はてなキーワード: 無宗教とは
国際ジョークとして放出するにも危険だし、良い感じに短くするのも難しくてやめたやつを適当に放流。
以下、本文。
インプレゾンビにキレたイーロン・マスクは、X社CEOリンダ・ヤッカリーノに命じ、Xに下のような挑発文を表示させた
キリスト教圏には「欲望に溺れて泡銭にすがり、人命のみならず己の魂すら売る強欲な者たちに、神の審判は訪れる!
金儲けのために真理を踏みにじり、他者を欺くことで得られる幻惑の富は、最終的には喪失と絶望に変わる。悔い改め、誠実なる生き方を求めよ。さもなくば、いずれ正義の光によって全ては照らし出されるだろう」と
イスラム教圏には
「金の虜になりし者よ。汝らは預言者の教えを忘れ、隣人の財産を欲し、金の雄牛を崇めるのか?
欲望にかられ、正義と慈悲を忘れることで得られる富は、終わりには心の荒廃と罪深さに導く。悔い改め、純粋なる信仰に立ち返れ!」と
「財富の追求に没頭する者たちよ、ユダヤの神聖なる教えを見失い、英語と数学を肋骨とした偽の泥人形に奪わせた富は、結局は虚偽と空しさに満ちている。
神の教えに沿った正義と慈悲こそが、真の豊かさの源なのだ…」と
儒教圏には「仁義を欠き、父祖の苦労を忘れた者たちよ。彼等が必死に勉強して得た知恵を、血も涙もない金儲けをするキョンシーに変えることが汝らの文化なのか?
真の富は仁と礼によって築かれ、誠実な商売をする事こそが真なる価値だ。金儲けのために己の文化を冒涜することなく誠心誠意をもって生きるべきだ」と
仏教圏には「煩悩に囚われ、機械に依存し欲望に従い、悟りを得ずして未法の世を築くことが汝らの望みなのか?
仏陀の教えに従わず、無常の理を知りながらにして迷信やドグマを広め、悟りを果たさぬ機械によって金儲けを図ることは真に愚かな行為だ。
正しい手段で生計を立て、慈悲深く善行を積むことこそが、涅槃に至る豊かなる心と真の福徳であると悟れ」と
ヒンドゥー教圏には「神々や信仰への敬意を無視し、機械を新たなヴァルナの奴隷として利用し、人を欺いて金を得る行為は、完全なる神への冒涜である。
人の尊厳を軽蔑し、偽りの崇拝を追求することで手に入る富は真の宝ではなく、心の浄化から遠ざかるものである。
神々が授けた文化の智慧と慈悲の尊さを理解せず、機械を踊らせるために利用するなど、自ら輪廻に捉われんとする無益な努力である」と
今や映画のみならず、インターネットにも間違ったゾンビが蔓延っている.......」と書かせた
このように全宗教を敵に回したXは公式アカウントからイーロン・マスクのみならず関係者全員のアカウントを完全に炎上させ、ユーザーのほとんどが脱退し、その跡地には熱心なブードゥー教徒と日本のクソ無宗教ネタツイッタラーしか残らなかったという
九州から集団就職で都会に出てきた母方の祖母が創価学会の会員となり、母方の祖父、彼らの2人の子供も会員となる。
父親は元々別の宗教の家に生まれたが、大学入学で上京した際に勧誘され会員に。
父は地元に帰ってからも活動を続け、そこで出会った母と結婚。姉と俺が生まれる。
そこまで極端な教育を受けた覚えは無いが、子供の頃(3歳ぐらい?)からの毎朝15分ぐらいの唱題という名のお経上げと地域の学会イベントへの強制参加はあった。
ただそのような創価公式イベントにおいても、また両親の口からも、創価についての体系的な教え、つまり世界はどのようなものであると創価学会は考えており、毎朝唱えている意味不明な漢字ばかりのお経には何が書かれており、我々がそれを唱えるという行為はどのような意味を持ち、またそのような営みを支える背景にはどのような宗教的歴史があるのか、といったことは全く教えられなかった。ここら辺は俺がまだ子供だったから教えられなかったという可能性もあるが、理屈っぽく素直で無かった俺には自分のしている行為の意味不明さが子供ながらに大変苦痛であったのを覚えている。
で、だいたい俺と同じ創価体験を受けた姉は両親の言うことを良く聞くとても良い子だったので熱心な信者となり、創価大学までいった。俺は中学ぐらいから唱題をあげるのを拒否するようになり、たまにある地域イベントなどにはなんとなく参加したが創価との関わりはそれぐらいで大学のに進んでからはそれも辞めた。
