はてなキーワード: 告解とは
おっさんです。
微東北に中期出張中ホテル暮らしなのですが、酒も飲まずパチンコもせず、友人は東京だし、昼間ずっとネットっていうのも飽きてきたし。というわけで、休日、やることもなく近くの博物館にいくことにしたんですよ。博物館大好きってわけじゃないけど他に行くところもない(でかい公園とか、一人でいってもだし)ので。
そしたら予想外に良かったんですよ。小綺麗だし、広いし、展示もちから入ってるし、地元で出た化石とか誇らしそうに飾ってあるし、予算かかってるのもわかるんです。県の自慢かも?って思うくらいでした。とても良かった。
ここからが告解なのですが、順路通りに見学してたら、ゴリラの剥製(進化論のあたり)があったんですよ。
そこでおもわず、「わぁゴリラやんめっちゃゴリラって顔してるわ」って呟いちゃったんですよ。
そしたら、足元の近くにいたお子様(未就学か低学年くらい?)が「ゴリラ!すごいゴリラ!」って小さく叫んだんですよ。
近くに親御さんいないんで、興奮して偵察に来ちゃったんだと思うんですが、期待した顔でこっちを見てるんで「わかる。めっちゃゴリラだね」って答えたんですよ。
その答えにお子様大興奮。「ゴリラ!ゴリラ!」って変な小躍り(ゴリラのマネ?)をし始めたんです。
休日で県内観光スポット?ということもあり、周囲は自分以外、そう言う小さなお子様連れでいっぱいですし、同年代のお子様たくさんいて、それが、伝染しちゃったんです。
子どもたちが大興奮で「ゴリラ!ゴリラ!」ってぐるぐる回り始めちゃって親御さんたちは困惑して遠巻きにしてるし、自分はいたたまれないしで、その場をこっそり離れたんですが……。きっかけを作った犯人は自分です。ごめんなさい。この書き込みで思い当たる親御さんもいるかも知れませんが、ゴリラの犯人は自分です。
少年期によくある混乱と成長、赦しにジブリファンタジーを交えたらこうなったってだけの話やで
ぶっちゃけ戦争云々やファンタジー云々は付け合わせ程度のもんよ、描写は凄いけどね
主人公にとってのトラウマがあそこにあり、それへの解答と出さなきゃいけない答えがあり、何より自分自身の為に告解しなければならないことがあったってだけの話。
今まで、いろんな批評を十数個読んでみたが、どれもこれも、やれハヤオがどうだとか、やれ鳥は鈴木Pだとか。もちろん観点としてはありだけど、そればっかりだと飽き飽きするし、映像とストーリーの力がそれほどにもない映画なのかと思ってしまう。
先ず塊から始めよということで、拙い感想を書く。文章の組み立て方とかわかんないから箇条書きだけど。
・夏子、女すぎる。まず馬車から降りるときにいい匂いした。夏子の腹を触らされた時の眞人の「ざわっ」って感じ、嫌悪感・忌避感がリアルだった。
・異界で夏子のことを「好きなの?」と聞かれ、眞人が「父の好きな人だ」って答えるの、「眞人が夏子のこと好きだからだろ」みたいな意見も見たが、違うだろう。
夏子はまだ「異性」だったのだ。母ではなく、女だった。好きとかではなく、母性よりも女性性が強く感じられていたからこそ、そういう受け答えになったのだと思う。
・だからこそ、産屋での「母さん!」という一種べたな呼びかけが、効いてくる。最初は「え、こんな“家族”の象徴としての母親呼びなんてベタで陳腐じゃね?」と思ったが、眞人が夏子の、異性性よりも母性を受け入れることにした、という意思表示なのだから、言う必要があった。「どこでそんな絆深まったん?」と思ったが、「これから家族としての絆を深める意志がある」という宣言だったのだ。
・眞人の悪意、すご!! 同級生からいじめられ、石で自分の頭から半端ねえ血を流すんだけど、あれ自分でやった傷なのに血出すぎでしょ。あそこで「うえ~ん、同級生にこんなことされたよお」っていうんじゃなくて「転んだ」というところ、テクニカルすぎる。
そういわれたら、同級生の罪が重くなるだけでなく、父親の激高もより深くなるし、夏子も「信用されていない。だから本当のことを言ってくれない」という無力感を強くするだろう。
眞人の悪意、すご!!! どろっどろの悪意だ。そりゃ夏子も「あなたなんか嫌い!」っていうよ。
・だから「自分の傷は悪意で汚れている」と眞人がいったとき、「こいつ、言いおった!!!」と思った。個人的にはこの「告解」が映画のハイライトだった。眞人がこの告白をできたこと、それがこの旅の意味だった。
・焼死した人間が火の使い手になるの、普通にえぐくない?ラストで「火は怖くないわ!」とかいって、「自分は死ぬが、それでもあなたを生むことを選ぶ」という強烈な「子の」生の肯定もグロくない? 「まあ最後は焼死してもそこそこいい人生だったもんな」って自分の人生を肯定してヒミが現世に戻るならいいんだけど、「あなたを生むんだもの」って。生むことがヒミの人生の第一義かい!ってなる
