はてなキーワード: 関西とは
オナクラ:
元々は、男性(客)のオナニーを女の子に見てもらうという形態のお店だったはず。
(増田はオナクラ歴10年以上ではありますが、関東民でもなく、誕生とかには立ち会ってないので間違ってたらご指摘ください)
初期からオナニーの非接触お手伝いのオプションもありましたが(トップレス、言葉攻め等)それだけでは集客がままならなかったのか、増田がお店に通い出した時点では、
接触お手伝い(いわゆるハンドサービス)ありのコースも併設されており、現在では、”すまた”、”生フえラ”以外のサービスは女の子にもよりますがオプションとして可能となっているお店が多いです。
逆に、性的サービス梨の添い寝コースもあり、歩合給ですが、脱がない、触られない(という設定も可能)、それでいて高収入で体験入店など試しやすく、それなり以上の女の子を揃えているお店が増えています。
デリヘル、ホテヘルなどのいわゆるヘルス系のお店と比べて、抵抗少なく女の子が入りやすい(≒質が高くなる、若い)点と、基本サービスがしょぼいので、オプション(ほぼ100%女の子に入る、たまに事前申告制のお店もありますがわかってる客は店に申告せずに女の子に直接払う)代を含めたら、客からしたら、ちょっと割高になるけども、若くてかわいい女の子(擦れてないと勘違いもできる)と遊べる、女の子からしたら、無理な客にはオプション断れるし、ヘル系よりも稼ぎやすい、で、winwinな感じです。
さて、そんなオナクラですが、一般の認知度としてはイマイチと言わざるを得ません。(本増田も何度かオナクラ関係でホッテントリしてますが、オナクラって何? というコメント等が散見される)
大多数の人が、オナクラと聞いて、オナニークラブと浮かばないと思いますし、もはや業態がオナニークラブではなくなっていますし、知らなければ(出張とかした時とかではめ外したいときとかでも)オナクラというワードで検索しないと思います。実際、関西では、オナクラは風俗店が多数存在している地域(駅)でも、5軒もないぐらいです。
加えて、昨今、特に中高年の男性が幸せを感じる機会が減少しまくっていると思います。
60分だと、基本料金は10000円程度です(イベントとかの兼ね合いもありますが)。月一で1万円ならば、頑張ってはらたいたご褒美の検討範囲に入ってくると思います。それすら払えない人は色々諦めてください、すみません。
ただ、運よく人気嬢とかと巡り合えたら、もちろん本番まではできませんが、かなりの満足度を得られるのではないかと。シャワー等の準備で10~20分かかるとして、実際のプレイでそれ以外を全力で消費するのもいいですし、前でも後でも余った時間でお話するだけで、翌日からの頑張れる感が変わってきます。ほんとに若い女性と触れ合うことで色々リセットされます。
「👀オナクラ行きましょう」
というトラバを付けさせていただこうと思いました。
また、本増田以外にも賛同してくださる方がおらましたら、ご自由に活動に協力してくださってかまいません。
「👀」につきましては、元々の趣旨、コンセプトである、オナニーを見てもらう点を尊重してこの絵文字にしましたが、ここを変えて自己主張してくださっても構いませんし、色んな派生形が誕生するのも悪くないと思います。
(o´・ω・`o)「千葉市街って、間延びして大きい広島市街みたいだったやで」
昨秋に東京都の西、一昨日から昨日まで東京都の東、行ってみて周囲の言葉遣いを聴いて感じたことは、メディアから伝わってくるシャープでクールで冷酷な(東京および周辺県の)標準語圏、てなことは全然なかったてことやで。どっちかってゆうと西のほうが朴訥で背伸びして江戸弁的な言い回しをつかってる印象、東はナチュラルに例の「関東の『バカ』は関西の『アホ』と同じくらいの軽さで使うことがある」用法がスッと口から出てきたのをみた。
…あとなー、ネットで「誰も乗らん無駄遣い!」て叩ける良いネタ扱いの千葉都市モノレールやけど、一日券買うて端から端まで乗ったけど、
オモロいな!アレ!!
