はてなキーワード: 中二病とは
うーん、中二病引きずってるの?
単に、このまま逮捕者が出るまで動かないで警察が動いて初めて処置する、
っていう所まで行っちゃって失敗してるものなんていくらでもあるじゃん?
通常は、そうならないように対策取るものだけど?ウェブサービスじゃなくたってなんだってそうじゃん?
どういう中二病?
中二病 かぁ おもしろいこというなぁ たしかに 中学2年 は ほかのやつら が 「ばか」 だったから やかましいけど おれ自身 は かなり すごしやすかった よ
ほかに 多動 が ある と それ 避ける だけ で 済む
中二病 と いう 造語 も そうだけど。 なにか の 逆恨み なんだろうね。
25年経過すれば 25年経過した わけ だから 25年経過したなり に 25年経過している わけ だ。
ことわることわらない でも そう。 ことわりかた を 2種類 用意 しておいて。ひとつスルーさせておく。 結局 どっち に 意思表示しても 「ことわってるわけだから」 ことわってるよね。
じじつ 「ことわってる」んだから ことわってる よね。
じつは ここ40年 わたし以外の多くの人たちが多数がゆえにしでかす類の大失敗を犯した んだけど なんと 弁明してよいのか わからない んだろうね。
かんたんにいえば 「おせっかい」「一般家庭と商店はことなる」という類 なんだけどね。
あからさまにいいはしないけど サラリーマン世帯 が まず 結婚のことを考えることは 「ない」 あきらかに 御商店 から 結婚 が どうのこうの というはなし が きこえる
私自身にまったくそのきがなかった から すごく「みみざわり」なんだよね。 父親 の 職業 が 月給とり なのか 自営 なのか 本人はだまっているけど はっきりわかることがある。「結婚に関する話」 結婚の話 が えらく邪魔だ と いう気になれるなら かなり はっきり 「わかる」
おまえらどこまでも「さかさ」だよね。 おれには結婚するやつら が 「ばか」にみえてしかたがない 当時テレビバラエティ で そんなこといってた番組 が あったでしょう
まず 「結婚」 ということば が 出た時点 で 同性 から 邪険 に されてる のに まったくきがついていない ひとたち が いる。 おもしろい 傾向 だな。
この程度 の はなし なら あっさり 被害 と して 届いてしまう。
早合点 早とちり 妄想癖
「もうライトノベルは読みたくない。読むことに疲れたし、肝臓も壊した。おまけに会社も辞めることにしました」
そう語るAさん(40代)は、元人気ラノベ系ブロガーだ。かつては毎日本屋に行き、年間500冊を読み込んでいていたことも。そしてラノベオタクの間でも一目置かれていた存在だった。しかし、あることをきっかけに精神的不調に陥り、うつ病と診断され、現在は務めていたIT系の会社を休職中だという。
「会社の飲み会の席で『Aさんってライトノベルに詳しいんですよね』と女の子たちに聞かれて、僕のおすすめを教えてあげたんです。最近のトレンド、作者の人柄、コスパに優れたシリーズ作品など様々な側面を考慮して、女子にも受けのいい作品をです。またゼロ年代からのライトノベルのニューウェーブ系(セカイ系・現代異能)の歴史もわかりやすく教えてあげた。知り合いの編集者に僕の紹介だと言えばサイン入りの献本ぐらいオマケしてくれるんじゃないかとも言いました」
Aさんにそんな話を聞いてきたのは会社の20代の女性社員3人だった。だが翌日、会社のランチルームに入ろうとした時、彼女たちがAさんの話をしていたという。
「酷いことを言っていたんですよ。『ライトノベルぐらいであんなに得意になれるって終わってる』『彼女もいないし、二次元と結婚したんじゃないの』『息が中二病とTRPGの臭いがする』なんて。その場には僕の後輩の男性社員たちもいたみたいで、みんな笑っていた。その日は会社を早退して、家に帰ったらめまいがして」(Aさん)
