はてなキーワード: ハガレンとは
従来の主人公が持つ属性を主人公の妹である禰󠄀豆子が引き受けた点が面白い
これはほとんど誰もしていない指摘
主人公である炭治郎は、従来の少年漫画で言えば主人公というより主人公の兄らしい振る舞いをしている
2013年末のアナ雪や花子とアンあたりからブームになったダブル主人公の構造を持つ作品なのは、2016年連載開始の鬼滅の刃も共通で、改めて指摘をされれば、鬼滅の刃が炭治郎と禰󠄀豆子のダブル主人公作品であることに異論のある人はいないだろう
ただ、少年漫画というフォーマットで、あまりに炭治郎が主人公らしい振る舞いをし、禰󠄀豆子の設定上の主人公からのずらしが見事だったため、ダブル主人公の類型と見る向きがかなり少ないと思う
その上で、メイン主人公に多い設定が炭治郎ではなく禰󠄀豆子に持たされ、2人目の主人公にありそうな設定がメイン主人公の炭治郎に持たされている点が興味深く、よくよく馴染んだ話しながらも目新しさを感じたのは、そのずらしにあると私は見ている
無邪気、快活、熱血、一本気、正義
暴走しちゃって最強になる
冷静、努力家、優しい、地味、うちに秘めた熱さ
もちろんゼロ100の話ではないと思う
割り当てられた要素が今まで多かった漫画では20-80のところが、鬼滅では70-30くらいで逆転があるように見える、という話
アニソンについてのブコメだと、どうしても「今のアニソンはタイアップばかり。作品名や必殺技名が歌詞にある昔のアニソンは良かった」
ってコメントが並ぶけれど、下手な往年のアニソンらしいアニソンより、今の邦ロックタイアップアニソンのほうがずっと作品の内容を理解して制作されているように感じる。
もえあがーれーガンダムーとかさ。せいぎのーいかりをーぶつけろーガンダームーってなに。どう考えても鉄血のオルフェンズやガンダムUCのタイアップJ-POPより作品への理解がないでしょ。作詞家は富野監督に謝ってほしい。
多分るろうに剣心のジュディマリあたりの悪印象が強いんだろうな。一方で、作品にめちゃくちゃフィットしている印象のハガレンOPのアジカンのリライトは、作品用に書き下ろされた曲ではまったくなく、レコード会社の提示したストックの中から監督が掘り当てた既存楽曲というのも面白い。
ニュースサイトに流れてくる「鬼滅の刃」論では作者自ら「参考にした」と話してるせいかジョジョとよく比べられていて「影響受けてる」とか「受けてない」とか言われてるけど、最後まで読んでみて一番似てるのは「鋼の錬金術師」だよねって思った
鬼滅最終巻のラスボスの執念とラストバトルの総力戦の展開は、鋼錬最終巻を思い起こさせる
ってなると兄弟愛をテーマにして兄が弟(妹)を元に戻す旅に出るって展開からして同じパターンだし、合間に泣ける悲劇のエピソードもはさみ、敵にも同情させ、ラストもギリギリまでラスボスに追い詰められる中で弟(妹)の想いによって兄に力を与えて勝利をもぎとるのも同じ。作品全体のテーマも「命」とか「つなぐ」とか。
さらには両作品とも20巻台で完結していて、両方とも作者は女性。20代で連載開始し作品完結時の年齢は30代。両者とも連載終了後に東京から離れて地元在住。
共通項は多数あるのに、鬼滅の敵はゾンビものや吸血鬼もののジャンルに加えられるので、ホムンクルスというなかなか分かりにくい敵ジャンルのハガレンは比較の対象から見逃されがちなのである
明確に違うのは主人公の目つきの悪さか
2000年代の20年、大ヒットして時代を作った「命」テーマの両作品の作者が2人とも地方出身の20代の女性作家だって点を、評論家の人は分析して論じてほしいね
ハガレンのアニメ1期は原作およびアニメ2期とは全くの別作品だ、ということは1期ファンも原作・2期ファンも凡そ同様の認識だと感じている。
しかし、ネット上でアニメ1期が話題に上がったり、2期が話題に上がると必ずと言っていいほどもう一方の作品が引き合いに出されて比較され、私は1期の方が好きだとか、俺は2期の方がいいとか、比べたがる人が出てくる。
正直、1期の仄暗い雰囲気が好きな人が2期の少年漫画的な雰囲気を好むとは思えないし、2期の大団円ハッピーエンドが好きな人が1期の鬱々としたストーリーを好むとは思えない。
両方視聴済みの大体の人がどちらかをより好きなのではないかと思う。完全に好みの問題だろう。
両方を同等に好きなストライクゾーンの広い人もいるかもしれないが、それは珍しい気がする。いたら教えてほしい。
だから、頼むから今一度、1期と2期が別の作品であることを思い出してほしい。
あなたがそっちをより好きなのは構わないが、それとは別の方を好きだと話しているところにこっちの方が面白いとか水を刺すようなことを言うのはやめてくれ、余計なお世話です。
鬼滅がめちゃくちゃ流行っていたのでここいらで流行に乗っとくかと見たのが早数ヶ月前
青春をアニメに捧げた身からいえば鬼滅がガンダムやらハガレンやらのあそこら辺よりすごく面白いかと言われると
それにしても鬼滅はアニメで見ていたのだがずっっと違和感があった
”鬼滅のキャラクターって全部説明してくれるんだな?”と言うこと
炭次郎もなんたらの柱の人たちも天狗の人もお母さんもみんなみんなぜーーーーーーーんぶご説明くださる
xxはxxxだからxxxなのよ
こいつ、xxxだからxxxと判断してxxxしたと思ったらxxx!?!?
