はてなキーワード: シュガーとは
私は今まで、うんこをなめていた。といっても、物理的になめていたわけではない。
起床後1時間後に、下腹にズーンとした響きが来る。そうだ、大便が歓喜の声をあげて直腸に降りてきているのだ。
少しじらしながら、トイレに行く。響きは徐々に下腹の奥を圧迫していく。屁などの余地もない重量感だ。
漫画では「ブリブリ」と表現されるのが定番だが、本当の快便の擬音は「スルッ」「ヌルっ」といったものになる。
もちろん、トイレットペーパーで拭いてもついてくるのは最低限だ。
私はこれを超快便と呼んでいる。
超快便は、出した感触によるイメージより現物が倍以上に多いというのが特徴であると思う。
通常の快便とされるのはどんなものであろうか。バナナ状のものが、直径4cm程度のものが10cm、それが複数といった感じであろうか。
超快便は、出す感触としては同じであるが、直径は6~7cm、長さが25~40cmといった具合だ。
私は、便器に落ちた超快便のその成果を眺める。その出来具合はむしろ作品と言ってもいいかもしれない。
それまでの私は胃腸が弱く、腹を下しやすくかつ冬場は屋や便秘気味になり痔になる寸前であった。
しかし、転職を機にカネにそれなりに余裕ができた事とトイレットペーパーに迸る鮮血を重く見て、食生活を徹底的に見直す事にした。
昼は基本それほど食べない。
根菜類多めの豚汁かけんちん汁がほぼ主食。冬は野菜だらけの鍋。
間食として酒粕。
米を炊く事はそれほどないが、その際はキヌアとアマランサスを混ぜる。
肉を食べるのは2日に一回。
あとは水分をノンカフェインで多めにとる。
あと、これは快便には関係はないかもしれないがシュガーフリーを実践しているので、甘いものの間食はなし。
100人いれば100通りの体質がある為、これで万人が快便になるかといわれると不明であるが、この食事で私は毎日が豪介が言う所の「未曽有の快便」である。
○朝食:なし
○間食:アーモンド、スライスチーズ、ヨーロピアンシュガーコーン
○調子
はややー。
定時! 定時! 定時で帰宅!
ということで、さくっと帰宅。
ゆうきゅーは木金と会議が入っちゃったので、とるのはやめて置いた。
いや別に参加しなくても何も問題ない気がしかないけど、どうせ休むなら心地よく休みたいし。
それにしても、暑い。
もう九月なのに、八月のときより暑くて、クーラーが28度じゃ無理で、26度にしている。
暑いっていうか、火照る感じ。
●3DS
○ポケとる
メインのデンチュラ捕獲のために何回もプレイするが、ノーアイテムでクリアすら難しい。
対むしも以外と揃ってないんだよなあ、どっかで一回課金して経験値ふりにガツンと使おうかな。
○トガビトノセンリツ
とあるブログでおすすめされていたので購入、まだ序盤も序盤なんだけど、これは面白い。
セブンのステマにはうんざりしてるし、どっちかっていうとセブンの食べ物って微妙なもの多いじゃんって思ってる人間だけど
サクサク食感のシュガーコーンだけは、本家ヨーロピアンシュガーコーンよりもおいしかった
・ヨーロピアンシュガーコーンが種類別ラクトアイスなのに対してサクサク食感のシュガーコーンは種類別アイスミルク
・ヨーロピアン〜のほうは、コーンがフニャっててサクサク感に欠けていた。中のアイスも安っぽい味
・サクサク食感の〜のほうは、コーンがザクザクで食感が良く、チョコもコーンの底のほうまでぎっしり詰まっていた
ヨーロピアンシュガーコーンは西友で税込216円なのに対して、サクサク食感のシュガーコーンはセブンで税込246円ではあるが、30円差でここまでクオリティが違うなら今後はセブンを選ぶだろう
