くうち、フェンスに括られた地名表示板を見つけた。ここは月輪つきのわ)だという。

 この名前に触発されて月を見る。今夜は多少雲がかかっているけれども月は八分以上満ち、月明かりを確かに感じる。この優れた月の晩に月輪で池と共に月を眺めるのは非常にふさわしい気がして、池への期待が一層高まった。しかし一向にフェンスの切れ目は見つからず結局フェンスに沿って立つ人家に突き当たってしまった。どうにか入れないか迂回路を探すが地図を見る限り確実に入ることのできそうな場所はあれど、霊園を跨いだ対角側にあり遠い。そこまで行くのは面倒だが、諦めるのも早い気がして、回り道しつつ再びフェンス沿いへと歩き戻るうち気づけば他の池の近辺まで来ていた。その池の名を見ると月輪大池とあり、名前から言ってこちらの池の方がよっぽど立派そうなので、霊園の方はやめ、こちらの池に向かうことにした。

 その池は名に違わぬ立派な池で、近くまで寄ると鳥居が目に入った。その上部に掲げられた文字を見れば龍王神社だという。龍と池という組み合わせが不穏で、気味は悪いが入って見ることにした。鳥居をくぐると白い石の敷き詰められた参道が長く伸び、道の両脇には石灯籠が一列ずつ密に立ち並び、周囲の闇の中でそれらのみが微光を発するように浮き上がっている。それは幽玄さを感じさせるものではあれど古典的怪談舞台のようでもあり、すっと背筋が寒くなる思いがした。足を踏み出すと砂利は一歩一歩が僅かに沈みこむほどに厚く、粉を纏う玉砂利を踏んだときのあの軋む感覚が足の裏を伝わった。参道を歩む途中振り返ると、石灯籠の列が遥かに見え、正面を向き直るとやはり前方にも石灯籠に縁取られた道が長く続く。私は明らかに恐怖を感じた。それでも時折振り返りつつ歩みを進めた。

 やがて参道が果て、二つ目鳥居に辿り着いた。それをくぐり、二、三歩進み周囲を見渡す。正面には拝殿があり、周囲は薄く木々で覆われており暗いが、左方の木立の隙間からわずかに月明かりが漏れ、その先に池が垣間見える。目が慣れるまで待とうと立ち止まって周囲を見ていると、突然右方からかにふうふうと浅く早い吐息のような音が聞こえた。慌ててそちらに目を向けるが何もいない。そこには背の低い茂みがあり、その陰に何らかの獣でもいる可能性は否定できないものの、茂みの大きさからいってあまりありそうもない。微かな音だったか幻聴かもしれない。ともかくしばらくその方向を睨んだ後、気にしないことにした。

 正面の拝殿に参拝し、木立の隙間から池の方へ抜けようとそちらに向かうと、途中に小さな社があった。そこにも参拝した後、岸へと抜けた。月輪大池は非常に大きく、正面を向くと視界に収まらないほどの横幅がある。奥行きは向こう岸一帯が闇に融けているためはっきりとはしないが、その先にある人家のシルエットの大きさから推するに、それほど深い訳ではないだろう。それでも立派な池だ。月は私の背面にあり先ほどよりもやや濃く雲に覆われ、ぼやけていた。月と池を同時に眺められないのは残念ではあるがしばらくそこに佇み、交互に見た。そろそろ戻ろうと思いつつ、ふと脇に目を遣ると池を跨いで石灯籠の列が見えた。またあの道を行くと思うと気が進まない。「行きはよいよい・・・」などとふざけて呟き、気を紛らわせつつ帰路につく決心を先延ばしにしながら周りを見渡していると岸に沿って道が伸びているのに気が付いた。先を覗くとずっと続いており、先には低い丘とその上には東屋が見える。そちらから抜けることにした。

 東屋まで行くと、隣接して高いフェンスで囲まれた芝生のグラウンドがあった。無論人はいない。グラウンドへ入りずんずんと歩く。微風が吹き抜けている。中央辺りで芝生に触れると僅かに湿り気を含んでいるが濡れるほどではない。尻をついて座り、月を眺める。月は一層雲に覆われ今や輪郭も寸断され最早奇形の灯が天に浮かんでいるばかりだ。明瞭に見えたならばどれだけいいだろうと思いつつ、眺めているとしかしこの月も美しく見えて来、私は今更になって朧月なる観念を再発見したのだった(*1)。普段酒を飲まないけれども、この時ばかりはあたりめもつまみながら飲めたらどれだけ気分がいいだろうかと感じた。準備をしてまた来るのを心に決めた。

 ひとしきり眺めた後、地図で帰り道を探す。グラウンドの逆側から抜け、道路下りつつ戻る道を見つけた。グラウンドを抜けると、公衆便所があり煌々と光を放っていた。少し尿意はあったがまだ余裕があるためそのまま過ぎた。淡々ホテルへと向かう。

