はてなキーワード: 坂道とは
喉元すぎれば…っていうやつで、もう冬のマジで陰鬱な感じとか、夜が早くてイヤなところとか、天気の良くなさとか、ガチの寒さとか、そういうところが頭から消えつつあり、いいところだけが思い出される
一人で、雪がギリ降らないくらいの微妙な天気の中、けっこう坂がちな住宅街を歩いたような記憶がある
実際には多分歩いてないんだけど、そういうイメージが確かにある
いや 晴れてた気がしてきたな 晴れてたことにしよう
冬に晴れたとき特有の、あの寒さと開放感がすごいアレ アレのなか、一人歩いていると、実際は車の走行音とかがけっこううるさいんだが、なんだかめちゃくちゃ静かなような気持ちになる
知らない住宅街、人間は確かにいるんだけど、本質的にはかなり孤独じゃないっすか
そういう孤独さと、冬の寒さと、空の開放感、静かさ、その辺が混じってえもいわれぬ感情を生むのであった
そんで、これはマジの記憶なんだけど、そういえば大晦日にひとり電車に揺られて京都・清水寺に行ったことがあったなあ!
人々がガヤガヤしてるなか、あの有名な舞台まで登ったら、ちょうど日が沈むくらいで、妙に人だかりができてるのでなんやなんやと思ったら、よく考えてみると初日の出に対応する最後の日の入りなわけで、あらいいじゃないと思って、写真の一枚でも撮ろうかと思ったらもう完全に沈んでいて、なんつうか、その冴えない感じが一年の締めくくりにちょうど良かった
帰り道、参道の坂道にある土産物屋で何を思ったか抹茶ソフトクリームを買ったんだった
うまかったけど、クソ寒くて、食えば食うほど身体が冷えて、味はわかんなくなるし鼻水は出てくるしでかなり辛かったな
でも、あれはやっぱりいい体験だった と思う
秋〜冬に、一人で、見切り発車で出かけて、全てアドリブで、寒い〜!帰りてえ〜!寂しい〜!と思いながらウロつく
アレがまたやりてえよ
夏、暑すぎてウロつく気になれないんだよな
秋〜冬よ はやくこい
JRの車椅子乗車拒否の記事を見て、内容的にはあまり関係ないが思うことがあった。
私が入学した高校の1年生のクラス、出席番号後ろの子が車椅子ユーザーだった。先生からはその子の身体障害についての説明と、高校生活での関わり方をクラス全員に話された。
その子にはヘルパーさんが付いており着替えやトイレの補助はヘルパーさんがしてくれる。だか常にヘルパーさんがいる訳ではなく、移動教室などは生徒が手伝う必要があった。
入学して1週間後、クラス内のグループもある程度できた頃、先生に移動教室の補助を手伝うよう言われた。出席番号が前後で授業で関わることも多かったからだろう。グループの友達2人も着いてきてくれて、4人で話しながら移動教室へと向かった。
それから自然とヘルパーさんのいない時の手伝い=私となった。最初のうちは嫌でもなく、むしろ他の生徒とは違う選ばれた私、のように愚かにも優越感を抱いたりしていた。しかし、それも1ヶ月、2ヶ月、半年と続いていくと次第に疲れというか面倒くささが湧いてくるようになった。初めは一緒に居てくれた友達も、「先行っとくね」と言うようになった。移動教室にはエレベーターを使うのだが、東棟の奥にしかないため移動に時間がかかるのだ。予習や課題を授業前に慌ててするタイプの友達にとっては煩わしい時間だっただろう。もちろん私だってそういった時間が欲しかったが、他の子に頼もうにも厄介者を押し付けるようで気まずかった。その子は私以外にあまり話す人がいなかったのも一因ではあるが。
担任との面談の機会も何回かあったが、その子の補助係については何も触れられなかった。大変だね、ともいつもありがとう、とも。逆にそう言う事でその子を差別している事になると思ったのだろうか。そういえば担任は、健常者が障害者を補うことが当たり前になって欲しいと入学当初語っていた。私がその子の補助をすることを、喜んでまでとはいかないが、まさか嫌がっては無いだろうと思っていたのだろう。面談で補助係嫌です。疲れました。と言えたらよかった。言えなかった。言ったら差別になるから?不親切不道徳?わからないけど、他者からの評価は悪くなるだろうという事は悪い頭なりに理解していた。別の日に、周りの子に手伝い大変だね、と言われたことがあった。そこでもそうなの!本当はやりたくないのに押し付けられてるの!と言ってはいけないこともわかっていた。愚痴る事すら憚られた。相手が社会的弱者でこっちは強者だから。
