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はてなキーワード: トロッコ問題とは

2023-08-22

自殺願望誹謗中傷トロッコ問題

中一の春休み初心者なりに1年続けた剣道部活で少し距離のある高校稽古に行く事になった。

高校生に向けて作られた練習メニューは、いつもこなしている内容とはあまりにも違って、1年生の私はまともについていけなかった。

女子男子より多少易しいトレーニングをさせられたけれど、息が続かず呼吸も苦しかった。

高校側の顧問先生ゲストこちらに優しい印象で、休むことも許可してくれていたように思う。

1人体調を崩し途中で見学者が出たけれど、私は精一杯頑張らなければ、と思って全力で掛け声を叫びながら道場の端から端までを一息でかけた。無理をしたのか過呼吸状態になり、私は先輩達の稽古の後ろで呼吸が収まらないのと、厳しい指導言葉に涙が止まらなくなって嗚咽のまじった声で醜く泣いていた。

高校先生と生徒の前で私が子供のように泣いているのが不名誉だったのか、恥ずかしかったのか、何かそういうプライドみたいなものを気にしながら「泣いても誰も助けてくれると思うなよ(だったか、助けてくれへんぞ、だったか、とにかくその時の景色だけは鮮明に思い出せる)」

と、皆の前で私に言った。

床に座り込んでいた私の視界に見える道場仏教的な絵と、冷たい床と見下ろしていた顧問風景が、今もそこにいるかのように蘇ってくる。

泣いてもなんにも解決しないよ。

昔似たようなことを祖母に言われたことがあるけど。

その時とはニュアンスがまるで違っていて、

醜くて、上手く呼吸が出来ない弱い私を恥じるかのように。

帰りたい。

家に帰ってからも、その言葉が口癖になった。

自分けがあの冷たい道場に取り残されたまま。今もまだ、あの時の13歳の私は帰れないでいる。

退部を決めた私は、先輩に挨拶を、と思って一人一人にお礼を言って終わった帰り道、「何か俺に言うことないんか」と、ひとこと。

ありがとうございました。

逃げるように顧問を背にした途端に涙が溢れて止まらなかった。

顧問戒告処分を受けたことをきっかけに、ネットニュースに載り、誹謗中傷も受けた。

メンタルが弱すぎる、この先の人生生きていけない。親が甘やかしたから。など

何度も死のうと思ったけれど、低い天井と、首に絡まった電気コード自分の血の流れを止めていく感覚と、息苦しさでいつもやめてしまった。本当に死ぬ勇気なんかなかったのだろうけど。

