はてなキーワード: 各停とは
大阪市の端っこに9年くらい住んでる。各停しか停まらない、市内のわりに地味なエリア。
久々に近所で飲もうってことになって、どこにしようか物色してた。通りに飲める場所は4、5軒ある。
チェーン店の安っぽい居酒屋から、ちょっと凝った焼き鳥屋まで。どの店も9年前からあった。
今回は安っぽいほうの居酒屋に入った。それをA店としよう。
なんでA店に入ったかというと、ここ数年やたら人が入ってるからなんか良くなったのかなと思ったから。
9年前に入った時は、料理もお酒も何も印象に残らない店だった。
そんで入ってみた感想は、やっぱり何も印象に残らない店だった。
一方、そのちょっと凝ったほうの焼き鳥屋(B店としよう)にも、住み始めた当時入ったことがある。
こっちは居心地から料理からお酒まで、印象に残るものがあった。おいしかった。人もたくさん入っていた。
それから9年、チラッと覗いたB店はガラガラだった。B店だけじゃなく、A店以外はほとんど人が入ってなかった。
この9年間、近所で外食しようなんてことがなかったからこんなことに気づいたんだろうけど、みんな味わうことよりも、手軽であることを選ぶようになったのかなと、この変化を前に考えた。
そういえばつい最近もこんなことがあった。
気に入ってたパン屋があった。
特に高級でもないけど、ハード系の生地に、クリームチーズとか、黒豆とか、イチジクとか、凝った素材を練りこんだりしてて、どっちかというと大人好みの商品が並んでいた。
そのわりに値段も高くなかった。本来の意味でコスパの良い店だったと思う。その店が閉店した。
で、その後にできたのが100円均一のパン屋だった。某百貨店と同じ名前を冠してはいるけど、確かに100円のわりには悪くもないけど、やっぱりどこにでもありそうなパンしかなかった。生地がそれなりというか、パサついてるというか・・・。
べつに安いのが悪いってわけじゃないけど、どこにでもあるものしか手に入らなくなるのはなんか寂しいなぁと思った。
ただ単にお金がないだけの問題ならまだましだけど、なんか社会全体が付加価値的なものに価値を見出さなくなることとか、美味しいものを美味しいとわかる味覚とか、そういうものまで失われるとしたらもったいないなぁと思った。
誤解のないように言っておくと、自分自身、マウンティングできるほどお金があるわけじゃないし、取り立てて文化的素養がある人間でもない。
あるとしたら年の功くらい。それだけでもマウンティングっぽく映りかねないけど。ただ単に自分が、経年変化を観測できるくらい歳とっただけって説もあるけど。
まあ観測範囲の問題で、あるところにはまだそいう需要はあるんだろうけど、限られた人たちの特権になってしまったらいやだなぁ。
通勤時間は4倍近くになったが想像以上に生活が捗っている。メリットを紹介したい。
通勤時間が延びても満員電車で立ちぱと違って時間が無駄にならない。
10時、11時までやっている大型書店や家電量販店はマジ便利。
元住んでたところがヤマダ電機しかなかったので、圧倒的な品揃えに感動。
また、飲食店もバラエティ豊かで、小洒落たバーにエスニック料理まで何でもござれ。
これまた昔住んでいた場所にはワタミとガストが入った飲食ビルと、ラーメン屋くらいしかなかったのでさらに感動。
3. 終電を気にしなくて良くなった。なので、何時間でも飲めるし、映画のレイトショーもOK
いざとなれば歩いて帰れる距離だし、タクシー使っても1500円。
普通なら人で溢れる土曜夜の帰りの電車も、各停使えばスイスイ。3駅なので遅さも気にならず。
マジでメリットしかないんだが、東京で消耗する都か言ってる人はどこに住んでるの?
なぜ東京で消耗してるの?