 しばらく歩いたのち尿意が強まってきた。近くに便所が無いため立ち小便も考えるが違法なので出来る限りは避けたい。しかし同時に私が立ち小便をしたところで、ばれる筈もなく誰が咎めることができるだろうかという不敵な気分もあった。歩き続けるうち住宅地の間に公園を見つけた。それは家屋の列と列の間に取り残された三日月状の領域に造られた小さな公園で簡易な遊具が並んでいる。ここの公衆便所を使おうと外縁に沿って歩きつつ中を伺うが見つけられない。どうやら無いらしい。私は憤慨した。便所のない公園などありふれていることは承知しているけれども、わざわざ今現れなくてもいいだろうと怒りが湧き、本来ならば便所のあってしかるべき空白に、あてつけに尿を撒いてやろうかと考えたが、この静寂の中放尿すればそれなりに音が響くに違いなく、周囲の住人に聞かれることを考えると不安になり止した。私の尿意限界近くまで高まっていた。地図アプリを見るとまだ二十分以上は歩かなくてはならない。どう考えてもホテルまでもつとは思えないが、ともかく足を進めると、見覚えのある道に出た。行きに通った道だ。記憶を辿ればこの先は道路建物が立ち並ぶばかりで立ち小便できるような茂みはない。一度足を止める。地図アプリを見るとすぐ右に行けば公園があることが分かったので、歩道脇の草むらを横切り、駐車場を過ぎ、公園へと向かう。この公園は先のとは異なり、庭園やら広い芝生やらがある大規模な公園だった。どこに便所がありそうか見当もつかないが、ひとまず建物が目についたのでそこへ向かった。しかしそこには施錠された建物があるのみで便所は見当たらない。建物に挟まれた道の奥へ行くと芝生が敷いてあり、奥に池、周囲には植え込みがある。この植え込みの陰で済まそうかと考えながら歩いているとある看板が目に入った。曰く、「山の神池では釣りをしないでください」。なんという名前だろうか。信仰心のない私でも山の神を冠する池で立ち小便をするのは流石に気が引けた。道を戻る。もう限界が近く、考える余裕もない。諦念が私を支配した。自らの限界、ただそればかりのためにどんな平行世界においても便所存在しないような場所を私は尿で汚すのだと、敗北感を感じつつ、間近の立ち小便に都合のいい場所を探して歩くうち、左手に蔦で上方が覆われたプレハブが現れ、「公衆」の文字が目に入った。慌ててその文字の続きを追うと、蔦で部分的に隠れているけれども確かにトイレ」の文字が続いていた。降って湧いたような都合のいい便所に驚いたが、ありがたく使うことにした。入り口のドアには窓がついており中は真暗だ。スライドドアを開き、中をスマートフォンライトで照らすが照明のスイッチは見つからない。もしや時間帯によっては電気がつかないのだろうかと不安を感じるも、これ以上我慢できないので闇の中でも済ませるつもりで足を進めるとカチとスイッチの入る音がし、灯りがついた。人感センサーがついていたようだ。無事に用を足した。非常な安堵を感じ、軽快な気分でホテルへと帰った。

 風呂に入るなどしつつ明日のことを考えた。出来れば龍王神社を改めて太陽の下で見たい。しかしすでに四時近くになっている。明日のチェックアウトは十一時までで、今から寝るとなるとぎりぎりまで眠ることになるだろう。午後のバイトを考えると十二時頃には瀬田を出なくてはならず、一時間で往復するのは不可能なので恐らくは無理だろうと諦め半分で床に就いた。

 翌朝九時過ぎに目が覚めた。まだ眠気はあり、もう一寝入りしようとするも寝付けない。それならばということで、龍王神社を見に行くことにした。

 日の光の下では龍王神社はありふれた田舎神社だった。あの幽玄さを湛えていた石灯籠は改めて見れば妙に小綺麗でそれ故安っぽさを感じさせるもので、大粒の玉砂利に思えた敷石は粒が大きめのバラスに過ぎなかった。しかし歩き心地さえ違って感じるのは不思議だ。昨日は沈み込むようにさえ感じたのが今や普通の砂利道と変わらない。あれだけ長く感じた参道も晴天の下では容易に見渡すことのできる程度のものだった。再び拝殿とその脇の社を拝み、木立を抜けて池の岸へ出る。昨日は闇に融けていた向こう岸も、今や明らかに見え、昨日よりもずっと小さな池に見える。しかし僅かに波打ちつつ光を反射する湖面は凡庸ではあれど清々しく、美しくはあった。

(*1 実際には朧月は春の月に対してのみ言うらしい。)