これはジェネリックのほうが先発品を凌駕してしまった稀有な例ではないだろうか
あーいままで正直ナメてたわ、セブンイレブン
すまん
【追記】
犬アイコンの人、今までは「大病を患ったのに生還して、今では飲食業を営んで元気に働いてる苦労人」くらいのイメージだったのが、ブコメ読んで一気に嫌いになった。性格悪すぎでしょ。
まあそう思い込むのは勝手だけど特大ブーメランぶっ刺さってますよとか言われる筋合いは流石にねえよ。
増田書いてるとたまに、この人ってこんなに意地が悪かったんだってビックリするくらいのコメント付けてきてイメージが一変する人がいるよね。
昔から、勝手に顔だけで近しさのような何とも言い難い感情を抱いてた人らが、こんなに普通の顔だったっけか、と新聞のインタビュー写真二度見してしまうようなことがここ最近立て続けにあった。
平野氏、別に島田雅彦みたいなんではないけど穏やかでとっつきやすそうな丸顔になってたし、世耕氏はどことなしすっきりしてオタク感薄れてるし、ケラ氏はアク強いカエルのイメージが優しそうなおっさんに後退トランスフォームしてた。
ベニントン訃報から久しぶりに洋楽ニュースをスクロールしてたら気のいい兄ちゃんといった風情の黒髪、誰これ?うおっピート・ウェンツぅ?フォールアウトボーイの。ゴスって絶対顔面にコンプあるよなー、デブの方はよく見りゃイケメンだもんなと失礼にも思っていた10数年前から遠くここまできて、近所の三十路の善人感をスナップされたその笑顔をしばしぼんやりと眺めてしまった(その後引っ張り出して聴いた、シュガー、ウィーアー…)。
イケメン見てあーあ!と思う怒りのないまぜになったやっかみと同様に、才能も努力もあまりに及ばないであろうこの人らに、顔面は同じようなもんなのに!という嫉妬感じてたのだろうか?いやむしろハラハラしていたんだと思う、この顔を出して、非難されないだろうかという、それこそ自分の強迫的容姿コンプの内面を勝手に投影した思いで。メディアで顔見るたびちょっとドキっとしてたもんな。
そして非難されてほしいという、再矯正か自罰みたいな気持ちもあったんだと思うわ、今にして思えば。誰も彼をも自分の中で基準を容姿だけにおいて、知らず可・不可に選り分けていたんだな。
容姿ディスが日常の親の下でだいぶん強迫観念的に自分を卑下してて、無駄に卑下してるのは分かってたけど、周りの反応見るにそれが不当なものとも思えず、鏡の前、電車の窓に映る姿でいつまでもうだうだ己の顔を眺めていた10代、20代だった。髭と眼鏡と髪型で誤魔化し隠して防御して、今じゃいつの間にか気付けば鏡を見るのは顔洗う時と歯磨く時ぐらいに減っていった。ヒゲ可の職場でよかった。
もし今自分が高校生なら年中マスクしてる自信がある。ガエル・ガルシア・ベルナルの顔に生まれたかったと今でもふと思う。
宇多丸氏の映画評論が下品で、本人ごと嫌いなタイプだったんだが、CSのミニ番組で、10代の自分について、不細工で運痴で冴えない俺は映画館に座ってこの暗闇にこのまま溶けていきたかったという回想独白してたの聞いたとたん急激に好感度が上がったし(だが評論は好かんまま)、変態仮面の人、誰だっけ、鈴木亮平か、俺は顔で勝負するタイプじゃないんだと若いころ悩んだ末に悟ったとインタビューで語ってたり(いやいや明らか男前っしょとは思うが)、こう自信ありげな人が容姿について自覚してる過去を吐露してるの見ると誰であっても切なくなってしまう。
年取るとみなよい顔になるということもあるのか?人前に出ることが多いから顔がキリッとしてくるのか?写真に写るからには美しく撮るためのお膳立てにたけた様々な人が周りにいるのか?いろいろ謎。