電話取材を行っていると、この話をしているうちにAさんは嗚咽をもらしはじめた。電撃文庫も全冊制覇するなどライトノベルに尽くし、恋愛、友人、仕事(休日の出勤も読み漁るために断っていた)を犠牲にしてきただけに、周囲の心ない言葉が響いたようだ。
「ライトノベルは結局、僕になにも与えてくれなかったんです」(Aさん)
こういう事例はAさんにとどまらない、筆者がかつて取材協力をお願いしていたあるラノベ系ブロガーは、他のブロガーたちと競うことに疲れ、彼は現在ラノベを読むと吐いてしまうという程精神不安定になっている。またもう一人は、知り合いだったレーベルの編集者から『経営にまで口を出すのはやめてください。もうウザいからこないでください』と言われたことを機に、過食に陥って、もともと80キロだった体重が現在は120キロになっている。彼は現在外出恐怖症だと言っており、家で「小説家になろう」を大量に読み漁り、健康状態も心配だ。
90年代後半から2000年代前半にかけて、多くのラノベ系ブロガーたちが生まれ、ライトノベルを読むことに情熱を燃やしてきた。彼らの多くはライトノベルを読み漁ることをステータスにしてきたから、読み漁り過ぎて身体を壊すのはわかるが、まさか心まで壊してしまうとは。まあ、ライトノベルには罪はないのだが。
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> 文部科学省の有識者会議「道徳教育の充実に関する懇談会」(座長、鳥居泰彦・慶応義塾学事顧問)は11日、小中学校の道徳の教科化に向けた報告案を公表した。「特別の教科 道徳」(仮称)という新たな枠組みとして格上げし、確実な実施を促す。正規の教科のように数値や段階では成績を付けず、記述式の評価にする。2015年度にも開始される見通しだが、来年度は先行して文科省作成の副教材「心のノート」の改定版を活用。将来的には検定教科書も導入する。
http://mainichi.jp/select/news/20131111k0000e040114000c.html
あらま。どうなんでしょうかね? 小中学生に各々の見解を即しても だな。 あなたたちがいうところの「中二病」だったりする よ ね
それよりも 本人が本人に関して「そうではない」と 否定 している ことがら に しつこい 独特のいいまわし が 問題 だよね
合理的思考で慣習や習慣を洗いなおすというのは
批判されるようなことではない。
よくよく考えて「いただきます」が不要という結論が出たなら思考した価値がある。
けれども元増田のは思考ごっこであって、まるっきり掘り下げが足りない。
一体誰に向かって言ってるの?
食事を作ってくれた人への感謝の気持ちならわかる。
だったら作ってくれた人のほうを向いて「ありがとう」っていうのが正しいよね。俺はそうしてる。
例えばその「作ってくれた人」とは誰なのか。
経済の話が好きなようなので、仮に家庭内ではなくすき屋での話だとする。
目の前に運ばれた一杯の牛丼は
仕込みをした人と調理した人と盛り付けをした人と配膳した人が別だ。
更にはメニューを開発した人や食材を仕入れた人や食材を運んだ人、お百姓さん…までが背後にいる。全員宗教と無関係に実在する。
全員だろうか?中の数人だけだろうか。
除外・選別の理由は何だろうか?
きちんと考えつくしているように見えない。
対価を支払って購入した牛丼の筈。
合理的に考えると、誰はばからずにふんぞり返ってかき込んでもよいのではないか?
そうではなく、サービスを受ける時は貨幣的対価を支払う以外に感謝の気持ちが必要なのだろうか?
それは何故?
なぜ直接的な感謝(あいまいな表現だ…)が優先されるべきなのだろうか?
末端にだけ優先的に感謝をするべき理由は?
