はてなキーワード: 蜘蛛の糸とは
増田よ。大変だったな。辛いし自分に浴びせられる、身体を駆け巡る憎悪や嫌悪で身体が燃え尽きてしまわないのは何故なんだと煩悶したりしただろう。職に関する描写の状況が変わっていないなら金が無い以上容姿の向上は難しいしこれからも大変だな。増田の今までとこれからに同情しかできないし、勝手に斟酌する失礼を詫びる。
増田と実際に顔を合わせた瞬間に失礼な事を言わないでいる自信はあるが、怯んだりはするかもしれないな。増田の描写によると。
しかしながら増田の男の非モテこそという言には賛成できないし、しない。
俺のような男こそが真の非モテだ。と言い、
同程度の容姿の女と比べてみるならまだともかく、男の非モテも千差万別であるのにも関わらずかなりのハードモードであることは間違いない自分を基準に置き「“男だから”辛い」 「“女は”楽」だと。それは駄目だろう。
男の非モテを語るにも女の非モテを否定するにも増田の語りは主語が大き過ぎる。
増田のは一般的なぼんやりとした非モテを語るには特異なケースに過ぎる。モテ以前の話だ。
女の非モテが無視するなと憤っていることの一つは、地獄に置かれて苦しんでいるのはお互いなのにお前のは苦しみと認めないお前が俺を苦しめていると断言することだ。
カンダタは蜘蛛の糸を独り占めしようとして同じ地獄から出たいと糸に掴まる他人を蹴落とし罵倒したが、増田は蹴落とす際に俺は地獄で苦しんだ人間だがお前らは苦しんでもないし俺を苦しめる獄卒だと叫んでいる。
結局、「小児性愛はマイノリティ」としか言ってないものに対しては、「だからどうした」と一蹴しなければならないんだよな。
「マイノリティ、だから、○○」と言えることなんて本当に限られている。「○○」の部分を何も説明することなく、ただ「マイノリティだろ」と言われたところで、「それで、何が言いたいのか?」という話にしかならない。それをわかって小児性愛の権利を主張している人もたくさんいるのだが、残念ながらそうでない連中の方が多いと言わざるを得ない。
「小児性愛とLGBTの何が違うのか」みたいな言説も、下らない足の引っ張り合いでしかない。マイノリティの権利を主張するとき、比較対象はマジョリティでなければならないだろうに。蜘蛛の糸なら他にいくらでも垂れ下がっているのに、どうしても一本に群がる必要性を脅迫的に感じているらしい人々には、「この蜘蛛の糸を切りたいのだろうな」としか思わない。
このご時世、色々な面で限界を感じている人はいると思う。このままだと精神面でヤバいと感じたのでそっと匿名で発散させてほしい。初投稿なのでお見苦しい点はご容赦を。
今年に入ってから、一時期を除いて経営母体に他人との食事を禁じられ続けている(正確には、自粛を求められている)。
もともと入院患者さんがいらっしゃる限り休日など存在しない職業ではあるが、今年は唯一の1週間の長期休暇も他人と過ごすことはできない。もちろん盆も正月もない。時給換算したら…おっと、この話は今日はやめておこう。
都道府県境も有事以外は超えないように言われている。同自治体内の自然溢れる施設などは休日には人が殺到しているため却下。体を動かそうとジムに行けば医療従事者は休んでる方もおられますとやんわり伝えられる。自宅や仮想の森で生身の人間と話さずに過ごすのはもう飽きた、何をして過ごせばいい?
初期の頃は配偶者等を含む家族との食事も禁止だったから自費でホテル住まいをしている人もいた。その頃は皆で一丸となっていて自分達もできることを頑張ろうとモチベーションをもって働いていた。当たり前のようにあった物品が高級品となり、それを案じて寄付してくれる方々もいた。
飛行機や花火を見る暇はないけれど、心のどこかで色んな人が協力してこの状況を乗り越えていくんだと心強く感じていた。
第二波に入ってからは、「まずは経済を優先する」という方針に固まってきたため、複雑な思いを抱きながらも出来る仕事を粛々と行い、どんどん埋まっていくベッド、だんだんと回数が増えていく断らなければいけない救急車用PHSを眺めてきた。時には「重症者は増えても仕方がない」のような意見をネットで見て、今日行った仕事はなんだったのだろうとお風呂で涙したりもした。他方、我々の状況は変わらず、職場では必要最低限の仕事の話を他人とし、家では壁にぶつぶつ話しかけて過ごしている。全ての欲が減衰し、はっきり言って私は経済を去年の半分も回していない。回せる人は頑張って回して欲しい。
蜘蛛の糸を垂らされて、皆で穴の上を目指して強固になったと思っていた梯子は外され、上から水やらなんやらをかけられている気分。目の前の人1人をチームで救う力はあったとしても、世の中の大きな流れは医療崩壊は起きても仕方がないと考えているのかな?