リストカットで傷が残るのは何かのアピールのように思われる気がして、耐えられない時は自分の髪の毛を酷い時は坊主みたいになるまで切った時もあった。

昔は見ていた学校先生からいかけられ、決まって窓から飛び降り悪夢や、つらいフラッシュバック体験の頻度も減ったけれど、些細なきっかけで思い出すことがある。

私は価値がない人間だ、この先頑張っても、きっとネットコメントが言っていたみたいに、弱いメンタルのせいで挫けるのかもしれない。

前と比べて前には勧めているけど、きっとそうに違いない。

コメントひとつに、

しろ弱い子供不登校学校来ない方が周りの子先生は助かるかも。

という書き込みがあった。

さっき、Twitter話題になっていたトロッコ問題のことが頭によぎった。

このまま何もしなければ5人死ぬ

たけど、私がレバー操作して5人を助けたら。

その人達の生き残った先の人生は。

1人の命と引き換えに自分が生きていると知ったら、亡くなった1人の家族と、恋人と、友人の気持ちは。毎日苦しくて、その瞬間がいつも鮮明に思い浮かんでくるんだろうか。

トロッコで生き残っても、その後死んでしまったら意味が無い。

耐え難い悲しみが押し寄せてきても、それでも生きないといけない。

はいつか死ぬ最後に信じられるのは自分だけ。どんなに苦しくても、辛くても、自分で生きる道を探していかないといけない。

私はどんな立場になっても、たった今トロッコに立たされている誰かにそっと寄り添ってあげられるような、そんな選択ができる大人になりたい。

余談

1年生の女子部員は私だけで、団体戦レギュラーの人数が足りないので、私に期待がかけられすぎていました。

試合に負けると怒られるので、剣道の楽しさがどんどん分からなくなっていきました。

部活勉強の両立の部分でも、勉強を優先するとよく怒鳴られました。退部をきめた先輩を部員で囲わせ、辞めないように説得させ、逃れたくて窓から飛び降りようとした先輩もいました。同級生部活をやめようとしていた時、「剣道部より○○部が楽やから辞めたいんやろ」と怒鳴りつけていました。

みんなおかしいと思っていました。

から教育委員会も動いてくれたんだと思います兵庫県は内心がとても受験に響くので、部活を辞めたら行きたい高校に行けなくなるのではという気持ちがあり、やめられませんでした。先輩はみんな、優くていい人たちでした。

私の母がネットニュース記事を売ったなんてことは絶対にありません。記事の削除に動いてくれたのも、辛い時寄り添ってくれたのも母や家族です。恵まれ環境にいることを感謝しながら、これからたくさんの人との出会いを大切にして、人として成長していきたいです。

2023-08-11

アスリート子供産んでほしい

系の言葉ってどういう気持ちで言ってるんだろう

アスリートに限らんけども

「AのプロとBのプロを交配したらどういう特性人間ができるのか?」みたいな、実験結果知りたい的な気持ちならわかるけど

そういうのはトロッコ問題みたいなもんで倫理感や現実での実行とは切り離して考えるものから、生身の人間に言うのはよく分からない

(まあモラルが足りないだけかもだけど)

そしてそれより意味不明なのは子どもが素晴らしい人生を歩めるに違いない!(から産むべき)」「未来の宝!(になるから産むべき)」系のやつ

同じ道を辿ってほしい、応援したい!ってことなのかもだけど、親と同じ能力があるとは限らないのに…。

単純に優生思想なのかもしれないけど、優生思想の目指すところというか対象ってマクロで見た結果論から、運要素が強い一個人(しかもまだ産んでもないし作る意思確認してない)に求めるのはズレてる気がするし

(「環境が整っていない奴は産むな」系は悪い結果を危惧しないといけないか優生思想を持ち出して慎重になる気持ちはわかるけど、「あなた絶対良い結果になるから!子作りGOGO!」ってのはそもそも保証できないし違うくない?って話

できるだけ確率高いガチャ他人のでも回したい!ってこと?)

発言自由だし実行権はない(と信じていたい)けど、発言自身メリットもないのに他人になんで望むのかな〜という疑問

2023-07-30

ジョジョ比較するとマイケル・サンデルってマジで薄っぺらいな

ジョジョ物語って「トロッコで誰かが犠牲になる!?それなら俺達が犠牲になる!」と考えて我先に身を投げ出せる男達が「だが、俺達が助かる道もあるかも知れねえ!諦めるな!」と立ち向かうという大筋じゃないですか。