湘南モノレールは昨秋に乗ってみて、なんやゴッツいジェットコースターみたいやなー、割とゴウゴウゆうとるなぁ、でも高低差ある割に速いしオモシロいな、短いけど!だったが、こっちのはしっかり電車してた感じ、まぁ速度はぜんぜん出しとらんし、よくよく考えたら駅間の長めな路面電車のノリかも、だからスピード感は比べると無いけど、かなりの小さい半径のカーブが連発するし、立地だけでなく地上からの高さも頻繁に変化するしで、終着駅の風情以外は飽きが来なくてよかった~
しかし、北海道の事業は当時の金額で1400万円もの巨額な予算を官費から出したものの、多くがあまりうまくいかなかった。
だから、それらの事業を民間に払い下げることにしたが、財界人は誰も見向きもしない。
そこで、開拓使長官だった黒田清隆は、大阪の経済を復興させていた事業家、五代友厚に相談した。
五代友厚はちょうど大阪の商人たちと関西貿易社という会社を作ったばかりで、
北海道での貿易も視野に入れていたので、それらの事業を引き受けることにした。
誰も見向きもしなかった事業なだけに、38万円という破格の安さで、諸事業は関西貿易社に払い下げられた。
ところが、黒田清隆と五代友厚は二人とも同郷の薩摩出身だったことが、問題となった。
薩長主導の政治に反発していた非薩長の政治家たちが、「黒田と五代が結びついて癒着している」ということを糾弾し始めたのである。
それをマスコミが面白おかしく取り上げ、癒着疑惑は全国で話題となった。
これによって、五代友厚は方々から攻撃をされることになり、大阪商工会議所の初代会頭など重職を辞任しなければならなくなった。
この事件によって、五代友厚は心労が祟り、その数年後に病死してしまうことになる。
だが、五代友厚は無実であり、政争に巻き込まれたというだけである。
ここまではわかる。
ネット社会になってからは、ますます炎上の頻度が多くなってきた。
何か問題があったという話題には、無関係な国民がやたら文句を言う。
マスク程度の予防で良かっただけなのに、多くの人が非難の声を上げたことで、
無意味な緊急事態宣言を敷くどころか、それを長引かせる結果になってしまった。
そうやって、たくさんの人民の声が、発展のための偉業を阻止する、円滑だった経済を止める、といったことは、歴史の常である。
仕方のないことではあるのだが、せめて、
ここはぜんぜんわからん。
せっかく前半がいい話だったのになんでこうなるんだ…
定期的に北海道の広さを舐めんなって話題が上がってるけど、鉄道で旅をすると無茶をしながら北海道を回れるから、舐めた北海道旅行ができるからオススメ。なにせ、鉄道の強みは寝てれば着くことと、時間が正確であること、そして特急なら割とスペースに余裕があること。移動中に北海道グルメが楽しめるのも強いぞ。
ちょうど「HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」というJR北海道のフリーパスが安価でまた発売されてることだし、2年前にこれを使って北海道旅行したときの工程を書くから、まあ参考にしてくれ。
Peachで関空から釧路空港への便があるから、それを使って初日はまず釧路へ。前述のフリーパスは買った当日は使えない注意。
釧路湿原の観光がこの日の目的。昼は和商市場で勝手丼を食い、夜はスパカツを食う。
ノロッコ号はまあまあ混むから、釧路湿原は細岡展望台で観光するんじゃなくて、バスで釧路湿原展望台へ行ったほうが良かったかも。
釧路駅前の寂れ具合はガチのマジでやばくて、駅前で時間を潰すのが結構大変だった。
花咲線に載って根室へ。電車に乗ってる人はほぼ釧路から根室まで通しで乗る人ばっかりで、途中に本当に何もないことを思い知らされる。
途中、浜中町の駅でルパンのパネルを眺めつつ(時間待ちで数分間止まることも多いので、一旦駅に降りることもできる)、3時間ほどで根室へ。そして1時間バスに乗って、納沙布岬へ。
納沙布岬から北方領土まで一番近いところでは3.7キロほど。普通に肉眼で見えるし、国境の最前線であることを思い知らされる。
あとは最東端の駅の東根室駅を見たり、エスカロップを食べたり、タイヨーで焼き鳥弁当を買ったり、街中をうろついて明らかに生えてる雑草の種類が関西とは違うなと思うなど、五感で根室を満喫して、花咲線で釧路へ戻る。
なんとか座れたが、結構混んでる。立つ人も出るほど。間違いなくフリーパスのせいなんだろうけど。よく晴れていたから車窓から見る釧路湿原や、網走の手前のオホーツク海が本当に綺麗だった。