少なくとも私は、1人でも人が亡くなることに関してとても悲しいと感じている。1人でも多くの人をまだ未知の部分も多い疾患から守りたいと思って働くことはそもそも間違っているのだろうか。
それでも心を無にして働くしかない。
流行り病があるからと言って、血圧は下がってくれないし、癌や出血は引っ込んでくれないし、事故が急にゼロになるわけではない。病気は日にち薬や魔法で改善するものだけではない。手の届く範囲で救える人を救いたい。
それでも。せめて誰か一人でいいから、一緒に焼肉を食べてください。私が奢る。
(追記)
お返事の仕方がわからなかったのでこちらでまとめてお返事とさせてください。
家族以外とのご飯が食べられた時期があり、普段以上に友人のありがたさを感じた。これが、ここに書いてまで食べたかった他人との焼肉なんだなぁと思った。ハラミも食べられて嬉しかった。また夏頃までに部屋の掃除をしておくから焼肉できたらいいな。
以下はただの愚痴です。
周りでも次々と院内感染が発生し救急受け入れを一時的に止めたり、そうでなくても満床で受け入れが難しかったりする状況になっている。あまり知られてないようだが、冬は例年ですでに病床がパンパンなことが多い。令和の時代にここまで医療崩壊を意識する時代がやってくるとは去年は想像もできなかったな。
慣れとは恐ろしいもので、私は短期間でも恵まれた期間があったからなんとか働いている。時折色んなニュースに腹を立てながらも、ここに投稿してからはお風呂で泣いたりはなくなりおかげさまですっと憑き物が落ちたようだった。
業界で働く人全員が冬を迎えられるような状況にうまく折り合いをつけられたわけではなく、残念ながら退職される方もいた。病院の収入そのものが私たち医療従事者の収入になることは全くなく、入院患者数が増えたからボーナスが出たり時給が上がるわけじゃない。
粛々と働くだけだけれども心はいつまでも頑丈ではない。人は漸減し負担は増える一方となっている。病床数だけ増やしたとしても新しい場所で働く人は魔法のようには増えない。
この半年間で気づいた人が増えたように、拍手してもらったり花火が上がったりライトアップされたりした数だけ、ビスケットのように医療資源同様、私たちへの補償が生じるわけではないので辞めたい気持ちはすごくよくわかる。
最初はお金を使えず〜と上にも書いたが、慣れた今お金は普通に欲しい。ストレス発散にネットショッピングはめっちゃしている。直接診療している人からの温かい言葉はとても嬉しいけれど、むしろ間接的に仕事を増やしてくる人たちからのうわべだけの感謝の言葉はいらん、お金か、呼び出しも絶対ない本当に病棟に一回も行かなくていい休みを夏休み以外にください。
結局目の前の人を救いたいという気持ちで働いているんだなと再確認した年になった。いろんな方法で多くの人を救う力のある人は本当に頑張ってほしい。目に入ってきてしまう我々に対するいろんな文句や目を疑うような同業者の発言は視力のせいにして見えないことにした。最近は某珈琲のCMのように自分が地球外生命体と思いながら働いている、この星がどういう方向に進んでいくなんて知らない。心がもつ限りやるべきことをやる、それだけだ。
眠れないし、書いて吐き出すことにした。
一昨日まではのんびりしていた。大学生活も3年終わり、コロナのおかげで公然と引きこもってゲームが出来る春休みを謳歌していた。脳を溶かしてる一方、周りは忙しくしていてなんか会社説明会とかやっているなとのほほんと思っていた。
進路については特に考えていなかった。自分の将来を考えるのが怖いし、考えてしまったら3年間続いてきたデカダンな生活を永遠に手放すように思ったからだ。
怠惰な生活は3つの要素で構成されていた。動画、ゲーム、睡眠だ。だらだらとYouTubeで動画を見て、飽きたらゲームをして時間を潰し、疲れて寝る。振り返ればこの3年、時間を浪費し続けてきた。真剣に考えるのは面倒くさいし、アホなことは今しか出来ない。時間を浪費する自分カッケーとさえ思っていた。イタいなコイツ。もちろん、自分は間違っていた。
