はてなキーワード: ストローとは
この手の話ははてなで定期的に出てくるんで、今まで見られた反応とその展開、個人的な意見をまとめる
悪手。
遺伝子疾患を持っている人間は子供を作ってはいけないという思想と近似している
また、そもそも子供を作る予定がないカップルの場合結婚してもいいの?という問題に対応していない
不妊のカップルや同性カップルは近親間でも結婚可?そうでないならその理由は?
悪手。
結婚制度の良し悪しを個人の肌感覚で判断するのは、LGBTの結婚を否定する思想と地続き
個人的感覚ではなく、数字を調査して「多くの人から支持されていない」という理由で否定するのは
一部肯定できる。これは後述する
成人には十全たる判断力があるので、当事者同士のみの決定で結婚できてよいはず
成人後にも親子の場合には権力差があるからNGという論建てをするなら、他に権力差がある関係
(例えば教師と教え子、上司と部下、芸能人とそのマネージャー)の結婚も規制すべきだが、これはあるべき社会とは思えない
例えば相続では兄弟と配偶者で割当が異なり、これを強化するために結婚したいという動機が考えられる
その他、世帯関係にない離婚した親子や叔父・姪の婚姻については否定できない
結婚とは世帯を形成する行為だが、今の結婚制度は世帯の形成の様態を当事者以外が口出ししている状態であり
自由主義とは相容れない。
ただし理論と実践は異なる。かつてヒッピー文化で結婚にとらわれない自由な家族形成を試みたことがあるが、
その理由はわからないが、自由恋愛・自由SEXは嫉妬などの問題があり普通の精神の人間には受け入れられなかったのだろう
というわけで、、
特に家族や結婚などは、過去の因習に深く根ざす問題なので、変えるにしても急激に変えるわけにはいかないのだ
近年世界的に同性婚が許されるようになったのは、LGBTの声が主に欧米中心に大きくなったことと、
これを許可しても社会システムを揺るがさないことが徐々に明らかになったから
近親婚・複婚が今後許されるには、まず声を大きくして先進的な社会で実験をし、問題がないことがわかってから
レヴィストロース読めばわかるけど、どの関係までを近親婚と呼ぶかは文化によって違いがあり、
最も緩い日本のような社会では従兄弟婚は平行イトコも交差イトコもOK、
最も厳しい韓国のような社会では本貫と呼ばれる祖先が同じ人間であればどんなに親等が離れててもNG
これらの法則に普遍性など何もなく、もっぱら過去の因習で決まっている
だからといって非合理的だから捨ててしまおう、などということはできないので
これらの問題は「我々の社会をどうデザインするべきか」という戦略を前提に話をしなくてはいけない
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今回はここにぶら下げとこう
今日はたぶん、4月に勤め始めてからこれまでで一二を争う忙しさだった。何でこんなに今日混んでんの?謎。
そんな日に限ってオーナーが来てるし、正社員氏はずっとピリピリしていた。
新人のアルバイトの人が来ていたけど、めちゃめちゃ普通に仕事していて私と並んだらどっちが新人なのかわからない。新人氏がすごいのか私がダメなのか、どっちだ?と思ってどんよりした気分になる。
新人氏、先週バイト用の履歴書をお買い上げになったお客様だ。あんまり人の顔覚えない私なのに何故か覚えていた。別に際立った特徴のある顔の人でもないのだが。
これまでずっと、正社員の誰か一人と組んで仕事をしてきたけれど、今日はベテランのパートさんと組んだ。その人に、「本当はパート・バイトの二人組で店番して正社員がバックヤードにいるみたいなのが普通なんですか?」って聞いたら、そんな事はなくて、以前は今よりも人が少なかったから深夜2時まで一人で店番しなきゃならなかったくらいだっていう話だった。
オーナーに言いつけられた仕事を、私は一度も実践した事が無かったので教わったやり方を忘れてしまっていたから、すみませんやり方教えて下さいってお願いしたらオーナーが怒り出した。
「あっっっの馬鹿息子(店長のこと。)ーーー!!ちゃんと新人に仕事を教えんかーーー!!」
うわ店長ごめん。
ある若い男性客が、精算のあとにめっちゃ私の目を見ながら言った。
「ぼく、こんなところにコンビニがあるなんて、知りませんでした!
