はてなキーワード: 北方四島とは
もしも北方領土が日本に返還(🇷🇺からしたら譲渡)されたなら、今住んでるロシア人はどうなっちゃうわけ?
ぜーいんロシア本土に送り返すなんて北方領土(ロシア連邦サハリン州大小クリル列島の一部地域)在住のロシア人からしたら理不尽な話だし、それはかつて故郷を追われた日本人が味わった痛みではないのか。あるいは以上のような倫理的な問題のほかにもそもそも人数的に無理じゃね?仮に強制移住でも補償とか払わされんじゃね?っていう現実的な問題もあるよね。
そうなると日本国籍を与えるぐらいしかおれには解決策がみつからないんだけど、その辺北方領土返還の主張をしている人たちはどう考えてるんだろ?
ちなみにおれの未来図だとロシア系日本人っていう少数民族が日本に一定数存在する状態ね。旧ロシア領(🇯🇵からしたらもともと日本領で🇷🇺が不当占拠していた土地)の地域公用語は日ロ2言語になんのかな?まあ今ウィキペ見たら北方四島合計で1万ぐらいだから在日コリアンの1/50ぐらいなんであんま影響ないのかもしれないが。
まあその辺詳しい方はご意見とかあれば教えてちょ!
http://ameblo.jp/don1110/entry-11695197467.html
2013年5月4日 東京・日比谷公会堂での講演から 五井野 正
1997年3月に、ロシアのヤリスラヴリ州立医学アカデミーで、私が末期がんの臨床実験を行なっていたことをお話しましょう。そのアカデミーの下に大学があり、そして日本でいうホスピスのような州立オンコロジー病院があります。私はその病院で糖尿病の重症患者や、発病して最終末期のエイズ患者、さらに は末期がんの人たちに、私が発明したGO Pで臨床実験をし、多くの患者を治して生還させてきました。(1997年4月1日発行『ウィッピータイムス』7号に掲載)
当然、むこうでは大きく新聞にも掲載され、テレビでも30分と1時間のドキュメンタリーが放送されましたが、日本では報じられてはいません。なぜかというと、私は某宗教団体 (創価学会) から実に40年近く、みなさんが信じられないほどの驚くほどの圧力がかけられて、さまざまな妨害や中傷を受けているからであり、しかも何度も殺されそうになったこともありました。
ですから現在においても、政党 (公明党) までも持つこの某宗教団体 (創価学会) から支配されているほとんどのマスコミからシャットアウトされているために、私が日本のため人類のためにどんなに国際的な活動をしても、日本ではそうしたことが報道されないのです。私は40年来ずっとそういう立場に置かれているのですが、日本の人々はそれを知りません。
それはたとえば、私がチェルノブイリの子供たちを助けているときにも、私を拉致するためにマフィアまで使ったのです。しかしロシアの国家サイドがそれ から必死に護ってくれたので、逆に誰の指図であるかの悪事が次々と明らかになりました。その結果、エリツィン大統領はその宗教団体 (創価学会)をオウムと同じくカルトと判断し、宗教法まで改正しました。
私の医学や芸術活動は旧ソ連邦の国々だけではなく、当然、ヨーロッパでも大反響を起こしました。南ヨーロッパの地中海に浮かぶマルタ共和国では、私を サポートしてくれているメリック博士が私の絵の展覧会を開催する前に、GOPで重病の子どもを治してしまいました。その結果、ビザが取り消しになってしま い、それを知ったガン患者の家族がその扱いに騒ぎ立ててそれが現地の新聞の1面に出たことがありました。(写真13)
というのは、 今までラトビアやロシア、ウクライナなどでは、厚生省と病院とウイッピー総合研究所で臨床実験の契約をした後に、病気の治療をしていたからです。ところが メリック博士がマルタで、悲しんでいる患者の家族に同情して思わずGOPを使ってしまったのです。しかしマルタでは、GOPを使用させてくれるようにと国民の約8%が署名し、大統領に嘆願書が出されました。(写真14) このようなことからメリック博士にビザが下り、私はマルタで、博士と一緒にマルタ国の英雄として新聞一面扱いでした。(写真15) しかしそうであるのに、空港の入国審査ではストップされて、GOPの持込も、治療も禁止されてしまいまし た。