みたいなこう 読者に想像の隙を一切与えないような切羽詰まった感がイマイチ入り込めない理由な気がした
大体は
「あっこのキャラはこの時あれを言おうとしたのかな?」
こんな感じの想像力で保管させるものが一般的なのに対して、鬼滅はもう全部言う
想像の余地を与えてくれないので物語の幅が小さいような感覚すら覚えてしまう
加えてこんな人現実にいたらなかなか怖い
寒冷前線が来ていて、暖気の下にもぐりこんだ寒気は暖気を急激に押し上げながら進むから寒いんだ!!!!!
みたいに寒さを表現するような
それ言わないといけないんか??みたいな冗長性と作者の読者への信頼のなさみたいなものが
自分がなんとなくハマれない要因なのかなと思った
まあこれ自体はもやっとが晴れていいんだが、そのあと鬼滅を見ちゃうとこの説明が面白くて仕方ない
ご説明ありがとうございますっっっっ!!!!!!みたいな合いの手を入れながら見ないと
最初のテレビシリーズ放送のとき、スルーしてた。それは主役のヴァイオレットちゃんの格好にある。
メイド服のような(のちに違うと理解するが)衣装で、丁寧語。忠誠的なキャラクター(これも大きな勘違い)。
宣伝時点でオタクの人形のような、そんなイメージを持っていた。
評判を聞き京アニとも知り(絵柄でピンとこなかった)実際見てみると、これが違ったのだ。
まず世界観はファンタジーだった。どこかにあるかもしれない国。
でも魔法もないし、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者も出てこない。
単に作りこまれた、イメージとしては中世ヨーロッパの世界が舞台だ。
ドールというのも、文字が普及しきっていない世界でタイプライターを打つ人を、自動手記人形と呼んだ…という設定のもとでの単語だった。
主人公は元少女兵だ。この辺が本当にファンタジーなのだが、元ってところがポイントだ。今は、ただの郵便局の人。刺客も居ない。
ビジュアルでハガレン並みの義手が出てくるのでこれで戦うのかと思いきや、タイプライターを打つだけだ。
話は1話完結で、入っていきやすい。もちろん、順にみていくと味わい深い主人公の成長が感じられる。
お涙頂戴ともいえる内容かもしれない。人の恋愛や、家族愛、生死がなにかを知り、戦地で自分が何をしたかを理解していく。
そして愛を知っていき、戦地で死闘の中別れ、愛をくれていた「少佐」を思う。
ラブストーリーというと、シリーズ全体を通して言う言葉ではないかもしれない。愛の話だ。
テレビ版で、その話は綺麗に締まって満足感を得ることができるだろう。
しかし、その後の劇場版でテレビシリーズではほんのわずかな短い時間しか見てこなかったのだと、衝撃を受けた。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンは劇場版を持って完結する。
劇場版こそがこのタイトルにふさわしい。つまり、映画を見ないとこの作品は語れない。
そんな映画になっている。このクオリティでシリーズものを劇場版にしたこと自体が本当に希少だと感じているし、
今後この映画が基準になるとすれば相当な覚悟を持って、アニメ映画を作らなくてはならなくなる…かもしれない。
見たことが無い人、そしてテレビ版だけを見ていた人。もしくは劇場版が初見になる人。
要するに、見なきゃ損ってことだ。
イシュヴァール戦の詳細を読んだあたりで主人公サイドへの共感が激減した。
逆にスカーのこれからの行動とストーリーの方が気になってしまって、
いつの間にかスカーがハガレンで一番好みのキャラになっていた。
ハガレンを最後まで読んで一番かわいそうなのはイシュヴァールの民だよなという考えは変わらなかったし、
そのせいで、エドとアルが身体を取り戻してハッピーエンドになろうが割とどうでも良くなっていたし、
マルコー氏の発言がなければイシュヴァール人のために何もしそうになかったマスタング大佐は株が大幅に下がっていた。
作者が最後でスカーに与えた役割は満足できるものだったし、主人公たちに共感ができなくなっても一つのストーリーの書き方として参考になると思う。