近くのジムに通ってるので!
お、おう。
サマーウォーズみたいだ。
500mlの紙パック入り飲料に黙ってストローつけないと怒るお客様ご来店。私のミスにすごい勢いで腹を立てたわりには懲りずに私の担当レジに並んでいらっしゃるんだけどなんなの私のファンなの?
ストローで怒られたのがすっかりトラウマでキョドってしまい、ストローをつけるのは忘れなかったけど今度はお弁当から辛子を取り忘れてレンジに入れそうになってしまった。
「ふふっ、やだー、辛子取り忘れてるわよ☆」
何でこう同じ人に対して重ね重ね失敗してしまうのだろうと、凹んだ。
初めて、お客としてみえた知り合いから「増田さんだよね?」と声をかけられたんだが、すんごく引かれてた。意気消沈って顔されたw
お互い別に会って嫌な相手ではないんだけど、でもまあわかる気がするなぁ。
コンビニに来るお客さんの多くが放心・脱力状態でレジに並んでる時も精算の時も上の空だよね。私も客としてよそのお店に行く時はそんな感じだけど、気を張って来るとこじゃないんだろう、コンビニって。
そんな所で少し気を引き締めて会わなきゃいけない知り合いに会ったらビビるよなあ。
私は仕事中でいつも以上にパリッ!シャキッ!てしてるので、脱力状態の知人とカウンター挟んで向かい合うとなんというかフェアじゃない感じというか、そりゃ知人は引くだろうと思う。
懲りずにまた来店して頂きたいけど避けられてしまうかなぁ。
夏だから仕方ないけど店の中に虫が沢山侵入して来て困る。誘蛾灯ないんだっけこの店。歩く誘蛾灯みたいに変な客惹き付けまくってる社員はいるのだが。
某嫌な客ご来店。いつも500mlの紙パックのジュースを買っていくらしい人なのだが、何も言わんでストローが出て来ないとすごい勢いで怒る。
と。私、500mlも入ってる紙パックにストロー挿して飲もうと思った事がないからそういうの普通だって感覚なかったんだけど、黙っててもストローつけて貰えるのは当たり前なのか?解せぬ、と思ったけどまたキーキーヒスられても面倒だなと思って、言われる前にストロー付けた。なんか敗北感。嫌なお客様、カームフルに去る。
どっと疲れが出た。
会社の綺麗な女の先輩がめっちゃストローずるずるさせてコーヒーを飲む。
飲み終わりに何度もジュルジュル〜ってやるのはもちろん、飲み終わると氷をガシュガシュいわせながら食べてる。
紙のジュースとかだと1吸いごとにジュパッジュパッって音をさせてる。
横の席なのでめちゃくちゃ聞こえる。
自分は男だけど、あまり音を立てないのが普通?だと思ってたので
コンビニコーヒーとかでも飲み終わりは音立てないようにするし、
紙容器は飲み始めにストローの差込口をストロー自体でぐりぐり広げて空気の通り道を作ることで音をたてないようにする。
家はごくごく一般家庭で普通の高校と大学でて就職したけど、これって自分がおかしいんだろうか。
ストローズルズルは小さい頃にやめろって言われた気がする。
父が認知症になったのは3年前のことだ。悪化したのが2年前の夏で、そこから2年で要介護の認定を受けた。70歳台前半でこの状態というのは平均よりも早く、進行も速いらしい。
2018年になり、私は実家に戻ることになった。親と同居するのは10年ぶりになる。認知症になってからの父と暮らすのは初めてだ。帰省で2、3日いるのとはわけが違う。
母は介護と家事と仕事で疲弊していた。介護士の人に母の外出中だけ父を見てもらっているが、彼らのいない朝や夜ほどやることは多い。私も仕事があるので、母のいない日中をカバーすることはできない。ワンオペから脱しただけでも御の字と母は言うが、どこまで力になれているかは疑問だ。