このようなことがあるので、某宗教団体 (創価学会) のメンバーたちが厚生労働省を牛耳っているような状態の日本では、GOPがどんなに効力があっても治療として使うことができません。ですから国内の重病患者の家族からも頼み込まれていますが、どうすることもできない現状にあるわけです。ですから頼むのなら、某宗教団体 (創価学会) が私に圧力をかけないように頼んでください。
そこで薬として認可してもらうためには、旧ソ連での臨床実験では弱いために、ヨーロッパでのスタンダードな臨床実験が必要になってきます。そのためにはまず、 効力があることを証明するために細胞実験から始めなくてはなりません。ロシアやラトビア、ウクライナなどでの臨床実験データによって1999年に、デンマークのコペンハーゲン大学でGOPの細胞実験を行なうことができました。その結果、がんに効く画期的な治療薬として証明されたために、ヨーロッパのテレビやラジオで取り上げられ、スウェーデンやデンマークでは新聞一面に掲載されました。(P.81) そしてこれからが世界的にGOPの活躍がすごいことになるのですが、それは次の機会に話しましょう。
私がGOPを完成させたのは1992年頃ですが、その効能のすごさに私自身が驚いてしまいました。しかも自然薬ですから副作用というものがありません。健康体の人が常用すれば若々しくなります。しいて言うと、元気になりすぎるのが副作用とでもいえるくらいです。そこで1996年頃には難病の人を何と かしてあげたいという気持ちでいっぱいでした。そんなときにオーストラリアから私の事務所へ、「ガンを治してください」という内容のファックスが来たこと があります。そこで50万円かけて、スタッフである北村君をオーストラリアまで派遣し、GOPでガンを治したことがあります。もちろん無料です。
その後、その女性がよくなってヨーロッパに旅行に行ったとき、かつて彼女が働いていたラトビアの病院に寄ったのです。そしてその後偶然にも、その病院 とラトビアの国立科学アカデミー、それにラトビア政府とウィッピー総合研究所の合意により、幸運にも初めて臨床実験が進められることになったのです。ラト ビアの臨床実験はすぐに、驚くべき効果を出したので、それが新聞に掲載されて大騒ぎになりました。この記事では取材のときは患者は6人と記載されていまし たが、残り3人は奇跡的に病状が回復して退院してしまった後だったからです。さらにテレビでドキュメンタリー番組として放送されたので、現地では大騒ぎに なりました。(写真18)
ところが、日本の外務省に巣食っている某宗教団体 (創価学会) のメンバーがこちらで暗躍し、病院は突然に患者の要望を放り出し、GOP の臨床試験を突然中止してしまったのです。しかもそれまで我々の通訳をしていたラトビアの通訳が、ラトビア駐在の日本大使館の人間と一緒にいるところを見 かけて以来、その通訳は一方的に我々の通訳の仕事を断ってくるようになりました。
それから後の話ですが、エリツィン大統領が 1996年の9月頃に危篤状態になっていたことがありました。それでラトビアでの私のGOPの臨床実験の成果を大統領府が聞きつけ、ある日特別な使いが私のところに来ました。それというのもクレムリン病院には100人くらいの医者がいますが、エリツィンの病気は秘密になっていたようで、医者たちにもわからなかったのかもしれません。しかも状況は、「エリツィンを治すな。治すならその主治医の親を殺す」という脅迫があり、両親を殺された主治医はアメリカに逃げてしまっているという状況にありました。そんな中で私に声がかかったのです。
彼らの知りたいことは、「エリツィン大統領の病状は何か? GOPで治せるか?」ということでした。そこで私は、危篤状態にあるエリツィン大統領の病 名とその理由を手紙に書きました。すると折り返し、「エリツィン大統領を必ず治せるか? 呼んだらすぐ来られるか? 返事をして書名できるか?」とファッ クスして来たので、両方とも「イエス」と書名して送り返したのです。