私の高校は3年間クラス替えが無かったので、結局私の補助係は3年続いた。
文化祭で、3年生は体育館で出し物をするという伝統があった。私たちのクラスはダンスがしたいという話になった。しかし、出し物は全員参加のため、ダンスだと車椅子の子が参加出来ないという事で却下され、結局舞台劇をする事になった。
これには本人も申し訳なさそうにしていた。決してその子の存在が悪いんじゃない。けれど、結果としてその子がクラスの足枷になってしまった。
私だって移動教室の前に購買に駆け込んでパンを買いたかった。友達とだらだら話しながら歩きたかった。小テストの勉強をしたかった。高校のこともその子のことも嫌いではないが、どうしても私は3年間"貧乏くじ"を引かされたような気がしてならない。きっとその"貧乏くじ"を引くのは誰でもよかった。健常者なら。それが今の社会である。
最近は社会が"差別"に非常に敏感になっていると感じる。障害者差別、性差別、人種差別…etc 弱者側に目を向けるのはいい事だと思う。差別を無くそうとするのも。けれど、その差別に敏感になるあまり、"強者側"の権利が虐げられるのはどうなんだろうか。
(自分の書いた文を読んで思ったが、1番差別に囚われてたのは私かもしれない。思い切って補助係を断ってもよかったのかも。てへ)
追記 4/6
沢山の反応があってびっくりしてます。私は障害者の否定や差別がしたいわけじゃないです。ただ高校でこの様な経験があって、障害者の存在を疎ましく感じてしまったことも事実で、これ以上このような出来事が増えないといいなと思っています。綺麗事じゃない、経験した人にしかわからないことを伝えたくて書きました。今思うと高校かなりクソだな。学校のあり方社会のあり方個々人の意識を変えてかなくちゃならないよね〜〜
一つ訂正すると、その子は一応自分でも車椅子は漕げました。けど万一こけた時とかの為に誰かが傍にいる必要があったんです。坂道や段差もあるし。実際その子が漕ぐのと私が押すのは半々くらいだったかな、これについては私の書き方が悪かったです。その子が漕いでる時は周りからしたらよくある友達同士の移動中の風景に見えたかもね。。。
生活保護に関する訴訟がTwitterトレンド入りして気付いたことを共有する。
https://twitter.com/YOL_national/status/1376407559347789828
この読売のツイートへの生活保護バッシング(現金給付やめろ、強制労働させろ、収容所に隔離しろ、といったもの)をしているアカウントを見て、ざっと見た印象を記号化してみた。
ソシャゲオタ
さらに、とても鬱屈している、怒っている、攻撃的、といった傾向があるアカウントがほとんどだった。
「生活保護バッシングを行っている層」は確実にある。けれどもそこには大きな偏りがあるといえる。もちろん見ている場所にもよるけど。(Twitterは偏っている。)
日本人全体がこう思っているわけではないはず。もしそう見えたなら、声の大きいところに引っ張られて同調しているだけかもしれない。
障害があったり何らかの事情で働けないから生活保護を受けている人へ。
あなたたちに支給され使っているであろうお金は確実に政府のよくわからない政策よりは社会を回している。生きていていい。それが権利として保障されているのだ。可能なら社会復帰すればいい。できることからやっていけばいい。社会復帰は義務ではないと個人的に思う。とても生きづらい時代だから。
無趣味であること、自尊心の低さ、依存しやすさがあるのではないか。自分をあきらめないでほしい。人間は何歳になっても成長できるはずだ。
最寄り駅(がある時点でど田舎ではない?)まで自転車で坂道を2キロ、行きはずっと下りだからラクチンだが、帰りがあまりにキツいので、必然的に休日は引きこもって暮らした
当然、博物館とか美術館とか、大学で都会に出るまではほぼ行かなかった
高校がある街の駅前のショボい書店で本買うくらいが、俺の「文化」の限界だった
でも、正直、俺はヘタな東京生まれ東京育ち人間より教養があると思う
まあ、はてなにいるような奴にはたぶん概ね負けるんだけど、多くの人間はそもそもインターネットに「居ない」からな
オンライン対戦型早押しクイズアプリをやれば、スッと上位層にいける ランカーにはなれずとも、養分にはならない
音楽や映画の話をするときは、どちらかというと気を遣う これ言っても多分通じないな、と思って話を引っ込めることが多い