エスカレーター片側あけて乗るより整然と2列で乗って歩かない方が効率いいぜみたいなシミュレーション。
あの話題定期的に出てくるし、個人的には機械にやさしいなら別に両側に立って歩かずに乗ればいいんじゃない?って思うんだけど、
とりあえず前の人が身内じゃなければ1段あけておかないと触れてしまって痴漢呼ばわりされたり、蹴られたりしてしまいそうで怖いし、
1段あけずに他人に真後ろにつけられるのも威圧感・圧迫感が強くて怖い怖い怖い逃げたい怖い荷物スられそう怖いってガチガチになる身としては、
全員ツメツメで乗るっていうシミュレーションの想定を見て、そのギュウギュウのエスカレーターに乗りたくねぇーーーって思った。
あ、けど今でも駅の殺人的に混んでるエスカレーターとかは階段で回避したりしてるから、まあそんなに変わらないか。
そういえば初めて一人で東京の駅に行ったとき、人波が落ち着いてからホームから出ようとしたら、次々に電車が来てホームのベンチで割と途方に暮れたから東京適正D-です。
デパートやヨドバシで階段で7Fまで頑張るかー!ということになるのはしんどそうだけど、もし実際そうなったら行かずにネットで買うことにしよう。
人の密度が高い感じが苦手だから、エレベーターは余計苦手だしなー。
っていうかエレベーターってアレなんなの、結構広めのエレベーターでも知らない人5人ぐらい乗ってたら緊張で吐きそうになるわ。
エレベーターが各停で停まるたびに新しい人が乗ってくるとか他人に接触しながらかき分けて降りるとかホント嫌い。
知らない人や他府県ナンバーの車はまず一旦人さらいだと思いなさい、みたいな田舎で育ったから都会にくると他人多すぎてヤバい。
とにかく自分の周りから人を遠ざけたくてアアアアアアアアアってキチガイ癇癪持ちみたいな声出しそうになるよね。
かといって連れがいると自分だけ階段で登るとも言えないしなー。
事前に人ごみ苦手だって言ってても、目的地についた時点で思いっきりグロッキーになってて、
「ウソwwwそんなに???」って呆れられたりするから同じ行程なのにみんな平気なの強いなあって思う。
徒歩圏にコンビニが何軒もあるような都会育ちの人って、自分に害を為す人かどうかを瞬時に判断する技術みたいなのがすごいよね。
逆に雨雲が近づいてくる気配には直前まで気づかないくらい鈍感だったり、動物の鳴き声とかにも全然気づかなかったりしてそれもびっくりする。
仕方なく行列に並び、やっと順番が来たかと思いきや、行列は個室に行きたい人用で、小専用便器は元々ガラガラだった!教えてよ!!…というトラップは、健全な男子たるもの一度はひっかかったことがあるはずだ。
この問題を解決するには、個室と小専用で部屋を分けるのがてっとり早いが、既に全国津々浦々で設置されたトイレは、改修費用がかかり過ぎて無理だ。駅のホームの急行・各停用でレーンを分けて床に表記する案の応用も一考の余地があるが、費用はゼロではないし、大専用ラインに並ぶのはちょっと照れる。
そこで、私が新しく提案するのは、伝言ゲームメソッドである。新たに列に加わるひとがいたら、最後尾の人はこう訊ねる「ビッグ オア スモール?」同志だったら、ハグして迎い入れ、外れなら「お前はここにいるべき人間ではない、先へ行け…」と意味深に呟く。かくして、トイレ誕生以降、男子を苦しめた問題は解決に向かうであろう。
駅で電車を待っていた時の事だった。
70歳位のお婆さん(2人連れ)が、50歳位のおじさんに○○駅まで行きたいのだが、この後の各停に乗れば良いか、それともその数分後にくる快速に乗れば良いのか?と尋ねていた。
その後の快速の方が良いですよ。とおじさんは回答した。正解だ。途中で各停は快速に追い抜かされる。
お婆さんは、あらあらありがとうございます最近は便利になりましたけど私わからなくてねあらあらなどと言っていた。
数分後、各停が到着した。ドアが開き、人が流れる。
するとお婆さん達、あらあら乗った方が良い?あらあらどうする?乗りましょうか乗りましょうね。などと言いながら各停に乗りこんでしまった。
発車、オーライ。
世界で一番乗降者数が多いらしい新宿駅。の、とある私鉄のホームの片隅の出来事である。
私が数年離れた小田急も、再び利用し始めて一年が経とうとしていた。
戻ってから実感させられたが、やはり私は物心付いた頃に生活の一部になっていた小田急に、愛着がある。
とはいえ、私はまだまだ若輩者である上、いわゆる「鉄道ファン」を名乗るには知識も足りないと自覚している。