父は家族に対しては何処までも優しく、一度も怒鳴ることも手をあげることもなく、料理と日曜大工と植物の世話が好きで、グルメでワイン好きで、読書家で博識で、母が昔病気をした時は付きっきりで看病したり家事をこなす、こうやって並べるとちょっと信じられないくらい良き家庭人であり、知識人だった。それは今も変わらない。ただ本が読めなくなり、包丁が持てなくなり、服に頓着しなくなり、会話が成り立たなくなり、自分で服を着たり用を足したり風呂に入ったりできなくなった。前半は習慣から消え去り、後半は母が介助している。
認知症はタンパク質が変質し、脳が萎縮していく病気だ。萎縮する箇所や速度は人それぞれで、予測することはできない。萎縮による記憶や能力の衰退も、人格や活動の変化も顕出するまで分からない。もちろん治療法もない。ただ、いくつかの傾向はあるらしい。父の場合は次の2つが表れた。ひとつめは一日に独自のルーティーンを作ること、ふたつめは何に対しても否定から入り、気難しくなったことだ。どちらも典型的な認知症の症状だ。
父は毎日、カフェに朝食を買いに行く。毎日同じものを頼むが、ストローをもらえなかったり店員の態度が気に食わないと不機嫌になり、店に迷惑をかけたこともあるそうだ。だが母が一緒に行くとそういうことはないという。
父は毎日、昼食を同じ店に食べに行く。時計の進みが正確に把握できないので、毎日開店前に行っては入店を断られ、やはり不機嫌になって帰ってくる。でもしばらくするとそれを忘れてまた足を向け、食べて帰ってくる。
父は毎日、ケーブルテレビを見ている。大好きな洋ドラはおとなしく見ているが、CMに入ったり日本のドラマに切り替わると文句を言いはじめる。でもお手洗いに行っている間に録画しておいた洋ドラに変えておけば、けろりとそれを見ている。
父は白身の刺身を食べなくなった。鯛やかんぱちという魚が分からないからだ。風呂にひとりで入れなくなったのは身体を洗う順番が分からないから。文字は読めるが新しい知識は入らない。郵便受けに手紙を取りに行くことは覚えているが、その後どうすれば分からないからその場で捨ててしまう。食後には皿を片付けてくれるが、洗うことを忘れているのでそのまま戸棚にしまおうとする。
ルーティーンはある日突然変わったり、じわじわ増えたり減ったりする。そのタイミングは本人にも家族にも、医者にも分からない。毎日の観察が大切だが、一日中目を離さずにいるのは難しい。
父は会話というものが分からなくなった。人の話を遮って喋り出す。それを諌めても、話題を変えようと質問しても自分の話をやめない。記憶に残っていることを喋るから話題はいつも同じだ。機嫌のいい時は相手の話を聞いたり、上手くやりとりが進むこともあるが、都合が悪くなるとおどけて誤魔化そうとする。何故かアイシュタインの変顔の真似をするのだ。その無邪気な笑顔を見て、私は父が72歳の5歳児になったのだと思った。自我はあるが社会生活を営むには不十分で、言葉の力に無自覚で、物事の因果も感情の律し方も分からず、大人の監視と補助が必要な5歳児。それが私が今一緒に住んでいる、大好きな大好きな父だ。
実際の5歳児と違うのは、これから先、父が成長することはないということ。代わりに72年分の(穴抜けになった)記憶を抱えているが、その記憶も徐々に失われ、人格は変わり、最後には脳が不随意筋の動かし方を忘れて死ぬ。認知症とはそういう病気だ。
父が私を覚えているうちに、また一緒に暮らせて良かったと思う。
カラリと溶けるアイスコーヒーの氷
>溶けた氷が鳴らす音だということは理解に易いですが擬音で想像力を狭めるより状況で読者の音を想像させたほうがよいでしょう
・アイスコーヒーが氷のとけたことを、薄いガラスを鳴らして知らせる など
私と彼の関係も打ち解けると良いんだけど、、