モスクワに出発する前日、東京のロシア大使館で新任の駐日ロシ ア大使の就任パーティがあって参加しました。その時、前に述べた友人が新任のパノフ大使に、「五井野さんがこれからエリツィン大統領を治しに行きます」と 興奮して言ってしまったことがありました。突然なので、パノフ大使は何のことかよくわからなかったようでした。次の日、私はモスクワ行きの飛行機に乗りま した。そして飛行機がモスクワ空港に着くと、なぜか軍人が2~3人乗って来ました。すると飛行機はそのままバックしてタラップで降りることになりました。
私が立ち上がると、美しいキャビンアテンダントが私を静止させ、日本の都甲(とごう)ロシア大使が先にタラップを降りることになりましたが、下では迎 えの大使館の人たちが大声で叫んでいるのです。次に私がタラップを降りるとメリック博士が出迎えてくれて、私を一般用のバスに案内するのです。私がどうし て「VIPじゃないの?」と言うと、私のスタッフ全員がタラップを降りるのを確認すると、突然、「ドクター、急げ!」と言って、都甲大使のVIP専用車に スタッフとともに案内してくれました。
大使の専用車に私たちが乗っても、日本の大使館員たちは何も話しかけてきません。
私がエリツィン大統領の招待を受けているのに、じっと黙っているだけです。後で考えたことですが、その時、私が狙われてはいけないと言うことで大使館側の人がわざと大声を出して、大使を先に降ろさせて私の身代わりになってくれていたのかもしれません。空港の案内室に入ると大使館側の人たちはサッといな くなり、私たちは花束を持ったロシア国立芸術アカデミー副総裁と事務局長など一行の歓迎を受けました。
私がアカデミーの人たちと話 していると、私を送迎するはずのボルボがいなくなり、しばらくして再びやって来ました。メリック博士が、「長く駐車していられないので、急いであなただけ乗りなさい!」と言います。「どうして?」とモタモタしていると、またボルボはいなくなる。そんなことを何度か繰り返して、最後に私とスタッフだけを乗せ てボルボは走り出しました。ほとんど渋滞なしで突っ走りましたが、後でわかったことですが、メリック博士によるとモスクワ空港には私の安全のために40人のKGBが守っており、私が重要人物であることを知らせないために素早く乗車させたということでした。(当時はボルボの新車はVIPしか乗れなかった)
また渋滞がなかったのは、左右の道路をすべてストップさせていたからだと説明されました。しかも私たちの後ろには、替え玉のまったく同じ色のボルボがついて来ていた。泊まるホテルにも、重要人物とレストランで会う時にも、常にKGBの人たちが従業員として警備していたことも後でメリック博士から聞かさ れました。そうしてやっとエリツィン大統領にGOPが渡され、大統領は奇跡的に回復したのです。そんなことがあって、私はエリツィンに信頼され、親しく なったのです。
エリツィン大統領は「北方四島を日本と共同で芸術の島にする」と、ロシアのテレビで語った
その後 1ヶ月くらい後の1996年11月頃に、日本とロシアで日ロ国交回復40周年記念集会がありました。そのとき日ロ協会の会長の三塚大蔵大臣や外務省の東郷 次席公使、それにペンクラブ代表や日本相撲協会理事長なども出席し、私も特別ゲストとして出席しました。ロシア側は教育大臣など9名くらいが出席しまし た。私はその時にロシアの教育大臣に、北方四島返還に関する平和条約10項目の提案書を渡し、その後もちろんエリツィン大統領にも渡しました。
エリツィン大統領は、北方四島返還に関する平和条約10項目が、提案書の中で「一番最高で実現性が高い」と支持してくれました。というのもこの日に、 日本・ロシア・アメリカから300もの提案書があったのだそうです。私の北方四島返還に関する平和条約10項目の提案というのは、簡単に言うと四島にすで に住んでいる地元の人々のことを考えて、北方四島にまず日本がインフラ整備をすることでした。どうせ戻ってくるのですから、日本は10年間で1兆円かけて もいいでしょう。10年間はロシア領土のままで、10年後には日本に戻る。しかし戻ってからも10年間はロシアも使えるというものです。(1997年11 月15日『ウイッピータイムス』発行。写真19)つまり20年間かけて、北方四島に芸術の国、文化の国をつくろうという話です。