自分が育つとともに小田急は、いろいろな思い出を私に与えてくれた。
一般的な子供と比べて、数多く電車に乗る機会があったこともその一因だろう。
自分の習い事も、父の仕事に相伴する際も、小田急に乗った。そして小田急に乗る度、1両目の一番前に齧り付いた。
そういえば、当時は運転士が前面のカーテンを降ろす理由が分からず、「そんなに子供に意地悪をしたいのか」と捻くれたこともあったと思う。
今となってはその意味を理解してしまい、ただただ当時の自分の未熟さを恥じるばかりである。
今から15年ほど前だったと思う。
疲れた父を引き連れて、当時自宅のあった小田急相模原駅まで各停で帰ろうとワガママを言った。
東北沢駅がまだ地下化はおろか改修すらもされず、2面2線(+通過線2線)だった頃。
通過待ちで止まっていた各停の中でも、ただただ前面で往く電車、来る電車を観察していた。
そんな私に運転士から声がかかる。「電車、好き?」といった感じのことだっただろう。運転士は、私と会話をしてくれた。
詳しい内容までは覚えていないが、子供だった私の心が非常に躍ったことを今でも忘れないほど、大切な思い出だ。
また、当時住んでいた小田急相模原駅は、各停と準急のみが停車する駅である。(※後に「区間準急」が新設され、停車駅に。)
それだけで、数の少ない準急がなんとなく特別な感じがして好きだった記憶がある。
(後に海外に旅立つ日、初電の「各停相模大野 相模大野から急行新宿行」なんてものに乗った時は、自分は非常に特別なものを味わっているような気がして、乗る前からワクワクしていた)
だからだろうか、後に夕方に新宿から一人で帰る機会が増えた時、あえて準急を待って帰ることが非常に多かった。
徐々に大人になっていき、前面への齧り付きもやめたが、それでも準急に乗って端の席で寝て帰り、たまに本厚木まで運ばれたりしていた。
そんなことをしていたから、新宿18:45という時間は私にとって非常に特別なものだったのだ。
感慨に耽ってしまって、まるで本題に移れない。そろそろ移ろうか。
友人と新宿で21時に約束をしていた私は、先の用事を早々に済ませてしまい、18時頃に新宿駅に到着することになる。
その時、電光掲示板にふと「準急」の文字を目にした。18時13分には、新宿駅4番ホームから町田行きの準急が出発する旨が記されている。
そして、3月ほど前から話題となっていた「夕方準急の急行への変更」のトピックも、ふと思い出す。
― 期せずして、"別れを告げる"機会を得たのではないか
そう思わずにいられなかった。
手持ちで写真を撮れるものはiPhone5Sのみという状態だったが、とにかく私は別れを告げることを決意した。
まず、18:13発の町田行きを数枚撮った。
しかし、既にこの時点でホームには数人、写真を撮る人が構えていた。
18:14、定刻より少々遅れて電車は出発していった。
このとき、15時頃に鶴巻温泉駅-東海大学前駅間で発生した人身事故の影響で、ロマンスカーの運休及び僅かな遅れを持った状態で、こんな日を迎えたことを再認識。
小田急新宿駅の18時台といえばロマンスカーも席が全て埋まるような時間であり、ロマンスカーが運休となってしまうと急行ホームには人が溢れ返る。
普段と変わらぬ日常を過ごしている人たちにとってみれば「災難な日」なのかもしれないな、などど心の隅で思った。
町田行きの準急が帰途に就くと、5段ある電光掲示板の一番下に、目当ての列車が現れる。
これを見た瞬間、私はなんとも言えない気持ちに包まれた。
ただ必死に、1本電車を見送る度に上がってゆく電光掲示板を見つめ、また写真を撮った。
そういえば、昔は向ヶ丘遊園での退避なんかなかったなとも思った。後続の快速急行からは新百合ヶ丘まで逃げ切っていたはずだ。
当然、向ヶ丘遊園で抜かさなかった時代の快速急行はノロノロ運転必至だっただろう。
効率を考えて、後にダイヤが改正されたのも当たり前の話であるのだが、なんとなく悔しいと思ったことがあった気がする。好きだった「準急」の自宅までの所要時間が、伸びてしまうのだから。
いくら好きと言っても早く帰りたいと思う気持ちは無いわけではなかった。
結局のところ、末期には向ヶ丘遊園・新百合ヶ丘・町田・海老名と、終点までに後続4本もの急行に抜かされるものとなる。
始発新宿を18:45に出て、相模大野まで60分、終点本厚木までは80分もの時間をかけて辿り着く。
これらの駅への最速達列車との比較をすると、およそ2倍ほどの時間をかけていることになる。