網走といえば、監獄ということで、監獄の博物館、本物の監獄、あとオホーツク流氷館に行く。
監獄の博物館は広く、見どころも多いので最後に回したほうがいい。出るタイミングがわからなくなる。
駅のそばのコンビニが潰れてて、晩御飯の確保に困った。前もって準備しておいたほうがいいかも。駅前にはすき家もあるので、北海道らしくない晩飯を食って、特急に乗って旭川へ。
旭川から特急宗谷に乗って稚内へ。そして稚内からバスに乗って、宗谷岬へ。
その後はノシャップ岬の方に行っても良かったが、南稚内駅辺りで市街地を練り歩く方を選ぶ。歩いてると思ったが、意外と稚内って栄えてる。ゲームセンターや、大きめのスーパーもあったし。稚内駅には映画館も併設されてるから、娯楽は案外充実してそう。
富良野線に乗って、ファーム富田へ。ラベンダーの時期とは微妙にズレていたので、臨時駅のラベンダー畑駅がなかった。だから、中富良野駅で降りて歩く羽目になるんだけど、何せ旭川へ折り返すの電車が1時間10分後、そして中富良野駅からファーム富田まで1.7km。その電車を逃すと2時間後まで来ない。
だから、駅からファーム富田までひたすら早足、ファーム富田でも早足、帰りも早足。まあファーム富田では20分は楽しめたと思う。ラベンダーの時期じゃないから、ラベンダーはほとんどなかったけど、それ以外の花も多いから、見どころは多い。
昼からは有名な旭山動物園へ。有名なだけあって、見ごたえがあり、夕方まで4時間くらい入り浸ってた。頭上をペンギンが泳ぐ、展示が凄い。
あと、園内が広いこともあって、動物の臭いをあまり感じさせないようになってると思う。
特急北斗の始発に乗って札幌から函館へ。札幌⇔函館って、札幌⇔旭川くらいの距離感と思ってたけど、倍以上かかる。直線距離で結ばれてるわけでもないからね。
まずはラッキーピエロを昼めしを食って、ハセガワストアで焼き鳥弁当を買う。根室で買ったタイヨーの焼き鳥弁当と違いがあるのかはわからない。
五稜郭やトラピスチヌ修道院なんかを観光して、「函館どつく」という関西人なら「え?」も思うような駅を見つつ、夜は函館山で夜景を見る。
朝は函館朝市で食べて、土産に海産物を買う。土産屋よりは安かった。
再び特急に乗り、最後の目的地の室蘭へ。最終日は函館と新千歳空港の間ならどこで良くて、登別や旅行中に宣伝を散々見た白老のウポポイ辺りと迷ったけど、地球岬の景色がキレイと聞いたので室蘭へ。
地球岬行きのバスは無くて、坂の下にある地球岬団地までしかバスが通ってない。そこから坂道を15分も歩くのはかなりキツかったけど、景色がたぶん旅行中に見た中で素晴らしくキレイだったから大満足。
室蘭には母恋という駅があり、そこの駅弁が旨いと聞いていたけど、売り切れで買えず……。室蘭駅の近くにあるスーパーで遅めの昼めしを買って、再び特急へ。そして新千歳空港からPeachに乗って関空へ帰る。
9割の日本人がもう中国はカンベン、ってなってるからもう中国ネタ自体がNGな風潮になっていくよ
え、ウイグル人の臓器抜いてるの?ってネタにはなると思うが笑えんだろ
関東で「出身は鳥取県です」って言った時の微妙な空気が本当に嫌
関西ならまだ距離的にも近いし「へ〜」って感じで終わること多いし、関西人化が進んでると「出身?中国〜!」みたいなボケする人もいる
「出身どこ?」って聞いてくるのは、地域のイメージで訛りが可愛いとか、お酒に強いとかみたいなのも色々あると思うし何かしら話題に繋げたいんだろうとも思うけど「鳥取県の人初めて見た!」って感想をもらったことしかないし心狭いから普通に不愉快
「初めて見た」って何?動物園にでも来た気になってんの?
関東で「出身が外国です」って人にあったことの方が鳥取県の人にあった回数よりは絶対多い。知り合いに鳥取県の人がいますっていうパターンよりも多分多い。
美容院とか保険営業の人とか深く付き合い持たないような人相手には、大学時代に住んでた名古屋のことを出身地です〜って偽ってる
関東で「出身は鳥取県です」って言った時の微妙な空気が本当に嫌
関西ならまだ距離的にも近いし「へ〜」って感じで終わること多いし、関西人化が進んでると「出身?中国〜!」みたいなボケする人もいる
「出身どこ?」って聞いてくるのは、地域のイメージで訛りが可愛いとか、お酒に強いとかみたいなのも色々あると思うし何かしら話題に繋げたいんだろうとも思うけど「鳥取県の人初めて見た!」って感想をもらったことしかないし心狭いから普通に不愉快
「初めて見た」って何?動物園にでも来た気になってんの?