エリツィン大統領も賛成し、外務省を通じて当時の橋本首相にも知らされました。ですから外務省が知らないわけがありません。しかし日本国民には何も知らされず、コントロールされているマスコミは何も報道しなかったのです。(略)
ところが某宗教団体 (創価学会)の票と政治協力を再び自民党に呼び戻すために、暗躍した某国会議員と外務省が何度も邪魔を しました。もし私の活動が彼らによってぶち壊しさえされなければ、日本とロシアは平和条約を結び、北方四島は戻ったはずなのです。(ネットで「五井野正・ あおぽ」で検索し、『あおぽ』のホームページで五井野正博士特別寄稿の記事から”北方四島は戻るはずだった!!”の記事を開いてください)。
そのことを、当時のロシア問題の関係者で外務省筋の友人、当時の真樹会の事務局長に述べたら、「そんな重要なことが日本でニュースになっていないとはどういうことか」と驚いていました。そうしたことからもわかるように、日本のマスコミは某宗教団体 (創価学会) からアメとムチで支配されており、某宗教団体 (創価学会) の会員たちがマスコミの社員や幹部として送り込まれているだけでなく、日本の政治家や官僚など隅々まで彼らに牛耳られているという現実があります。
(日本の某宗教団体 (創価学会) の政治的妨害で、日本は境界線だけ引いてくれればいいと逆提案をして、結局、北方四島返還も日ロ平和条約も反故(ほご)になってしまったという事実は、日本のマスコミ界では今でもタブーとされています。)
book 『今、知らなければいけない重大な真実を語るメジャーな人々 Vol1』
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1275318/1293328/91560568?page=1
もう北方領土めんどくせーから択捉以外の三島は返還してもらって、3島に住んでいる人に関しては特別永住権の与えて望む人に関しては一世代に限り二重国籍を認めろ。子に関してはロシアか日本の国籍を選ばせて最悪特別永住権を与えればいい。二重国籍者が北方四島以外の日本国内に移り住む場合は基本ロシア国籍を放棄する方針にしろや。特別永住権は北方四島に住んでいる限り有効にしろ。また、永住権から帰化を犯罪歴などがない限り簡単にすべき。ついでに無料日本語教室などを開いて日本への帰化をしやすくしろや。
択捉に関してはあきらめて共同管理にしろ。共同管理めんどくせーから税金はなしにしろ。ロシアの天然ガスを択捉を経由した場合に限り関税を極端に減らすようにすればロシアが折れる。ロシアは天然ガスを売りたいからな。手土産としてサハリンの開発資金でもだせや。また択捉の公共事業に関してはロシアと日本で半々で折半しろや。言語に関してはロシア語日本語を択捉限り共用語に指定しろ。税金をなしにすることによって択捉に企業が入るから結構栄えるだろ。栄えることによってロシアは日本と手を切りにくくなる。
ついでに観光対策としてちゃんと自然を管理するようにロシアと協議しろや。開発はなるべく集積して都会と自然が並列する感じがいい。
土地に関しては半分を日本がロシアから買ってそれを売ればいい。それを日本国民に関して販売するか、以前択捉に住んでいた人に分け与えればいい。法に関しては日本が管理する場所で起きた犯罪は日本国法で、ロシアが管理している場所に関してはロシアの法で裁くようにしろ。ついでにロシアと犯罪者受け渡し条約でも結べや。ベストは期限を設けて択捉を日本に返還してもらうこと。
軍備に関してはロシアと安全協定を結んでロシアと融和の方向で進めろや。ロシアとの融和が勧めば中国に対して有利になる。
漁業権に関しては漁獲量を決めてロシアと共有するようにしろ。領海についてはあきらめろ。あと漁港に関しては最大限譲歩しろ。
安部政権はロシアとの融和を進めて中国外交に関して有利に進めていくべき。北方領土を目的にするのではなく手段として利益を得るようにしろや。ベストは四島返還で竹島に関して譲渡しなくていい状況をつくること。
韓国への制裁として、韓流禁止とかスワップ停止とか言われているが、
ソウル株式市場やウォン相場が暴落していない点を見ると、あまり効果があると思えない。
「今から2018平昌冬季五輪をボイコット宣言する」ことじゃないか?
