はてなキーワード: トロッコ問題とは
貧困の中にある人や、うまく社会とつながりを保てない人。成長期に自己肯定感を育てられなかった人。
生存を続ける唯一の理由として、社会との唯一の接点として、推し活を続けている人も多いと思う。
推し活があることで、なんとか続けられてる。
愛しつくしてきた人の結婚。それも思い描いた理想の形ではない。
精神的にダメージを受けるファンもいっぱいいるだろう。うつ病を発症する人や、自死を選ぶ人だって出たのかもしれない。
依存しすぎるな、本人の幸せを第一に考えられないのか、などの言葉は、
そもそも生きていくのにいっぱいいっぱいで、依存せざるを得ないんだよ。
もっと弱者に寄り添った形で考えていかないと、ファンの暴走は止まらないと思う。
トロッコ問題きゃっきゃじゃなくてこれ読みなさいよ、キミら本好きって設定でしょうよ。ベストセラーになったぞ
★AIちゃんによる要約★
実力も運のうち 能力主義は正義か?(The Tyranny of Merit)は、マイケル・サンデル教授が著したノンフィクションの本です。この本では、アメリカをはじめとする先進国で広まっている能力主義(meritocracy)という考え方が、どのようにして社会の分断や不平等を招き、共通善(common good)を損なっているかを分析しています。
能力主義とは、個人の才能や努力に応じて報酬や地位を与えるべきだという考え方です。能力主義は、公平で正義に基づいた社会を実現するための理想として、多くの人々に支持されています。しかし、サンデル教授は、能力主義が実際には、以下のような問題を引き起こしていると指摘しています。
- 能力主義は、成功者が自分の成功を自分の実力だけのおかげだと思い込み、失敗者が自分の失敗を自分の無能さだけのせいだと自己責任するようになる。これによって、成功者は傲慢になり、失敗者は屈辱に耐えることになる。
- 能力主義は、教育を公平な競争の場として捉え、高等教育を受けることを社会的な昇進の手段として見る。これによって、教育の本来の目的である知的な探求や道徳的な育成が失われ、教育の質が低下する。
- 能力主義は、高等教育を受けたエリート層が政治や経済の主導権を握り、自分たちの利益や価値観を押し付ける。これによって、高等教育を受けられなかった多くの人々が政治的に無視されたり、経済的に犠牲にされたりする。
サンデル教授は、能力主義の問題を具体的に示すために、2019年に発覚したアメリカの不正入試事件(college admission scandal)を取り上げています。この事件では、ハリウッドの有名女優や富裕層の親たちが、大学入試の試験を不正に受けたり、スポーツの推薦枠を買収したりして、子供たちを名門大学に入学させていました。この事件は、能力主義がもたらすエリートの傲慢さや不正行為、教育の不公平さや劣化、社会の不信感や不満を象徴するものだと、サンデル教授は述べています。
サンデル教授は、能力主義に代わる新しい社会のあり方を提案しています。それは、共通善の観点から、人々の才能や努力だけでなく、運や環境にも目を向けることです。サンデル教授は、人々が自分の成功や失敗に対して謙虚で寛容になり、教育が知的な喜びや道徳的な目的を取り戻し、政治が多様な声や利害を反映するようになることを期待しています。
長文読むのがなんらかの理由で困難な人なら、Amazonのオーディオブックのサブスクに『実力も運のうち 能力主義は正義か?(原題:The Tyranny of Merit)』があって
確か無料だったような気がするのでそれを聴こう
共通善というものを扱う性質上、キリスト教というか神学から入るが、興味がなければそこは斜め読みしても問題ない
でも、共通善は、『おかげさまで』、『いただきます』、『生かされている』、『八百万の神/付喪神』の宗教価値観を持つ日本人にとって馴染みやすいものだと思うぞ
現在21歳女だけど、産むべきなのか、産まないべきなのかずっと考えてる。