時の流れは案外早いもので、少し待つと本厚木行きの準急は5番ホームに到着した。
到着前、他の列車よりは少ないながらも、この電車に乗るために並んでいた大勢の人を見て、なんとなく嬉しくなった。
この頃、「撮り鉄」と呼ばれる人たちもたくさん見受けられた。
明日は、十数キロ東に行けば、南北を結ぶ大革命が起こる。そんな日。
それでもここ、小田急新宿駅に足を運び、この「準急 本厚木」を撮るたくさんの人を見た。
そんな人々は、小田急にどんな想いを抱いているだろう。問いたかったかもしれない。
18:45の準急が到着した時、私は新宿駅ホームの西口地上改札側にいたが、少々人が多かったので南新宿側に移動することにした。
しきりに写真を撮る私を横目に、運転士の一人が別の一人に「なんですかこれ?」みたいなことを訊いていたようだ。
ベテランと見受けられる運転士は「今日準急本厚木最終日だから」と言っていた。
列車を撮ることに関して、運転士を始めとした鉄道会社の方たちも、快く思う人ばかりではないだろう。
しかし、少なくとも今日、撮影する行為を止められることがなかったことに関して、本当に感謝したい。
そんなことを思いつつビデオを構えた。
程なくして、耳慣れていながら、二度と聴けないであろう、放送が流れる。
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「準急本厚木行き、発車いたします。向ヶ丘遊園で快速急行の通過待ちを致します。」
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「Plllll.....5番ホームから 準急 本厚木行きが 発車いたします」
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たくさんの人を乗せて、本厚木へ向かっていった。
私は見送った。ありがとう。
そして、さようなら。
ココ数年インターネット界隈で子育てに関するエントリが増えて来たなー。と。
多分インターネットに触れてる人達がそれなりに高齢化(感覚的には30代以上)になってきて、
そこに関して何か言いたい。という人が増えたんだろうな。
なので俺も子育て中として思った事を。
父母になっても奇麗でいたい。格好よくいたい。子供を高学歴にしたい。
どれも凄く解るよ。
でもね。無理だよそんなの。
辻ちゃんを見て行ってるのか、VOXYのCMを見て言ってるのかしらんけど
そんなの幻想だよ幻想。芸能人とかスポーツ選手の生活と比較してどーすんだよと。
んで、何よりも言いたいのは「そうでないからと言って卑下するのをやめろ」と言いたい。
ただ何も考えず一生懸命働いて「子供が成長して行く姿を見てるのが幸せです」で何がいけないんですかね。
そうやって一生を終えてく事の何がいけないんですかね。
タレントや起業家みたいに何か世の中にインパクト与えないといけないんですかね。
毎日仕事で、部屋は散らかりっぱなしで、洗濯物溜まりまくりで、
たまの休みは公園で子供の面倒見てアイス食ってファミレスでご飯食べてTV見ながらビール呑んだら休みが終わった。
散髪は気づいたら3ヶ月行ってない、独身or子無しの時は呑み代も洋服代も使い放題。今じゃユニクロの服すらヨレヨレ。
全部じゃないけどこんな状態で一生終わってもさほど不満は無い。
楽しい事を求めるなって事じゃない。
やれる事はやった方が良いけどやれないからといって問題意識を持つ必要は無いと言いたいだけ。
勝手な思い込みかもしれないが、
塾に行ってなくても、ブランド物の服を着てなくても、レストランで誕生日が祝えなくたって
子供は不幸だなんて思ってない。親に自信が無いからそう思い込むんだと思う。
不健康な人には大変申し訳ないが。健康にはそれだけコストをかける価値があるという事を言いたいだけ。
少ない少ないと文句を言う奴が多いが補助が出てる事をそもそも当たり前だと思うな。
地域によって違うが幼児ならほぼ無料で病院に行ける事を当たり前だと思うな。
幸せの基準を外に求めるから不幸だ不幸だ大変だ大変だと言いたがる。
「電車は快速とか急行とか乗るから面倒事が起こるんだよ。子守りなんて基本的に時間つぶしなんだから各停乗ってけ」
「外食は諦めろ。家で食ってた方がストレスもねーし金もかかんね」
「とにかく人と比較するのやめろ」
「教育を真剣に考えるのは素晴らしい。でも教育の価値観を外に求めるな」