覚悟を決めた先に諦観見出して終わるのではなく、覚悟を決める決めないを終わらせた先にある「覚悟を決めたことで広がった視野に映る可能性」を追いかけていく。

それに比べるとサンデルってペラペラだなって。

自分の手を汚せますか?保身のために見殺しにする?」で終わり。

ジョジョは違う。

一般人一人を守るために仲間達みんなが犠牲になろうとする。

でも最高の仲間達は「もう終わりだね。最後にいいことしたなー」で諦めない。

トロッコを切り替えて満足してるだけの眠れる奴隷ではない。

サンデルはあーだこーだ言ってるけど眠れる奴隷なんだよね。

トロッコ問題も「いい感じにトロッコ脱線させます」とか言えない雰囲気がある。

とにかく誰か殺したがってばかり。

人殺したらなんか高尚になると思ってんやろね。

俺も中二の頃そんな小説ネット投稿して「ウッヒョー俺って現実が見えてるー」みたいにイキってたわ。

サンデルが「正義」の代表格のアメリカって本当幼いと思う。

所詮アメコミの国だね。

日本の娯楽界が100年前に通り過ぎた道をいい大人がまだちんたら歩いてら。

2023-07-13

老人を見捨てるか、若者を見捨てるかのトロッコ問題

無事若者が捨てられましたとさ

老人を見捨てるか、若者を見捨てるかのトロッコ問題

無事若者が捨てられましたとさ

2023-07-12

トロッコ問題

暴走したトロッコが走る線路の先にはAがあり、それ以前に走路を切り替えれば分岐先にBがあります

あなたは走路を切り替えれる位置にいて、操作可能であるため、Aが轢かれるかBが轢かれるか選ぶことができます

では以下の場合あなたはどちらが轢かれる方を選びますか?

問1

A人間 Bかぼちゃ

問2

Aかぼちゃ Bすいか

問3

Aハンバーガー Bハンバーグ

問4

A牛丼 Bおにぎり





どう?

全部Bになった?

トロッコ問題

どっちを轢き殺しても俺の鬱病は治らないんだろうな

2023-07-11

anond:20230711183631

うん、それならそれでいいの

一見同じもの比較をしているようで、状況やらなんやらで判断が変わるよね、それはどこから来るものなのか、という話なら分かる

元の話は、単に豚とキャベツどっちが大事みたいな単純化しすぎた話をしているから違うでしょって言ってるの

比較したいなら好きにすればいいけど、トロッコ問題持ち出すなって話

anond:20230711191219

(A)

(B)

キャベツ

(C)

「ここから上は殺してはいけない」の線をABCのどこに引くかっていう話で、Cだ(或いはAかCのどちらかしか認めない!)という主張に反論したいんだよね?

トロッコ問題の例えは豚がキャベツより上だと言ってるだけで、Cに線を引くのはおかしいという結論は導かないのでは?

根本的なヴィーガンの是非みたいな話には興味ないけど

ヴィーガンってぶっちゃけ最も倫理的だよなパート2

俺たちはヴィーガニズムへの反論として、動物植物は同じ生き物だという主張をよくするし、前回のブコメの上位にも来てた

けど、これもたった一つの思考実験論破出来るんだよな

お前らが大好きなトロッコ問題

壊れたトロッコの行き先の片方には豚、もう片方にはキャベツが置いてあり、どちらかを犠牲にすることでどちらかは救われてる

この時お前らはどちらを救う?

これを突き付けるだけで、非ヴィーガンは黙るしかない

実際お前らも豚を救うだろ?確かに豚もキャベツも大きな意味で同じ生き物だけど、同じ命ではないか

言ってる意味分かる?

2023-07-08

anond:20230707171914

トロッコ問題問題作成者をぶん殴って全員助けるみたいなもんだろ

悪魔との契約は踏み倒してナンボよ

2023-07-03

水星魔女 最終回を観た感想

みんな無事で大団円、というのも悪くなかった。

直感動したし。

でも違和感がどうしても拭えない。

というのも一期の最後スレッタがミオリネを救うためにエアリアルで敵兵をぐちゃっと潰したあのシーン。

あれが示す意味最後には無視したように感じられたからだ。

進めば二つ。

一期ではそれが絶対的に正しいのだとスレッタは妄信し、二期では進んで失うこともあることを知る。

そして一期の最後におけるあのトマトシーン、敵兵を殺すことでミオリネを助けたあのシーンが描いていたのは簡単に言ってしまえばトロッコ問題だ。

進めば二つ得られる。

しかしそれが正しいのだとすれば、では二人が同じ方向に進めばどうなるのか?