第八話の撮影中に俳優が死んで急いで物語を畳むように十話で終わったらしい。
十話では「俺は自由だ」と叫びながら町を破壊して物語を終わったとか。
うつむいて必死に告解をしていて、顔を上げれば神父との間を隔てるはずの壁が吹き飛んでおり、
左半身と顔がごっそりと吹き飛んだ神父と対面することとなった。
たまたま近くで大きな事故があり、ちょうどうつ向いていた女が運よく事故を免れたらしい
女はなぜ自分が生き残ったのかを自問する日々を過ごし悩んでいるとのことであった
そんな話を聞いたある日、憧れる引退した俳優宅を通りかかることがあった。
俺は衝動的に玄関に立てかけてあった斧を手に取って庭に入り、マッチで庭にあった木造の汽車の置物に火をつけ、
「I'm free, I'm free!」
と叫びながら構内に押し入っていた。
俳優はすでに老齢に達していたが、その姿を見ると優しく微笑みかけてくれたので、
私はそのまま叫びながら戸をいくつか破壊して、そのまま雪の通りに取り出していった。
破壊と再生は古代神話で繰り返し語られることであるが、個人の人生においてもそうしたものが必要となることがあるのかもしれない。
※熱でうなされて3日目の早朝4時に見た夢をそのまま書きました。
隠された意図とか何にもないです。
書いてる私の略歴 中学で坐禅にはまって禅寺に通いはじめる。スピ系話が好き。ワクチンはP・P・Mで接種。年齢 中高年。
私が小学生の時、PTAのボス的存在に連れられて1946年に設立された教団に通い始める。
以下、母の証言による。
信者は皆の前で反省しなければならない。家のなかのあれこれを全部話させられる。貯金の額も申告させられる。
毎日布教に行く。母に同行した支部の班長は近所の不幸をあれこれ聞きだし、それを使って信者を獲得(○○で悩んでいた人が入信して良くなったみたいな)し、毎月信者獲得数トップで誉められていた。
布教の時に配る教団の冊子は信者が買う。沢山買って沢山配れば誉められる。返品不可。
ごく短期間で母ギブアップ。辞めるときにかなり揉めたらしいがなんとか脱退。
その後私が禅寺に通い始める。
退職後知人に誘われて入信。
一日中道場に詰めて連絡が取りにくくなるも、当初は留守番電話の設置だけ薦めて我が家は静観。
その後我が家に来て自分は清浄、我々は不浄な態度を露骨に見せ、他人の不幸を今まで以上に嬉しそうに話し始めたので、信者の自惚れに餌をやるタイプの碌でもない教団なのか、元々性格に難のある親戚だけがそうなって教団はまともなのか判らず我が家は対応に苦慮。
ご奉仕に身につけるエプロンは他で使うと穢れるとか、お守り袋作成の中に電話に出ると穢れるのとか、禁忌があまりにも厳しすぎ、自分達は守られているので医者に行かなくても大丈夫、薬は毒等々と言い出す。
うぬぼれはどこの宗教でも社会常識でも悪い事なのだが、それを抑えている気配が無く、禁忌によってそれを煽っているように見える。私の入門した禅寺の御老師様はこういうことにかなり厳しかったので絶句する。これはかなりまずいかもと退団の説得に乗り出す。しかし時既に遅く不浄な我が家の言葉は届かず、「守られている」と大見得切っているので事故や病気になったときに我が家に助けを求められず、却って事態が悪化すること数えきれず。
薬は毒だとか恐怖を煽りつつ、私たちだけは救われるんですよと優越感をくすぐる、宗教というより殆どマルチ商法という気がしたので「苦情の坩堝」や「悪徳商法マニアック」の体験談を読みあさり、なんとか脱退の糸口を掴もうとするも結局力及ばず。
晩年、教団墓地管理費を長年二重取りしていたことが判ったが(お金は返ってこない)、それでも結局親戚は死ぬまで信者だった。
親戚の死後、親戚が身につけていたお守りの事で親戚を誘った女性とも初めて会ったのだが、教団墓地の話ははぐらかすのに、突然の葬式仕切りで大忙しの私を道場へ何度も何度も誘った。控えめで気が弱そうで善良そうな女性がである。長年道場だけが重要で世の中の事は些事と教え込まれているとこうなるのだろうか。「世の中に間借りして修行させてもらってることを忘れるな」って御老師様は言ってたから、あんまり世の中を軽く扱うのもまずいのではと思う。
また信者に口寄せさせて、その人が話したことを真に受けて皆で実行していたようなのだが、そんな心許ないものに左右されてどうするのだろう。世間に対しては一々疑いや不信を抱くのに自分達の行いに対してはあまりにも信用しすぎなのもまずいと思う。「自分を疑え」「脚下照顧」と先達も諭しているのに。
通帳など紛失しているので判らないままだが、親戚が教団に納めた金額は8桁を超えていたようである。教団の維持にお金が必要なのはわかるけど、それも程度問題だと思う。
職場と家以外、人間には案外居場所がない。親戚にとって道場は第二の我が家だっただろうし、母も家とパート先以外の居場所が欲しくてあの教団に行ったと思う。でも信者獲得数やお布施の額で確保する居場所は良くないと思う。