どの論点も全く掘り進められていない。
自分の狭い視野と貧しい知識でパッと気付ける部分だけを疑い、論理的な発展は全く無い。
ということは、頭の良し悪しもあるにせよ、根本的にはまじめさが足りない。
更に、実はこの程度の話は全て過去に検討されていることも知らない。
同じ論点が先人達によって元増田の幼稚なポエムでは足元にも及ばないほど掘り尽くされているのを知らない。
これも結局、本気で考えよう答えに辿り付こうという真剣さの欠如の表れ。
怠け者の馬鹿が「特別な存在である自分」になりたいなら暴走族が一番迷惑が少ない。
中学の頃好きだった男の子がくれたMDに、BoaのDuvetが入っていた。
そのことは5~6年近く忘れていたんだけど、最近アニメのLainを観る機会があって、ああこの曲だったんだ、ってことに気付いた。
当時は、ちょっとは中二病入ってたんだろう。でも、彼はアニメ第一話の冒頭と同じ死に方をしたので、あまりシャレにならない感じ。
彼が死んでからアニメを観たら、なんか納得した。なにが、とは言えないけど、なんか。
久々にDuvetを聞いたらふと思い出したので書いておく。
アニメ、面白かったから、あれに似たアニメがあったら教えてほしいです。
彼ほど好きだった人はいなかったから、あれほどの気持ちが持てないなら恋はしなくていいやと思っていたけど、
好きな人ができて、それなりに片思い期間も長く、今はその人と付き合ってる。
おかげで恋愛経験がないから、いろいろ面倒なこともあるけど、好きだから概ねオッケー。
それにしても、当時は彼のほうが大人だった。私は子供だったから、変なアプローチしかできなかった。馬鹿だったなぁ。
死んだ人のことは、もう忘れたいような気もするけど、まだ、たまに思い出してしまう。
とか書いてたら、いま付き合っている人から連絡がきた。返信しよう。
http://partner.hatena.ne.jp/setsuyaquest
でホッテントリに上がってくるブログのことごとくが見るに耐えないと感じてしまう。
それでも下痢腹きのことか、カレーがぜいたく品とか「いやその行為で溜まる心的肉体的ストレスと、将来上げられるであろう年収と、天秤つりあってなくね」とか思う。(スーツのやつにいたってはもはや節約じゃなくてただの中二病)
保険見直しの解説テキストを作ったりしてたので、ファイナンシャルプラン()については一般人よりは知ってるつもりだけど「家賃下げろ」「年収上げろ」「公的補助は使え」くらいが最適解なんじゃねーの。欲しいものがあったら適切な銀行に借金しろよ。
誰もが他人の言うことにいちいち苛立ったり攻撃的になったりしている気がする。
気に入らないものを排除しようとする言動は、これらの自由権を侵害するものであり、文明人とはかけ離れた動物的な行いだ!
自由権同士が衝突する場面では、法によって互いの妥協点をみつけるべきである!
どうだ!心が穏やかになった!
ちなみに、この自由権に反対する自由とかはない!
中学生の時クラスにホモを公言していたウザ気持ち悪いお調子者がいた。
幾人かの男子を格好いい、好きだと発言し、不特定多数の男のケツをさわったり、急に抱きついたりすることを趣味とする男だった。
彼はその言動故にカースト最下層に位置する人間で、クラスの大多数から敬遠されていた。
ただお調子者なキャラが功を奏したのか直接的な虐めの被害者ではなかった。
(牧歌的な中学校の超平和な学年だったおかげもあるかもしれない)
クラスに絶対いる絡みづらい変わり者の一人として排斥されず一応クラスの環の中には入っていたように思う。
しかし彼が好きだと公言した数人の男子からはウジ虫の如く嫌われていた。
まさしく「ゲロ吐きそうなくらい気持ち悪い」と口をそろえて言っていたのを覚えている。
幾人かは直接的な攻撃手段を持って彼に接していた。
彼の性的対象として公言されなかった人間は、違和感を覚えつつも彼をクラスの一員として扱い、
実際のところかれのセクシャリティが本当に同性愛だったのかはわからない。
今考えると中二病を変な形にこじらせただけだったようにも思う。
俺はアラサーで自他共に認める中二病だけど、年収は600万くらいはある。