>前述に絡めて表現する場合、音がなることに沿うのがよいのではないでしょうか
・私は、時間が彼との関係が打ち解けたと呼び鈴を鳴らすのを待ってる など
苦味ばかりが目立って愛情の実をすり潰すばかり
>コーヒーの記述からの表現だと思いますが苦味の登場が唐突ではないでしょうか まず最初のアイスコーヒーが他人のものではなく自分のものだと言及するとよいかも
・私のまだ口を付けていないアイスコーヒーは、苦味の記憶がストローまでの距離を愛情で満たさない など
>熱かったというのは通常のコーヒーの淹れ方で今回アイスコーヒーしかでていない文脈からは唐突ではないでしょうか
あの夢も目の醒めるようなカフェイン。
>カフェインは血行を促進するもので目が覚めるのは副作用的で個人差があるため、自分が目覚めるのにカフェインが必要だとするのはどうでしょうか 冷たいコーヒーにもカフェインは含まれています
・氷なんかじゃ冷やせない熱いカフェイン
私と彼の関係も採算を考えれば違ってたのかな。。
>彼をもてなすエンターテイメントに自分も加わるという視点の転換はそれまでの自分視点からでは唐突かもしれません 思い出の状態と今の彼の違いをだしてみてはどうでしょう
・あの日から溶け出していったのは二人の間にコーヒーみたいな色の影なのかな など
>子供にドリップコーヒーはまだはやいですね サードガールという漫画で大人ぶってブレンドを頼んで苦味に苦しむという描写が思い出されます
ざっくり言えば、ストーリーがある物語は通時性の性格を持っていて、元増田のいうキャラクターと世界観は、共時性の性格が強いのでしょう。
これって、神話など、伝承的な物語とかでもはっきりしたストーリーのないものがあったりするので、そうおかしなことではなくて、むしろこれまでのあり方が通時性に偏重していたと考えてもよいのかもね。
ネットを通じて、不特定多数の人と、共時的な場の共有ができるようになったけれど、それまでは、直接にあったときにしか、共時的な体験をすることは難しかったんじゃないかな。
もうちょっとにわか知識をひけらかすならば、通時性の共時性に対する優位を主張するのは、サルトルの実存主義の負の側面であって、両者に本質的な違いはないと構造主義的に(ないしはレヴィストロース的に)思います。
コンビニの外人がしょっちゅうスプーンやハシを忘れやがって、仕事から疲れて帰ってきたのにさらに上乗せでイラつかされてマジクソがと思うことがしばしばあるわけだけど、
この間、はっきり「アイスにスプーンつけてください!!」って言ってやったんだよ。
そしたら外人もビビって、「ハシハツケマスカ?」「ストローハドウデスカ?」とか急に言ってくるわけ。
いや、おまえペットボトルにストローはささねえだろと。んで、はっきり意思表示するのをしばらくの間、徹底してたら違う外人店員(東系も西系含め)もたいていこういう反応するわけ。
んで、思ったのはペットボトルに「ストローツケマス」みたいのは、文化の差がありすぎてどうしていいのか外人もわけわかってねえのだろなってこと。
少なくともきっと接客マニュアルに書いてあるだろうからアイス買ったらスプーンは自動的についてくるだろうみたいな暗黙の合意を期待するのは
「日本語の接客マニュアルをちゃんと読めて」、「日本語の接客教育も受けられ」、かつ「客も店員も空気読みに長けた日本人で構成されていたら」成立する超限定的なシチュエーションだったのだろうなということ。
そう考えるとコンビニの教育システムが国際化してないって言う、極めてアレな問題だったのだろうなと推察されるんだけど、
まぁ苛つかないためにも「ハシつけてください」「アイスにスプーンつけてください」「ペットボトルにはストローをつけないでください」とはっきり言うとイラつきが減っていいよ。