両親と姉は当然今も熱心な信者で、家庭内で俺だけ完全に無宗教といった感じだが、家族中は大変良好である。両親とも創価大学→学会幹部といったガチガチの家庭でない限り、まあだいたいそんなものではないだろうか。周りの3世を見てもそう思う。
俺が創価学会に関して思うのは、よく言われることだが創価学会の本質的な役目は戦後日本で解体された地域互助組織の都会における再構築であったということである。両親や姉、周りにいた学会員の方々を見て、とても善人が多いとは思うが、特に宗教的な人間が多いとも思わない。教え自体は日蓮宗ベースだろうが、キリスト教ベースだろうが、浄土真宗ベースだろうが彼らにとっては本質的には変わらないのでないだろうか。本質は池田大作というカリスマ信仰に基づく強固な人間関係組織の構築である。
創価学会の教えのとても特徴的な点だと思うことは、極端とも思える現世利益主義である。創価学会の教え(あるいは日蓮宗の教え?)では、宗教的成功と世俗的成功は同一であり、このことは学会のイベントでも何度もよく聞いた。難解な宗教的教義を多くの人間に理解させることは難しいが、世俗的利益のことは誰もがよく理解しているため、創価学会はこんなに会員がいるんだろうな〜と大人になって気付いた。
あ、あと体系的教義の説明がないとは言ったが、ある程度の大人になると教学試験などを通してそこら辺は勉強することになるし、家庭によっては親が教えることもあるかもしれない。だけどその場合でも日蓮宗の歴史よりは創価学会の歴史に重きが置かれていることは間違いない。
んー 多分この手の主張をする方には何を話してもきっと心底納得はできないだろうし、そもそもこういう考え方の方はそれでいいというか、他の意見が必要が無いと思う。
その上で話すとするなら、もう「宗教が必要な人もいる」としか言えないんだよなぁこれ。
宗教って人の心の弱いところを補うもんだから、基本的に絶対なくならないもんなんだよね。
友達の家族が、摂食障害患っててさ。病院やらだけじゃ治らなかったんだけど、ある時とある宗教の考え方がその人にぴたっとはまったらしくて「私がずっと考えてたことがここにある」って思っちゃったのよね。
そして、それから以前よりは元気になったのよ。その宗教の集まりのなかでスピーチするのが夢になったり。
健康な人からみると「うわぁ」って思うかもしれないけど、その人にとっては救いになったのよね。
もちろん「宗教じゃなく他にも方法はあった」っていう人もいるだろうけど、けどそうやって宗教に何かが救われる人がいるのも確かで、なので「必要な人もいる」としか言えん。
あと、信じていようがいまいが、神頼みした経験ある人は一杯いるだろうし、何か悪い行いが頭をよぎっても「お天道様は見てる」って風に、悪いことをする自分の行いが何かにばれているんじゃないかって思えて踏みとどまる人もいる。(バチが当たるとかはよく言うよね)
こういう言説をあちこちで見かけるようになった。
でもそもそも宗教と完全に切り離された状態って人類に存在したのだろうか?
サピエンス全史の暴論を鵜呑みにするのならば「そもそも宗教がなければ人類は知性を獲得していない」という前提が成り立つ。
だが世界の歴史の中には宗教と無縁のままに知性を獲得した民族がいるのではないだろうか?
または、宗教を完全に締め出すことに成功した国家は一度も存在しないのだろうか?
学校の授業ではこの辺を全く習ってない。
特定の宗教が強い国家が、他の宗教を弾圧するという、ヤクザの縄張り争いみたいな話は山程聞かされたが、そもそも何の宗教も存在しない状態については聞いたことがない。
古代文明の話においても土着の信仰についての話題が付きまとってきた。
宗教と完全に無縁な状態の人類とはどういう状態になるのだろうか?
コミュニティの全員が完全に宗教を切り捨ててた状態は存在したのだろうか?
死者を弔うことはあってもそこに冥界を信じる心は持たず、魂の実在も信じることがないコミュニティが成立した時代はあったのか?
学校で習った範囲でしか世界史を知らない俺は全くそういうのが思いつかない。
俺が習った範囲においては、人類は常に何らかの信仰やスピリチュアルな認識と共に生きてきている。
いや……だが……我々が現代科学という信仰を手にしたことでかつて科学と信じていたものを非科学的と切り捨て、それに宗教性を見出しているだけなのか?