世界が有限である限り、一方だけが多くを得られるのは必然だ。

そうして一方だけが多くの益を得ており、それによって格差が生じ、その問題が表面化していたのが地球での暴動であり、アーシアンスペーシアンの対立となっていた。

まりこの作品テーゼとしては「現実ではどちらか一方しかとることができない」という所謂トロッコ問題存在しており、それを「進めば二つ」という教訓の誤りを指摘する形で提示するように思われた(少なくとも2期の終盤までを見る限りでは)。

けれど最後、蓋を開けてみればスレッタが大きく進んだ結果みんなが助かり、誰も死ぬことなく、三年後の元気な姿が描かれる。

その間には地球での紛争で多くの人が亡くなったであろうことがなかったことのようにして。

要するに作品としてのブレを最後に感じてしまった。

スレッタは自らの意思で大きく進んだ結果、二つ以上の、たくさんのものを得ることができた。

物語としてはハッピーエンドでとても良かったと思う。

でも作品として見た場合、”ガンダム”として考えた場合、この終わり方で良かったと言えるのだろうか?

あと最後の、”一方的な力で場を制圧して解決する”という構図。

これは虐げられる地球側のことを描いた上でこの描写意図的にしているのであれば、それこそ実に皮肉であるのでガンダムらしい最後であるとは言えるのかもしれない。

2023-06-15

トロッコ問題をまだ勘違いしてる奴いるんだな

トロッコ問題本質

自分意志で殺す人間を選ぶことができるかどうか」

という話であって

社会的地位が高い人間を生かすべきかどうか」

という話ではない。

 

西野七瀬とブスを並べてトロッコ問題でどっちを助ける?w

とかバカみたいな話をしてるけど

 

「今お前が乗っているトロッコ線路の先には誰がいるのか」

 

という設問自体が一番大事

その上で

自身意思ポイントを切り替えて別の人間を殺すことを選ぶのか」

「なにもせずに人を見殺しにするのか」

選択を行うことに意味がある

 

トロッコ問題西野七瀬とブスを選ばせるんだとしたら

 

お前の乗っているトロッコ線路の先に西野七瀬が寝ている。

トロッコブレーキが壊れていて止まらない。

このまま直進すると西野七瀬死ぬ

線路の切り替えポイントがありそのポイント操作するとブスが寝ている線路に切り替えることができる。

切り替えた場合ブスは死ぬ

あなたポイントを切り替えてブスを殺しますか、それともなにもせず西野七瀬を見殺しにしますか。

 

という設問が必要

トロッコブレーキの不調もその先に西野七瀬がいることもお前には何の過誤もない。

そのまま西野七瀬が死んでも責められるべき部分はない。

ただし、ポイントを切り替えた場合それは明白にお前の意思だ。

 

それでもお前はポイントを切り替えてブスを殺しますか。どうしますか。

 

というのがトロッコ問題本質

大谷弱者男性500人とか西野七瀬とブスとか定期的に「価値がある方を生かすよなw」って

文脈で使われることが多いけどそれってトロッコ問題本質じゃないから。

2023-05-31

anond:20230530223213

人間の行なうことすべて、および、人間の行なわないことすべてに倫理的責任がある

倫理学者は言う。トロッコ問題などを出して責任を徹底的に追及する。

2023-05-30

トロッコ問題女性へのAED問題

・お前が救護しなかったせいで娘が死にました、と若い女の死の責任を背負わされる、ただし法的な責任は問われない。

痴漢として有罪になり仕事社会的には厳しくなる、ただし自分の行動のせいでひとりの人間の命を救え、自分家族くらいはそれを理解し誇ってくれる。

さあどっちを選ぶ?

