はてなキーワード: 糖尿病とは
20代にしておでこが広く前頭部にはほとんど髪の毛が残っていない。
どうにか美容師に目立たぬようカットしてもらっているがそろそろ限界が見えてきている。
また、自分自身AGA治療薬を長い間服用しているが効果はほとんど実感できていない状態だ。
別に自らが可哀そうなどとぬかすわけではない。この頭なりにどうにか人生を切り開いているつもりだ。
では何を言わんとしているのか。それは現代のハゲを渦巻く環境についてである。
「薄毛は病気である。治療すれば治る。」といった文言が昨今電車広告やCMなどいたるところで見られるが、それは大いに間違いである。
なぜなら薄毛、いわゆるAGAは男性ホルモンの働きによっておきるものであり、生理現象にすぎないからだ。
そしてその因子の有無は遺伝子によって決定される。
また、現在の治療もせいぜい進行を抑止するレベルのものにに過ぎない。
中には薬に関する十分な受容体を持ち、ホルモンの働きを大きく鈍らせる人もいるがそれはごく一部だ。
いうなれば我々は生理現象を薬を飲むことでどうにか食い止めんとしている生命体なのである。
避妊薬を飲んでいる女性の状態に近いのかもしれない。(妊娠は命の危険に大きく関わるとかリスクの大小に関する議論はいったんおいてもらいたい)
私はこの状況に異を唱えたい。どうして薄毛というたかが1生理現象に対してこんなにも危機感を覚え、対策をせねばならないのか。
それは紛れもない、美容業界、育毛業界の過度なマーケティングやメディアが作り出してきた。「薄毛=みっともない、笑いもの」といったイメージのせいだろう。
この価値観はLGBTQやマイノリティ、多様性を歓迎する現代においてあまりにも時代錯誤ではないだろうか。
先ほども述べたが薄毛は男性ホルモン由来の生理現象である。それを病気かのように扱い、かつ笑いものにするというのは、生理の女性を病人扱いしたり、馬鹿にするのと同じ行為で、明らかな多様性の排除、差別行為である。
私もこの差別から身を守るべく治療を続けねばならなくなってしまっている状態だ。自分自身の特性に関しては気にしていない。若ハゲの遺伝子を引いたのも糖尿病の因子やがん因子を持つ人がいるように至極当たり前のことだと認識しているのにも関わらず、だ。
現代は多様性が認められ受け入れられつつある時代だ。それに伴い薄毛=笑いもの、みっともない、病気といった価値観も改めるべきではないだろうか。
中途半端に「日本には福祉があります」「生活保護という最後のセーフティネットがあります」っていう、社会からドロップアウトした人間が最低限度の暮らしを営めてしまうような福祉制度があるからこそ、人を殺して死刑になろうとする無敵の人や、なんの罪もない通行人を切りつけたりする奴が出てくるんでしょ。
だからこそ、日本はさらに格差社会化を推し進めるべきだと思うんだよね。理想はカースト制。
作家の三浦朱門が言ったように、「魚屋の息子が官僚になる」ような事態が起きるのは、国民にとって不幸をもたらすだけだと思う。だから貧民・中流・上級という区分に分けるくらいに格差社会化を進めればいい。むしろ、中途半端に貧困層に希望を抱かせるから、勝手に「裏切られた」っていう感情を持たれ、その狂った刃が罪のない人に向けられる。
これをなくすためには、徹底的に格差社会を推し進めて、そもそも貧民が育たないようにするしかない。金持ちが貧乏人を生産することはあるけど、貧乏人が金持ちを生産することは不可能なんだよ。だから、貧乏人がやがていなくなる、あるいは貧乏人から子供が生まれないようにするくらいに日本は格差社会を目指すべき。
HIKAKINはYouTubeの大物で、そのエネルギッシュな人柄とユーモラスなコンテンツで有名ですが、彼のスタイルは全ての人にとって受け入れられるものではありません。彼の過剰なパフォーマンスは一部の視聴者にとっては騒々しいと感じられるかもしれません。また、彼の影響力を懸念する人もいます。HIKAKINは子供たちに影響を与え、商品紹介を通じて消費文化を推進しているという意見もあるのです。
ラーメンはその味や多様性で有名ですが、健康的な食事を推奨する人々からは、ラーメンは高カロリーで高塩分の食事と見なされ、その消費を避けるべきだと言われます。また、化学物質や保存料が含まれているインスタントラーメンに対する反対の声もあります。