2020-08-29

駅前の路端に女の子女性?がものすごく俯いて座ってた

ぎょっとしたんだけど、こちらは男なので特に声はかけなかった

とにかく腕を枕にしていてバスを待ってるわけでもなく、スマホを見ているわけでもなくて

なんだろ、ケンカして家出をしたとかなのかな

からない

2020-08-27

anond:20200827151658

でもさあ、男が足を開いて座ったり屈んだりするのは、睾丸を冷やす(というか温めない)ための遺伝子に刻まれ所作なんだよね。

閉じて座ることを求める座席設計が悪いと思うんだよね。しらんけど。

2020-08-15

売りはじめた土地に人を座らせておけば直ちに誰かが現れて買ってくれるわけでもなさそうなのだが、とりあえず人を置いて「現地販売中」の赤旗なども立ててしまうのが弊社である

古い木造の平屋に暮らしていたおばあさんが介護サービス付きの老人ホームに入るということで、土地を買い受けた途端に更地にしたのが弊社である

まだショベルカーキャタピラの跡が残る泥の上に「初売り出し」と書いた看板を突き刺し、アウトドア用のタープを設営し、キャンプ用のテーブルと折り畳み椅子を置いて座ったのが私である

日中の気温が37度に達すると予報が出ている東京で、もちろんこのような布の屋根は、あってもなくてもたいして変わらない。テーブルに置いた麦茶ペットボトルが火にかけた薬缶のように熱い。

テーブルはいろいろな家のイラストも重ねて置いてある。今は茶色いだけで何もない更地ですけど、弊社契約業者を使って家を建てるとこんなに素敵になるんですよ、と説明する使命を帯びて、画像データファミマで今朝印刷して持ってきたのだが、もう私の汗を吸ってボコボコと汚らしく波打つだけの紙の束になってしまった。

日が暮れるまでこの土地に陣取って「販売業務」に従事しなければならない。買い手が来ても来なくても、雲ひとつない8月の空の下、タープの布屋根一枚で直射日光を防ぎつつ座っていなくてはならない。東京住宅街に突如出現した空き地の値段は、不動産会社従業員一人の人件費よりもずっと高い。ひょっとすると命よりも。

そんなことを考えていてもまったく時間が経ってくれない。さっき近くのローソンから買ってきたガリガリ君は一瞬のうちになくなってしまった。これからは何を糧に生き延びればよいのか。

熱中症になるのが怖くて、自分の手首を掴んで脈を測ってみる。いつもより弱々しい気がする。黒い革靴に包まれた足がジュクジュクと蒸れて、沸かしたての風呂に入っているように熱い。たまらず靴も靴下も脱いで、椅子に座ったまま裸足を前に突き出し、風を待つがそよとも吹かない。日傘差した女がこちらを二度三度チラ見しながら通り過ぎて行く。

もはや暑いのかどうかもわからず、ただ息苦しく、マスクを片耳からぶら下げ、意識朦朧とした状態椅子にひっくり返っていると、ようやく日が傾いてくる。焦点が合わない視界に、ひょろ長い人影が映る。黒いTシャツを着たマッシュルームカット青年が、不安そうにこちらを見つめている。彼が連れている小さなパグちゃむちゃむと吠える。

「あの……ウラサワ君?」

なぜ彼は私の名前を知っているか椅子に座り直してその顔を見る。彼がマスクを取る。

メヒコ君?」

髪型が変わっていて、顔は大人になっていたが、わりとすぐに分かった。メヒコ君の本名はたしかヨモギダだったはずだが、中学クラスではみんな彼をメヒコと呼んでいた。家庭の都合でメキシコシティから突然転校してきて、メキシコのことを「メヒコ」と発音する彼は、無知中学生達にある種の衝撃を与えた。

ここでなにをしているの、土地を売っているんだ(自分土地じゃないけど)、どうしてここにいるの、近所に住んでいるんだ、というやりとりを経て、仕事が終わったら一緒に晩ご飯に行くことになった。というか、今日はもう撤退することにした。

犬を家に置いて戻ってきたメヒコ君と歩きながら話を聞く。学校を出た後はスペイン語英語を活かして国際線フライトアテンダントをしていたが、どうしても時差のある生活身体が慣れなくて2年でやめたらしい。何か接客業を続けようと思ってヒルトンバー修行した後、ちょっとしたメキシコ料理テキーラを出すバー高円寺に出したところ、けっこう繁盛した。2号店を出そうかと下北沢あたりで物件を探しはじめた頃、コロナが来た。

バーをやってると、お客さんがいない時間結構よくあるんだけど、あの時に誰かがドアを開けて入ってきてくれるまで待っている時間の重さは、それまでと何か違うものだったんだ。店を開けてることも、生きてること自体も、何から何まで否定されながら、それでも誰かを待っていなきゃいけないみたいな」

運転資金が残っていて少しでも退職金にあてられるうちに、メヒコ君は2人のスタッフと話し合って店を畳んだ。それまでは店の奥にある倉庫で寝起きしていたので住む所もなくなり、今は大叔母さんの家に居候しているらしい。