余談だが、コロナが流行した年にこの教団の他県支部でクラスターが発生したらしい。薬は毒、我々は神様に守られている、発熱は好転症状と言い続けていたら、三密対策もとるにとれなかったろうとは思う。
タイトル通り。ある日知人ともう一人が冊子をもって布教に来たので、私は中学の時に禅寺に入門して受戒していること、今も信者である事を告げてお引き取りを願ったところ、「先祖供養はお寺任せではなく、自分でやらないと。ここなら自分でできるんです」と連れの年配女性。「自分でやってますが」と私。
しかし相手は怯まず他のやり方では駄目と言わんばかりに押してくる。
それなのに冊子には教団名が書かれてない。祈祷文をネットでくぐって漸く判明した。自信あるならちゃんと名乗れよ。
知人も過去の自分の不幸を開陳するのだが、母の体験もあるので私は一切自分の状況を口にせず「現状に大満足(大嘘)」で押し通す。キリスト教の告解は神父様だけにだし、仏教は仏に懺悔する。到らぬ身の人間相手に懺悔しても悪い結果にしかならないと御老師様も言っていたしね。
大宗教でも自派が一番優れているといってるけれど、それは大昔の、印刷術も電話もなく、人の移動がほぼ徒歩だった時代にアクセス出来る範囲にある宗教では一番と言ったわけで、色々な宗教信者が一緒に暮らす現在それをいうのは利より害の方が大きい。私の禅の師である御老師様は他宗教をくさす言葉は一言半句仰らなかった。
確かに小学校の友達が教会で入信したときに「私は救われるがあんたたちは煉獄」と言い放ったし、私が禅寺で入信したときクリスチャンの友人が牧師執筆の本を貸してくれ、そこには孝行を尽くした妹よりなにもせず親の死後仏壇を買った長男が誉められる仏教は間違っていると書かれていた。
事実に基づかない批判(貧女の一灯をしらんのか)を展開する行為の方が、私にはドン引きだった。さすがにこういうのは今は少なくなっていると思う。
常識を疑う、破るのは仏教にもあるが、それは修行が進んだあと、無意識下の刷り込みを打破するためのもので、一般信者が社会常識を踏みにじっていいということではない。
普遍的な道徳に照らしてアウトなものは宗教でもアウトだと思う。
この二人組は本当に何度も来た。コロナになってやっと音沙汰がなくなって悪いがほっとしている。
20代後半のある日、家で読経中に宗教の勧誘が来た。中断させられてイラっとした私は数珠袈裟のままドアを開けた。そこに立っていた男性は、私の数珠袈裟をみて「これはお邪魔をしました」と深く一礼した。近所のキリスト教会の牧師である事を名乗って、若い女で異教徒の私にもう一度お辞儀をして、信者を引き連れて帰っていった。信仰する者に出会ったことが嬉しいという顔をしていた。「美味これ淡味」本当に価値のあるものは奇をてらわない普通の姿をしているのだという御老師様の言葉が浮かんだ。私も深く一礼した。
知恵袋の回答は教義の建前っぽく見えたのでこちらで聞いてみます。
自分はカトリックで自慰はしょっちゅうやってますが、節目節目で告解してます。買春は数年前に洗礼を受けて以降に初めてやって、すぐに神父に連絡して告解しました。
それ以降は自慰だけでなんとなく性欲を発散してたんですけど、ここ数日ものすごく強い性欲(というか買春欲)が現れて耐えきれそうにありません。
教義の上でも問題なんですけど、やってしまったら神父に罪の告白をしなくちゃいけないのが気が重く、深く葛藤する日々が続いています。
教会の人たちは見た感じは清廉そうだし、こんなに情欲にまみれているのは自分だけなのか、と悩んでいます(教会の人たちの告解って「家族や友達に腹を立てて悪口を言ってしまった」くらいなんじゃないかって思ってます)
それとも、教義を額面通りに受け止めてる人ってそんなにいなくて、みんな風俗もカジュアルに使ってるのかな。告解するもしないも自分で判断してたり。そうであれば自分もちょっとは気楽になるのですが…
その下心を「ジャッジ」するのが女性なのがキモなんじゃないかなーって思った。
王子様でスマートなアプローチは是であるのに対して、お気持ち悪い童貞の言い寄りは理性のある動物として罪であり、女性はハラスメントとして訴えかけることができる。
一方で恋愛至上主義を掲げる市場やら女性陣やら諸々に加えて、内的に湧き上がる性的な欲求はこらえがたく、したがって男性は女性的の求める価値観に迎合せざるを得ない。
そこに無理が生じるわけだ。
つまり、いくら増田が下心を肯定しようと、相手の女性に肯定されなきゃ何の意味もないんだよ。元記事の増田も懺悔してるのはアプローチ先の女性だしね。
その意味で、多分スムーズに合意を得られたであろう元記事の増田は、ストレスなく進んだという部分で自信を許すことにもつながって、この告解に至ったんじゃない?うらやましい限りだ。