チョコレートは甘くておいしいと思う人が多いですが、一部の人々はそれが高カロリーであり、過度な摂取は肥満や糖尿病を引き起こす可能性があると主張します。また、環境や労働者の権利を擁護する人々は、カカオ生産における公正な労働権の問題や森林破壊を指摘することもあります。
おにぎりはシンプルで便利な食事の選択肢ですが、その保存料や添加物の多さに関して疑問を持つ人々もいます。また、一部の人々は、おにぎりが白米を主成分としているために、栄養バランスに欠けると指摘します。
水: 水は生命の源であり、当然ながら嫌う人はほとんどいません。しかし、一部の人々は特定のブランドのボトルウォーターに対して疑問を持っています。プラスチック製品の使用と環境への影響、または価格が高いことを理由に不満を持つことがあります。
地球: 地球自体を嫌う人はまずいませんが、人間が地球に与えている影響については多くの意見があります。環境破壊、資源の乱用、気候変動など、地球への人間の影響に対する懸念がある人々は多いです。
月について反対の意見を持つ人はあまりいませんが、月探査や宇宙旅行には多くの賛否があります。一部の人々はこれらのプロジェクトが費用がかかりすぎると主張し、それらの資金は地球上の問題解決に使うべきだと主張します。
"ちいかわ"は日本の流行語で、小さくてかわいいものを指します。しかし、この流行に反対する人々は、ちいかわのブームが物質主義を奨励し、一時的な魅力に価値を見出す浅はかさを示していると考えています。
猫は愛らしく、多くの人々に愛されていますが、一部の人々は猫アレルギーや野良猫の問題により、猫に否定的な意見を持っていることがあります。
100均店は安価で便利な商品を提供しますが、一部の人々はそれが廉価労働や低品質商品を奨励し、過度の消費を助長していると主張します。
麦茶は日本の夏の定番ですが、一部の人々はその特有の風味が好きではないと感じています。また、カフェインを含まないため、眠気を覚まさないという理由で飲まない人もいます。
塩は料理の風味を引き立てますが、一部の人々はその摂取が高血圧や心臓病のリスクを高めると考えています。
空気そのものを嫌う人はいませんが、空気質については多くの意見があります。一部の人々は大気汚染や二酸化炭素排出量の増加による気候変動に懸念を表明しています。
小学校の対応は知らんがマスコミの対応なんてボランティアにすぎんわ そこで利害関係が出てくるのはまずいがそこで研究者が色々考えてる状況がおかしいんだよ
もらってる給料の額とマスコミが常識知らずでアホなこと書いてることには関係がない その責任まで研究者に持ってくるとかマジでいい身分だな
このタイミングでこれを書いてるってことは一部で今日話題になってた糖尿病学会の話かと思うが、あんなもん恥ずかしげもなく書いて公開できる、自省能力もなければ公平性のないマスコミに配慮してまで書いてもらう話なんてないわ
これまで協力してきて散々恩を仇で返す真似をしておいて何を言ってるんや
父と母は亡くなっているので元々いない。
「〇〇家」は、年の離れた兄三人と私とで細々と写真とか載せてるグループだった。2016年ぐらいまでは。
元々兄妹全員市内に住んでてとても仲が良かったので、自然と兄の嫁さんと会う機会も増えた。
まあ私と違って温厚な兄が選んだ女の人たちだ、皆やさしかった。
でも私とは仲良くなれなかった。
私のことを溺愛している兄を気遣ってか、どの嫁さんも「お姉ちゃんだと思って!」とフレンドリーに接してくれた。
でも家族にはなれなかった。話はそれなりに弾むけど、「家族」というよりは「親戚」という感じだ。仲が良くて距離の近い他人。
私があんまり馴染めてないのを分かってるのか分かってないのか、兄はどんどん嫁さんたちをプッシュしてくる。
赤ちゃんができてからはなんかアルバムがマタニティフォトとかでいっぱいになった。非常にめでたい。全員無事に生まれた。
私はというと就活と持病で今すごく困っている。
去年病院で検査受けたら糖尿病らしくて、最近はインスリンを打つようになった。
母親も糖尿で合併症起こして死んだので正直「もう私詰んでない?」という気持ちでいっぱい。