自分のペースで店を作っていくのは楽しいから、また機会があればやりたいね。いつになるかはわからないけど」

夕闇に信号機が点滅する横断歩道を並んで渡りながら、私はなにも言えなかった。

ラーメンでいいかな、と彼が立ち止まった先にあるのは住宅街の古い一軒家だった。看板もなにも出ていない。ああ、うん、と思わず答える。メヒコ君がためらわず玄関チャイムを鳴らすと、インターフォンから返事が聞こえる。「二人なんですけど」というが早いか、ドアが静かに開き、白髪の薄くなったおじさんが出迎える。メヒコ君とは知り合いらしく、久しぶりなどとひとしきり話してから、私にも入るように促す。

案内された先はどう見ても普通の家のダイニングで、エアコンが効いていて涼しかった。つながっている居間には大きなテレビがあり、NHKニュースが流れていた。ソファーの上には茶トラの猫が寝ていた。

「あったかいのと冷やしとどっちがいい?」 ダイニングテーブルについた私たちにおじさんが訊く。

「じゃあ、冷やしください」と私が答えると、「冷やし二つおねがいします」とメヒコ君がいう。

キッチンでおじさんが調理しているあいだ、私たちテレビ関東地方気象情報を眺めた。おじさんの方を振り返ると、冷凍庫から赤いコーラペットボトルを取り出すところだった。料理しながら自分で飲むのかなと思って私はテレビの画面に視線を戻した。

出てきた冷やしラーメンは、家庭料理にどこか似つかわしくない端正なものだった。ガラスの鉢に黒いスープが入っていて、そこにひたされた金色の麺の島には、糸のように細かく切ったハム白髪葱が載っていた。一口食べると、氷水からたった今引き出したような麺の冷たさに驚く。スープは甘辛く、どこかで味わった覚えのある下味を感じたが、はっきりとはわからず、謎めいた調和のうちにいそいそと箸を進めずにはいられない旨味があった。

食べ終えて外に出る頃には、昼間から感じていたどうしようもない倦怠感は消えて、全身が軽く感じた。地下鉄の駅に向かうため、メヒコ君と交差点で別れた。今度は何か冷たい差し入れを持っていくよと彼は笑っていた。明日最高気温は何度だろう。さっきテレビで見たはずだが、よく思い出せなかった。

2020-07-13

自分でもよく分からない性別の話

初めに書いておくと、これはどこにも吐き出し口の無い気持ちを延々と吐き出しただけの暗く湿っぽい長文だ。

私の肉体は紛うことな女性である。ここに関しては生物学的に間違えようがないし、自覚しているところでもある。私は肉体的に女性だ。

ただ、私は自分女性だと思いたくない。女性にしたくない。でも、男性だと思ってるかと言われるとそうでもない気がするのだ。

こういう風に思いだしたのは思春期が始まった頃、中学の頃だったように思う。親に言われるがままに「私」という一人称を使っていたが、それに違和感を覚えるようになった。「僕」くらいが丁度いいな、と思ったけれど、親に嫌な顔をされるから自分」という一人称に変えようとした。結局親は「私」にしなさい、と言ってきたから、それからずっと「私」のままだけれども。

長い髪の毛が嫌になった。短く切りたい、と何度も言ったけれど、「似合わない」「ショートにすると髪質が変わる事があって、今の髪質は良いものなんだから止めなさい」と言われて止めた。今も同居しているし、あれこれ言われるから局長いままだ。

髪の毛が長いから、「ちゃんとした髪形をしなさい」と言われる。そんなの面倒だし、女性らしく凝った髪形は嫌いだ。したくない。でも、私の髪の毛は長くて女の見た目をしているから、そうしなきゃ社会的にも白い目で見られると言われる。

中学の頃からちゃんとしたブラを着けるように言われてきた。お陰様で胸がすくすくと育ってしまい、Eカップが良いでしょう、と店員に言われるくらいまで大きくなった。嫌だ。胸は要らない。女性らしくなってしまうから。胸を潰すか、いっそ整形手術で平らにしたいと言った。「胸が小さい人も大きい人も、なりたいと思ったってなれなかったりするんだから諦めなさい」と言われた。

男物の服の方が好きなデザインが多い。女物だって嫌いじゃないけど、男物も買わせて欲しい。私はたまたま背が高くて骨太だったから、サイズが無いんだとゴリ押しして少しは買う事が出来た。でも、親はギリギリまで買わないように言ってきたし、男らしさがあまりない物しか頷かない。

親は、私にあまり一般から外れて欲しくないように見える。

私は女なのだ。女だから、女らしくあらねばならない。綺麗な服を着て、身嗜みに気を使って、化粧もして、いつかは結婚して、子供を育てて、そうやって生きるのが幸せなのだと言われている気がする。

スカートも可愛らしい服も嫌いだ。髪の毛はショートが良い。肌に何か塗るのが嫌いだから化粧も嫌。女らしい言動なんてしたくない。恋愛感情理解できない。結婚セックスもしたくない。子供は苦手だ。