「主人公が最強でない作品の方が多数だ」という意見多数。大変ごもっとも
スポーツ漫画じゃ大抵結局は主人公が甲子園みたいなので優勝する
しかし劇中の甲子園や天下一武闘会的なものに出ても優勝しないレベル
あるいは
そういうイメージ
挙げられた例でカメレオンはすごく納得感があった
違うんじゃねという気がしたけど、俺の書き方が悪かった
読み返すとかなりツッコミ所が多い条件設定だわ、すまん
(芳文社きらら系みたいな競争要素がない作品はそもそも考慮対象外)
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劇中で単純な戦闘力とかでは主人公より強いことが明白なキャラがいるのに
主人公にちゃんと主人公としての存在感がある作品に惹かれるのだが
なかなかそういうものを見かけない
・
連載の長期化で強くなりすぎると面白くなくなる
・
コードギアスでのルルーシュは単純な戦闘能力では主人公は二流以下だが
禁書目録では一方通行をはじめ単純な戦闘力では上条より強い奴が
ごろごろいるが、上条はあらゆる能力をチャラにするというチート性で
存在感を示している
・
そういうのとはちょっと違って
二流以下の奴が二流以下なりに頑張って存在感を示してるのが見たいんだ
明らかに主人公のマサオよりサムライダーである沢村の方が格好いい
・
・
そういう「凡人だけどヒーロー」って作品ってもうちょっとないものか?
単刀直入に言えば
ハガレンのキング・ブラッドレイは敵としてはかなりかっこいい。ラスボスの「お父様」以上に存在感があり、キャラクターとしての人気も高いようだ。
ではもしはてなユーザーがアメストリス国民だったとして、キングブラッドレイを支持するのかどうか関心がある。
作中ではブラッドレイの治世は安定しており国民からの支持も高いとされている。一方でブラッドレイ政権になってから内乱や他国との紛争も増え、多くの人命が失われたことも事実である。
ことにイシュヴァール殲滅戦は明らかに人道に対する罪を犯しており、その内実を知れば腐れ外道として唾棄すべき存在にしかならない。マスタング大佐がブラッドレイに叛意を持っていたことも当然である。
エドがイシュヴァール戦についてよく知らなかったように一般の国民はその内実を知りえないのだろうが、しかし国が元々は同じ国民であったイシュヴァール人を「滅ぼした」ことは周知の事実であり、よほどの純潔思想の持主でもなければ罪悪感を覚えるものだと思う。
安定した治世と繁栄を齎しつつも、たびたび軍事行動を起こし、非人道的な行いを是とする、そんな政権をはたして支持できるだろうか?
鋼の錬金術師みてて思った
すげー強い人造人間みたいなやつが戦いに負けた末「お前は何度間違っても挫折しても支え合って立ち上がる人間ってものに嫉妬してるんだ」って言われて「お前みたいなカスに理解されるなんて屈辱だ」みたいなこと言いながら死ぬシーンがあんのね
いや…人間にそういうのがいるのは事実かもしれんけど、大半はクズやろ
夢を追いかけるとか他人のために命をかけるとかそういうのが標準装備ではないだろ ハガレン作中でも無益な戦争とかかなり描写されとるし
ダメ人間をさんざん描いたあと一握りの高潔な人間の描写で人間賛歌にもっていくのマジでなんなんだ
人間の本性って少なくとも善ではないだろ こんな世界で生きてて性善説を唱えられるのってマジやべえよ 現代日本で生きてる以上ホームレスでもない限り相当な搾取の上に立ってるだろ 善人と言えるのってアフリカに乗り込んでボランティアやってる人たちくらいなんじゃないんすかね
そのアフリカの奴らだって建てられた井戸から建材を奪ったりなんだりでゴミばっかり
人間は醜いよお
途上国ではガチの争いばっかで、先進国の人間はそもそも全員搾取の上に立ってる上に内部でも搾取してるやつがいる
ダメだろ 人間は少なくともへこたれない・支え合う・尊い存在じゃねえよ
その中で頑張ってる一部は偉いってんならわかるけど、一部の偉さは人間全体の偉さじゃねえよ