兄には言ってない。言ったら大事になりそう。
就活もあまりうまくいってない。内々定は貰えそうだけどそれは行きたい企業からではない。
こういうとき両親に愚痴を言えればいいんだけど、もういない。兄にもなんて連絡すればいいのか分からない。家庭を持ってから、なんだか距離がぐんと離れた気がする。
昨日の夜、皆でホテルのスイーツビュッフェ行こう!絶対参加な!というラインがきた。兄から。
「どの日も予定があって無理かも!ごめん」とスタンプ付きで返事をして、その1時間後にグループを退会した。
そしたら朝に兄から電話があった。完全に寝ぼけてたのでつい受けてしまった。
めちゃくちゃ怒ってた。「お姉ちゃんがすごい悲しんでる、せっかく誘ったのに」と言われた。
ああはい、はい、みたいな生返事をして、段々怖くなってきたので電話を切った。
おわり
でも性格の破綻度合いとデブ度合いはかなり比例傾向にあるように思う。
確かにデブで滅茶苦茶いい人はいるんだが、そういう人は自分から見ていい人に感じる方向に人格が破綻している感じがする。
ガリにも似たような傾向はあるにはある。
ガリはせいぜい標準体重-40kgぐらいで生命の危機を迎えてしまうが、デブは+100kgでも糖尿病の薬を飲みながら普通に生きていたりする。
おおむね標準体重から±30kgぐらいから人格のブレが個性で片付けられない領域に突入しだすので、結果としてデブには無数の異常者が存在し、ガリの異常者は極めて貴重となる。
デブによくある特徴として自分に対しての客観的視点のなさがある。
ブーメランを平気で投げまくるし、自分は別に何もおかしい人間でないと信じがちだ。
そもそもそうじゃない人間は異常なデブになりだした所で、これはマズいと動き出すわけで、デブであることが自身に対しての客観性のなさを証明していると言って良い。
つまり、デブは自分を客観視出来ないとは、自分を客観視出来ないからデブになった人は自分を客観視出来ないというトートロジーなのだ。
もちろんこれはガリにも言えるが、先程も言ったようにガリは自分を客観視できなくなり始めると急激に命が危うくなるので、病院送りになって世間から消えるか、現代医学の力で体重のドーピングが開始される。
デブだって体重が標準+30kgとかになれば医者から痩せろと釘を刺されるが、命の危機を感じるわけではないため「は?医者の感覚がおかしいだけだが?」でスルーする。
というか、ここでスルー出来るデブだけがデブであり続けるというトートロジーだ。
医者よりも俺が正しいと言えば反ワクチンなどのニセ科学にかかる連中だが、デブはおおむねこういった人種と同じ思考回路を持つ。
カルトに引っかかりやすく、かつ自分自身の認識に対してカルト的な信仰心を持つ自分教の信者が多い。
自分教の信者たちは自分こそを絶対神だと信じているので、自分が他人を裁くのは正義であり、他人が自分を批判するのは冒涜だという確信の中で暮らしている。
もしもその自分が偶然にも善性を帯びていれば、それを批判しない限りはその恩恵に預かれる善なる神となるが、もしも本質が悪であれば紛れもない邪神となる。
善良なる神であってもその存在に触らぬ神に祟りなしと言わせるほどの厄介さがあるのは多くの物語で語られる通りであり、デブというものは得てして普通の人間にとって厄介な隣人であるのだ。
普段行かないエリアだったのだが時間のせいかエリアに客は誰も居ない。
途中で客のいないコンタクトレンズ屋の受付に店員が3人いて3人とも俺を見てくる。
窓口では初めてですか?と聞かれ、俺はええ初めて来ましたよ。と言いながら瞼を捲り腫れを窓口の女に見せる。
保険証かマイナンバーカードの提示を求められ、さらには問診証を書けという。
症状はさっき瞼を捲って見せたんだがなぁ、と思いつつも問診書を埋めていく。
俺は空欄を埋めるのが早いのだ。学校でも終われば退出出来る試験の場合真っ先に退出するタイプ。
通されたら目に空気を吹きかけられて気球を見せられたりと散々な目に遭わされてようやく医者とご対面だ。
医者は俺の目を見てさっさと診断する。
診断結果は片眼に麦粒腫と両眼が結膜炎になっているという。
両眼ですか。
先週は水虫で今週は結膜炎か。
その後客のいないコンタクトレンズ屋を通り過ぎて、親子丼を食べて帰宅した。
不幸に打ち克ちたい。