家族には何となく自分は公務員志望だと言っていた。勉強もしていると口では言っていた。実際は勉強していないし毎日動画、ゲーム、睡眠のサイクルを繰り返していた。宣言しておけば何も言ってこないから、ずっと空手形を切ってきたのだ。
昨日の2月最終日、いよいよ3月を迎えるにあたって急に焦り始めた。このままだとマズいと四季報と業界地図を引っ張り出して適当でいいからエントリーしようと思い立った。合説がコロナで延期という報道がつい先日までは対岸の火事だったが1丁目1番地、火災旋風のド真ん中に放り出された。
日付が変わって3月になった。解禁と共にエントリーしたもののなんてことは無い、会社説明会は概ね延期されていた。採用も進まないだろう。なんだよ。さぁ安心して横になろうと思ったら全然寝られない。不安だ、何もやってこなかった不安が今になって襲ってきた。
もう自分は今までの能天気なフリで騙せない。いつかこうなると分かっていた。サボっていたツケを払うため、遅ればせながら戦争に参加することしか自分には選択肢が無い。
他人の責任にして逃げてきた。今回の合説全滅だってコロナのせいにしてしまえば自責に苛まれずに済むし、気が楽だろう。しかし、全ては自分の責任なのだなと思わされた。事前に選考に参加していれば蜘蛛の糸を切られて窮することも無かっただろう。
大学がモラトリアムになっていないことも、コロナの余波も、責任をそれらに押しつけてしまえればどんなに楽だろうか。ルールを知らずに浪費していた自分はここから立ち上がるしかないのに。
面倒くさくなって寝込むこともあるだろうから、そんな時はここに書きに来てサッパリと忘れることにする。今までの自分と永訣する意を込めて。
今は蜘蛛の糸を登ってるらしい
力が無い
四肢がもげ、濁った色の血を吐き、息も絶え絶えで、でも死ねない不死者だ
半世紀ずっと一人で自分を欲を満たし、どうにかこうにかやってきた
いつか憧れのあの世界に行きたくて
あの世界を知った時、心底憧れた
いつか仲間になりたくて
焦がれて焦れて
何とかかんとかとても小さいニセモノの世界を作れた
疑似餌とインスタントで半世紀何とか自分の飢えを誤魔化して来たけど限界が近いのを悟った
あの世界に行きたい
幾度か掴んだけど蜘蛛の糸は全部ニセモノだった
けど
ようやく本物っぽい糸を攫めた
明る…かった
もう一人で戦わなくていいんだよと声が聞えた気さえがした
幾千もの手を持つ彼らが疲れきって横たわっていた体を持ち上げて、立たせて、綺麗な状態に戻してくれた
涙が止まらない朝
半世紀ぶりに孤独が晴れた
これからが楽しみだ
私の最寄駅は、私鉄とメトロの両方が乗り入れている。電車の進行方向に対して左側を私鉄が、右側をメトロが走るかたち。
左側の私鉄から降りてきた人が、蜘蛛の糸に群がる亡者よろしく、痛勤の苦痛を少しでも和らげるために右側のメトロ待機列のすこしでも前に食い込まんとダッシュする、毎朝の恒例行事。
私も通勤は片道でドアドゥドア2.5時間近くかかるので、座席や安眠への渇望、触れることの大きな意義はわかる。
けれど、それにしたっていい大人が、大人の椅子取りゲームに勝つためにホームをダッシュで(言い過ぎかも、小走りくらいかな)横切っていくさまはあまりにみっともないし、見苦しいなぁと毎朝思う。
幼稚園、小学校にご在籍の方々、みなさんのお手本はこんなにも必死に椅子取りゲームに勤しんでいます。みなさんが今楽しんでいるものが遊びじゃなくなる日が来るかもしれませんよ。こんなことを言いたくなる世の中は、私は恥ずかしい。
この光景が当たり前に、首都圏のそこかしこで起きているんだろうなぁと思うと、気持ち悪い。もうすこし、肩の力を抜いて安らかに生きられる世の中になるといいし、作っていけたらいいなぁ。