2023-05-19

クリエイター無罪論


最近の「クリエイター作品は別」という風潮に違和感を覚えているのでぶち撒ける。作品だけじゃなくてクリエイターも守らなきゃならんだろ、と。

消えたクリエイター

俺にはイラストレーター友達がいる。彼を仮にAと呼ぶ。

俺とAは大学サークル時代から友達だ。

Aはサークルでも頭一つ、いや二つも三つも抜きん出ていたが、ツイッターでもPIXIVでもどんどんフォロワー数は増えていった。

からAが就活をせず、イラストレーターとして食べると宣言した時は誰も心配や反対なんてせず、むしろ当然だと思った。

卒業後もTwitterで常時繋がってたが、同人誌即売会リアル同窓会になり、会うたびにAの絵の上達や仕事を讃えた。

Aも新刊を出すたびにサインイラストを描いてくれた。

ある時、AのTwitter更新が止まった。

夏になっても毎年恒例の新刊案内も出さず、もちろん当日スペースに行っても誰も座っていない。

失踪したのだ。

でも、俺はこの時大して心配していなかった。

おおかたAのことだからどこかの企業から声がかかって商業作品に関わっているだけだろうと思った。

そういう話をAに会った時に聞いていたからだ。

でもその年の冬、翌年の夏も、Aは申し込みすらしなかったようでどこにも見つけられなかった。

さすがにこの頃には心配になったが、俺にも仕事があるからプライベートでAを探すなんてことはしなかった。

ある日、元サークル仲間のBとfpsをしていた時、突然Aのことを思い出して「そういえばAって今なにしてるの」とVCで聞いてみた。すると、Bは

あい強盗刑務所に入ったままじゃん」

「…………は?」

人間は本当に驚いた時は文字通り絶句するのだ。

詳しく聞いてみると

・来なかった夏の直前に飲食店強盗に入った(新刊印刷代を稼ぐためじゃないかとBは言っていた)

ナイフ店員怪我させた

店員示談しなかった

・Aは実刑になった

・今も刑務所にいる

・どこの刑務所かは知らない

ということだった。

クリエイターを守ることはより大きな可能性を守ること

たぶんAはいまだに刑務所にいる。

ここ数年漫画家とかイラストレーター逮捕されるたびにAを思い出して胸が締めつけられる。

Aは捕まらなかったら今頃何かのゲームを任され人気のイラストレーターになっていたのは間違いない。

きっと何万、何十万人の人に感動を与えて救っていただろうと思う。

そんな才能を刑務所に送ることが本当に社会利益になるのだろうか。

昔の文豪芸術家には今だったら捕まってるようなエピソードが多くある。

それでも彼らは捕まらなかったからこそ、歴史に残る作品を送り出し、今なお世界中の人々を感動させ続けている。

創作無限可能性に賭けることこそクリエイター尊敬文化を守る社会ではないのか。

昨今、クリエイター不祥事を起こすたびに仕事を下したり自粛させたりするキャンセルカルチャー問題になっている。

無論、不祥事がどのようなものであれ、キャンセルは単なる文化破壊であり、絶対に許してはならない。作品には何の罪もない。

キャンセルを推進してる連中の取り締まり国家安全保障上何よりも喫緊課題であると思う。

しかし、俺はクリエイター側に立つ人間クリエイター背中から撃っていることを憂慮している。

彼らはいう。「作品に罪はない。でも犯罪犯罪から罰されないといけない」と。

このような意見作品を産み出しているのはクリエイターであるという至極当然のことを理解していない。

当たり前だが、逮捕されたり刑務所に入れられたりすれば物理的に創作邪魔される。

また彼らはいう。「被害者のことも考えろ」。

俺はあえて言いたい。本質的トロッコ問題と同じなのだと。

被害者可能性に賭けるか、創作可能性に賭けるか。

そして、クリエイターの側に賭けることこそ、クリエイター尊重するということではないのだろうか。

作品を守ってもクリエイターを守らないならその後の可能性は閉ざされ、まだ見ぬ作品は守れないのと何ら変わらない。

Aの才能が込められた本を見るたびに、日本クリエイターもっと尊重されていれば今も活躍してたのだろうと悲しくなる。

2023-05-15

anond:20230515023303

増田叩いたり考えすぎだとか言ってる連中はさ、自分の子がもし性被害など取り返しのつかない傷を受けたらとか、その加害者パートナーだったらとか考えないの?