但しこの宣言は、2020年東京五輪誘致を「諦める」という副作用を甘受しなければならない。
でも、日韓泥仕合になった時点で、2020東京五輪招致は「詰んだ」のだ。
それこそ途上国に対して、韓国資本の進出その他のエサをちらつかせて、
実弾交えての票稼ぎに走る。
尖閣の中国、北方四島のロシアにも「反東京包囲網」への参加を呼びかけるかもしれない。
IOC委員からすれば「国際紛争が顕在化した国での五輪は、なるだけ避けよう」との思惑が
働いてもおかしくない。
「戦犯の子孫である天皇が隣席する五輪には、参加ボイコットする」等の抗議をしないとも限らないので、
無用なトラブル避けるには、イスタンブール辺りにしておいた方が無難だ。
平昌冬季五輪を「道連れ」にする選択肢が、もっとも日本には有効な気がする。
固有の領土ねぇ
どこまで遡ったら「固有」なんですかね
尖閣諸島が日本に編入されてから100年ちょっとしか経ってないのに「固有」なんですか。
そもそも沖縄だって日本固有の領土とは言いがたいですよ。琉球王国はどうなる。
日本は、17世紀末、鬱陵島への渡航を禁止しましたが、竹島への渡航は禁止しませんでした。
このことからも、当時から、我が国が竹島を自国の領土だと考えていたことは明らかです。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/pdfs/pmp_10issues.pdf
って、そもそもその頃の幕府に厳密な国境線を引こうって考えがあったんですかね。
つか「固有の領土」論が通るなら樺太だって日本の領土と言えなくもない。ロシア固有の領土でもある。なら南樺太は日本に分けてくれてもいいじゃん。
でもそういう主張はしない。北方四島の領有権主張の根拠が「樺太・千島交換条約」だから。
南樺太は「交換条約」でロシア領になった後に日露戦争でぶんどった後に、太平洋戦争終戦後にそれをチャラにされたわけだが、
要は日帝が帝国主義的にぶんどった領土はナシということにされて、だから「交換条約」まで立ち戻るというわけである。
じゃあ竹島と尖閣諸島はどうなのよっていうと、尖閣諸島の閣議決定は日清戦争中だし、
竹島は、韓国併合はまだでも第一次日韓協約の後なので、戦争で直接ぶんどったわけではないにしろ、際どいところがある。
結局のところ19世紀末では、清国は尖閣諸島なんかあんまり興味なかったし、大韓帝国も竹島なんかあんまり興味なかった。
それなら、あんたら最初はこんな辺境の島なんか興味なかったのに今更何いってんの、って言えよ。
明治~昭和の帝国主義と平和裏の領有との線引きが問題なら、江戸時代のことなんかいちいち持ちだしてくんなよって思う。
なにかの寓話なのかな?って思った。
わかったぞ。
さんざん日本に北方領土支援させといて、中韓の企業誘致するロシアのことか。
「ちょっと待ってよ。生活に困っていて、明日の食事も厳しいという状況だからお金を貸したんだよ」
翻訳すると
「おいおい、日本の領土って認識だしさ、島民の生活も困るっていうから支援したんだぜ。代わりにってわけじゃないけど、ゆくゆくは返してもらうつもりだしさ。インフラ整ったし第三国の企業誘致とかやめてくれよ。」
「北方領土支援はしてもらったけど、それはそれ、これはこれ。貰った発電機で起こした電気の使い道は勝手だろ?だいたいさ、ニ島だけは返還するって内々では決まってたのに、当事者のムネオとその部下まとめてしょっ引いて、四島返還とかいいだしたろ?四島とか無理に決まってんじゃん。
お前らアメちゃんとも「普天間問題でも、政権が変われば日米合意は振り出しに戻る」とか言ってゴネてたでしょ?そういうこったよ。北方四島も振り出しだよ。」
北鮮は、六者協議参加国だけでなく、世界全体にとって、共通の害悪となりつつあり、それを討伐して無害化することに、合意は形成可能である。しかし、その無害化の形態が問題となる。
朝鮮動乱を再開させ、米軍の指揮下で南鮮軍は北進し、平壌を始めとする都市、及び、核物質関連設備を、金王朝より解放する。ただし、南鮮に北鮮全体を支える国力は無い。そこで、ロシアと中国が、金正日の長男か次男を傀儡に、南下を始める。北鮮の日本海側をロシアが、黄海側を中国が、38度線をわずかに越えて、ケソンやクムガン山周辺を南鮮が、それぞれ、新規に領有する事で、朝鮮動乱を終了させるというのが、北鮮領域だけで状況を終わらせる際の筋書きであるが、ここにおいて、