社会的成功も、人を魅了する才能の生んだ果実の数も、美しい伴侶(世耕氏は知らん)も自分にはないが、単に彼らも自分も同じ分だけ年をとって、努力の多寡はあるかもしれないが足掻きはして、美醜より他に考えないといかんこと山のようにあって、人生でいろんな人間の顔を見てきて、皆よい顔に見えるようなここに立っているのか?まあこんなことたらたら書いてる時点で自分はコンプ吹っ切れてはないんだが、10数年前の、今よりずっとずっと悩んでたことと、他人を無闇に顔だけでジャッジしてたことを思い出して、なんかしんみりしたので書いた。いや違うな、「思い出す」ほどには離れてたのかと思って、そこにしんみりしたんだ。
この人らの仕事も性格も知らずに顔面だけうんぬんするなとか、この人らは別に不細工ではないでしょとか、偏見内面化を上乗せしたルッキズムの極みとか、能力があれば顔は関係ないなら能力ない不細工はどうやって尊厳保ってんだよとか思われるかもしらんが、それでも持ってる自分なりの自尊心とコンプとの長い葛藤というか、言及するために挙げてしまった、許してくれ
春にとれたフナッシーの口から鈎をつっこんで芯と種を出す。たまごは出さないようにする。
取り出した芯と種は捨てる。
フナッシーをよく洗い塩蔵する。
口の中にもたっぷり塩を入れる。
夏になったらフナッシーを出して塩抜きをする。
塩抜きしたフナッシーを流水でよくあらい、表面はたわしでみがく。
炊きたての飯を用意し、フナッシーの口の中に詰め込む。
タルにあつめのビニール袋をいれてご飯をしく。
その上にフナッシーをおき、隙間をご飯で埋め、表面にもご飯をかける。
その上に50キロ程度の重しをのせ、1週間経ったら重しを10キロ程度追加する。
冬に樽から出して、洗って輪切りにする。
シナモンシュガー、カシス、サワークリームなどをかけサンドイッチにしたり、ミント入りのホイップクリームにあわせると紅茶に合う。
彼女について語ろうとするとき、僕は自分がひどく不器用になったように感じることがある。
デレク・ハートフィールドの「暗黒期」の作品にも少し似ているかもしれない。
オーケー、とにかく話を進めよう。
僕がはじめて彼女とまともに話したのは、ひどく暑い夏の日の午後だった。
彼女は、ローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」を口ずさみながら、庭で穴を掘っていた。
「なんで穴なんかを掘ってるんだい?」
そう尋ねる僕に、彼女は答えた。
「私は、フライパンを、埋めなければ、ならない」
力強く語る彼女の口振りは、厳しい選挙を勝ち抜いた大統領の勝利宣言を僕に思い起こさせた。
彼女の足元には、哀れにもこれから埋められようとしているフライパン。
そのフライパンにこびりついた黒焦げは、ゴミを漁るカラスの羽のようにも、宇宙の最果てーもちろん僕はそれを実際に見たことはないけれどーのようにも見えた。
こうして、僕は彼女と寝た。
翌朝、僕が目覚めると、彼女はまた庭にいた。
彼女は、昨日の穴から少し離れたところに別の穴を掘って、卵を埋めていた。
「卵を埋めるなんてもったいなくないか?」
僕は尋ねるべきではなかったのかもしれないが、尋ねずにはいられなかった。
彼女は、愛犬を亡くした飼い主のように悲しそうな顔をしてこう言った。
「あなたは、フライパンと卵があるとき、卵の側に立つ人なのね」
それが別れの言葉であることは、いくら鈍感な僕にだって明白だった。
僕は、何も言わずに庭を去り、二度と彼女と会うことはなかった。
僕と彼女の話はこれで終わりだ。
そこに湧き上がるような歓喜はないし、静かに沈み込むような絶望もない。
今となっては、僕は、彼女の顔を思い出すことすら難しい。