美術……には正直あまり強くないが、まあ、基礎教養みたいなところはひととおり押さえているので、アホには勝てる
東京人、恐るるに足らねえよ
ガチで田舎しか知らなかった高校生時代でも、東京人の半分には勝てたと思う
なーにが文化資本じゃ
図書館あってもどうせ行かねえだろ
でけーショッピング・モールにばっか行って、そん中でもお気に入りのブランドの店にしか入らねえような層と、山暮らしの俺の間に、そう大きな違いはねえ
テレビで紹介されてる店に行って、ふわふわスフレパンケーキを食ったところで、人間的にはほとんど成長しねえよ
俺はその間に郷土料理「とんこつ」なんかを作る 東京のカスがスフレパンケーキの食感を体験として学ぶ間に、俺は豚の豚骨を柔らかくするために何時間煮込めばいいかを体験として知る
東京人がなんだ
かかってきやがれ 返り討ちにしてくれる
スマホのちっちぇえ画面で見ようと、立派な映画館のバカデケエ画面で見ようと、おんなじ映画ならおんなじ体験だ……ってことは流石にないが、感想を語る際にはその差はそんなに効いてこねえ
音響がすごかった、映像がすごかった! そら結構 でもその体験はあくまで「体験」であって、教養バトルにおけるカードにはなりえねえ
東京モンがヤマノテ線で映画館に行って映画見てる隙に、俺はGEOで借りた映画を3本見る 3倍だぞ3倍 完全に僕の勝ちだ
上野動物園でパンダ見てハシャいでる間に、インターネットでおもしろフラッシュを見る これに関してはノーコメントかも
昔ならとにかく、デジタル・ネイティブのインドア人間にとって、いまの東京のアドヴァンテージなんて大したことねー
俺は都会からまた田舎に戻ってきたが(失意!w)、想像以上に何も変わらなくてびっくりしてるぜ
東京、思った以上にショボいよ
多少便利、だがそれだけだ
アジカン後藤さんのソロ、「Around The Lives By The Sea」がとても素晴らしい。
彼の在籍するバンドは、00年代以降のいわゆる「ロキノン」(個人的にこのくくり方は好きじゃないが)街道を大手を振って歩んできたように思われているけれど、実は様々な挑戦と苦悩にあふれた作品ばかりだと個人的には思っている。
「新世紀のラブソング」以降、彼の手掛ける作品は、バンドでもソロでも、ラップという手法をどう自分にあったスタイルに昇華させていくかという試みが数多く見れたが、今回の新作ソロアルバムでちゃんとオーガニックさあふれる方向で着地したというか、ある種彼なりの完成形にもっていけているような気がした。
気になったことが1つある。
https://www.youtube.com/watch?v=-RAFr8g46ic
タイトルが「Farewell, My Boy」で、"小さな箱に詰めた白百合と木漏れ日に滲む薄い紅よ"という歌詞は小さな子供の葬式を彷彿とさせる。
今回のソロアルバムでこの1曲だけ、明らかにテイストが違く、かなり個人的なことを歌っているのではないかと思う。
この曲だけ、何にも例えようのない、誰かに聞いてほしいけれども聞いてほしくない、深い悲しみに満ちている感じがする。アルバムの中でこの曲だけが放つ、違和感ともとれるこの手触りはなんなのだろうか。
木漏れ日に滲む薄い紅よ
Farewell, my boy
見覚えのない この坂道を
登って少し行けば君の家さ
Farewell, my boy
Farewell, lovely boy
例えば
僕らはどこまでも捩れた首飾り
こぼれ落ちた そのひとつ粒が
絡まった愛を解いて
Farewell, my boy
Farewell, lovely boy
ガムが衣服についた場合はマヨネーズとかサラダ油等、油分が多いもので取れるというか溶ける。
そう、自分で立ち上がる事が出来なくても、めげずにこうしたちょっとした生活の知恵さえあればいいのでは。
誰も助けてくれないからタフでなければならない、なんて事もないし、奇異の目なんて気にする必要もない。
ちなみに酔っ払ってぐでんぐでんになったおっさんが地下駐車場へ入る坂道で寝そべって「起こしてくれ〜」と言われた事があって、肩を担いだ事がある。
1人では無理だったけど、通り掛かりの人が手伝ってくれて、向かいのマンション1Fの自室(実は管理人だった)へ送り届けた。
困ったら声を出してもいいし、手伝ってもいいし、無視してもいいと思う。
その時々で違う訳でそこまで考える事でもないのでは。