正直子供は嫌いだし、子どもを見るたびこんな相手できる気がしないと思う。それは高校生の頃からだし、泣き声や高い声も得意ではない。(得意ではないからと言って邪魔だとか攻撃的な気持ちはないです。)
トロッコ問題でよく小さな子どもと地位のある大人どちらを助けるかの選択があるが、子どもを選ぶ理由が理解できない。
お腹を痛めて産んだ子だから、、が理解できない。(鼻からスイカを出すぐらい痛い思いして産んだ子供が引きこもり、犯罪者になったら恨まないのか?と思います。)
血の繋がった家族とはいえ他人の人生に責任を持てるほど自分は出来た人間なのかと思う。
自分の顔についてよく悩んでいる。子供も同じ悩みになってほしくない。
また、生きるって何だろう。といつも考えていて、死にたくなるときもあれば、生きているメリットってないよな。と思ってる。そんな人生、子供にも味わえと言うのは苦しい。
頭も別にいい方ではない。ADHDを数人に疑われてるからそれが遺伝しないか怖い。
気分の浮き沈みがある。ヒス構文などバカにされてるが笑い事じゃないぐらい自分も毒親になりそうだと思っている。
、、
大学も卒業して、就職する季節が近いため将来のシミュレーションをしていて、結婚はしたいと思ってる。結婚に付きまとうのが子供だと思う。
親や祖母に孫が見せられること。
産めなくなってから子供を生めばよかったと思ったときの保険になること。
ぐらいかも。
でもそのメリットすべてが自分のためで子を産むって親のエゴなんだな。と感じる。(他の人は子供にも素敵な人生を歩んでほしいとか子供のために産んでると思ってるから自分の話です。)
親のエゴってとても苦しい。でも他人に流されて産んでしまいそう。そして後悔して、21歳のときにこんなこと書いたな、って思い出すのかな。と思ったり、40歳になり、ひとりぼっちもしくは旦那さんとふたりで寂しくなるのか。それとも二人の生活で満足できるのか、、。
なんかこれ書いてるうちに子供を産むべきか産まないべきかの話より、自分の人生について話してしまいそうなのでもうやめる。
自分はいつも人の言ったことしかできなくて自分で選択したこと、あるのかなぁ。
将来の私が後悔してない道を選んでることを願ってます。
「暴走する路面電車の前方に5人の弱者男性がいる。このままいくと電車は5人をひき殺してしまう。一方、電車の進路を変えて退避線に入れば、その先にいる1人のフェミニストをひき殺すだけで済む。どうすべきか?」
本来のトロッコ問題に正解が無いとは言い切れないとは思うけど、
それは置いといて明らかに答えやすいように問題文を変えたトロッコ問題を幾つか考えてみる
トロッコ問題とか言われる奴
トロッコが線路を暴走していて、このままでは線路上の先にいる5人を轢き殺すようになっている。
トロッコ問題の変形パターンA(切り替えた方が圧倒的に正しい)
トロッコが線路を暴走していて、このままでは線路上の先にいる5人を轢き殺すようになっている。
一方でトロッコの進路を変える事のレバーがあり、レバーを操作するとトロッコは別の線路上を進み人を一人も轢かずやがて停止する。
トロッコ問題の変形パターンB(切り替えない方が圧倒的に正しい)
トロッコが線路を暴走していて、線路上を物凄い速さで進み人を一人も轢かずやがて止まるようになっている。
トロッコが線路を暴走していて、線路上を物凄い速さで進み人を一人も轢かずやがて止まるようになっている。
一方でトロッコの進路を変える事のレバーがあり、レバーを操作するとトロッコは別の線路上を進み人を一人も轢かずやがて停止する。
トロッコ問題の変形パターンD(トロッコ問題のようで実際は単純な答えを出しやすい問題である)
トロッコが線路を暴走していて、このままでは線路上の先にいる5人を轢き殺すようになっている。
GPT3.5はCにはどっちでも問題ないと言ってDには6人と言ってきたけどA,Bは本来のトロッコ問題であるかのように答えてきた
Bing AIはA,B,C,Dどれも答えに辿り着けず一般的なトロッコ問題に解答するかのように答えてきたコイツぽんこつだな…
GPT4はA~D全部に正しく答えられるんだろうか?
