https://news.yahoo.co.jp/byline/fujiiseiji/20150908-00049290/
増田なんだからなんでも書けばいいジャーン、とか思うけれども、最後の最後で消してしまう話がある。
そんなとき、この言葉を思い出す。何を書くかなんて自分の中にあるもの以上のことは書けないけれど、何を書かないかは常に自分の自由だ。
女子大生の4人組が歩いていた。
つい昨日まで「ああ、あの中の誰かが俺のことを見ないかな、振り向いてくれないかな」って
淡い期待をして視線を送ったりしていたけれども、
「女子大生なんて小便くさい小娘じゃないか」と思うようになった。
否、思い込ませるようになっていた。
これはマッチングアプリで出会った30歳ちゃんで妥協してしまおうと
自分自身に言い聞かせたいがために、こんな思考回路に陥っていたのだ。
彼女たち女子大生には何の落ち度もないと言うのに、僕は無意識的に低評価をつけようとしていた。
30歳ちゃんで妥協しようと思わなければ、女子大生たちに対する評価はニュートラルであったはずだ。
これはとても恐ろしいことだ。
自分に都合の良い世界(30歳ちゃんで妥協する世界)の定義(女子大生はガキ)を、自分に信じさせようとしていたのだから。
これはとても恐ろしいことだ。
強引に誘ってくれる人とかいるといろいろと関係性が続くんだけどな。今はそういう強引な人はハラスメント扱いで毛嫌いされるから絶滅してしまったのかもしれないな。
新興宗教とかに入ると強引に集会にお呼ばれするかもしれんけど、そういうのは違うよな。怖いし。
うーん。ありきたりだけど、なんらかの健全なコミュニティに潜入するしかないね。ネット以外のもので。
僕の胸は高なり
1dayにすれば良いのでは
分かるよ。アドバイスであっても自分を否定されたと思うと悲しいもんな。
でも人類史も個の人間も常に他者、あるいは自己を批判的に見る目があるからこそここまで到達出来たんだよ。
現状の肯定だけでは人類はいまだに洞穴で野性動物の襲撃に怯えて暮らしていただろうね。
向こうは妥協できんかったんやな…