突然だが、私には兄弟がいる。男だ。

私が「女の子なんだから足を開いて座るんじゃない」と言われる横で、兄弟は足を大きく開いて座っていた。

私が「女の子なんだから家でもちゃんとした服を着なさい」と言われる横で、兄弟パン一で歩いていた。

羨ましい、と思った。

私は男性なのだろうか。兄弟のようにいられたらいいな、と思ってしまう、私は男性だろうか。性同一性障害なのだろうか。

それは違うとも思う。私が女性じゃないのは確かだけど、男性とも言いきれない。訳が分からないと思うけど、実感としてはこの表現が一番しっくりくる。

女らしい部分も男らしい部分もあって、どうも自分性別にしっくりこないのだ、と兄弟に話した事がある。親よりは分かってくれるかな、と思ったから。

「そんなのある訳ないだろ。性同一性障害だって言うなら話は分かるけど、男でも女でも無いなんてある訳ない。それは単に『私男っぽいの』って言ってる自称・男っぽいだけのただの女だ。俺が一番嫌いな奴ら」

違うんだけどな、と思ったけれど、上手く説明出来る気がしなくて止めた。だって自分でもよく分かってないのに、人に説明出来るわけが無い。

シンプルアクセサリは好きだ。綺麗なネックレスイヤーカフを見ると欲しいな、と思う。女物の服だって、欲しいものはある。

でも、男物の服や靴も好きだ。女の子らしさを出すのは嫌だ。パッと見で男に見えるくらいの格好がしたくなる。

こんな矛盾だらけの感情をどうやって説明しろと言うのか。

友達に遠ざかられるのが嫌だから、親や兄弟のように否定されるのが怖いから、ずっと一人で抱えている。何でこうなってしまったんだろう。

ああ、子宮と卵巣を取ってしまいたい、といつも思う。月に一度だらだらと血を流すこの忌々しい女性らしさの象徴を取り去ってしまいたい。性転換手術はしたくない。ただ、女性ではなくなりたい。何でこんな事でいつまでも悩んでいるんだろう。