全体の前提として家庭的で子育ての好きな嫁さんを貰う必要がある。という高いハードルが有るけどね。
唐突だけど自分家だけじゃなく世の中に子供がが増えて欲しいなー。と。
やっぱ子供は未来への希望だと思うんだよな。経済的にとか国力的にとかはよく解らん。
個人差はあれど「基本的に子供が可愛く無い」と思う人とはあんま話したく無い。
さてビール呑んで寝るか。
電車ほど怖い乗り物はない。ドアが閉まったら逃げられないし、腹が痛くなる気がしてどうにもならない。
トイレ付の電車が走ってない路線では各停に乗る。友人と一緒だったら、無理言って各停に乗るか青ざめた顔して急行に乗る。
当時大学生だった俺は実家から毎日2時間半かけて大学に通っていた。もちろん電車。
行きはほぼ始発だったので途中までは割と空いていたしトイレもあった。しかし乗り換えた後の電車はトイレがなく、しかも満員電車だった。
毎日腹が痛くなった。突発的にくるのでうっかり奥の方に行ってしまうと便意が襲ってきたときに電車から降りれない。
そして降りたとしても誰か入っている。さらに5分は待たなくてはならない。
そして部活をやっていたので帰りは終電になることが多かった(地元が田舎なので終電が早い。9時くらい)。
そこでも腹が痛くなることがあったが終電なので降りれない。ひたすら我慢していた。
終電で帰るので飯を食った後、翌日に備えすぐに寝る。だからいつも腹を壊していた。
そのときのトラウマが今でも続いている。ここ何年かは電車内で突発的な便意に襲われたことはないが、万一ということもある。
パニ症でいうところの予期不安と同じだ。というかパニ症にもなったことがある。そのときは各停だろうがトイレがあろうが電車に乗るのは命懸けだった(もちろん駅まで行くのも命懸け)。
アレが襲ってくるからな。アレってのはアレとしかいいようがない。突然襲ってくる死にそうなくらいの不安と恐怖だ。まあトイレがあると少しましになるんだが。
今はほぼ完治したが、それでもトイレのない閉鎖空間に30分以上いると気持ちが悪くなってくる。
電車の場合はトラウマもあって今でも5分程度が限界だ。次の駅まで10分以上あるときは相当の覚悟が必要になる。
まず便意がなくてもトイレに行く。そこで何しても10分以上はうんこがでないことを確認。そして電車に乗るときはひたすら精神統一、無心になる。
または面白くて集中できる本を必死で読むか、ゲームをして気を紛らわす。
自分が座った目の前にジジとババが立ちやがったわけだが、始発なんだから一本遅らせれば座れるだろう?
てか、現に自分は一本遅らせて、この席を確保したわけだ。
譲れって言われたわけでもないし、譲って欲しそうにしているわけでも無いんだが、端から見るとやつはなぜ譲らんのだ?と思われるのが不愉快だ。
だから絶対に譲らない。
途中駅からジジババが乗ってきたら、そっちに譲ってやる。
同様に各停だったら余裕で座れるのに、あえて混んでいる特快なり急行に乗ってくるジジババもなんなんだろう?
そういうのに限って、変に譲ってやると最初の停車駅で降りたりして。
こっちは終点近くまで乗るってのに、早々に着席権を喪失するわけだ。
心が狭いのはわかってるが…
朝いつも通り会社に向かっていたのだが、駅を降りた時点で軽い便意があった。
駅のトイレはいっぱいだったため、徒歩10分弱の会社まで我慢する事にした。
しかし途上、急に便意が強くなるものの、コンビニにはトイレは無い、急ぎたくても走ると漏れそうという状況で、約5分、会社まで速歩き。
永遠の道程に感じたのは言うまでもない。
やっとたどり着き、角を曲がればトイレというところまで来たが、最後の刺客登場。
狭い通路をその男はゆっくり歩く。
トイレを目前にした安心感と刺客の牛歩戦術による苛立ちから俺の肛門括約筋は脆くも崩壊し、トランクスにうんこがぶちまけられた。
あー・・・間に合わなかったか・・・
生涯二度目のうん漏だ・・・
前やったのは小4だったか、小5だったか。
もうあの時の倍以上の年齢になっているというのにまたあの時の気持ちを味合わなければならないのか。
もうやだ帰りたい。
でもこのままでは帰る事すら出来ない。
どうしたらいいんだ・・・。
落ち着け、落ち着くんだ。
こういう状況では決断を遅らせる程状況が悪化していく。
まず状況を正確に把握しなければ。
トランクスはとてもじゃないが、もう履けない。
ということはトランクスを秘密裏に処分し、新しいスラックスを調達せねば。
だがどうやって?