関東で「出身が外国です」って人にあったことの方が鳥取県の人にあった回数よりは絶対多い。知り合いに鳥取県の人がいますっていうパターンよりも多分多い。
美容院とか保険営業の人とか深く付き合い持たないような人相手には、大学時代に住んでた名古屋のことを出身地です〜って偽ってる
元々ボーカルのこやまが「シングルのタイトルにスペインって入れれば特典DVDでスペイン村に経費で遊びに行けるのでは」と考え、シングルのタイトルを「スペインのひみつ」にする。ちなみに収録曲にはスペインのひみつという曲はない。
狙い通り特典DVDを志摩スペイン村に撮りに行くことが決定。スペイン村でさんざんっぱら楽しんだ後、スペイン村の偉い人と夕食会になり偉い人から「CMソングとか作ってもらいたいねぇ」という話をいただき、急遽、関西・東海地方では伝説のCMソングである「きっとパルケエスパーニャ」のカバーをねじ込むことに。
黒田騒動(くろだそうどう)は、江戸時代前期に福岡藩で発生したお家騒動。栗山大膳事件(くりやまだいぜんじけん)ともいう。伊達騒動、加賀騒動または仙石騒動とともに三大お家騒動と呼ばれる。他の御家騒動では処分時に死者が出ているが、黒田騒動ではお預けなどはあったものの、死者は出なかった。
経緯
黒田長政は世継ぎ継承にあたり長男・忠之の狭器と粗暴な性格を憂い、三男の長興に家督を譲ると決めて忠之に書状を送る。書状には2千石の田地で百姓をするか、1万両を与えるから関西で商人になるか、千石の知行で一寺建立して僧侶になるか、と非常に厳しいものであった。これに後見役の栗山大膳は、辱めを受けるのなら切腹をとの対応を忠之に勧める。そして600石以上2千石未満の藩士の嫡子たちを集め、長政に対して廃嫡を取りやめなければ全員切腹すると血判状をとった。この事態を重く見た長政は嘆願を受け入れ、大膳を後見役に頼んだ後に死去した。そこで大膳は忠之に諌書を送ったが、これが飲酒の心得や早寝早起きなど子供を諭すような内容だったため、忠之は大膳に対し立腹し、次第に距離を置くようになる。忠之は寛永元年(1624年)に藩主就任早々、忠之及びその側近と、筆頭家老であった大膳はじめ宿老達との間に軋轢を生じさせ、生前の長政が憂いていたとおりに御家騒動へと発展した。忠之は小姓から仕えていた倉八十太夫(くらはち じゅうだゆう。名は正俊、または家頼)を側近として抱え、1万石の大身とした。そして十太夫に命じて豪華な大船「鳳凰丸」を建造。さらに200人の足軽を新規に雇い入れるなど、軍縮の時代にあってそれに逆行する暴政を行った。これにより遂に藩は幕府より咎めを受けるに至った。
大膳も寛永9年(1632年)6月、忠之が幕府転覆を狙っていると幕府に上訴した。藩側は「大膳は狂人である」との主張を行い、寛永10年(1633年)2月、将軍徳川家光が直々に裁いた結果、忠之の藩側の主張を認め、所領安堵の触れを出し、10年に及ぶ抗争に幕を閉じた。大膳は騒動の責を負って陸奥盛岡藩預かりとなり、十太夫も高野山に追放された。なお、十太夫は島原の乱で黒田家に陣借りして鎮圧軍に従軍したが、さしたる戦功は挙げられず、黒田家復帰はならなかった。のち上方で死去したという。十太夫の孫・倉八宅兵衛に至り、ようやく再仕官を許されている。なお、この時に盛岡藩へ預かりとなった栗山大膳は、藩祖・黒田如水所用の兜も一緒に持参した。現在、もりおか歴史文化館に所蔵されている。
題材にした作品
江戸時代中期には江戸中村座などにて黒田騒動を題材にした歌舞伎が数多く上演された。最初は瀬川如皐作、外題『御伽譚博多新織』。のちに河竹黙阿弥により狂言『黒白論織分博多』として加筆集約化された。また幕末には合巻としては最長編である『しらぬひ譚』も歌舞伎化され、こちらも大好評を博した。
また、この事件を森鷗外が小説『栗山大膳』において、改易を危惧した大膳が黒田家を守るために尋問の場で訴えたとして脚色して描いている。十太夫は、島原の乱で一揆軍に加わり戦死したことになっている。滝口康彦の小説『主家滅ぶべし』では、利章は真面目で実直なものの、その忠義も独善的であるため主君と家中から疎まれてしまい、忠臣としての自身を保つために引き起こしたものとして描かれている。