2020-06-19

anond:20200619212121

うちの学校では座ることに問題はない。

が、授業に問題があるということを管理職が指摘する場合であれば、私の勤務校でも当然座ることはダメだと指摘されるだろう。

授業において座ることは必要行為ではない。そして授業中に座るというのは必死さが足りないと一般的に見られる行為だ。

上手い人は必死である必要はない。下手な人は必死であるべきだ。君は切り離して考えようとしているが、立場によって正解が変わることを理解すべきだ。

2020-03-28

前向きの席

私の勤め先は、基本的部署ごとに机を向かい合わせにし、いわゆる島を作って座るスタイルが通例になっている。

しかしごく一部だが、大陸から離れて廊下や出入り口のほうを向けられた「孤島」が存在する。

孤島は大陸の人々を背にして廊下や出入り口に向いて座る。

孤島は孤独だ。

孤島はたいてい2席あるので、隣には人がいる。けれども背中の状況がわかりにくく、大陸にいる人の様子が全くわからない。

大陸で交わされる雑談や談笑は聞こえないし入れない。だんだん卑屈になってくる。

連絡事項も聞こえづらい。というか孤島の人にまでわざわざ伝達などしてくれない。

電話には先に出ろと執拗に言われるが、出た電話を取り次ごうにもいちいち振り返らないと目標人物が在席か否かすらわからない。

後ろの大陸からPCの画面が丸見えになるし、事務所内の人が立ち歩くときもじろじろ見られるし、冬は寒いし、不快のものだ。

客に誠意を示すとかいっても、結局下を向いてるとなかなか来客に気づかないし、いったん引いて机を回り込まないと前に出られないから意外と非効率なのだ

孤島は、むかし君臨した豪腕部長が「客に誠意を示す」ために指示した事項だった。

彼が退職しても、誰もそのスタイルを改めようとしない。

その権限がある人たちは、あの席に座る苦しみがわからないし、過去偉人の指示だから、変える勇気もなければ必要性も感じないのだろう。

まさかその座席配置で「お客様ファースト」を体現できると本気で思ってはいないだろう、と信じてはいる。

何年か前、私は孤島に座っていたことがある。

苦痛しかなかった。

そのときは、孤島の後ろにさらに空席があって、大陸の人たちは今よりもっと遠かった。当時から嫌われていたんだろう。私が耐えかねて辞めるのを待っていたんだろうか。

現在は、若い女の子と気のやさしい非正規おばちゃんが座らされている。

気の毒だが、正直なところ自分じゃなくてよかったと思っていた。

ところがだ。私と折り合いの悪い先輩が、どうしても私を孤島へ追いやりたくて仕方ないと。

「お前のためであるし、おれのためにもなる(お前もおれの顔など見たくもないだろうし、それはおれも同じだ)」という話らしい。

そのために、私の業務内容の入れ替えとあわせて管理職へ進言しているという。他案も「それは飲むからとにかくあいつを孤島へ」と言って、私を追いやるつもりは譲らないと。

私は孤島に何年か座ったことがあるんだが、知らないのだろうか。

私を自分から遠ざけられれば、まして孤島なら向きが変わってお互いの視界に入ることも減るからちょうどいい、とでもいうのか。

若い女の子不憫に思ったのもあるかもしれないが、それなら別に私でなくてもいいはずだ。

まあそこまで嫌われるのは私にも原因がある。

私は彼に何かといちゃもんを付けていたから、彼が私を疎ましく思うのも、私が自分のことを疎ましいと思っているのだと彼が認識してしまうのも、仕方ないと思う。

少なくとも一年は孤島で隔離生活になる。あー嫌だな。孤島生活つらそうだ。

でも何が一番嫌かって、それは先輩の草の根諜報活動ですべてが決まってしまたことだ。彼は管理職へうまく取り入って畳みかけて、自分の案をほぼ飲ませた。私の次の業務内容まで明確に指定している(けっこう厳しい内容らしい)。

でもいざ追及されたところで「管理職が決めたことだから」という逃げ道がある。こういうとき常套句

なぜ彼を敵に回してしまったのか。

頭の回る人間バカ自分が憎い。

2020-02-06

人助けとは何か

フェイクも何もなしで書くので、

話したごく一部の友人や当事者の方にはバレてしまうかもしれないけど。

昨日、いつも通勤で使っている電車人身事故で完全に動かなくなってしまい、

帰宅に際して振り替え輸送で帰ることになった。

乗った車両は同じく振り替えの乗客で満員で、もちろん身動きが取れない。

最寄りとは違うけれど少し歩けば家につく駅。

あちらこちらに揉まれながら降りた時に、隣のドアから降りた女性妊婦さん)がフラフラとその場に座り込んだので

声をかけようと近づくと、そばについていた別の女性に「駅員呼んでもらえますか?」と言われたので

「わかりました」と走って警備員らしき人に声をかけた。

すみません、向こうで体調不良の人が座り込んでしまって…」

私に付いてきた警備員さんは、申し訳ないけど確かにトロかった。

座り込んだ女性を見ておろおろするばかりで、小さな声で「大丈夫ですか?」と声をかける。

次の瞬間、最初に私に駅員を呼んでといった女性警備員に指をさしながら

救急車とか呼んでくださいよ!彼女妊娠してるんですよ!」と強めに言った。

警備員はそれによって慌てて電話をかけた。

いや、まあ…確かにボーっとしている警備員だけど。

私に対する指示もかなり語気が強めだったので、妊婦さんの友人なのかと思ってたら

「気にしないでくださいね、私も貧血で倒れることあるからわかります。」

と、ずっと妊婦に向かって言っていた。赤の他人らしい。

妊婦さんは悪阻がもともと酷いとのこと。予期せぬ満員電車だったのか、

顔を真っ青にしながらも5分ぐらいすれば落ち着いてきて

すみません~びっくりした~」とちょっと苦笑いながらも自力で立ち上がりベンチまで歩いて座った。(多少支えはしたが。)

意識もはっきりしてるし、自分で水も飲んでるし、休憩してそれでも不安であればご家族に連絡する感じかしら~と

のんきに背中をさすっていたら、駅員が車いすを持ってやってきた。

到着した駅員に、赤の他人は開口一番

救急車呼びました?」と聞く。

駅員は

「いえ、呼んでませんけど…呼ばれたんですか?」

それを聞いた赤の他人は、警備員に向かって舌打ちをして鬼の形相で睨んだ。

ええ~…。

駅員さんも戸惑いながら、「お知合いですか?」と尋ねる。

我々2人とも赤の他人であることを伝えると

「では、私たちついてますのでもう大丈夫ですよ」と言った。

それを聞いた赤の他人は、

「いえ、心配なのでついてます!!!

ええ~!!!!???

あんまりに驚きすぎて声が出なかった。

でも彼女には100%悪意がないんだろうと思う分指摘もできず、駅員と目配せして固まっていると

妊婦さん本人が「ちょっと横になりたいので救護室に行きます」と言ってくれ

めんどくさかったので駅員そっちのけで車いすを開いて

さっさと妊婦さんを乗せて「じゃ!お願いします!」というと、

彼女も「あ、じゃあ…」と駅のホームの端に歩いて行った。

警備員トロかったのは否めないけれど

駅員の方にも臨機応変とはいえルールがあるのだろうし

そもそも妊婦さんは意識もはっきりしっかりしているし

体調の自己申告が出来たり、自力で歩けるくらい回復していたので

もちろん心配ではあるのだけれど。

救急車を呼ばなかった警備員に対して舌打ちと睨みをした彼女を見て

人助けって何なんだろうなって。

心配してくれるのはありがたいけど

自信満々に赤の他人

「ついてますんで!!!!!!