あるいはコンクリ犯人級の悪人になったらとか考えないの?いっそこっちの方が恐ろしいかもな。

コンクリート事件犯人は生まれてきてはいけない存在だったと思う

奴らが生まれてこなければ、何の罪もない被害者の壮絶な苦しみは、死は、存在しなかったんだ。

私は犯人の両親を恨む。どうしてこんな悪魔を産んだんだ。お前らは産んで幸せだったかもしれない。子供が歩いた時、笑った時、パパ、ママと呼んだ時、愛を伝えてくれた時、幸せだったかもしれない。その幸せのために被害者は長い壮絶な苦しみの末無残に殺されました。その幸せは全て間違いでした。責任持って息子を殺してください。悪魔を産んだバカ親ども。


性犯罪やめられぬ男の本音  女子中学生2人殺害出所後も繰り返す過ち「やらない自信ない」 | 2019/12/6 - 47NEWS https://nordot.app/574184773366318177

この再犯繰り返す性犯罪者も、生まれてこなければよかったのだ。親はこいつを産むべきではなかったのだ。

親には、これ以上こいつが罪を犯す前に産んだ責任をとって殺してほしい。


我が子がそんな、産まれてきてはいけなかった存在になったら、どうする?

そんなことしないようにしっかり育てたら良い?

虐待などがある劣悪な環境でのみ犯罪者が育つのなら、どれほどよかったことか。

残念ながら、育て方と性犯罪関係ないという記事がある


「育てられ方」と性犯罪相関関係があるのか

https://toyokeizai.net/articles/-/149140


同志社アメフト部レイプ事件犯人も、円満家庭で育ったという

親の育て方が人格形成に及ぼす影響は、我々が思うより少ないとも聞いた

まり、どんな育て方をしようと、持って生まれ気質により性犯罪者になる可能性はある。

まさしく子ガチャだ。ただ、このガチャ他人人生、命まで巻き込んでしまう。

そんな子供でも、犯罪者にしない正しい育て方はあるのかもしれない。だが、その正しい育て方は誰も教えてくれない。わかったところで、本当にそんな育て方ができる保証などないのだ。

性犯罪被害者は妹(つまりもう一人の子供)かもしれない。娘(つまり孫)かもしれない。自分の大切な人が、大事な我が子に苦しめられるかもしれない。


子供女の子でも油断はできない。

性犯罪者になる可能性は激減するだろうが、旭川みたいな凄惨いじめをするかもしれない。その子供(つまり孫)の人生を滅茶苦茶に破壊する毒親になるかもしれない。





全校生徒100人切るような小学校にいたんだけど、小4の頃の担任のおばちゃんが糞だった。

http://www.kitimama-matome.net/archives/58863962.html#comments

この教師は生まれてきてはいけない存在だったと強く強く思った。

この教師が生まれてこなければ、転校生人生を、一生を壊されずに済んだのだ。

親が、この糞教師を産まなければ。



イジメっ子と噂される子にむかって、A子母「人を傷つけるのは悪いことだからイジメるならせめてうちの娘にしなさい」→ その結果が・・・ http://www.matometemitatta.com/sacrifice-bullying

この母親も、生まれてきてはいけなかった。

親がこの糞毒親を産んだから、孫のA子が人生破壊されたのだ。

子供を産むことは、この世に悪魔を生むかもしれないことだ。

子供を産んだら、否応なしに他人を巻き込んでしまう。他人を、人生破壊されるかもしれない危険晒ししまうのだ。

もちろん、子供が人を救う可能だってある。

だが、こういうのはトロッコ問題と同じだ。

線路を切り替えて一人の死が自分責任になるよりは、線路を切り替えず五人が死ぬ方が自分責任を負わないからマシだ。

産んだ子供悪魔に育つ可能性を負うよりは、子供を産まずにその子供が産み出したかもしれない利益を逃す方がマシだ。

しかも、子供を産んでいた場合にその子供が産み出していた利益など、目には見えないのだ。

子供がもし悪魔に育たなくても、その子供が、孫が、子孫が、悪魔に育つかもしれない。

コンクリート事件並の犯罪を犯すかもしれない。

あるいは一生のトラウマを抱えた辛い人生を過ごすかもしれない。

それら全てが、自分子供を産まなければ避けられるリスク

から自分は、子供を産まない。

これだけのリスクを背負っても、人は子供を産みたいのだろうか。

養子を育てるのはいい。少なくとも、この世に生み出した責任は負わないのだから


無数の悲劇を、犠牲者を生み出しながら、人類が存続する必要性はあるのだろうか。

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