1)北方四島の返還を条件に、ロシアが北鮮の日本海側を領有する事を黙認する。
2)東シナ海の地下資源の盗掘を止め、尖閣諸島の日本所属を認める事を条件に、中国が北鮮の黄海側を領有する事を黙認する。
3)竹島の返還を条件に、南鮮が38度線を越えて北鮮側の領域を新規に領有する事を黙認する。
という、日本との領土問題を一気に解決する条件が出てくる。新規の領土獲得によって、それぞれの国内世論を沈静化させることができるので、平和的に解決できる最善の機会と言える。
つまり、これらの条件が成立しない限り、北鮮問題が解決されては困る。ただし、日本が民主党政権の間であれば、これらの条件を一切無視して勝手に始めて勝手に終わらせる事が可能であるし、北鮮がまともに爆発させられる核兵器を保有したならば、無条件でやらなければならなくなってしまうという、早期開始条件もある。
北鮮が核兵器を持たない極貧国家で直接国境を接するロシア、中国、南鮮にとって重荷以外の何物でもなく、かつ、日本とロシア、中国、南鮮との間の領土問題解決の交渉がまとまらない限りにおいては、北鮮が困った国家として存続しているというのは、日本にとっては間接的なメリットとなる。そして、一日も早い拉致問題の完全解決と、北鮮の核の完全放棄は、日朝間の共通の利益となりえるのだが、北鮮側には、そういう認識は無いだろう。
北鮮をどうするかについてまとまらないのは、六者協議参加国すべての責任である。
とりあえず、一日も早く民主党政権を潰して、まともに外交ができる政権を作らなければならないというのが、あらゆる場合を想定した時の、共通の処方箋と言えるのであった。
「北方領土で日ロ会談」を撤回=言葉の軽さ浮き彫りに-鳩山首相
「現実を考えればなかなか難しい。意気込みみたいなものを申し上げた」。鳩山由紀夫首相は18日夕、午前中に行った北海道の高橋はるみ知事らとの会談で、北方領土で日ロ首脳会談を行う案を検討する考えを示したことについて、記者団に真意をただされるとあっさり撤回した。
首相は会談では「北方四島の択捉島なり国後島で、ロシアのメドベージェフ大統領と会談できれば、それは一つの考え方だ」と言及。しかし、記者団には「大統領とそういうところで議論できたら、問題解決に向けて大きく展開するんじゃないかという思いで申し上げた」と、あくまで意気込みを語ったものだと釈明した。
主権をめぐりロシアと係争中の北方領土で、首脳会談開催が困難なのは明らか。首相はそれを承知の上で発言したことを認めた格好で、米軍普天間飛行場移設問題での発言の迷走と同様、「言葉の軽さ」が問われそうだ。 (2009/11/18-20:25)
朝令暮改もいいところじゃね。
つか、今までの威勢のいい発言とかも「とりあえず思いつきで言ってみただけ」程度のやつが結構あったんじゃねえのと思えてくるな。
一番に思い浮かんだのが、
スラブ人だろうが漢人だろうが朝鮮人だろうが、誰が操作しても動く港湾設備がある港が山ほどあるし、
地政学のこともあるし…。
あ、あと
日本が攻めていってどっかを占領して維持するコストは無茶苦茶高く危険につくんだけど、
外国が日本に攻めてきて維持するコストはべらぼうに安くて安全。
北方四島、竹島、ガス田、みんな日本が軽くあしらわれているし、アメリカもなんもしてくれない。
尖閣列島は日本が実効支配しているが、中国がその気になったらあっという間に占領されてしまう。
前回↓が途中で切れたため、その段落から改めてつづきを貼ります。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
「ホームページに載っている」と、また典拠をあいまいになさっていますね。アクセス日時を明記して、該当のURLを示すことも論文のルールとして確立しています。典拠となる論文の題名も該当ページも省略されていますが明記するのが普通です。先行研究の要約と著者の意見の区別がつかないのも問題です。先行研究の要約にオリジナリティはありません。先行研究について論じたいのであれば別でしょうが、先行研究を手がかりに、何かを主張したいのであれば、引用でも注でも根拠となる史料(この場合は「機密資料」)の該当部分を明記するのが論文のルールです。ちなみに孫引きは基本的にしてはいけません。原典にあたらずに引用元の編集が正確であるとは言えないからです。つまり、読む側からすると、根拠が示されていないがために、その主張を認めることはできません(学問のルールにおいては、主張する側に立証責任があります)。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