って言われた妊婦さん困るだろうなって。

正直、手伝えてよかったという気持ちよりも

あの女性のことがモヤモヤと引っかかって

ずっと気持ちが鬱々としている。

2020-01-22

anond:20200122084509

ウチの子は進行方向むいて座らんと酔うゆうてるで

オレもちっさい頃は気にしてたなー

2019-12-26

子どもの頃のトラウマ

中学生くらいの時に同級生数人と大阪に遊びに行った帰りの事件

日中遊びまくって帰路に就く頃にはクタクタだったので、帰りの電車ですっかり眠り込んでた。

しばらくして近くのおばさんの喋り声があまりにうるさくて目が覚めたんだけど、寝ぼけたままおばさんの話の内容を聞いてるとどうやら自分悪口を言われているようだぞ?と気づき一気に覚醒

びっくりして顔を上げるとすぐ前の座席に座っている水商売風の50代くらいのおばさんとおっさんとばっちり目が合った。

おばさんとおっさんは目が合ったままなおも電車の中に響き渡るくらいの声量で悪口を言い続けている。

周りにはちらほら他の大人もいたし状況にも気付いてたと思うんだけど止めてくれる人は一人もいなかった。

延々と自分悪口を聞かされながら10分くらい固まってたんだけど、内容はヒートアップしていくしニヤニヤ笑うおばさんとおっさんの顔が気持ち悪くて、耐えられなくなって別の車両に移動した。

具体的に悪口ってどんな事言われたのよ?と聞かれると、正直あんまり思い出せない。

時間経過で忘れたわけじゃなくて、ショックすぎて自分防衛本能記憶を抹消したんだと思う。

その日の服装とかおばさんおっさんの嫌な笑顔とかは鮮明に思い出せるから

思い出せる範囲だと「芋くさい」「気持ち悪い」「親の程度が知れる」とかそんな内容だった気がする。

それからしばらくは何か自分悪口を言われるような事をしたのかとずっと思い返しては悩んでた。

優先席に座ってたとか座席荷物占領してたとか股開いて座ってたとか、考えられる限りの理由を考えてみたけどどれにも当てはまらなかった。

大人になった今ならわかるけどこういうのに理由なんてないんだよね。

完全に交通事故天災みたいなもんだと思う。

でも当時まだ幼くて周りの大人や友人に恵まれぬくぬく育ってきてた自分からすると、『まったく面識のない他人』で『親よりも年上であろう大人』に『面と向かって謂れのない罵倒を受ける』という3連コンボはあまりにもショッキングだった。

当時は大人を信じられなくなったし大阪嫌いになったし、今でも水商売風のおばさんと客っぽいおっさんの2人組とか見かけるとちょっと怖い。トラウマです。

もし今当時の自分立場になっても上手く受け流せる気がしないし、逆に当時居合わせ大人たちの立場になってしまった時、上手く対応できるのかと言われると自信がない。

でも当時の自分と同じような目に合っている子供がどこかにいるかもと思うととてもやるせない。

こういうのってどうするのが正解なんだろうね。

2019-12-18

歳を取って、イライラ沸点が低くなった気がする

「こうするのが当たり前だ」という自分の中での常識ができてしまったためか

イライラすることが多くなった。

左側通行をせず、かたくなに端を歩き続ける阿呆とか

電車で肘を引いて座り、圧をかけてくるオッサンとかデブとか

電車で降りる駅なのにまったく準備しておらず、チンタラ降りてくるグズとか

電車で並んでいるの無視して横入りしたり、並んでいる列の真横スペースに来て横入りするクズとか

電車エスカレーター前に電車待ちで並んでエスカレータ前を塞いで通れなくする馬鹿とか

見通しの悪い道で急に飛び出してくるクソ自転車とか

歩道を我が物顔で、猛スピードで走る自転車とか、急カーブしてタックルする自転車とか、

歩きスマホして一切前をみないクソとか

ケンタッキーで一切片付けをしないで放置するチョンとか

もーーーーーーーーーーーーー、イライラする。

ルールというか、人の事を考えないアホばかりが嫌な思いをすることなく、得をしているのも許せん。

先日電車で横入りするのを華麗にディフェンスしたら「チッ!クソが!チッ!」と言われて不愉快になった俺は

どうしたらいいんじゃ。

何でこんなにイライラするんだ。

通勤やめたら幸せになれそうだというのは分かるわ。もう少し寛容になれる気がする。

電車でのマナー悪いのとか、通勤時間の長さとかがイライラ増長させていると思う。

はー。

2019-11-25

優先席なんてなくしてしま

毎朝6時頃の電車会社に向かっている。

先週のある日から、いつも乗っている車両松葉杖をついた30代くらいの男が乗ってくるようになった。

電車は6時過ぎながら乗車率100%を超え、早く出社したからといって早く帰れるわけではない疲れたサラリーマンでいっぱいである。

ちなみに乗車率100%は「定員乗車(座席につくか、吊革につかまるか、ドア付近の柱につかまることができる)。」だそうなので、この状態は優に超えていると思う。

話を戻して、急に現れた松葉杖男。

彼が乗車してしばらく経った頃、突如車内に金切り声が響き渡った。

「なんで松葉杖の人がいるのに誰も席を譲らないのォォオオ!?!?!?!?