私は、頭のスペックは決して低くないとは思うのだが、低収入に甘んじているのは、認めたくないが集団生活がぜんぜんできないからだ。特に日本のネチネチした体質の組織はダメ。
誤解してほしくはないが、べつに私はどもって人と話せないわけではない。ルックスだってごく普通で、普通以上に愉快に人と会話をかわすことはできる。だけど「組織の論理」にはまったくついていけない。だから、一つの組織に長く属することができず、いつもアルバイトとかフリーランスとか、組織の周縁でひっそり仕事をすることしかできない。ダウンジャケットの表面にかろうじて引っかかった羽毛みたいに。
思えば、兆候はあった。私は小中高大と学校というものがまるで苦手だった。学校を卒業して心からほっとしたものだ。いまになってみると、成績が悪くても学校で楽しくやれた連中のほうが社会に適応してまっとうに暮らしているよね。ほんと、学生時代の成績なんて長い人生の中じゃさして重要なものじゃない。
とはいえ、いまさら学校時代のリア充みたいに、本音と建前を使い分けて、複雑な組織の中を泳ぎ回るなんて無理だよなあ。たぶん、その方向で努力しても実を結ばないと思う。人間って、苦手な分野をややましにすることはできても、得意にするのはほぼ不可能。人それぞれ得意不得意があるからね。
私は別に死にたいとは思わないから、生きていく上で自分のメシの種だけはなんとかしなければならない。だから、これからもフリーランスとして、少しでも収入を増やす努力をしていくしかないんだろうな。たとえ、やるのが組織の狭間で生み出されたつまらない半端仕事だとしても。自己欺瞞かもしれないが、そこにわずかな面白味を見つけて耐えていくしかないんだろう。
私のような孤立系の人間には、かえって組織の問題がよく見えたりするので、ますます半端仕事の無意味さに虚しさが募ったりもするが…。仕事は仕事。カネを稼ぐ手段と割り切るしかあるまい。
「中二病」かもしれないが、これも個性と思って、人様に迷惑をかけないよう、なんとか苦しさの少ない道を選び取っていくしかないのだろうな。やれやれ。面倒だがこんな自分とこれからも付き合っていこう。
「こういった背景も知らないで、一知半解の知識をふりかざして“「日食」は代用表記だ”みたいなことを書いてしまうというのは恥ずかしいですね。」
などとドヤ顔している割には、あなたも仮借や省字のような初歩的な漢文に関わる知識がごっそり欠落しているのが丸わかりなあたりがとても残念な感じですよね。
そのあたりの知識があれば、漢字に意符が付け加えられていった具体的な背景や必然、意符や字画が少ない字に正当性を認めることへの躊躇も含めたうえで、より公正な主張が可能になったでしょうに。
日食月食について、それが現代に為された代用表記ではないから正しく日蝕と書けといったような指摘が的外れだという主張そのものは正しいでしょうが、かといって現代国語において字義が明確に分化されたあとの「志」やら「然」やら「斤」やらを「誌」や「燃」や「近」として使うのを古籍の用例を引きずりだしてきて「このように書いても過去の用例に鑑みれば間違いではないのだ!」などと正当化するような真似もまた、エアロパーツ好きのDQNとベクトルが逆に向いてるオタクが中二病をこじらせたままというだけで、いずれも自身の稚拙さをさらけ出してることには変わりはないはないのではないでしょうかね。
それこそ”一知半解の知識をふりかざして”青空文庫のコピペや古書のスキャン画像並べただけでクソとミソの区別もつけられないまま、汚名挽回や的を得るは間違いではないのだなんて詭弁そのものの論陣張りたがる知識人気取りのお子様をたまに見かけますけど、知識のない他者に対し優越感を得たいが為に学問かじってるのでなければ、その分野の研究者の編纂にかかる概説書やそれがなければ重要論文の内容を地道に読み込むところから始めたいものですね。
あなたが挙げてるような素人でも無理なく読めるよう専門的な部分がざっくり端折られた一般書ばかり読み散らかして、基礎的あるいは体系的な知識も持たないままネットに転がってるデータベースに検索かけて都合の良い箇所だけ適当に抜き書きしてるだけでは、いつまで経ってもあなたが見下してるつもりの半可通の領域から抜け出られませんよ。
お前が何歳かは知らんが、はよ中二病治せよ