という事はなんとかこのスラックスを履けるようにしなければ。
不幸中の幸いか、うんこが付いているのはごく狭い範囲だ。
まずはトイレットペーパーで丹念に取り除く。
今はこれが限界か。
次はトランクスの処分だ。
手洗い場の備え付けのゴミ箱に捨てるしかない。
しかし今は通勤時間帯、慎重に行かねば。
メタルギアソリッドをやってる気分だ。
俺もメタ視点が欲しいぜ。
足音がしなくなったタイミングを見計らい、そっと外に出る、誰もいない。
しかも都合の良い事に他のゴミで十分満たされている。
これなら発見される可能性は低いだろう。
とりあえず上着と荷物を席に置いてスラックスに付いたうんこ及びその臭いをなんとかしなければ。
エレベーターは臭いが充満する。
階段で行こう。
やっと自分の席に着いた。
上着と荷物を置き、再度トイレへ。
ペーパーにハンドソープを染み込ませ、うんこの付いた所を擦った。
うん漏した時に一番気をつけなければならないのは臭いである。
前回それを知らなかった自分は何喰わぬ顔で教室に戻ったら、クラスメイトに指摘されあっさりバレたという経験が活かされた。
俺はできるだけ隣の席の人から遠い位置に座り、できるだけ下半身が机の下に隠れるように背もたれに寄り掛かった。
なんだか偉そうな姿勢になってしまうが、背に腹は代えられない。
もしもっと俺の職場がお互いに気を使い合う暖かい職場だったら、こんな俺の異変に気付いて、同僚は声を掛けて来たかもしれない。
さらに言えば今俺はノーパンである。
うっかりチャックを開け放したりするようなことがあれば、ポロリとなり、即変態決定である。
しかしなんとか午前中を乗り切り昼休みに。
折しも空は雪模様、俺の恥辱を雪ぐにはうってつけの天候である。
まったく俺はラッキー。
スーパーに着くとこじんまりとした衣料品売り場があり、俺は心底ほっとした。
勘違いでは無かった、と。
スラックスをチェックしたが、ちょうど良いサイズのものが無い。
しょうがないので、大きめのものと小さめのものと両方買った。
そんな事でボロを出すわけにはいかないのだ。
どちらも今日履いて来たスラックスとは色が違うが、不機嫌な職場法則で、一々誰がどんな服を着ていたかなど誰も覚えていない。
だからそこはあまり気を使う必要は無い。
レジに向かうと店員のおばちゃんが、「お客さんいい買い物したねぇ、今日は7割引きだよ」とか言っていた。
はは、ホント今日の俺ってついてるらしいね・・・。
履いてみると小さめの方がどちらかと言うとフィットした。
後はもうこれで定時まで仕事をこなせば済む。
もはやうんこを漏らした今日という日はアンラッキーなのかラッキーなのかわからなくなっている。
だって考えてもみろ、今日の朝うんこを漏らしていた男が昼過ぎには何ごとも無かったかのように働いているのだ。
これをラッキーと言わず、何と言う。
そして定時を迎えた。
俺はかつてうんこが付いていたスラックスの入ったカバンを持ち足早に会社を出た。
やった、乗り切った。今日という日を。
しかし油断するな。
「家に帰るまでが遠足です」
そうだ、家に帰るまで油断は出来ない。
決して満員電車には乗ってはいけない。
各停で帰らなければ。
そして駅前の、いつもとは違うクリーニング屋にクリーニングを出そう。
嫁にだってバレてはいけないのだ。
なんとかクリーニングも出し、やるべき事は済んだ。
はあ・・・、それにしても今日は大変な一日だった。
なんとか乗り切れたのはもうほとんど奇跡と言って良いレベルだろう。
さっきも言ったが、ラッキーなのかアンラッキーなのかわからない。
だが人間うん漏くらいならなんとかなる。
しかもなんだか問題解決能力が上がった気がする。
これはもう本を出すしかない。
これだ、ベストセラー間違いなしだ。
こんな事人力検索かYahoo!知恵袋に書けよと言われるかもしれないが、そこで聞くとあっさりわかってしまいそうで怖い。
思い出したいけど、わからない方がいいかもしんない、なんてかなりナルシストっぽい内容なんで、増田でゆるしてくれ。