じゃあ……幽霊の存在を信じるまではセーフだけど、神様がいてお祈りや捧げ物をするとボーナスタイムに突入するって考え方が存在しないコミュニティぐらいの感じで……。
これでもなさそうだね。
神の存在を科学として認識してそうな気がするんだよな……まともに実験とかやってなかった頃の人類……神がこの世界をプログラミングしたからこの世界はこういう法則で動いてるんだぜ?もしも誰もこの世界を作ってないんだったら再現性が担保されるような法則性が存在するはずがないじゃんだって世界はカオスなはずなんだもの!みたいな感じで無から神がボンボコ湧いてきてしまう気しかしねえ……
日本にいると宗教なんて頭のおかしいジジババとそのご子息くらいしかやらないものという感じだけど海外だとむしろそういう人達は少数派で未だにガチで宗教を信じている人はたくさんいる。無宗教社会なのは日本と中国くらいなものだろう。
ヨーロッパや南北アメリカではキリスト教が強い。キリスト教は何をしても神が許してくれるというクソ宗教である。ユダヤ教というのは世界中に散らばって金融を牛耳っている。アメリカのトップにいるのはユダヤ人ばかり。ホロコーストで消されかけたのは金融を牛耳りすぎてウザがられたから。非常に排他的な宗教。肉と乳製品を混ぜて食べないとかいうチーズバーガーとか肉乗せピザとか食べられないクソ宗教。中東、西アジア、東南アジア、北アフリカなんかではイスラムが大変に強い。21世紀にもなって頑なに豚を食べないアホが何十億人もいる。インドではヒンドュー教というカースト制度のある非常に差別的な宗教が未だに信じられている。牛を食べないしそもそも肉を食べないクソ人間ばかり。
韓国はキリスト教に支配されているので東アジアでも少しいびつ。日本と中国が最後の希望だが中国はご覧の有様。文革からの恐ろしい独裁一党体制。
寂れた温泉街が、村おこしのために絵師に頼んで適当に描いてもらったただの絵を、仁藤さんが批判しただけなら何の問題も起きなかった。
ところが、あの温泉むすめは地方伝承を元に描き起こされたご神体だった。
いくら自分が無宗教無宗派だからといって、他人の宗教施設に祀られたご神体に向かって、猥褻だ破廉恥だと騒いで唾を吐きかけたら、
普段は寛大な神さまも怒るし、祟りをもらってしまうのは仕方ないでしょう。
神観念の薄れた現代人に、ただの萌え絵とご神体の区別をつけるのは難しいけど、せめて古くからの由来があると知った時点で配慮すべきだったと思う。
暇空さんや暇アノンの異常なまでの執着も、単に祟りの駒として操られているだけなので、一刻も早く、温泉むすめに謝罪し、温泉街に多額の寄付をして、神さまの赦しを請えば、嫌がらせもピタリと止まるはず。
宗教を定義するにあたって重要なのが「信仰」、「実践」、「所属」の三要素です。
「信仰」とは、神や天使や復活などの超自然的な力を認知的に受け入れることです。
※当たり前だけど布教ではない
親無宗教、周りも無宗教だったんだけど27歳で急にクリスチャンになった。神様信じるとか馬鹿かと思ってたのに。いや今でも思ってるけど。
ぶっちゃけ信仰深いクリスチャンの100分の1しか真面目にクリスチャンやってないと思うけど。
それにイエスキリストのすごいエピソードとかも全く信じてないし。嘘乙と思ってる。
ただ、毎日祈る+寝る前にキリストという存在に語りかけてるから側から見たら立派なクリスチャンかもな。
コロナ禍は自分にとって辛かった。その辛い時期に友達の親がコロナで死んでそんな確率低いこと信じられなかったし辛いなんてもんじゃなかった。
次はロシアウクライナ戦争。わかる人にはわかると思うけど、ロシア人いっぱいいるオンラインゲームで知り合ったロシア人の友達が戦争行くからまたねって消えた。戻ってこない。
そういうことや日々の疲れが重なってずっとどうしようもなく暗い気分になってて、ネットで立ち直る方法とか色々調べてた時にキリスト教っていうものを初めて真面目に知ることになった。
自分にとってイエスキリストは、バーチャル優しいおっちゃんみたいな感じ。
自分のことをなんでも許してくれるし受け入れてくれる。なんでも話を聞いてくれる。どんな自分でも愛してくれる。(こう書いたらなんかキモいけど)
朝は「今日はこんなことしようと思う。頑張るから見守っててな。家族とか友達も元気でいられるように見守っててや」と祈り、夜は「今日はこんな感じだった。こんなことを反省する。おっちゃんは自分のこと信じてくれるよな。明日も頑張るから見守っててや」みたいに語りかけて祈る。
どうしようもないことが起こる世の中で、不変の存在があるとちょっと救われる。
神様とか今でも信じてるわけじゃないけど、そういうバーチャルおっちゃんの存在が自分の中にあると結構楽だなという感じでクリスチャンやってる。