繰り返しますが、根拠のない推測は論文の中では無価値です。さて、戦った結果、無条件降伏して占領(=支配)されました。その後、戦争をせずとも、サンフランシスコ講和条約を結んで独立できましたし、奄美諸島も小笠原諸島も沖縄も返還されました。
さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。
しつこく繰り返しますが、風が吹けば桶屋が儲かる式の主張に説得力はありません。「国家間の問題も話し合いによって解決」とのことですが、イラク戦争やグルジア戦争は話し合いではありません。「百年、2百年」の根拠も示されていません。「人種平等」を推進した国際連合を結成したのは、勝った「強者」の国々でした。
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返
また、「・・・・・・という人」、さらに「・・・・・・と思っているのであろう」ですが、藁人形を叩いても論文に説得力は生まれません。論文で心情の吐露をしても説得力は増しません。私の立場を表明しておきますが、人の生を無益だとする考え方には賛同しないことと、批判的検討を行うことは両立すると考えています。
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。
自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。
国を主語にしたのですから、そのように表明している公式見解くらい示してください。個々の語りについても、他者が参照できる形で提示されないものは論拠になりません。最後まで「侵略」の定義がなされないままでしたね。
戦時中のアジア諸国と日本との関わりについては以下の諸論文を参照。
吉川利治「タイ国ピブーン政権と太平洋戦争」『東南アジア研究』19(4)、1982年、363-387ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/56071/1/KJ00000133800.pdf
大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、347-377ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf
中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、149-217ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf
黒田展之・小林裕一郎「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(1)」『法と政治(関西学院大学)』49(2/3)、1998年、327-337ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0001061933
同「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(2・完)」『法と政治(関西学院大学)』49(4)、1998年、575-614ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0000592111
谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、361-398ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870
日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。
「事実を丹念に」見せるのが実証的研究です。この「論文」はそうではありません。
「嘘やねつ造は全く必要がない」心の底から同意します。
以上、お目汚し失礼しました。もっと勉強しなければ……
(追記)日本の新聞記事へのリンクを貼り忘れていたので追加します。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html