なんかのお芝居のオーディション(端役)に受かって、稽古の日々。
ある日、京阪沿線にある何かのホールに出向いてデカい舞台で練習した。
その駅がどこなのか、どのホールを使ったのか全く思い出せない。
京橋から東に向かったのは確実。準急か何か、各停でなかったのは確か。
駅は、駅前がショッピングビルに囲まれバス溜まりになってるような、それなりに発展した感じの場所。
駅前にドムドムがあったような気がする。
顔が浮かばないし、当時の名簿見ても名が思い出せない。
http://anond.hatelabo.jp/20080226210253
Bさんと久しぶりに2人で出かけることにした。
1度目は学生時代、2度目はお葬式、3度目はある町の寺社仏閣めぐり、
今回はお墓参りである。
集合場所である駅から電車に乗った。
各停しか停まらない小さな駅から歩いて15分ほどの所にお寺がある。
いつも饒舌に喋っている僕はほとんど喋れない。
ときどきBさんが話を振ってくれるのだが、まともな会話が続かない。
自分でも緊張しているのが分かる。
入って左手に20基ほどの墓標が並ぶところにAさんのお墓がある。
彼女が死ぬまで嫌っていた父親の家の墓だ。
春になるとここは桜で埋め尽くされる。
ただ、お彼岸から2週間ほど。
周りの墓には陽気でやや疲れ気味のお花が飾られていたが、
彼女の眠る場所には何もなかった。あの家族。ここに来ていないのか。
「バケツをとってくる」とBさんが離れた。
僕はAさんと1人で対面した。一年半ぶりのことだ。
目を閉じて無心で彼女の顔を思い出した。
そしてようやく言えた。「ゴメンね。一緒にいられなくて」
あの子は、いつも自分が他者にどう見られるのか。そればかり悩んでいた。
なぜ受け入れられないのか。なぜ他者とあわせられないのか。そのことに苦しんでいた。
僕は「他の人の気持ちも考えなくちゃ」を様々な表現で何度も説明した。
ロリオタである僕に小学生並みの体を提供すること。それが交換条件だった。
もう他者との関係を"モノ"で釣るしかできななくなっていた。
ずーっと彼女を助けられなかった自分を責め、後悔し続けた。
でも、彼女を想っての悩みだったはずが、途中で変わってしまった。
この子と2人でいることを想像するのが怖かった。
他者への尊敬も思いもなく、ただ自分のことしか考えられなくなった。
誰かに依存しようとした。誰かに自分を救って欲しかった。
死を選択せねばならなかった彼女と全く同じことをしていた。
Bさんがバケツに水を入れて帰ってきた。
簡単にお墓を掃除をして、僕が線香を付けた。
そしてひたすら手を合わせ続けた。
いつか彼女と会話ができることを祈り続けた。
終わって立ち上がると、そこにはBさんがいた。
「どうです?」
「うん、なんとか」
「いえいえ、自分も来たいなあと思ってたんです」
「ずーっと、ここに来るのが怖かったんだ。
今日、そしてあのとき、Bさんがいなければ
僕はどうかなっていたかもしれない。本当にありがとう」
初めて僕は他者に打ち明けることができた。
この間の心の変動を正直に告白した。
「私もそうですよ」とBさんも続けた。
彼女が抱える闇の一部分を僕に教えてくれた。
それから僕とBさんは、お墓の前で、電車の中で、
そして昼食に入った店で、とりとめもなく喋り続けた。
やっぱ、Bさん。いい子だ。
でも、躊躇いを振り切って、なんとか前へ歩こうとしている。
傍目から見たらヨタヨタはしているけど、でもやりたいことを持ち続けている
僕はそう願い続け、心の中で彼女を抱きしめた
「じゃあ」
「また」
僕らはあっさり別れた。
やがて電車の扉が閉まる。
僕が手を挙げると、彼女は微笑んだ。
僕は肝心のことを忘れている。
Bさんが好きなことを伝えていないのだ。
でも、もう少し経って、
自分で確認できたとき、電話をしてみよう。
それから半年経った。
さて、このような私的なポエムを書き連ねてきた、
その理由についても説明せねばならない。
僕の後輩で、Aさん・Bさんの先輩であるCという男の存在だ。