こういうのがっかりなのよォォォォオオ!!!!!!!!

ここ優先席よォォォオオ!?!?!?!?

正義ババアだ。

本当にこういう話し方だった。

ババアは席を立ち、松葉杖男に席を譲ると、次のそこそこ大きい乗換駅で降りていった。

松葉杖男が乗車してからしばらくは何も言わなかったところを見ると、降車駅の少し前まで目を閉じるか何かしていて、

さてそろそろと目を開けたタイミングたまたま松葉杖男が目に入ったんだろう。

しか正義ババア、「ここ優先席よォォォオオ!?!?!?!?」と叫んでいたが、自分がその優先席に座っていた。

まり自分は優先されるべき立場だと思っていることになる。

うわあ(笑)

って思わない?自分は思った。

あんなに元気なのにね!!!!!!!!!!!!!!!

ババアには想像力が欠如している。

見た目はただのサラリーマンでも、何らかの内部障害を抱えていて座っていた方が楽な人が座っているのかもしれない。

そうでないにしても、朝6時から乗車率100%電車に乗っているサラリーマンなんて、全員が座りたいほど疲れているのは間違いない。

優先席」なんてものがあるから厄介なのだ

席を譲ったほうがいい人がいたら、どこの席であろうと譲ればいい。

自分に席を立つ気力と体力がなければ、無理に立つ必要はない。

ジジイババアの中には「年寄り扱いするな」とでも言いたげに、優先席が空いているのに一般席に座るのがいる。はっきり言って迷惑しかない。


さて、今日もそろそろ出勤の時間だが、松葉杖男と正義ババアはいるだろうか。

2019-11-22

肘を引いて座るのヤメロ!!!

電車で肘を引いて座んな。

肘を引くと脇腹にあたんだよ。

そもそも一人分の領域はみ出すだろ。

バカなのか、いや、バカなんだな。

2019-10-30

anond:20191029201317

宇宙絶対座標は存在しないので、完璧に静止という状態というのは概念として存在しない。

太陽に対して静止や、天の川銀河中央いて座Aブラックホールに対して静止するということは、

地球から見れば動いているということになる。

 

ちなみに宇宙船で宇宙空間に飛んでって大加速して、

太陽に対して静止や、天の川銀河中央いて座Aブラックホールに対して静止する状態にした場合

地球人間より早く年取るのではなく、ゆっくり歳を取る。

 

宇宙船が静止している前提で見たら、地球のほうがすごい速度で動いてることになるじゃん

……という疑問は「双子のパラドックス」として知られていて、

加速度をかけて動いた側がゆっくり歳を取るという結論になってる。

2019-10-24

満員電車痴漢の原因ではない

結構男性陣は満員電車痴漢の原因で、これを解消したら痴漢がなくなると思っているかもしれないが(自分も思っていた)

そうじゃないっぽいので、共有。

自分男性ですが、痴漢なんて満員電車で偶然手が女性のお尻や胸に触れたように見せかけて触ったり、

そこから女性抵抗しなければ、さらエスカレートするものだと思ったわけですよ。

ラッキースケベから派生のような。

女性セカンドレイプを恐れたり、思い出したらむかつくので、あまり男性痴漢された話をしないと思うので、付き合ってる女性に聞いてみてください。

私が聞いた話では、夕方くらいの全然混んでいない黄色路線では、女子高生時代ガラガラなのにおっさんしかし30代くらい)が

ピッタリ横にくっついて座ってくる。手をスカートの中に突っ込んで、またを開かせようとする。

接触ろうとする(おそらく触っている)

車両を変えて逃げても無言でおいかけてくる。別の日にあったらまた同じことをされる。

かに言ったら復讐されそうで怖いので、誰にも言えない。そう思うような弱そうな女の子を狙って執拗にやってくる。

結果、彼女大学一人暮らししてから黄色路線に怖くて乗れなくなったそうで、こういう話をしたのも僕が初めてだと言ってました。

これ聞いてどう思う?マジきもいでしょ。

オレはね、なんか少年漫画ラッキースケベみたいなもんだと思ってたわけ。痴漢なんて。

露骨にやってるのなんてAVの中だけだと。AVでそんなの見ても、こんなやつおらんやろ(電車の中でこんなひどいことする男おらんやろ、こんなことされて逃げない女おらんやろ)

と思ってたわけ。おったわ、目の前におったわ。マジひどい。

ここらへんからまずみんなで共有していこう。

満員電車なくしても、こういう痴漢全然減らないよ。

(もちろん満員電車痴漢を誘発する要因ではあると思うので、無くした方が良い)

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