中一の春休み、初心者なりに1年続けた剣道の部活で少し距離のある高校に稽古に行く事になった。
高校生に向けて作られた練習メニューは、いつもこなしている内容とはあまりにも違って、1年生の私はまともについていけなかった。
女子は男子より多少易しいトレーニングをさせられたけれど、息が続かず呼吸も苦しかった。
高校側の顧問の先生はゲストのこちらに優しい印象で、休むことも許可してくれていたように思う。
1人体調を崩し途中で見学者が出たけれど、私は精一杯頑張らなければ、と思って全力で掛け声を叫びながら道場の端から端までを一息でかけた。無理をしたのか過呼吸の状態になり、私は先輩達の稽古の後ろで呼吸が収まらないのと、厳しい指導の言葉に涙が止まらなくなって嗚咽のまじった声で醜く泣いていた。
高校の先生と生徒の前で私が子供のように泣いているのが不名誉だったのか、恥ずかしかったのか、何かそういうプライドみたいなものを気にしながら「泣いても誰も助けてくれると思うなよ(だったか、助けてくれへんぞ、だったか、とにかくその時の景色だけは鮮明に思い出せる)」
と、皆の前で私に言った。
床に座り込んでいた私の視界に見える道場の仏教的な絵と、冷たい床と見下ろしていた顧問の風景が、今もそこにいるかのように蘇ってくる。
泣いてもなんにも解決しないよ。
その時とはニュアンスがまるで違っていて、
醜くて、上手く呼吸が出来ない弱い私を恥じるかのように。
帰りたい。
自分だけがあの冷たい道場に取り残されたまま。今もまだ、あの時の13歳の私は帰れないでいる。
退部を決めた私は、先輩に挨拶を、と思って一人一人にお礼を言って終わった帰り道、「何か俺に言うことないんか」と、ひとこと。
ありがとうございました。
顧問が戒告処分を受けたことをきっかけに、ネットニュースに載り、誹謗中傷も受けた。
メンタルが弱すぎる、この先の人生生きていけない。親が甘やかしたから。など
何度も死のうと思ったけれど、低い天井と、首に絡まった電気コードが自分の血の流れを止めていく感覚と、息苦しさでいつもやめてしまった。本当に死ぬ勇気なんかなかったのだろうけど。
リストカットで傷が残るのは何かのアピールのように思われる気がして、耐えられない時は自分の髪の毛を酷い時は坊主みたいになるまで切った時もあった。
昔は見ていた学校の先生から追いかけられ、決まって窓から飛び降りる悪夢や、つらいフラッシュバック体験の頻度も減ったけれど、些細なきっかけで思い出すことがある。
私は価値がない人間だ、この先頑張っても、きっとネットのコメントが言っていたみたいに、弱いメンタルのせいで挫けるのかもしれない。
前と比べて前には勧めているけど、きっとそうに違いない。
むしろ弱い子供は不登校で学校来ない方が周りの子や先生は助かるかも。
という書き込みがあった。
さっき、Twitterで話題になっていたトロッコ問題のことが頭によぎった。
このまま何もしなければ5人死ぬ。
1人の命と引き換えに自分が生きていると知ったら、亡くなった1人の家族と、恋人と、友人の気持ちは。毎日苦しくて、その瞬間がいつも鮮明に思い浮かんでくるんだろうか。
耐え難い悲しみが押し寄せてきても、それでも生きないといけない。
親はいつか死ぬ。最後に信じられるのは自分だけ。どんなに苦しくても、辛くても、自分で生きる道を探していかないといけない。
私はどんな立場になっても、たった今トロッコに立たされている誰かにそっと寄り添ってあげられるような、そんな選択ができる大人になりたい。
余談
1年生の女子部員は私だけで、団体戦はレギュラーの人数が足りないので、私に期待がかけられすぎていました。
試合に負けると怒られるので、剣道の楽しさがどんどん分からなくなっていきました。
部活と勉強の両立の部分でも、勉強を優先するとよく怒鳴られました。退部をきめた先輩を部員で囲わせ、辞めないように説得させ、逃れたくて窓から飛び降りようとした先輩もいました。同級生が部活をやめようとしていた時、「剣道部より○○部が楽やから辞めたいんやろ」と怒鳴りつけていました。
みんなおかしいと思っていました。
だから教育委員会も動いてくれたんだと思います。兵庫県は内心がとても受験に響くので、部活を辞めたら行きたい高校に行けなくなるのではという気持ちがあり、やめられませんでした。先輩はみんな、優くていい人たちでした。
私の母がネットニュースに記事を売ったなんてことは絶対にありません。記事の削除に動いてくれたのも、辛い時寄り添ってくれたのも母や家族です。恵まれた環境にいることを感謝しながら、これからたくさんの人との出会いを大切にして、人として成長していきたいです。